あたしはあたしの道をいく

2007.08.31
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私は小さい頃から妹二人と比べられ続けて来た。

そのことは随分前に書いた「 妹に対する劣等感 」シリーズで書いたけれど、

今も私の中に消し難い溝になって残っている。



私は妹二人に比べられ続け、「愚姉賢妹」といわれ続けたことが辛かった。

にもかかわらず、「愚姉賢妹」だと認めることが許されなかったのも辛かった。

「偉姉賢妹」でなくてはならないと、虚勢を張らなきゃならないのが辛かった。

だから、子ども二人を比べることはタブーだと私は思っていた。



だけど、それはありのままのあたしを否定していた。

連鎖 」。

これを書いたおかげで、そのことに気づいた。



あたしは、あたしの中で常にタロウとハナコを比較してた。

ハナコはもう○○できるのに、タロウはダメだって。

ただ、母はそれを臆面も無くあたしに浴びせかけ、

あたしはそれを直接口にしないでいただけの違いだ。



確かに、直接子どもに聞かせないだけの分別は、最低限必要だと思う。

だからと言って、それは二人を比べていない、ということじゃない。

あたしは常に、タロウとハナコを比較していたし、「愚兄賢妹」的視点を持っている。

たぶん、それを認めるトコからスタートしないとどうにもならなかったんだ。



あたしは二人の子どもを比べることに、ひどい罪悪感を持っている。



臭いものに蓋をする、という慣用句を思い出す。

あたしは、二人の子どもを比較する、という「臭いもの」に蓋をしていたわけだ。

臭いものに蓋をし続けるのは、実は結構大変だ。

所詮一時しのぎの対策でしかないものを、継続しつづけようっていうんだもの、無理だ。

無理を通そうとすれば、どこかに歪みが出る。





実は結構ストレスがかかっていたみたい。





>食も細いし、体も肋骨が見えるほど細い。

>ハナコが読める平仮名も、タロウは読めない。

>いささか猪突猛進なくらいの積極性がハナコにはあるが、タロウは無い。

>ハナコはもうじき昼のオムツがはずれそうだけど、タロウが取れたのは昨年。

>夜のオムツは未だに取れる気配も無いし、日中だってまだ失敗がある。

>ハナコは言葉で思いを伝えられるのに、タロウはぐずるばかりで全くダメ。

>屁理屈ばかりこねて、いつも逆らっている。

>そんな何もかもが、ハナコに比べて劣っていて、私を苛立たせる。

>そんなタロウを、私は腹立たしく思う。





こう、書きながら、あたしは胸が軽くなるのに気づいた。

あたしは、ありのままの自分を受け止めることが出来ずに居たんだった。

あたしは、二人を比べていた自分に初めて気づいた。

そして、それが、「条件付の愛」であることにも、やっと気づいた。



あたしは、条件付の愛しか与えられてこなかった。

イイコなら愛してあげる。

ワルイコは愛してあげない。

あたしは、タロウに同じコトをしていた。



それだけじゃなく、自分自身にも同じコトをしていた。

醜い自分なんか認めない。



母から受けた条件付の愛は、子どもに連鎖していく。

それだけでなく、私自身をも縛り付けていく。



一旦、ありのままの姿を受け入れること。

文字にすると簡単なようで、意外に難しい。



条件付の愛を受けてきたのも、私。

都合の良い物差で二人の子どもを差別してしまうのも、私。

それを基準に愛情を振り分けてしまうのも、私。

そんな欲求を抱えているのが、わたし。



私は私をありのままに受け入れる。

まずはそこから始めなくては。


その正しくないあたしを、タロウにどう隠していくかはまた別の話。

在るものを認めないことと、

在ることを認めて対処することは、たぶん大きく違う。



在るものを「在る」と認めること。

無いものを「無い」と認めること。



書くと簡単だけど、難しいなあ。








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Last updated  2007.08.31 11:57:51
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