螺旋構造(らせんこうぞう)は DNA だけではない。それは思考においても存在する構造なのだ。弁証法なども僕の感覚では「螺旋構造」そのもののプロセスのように感じる。しかも(少なくとも)僕の思考における螺旋構造はエッシャーの「だまし絵」のように、あるいは音楽における音階のように、のぼることもなくくだることもなく、進むこともなく戻ることもない。気がつけばいつの間にか「ふりだし」へと戻っている。
ネット社会の普及は、誤認識や勘違い等によるネガティヴな面もありますね。反面、プラスの恩恵も多いと思います。 私にとっては、一般の方々や識者の意見を拝見できる受動的なプラス面と、ささやかながら自分を表現することによる爽快感と、見て頂く事でのコミュニケーションによる小さな満足感があります。 まあ出来ちゃったものは、受け入れるしかないのかなとも・・・。 一方、たくさんの引き出しをお持ちの方の場合、モノラルな出口や表現方法だけではストレスになる事があるでしょうしね。 Let it be でいきたいところです。