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分は基本凡庸な作り手の優れたクリマよりも秀逸な作り手の下位のクリマの方が楽しめる。凡庸な演奏家の大曲よりも優れた弾き手の小品の方が深遠かつ心踊らされる楽しさを感じられるからだ。でもまあこう言うワインを飲むとやはりブルゴーニュのクリマは作品なのだと再認識してしまう。Gramontもこのドメーヌもそれほど優秀ではないのだが両ドメーヌともにこのクリマだけはやっぱり別次元のエレガントさを感じる。決して大輪の花ではないが華奢中にも知性、品性を感じスタイリッシュにまとまっている。フィニッシュも良い。中盤で少しintermezzoのようにトーンダウンするがその後香り果実が沸々と湧き上がり最後まで昇り調子だった。このドメーヌはBouchard時代のLa Romaneeも作っているが多分そっちは結構抽出が強くこちらの方がバランス良いのではと思う。ただこう言う大作を飲んでしまうと自分はやはり圧倒され何と無く場違い感に囚われる。ま、出自がそれほど良くない自分は垢抜けないクリマがほっこり感じてちょうど良いような気がする。美人のヨメを持つと落ち着かない感じかな。ヨメにはMoreyが良いかな。それかやっぱりVolnay辺りが良いかな。適度に可愛くちょっと田舎っぽくて。ただ熟成にはあまり向かないかも。ん、何の話だ。
2023/10/30
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今まで何杯のグラスを重ねたことだろう。一杯のグラスからワインが味われ咀嚼されそれが思い出に変わる。そして空になったグラスにまたワインが注がれその繰り返しだ。今のグラスを飲みながらその前にあったワインの記憶は朧げに昇華していく。それはあたかもサンサラのようだ。グラスといういう肉体にワインという心が注がれ時には高揚し、時には落胆し、怒り、諦め、色々な感情を生みながらサンサラは続いていく。サンサラ、それは輪廻というよりむしろ遊戯なのだろう。優雅で甘美な遊戯。一度、二度、いや何千回、何万回も繰り返された遊戯。これからも繰り返して行くのか。是という自分がいる。そして否という自分もいる。とりあえず遊戯を演じ続けよう。夕闇が来るか、自分の中で何かが壊れるまでは。ところでこのワインめっちゃ美味しかったんだけどね。
2023/10/28
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ブルゴーニュの懐深いのはradar screenに映らない優れた作り手が存在する事だ。この作り手も日本に入っておらずその存在を知る人は日本でも非常に少ない。Moreyを名乗るドメーヌは色々有ってそれぞれの複数の息子や娘が別ドメーヌを建てているので非常にややこしいがここはMarc Moreyの息子と伝説となるFernand Coffinetの娘が結婚してできたドメーヌ。90年代から元詰を開始しているが急速に有名になったのは実質息子が継いだ2010頃からだった記憶が有る。抜栓直後から淡い白果実。少し硫黄臭を感じるのはSO2だろう。口に含むと凝縮したフレッシュな果実が広がるが半端ないミネラルで中盤から締まりフィニッシュは長く完全に縦切れ。膨らみは微塵もない。樽は自然。樽熟は12ヶ月に留め、新樽40%だが大樽の狙い通りにワインが仕上がっている。長期熟成を眼中に還元的に作られていて非常に堅い。5年経っているがキャラファージュが必要だ。或いは前日抜栓だろう。ちょっとスレンダーなところが有りブラインドではCocheやBoisson-VadotのMeursaultに間違えそうな気もする。だが数年経てばゆっくりと堅さが解れ果実が溢れ出してくるだろう。9ヘクタールと比較的中規模であまり知られてなかったせいもあり適度に買えていたのだがここ2-3年でかなりブレーク。量も少ない事もあってか2021は完全な争奪戦。出来れば日本に入って欲しいが入ってきても少量、瞬殺だろう。とりあえずまだ市場にある19、20を追加しよう。まあ既に有るのだが。また増えるのはしょうがない。
2023/10/23
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人もワインも永遠の命がない」という事を実感する時はやはり還暦を過ぎた頃だろう。20代から40代は未熟さを若さの力で補い少し仕事も覚え、家庭を持ち順風満帆で自信を覚え、社会的にも中核になり責任も重くなり達成感を覚えた50代と怒涛のように進んで来る。その傍にはワインがいつも有る。セラーにあるワインは自分を困難な時には自分を鼓舞しその困難な局面を乗り越えた時に大切な人と分かち合う美酒になる。人生はこの繰り返し、それが永遠に続くと思っていた。その繰り返しはある時唐突に終わる。家族は巣立ち、社会的にも段々とmarginalizeされ、気力、体力、そしてアルコール分解能は落ち、かつての飲み仲間は一人また一人と悟りの道へ消え、あるいは傷病退職。そして昔買ったセラーのワインは持ち主同様既にピークを過ぎて下り坂。そしていつか自分の番が来る。このワインも多分そういうプロセスを辿っているように感じる。熟成が進みノワゼットが前面に出る。くたびれたワインだが10年ほど前は力も漲りクリマ的にもはち切れんばかりの素晴らしさだったのだろう。ただ最後3分の1を過ぎた頃から一瞬果実の煌めきを感じる。白色矮星の新星爆発のようだ。そしてゆっくりと心肺停止へ。冒頭の言葉だが「ワインも人も命あるうちに楽しむべし」と読みかえるべきなのだろう。そしてエピローグとも言えるこれからの人生はその都度ごと大切に思える人と自分が大切にしてきたワインを開けて行くのが最高の大団円なのでだろう。星は最期の瞬間を迎える直前に銀河全体にも匹敵する煌めきを見せるという。超新星爆発だ。自分も爆発するかな。と言ってもテロじゃないけどね。
2023/10/19
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前にRMシャンパーニュはシングルモルト、NMはブレンデッドウイスキーに喩えれると書いた。基本自分はRMしか飲まないが手持ちにはNMの上級キュベも幾多か有る。殆どセラーからの出番はないが。今日は久方ぶりに拠出。まあ勿論どちらかと言えば美味しい方なのだがやはりマキアージュが気になってしまう。肌理の粗さを隠すためのファウンデーション的な炭酸にコンシーラー的な少量のドザ。まあ普通に美味しい範疇のシャンパーニュだ。褒め言葉だが。話は変わるが贋作で有名なRK氏が逮捕された時所持していたワインも押収されたがその中に200本を超えるこのワインがあった。FBIの鑑定で全て本物。となるとこのワインを使って何を作りたかったのだろうと言う疑問が自然に湧く。自分の推測ではこのワインと同時に見つかったMeursault Charmes 1971を混ぜてCristalを作る積りだったののだろう。実際Cristalの空き瓶と木箱も見つかっている。実際ブルゴーニュ、それもCdBのワインをちょっとばかり足してあげればかなり肌理細かいシャンパーニュ(と呼べるかは分からないが)になる事は何度も経験している。Cristalの細やかさは10g/lと言う驚異的ドザージュによるところが多いのだがブルゴーニュを加えて半分以下のドザージュで模倣出来れば本物よりもフレッシュ、ピュアに感じるのだろう。本物を越える贋物。本当の所はどうか分からないが、何と無く彼の真髄の一片で有るように思える。まあどんなに素晴らしいシャンパーニュでもやはり炭酸のマキアージュは必要な訳で残った気の抜けたシャンパーニュを翌朝飲んだら前夜はあれほど肌が綺麗で魅力的であったのにどうしても肌理が粗く単純に感じられる事は経験しているだろう。ある意味妖艶な美女と一晩過ごして翌朝隣を見たらファウンデーションが落ちてて素肌を見てしまった的な。知らんけど。とりあえず1本減った。
2023/10/14
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いやはや30年余飲んできて何度か現地踏査しSancerreのfirst tierは両CotatとVatanで終わりだと確信していた。ダグノーのシェヴィニョルも飲んだけどあれはmicro oxidizationをかけて膨らましたところにあざとさを感じ、感心はしたが感動は受けなかった。が、ここでまさか新しい作り手が入ってくるとは思わなかった。久々に感動したSancerre。完熟、低収量から来る物凄い凝縮。青臭さは感じられない。それでいて綺麗な酸が有り柔らかさも感じられる。酒躯は中庸で安Sancerreに有りがちなシャバシャバ感はない。複雑味厚みの有る果実は18ヶ月樽熟から来るのだろう。樽はFoudreで酸化や樽香をつけないように考慮している事が窺われる。スタイル的には線が細いCotatよりも洗練さを感じ、力強いVatanよりもスタイリッシュ。3(4)ドメーヌどれもスタイルが違って面白くなってきた。所有畑は13ヘクタール余と中規模だがだがキュベは赤1、ロゼ1、白は区画、樹齢を考え作りを変えた7つとこの規模のドメーヌにしてはかなり細かい。Cadastre(土地台帳)の区画番号入りMonopercelle(単独畑)は2つ、いずれもこのドメーヌのフラッグシップ。残念ながら日本にはほぼ未入。米でもまだブレークしていないが早晩のブレークはほぼ間違いないだろう。とりあえず少し抑えた。かなりの感動に久しぶりにSancerreに行ってこのドメーヌを訪問したくなった。今ならまだ会えるだろう。行くかな。
2023/10/09
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Champagneに何度か行き色々試した結果、結局のところChamagoneは(例外はあるにせよ)基本あちこちのしかも複数のセパージュを使い砂糖の交えた混ぜ物でそれが故にあまり感動もしないし何ならスティルワインを混ぜて足しても良いと考えていた。更に単独畑を作るに値しないクリマで作ったワインは大抵マチエール不足でドザというマキアージュで誤魔化しているとも考えていた。数年前にこのワインを飲むまでは。最初に飲んだ時の感動はまだ鮮明に覚えている。混じり気のない果実から来る圧倒的な香り、そして柔らかいが何重にも重なり合う気品すら感じる。BdBの澄み切り余韻の長いトーンはカテドラルに響くアカペラのようにゆっくりと心に染み込みゆっくりと減衰していく。自分が飲んで来たChampagneの中でも群を抜いてhors ligne だ。ある意味デビュー当時のSelosse(今ではまあ普通だが)に感じた戦慄に繋がる。個人的にはマキアージュを感じるMesnilよりも上かと。勿論作り込まれたメゾンの上級キュベが野暮ったくIQ低く成金的に感じる位の洗練さだ。この人のキュベを色々試してみてどれも素晴らしいのだがこれは別格だと思う。やはりパワー一辺倒Avizeでも時にはミネラルが強すぎるMesnilでもなく中庸でバランスの良いCramantの品の良さだからだろう。でもどうなのだろう。これだけ完璧なChampagneを飲んでしまうと次に何を飲んで良いかわからない。この日もこの後に何本かブルゴーニュの白赤を頂き決して悪くは無かったのだが逆にその白赤の方に細かい粗を感じ全く楽しめなかった。ある意味ワイン会を寄席とするとシャンは前座だ。その前座が素晴らし過ぎて二枚目、真打ちが緩く感じられないと寄席がはめちゃめちゃだ。いっそのことこのシャンを真打にしても良いような気がする。いやいっそのこと、もうこのワインだけでも良いかも。素晴らしいコンサートを聞いた後は無音でいたいような気がする。
2023/09/28
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決して悪いワインではない。いや寧ろ良いくらいだ。少し樽のマキアージュがきついがきっちりと出た果実の中に綺麗に溶け込んでいる。その果実はコルシャルのような南方系ではなく良質のCdBの淡い白果実。樽から出たバニラや少しヘーゼルナッツが混じりそのマキアージュが複雑味を出している。エレガント。推測だが畑はLadoixなのだろうか。と感じたのだがこのワインにどうも違和感を感じる。それは単にこのワインが「匿名」だからであろう。Louis JadotやFaiveley等の一流ネゴスではやらないがちょっと落ちる(超)大規模ネゴスではサブブランドとして別名で出しているところが多い。勿論シャンパーニュやローヌ、ボルドーでも有るがこの慣行はブルゴーニュの方が頻発しているように思える、しかも一つのネゴスが複数のサブブランドを持っていて非常にややこしい。まあその理由は買収の歴史と複雑な内部組織、節税のためのトリック、マーケティング等なのだろうがそんな事はどうでも良い。結局のところは「匿名」、顔の見えない作り手だ。このエチケットに書かれた「ネゴス」はNuitsに本拠地を置くそうしたネゴスのサブブランドの更にサブブランド、まあ孫ブランドだ。誰が醸造しているかもわからないしスペックも全くわからない。瓶買いかもしれない。ブルゴーニュワインの楽しみはバーチャルであっても作り手を知り、作りての思い入れを理解し、歴史ある畑に思いを寄せ、ワインを味わいVTの違いを感じる事に思う。勿論出来の良い作り手やmediocreな作り手もいるし、クリマの優劣、VTの強弱もある。それを全て知った上で違いを愛でる。JadotやFaiveleyのように自社の名前を刻みある意味コミットしているのならネゴスでも意味があると思うが超がつく大規模ネゴスこういう孫ブランドでサイトも無くネットにも殆ど情報がないワインはやはりIndustriel、心のこもらない工業製品のカテゴリーなのだろう。そう、匿名のワインにやはり愛着は湧かない。例えそれがどれだけ美味しくても、それは「一夜限り」の関係でしかない。作り手も飲み手に思いを寄せず、飲みても作り手に敬意を払わない。極論するとコンビニで買うワインと同じかもしれない。ブルゴーニュのワイン、例えネゴスでも最低限の愛着は見せてほしいと思う。それがグランクリュともなれば尚更だ。まあ、言えない事情があるのかもしれないが。
2023/08/14
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ウイスキー道ではブレンデッドウイスキーとシングルモルトとが峻別されそれぞれの魅力が追求されている。ブレンデッドでは優れた原酒をブレンディングやバッティングという人為的な方法で複雑だがメローな味に仕立て上げる一方、シングルモルトの方は荒削りだが現れる蒸留所の個性を楽しむ、とまあ別物だ。シャンパーニュの場合もNMはこのブレンデッド、RMはシングルモルトと同様に別ものとして捉えるべきだと思える。NMの上級キュベは複雑でまろやかで万人受けする一方、単体での満足感を重視するためドザが強く、全体的にくどく単体で飲みそこで完結するのに適しているように思える。一方RMは正直玉石混淆でどちらかというと石の方が多いように思うが優れた作り手のものは粗削り個性溢れ、また実質単一村や畑、単一VTでそれぞれの違いを愛でる愉しみも有ったりする。自分的にはこのRMの個性に惹かれる。決して完成されず欠点も有るのだがそれも含めて個性となり魅力となっているように思える。特に志高い作り手の畑やVT、セパージュのアッサンブラージュというシャンパーニュのアドバンテージを放棄して作られた(これはある意味究極のコストカットではあるが)優れたRMの中にはブルゴーニュに劣るクリマのポテンシャルにも拘らずブルゴーニュに比する位はっとする位素晴らしい出来の物も有り、この劣ったとされるシャンパーニュのポテンシャルを補って余り有る作り手の才能に感嘆せざるを得ないものも有り、ワイン会の前座的に乾杯の一杯で飲み干してしまうのは勿体無いを通り越して犯罪のレベルで有る。まあそんな事はどうでも良いのだがこの作り手はやっぱり素晴らしいと思う。シャンパーニュでも大した事のないとされる村でPM、単一VT。それからこれだけのワインを作り上げてしまう。全く着飾ったところがないが媚びる所は皆無。野にして粗だが卑ではない。ノンドゼだが。20年近く経ち全く酸化したところも無くむしろ強ささえ感じ、PMのポテンシャルを遺憾無く発揮している。並みのブルゴーニュ白を遥かに凌駕する力。ブレンデッドウイスキーのNMにはない感動を与えてくれる。これは混ぜないでじっくり味わいたいと思う。この後にはブルゴーニュ白は必要ない。別段NMを貶める積りは無いが乾杯の一杯はNMの上級キュベで十分だと思う。どうせ大して違いはないし30分以内に後に続くブルゴーニュ白に全ての記憶が上書きされて残らないのだから。
2023/08/01
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こう言うワインを飲むとブルゴーニュというのは種々のクリマが基本クラシックの種々の曲、作り手は演奏家なのだなとつくづく思う。もう少し追加すると村は作曲家、そして飲み手の我々は聴衆、ワインを飲むのは演奏会、ワインを飲むというのは演奏家が作曲家が作った作品を弾くのを聞くようなものだ。GevreyやVosneという作曲家は色々なクリマという曲々を生み出す。曲々に名曲、や駄曲、小曲、大曲、簡単な曲や難曲があるようにクリマも難しかったり易しかったり、こじんまりとしたもの、偉大なもの、まあこうやってひとくくりにすれば単純だがそれぞれに色々な性質があり個性が有る。そしてその曲を弾くのがクリマからワインを作るのがvigneronだ。素晴らしいvigneronは素晴らしいクリマからもそれなりのクリマからもきちんと作ってくる。閑話休題、このクリマ、Musignyの直下にあって歴史的にもCdVの修道院時代からそれなりにの評価を受けていた。名曲と言っても良いだろう。しかもMonopole、他の演奏家が弾くことはできない。ところがこの出来はどうだろう、抽出が強く果実は黒く平板、あまり楽しさは感じられず力任せに弾いているピアニストのようなものだ。別のVTはそこまででもなかった記憶があるので、難しいVT、更にはMusigny同様難しいクリマと言うことでそれがこの生産者の限界なのかもしれない。もうちょっと簡単なボーモンだとまずまずの美味しさは感じられるのだが。
2023/07/03
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長年ワインを飲んでいて一番嬉しいのはやはり自分と長年飲んできた後進のワイン愛好家から自分の良く知らなかった作り手を教えてもらった時だろう。別段教え子などいう烏滸がましい考えは持ってないのだが、自分のとっておきのワインを色々開けたりしてある程度の薫陶は授けたように思っている。その「教え子」から教わる。この楽しみに勝るものはなく、自分の次の愛好家世代のレベルを見極めて安心して下山に励めるような気がする。 素晴らしい作り手だと思う。白は相方であるPYCMと同じ味筋で確かに美味しいなと思った記憶がある。同じcuverieで作ってるのでほぼ間違いなく同じlevureだろう。ところが、この赤。相方の方は少し重心が低いように感じあまり感心はしなかったのだが、この赤は素晴らしい。この村特有の野暮ったく重く粗野な感じは全くなくチャーミングで軽快、あどけない少女のような表情を見せてくれる。PorcheretやCoche DuryのMonthelie に近い軽快感はあるがそれらよりも確実に緻密で少し華やかも有る。Ramonetの赤が素晴らしい男性とすればこれは可憐な女性。これで村名格とはちょっと信じられない。この作り手の赤が良いと勧めてくれたその後進には大いに感謝だ。まあそれでもこの後進のレベルに達するのはやはり一握りで、元からの才能が有ったのは間違いない。大抵のブルゴーニュ愛好家は歴が長くなっても未だにエチケットやレア物の呪縛に陥り、酒屋のメルマガや世間の評判を頼りに自分の価値感で飲む域には達してはいない。価格が高ければ高い程、それを持ち寄り飲む自分の価値が高いと錯覚しているブランド品信仰者と同じだろう。この呪縛を解くのは中々に難しい。 尤も自分よりも年長の愛好家にもその手の課金厨的behaviorを続け、永遠にエチケットの呪縛に囚われる人も多いのだが。
2023/06/23
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Côte d’Orの村で一番グランクリュの数が多い村は実はVosneでもMoreyでもなくこの村で、この結果は有る意味1930年代後半のブルゴーニュアペラシオン策定に当たっての一番の失敗であるように思う。 勿論グランクリュの策定にあたっては歴史的な意味に加え、所謂porte drapeauと呼ばれる過去にその畑から作られたワインが近隣の著名なクリマの名を付けて出荷され消費者に認められていたかと言う言わばcote d’or独特の慣習も考慮され、このある意味優良誤認的な慣習に一番影響を受けたのがこの村だ。端的に言うと村内のかなりのワインがChambertinで売られアペラシオン策定の時にどこまでChambertinとしてのグランクリュを認めるかで苦慮したのだろうと容易に想像できる。 VosneやMoreyのようにdistinctな性格を持ちかつ秀逸なグランクリュが複数(しかも多数)存在するのとは違いこの村のグランクリュはほぼ全てがchambertinを頂点とし他は同じ性格だがChambertinの劣化コピーの集合体だからだ。歴史的に特別の価値を持つChambertinとClos de Beze以外のクリマをグランクリュに認めないとなると、村の大半を敵に回す事になるので結果、この村に於いてはClos de BezeとChambertinだけは真の特級、他はそれより下の格のなんちゃってChambertinとして決着を付けた。その違いは今も収量規定の違いに残っている。この畑もそのなんちゃってChambertinの一つ。Chambertinに隣接するものの畑は平らで谷の直下にあるため(等高線を見れば一目瞭然)冷涼な年は難しいとされLavalleでは2級格。このワインも決して悪くはなく作り手もまあそれなりに秀逸なのだがやはり軽さ、薄さは否めず、普通にちょっと美味しいワインの範疇に留まっている。この畑を含めて幾つかのクリマがChambertinは晴れてグランクリュの栄誉を受けたがこの村のもう一つの優れたクリマ、Clos St. Jacqueは歴史的に優れたクリマとしての評価にもかかわらずグランクリュに選ばれなかった。これもアペラシオン策定の大きなミスだと誰もが認めるだろう。その理由として、この畑のワインは歴史的にChambertinとして売られず、更に1930年代後半のアペラシオン策定時にこの畑を所有していたのがComte de Moucheron単独で(現在の所有者はここから1954年に買っている) 何らかの理由で言い含められゴネなかったか或いは政治的力がなかったからのではないだろうか。まあ、あくまでも推測だがアペラシオン策定の過程を考えると中々面白い。 余談になるがこのなんちゃってChambertin方式、妥協案で有るが、結構当事者間に軋轢を起こさずうまくいったのでMontrachetでも採用され、BatardやChevalier等のなんちゃってMontrachetが誕生した。それから90年、今やなんちゃってMontrachetやなんちゃってChambertinが立派なグランクリュとして通用しているのを見ると何となく複雑な心境だ。
2023/06/16
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色々と飲んできて、最近はあまり手放しで褒める事はないのだがこのワインは掛け値なしに素晴らしかった。タイトなMeursaultも勿論素晴らしいのだがこれは一才無駄な要素が無く鋭利な刃物のよう、それでいてフィニッシュに少し柔らかな微かな果実味を残して消えていく。寡黙だが、いや寡黙であるからこそ却って凄みを感じる。強さに勝るGrande Coteとはまた少し違う。昔から素晴らしかったのだがここまで素晴らしいワインが何故まだ相対的に埋もれているか自分には理解不能だ。勿論サンセールの一番の問題は余りにも広い地域にクリマの格付けもなく大量生産の作り手が多数存在しそその中に真面目な作り手が(多くはクリマに恵まれないが)埋没し、結局玉石混淆状態になり、所謂「悪貨は良貨を駆逐する」状態になっている事だ。面積的にはChablisの半分くらいはあり、実際Sancerreのアペラシオンの中に15村含まれるという事を知ってる人は少ない。まあ、Champagneのような村の格付けは無理だったかもしれないがせめてChablisのようにSancerreの中に特級、一級位の緩いclassementを作っていても良かったように思う。Sancerreの今後に期待したいところだが、実際今の売値ならまともに手をかけてワインを作って収支トントンに持っていくのは至難の技だろう。シャンパーニュのメゾンのように高級キュベを作ろうとする大手作り手もいるがどうもやはり商業的な作為が主でワインの質は今ひとつだと思う。自分も何度かそういう生産者を訪れ、定期的にフォローしていたがほぼ全てが一口飲んだ瞬間に落胆する。ニ番手として挙げられるのはせいぜい3つ、それも一番手より遥か下だ。結局30年前から今にいまに至るまで自分が良いなと思うのはこの従兄弟と最近超有名になったもう一人の3作り手しかいない。この作り手も一部のマニアしか知らないし、大抵のブルゴーニュファンは値段もリーズナブルなのであまり見向きもしない。まあ、それでも徐々に値が上がって来てるのでコツコツと拾っていく価値は有るとは思うが。上に3作り手と書いたが実は今もう一人気になっている生産者がいて今度試してみようと思う。その際にはまたここで報告する。
2023/06/04
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ブルゴーニュでは珍しく長期の瓶熟を経てから売り出すドメーヌ。ブルゴーニュで自分の知る限りでは他はGounoux、Lejeuneがそうだ。尤もLejeuneは樽から試飲できたがこことGounouxは樽から飲ませない事で知られている(一般愛好家だけではなくジャーナリストも)。そのGounouxは代が変わり、Lejeuneは居抜き的に売却されそういう前近代的というか超伝統的な偏屈さもなくなり、今はこの2ドメーヌまあ、他のドメーヌと同じようにリリースするようになった。ここだが2004にRobertが亡くなられMichelが継いだがこの偏屈なシステムはなくなるどころかますます徹底しているように思える。実際最近ドメーヌを訪ねた人によると、今売ってるVTは1993-1996、間違いではなく、お父さんの生前のVTだ。つまり彼が継いでからのVTは一つも無い。実際Wine-Searcherで探しても直近VTは2002、多分代替わりして暫くしてリリースしたのだろう。まあ勿論、生計が有るので数樽だけ残して後はネゴスに売ってる可能性は大なのだが(推測です)。閑話休題、このワイン、多分リリースは2010年以降、それまでセラーでしっかりと眠りについていただけ有って全く健全。シェリーや嫌なトースト香は皆無。花梨、アップルパイ、胡桃等が混じり合い重い酒躯に溶け込んでいる。MeursaultはもとよりChardonnayを超えた密度、パワー。グリセリン由来の残糖感もある。ある意味HuetのCBに近い感覚さえする。後これに似たようなワインはボングランか。確かにこのワインにMeursaultを期待すると面食らいそれが故に毀誉褒貶も激しいのだろう。ただ虚心坦懐的に飲むとこれはsuis generisなワインで有る事がわかる。Meursaultである前に彼のワインなのだ。Michelがいつ自分のワインをリリースするのか楽しみになってきた。その折にはぜひ父子のワインを並べて飲んでみたいと思う。
2023/05/23
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最近古参のワインファン達が超弩級のワインを処分し始めているが、その背景には結局のところ、ある程度飲めばどんな素晴らしいワインでも(一部の素晴らしいワインを除いては)想定内の美味しさを想定内であったと言う確認作業に追われるのであってそこには心からの感動を覚えるものではない。と言う事だ。要はその確認作業に飽きたと言う事だ。ではその古参はなぜまだワインを飲むのかということになるのかというと一つはワインは他の人と飲む社会的な飲み物、会話の小道具でありその会話を楽しむためであるがもう一つは知的好奇心から新しい作り手や代替わりした作り手、当たったVT等、自分が知らない世界を追い求めていくと言う古参がワインを始めた頃の初心に戻っているからだろう。それは自分だけの世界を構築していくワクワク感だ。既に数千本は有るストックを飲んでいけば良いと分かっていても新しい生産者を試しそれが素晴らしくまだブレークしていないとわかった時の優越感。それを求めて探し回る毎日だ。閑話休題、今日のワインだが新興のミクロネゴス。創業者3人の名前だが一番大事なのは最初の名前、燻し銀的で通好みのMatrot醸造長からの転身。裾物だが淡く品が良い。果実こそ薄いが良質のMeursaultを思わせるタイトさが有り、フィニッシュにかけても綺麗に消え、膨らみは少ない。個人的にはMatrot本体よりも上かと思っていたら、実はこのネゴス、創業に当たって2005に廃業したMatrot-Wittersheimのcuverieを使っている。正にそのスタイルで蔵付きの酵母が発酵に携わっていることは間違いない。廃業したMatrot-Wittersheimのワインをまた味わえるとは感無量だ。と言うわけでまた少しこのネゴスを買うことにする。と言うわけで在庫が全く減らない。
2023/05/03
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英語でname dropping という言葉が有る。「重要な人と知り合いで有る事をひけらかし自分が重要で有る事を匂わす」事だ。勿論良い意味ではない。更にname dropping businessというとあまり中身がない商品を売りつける商売法として否定的な意味になる。翻って昨今のブルゴーニュではこのname dropping businessが盛んであるように思える。端的には「超有名ドメーヌで修行した」というフレーズだ。確かに超有名ドメーヌで修行した中でも個性を持った素晴らしいワインが作られるところもある。例えばDujacだ(エチケットのデザインまで同じだ)。最初の数年はまあつかみとしてこういうname dropping は重要だが、優れた作り手だとすぐにそういう商売から卒業していく。問題は何年もこのname droppingを続けているドメーヌでここもその一つ。某DRCで栽培醸造をやっていたという売り出しが何年も続いている。果たしてワインは全く平板で普通。薄いが薄うまではない。口の中で急速にばらけていく。クリマ的に少し薄くなるのは仕方がないが前の所有者Pernin Rossinは薄いなりにも果実の芯があって隣のCros Parantouxに繋がる要素を少し感じることができた。このままだとDRCで修行したのにこれか、と全くの逆効果であるように思う。ジャイエの弟子、セロスの弟子とかも有ったな。まあ、こういうname droppingしている作り手には近寄らない方が良いと思う(個人の意見です)。
2023/04/08
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ワインが単なる飲み物を超越する理由はその味わいや値段にも拠るがやはり最終的にはワインは熟成による進化を遂げる謂わば生き物であり、時にはその進化により人智を超えた高みに到達する可能性があると言うことだろう。更に言うとリリースで買って20年、30年寝かせて自分と共に成長して来たワインは想いで有り、自分の分身だ。そのワインを自分の節目が来た時にその想いが判る人と開ける。 このワイン、30年を超え、コルクも切れボロボロになり、殆どソーテルヌと思わせる位の深い黄金色が付いていて、シェリーが出ている事は確実で果たして一口目を含むと微かなシェリーの要素が口から鼻へ抜ける。だが口に含むといがいがした要素はなく、花梨のような丸い果実。酒質は粘性が高く滑らか。口に含むと酸があまり感じられずピークを少し過ぎた頃と思った。ところが15分を過ぎた頃からそのシェリー香やトーストが消え、先に述べた花梨を思わせる透明だが複雑な果実が広がり艶かしさまで感じられ、落ちるどころか最後は若さまで感じさせてくれた。逝っていた時に備えて魂召喚用のノンドザのシャンパーニュを用意していたが、全く必要が無かった。Montrachetは難しい畑で結構駄作は多いがやはりここのMontrachetは別格だと言われる理由を再認識した。 作られてから飲むまでの間の時間が長いのもワインの特徴で有る。ワインが作られてからから開けられるまでそれぞれの人の人生が有り、それぞれの人が楽しい事や辛い事を経験し、そしてワインを開けるこの時、この場所でワインと人が一点に交わる。そしてワインを見ながら人はその間の自分の人生を振り返る。 「お前は歳を取ったが中々のものじゃないか、そう言うわしも歳をとったけど満更捨てた者じゃ無いだろう」とワインに語りかける或るブルゴーニュの作り手の言葉が浮かんできた。
2023/03/30
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今日は少しIntermezzo的なワイン。 名手(私は苦手だが)が作るちょっと遊び的な1本。銘に有る三角形はそれぞれのセパージュに対応した地域、ボルドー(セミヨン)、ローヌ(ヴィオニエ)、ブルゴーニュ(シャルドネ)をそれぞれ3分の1ずつブレンドした物。 ワインはまあ単純でどうしてもヴィオニエが勝ってしまってるがセミヨンでボディーを出し、シャルドネで酸味を出すことでそこそこには仕上がっている。ちょっとした遊び的アッサンブラージュだが一応理に適っている。 このワインを見れば判るようには高名なVigneron自身がこういうアッサンブラージュ遊びをしている訳で、実際他の作り手や高名ソムリエもこういう遊び心を持っている人がいるし、我々飲み手もそれに倣って即席アッサンブラージュ遊びをしても一向におかしくないということだ。しかし残念ながらエチケットに囚われた中級程度の飲み手にこういうアッサンブラージュに対して嫌悪感を持つ人が多いことを感じている。ワインを飲む事=芸術品を鑑賞することと捉えるのは別段問題は無いが世のワインの多くが(例えブルゴーニュで有っても)芸術品にまで達しない家内製手工業レベルで有り、VTや、クリマ、醸造及び保管の瑕疵で完全では無い時、適当なワインとアッサンブラージュする事により劇的に質が良くなることはままある。こういう理解を持たない中級者には自分のワイン=自分の人格と捉える人も多く、アッサンブラージュする事により自分の人格を貶められたという曲解に至る人もいて、そうなるとお互い理解は不能だ。 さてそういう私も会食の際、隣席でビビンバやカレーを混ぜられると生理的に嫌な気持ちであり(多分に視覚的なものもあるが)、こういうアッサンブラージュに関しても同様であることは推測できる。 まあ、こうなるとワインもある種の宗教で異なった同一宗教内での派の違いみたいなものだ。ブルゴーニュ教内で美味しければアッサンブラージュを認めるエピキュリアン派、原理原則に拘りアッサンブラージュを許容しないオーソドックス派、みたいな感じで、歴史(及び現在進行形の紛争)が示すように、異なった宗教同士は比較的寛容だが、同一宗教の派閥争いは激しい対立を生む。ま、近親憎悪だな。 自分もいつかはオーソドックス派のテロの対象となるような気もする(笑)。
2023/03/29
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Chablisで一流とされる作り手は何人も居るが結局の所Raveneauを除いてDauvissat、Piuze、Louis Michelなど全てがChablisの範疇を越えられないと思っていた。どれもが一口飲んでChablis独特の締まりの有る淡く透明感の果実が支配的で禁欲的な感じを受け、優れたCdBのような濃い時にはふくよか、厚みも有る楽しさを感じさせながらもエレガントなワインとは違うと思っていた。まあ、CdBより北で葡萄の完熟しにくいクリマだから当たり前と言えば当たり前なのだが。 このワイン。まだ日本ではそれ程知られていないが米ではじわじわブレークしつつある。ビオ(Chablisではまだ少ない)、ステンレスから樽という発酵熟成過程はまあ、今時のChablisでもまずまず有るがこ特記すべきは極度に抑えた収量と驚異的なまでの樽熟(一級で34ヶ月)に有るだろう。この為にワインはChablisとは思えない位の厚み、複雑さを備えている。まず口に含む良質のCdBに共通する柔らかく品の良い果実が感じられる。そして中盤からChabilis特有の綺麗なミネラルが感じられ、フィニッシュへの縦切れ。畑的には一級畑とは言え左岸のForetより落ちるクリマからここまで完熟させるにはかなりの遅摘みだと思われる(実際彼はVandange tardiveのキュベも有る)。個人的にはDauvissatよりも遥か上、Raveneauと並んでSuper Chablisのカテゴリーに属する素晴らしい作り手だと思う。一級は日本には殆ど入ってないだろうが値段も(今の所は)まあ許容できる範囲なのでもし可能なら試されることをお勧めする。 先日白はもうこれで良いと書いたのだがこのワインもまずまず飲みたいと思って少し発注してしまった。これじゃ減らないわけだ。
2023/02/25
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最後の晩餐に何を食べるかというお決まりの質問に対して大抵の人は鮭のおにぎりのようなシンプルな物か、母の味のようなノスタルジックな物を選ぶ傾向があるが、いずれにせよ、豪勢な料理を選ぶ人はあまりいない。まあ、実際問題最後の晩餐に至る局面の人生では味覚機能、どころか消化機能、果ては咀嚼機能の低下に加えて痴呆も進んでいたりして流動食になったりする可能性もあるが、それでも日本人が選ぶ最後の晩餐には豪華な料理では無くそういう情緒に溢れたものやシンプルな物が多いということに何やら諦観染みたものを感じる。 私も段々と最後の晩餐に相応しいワインは何かという事を考えるようになってきた。下山を標榜する盟友ロマネ氏は絢爛豪華なGCや特別なPCの豪華さを瑣末と喝破し、日常を感じさせるワインの中に真の美を見出すべきだという新たな局面に入っているが、私も間も無くそこに到着するだろう。まさしくあれほど素晴らしいブルゴーニュワインを飲んだCamille Rodierが後年シンプルなワインを好み、魯山人が後年魚の塩焼きのような料理を好んだのと同じだ。歴史的に例えると狩野派に代表される豪華だが物質的な安土時代から無常感、詫び寂びを大切にする桃山時代への移行、これが個人の中で起きているのだろう。 前置きが随分長くなってしまったが、今日はこのワイン。特段変わったところはないのだが非凡の凡の極致のように感じる。抜栓直後は還元的で禁欲で堅い殻の中に閉じこもっていて寡黙。ミネラルが支配的だが、軽くスワーリングするとワインはようやく一言二言、口を開き始める。果実は淡く上品、フィネスを感じる。横への膨らみはなったくなく球体。フィニッシュは長いが縦に切れ何も残さずフェードアウト。素晴らしい日本酒を彷彿とさせる。熟成させたCoche DuryのBourgogne Blanc (Meursault)に近い、というかCoche Dury以上にCoche Dury。 自分的にはこの白が最後の晩餐の1本なのではと思っている。
2023/02/02
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あまり知られていないと思うがClos du Vougeot (CdV)は今でこそPN100%だが、歴史的には白もかなり植えられていてDanguy et Aubertin(1891)では大凡6割がPN,4割は白と記されている。特記すべきは白のCepageがAligoteやPinot Beurotではなく18世紀当初当時は比較的珍しいChardonnayでその出来はMeursaultに比されるところだ。そのCdVの白だが今で全て赤に変わっているが、いくつかの文献から推測するにフィロキセラ禍後の改植が機だったように思える 実際先の文献では修道院が所有していたのはCdVだけではなく現在1級、村名格のVougeot村の畑の殆どを所有しており、現在のClos de Perrier、Le Cras、Petit Vougeot、Vignes Blanchesという一級畑や他の村名格畑を現在のクリマ区分以上に現在は消滅してしまったClos Blancs de Vougeot, Clos Noir、Le Plante等細かく管理していたことが伺われる。 前置きが長くなってしまったがこのワイン。以前Heritier de Guyotが作っていたが所有が変わり今日はこの新しい所有者。 Clos du Perriersに有りながら畑の表記は歴史を鑑みてClos Blanc de Vougeotとしているが、実は最初のCABの格付け(1860)では両名併記のスタイルで有った。歴史的にも畑は評価が高く、その格付けではCdVと並ぶ1級(現在の特級)。 さて肝心のワインだが、資本的にはブルゴーニュ最大のネゴス下に入った今も基本的には前の所有者のスタイルだ。前の作り手から引き継いだ隠し味的に入っているPG (Pinot Beurot)とPBが効いていて横の広がりはなくスレンダーで知的なボディ。CdNらしく膨らみは全くなく淡く端正なワインだが、他の凡庸なマチエール不足のCdNの白とは違い気品、エレガントさが有る。RP氏はCdN最良の白と書いているが個人的にもMusigny Blancを思い起こさせるスタイル。そして20年余が経っているが全く落ちている要素が無いのが素晴らしい。個人的にはMusigny Blancにかなり近いCdN白の双璧だと思う。 因みにVougeotの白は、後Bertagnaが作る一級格のLe Cras, 村名があるが全くつっけんどんな凡庸のCdNだと思う。因みにLe CrasはCABの格付けではClos Blanc de Vougeotよりも二級落ちる三級格(現在の村名)。まあ、出自は大切だ。
2022/12/27
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この一見何の衒いも無いレジョナルワインだが個人的にこのワインにはドラマが有ると思っている。作り手も才能溢れる醸造家だがその父も言わずとしれた天才、二代続けての天才だ。だが天才に良く有り勝ちで経営の才能が無いのだろう。父はドメーヌ買収の時に追放(その日に奇しくも急逝した事は当ブログに書いた)。子は自分の名を付けたネゴスをNSGの大ネゴスに出資してもらい、その大ネゴスのサブブランド的な位置付けでワインを作っていたのだが、実際には彼はオーナーではなくgerand的な位置であり、2007年に解任追放(これは多分に彼が天才であるために自分のドメーヌを創設したりボジョレとかにも手を出していてこのブランドに集中してなかったのが一因であるように思う)。まあ、いろいろ書いたが要はこの人は天才だということだ。 閑話休題、このワイン、薄うま系だがRegionalにしては十分過ぎるくらい詰まっている。酸、果実のバランスがよくタンニンもしっかりしている。マスキュランなのはPommardの出自だろう。終盤にかけてしっかりと果実が残るところから熟成のポテンシャルもある。勿論大輪のワインではないがこのクラスとしてはかなりの出来。 この畑はこの作り手の父、Gerardが自分のPousse d`Orでの全盛期、1970年代後半に買った畑だ。Pousse d`Orでは彼はオーナーではなくgerandで有った。その彼がいつか自分からドメーヌを興したいと思っていただろうことは容易に想像できる。その畑を基に父同様gerandを解任された子が自分のドメーヌを興した。そう、父が成し遂げれなかった夢を子供が叶えたのだ。 これがこのワインのドラマだ。
2022/12/14
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何度も書いているがブルゴーニュの奥深い所は全くノーマークだったドメーヌが突如爆騰する事だ。それはあたかも海底火山の噴火に比べられるだろう。今は伝説になってしまったTruchot、反骨的なPorcheret、既に名を作りつつあるBoisson-Vadot(最近はちょっと低調だが)、シンデレラボーイ的なDecelle-Villaなどなど、拙ブログでも色々と書いているが、今回のこのドメーヌも全くノーマークで有った。というか、そもそも知らなかった。 ネット情報で恐縮だが、Cote d`Orではなく、Haute-Coteの村Nantouxに位置し、持っている畑も色々と種類が有るものの、1級がモンテリー、ボーヌしかなくMeursault、Volnayと人気の村は全て村名格、日本はおろか、米にも入っておらず、生産量の7割はフランス本国、3割はヨーロッパとなると中々評論家や好事家の目にも留まらなかったのも分かる。 さてこのワインだがもう一口目から素晴らしいに尽きる。ほんのりとした梨中心の白果実の凛とした香り、味わいは白果実に少々の蜂蜜。適度な還元も感じ熟成のポテンシャルも十分あるだろう。フィニッシュにかけての綺麗な縦切れが飲み疲れを感じない。テクニカル的には14ヶ月樽熟、20%新樽だそうだがバニラやヘーゼルナッツ等の香りは隠し味的であまり感じず、過熟感も無い。全体的に決して大柄ではないが品が良く、下手な作り手の1級を遥かに凌駕する。表土が薄い少し高目に位置し、南東に面した良いexposureの畑のポテンシャルを十分にexploitしている。 私自身これが最初のボトルになりこれ以降検証してないのでこれが「奇跡の1本」である可能性は否定できないが、これを飲む限りでは名手の範疇に入るように思う。 ちょっと追ってみようかと思っている。
2022/11/21
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この作り手の事は前にも書いたが所謂裾物のこのワインを飲んでやはり素晴らしさを再認識した。単なるブルゴーニュACだが味わいはぐっと詰まったマチエール溢れる少し重心の低い赤果実、それでいて伸びやかさが有る。複雑な構造すら有り、並の作り手の村名を遥かに超え、1級に匹敵する素晴らしさだ。有名ドメーヌにありがちな裾のシャバシャバさとは全く質が違う。これよりも薄っぺらでつまらないGCも多いだろう。 ブルゴーニュ表記だが畑はVRの国道の反対側、ここは粘土質で確かにのっぺりした詰まらない赤が多いがこのVRにNSGの高地の畑をアッサンブラージュ。このアッサンブラージュが絶妙なのだろう。ワインに複雑さを与えている。100%除梗(彼はRougetでStageしている)、このクラスでも25%新樽、18ヶ月樽熟と上位のキュベとほぼ同じ作り。個人的にはCathiardの確固とした構造、Rougetの妖艶さ、両方持つ素晴らしさがあるように思える。 下から上まで全て優れた作りが出来る数少ないドメーヌ。恐るべきなのはこの作り手が若干33歳という事だ。ドメーヌは先代の元でかなりをJadotとDrouhinに売却していたのだが2010年に彼が20歳で戻り、元詰めを開始。既に2013辺りから素晴らしいワインを作り出している。恐るべき早熟の天才としか言いようがない。伝説のCharles Noellatを伯父に持ち、Jayerとも血縁にあるサラブレッド。世代が変わり作りが雑になるドメーヌは結構多いがこのような逆はなかなか見受けられないが故に個人的には一押し(の一つ)。 もうすぐCathiardのように買えなくなってしまうのは致し方ないだろう。その前に少し買っておくか(自爆)。
2022/11/13
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Vosne Romanee村にLa Croix Rameauという畑が有るが何故この畑がRomanee St. Vivantに含まれないか疑問に思っているちょっとしたブルゴーニュ通も多いだろう。実際私もLa Croix Rameauの畑はRSVに隣接していて間に大きな道もなく標高も同程度なので何故RSVに入らないのか不思議であった。今回Jean Francois Bazin(JFB)氏のLa Romanee Contiを読んでその辺の歴史的意味が分かったので軽く纏めておく。 端的に言うとフランス革命まではLa Croix RameauはRSVの一部で有り、実際にLavalle (1855)にはこの畑の名は現れてはない。しかしその数年後のボーヌ農業委員会の最初のアペラシオン策定(1860)、Camille Rodierの私的な格付け(これは後の1937-39のアペラシオン改訂の基礎となったものだが)には2級(現在の1級)としてRSVより峻別されている。この背景だが、JFB氏の書にはMarey MongeがRSVの畑の下部を劣った区画、La Planteとしてそれ以外とは区別して醸造していて、更に現在La Croix Rameauとされている畑(少なくとも一部)がLa Planteの一部で有ったことが記されている。そしてこのLa Croix RameauはMarey Mongeから別の人に売られている。1860の最初の制定の際にこの事が鑑みられたのはまず確かだろう。 その後1931年に土地台帳上でLa Croix Rameauのごく一部がRSVに編入され(Charle Noellat、今のLeroyの一部)、残りは一段落ちるLa Croix Rameauとして残る事になり、後のアペラシオン再設定の際にこれが固定された。 これは私も知らなかった事だがこの畑の3人の所有者の二人、今のCoudray-BizotとLamarcheの両氏が1984年に特級申請をして、Vosneでは1票差で申請が通ったものの(11票中6票)、その上のブルゴーニュ総会で1931年のINAOの判断を元に却下されている。 さて、前置きが長くなってしまったが、このワイン。決して悪くはないが全てに中庸。特に伸びやかさや深みもある訳でない。決して黒くはなく、村名を超えた軽やかさは有るが、優れたRSVの持つ繊細でデリケートさにはほど遠いような気がする。まあ、普通に良く出来たVR1級という感じか。中庸な作り手、中庸なクリマの結論だろう。 そう言えば、先の特級申請に何故か3人の所有者のうちの最後、この作り手が参加していなかったとJFBに書かれていた。更に「多分Jacque Cacheuxは(申請に)興味なかったのだろう」とも。ひょっとしてこの作り手、実はすごく実直なのかもしれない。 最後に余談になるが、何故DRCがRSVの約4分の1を自分で詰めずにネゴスに売るのかと言うことが自分の長年の謎だったのがこれが解けた気がする。端的に言って先に述べたMarey-MongeがLa Planteと名付けた劣った区画の葡萄を売っているのだろうと想像できる。Marey-Mongeから畑を買収したにも関わらず彼の考察を歴史的に尊重し敢えてアッサンブラージュをせずに自社で瓶詰めをせずネゴスに売ると考えると辻褄が合う。 まあ、どうでも良いけど1本のワインにも結構歴史が詰っていてあれこれ空想に浸れるのがブルゴーニュワインの所以だ。
2022/11/08
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久しぶりのアップ。 Bourgogne、Cote d`Orの村で一番知られてない村と言えば大抵LadoixかSt. Romainを挙げるだろうが、実はBrochonでは無いかと思っている。FixinとGevreyの間に位置しDangue et Aubertin (1891)では名醸村として紹介しているにも関わらずこの村の名を知らない人は多いだろう。一部はGevreyを名乗り(これはアペラシオン策定の時にporte-drapeauとして例外的に認められた制度)、残りは敗者復活としてComblachien村と同様Cote de Nuits Villageとしてのアペラシオンが付与されている。.私の記憶では90年代にINAOがBrochonというアペラシオンを創設する事が打診されたが村全体の意思としてこのアペラシオンは要らないという結論になった。結果この村を名乗るアペラシオンはなく、これがこの村の知名度が低い事に繋がっているのだろう。 閑話休題、この米ではかなりの人気なのだが日本ではさっぱりの作り手、前にBourgogne ACの素晴らしさを書いたがこのワインもかなり良い。フラッグシップのCharmes(100年を超える超VVだ)は元よりCorbeaux(これも超VV)も日本には僅少しか入らないが、これはまだ日本に入ってくる。Cote de Nuits Villageというとどうしてもちょっと泥っぽいComblachienのイメージが強いがこの人は全てBrochon、しかもGevreyに隣接する畑から。樹齢は70年越え、完全除梗、18ヶ月樽熟と上のキュベと同一スペックで作られるところだろう。 果たしてワインの質だがこれはmediocreな作り手のGevrey1級を遥かに凌駕する。香りは黒すぐりが支配的で味わいも適度なコンポート。深み、厚みも十分あり、伸びやか。優れたGevreyに共通するテノールのような妖艶なmasculinの要素、フィネスすら感じる。Marsannayの軽薄さ、NuitsやMoreyのような土の要素はなく、Fixinのような粗雑さもない。勿論今流行りの酢酸のナチュールは微塵もない。Bourgogne ACも素晴らしかったかが、これを飲んでしまうとやはり平地のワインらしく単純で(それはそれで良いのだが)このワインの素性の素晴らしさは特筆に値するのではと思ってしまう。下山にはちょっと良すぎるワインだ。 生産量は約6000本、米では「気楽に飲める数少ないブルゴーニュ」として既に争奪戦、値段も70ドルと上がってきている。日本ではこのアペラシオンと作り手の知名度の低さで6000円ちょっとと現在のレートで半値近い。米のファンから見るとこの宝の山が放置されているのは信じられない。 ちょっと古いけど買うなら「今でしょ」。
2022/11/03
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前に書いたが今のブルゴーニュ、特にCdN、VRには大別して三つのグループに分かれるように思う。一つはJayerやRougetのような赤果実中心で高いトーン、官能美に訴える所謂妖艶系、二つ目はCathiard、往年のLeroy、DRCのような重厚で緻密なゴシック様式のような構造を感じさせる系統、荘厳系とでも言うべきか。そして第三の系統、Bizotに代表されるような酢酸を感じさせる軽やかなナチュール、軽快系。そして私的にはこの三つの系統は三原色のように混じり合って大抵のドメーヌのスタイルを説明できるように思える。例えばLamarcheは妖艶系と荘厳系が50/50、George Mugneretは妖艶系と荘厳系が10/90とかだ。 問題なのはこの第三の系統で酢酸のニュアンスが入るとどうしてもそれが支配的になってしまい、クリマの特徴は勿論、酷い時にはセパージュも分からない事も多い。全房発酵、SO2添加極小化により酢酸菌等混入がコントロール出来ない事による可能性も高い。残念ながら(とはっきり書いてしまうが)この路線で大ブレークしたArnaud Lachautに続けとばかり幾つかの作り手が個々のドメーヌの伝統的なスタイルから離れてこの系統にスタイルを変えている。 さて前置きが長くなってしまったが今日のこの作り手。昔から中庸で燻銀的な地味な作りだが時折きらりと光りで、上に書いた比率で言うと40/40(基本的に薄いので合計が100%にはならない)という感じだった。久しぶりにこの作り手を飲んだのだが、なんと完全的に第三の酢酸系に変節してしまっていた。クリマも不明、セパージュも不明、と素性不明だが酢酸だけは解る。個人的には1杯でダウン。細かいコメントもする気も起きない。 このPrecolumbiereとは三つの畑、Pre de la Folie、Commune、Columbiereの頭文字を取ったとの事だがPre-Columbianに掛けていることは明白だ。ナチュールを作る人は往々にしてこういう言葉遊びをするが個人的にはこう言う歴史あるドメーヌは言葉遊びの前に伝統的な作りを保ってもう少し良いワインを作って欲しいと思う。 注: あくまでも個人の意見です。
2022/09/06
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ほぼ10年振りにメコン川の畔に座り夕日を眺める。10年前にはここから見える中洲で仕事をしていた。この10年間自分は色々なところへ行き、色々な事が有りここに戻ってきた。河は何もなかったように今日も同じように流れている。経済発展もこの町には余り及んでないのだろう、街並みも昔と同じだ。 間もなく夕闇の帳が降りる。楽しかった事も苦しかった事も全て含めて河は流れていく。 10年後、またここに戻ってきたいと思う。
2022/09/04
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ブルゴーニュワインを複雑にしているのはクリマもさることながら、同族、同姓を持つ作り手の数が多い事によるのは諸兄も同意するだろう。過去にはJayer一族、現代ではGrosが有名だが、実はこのNoellat家もかなり複雑である。Noellatというと一番有名なのはCharlesだが現在はこの子孫と称する人物が商標を買って大々的にネゴスワインを出しているのでこれは論外だ。残るはHudolot-Noellat、Georges、とこのMichelだがこれらの3Noellatの関係性は結構複雑だ。Charlesから畑の相続はLeroyに移譲される前に一部を孫娘が絡んでいるHudolot-NoellatとJJ Confuron(CdVとRSV)が継いだはずだがワイン系譜的には現在のこの3Noellatとは関係ない。この3Noellatの家族関係はWinehogに良く纏めて有るのでこれを引用すると、 · Hudolot-NoellatはCharlesの孫娘OdieleがAlain Hudelotに嫁いで出来た。· Georges NoellatはCharlesの弟Felixの孫が創設。· Michel Noellatはもう一人のFelixの孫HenriとHenri Jayerの従姉妹であるMarie Therese Jayerが結婚して創設。因みにWinehogによるとMarie Therese JayerはHenriと異父兄妹となっているが日本では婚姻不可だがフランスでは良いのだろう。 更に、Barthod-Noellatとは従妹の関係と前置きが長くなってしまったが、今日はこのワイン。既に名声を確立したHudolot-Noellatや最近のGeorgesの素晴らしさの陰に隠れてあまり話題にはならないがこれも中々良い。完全除梗、新樽も適度に使い、抽出も中庸で赤果実がドミナント。エレガントで軽快だが緻密さも有り、少し往年のRougetを思い起こさせる。個人的な感想としては既に名声を確立しているHudolot-Noellatよりも好感が持てる。裾物も過度の期待は禁物だが中々良いと思う。 所有畑も25ヘクタール超、クリマはSavignyからEchezeauxまでとブルゴーニュにあってはかなりネゴスに匹敵する位規模が大きいのだが米へあまり輸出されておらず、レーダーに引っかかってないためか、値段もそれほど高くなく、比較的入手しやすい。 人気が出る前に少し買っておくかな。在庫がまた増えるな。
2022/08/30
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久しぶりの投稿。コロナ治癒後別段体調不良というわけでもないのだがちょっと更新が滞っていた。歳を取ると感動、感心の閾が高くなりあまり執筆意欲が湧かないのが問題だ。 さて、ちょっと出遅れた感も有るが最近話題になったこの作り手の19について。 05辺りだっただろうか、先代から引き継ぎ、キレもあり中々良いと思っていて実際拙ブログでもBenoit Ente、Bachelet-Monotと並んで新御三家かと推していのだが、その後少し疑問に思えて少し距離を置いていた。残念なところは2つ、一つはVTによるバラつき、二つ目は良くも悪くも没個性的な感じで特にこの作り手の味というものは感じなかったのだが(これはBachelet-Monotにも通じる)、この19を飲んでちょっとびっくりした。単なる村名格なのだが、まず包み込むような柔らかく心地よい酸を感じる。膨らんだ要素はないがSauzetのように繊細さも無く、良い意味で中庸。新樽割合も低いため樽からのエピスは殆ど感じずワインはあくまでもピュア。フィニッシュにかけてもだれることが無く縦切れで淡く消えていく。この19を飲む限りではこれは今までのどちらかというとつっけんどんな彼のワインには全く感じなかったスタイルだ。Coche、RamonetやLafon. Leflaiveのような超一流の作り手と張り合えるだけの質を持った彼独特のスタイルを獲得したように思える。さて20がどうなるか楽しみだ。 とはいえども、あくまでも私的な感想だが、この作り手の三つ目の残念なところとして上位のクリマや密植キュベに(値段の割には)それほど感動する要素が見られないという事だ。これを飲んで少し高いキュベ、クリマも試してこの作り手の力量の極地を見極めたいという気になった。 があまりに高いので下山の身には分不相応かなとも思う。さてどうするか。
2022/08/17
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このところ更新が滞ってましたが、今日はちょっと違う話題で久しぶりのエントリーです。 日本もBA5が上陸し、毎日感染者数更新が続いていますが、私も東南アジア某国滞在中にBA5株だと思われるコロナに罹患しました。マスクをし、手の消毒もきちんとして密の機会も少なかったのでどこで感染したか全く覚えがなくBA5の感染力の強さを再認識しました。朝起きた時の喉の何気ない違和感から始まり、日中から夕方にかけて倦怠感、発熱による頭痛、激しい咽頭痛、大量発汗、翌日クリニックですぐ抗原検査、陽性判定でコロナ確定となりました。ここからが日本とは違うと思うのですが、Molnupiravir(モルヌピラビル)5日間1クールを処方されタイレノールと併用して飲んだところ24時間後には解熱し、咽頭痛が大幅緩和、48時間後には咽頭痛消滅、72時間後には抗原検査陰性と劇的な回復でした。wiki読むと今までの薬とは全く違う作用機序でRNAウイルスの複製を阻害する画期的な薬で、米での二重盲検でプラシボ飲ませてるグループと回復があまりにも違うので途中でFDAから(プラシボ飲ませるのが)人道的でないという事で盲検中止を言われたとか。(真偽は不明ですが)この薬、今年当初に市販が始まり日本にも160万人分特例承認で入っているらしいのですが、管理が厳しく発熱外来やって陽性診断してても中々処方出来ないとのことです。正規品は600ドル位するので確かに多数の人に出すと財政的に厳しいかもしれません(アメリカでも同様みたいです)。私の飲んだのはインド産のジェネリック(米メルクが人道的に特別に承認している)で価格はその10分の1位ですがきちんと効きました。これがあればただの風邪というのも判ります。この国ではこの薬は薬局で普通に売ってるのでコロナの症状が出たら自分で抗原定性検査をして陽性ならおこの薬を買って速攻で治すのがスタンダードになりつつあるとの事でした。アメリカでもファイザー経口薬が承認され抗原定性検査からファイザー経口薬という流れが確立しつつあります。 翻って日本を見てみると、どうもこの流れから遅れているようで主にワクチンに頼り(これは感染、重症化予防という意味で大事ですが)、一旦罹患した患者に対しては解熱剤や咽頭痛緩和薬、咳止め、果ては漢方等対症療法に限られ、ウイルスに特化した経口薬の投与が為されてなく思います。加えて患者の過去行動の追跡から濃厚接触者を特定、自主的強制隔離と疫学的管理に主眼を置いていてBA5の感染力を考えたらこのようなアプローチは早晩破綻してしまうのではと危惧しています。何となくですが、BA5に対応するにはパラダイムシフトが必要なのに今までの成功体験でやり方を変えず突き進んでいるような気がします。 さて、この薬、日本でもネットで六千円弱で個人輸入できるみたいで備えても良いような気がします。禁忌も有り、あくまでも自己責任ですが、国産の経口薬に拘りまだ数ヶ月はコロナに特化した経口薬の承認、製造、一般処方はまだしばらくかかるでしょうから自分の緊急用備蓄として押さえておくのも一つの考え方だと思います。これはあくまで個人の意見で、繰り返しますがくれぐれも自己責任です。 このコロナですが、自分の場合も味覚喪失が起こり、やはりコロナは只の風邪ではないと感じました。発症3日目(薬を服用して2日目、回復途中)、昼の時は何とも無かった味覚が夜完全に無くなりちょっとパニックになりました。色々体験談を読むと5日目位から戻るみたいでしたが、この経口薬による急速な回復も有ってか翌朝にはほぼ戻りました。ただ回復後1ヶ月程経ちますが、前と違う点は二点、まずは同じ味を何度も味わっていると(例えば丼物)味がしなくなる点(漬物を齧って丼に戻るとまた味がする)と、もう一つは以前から不快に感じていた味の不快感が増幅するという点です(これはコロナ味覚障害を経験した友人の一人も同じ経験をしています)。特に赤ワインのブショネ、ブレット、マデラに関しては非常に敏感になり、5%程度の劣化でも果実との乖離、濁りを感じて飲めなくなりました。果たして良かったのか悪かったのか難しいところです。さて、コロナから回復して最初のワインです。綺麗な酸で瑞々しさが有り、あどけない童女を思わせるような純粋な果実、何気ない普通のワインですが、娑婆に出て飲む最初のワインは心に沁みました。改めてワインを飲め味わえる幸せを感じた次第でした。ワインファンが味覚障害って全く洒落にならないですよね。
2022/07/23
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百花繚乱ならぬ百貨騒乱的な仮想通貨だがその一つのLUNAが破綻した。そのニュースを読みながら落語の「千両みかん」を思い出した。紀伊國屋文左衛門の息子が大病になり季節外れのみかんが食べたいと言うので番頭があちこち探してやっと見つけたらその値段が千両、息子が治るならと言う事でそれを買い求め、息子が三房を番頭にお裾分けして番頭が「これで3百両だ」と感動してそのまま出奔してしまうと言う話だ。 まあ、これはこれで笑い話なのだがこの落語を経済学的に見てみると中々面白い。蜜柑という有り来たりの財(Commodity Goods)、しかもperishableであるのにに法外な値を付ける売り手も存在しているところからこの番頭も含めて買い手もいるので市場として成り立っている事が判る。そしてその蜜柑の三房を分けてもらった番頭は蜜柑の価値を測るのに自分の味覚や価値観では無く、市場評価で判断している。ほぼ架空に近い価値しかないものを市場価値という集団幻想で評価する。或る意味現代なら仮想通貨だろう。 閑話休題、ちょっと前置きが長いがこのanecdoteは今のブルゴーニュを具現しているように思える。一般的に値段が上がっているブルゴーニュの中でも天文学的に暴騰してしまった幾つかのドメーヌだが個人的にはどうもその価値はあるようには思えない。つるんとしたビニールのようなtexture, 酢酸を思わせるような酸味、LeroyやJayerを彷彿させると言う諸氏もいるがその辺をリリースで飲んでいた自分には全く別物に感じる。強いて言えばBizotだろうが私的には余り好きではない。このドメーヌなら私は94以前の先先代の方が遥かに良いと思える。個人的にはこの手のワインは千両みかん、そしてこのワインを買ったとSNSに上げる人は先の番頭と余り変わらないように思える。 さてその番頭だが彼が現代に生きていたら多分蜜柑三房をSNSに上げてドヤっただろう。それともその三房を密かに奥で売り捌いていただろうか? あくまでも個人の意見です。 注)写真はイメージです。
2022/05/20
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ブルゴーニュが他の地域と違うのはそのワインに関する長い歴史と何代にも亘る家族制手工業に携わる人々のドラマを感じられるところだろう。特にブルゴーニュ古酒は歴史を鑑みて飲むのとそうで無いとは全く感じるものが違うように思える。それは恰も文化遺産に対する接し方と共通するような気がする。 今回のワインだが、もう伝説になってしまった作り手。GCでも1級でもない単なる村名だがこのワインは2つの畑から出来ていてそのうちの一つが現在Clos Euginieと呼ばれるLa Tache直下の畑だ。そして古地図を見ていくとここが登記上は単なるVillageの名だがClos Frantinと呼ばれていてDomaine Griveletに所有されていたことが窺える。その後Domaine GriveletがRichebourg等の畑を売却した際に何故かこの畑はRene Engelに行ったがClos Frantinの名前は商標としてBichotに移ったためRene Engelはもう一つの畑 (Vigneux)と混ぜて単なる村名として出したのだろう。この村名の生産量は5,300本、と言う事はこのドメーヌのVR生産量の3分の1なので残りはネゴスに売っていたと推測できる。 そしてPhilippe Engelが2005に亡くなりLatourのオーナーが買収した時にこの畑がClos Eugenieに変わり、ドメーヌの名前にもなり、この畑が別キュベとして出されているのだが、この畑がこの名前で出ている文献にはまだ出会っていない。まあ、どうでも良い事なのだが、裏には色々とドラマが有った事が感じられ、こういうドラマに価値を見出すのが真のブルゴーニュマニアなのだろう。 閑話休題、肝心のワインだが30年経ったものの辛うじて果実は残り、マディラも出ていない。これから数年の間徐々にフェードしていくのだろう。これが詰められた時、自分は20代後半、社会に出て仕事をし始めこれからの人生に希望、夢を見出した時。それから30年経ち、幾つかの夢は叶ったが幾つかの失望、失敗もあり、人生は下降体制に入りつつある。ワインを開けながらお互いに歳を重ねたなと声をかけてたく気持ちが生まれる。小学校時代の初恋の相手に30年ぶりに出会った感じだろうか。人もワインも同じ、永遠の命はない。今を楽しみ、命のあるうちに楽しむべきなのだろう。そう、下山が肝要。
2022/04/27
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多分ブルゴーニュ古酒を飲みつけている人なら解ると思うが、60−70年代のブルゴーニュに幽玄さ、浮遊感、緩さ、出汁という古酒独特のキャラクターに魅入られる人は多い。翻って今のワインを見てみると、それらが熟成して行った時に果たして優れた60−70年代のワインの高みに到達できるかどうかは不明だ。 主観なので間違っているかもしれないが、個人的にはしっかりと凝縮感を出し、果実を全面に出し、フィルターやコラージュをかけず、酸化防止剤を抑え早のみが出来る様にフレッシュでmodernな作りになった事も一因だと思う。端的に言うとフィルターをかけず浮遊物が有るワインは時間が経つとどうも味に濁りを生じ出汁感が出ず、SO2が少ないと比較的早く酸化が進み果実がフェードし、マデラになってしまう。実際今90年代半ばのワインを飲んでみると枯れていたり酸化してマディラになっている物も多くこの考えはあながち間違っていないように思える。特に最近流行りの酢酸系ブルゴーニュワインは殆ど熟成せず色褪せて行くのではと思っている。結局のところ短期的な飲み易さと熟成のポテンシャルという二律背反(でもないのだが)の命題のoptimal mixを狙わず前者に注力した、謂わばイングリッシュガーデンを狙わず、フラワーアレンジメントなのだろう。 閑話休題、さて今日のお題のワインだがこれは今は亡きPommardのパーカー4つ星。アペラシオンは単なるレジョナルなのだがこれはかなり素晴らしかった。45年経過しているが澱はあまり無く、フィルターを掛けていると思われる。そのせいか味わいは薄いが澄んでいる。熟成したレジョナルに良く感じられるようなちょっとひねたマディラのような香り、癒しを感じさせる緩さもなく、気高ささえ感じさせる。粗で有り野で有るが卑ではないというのが優れたレジョナルの定義だがこれは決して粗野ではない。寧ろその対極の浮遊感を持った至高の1本。こういうのを飲むとGCというのが如何にmonolithicでmonotoneな作りかという事が判る。 まあ、その域に達するには有る程度GCを飲む事が肝要なのだが。
2022/03/24
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新進のミクロネゴスと言うことで試してみたのだが、端的に言って(自分にとって)ハズレだった。 まあこれで終わってしまうと身も蓋もないので少し書く事にする。ワインは今流行の典型的なナチュール。クリーンなのだが、味わい、香り共に酢酸香は支配的。元々マチエールが少なかったのだろう、果実の深みやタンニンは余り感じず、全体的に平板な印象を受ける。冷涼感はあるが、Conventionalなブルゴーニュで感じられる冷涼感とは違い、ビニルのようなつるっとした感覚。個人的には出来の悪いArnoux-Lachaut、出来のよい北海道PN(敢えて名は記さない)。物理的なスペックからアペラシオンが取れたのだろうが、このワインからMorey一級というクリマ、いやPNの特徴は全く感じられない。それでいて値付けはかなり高めなのでちょっと引いてしまう。 翻って考えてみるとこの作り手の出身がオーストラリアである事を考えるとなんとなく納得がいく。言ってみると彼はブルゴーニュの場を借りてオーストラリアワインを作っているのだ。歴史を鑑み、クリマに敬意を評して、先祖代々が作ったワインの味を受け継ぎ、そこに自分の信念を足してワインを作るのではなく、白紙の状態で最新の科学と技術を駆使して自分の思った味筋を作り出して行く。れはある意味で伝統的ブルゴーニュワインに対する挑戦だろう。これは従来のブルゴーニュとは全く異なるもので、自分には違和感がある。 訴求対象も従来のブルゴーニュワインを味わい尽くした老練ではなく、まだブルゴーニュワインに対して自分の軸が作れてない(そしてセールストークや物語性、レア感に弱い)新参者が対象だろうか。そまあ、自分には全く判らない酢酸系統の日本ワインが高く売れる昨今では商業的にはまあ有りなのかなと思ってしまう。まあ、信者商売と言ってしまえばそれまでなのだが。このワインを飲んでからオーストラリア出身が作るブルゴーニュワインは遠慮しようと思う。 そう言えば先日書いたArnoux Lachautが滅茶苦茶ブレークして滅法高くなっている。リリースで買って即座に奥で売る人が続出している。日本だけではなく、米も同じだ。私と同じ事を考えている人が多い事に驚く。 個人の意見です(苦笑)。
2022/02/17
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ブルゴーニュの奥深いところはあれ程くまなく探索され全ての秀逸な作り手は網羅されている筈であるにも拘らず、時折その探索の網の目から逃れていた素晴らしい作り手が発掘(!)されるところだ。勿論Boisson-Vadotのように作り手の代替わりで突然素晴らしいワインを作る事も有るが、時には全くノーマークだった作り手が突如発現する事も有る。古くは翁が有名で有るが、今日の作り手もその一人。 Decelle-Villa、この作り手を知っている人はまだ殆どいないだろう。ネット情報によると元々北ローヌのワインの作り手のPierre-Jean Villa (Cote Rotie),と冷凍食品で有名なPicardのCEOだったOlivier Decelle(Maury中心に作る大ワイナリーMas Amiel)が共同で立ち上げた。Pierre-Jeanは過去にClos de TartやYves Cuillonで働き30年近くの経歴があるベテラン。その二人に依って作られたドメーヌ。既に7ヘクタールと中規模でGevrey、ChambolleのみならずSavigny、Meursault、Beaune、後Brouillyと比較的広範囲に跨る村々に畑を持ってるのはOlivierの資金力と推測される(Francois Feuilletに似ているか?)。トップラインアップがBeaune Clos du Roiのだめほぼノーマーク、勿論日本には極少量(個人輸入だけか?)で米の錚々たるインポーターもノーマーク、輸入しているのは日本の○まやのような全国規模の大衆酒販店だけ。読者諸兄はもう知っているだろうが、この作り手が突然の脚光を浴びたのはVogueのFrancois Millet氏を継ぐ醸造責任者としてこのドメーヌの現在の醸造責任者のJean Lupatelli氏が指名され2021年からVogueのワインを任されたという事による。正にシンデレラボーイだ。 前置きが長くなってしまったがこのワイン。端的に言うとかなり素晴らしいの一言。ややもすると濃すぎて強くなりのっぺりとなってしまうこのクリマでニュアンスがあり、groseilleを思わせる綺麗な酸を残し、フェミナンな果実味を感じさせることにまず驚く。適度な樽で果実以外の要素は余り感じずピュア。Beauneでここまで感銘を受けたのは故Benoit Germaine氏以来だ。Vogueに関してはFrancois Millet氏が作り始めの頃は抽出が強く骨格を感じさせ、村名や盆丸等はDetailが潰れ暗黒面の感じを受け、結構飲み疲れたものだが、今度のVogueは一転して明るく愉しいワインになる予感がする。 Vogueのワインの値段は一層高騰する一方でこの作り手はPoor men`s Vogueになるだろう。ただ7haなので(年産40000本ちょっとか)争奪戦になる可能性も高い。その前に少し抑えて置くことにする。 また在庫が増えるな。
2022/02/02
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ま、結局人もワインも永遠の命は無い訳とは判っているのだが実際にセラーの中のワインが逝ってしまっているに当たると何だか可哀想な事をしたと思ってしまう。ワインの場合はある程度放置プレーが必要なのだがここまで逝ってしまうと保護責任者遺棄致死レベルだろう。 まあ、冗談はさておき、この作り手(と言って良いのだろうか)は結局のところどうでも良い作り手になりつつあるように感じる。諸兄ご存知の通り90年代初頭に相続紛争で畑を失いDomaineからNegoceへと変貌したのだがその時は中々頑張っていたように思う。実際90年後半から00年代中盤までは今は日仏カップルでミクロネゴスをしている仏人男性が作っていて切れが良く淡い中々素晴らしいワインを作っていたのだが、最近ますます上がっていく値段とは裏腹に輝くところを感じなくなってしまった。まあ、個人の感想なのだが。 さてその逝ってしまったこのワインだが、無闇に捨てるのも何なので隣村のワインで割ってみることにした。アッサンブラージュ魔術による魂の召喚という訳だ。この手のワインはちょっと前までシャンパーニュで割っていたのだがやはり同じブルゴーニュ、CdBの白で割る方が良いように感じる。それなりに良いのだが没個性で膨らみのあるPYCMが少し締まり、良質の熟成ワインに変わる。 最近はただ抜栓して単体で飲むよりこういう方が愉しいと思うようになった。(苦笑)。
2022/01/25
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Meursaltは今でこそ白が主流だが、昔の文献を見ると赤が多かった事が窺える。尤も現在でもSantenotのように優れた赤も有るのだがアペラシオン上はVolnayを名乗っているのでそう感じないだけなのだろう。この村は丁度PulignyとVolnayの間に有って文献を見ると大まかに言うと歴史的にはPuligny側は白、Volnay側は赤が多かった事が窺える。Danguy et Auberin(1891)に依れば地層は大きく3つに分かれPuligny側のPerrieres、Genevriere、Charmesなどは石灰分を多く含む魚卵岩(Oolithe)層、Monthelie,Auxeyに近いCharrons (Grands, Petits)、Rougeot、Chevalieresなどは粘板岩(oxfordienne)層、村中部のGouttes d`Or、Poruzot、BoucheresからVolnayにかけてのCras、Santenotは粘土分が多いバトニアン(Bathonian層)との事だ。この事を鑑みるとやはりPerrieres、Genevriere、Charmesは別格でそれ以外の一級白は膨らみが多くポテンシャルが劣り、(作り手に依るが)事が理解出来る。 さて、今日のワインだがMeursaultの赤。歴史的には多かったのだが今やVolnayを名乗れる一級を除けば生産量が少なくなってしまっている。が、それでも両Coche、Matrot、Mikluskiなど名の通った所がまだ作っている。こういう作り手が(Chassagne、St. AubinやPulignyのように)白に改植すれば高値で売れるにも拘らず赤をまだ作り続ける理由は歴史的な拘り、土質の適合性、や樹齢の高さからヴィニュロンの矜恃で敢えて改植しないのだろうと推測している。結果値段の割に質が良いワインが多いように感じる。勿論Coche-DuryのMeursalt赤はその希少性も有って500ドルを超える値段が付いている(昔は20ドルだった)がMatrotやもう一方のCoche等10分の1位でVolnayに匹敵するものもある。特に下山のお供には良いかもしれない。 閑話休題、個人的には余り好みでないこの人の白だが、赤はまずまず。勿論深みや奥行きが有るグランヴァンではないがシンプルでフェミナン、チャーミングな果実は心地よさを感じさせてくれる。ある意味で軽快、爽快、そして少し洗練したGamayのよう。深く考えずさらっと飲むのには最適の1本だろう。値段もさほど感銘を受けない白の半分以下と嬉しい。そう言えばイケてない白※を作るMikluskiのMeursault赤も中々良かった記憶がある。今度飲んでみよう。 ※個人の意見です。
2022/01/17
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ちょっとバタバタしていたが2021も終わり、2022が始まってしまった。別段今年の抱負と言う訳では無いのだが今年こそは買うワインを減らして行こうと思っている。まあ毎年飽きもせず思いつく抱負と言えばそれまでだ。だが今年はちょっと違う。結局のところ人にもワインにも永遠の命は無いし、結局のところ人もワインも健康寿命というものが有る。ワインに関して言えば酸化が進みシェリーやマデラになる1歩手前、人に関して言えばテースティング能力というよりは肝臓や膵臓が働いてアルコールを分解する能力が喪わられる1歩手前というところか。結局のところ、「いつ迄も飲めると思うなそのワイン」という言葉に尽きるのだろう。 30、40代の頃はセラーに積み上がっていく超弩級ワインを見て欣喜雀躍するのだが、50代を終え還暦を超えるとそのセラーが段々と重荷になってくる。やはりワインは買うよりも開ける時が難しいからだろう。超弩級のワインを買うのは匹夫の勇が有れば出来るが超弩級のワインを開けるのは真の勇者だけだ。実際SNSで超弩級のワインを上げ位打ちを知らず知らずのうちに食らってるのは大抵ワイン会古事記だ。真の勇者はそんなとこで自分の勇気をひけらかさないからだ。 さて、そのワインを買わないのが勿論一番なのだが他に(お金のかかる)趣味も無くまだ好奇心だけは旺盛と合っては結局のところ東に素晴らしい作り手が新たに発掘されたと聞けば大人買いし、西に廃業しそうなドメーヌが出ればまた大人買いし、南に代替わりして素晴らしい作りになったと聞けば取り敢えずテースティングし(これは酢酸系なので買わなかった)、北に(以下省略)と結局カ・イタイイタイ病が寛解にも至らない。ま、取り敢えず今年は自分が開けれるようなワインだけを買って行こうと思う。 閑話休題、今日はそんな中で自分のセラーに合った1本を開ける。何ていう事も無い単なるレジョナルなのだが当時のデイリーの残りで何年、いや何十年もセラーに有り、自分の生活と共に有った1本。ダメかもしれないと思っていたが案外、黒果実だけではなく赤果実も残っている。そして若かった頃に感じたレジョナル独特の雑味やフォーカスの緩みが全て輪郭のぼやけたセパージュに溶け込んでいてそれが包み込むような暖かさを感じさせて逆に良い感じだ。このワインは人生だ。若い時は喜怒哀楽の感情が渾然雑然と混じっているが30年以上が経ちそういう感情が澱になり沈殿し、上澄は澄み切り、緩やかな好好爺を思わせる液体となり、健康寿命の最後の瞬間を迎えようとしている。 ま、今年はセラーに中のこういうワインを飲んで行こうと思う。人もワインも寿命が尽きる前に。でもやっぱり買っちゃうかな。
2022/01/05
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今日は軽く。 この作り手、年産40000本(大体6−7ヘクタール位か?)と比較的小規模で余り知られていないが個人的には丁寧な仕事をすると感じている。別段トップドメーヌとは思えないが、独特の味わいが有り、決して没個性ではない。 前にここのdemoiselleから感銘を受けた旨を書いたが、このワインも中々。このエチケットのクリマはちょっと読みにくいがSt. Aubin Charmois。Chassagne側に連なる畑で元々は赤だったのだろう、花梨のような凝縮した果実で酒躯は若干重めで同じ村でもEn Remillyのような白畑で作られるスレンダーな白とは若干違いも有るように思える。だが伸びやかで横に拡がる感じは受けない。フィニッシュにかけてここ独特の綺麗な香りが鼻に抜け優しく終わる。 特別なワインではないがまあ、下山飲みにはこの辺で十分、いや十二分であるように思う。
2021/12/21
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アペラシオンの策定に当たっては関係者間の確執や政治的な介入が有ったと書いているが、中でも村と村との闘争は特記に値するだろう。修道院という歴史的な要素から比較的すんなりと決まったCdN(それでもChambertinはかなり揉めた事が窺えるが)に対して修道院が関わってなく商業的慣習を基にした格付けにしたCdN、端的に言うと全ての特級、Corton、Corton-Charlemagne、Montrachet、Chevalier、Batardで該当する村々で論争、闘争が起きている。最終的には全ての関係者が受け入れられる妥協点を探る訳で今日のこのワインもそういう妥協によりGCになれなかったクリマだ。 Vide Bourse、空っぽの財布という意味だが、由来は不明。ブルゴーニュの畑の原意を体系的に網羅したLandrieu-Lussignyにも記載なし。この畑のワインの出来が良く高値が付くので買い手の財布が空になるのだろうか?それとも3角形の畑が平らでそう見えるのだろうか。 色々と想像が拡がる。この畑は登記簿にはBatardに属する細区画(subdivision)とされていて1937−38のBatardのアペラシオン策定の時にBatardに包括されるかが検討されている。実際に1860年のCAB格付ではBatardの下部より上の評価であった。検討された結果この畑はBatardから漏れる事になったが同時に検討されていたPuligny、Chassagneに跨るEnseignierより格上の一級となった。Batardの策定に当たってはPuligny、Chassagne村の闘争が有った事は前にも書いたがこの結果は闘争の影響を受けたと容易に想像される。現在この畑は4人によって耕作されていが、これはその一人。Marc Colinの次男という事だが、かなり素晴らしいと思う。厚みのある濃い南方系を思わせる果実がグラス一杯に拡がる。味わいも濃縮しているが品も有り、素性の良さを感じる。没個性なのが少し気にかかるが父親もそうだったのでまあ、しょうがないだろう。全体的に少し淡いBatardという印象で十分過ぎる出来だろう。 Batardという名前を取って倍以上払うか、それとも実を取るか、の選択だが私的には自明である。
2021/12/19
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ブルゴーニュワイン通なら判ると思うが廃業ドメーヌには独特のPathosが有る。廃業前にブレークした翁のようなところならまだしも良いが廃業後にブレークしたRene EngelやGriveletもまだ救いがあるが、廃業してそのままブレークせずフェードアウトして歴史の闇に消えていく幾つかのドメーヌのワインを見る度に喜びと悲しみ、諦観、焦燥等が混じり合った感情が押し寄せてくる。特にそのドメーヌが秀逸であるにも拘らず知られていなかった場合、特にその感情は強い。所謂滅びの美学を感じるからだろう。 この作り手も秀逸なのだが最終的には知られず廃業していった。Montrachet直下のBatard最上部に畑を持ちだれることない優れたBatardを作っていたのだが殆どがLouis Latourに売られていたため余りブレークはせず、米はともかく日本ではインポーターが付かなかったためスポット輸入しかなく極一部の人にしか知られずひっそりと廃業。2008年の頃だろうか。(因みにBatardは上部と下部で歴史的評価が違い、1860年のCABの格付けでは上部は一級だが下部は二級格。下部は土が重く赤中心だったらしい。) さて、このワインだがどうしてもパトスを感じてしまい、あまり客観的にワインを評価出来ない。が、04という白の好VTに合って横に膨らむことは無く、スレンダーで果実の奥行きも有り中々素晴らしいワインだと思う。大輪の花ではなく、神経質なニュアンスもなく語りかけてくるようなバランスの取れた白果実だ。何よりも品が良い。 1本が終わる頃にはそのPathosも終わる。このワインが無くなり、そのワインを作ったドメーヌも無くなり、このドメーヌの痕跡はゆっくりと世界から消えていく。そしてこのワインを友と開けた思い出になって昇華する。それがワインの楽しさの真髄なのであろう。 さてこのドメーヌのBatard、最後の1本いつ開けようか。難しい問題だ。
2021/12/07
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このところ酢酸ワインばかり書いているので少しまともなワインについて。 このところブルゴーニュワインの高騰が続いていて2019は更に一段と値上がった感じだ。有名どころ、秀逸なクリマのCdNやCdBは200ドルはおろか、300越えも珍しくなく、課金ゲームが一層激化したようだ。今まで課金ゲームに巻き込まれていなかったCdBもVolnayを中心に段々とその影響を受け、d‘AngervilleやLafarge等ここ2年程で5割から倍になっている。 個人的にはVolnayは結構クリマの力が強く無名の作り手でも大輪の花ではないがフェミナンな果実が可憐に出るワインが多く重宝している。今日のこのワインもあまり知られていないがそういう可憐な小花的素晴らしいワインを作っている。勿論古参のブルゴーニュ通にはお馴染みだが、日本ではインポーターのポリシーでネット販売禁止、米にも殆ど入っていないし、Beauneの一級以外地味な村名(Volnay, Savigny)とレジョナルしかない作り手なのであまり知られていない事が幸いしてまだ手頃な値段で手に入る(それでも高くなってしまったが)。 これはその作り手の最上のLieu-dit付きのVolnay。菫を思わせるフローラルな香り、木苺を思わせる可憐な果実、決して大柄ではないが、かといって変な重みはなくあくまでもフェミナン。洗練さすら感じる。そして何よりも酢酸の欠片も無いのが安心して飲める(笑)。並のChambolleより軽快で深い。 勿論クリマからSavignyよりも洗練度が高いように思うが、正直言ってSavignyでも十分な気がする。値段もほぼ半値。格好の下山ワイン。
2021/11/27
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2000年代に抽出を強くし果実味を前面に出す作りが流行ったことがあって幾つかのドメーヌがその流行に乗って作りを変えた事が有った。その前は1988―90年と短かったがGuy Accad(擬悪化)のスタイルが流行りやはり幾つかのドメーヌがその流行に乗った。そしてこのところの流行はBizotスタイルなのだろう。前に書いたArnoud-Lachaux、Gros Frere et Soeurがこのスタイルに舵を切っているし、今日のこの作り手もそう。 某ワイン評論家が激賞したというこのレジョナルだが一口目から酢酸。完全に果実をマスクして尖った酸が支配的だ。テロワールやVT等のニュアンスが全く飛んでしまいこれらの要素によるワイン独自の微妙な性格が全く感じられない。酸が高く酒駆が軽いので冷やして飲めば飲みやすいのでブルゴーニュにあまり拘らない人には受けるだろうが(そしてある種のカルトっぽい日本ワインに共通するところもある)、個人的には棄却したい。 そう言えば前に書いたこの2つの流行の際もやはりテロワールや作り手の個性が埋もれてしまい、細部が潰れた単純なワインで有る事が多かった。このBizotスタイルの流行、個人的にはCOVIDに並ぶpandemicsであるように思う。 ま、そのうちワクチン出来るかも。
2021/11/17
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今日は軽く。 「ブルータス、お前もか」では無いのだが、一口飲んで驚愕して思わず口に出してしまった「グロフレ、お前もか」。 ちょっと話題になっていたので飲んでみたのだが、のっけからかなりの酢酸、ナチュール。よく言えばキノコを思わせる香りに滑らかな舌触り、のっぺりとした冷涼感を思わせる赤果実なのだが個人的には酢酸が支配的で全く杯が進まない。先日書いたArnoux-Lachauxと同じ系統というか、酢酸が入ると他の要素はあまり感じられないのでこの2つは殆ど同じように感じられる。 日本ワインやナチュールが好きな人には訴求するだろうがオーソドックスなブルゴーニュが好きな私のような人は避けた方が良いのではと思う。この傾向がこのクリマだけに限定されるかは判らないが何もリスクを取る必要もないのでこのドメーヌは個人的には棄却。 あくまでも個人の感想です。
2021/11/10
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「人の行く裏に道あり花の山」 証券の言葉で有るが、何度もここで書いているようにワイン、特にブルゴーニュワインにも当てはまるように思う。皆が羨む有名ドメーヌのワインをひけらかす楽しみも判るが、やはり古参と自負されるならば敢えて有名ドメーヌを避けてまだ知られてない新しい作り手や代替わりした作り手をじっくりと探していく一段上の楽しみを求めて次に続く人に啓蒙して欲しい気もする。まあ、そういう私も時には有名ドメーヌをひけらかしたりするのでまあ、ブーメランでは有るのだが。 閑話休題、A.F. Grosと言えば一連のGros Familyの中でも余りイケてないという評価が定着して古参のブルゴーニュ通なら全く見向きもしなかったのだが、ここも2015年に代替わりしてかなり良くなったように感じる。以前は薄く焦点の無い作りでテロワールがよく判らない感じが有ったのだが抽出が少し強くなり(これはVTのせいも有るかもしれないが)焦点がきちんと定まり深み、凛々しさも感じられるワインになっている。惜しむらくは先日書いたGeorges Noellatと比べて凝縮感が若干足りないところでは有るが、まあ、その辺は長い目で見てあげても良いのではと思う。 このワインも中々良い。村名格だがポテンシャルの有るクリマ。先に書いたように少し薄さを感じるがが伸びやかでピュア。完全徐梗だけあって果実味が綺麗に出ていて私の苦手な(苦笑)酢酸は皆無。安心して飲める。まあ、逆に言えばArnoux-LachauxやJY Bizotのような酢酸由来と思われる成分は無くオーソドックスな作りなので余り騒がれないのかもしれない。 自分の名(Mattias-Parent)を冠したワイン(ネゴス物?)も中々良いがちょっと高めなのでこのAF Grosの方がお買い得かもしれない。 個人的には父方のParentも余りイケてないのでこちらの方も担当して頂けると廉価で高品質のCdBのワインが飲めるようになって嬉しいのだが。
2021/10/25
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ここ10年の間にVosne Romaneeの著名ドメーヌの多くで世代交代が起きているが、驚くのは殆どどのドメーヌに有っても先代よりも質が上がっている事だ。まあ具体的な名前は列挙しないが、90年代に代替わりしたドメーヌの多くが大抵、質が落ちたのと好対照のように思える。 その世代交代したドメーヌを幾つか飲んでみると、何と無くスタイルが2通りあるように思える。先述したArnoux-Lachauxのような酢酸が少し入った柔らかいBio系のBizotのようなスタイルと、Cathiardのような緻密で尊厳の有るVRの正統派とも言うべきスタイルだ。好みは分かれるだろうが、個人的には後者の方に惹かれる。まあ、あくまでも個人の好みだが。 この作り手はその後者。90年代はどちらかと言うと薄旨系であまり注目されなかったが代替わりして抽出が(良い意味で)ちょっと強くなり酒躯が少し重くなってはいるが、きちんと赤果実のエレガントさに加えて、肌理細やかでヴェルヴェットのような舌触りが妖艶さを感じさせ、ちょっと単純一辺倒だった昔よりも俄然良くなったように感じる。 平たく言ってしまえばCathiardのような雄大さに加えてRougetのような官能美が有り、中々素晴らしいワインだと思う。 勿論、その分値段も昔と比べて高くなっているのだが、まだそれほどブレークはしていないのでちょっと探せば手に入るだろう。と言っても先は判らないが。
2021/10/23
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このところ新興RMがどっと出て来ている。そのどれもが超小規模でキュベも区画毎で作ったりドザージュ変えたりと複数、更にはシャンプノワも出したりで全て超レア物。当たり前だがどのキュベもある程度の値段はするのだが、争奪戦であっという間に売り切れてしまうというブームになっている。幾つか飲んでみたが、どれも大抵は普通に美味しいシャンパーニュで有った。 検索にひっかからないように敢えて名は出さないが、このシャンパーニュも結果的にそう言うRMの一つだった。PM100との事だがなんて事はない、このRMが位置するAisne県(Department番号は02)はシャンパーニュの北限に近くこの辺りの作り手は大抵PMだ。野心的にノンドゼで作っているが個人的にはそれほどマチエールが感じられずちょっと無理をしているように思える。生産量は1500本ということだがまあ、普通のシャンパーニュ。これなら全く騒がれなくなったBedel、Franck Pascalや老舗のMignonと余り変わらないように思う。いや、これらの方が上のような気もする。 ま、個人の意見です。 後幾つか新興RMを飲んでみてやはりAube(Department番号は10)のシャンパーニュはどうもマチエール不足のような気もしている。私的にはシャンパーニュにテロワールは余り感じないのだが、やはりMarnes(Department番号は51)のシャンパーニュは別格で有り、02や10のシャンパーニュには越えられないものがあるように思える。 ちょっと穿った見方をすると、この新興RMブームも余りにも高くなってしまったブルゴーニュに対する一つの代替(an alternative)なのだろう。メゾンや有名になってしまったRMだとあまり面白く無く、レア物で新興ということで目新しくワイン会で披露して話題作りには最適なのだろう。 そしてワイン会の最初に開けられてワイン会が終わる頃には密度も味も濃いブルゴーニュやボルドーに話題を奪われ、すっかりその味も忘れられてしまう。まあ、そう言うことを考えると、シャンパーニュはその程度で良いのだろう。 個人の意見です。
2021/10/13
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この作り手の事は15年前に飲んでこのブログにも書いたが、それ以来ずっと探して来た。 実はご本人もお会いしてワインの事も尋ねたのだがあまり良い返事は貰えなかった。もっとも彼の雇用主も同席していた場なので遠慮されていたのかもしれない。もうきっとこの人のワインに出会う事も無いと思っていたのだがひょんな事から縁が有り飲める機会が有った。端的に言うと素晴らしいワインであった。 勿論クリマから、大柄では無いものの、透明さを感じさせる軽快な赤果実、それでいて凝縮により力も感じさせる。樽のエピスは中庸でバランスも良い。そして何よりも澄んでいてピュア。同時に飲んだS. CathiardのACも素晴らしかったがこちらはもう少ししなやかだ。個人的にはスタイル的にはそのCathiardとフェミナンなCoche DuryのACの中間的に感じる。いずれにせよ、レジョナルでは間違いなく至高の1本だろう。こういうのを飲むと昨今はやりのナチュールは所詮仇花なのだと思える。 この作り手、2006年から彼の勤めるドメーヌ(敢えて名を書かないが)の全責任者の職を解かれ栽培だけの担当に降格されたと聞いた。近年のブルゴーニュブームでそのドメーヌの名声が高まる一方で個人的にはスタイルがmonolithicになりつまらないと感じ、離れてしまった。彼が降格について何を考えているかは判らないが(ものすごく寡黙な方で有る)、職人肌である彼のこと、きっと自分のワインに注力されているのだろうと想像する。そしてこのワインは確かに私が最初にそのドメーヌのワインを飲んだ時の味に近いような気がして、琴線に触れた、あの時の気持ちを思い起こしてくれた。
2021/10/02
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代替わりして絶賛大ブレーク中のこのドメーヌ。米ではLeroyやBizotの再来かと言われて評判になり18は瞬間蒸発、時間差で日本では瞬間的にはavailableだったが現在はほぼ買えないのではないだろうか。このドメーヌ、95に当時の後当主が急逝され娘婿が継いでから余り感心しなくなって遠ざかっていていたのだが半信半疑ながら少し興味を持ち、都合3本試す機会があった。 結論からすると半信半疑だったのが3本飲んだ後も半信半疑のままで有った。端的にいうと最初の2本、ブルゴーニュACが棄却。作りが前よりはがらっと変わってざらっとしたクラシックな作りでは無くつるっとしたナチュール系。そして酢酸。刺激的な香りのみならず、最初のアタックからもう体が反応している。まあ、昨今の流行りだから受ける人がいるのは判るが個人的には全体を貫く酢酸に耐えきれず二杯でダウン。先に出たBizotは兎も角、深遠さを感じさせるLeroyとは全く違うものだ。まあ、蓼食う虫も好き好きと言う事で世の中良くできている。 この2本を飲んでこのドメーヌは無いなと思ったのだがその後NSGを飲んで酢酸が適度で冷涼感もあり、確かにBizotっぽいところも有るなと感じてしまった。という訳でまだ半信半疑のままだ。ファイナルアンサーは最後の1本、Chambolle Musignyを飲んで決めようと思っている。ま、何と無く結論は判っているが(苦笑)。 今日のことわざ: 君子危うきに近寄らず(笑)
2021/09/23
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