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RK氏が稀代突出した贋作者で有ることは間違いないが、歴史的に見ると Nuits のネゴスを始め、ドメーヌに端を発したブルゴーニュの贋作も有る。 VTのごまかしやクリマの嵩上げだが、RP氏の名著の序章に1950〜60年代に書かれていたように(うろ覚えだが)LanguedocやRhoneのワインをブルゴーニュに混ぜたという話が書いてあった。そういえばAubeをシャンパーニュに編入したのはAubeの農民が一揆を起こしたからだが、その一揆の遠因はメゾンがLoireのワインをChampagne に混入していたことだ。先のサイトを読みながらこのRK氏の話を追っていく間に何とあのJayer、DRCと並ぶと称されるGriveletご当主自身が自ら贋作に手を染めていたという記事に当たって面白かった。以下先のサイト のDon C 氏の投稿の要約に自分の感想を付けて。当主Bernard Griveletは両親から受け継いだClos Frantinの畑々と Bonne MaresをフラッグシップとするChambolle畑のワインを作っていたが有る時(訳者注:確証は無いが多分70年代初頭だと思う)からGrivelet Pere et Filsを立ち上げ、Negotian au Chateau de Chambolle Musigny やDomaine Bernard Griveletを名乗りMis en bouteille au ChateauとしてLanguedocのワインをChambolle MusignyやChambertinとして売っていた。その数約70,000本に登り、中にはマグナムやマチュザレムなども有る。これだけの数を米に売るにあたってはインポーターも一枚絡んでいる事は間違いない。そして彼は起訴され1982年に有罪判決を受けている。以下孫引きだがNYTimesのサイト。http://www.nytimes.com/1983/01/02/style/wine-importer-pleads-guilty-on-false-labels.html日本にもちょっと前までは入ってきていて、そのうち何本かは間違いなく70000本の偽造ワインだろう。さて、肝心のそのワインの質だが、ある程度の古参ならGriveletのワイン、適度な値段で中々に美味しかったという感想を持っているのでは無いだろうか?人によってはDRCやJayerと同等とまでいう人も居る。まあ、それは少し買いかぶり過ぎだが、それにしても私の経験からそこそこ美味しく、自分のセラーにもまだ数本有る。 このサイトの別掲示板にそのBernard GriveletのGevrey Chambertin1971が液面低下も少なく、素晴らしかったという感想を載せている人が居て、偽作論争になっていたが、 私の穿った見方では70年後半(或いは80年代か?)の強い南のワインを入れback vintageのエチケットを貼った偽物のボトルが30年程経ち瓶の中の南のワインが適度にこなれてきたからでは無いだろうか?私自身、この村を始め、 村名ブルゴーニュ71を何本も飲んできたが、真のブルゴーニュワインなら有る程度のマディラ化はしょうがないだろう。どのセパージュも年が経つとピノテするのでセパージュからの同定は難しい。ひょっとしてこれが故に60~70年代のGriveletの評判が良いのではないだろうか? 単なる推測だがまあ当たっているように思う。ということで今度このドメーヌのワインを飲む時、ちょっと気にして飲んでみる。
2017/12/24
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2年程前にこの作り手のワインについて書いた事が有り、その時に「結果的に私にとって至高の1本になってしまった」と結んだのだが、この作り手に関してはネット黎明期以前に廃業してしまったため、殆ど情報が無く、どちらかというとキワモノに近い為か、その後全く見かける事は無く、もう二度と飲めないだろうと思っていた。ところがひょんな事からVTは違うがこのワインをもう一度飲める事になり、更に別の線からこの作り手について知る事が出来た。まずはこの作り手の情報から。 1823年に創設されたLaboure-Gontardを基にこのエチケットに書かれている御当主が1983年に改称、産するワインはNuit、Haute Cote de Nuit, CdVに加えてCrement。メタヤージュと推測していたがcuverieも持っていたようだ。樽の写真から新樽は使ってないように思える。唯一記述のあるClive Coates著の中に記載されているところだと完全徐梗、長期macerationとの事。CdVの畑の位置は中程から下部(R. Parkerによる)CdVの畑は約0.6haだから大凡4000本位作られていたのだろう。とま、大体これ位に要約される。 さて肝心のワインだが、前回飲んだ94より一回り古く40年近く経っていて香りに少しカディラが出ていてワインは下降曲面に入っている事が窺える。口に含むと赤果実を感じる事は出来ないが綺麗な酸が適度に残っていて果実の潰れた暗黒さは全くない。そして何よりも澄みを感じさせる。これは新樽を使わず完全徐梗で果実の甘みがストレートに残っている為であろう。可愛らしさが残った老婆とでも形容できるだろうか。ふと後当主の面影を感じたような気がした。 このドメーヌ、Madameの死去で94年を最後に売却。コートドールの畑とCrementの畑(Rocheport)は分離され、このドメーヌは消滅、CdVの地主としてブルゴーニュの歴史本にも記載されている由緒有るLaboure-Gontardの名は今はCrement専門のメゾンとして残る。これは商標として価値が有ると見られたからであろう。 感傷的になる訳ではないが、このワインを飲みながら栄枯盛衰の無情を少し感じていた。このドメーヌにはこれで思い残す事は無い。
2021/08/30
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今日から自分史を書いてみる。自慢話になっていたら申し訳ないが、基本的には事実で私のワインに対する経験と考えを知って頂く背景になると思うのでご容赦頂きたい。私が真剣にワインを始めたのが大学院生として渡米した1988年であるから、今年で丁度四半世紀になる。渡米前は食べる事、飲む事は好きだがワインについて全く無知であった。せいぜい居酒屋でカリフォルニアシャブリ(今もあるのだろうか?)を飲んだり、時にボジョレーを買って楽しむ程度でまさかブルゴーニュのワインコレクションを持とうとは全く思いもよらなかった。渡米(SD)数ヶ月は適当に近所のスーパーで地元のCAワインを中心に買っていたが(注1)、その時新しく出来た酒屋にふらっと訪ねた時にすべてが変わる。店主Bob はCA生まれ、CA育ちながらカリフォルニアワインには極めて冷淡で、実はブルゴーニュのコレクターとして既に名を成していた。(注2)当時まだそれ程知られていなかったJayerを始め、Lafon, Coche-Duryに早くから目をつけ、インポーターと懇意になり、直接インポーターから優先的(というか独占的)に割当を貰っていた。そしてエンジニアを辞めて、ワイン屋を開いた。その酒屋は他のCAの酒屋と違い、ブルゴーニュとボルドーが中心、バックVTも豊富でさながら博物館のように思えた。彼の薫陶を受け、H. Jayerの虜になるまでさほど時間がかからず、飲みながらも少しずつ手持ちを増やしていった。彼のお陰で ディリーワインは非常に贅沢をさせてもらった。勿論村名やレジョナルが中心であるが、Jayerのレジョナル(含むPTG)とCoche-Duryの赤白、89年からはRougetの赤と今では下手なワイン会のメインになりそうな所がずらりと揃っていた。これらは大抵セット販売の残りでCoche-Duryは赤と白セット、Jayerのレジョナル(含むPTG)も 村名やVCPとセットなので酒屋主も喜んで分けてくれた。Jayerの売値は15ドル、Coche-Duryの赤は10ドル。大学院卒業の93年までこういうものを毎日飲んでいた。多分こういう経験をした人はあまりいないのではないだろうか。因にRougetのレジョナルは質はJayer物と格段に違い、レジョナルでは大御所が絡んでいないことは歴然だった。他のクリマではH. Jayerのスタイルにかなり近い物もあることから、彼の関与は特定のクリマに限られると思われる。Meo-Camuzetのレジョナルはこの頃は比較的良かったが90年代にネゴスを始めてから一気に落ちてしまった。確かエチケットの文字の色が変わった筈である (記憶だが)。 何度も書いているがこの時期にMeo, Rouget, Jayerはこの時期に操業からの全てのVT(Meo-Camuzetは83、Rougetは85)を徹底的に比較試飲していているので一応この3人の関係とドメーヌ初期の作りを捉えているつもりである。因にJayerの最初の元詰めVTは78だが、77も最近出回っているし、60年代も出回っているらしい。真偽の程は判らないが、77を買って飲まれたB氏(多分日本、いや世界で有数のJayer収集家)が 「本物だった」と言われていたのでそうであろう。他の現在の有名ドメーヌ、Ramonet, Leroy (まだネゴス), Lafon, Leflaive, Roumier, Ponsot, Rousseau等はもう既に米では知れ渡っており、値段的には高く、大学院生だった私には中々手が出なかった。後、R. Chevillonが非常に評価が高かったが、これは現在何故日本でそれ程人気が無いのが不思議である。多分所有がNSGだけでGCが無いからだろうが、90のLes St. Georgeなど土を感じさせる優しさと深みがあり、非常に素晴らしい出来映えで歴史的にこのクリマが特級だったという事を彷彿させる出来であった。私はこのドメーヌにも非常な思い入れが有り、いつか書きたいと思っている。(この項続く)(注1)当時 あったBIG BEARというSDのスーパーのオーナーは大のワイン好きでローカルスーパーながらもワインの品揃えは素晴らしかった。ブルゴーニュではLambrey, Dujac (Clos St. Denis)等買った覚えが有る。因に現在のCostCoの前駆であるPrice Clubの社長も大のワイン通でこちらもその頃はSalonやクリスタルロゼなど中々良いところを揃え廉価で売っていた。 (注2)2000年代前半に彼はH. JayerのRichebourgの78~87の垂直テースティングを企画開催している。私にも声がかかったが会費2000ドルは高すぎ、断念した。今から考えると非常に安いと思うし、もう二度と出来ない企画であろう。
2013/01/29
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偽造ワインの話が某雑誌や某ワインサイトで取り上げられているが、知れば知るほど闇は深い事が判る。RK氏が逮捕され一件落着、或いはRK氏が偽造していたのはRCやJayer等の超高級ワインだから自分とは関係無い、ネットオークションでは無く酒屋から直接買っているから大丈夫、オールドヴィンテージではなく、最新のVTだけ買ってるから大丈夫とか、大抵のワインファンは対岸の火事と考えているだろう。実際私もそうだった(苦笑)。RK氏に端を発した偽造ワインについての米の掲示板を読むとRK氏の逮捕後(Post-RK eraと言うらしい(苦笑))の偽造ワイン、無くなるどころか益々巧妙になり数も増えているらしいことが判る。勿論全体像は掴めないが、例えばRoumierのアムルーズ13, Rougetの黒パラ12とか比較的最新のVTでオークションに出てもそれ程おかしくないものやDugat-PyのChambertin10とかレアなものの(1樽以下)価格的にそれ程高くないものまで偽造品が出てきている事は確かに吃驚する。スキャン、印刷精度の向上でエチケットの真贋の差が小さくなり、キャプシュールやコルクまで偽造しているのでさっと見分けるのは中々難しいと思う。そして偽造RC05に至っては私には全く違いが解らなかった。まあ、私がRCを避けているせいもあるが(苦笑)。詳しくはこのサイトを見れば良いのだが、書き込みを見ると所謂RC, La TacheやDRC Montrachetというスーパーレアワインだけではなく、その下のまあ、普通のワイン、例えばLeflaiveのMontrachet, Chevalier, BatardやCocheのCC, MP, Ramonet、NiellonのMontrachet、Chevalier, Batard等も含まれている。更に驚きなのはMusigny BlancだけではなくBourgogne Blancも偽造と思われるワインがある事だ。RK氏は96, 97, 99, 00, 01, 02とオークションを通じて販売しており(これは法廷で明らかになっている)。そしてRamonetのRuchotte, Leflaive, Lafonの1級。勿論彼がこの辺のを「真水」として本物を買って転売した可能性もあるが、これらの現物を仕入れたtraceableな証拠がない以上偽物の可能性も限りなく高い。と色々書いていてふとわがセラーを見ると限りなき黒に近いグレーのものが。ドメーヌ名とクリマこそオフセットだがVTとインポーター名がプリンターで書かれている。裏ラベルは敢えて載せないが、出処はあの疑惑の商社ならぬ疑惑のオークションハウス。仕入れたのは10年程前、RK氏全盛の時代だ。この偽造ワイン騒ぎ、対岸の火事だと思っていたら我セラーにも延焼していたという今日のオチ。そして、並行が多いBourgogne Blancを一生懸命買っている貴方にも延焼しているかも。この話題、もう少し掘り下げてみようと思う。
2017/12/11
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