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W先生の稽古で、茶カブキ之式に参加。今回で茶カブキは4回目。次客でしたので ゆっくりとお茶を味わうことができました。試し茶一碗目は、刺激のないやさしい味。A試し茶二碗目は、ちょっと緑っぽい味。B本茶一碗目は、前のお茶より少々ピリッと感じて、一瞬「客」にしようかと思いましたが、なんとなく同じような香りなのでBとしました。本茶二碗目は、今までにない刺激を感じ、「客」C。本茶三碗目は、お湯をいただいたのですが、残るのはA.結果、「叶」となって、記録の奉書をいただきました。前々回にも「全」とのことで奉書をいただいたのですが、なんかまぐれという感じでしたけど、今回は、本茶二碗目の「客」で、自信を持ちました。同じお茶を続けていただいているとだんだん苦みというか刺激が強くなる気がします。今回は、試し茶・本茶と、Bのお茶が続いたので、もしやと思い、当てることができました。これも年の功??いいんです、年を重ねるのも。記録の奉書に先生のご署名もいただけて、うれしい一日でした。
2016年03月12日
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C先生の稽古、先月お休みした私にとって、ひと月半ぶりでした。三月は釣釜。 鎖は六代浄益、ねじれることなく揺れも少ない?使いやすい道具は気持ちのいいものです。今日は、巴半田と筋半田を用意して、思いっきり炉中を楽しみました。科目は、後炭所望・且座之式・廻り炭之式。これを先生と三人の弟子で稽古するのですから、ぜいたくで盛り沢山。稽古の初めに、先生の近況のお話があるので、その間炉中は十分温まり、初めから後炭所望というのも大丈夫。且座での炭手前は、次客が一人二役、動きだけをなぞって、炭つがず。昼食の後はいよいよ廻り炭。なぜか、管炭が丸と割3本になっていて、4本一度に持てたのがうれしかった。違法!だけど、とにかく最高記録です!!
2016年03月09日
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恒例の、庵主さん主催の新春特別茶会。今回も、表千家席では干支の“申”、お題の“人”にちなんだ数々のお道具。花びら餅も二つ、お茶も二服、外れなしの福引もあって、幸せいっぱいのお席でした。私たちの裏千家席は、大炉でした。毎年、薄茶点前でおもてなししてきましたが、今回は、炭の勢いがなくなったところで、後炭手前をしました。大炉の炭手前では、一尺八寸角の大きさを生かして、左向こう角に、初炭では湿し灰を、後炭では炭を組んでおきます。後炭手前はその時の炭の残り具合を見て、火勢をつけるべく湿し灰をまき炭を次ぐのですが、一尺余りの焙烙に湿し灰・匙香・羽箒・鐶・火箸・釜敷をのせて持ち出し、大ぶりの釜を上げて、紅い燠の残りを見る楽しみは、大炉の後炭手前ならではの風情で、茶人の喜びと言われています。寒さ厳しい冬の田舎家の炉辺に集う一体感そのものでしょう。水改めで、釜を清める茶巾からたちのぼる湯気は茶室をも清めてくれました。お菓子席で点出し茶の後、後炭手前の回に当たった方はラッキーかアンラッキーか。他流の方にも好評でしたので、これからも、稽古を重ね、機会があればさらに静かであたたかい炭手前を楽しみたいと思いました。
2016年02月12日
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1月11日月曜日三連休最後の日。朝六時過ぎ、NHKテレビ、ふるさと熊本県天草を回りながらの、今活躍の小山薫堂さんのインタビュー番組で、今ある自分はこれまで最良の選択を続けてきて今あるのだ、という意味の小山氏お父上の言葉を聞いて、心が温かくなりました。九時頃、きょうは上野のあちこちを回ろう、とりあえずは兵馬俑を見学と、上野の芸大裏手の谷中でバスを降り、東京国立博物館に向かって歩いていました。芸大音楽学部手前、狭い歩道で男性とすれ違いました。 なんか見覚えが…と思っていたら・・・、後ろを歩いていた夫が、今のは小山薫堂だよ、今朝のテレビの、との給う。後ろ姿はさらりと物静か、お散歩中なのか、歩く速さはごく自然。早めの行動で思わぬ出会い。忘れられない、いい一日になりましたした。
2016年01月13日
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車のリコールの知らせが届いたので、ディーラーに相談。20日入庫、21日引き取りと決めました。21日午後3時、車を取りにいかなくてはと駐車場に行ったら、車がなかった。私って、ほんと、〇〇!!
2015年12月21日
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先人の教えは守るに頭を低くして謙虚に学び、伝えるに基をただして直に正しく伝授することが大事と心得ています。とはいえ、なかなか実践は難しいのが現実です。そんな中で、C先生の稽古では、今回も興味深い点前をお教えいただきました。C先生にとっては、出席のメンバーと経験を見越しての、その場の稽古点前と心得ておりますが・・・。炭付花月、濃茶付花月、薄茶各服点を楽しみながら炉開きを祝して、花月で炉点前のおさらいができました。七事式の且座を応用し、あらかじめ濃茶入れを棚に荘っておきます。水屋で花月札を引き、正客・亭主を決めて席入り。 亭主は迎え付け礼ののち初炭の用意。 折据を回して炭手前の月・濃茶点前の花。濃茶を終えて5人そろったところで折据を回して薄茶初花を決めました。あとは各服点で皆が薄茶をいただきます。濃茶の支度のあと、主菓子を運び出す、濃茶を終えたところで干菓子器を運び主菓子器を下げる、など、その時の亭主の心配りがあれば、2時間足らずでお菓子もいただき、ゆったりと炉の平点前を思い出すことができる素晴らしいひと時。炭手前・濃茶点前・平花月・且座之式・五事式各服点の習いがあれば完璧。薄茶点前ができれば初心者でも大丈夫。まさに、守を超えて破の境地。裏千家茶道を学んでいればこその、充実したひとときでした。破を超えての、離の境地はいかなるものか。いずれ、C先生にご教授いただけるものと、楽しみにしています。
2015年11月12日
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よく席を持たせていただく月釜、今回は霜月朔日、炉開きでした。真台子に翠嵐造の紫交趾の皆具、輪島菊桐高蒔絵大棗を荘ってお客様をお迎えしました。床は、『落葉満天下』天龍寺平田精耕老師の一行。香合は、前日まで風炉だったので、淡々斎好みの『手向山香合』、先代表正造。約束通り椿の葉を敷き、お好みの練香『松重』を入れました。花は、竹一重切渦蒔絵花入に、黒文字の枝と紅白の椿。西王母に初嵐が間に合いました。九代長左衛門造大樋茶碗を持ち出してお薄点前、次客には永楽造紅葉茶碗、三客に五良助造菊絵茶碗。点て出し数茶碗は丹山造赤絵茶碗でお茶の正月を祝いました。思い出に残る、幸運のトピック、それはお菓子です。これまでもほとんど、お菓子はお茶室の庵主さんにお任せしているのですが、今回依頼したお菓子屋さん、いつもは前日夕方に運んでくるはずが、時刻を過ぎても音沙汰なしなので電話したところ、なんと、一週間日にちを間違えていたとのこと。お菓子屋さんもすぐに作業を始めるけど、明朝間に合わないとといけないので、とりあえず竿ものを用意しました、という連絡が入ったのが前日夜8時でした。すっかりお任せの私、あとは明日になってからのことと思い、心配などするはずもなく・・・。そして翌朝、茶会の始まる一時間前に、『銀杏』の練切が届きました。薄緑に淡い黄色が広がる練切『銀杏』に、間に合ったという安心以上の幸運を感じました。お菓子の銀杏に、香合の紅葉に、花入れの黒文字の枝に残った一枚の黄葉。これらは、お床の『落葉満天下』を目の前に描いてくれましたから。実は準備段階では、お菓子は無難なところで、季節の菊の花の練切にしていました。しかし、三客の菊絵茶碗に重なるなあとも思っていました。この悩みが一挙に解決!幸運は思わぬところからやってくるものです。感謝。合掌。
2015年11月10日
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昨秋、茶壺に詰めたお茶は、数回の口切の稽古と茶事で使ったものの、7割がたは残っていました。3月中旬、道具屋さんを通して、残ったお茶を抹茶に挽いていただこうと、お茶屋さんに送ってもらいました。 出来上がってきたら、社中の方々にお分けしようと思い、普段使っているお茶の空缶も10個ほどとっておきました。 準備万端整え、挽いたばかりの、しかしながら何回も開け閉めした茶壺のお茶、どんな味になっているのか、楽しみに待ちました。届いたのは、忘れもしない4月15日、私の勉強稽古が終わった午後4時、道具屋さんから菓子箱くらいの大きさの箱に詰められたお茶を受け取りました。 銀色の袋に入った小さい袋3つ、大きな袋2つ、これは濃茶と薄茶(詰茶)でしょう。両手に手提げの荷物があったので腕に通し、箱を両手で大切にかかげ、車に近づきました。いつもならドアの取っ手に指をかけるだけで開くはず、なのに、そう、2日前から電池が切れていたのか、キーを使わなければ開かない。持っていた箱を、今思えば、ひょいとドアの上の屋根に乗せたのです。 キーを外し、差し込んで回してドアを開け、キーをしまい、後部座席に両手の手提げ荷物を入れ・・・・・。 振り返って、隣の車の方と、お稽古の話に・・・。ではさようならと運転席のドアを開け、シートに座りベルトをして、エンジン始動。お茶の箱のこと、すっかり忘れておりました。敷地内はゆっくり進み、道路を右に曲がってからはいつものスピード。 ・・・・・ここで落ちたのかなあ・・・・・。気づいたのは帰宅してから。 すぐに車のあちこちを見ましたが、箱は見つかりません。次の日はお稽古で、往路、敷地に入るまでの細い道をゆっくり走り、落ちてはいないかと探しました。 道具屋さんにも聞いてみましたが拾った方もいません。あのとき、左へ左へと回って、常に箱は私の後ろ。 運転席に入るときは目は足元、車の屋根を見ることはありませんでした。まことに、私のうっかり、私の大失敗です。 ゆっくり動く車の屋根に不安定に動くお菓子箱。 想像すると笑えます。 中は万単位のお茶です。 さっきキッチンを整理したら、件の空缶が出てきたので、封印していた失敗談を書く羽目に。みなさまは、車の屋根、いつもご覧になりますか?
2015年07月14日
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朝茶事を終えて、私たちは普通にお稽古にはいりました。 Yさんのお家から車で20分ほど移動して、いつものお茶室へ。前からお願いしてあったので、すでに立礼の支度ができていました。なぜ立礼か。 それは足の立居がいつまでできるかということです。 今社中の方々は畳に座ってのお稽古に支障はありませんが、先だってのように、続けて花月をするというのは辛いことですし、何より、茶会のお客様の様子を見ていると、ときどきは椅子のほうが楽なのかなという気持ちになったからです。社中の方からもそういう意見が出て、とりあえずやってみましょう、ということになりました。 朝茶事のあとでも、立礼なら大丈夫、稽古しましょう!!・・・ほんとに元気な方ばかりです。この日はまずは割稽古。 初炭、濃茶、薄茶、朝茶事でしたばかりの続き薄茶をしてみました。 初めて立礼の亭主席に座った方はちょっと緊張したみたいでしたが、なんといっても平点前ですからじきに慣れていらっしゃるようでした。 杓立ての火箸、柄杓の扱いがポイント。 それでも最後に、やはり正座してのお茶の方が雰囲気はあるわね…との声が・・・。たしかにそうかも・・・。 とりあえず、来週は簡単な点心で、正午の茶事をさらってみたいと思います。
2015年07月14日
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Yさんのお招きで、朝6時席入りの茶事に社中の方々と行ってきました。お宅は、もうその先は雑木林、という、住宅地のつきあたりにありまして、二階にある茶室からは、どの季節に伺っても、木々の緑が窓いっぱいに広がっています。朝5時30分、門を押して、一足入り、左奥を見ると、そこにはつくばい。蹲の回りの木々は、数時間前までの雨に濡れて緑が濃く、足元の苔は種類を超えてさまざまな色に輝いていました。 お家を構えて18年とか、ご自作の、四季草花を彫り込んだ蹲は時を重ねた風合いを帯び、すっかり貫禄を出していました。とりあえず、ご案内通り、玄関に荷物を置き、蹲を使ってから、待合へ。掛物は山百合の短冊。 故郷の親しい方の作とのこと。 花の色が墨絵のように青く見え、山中にひっそりと咲いている風情を感じます。 百回茶事を目指していらっしゃる芳名帳にも記帳させていただきました。板木を5つ、人数分打ってしばらく、ご亭主自ら汲み出しを運んでくださいました。順次二階の茶室へ。 改装で壁を抜いて作られたにじり口は工夫のたまもの。 頭をあげれば目の前に広がるのは静かな山の朝。 “瀧 直下三千丈”の一行の背後には、開いた窓から迫る深緑の木々。 まさに朝霧も晴れんとする深山の景色でした。ご挨拶では、登山の経験からとくに好きな早朝の山の風情を思ってのしつらえとか。さっそく懐石となりました。 素材にこだわり、作りたてをと心をくだいてくださるYさんのお料理はいつもおいしい。 胡麻豆腐・自作野菜の香の物・ちょうど炊き上がった香ばしい玄米粥・鮎の一夜干し・・・。 湯斗を終えて、初炭、風炉中拝見、中立ちへ。極め付きはご自作の錦玉羹。 これを、中立ちして外の木陰のもと、まだ涼しい空気を感じながらいただきました。 透き通った金玉羹の底には白く道明寺粉がちらしてあり、てっぺんには薄く青色がのっていました。もちろん、清らかな谷川の流れでしょう。 あ、菓子名を失念・・・。ゆったりとした銅鑼の音を聞いて後入りです。鮮やかなオレンジ色の角笛型ガラス花入、緑豊かに長く垂れるつる植物に楚々とした野菊が添えられ、全体が元気な夏の花のよう。濃茶・続き薄茶、いろいろのお話をしながらゆっくりいただき、お詰の方がご亭主にも一服点てて、進んで、お道具拝見。 茶杓はご自作で、銘を“潺々せんせん”。 清らかな水が大きな岩の上をきらきらと流れていくようす。 “雲悠々水潺々くもゆうゆうみずせんせん” 大好きな言葉です。都合、3時間半ほどの茶事が終わりました。 私たちは元気いっぱいでしたが、理想は3時間と言われる朝茶事を一人ですべてを取り仕切られたYさん、おつかれさまでした。 貴重な経験をありがとうございました。
2015年07月13日
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花月合宿と銘打って、社中では毎年、花月百騎をめざして、二泊三日の旅行を楽しんで?います。?印は、皆が本当にそう望んでいるのか疑問があるからですが・・・、だって、早朝から深夜まで心地よい温泉・山海の珍味も含む数々のお料理・夜には楽しいおしゃべりとお酒タイム、と、誘惑は数々ありますから、何もここまで来てお茶をしなくても。しかし、そう思っているのは私だけなのか、社中の方々は、宿に着いたその日午後、まずは八畳の間に風炉・釜を据え、洗面台を水屋として、さくさくとお茶の用意をします。これから夕食まで、夕食後10時まで、翌朝は6時から8時まで、朝食後9時から12時、おにぎりを食べて、夕食の午後6時まで。夜の部も、そして最終日の朝も当然あります。これまでの第三回までは、友人など参加の方の顔ぶれを見て、七事式を取り入れていましたが、今回は一名を除き社中の方ばかりということで、“平花月の百騎”を目指しました。時間短縮を目的として、今回は運び点前の平花月。棚点前よりも水を次ぐ時間が短縮されます。 今回、総計14.5時間で、準備も含め25回の点前、そのうち2回は濃茶付花月で6人参加、ちょっと時間がかかりました。。結果は、かつて40分かかっていた平花月が25分を切るほどに短縮。お家元の業躰さんは一騎15分を目指して、とおっしゃいますから、まだまだですが、毎回時間を短縮しているので来年の成長?が楽しみ?です。 何しろ年齢・体力との戦いもありそうですから・・・。今回の最高記録は、3時間30分で連続8回の平花月。準備も含めて、一回26分強。 こんなとき連続23分の記録が出ました。お互いの譲り合う心と向上心、呼吸と気持ちを合わせて、秒単位で時間を削る、仲良く楽しんでの記録更新はうれしいことです。
2015年06月30日
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長板二つ置きの点前で、100名のお客様をお迎えしました。床は、“山是山水是水”、 大徳寺教務部長をなさっている戸田実山師の筆。山と山、水と水、是と是、という同じ字を、楷書・行書・草書と、字体を変えて書かれているのが話のポイントでした。点前座は、長板の上、朝鮮風炉真形釜に、虫明焼三島水指。水指は今のものですが、もとは、少庵所持の高麗三島印花角水指を、玄々斎が虫明焼で写されたもの。 この際、印花ではなく檜垣紋になっていて、今回の水指も、檜垣紋、しかも、玄々斎が写されたものより、檜垣紋の段数が、前後左右とも、一段ずつ少ない、ということがわかりました。 写しの写しなので、控えて作られたのかもしれません。柳棗に、萩・安南・紫陽花の絵・高麗(韓国)刷毛目茶碗。 茶杓は銘“清流”、お菓子は金玉羹“若楓”。風炉先も低いものにして、涼しさを感じていただく席にしました。
2015年06月20日
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一か月ほど前に、福岡県の大宰府に行ってきました。その昔、菅原道真が藤原氏に疎まれて大宰府に下ったことは歴史で習いましたが、一体どんなところなのか、一度行ってみたいと思っていたのです。博多天神から西鉄利用、二日市で乗り換え大宰府線の終点まで。 平日にもかかわらず、修学旅行の生徒たち・中韓を含む観光客など、まずは太宰府天満宮の境内はたくさんの人出でした。同行の友人と私、中学からの友達です。 彼女は社会科の教師を務めたこともあり、とにかく地理歴史に詳しい。今回はとくに最高の案内人でした。大宰府に降りて、まず向かったのは九州国立博物館。 外観からして流れるような美しい建物でしたが、中に入るとその流線型の屋根が何本もの細くて四角い木材でかたちつくられているのがわかり、見るだけで感激。 古代から続く森の中でも違和感なく建っていました。“戦国大名~九州の群雄etc.”のテーマで、昨年の大河ドラマの後背情勢を見ているようでした。 茶道に関して言えば、大名所持の茶入とか茶碗とかの展示があり、中でも北野肩付茶入を拝見できたことは最大の収穫。午後からは、これまた今の大河ドラマ・長州への七卿落ちの折、その七卿が大宰府参りで宿泊されたという延寿王院を通って、天満宮の裏手、“お石さんの茶屋”まで行き、かりっと焦げ目のついた熱い梅が枝餅をたべ、ついでに、かつて佐藤栄作氏がお石さんのために作らせたという“参詣隧道”もちらっとみて、やっと目的の“太宰府天満宮”をお参りしました。これで終わりかと思っていたら、友人は、これからほんとの大宰府に行くわよ、と、のたもう。太宰府天満宮は、亡くなった道真公を牛車に乗せて運ぶ途中、牛がこの場所で動かなくなったことから、ここを墓所とし、天満宮を建てたとのこと。古代大和朝廷の時代から、唐や新羅に対する防衛の拠点となっていた“大宰府政庁”は、今では建物の柱の礎石を残すのみ。 礎石は広い野原に何十個も見えていて、都府楼とふろうと呼ばれた往時の建物群をしのばせます。 大宰府政庁は7世紀から3期にわたり再建され、現在の礎石は10世紀藤原純友の乱の焼き討ち後再建されたもの、とか。初夏の日差し、原っぱのシロツメクサの群生、黄色のタンポポ、その向こうは畑に紫色の花々、遠く取り囲む木々の浅緑。 車の騒音もなく、空は抜けるように青い。 ああ、ここで都を遠く離れた菅原道真や大伴家持が傷心をいだきながら毎日を過ごしていたのかと、ひととき時空を超えた思いに浸ってしまいました。政庁跡からも望める二つの山の間には、1.2キロにわたって、幅60メートルの“水城みずき”が築かれていたとか。「唐や新羅が攻め込んでくるのがよほど恐ろしかったんだろうねえ」。 友人の言葉が耳に残りました。政庁跡から歩いて15分ほど、“戒壇院”とその隣“観世音寺”にもまわりました。“戒壇院”は、奈良東大寺と栃木県の下野薬師寺と並ぶ、日本三戒壇。 戒壇とは戒律を授けるところで、受戒によって初めて正式な僧尼として認められたとのこと。 “観世音寺”は、古代“府大寺“として九州の寺院のまとめ役。 今は、日本最古と言われる創建当初の鐘が伝わっていて、大みそかには毎年その鐘の音が紹介されるそう。 急な石段を登って年を経た鐘の肌合いも見てきました。心残りは“榎社”に行けなかったこと。 道真公が大宰府着任から亡くなるまで2年間住んだという住居跡です。他にも史跡はきりなくありますから、また友人を頼って行くことになるでしょう。
2015年06月15日
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夫は、このところ、名のある出版社に電話して、出版物の目録を送ってくれるよう頼んでいます。喬雄という名前を電話で伝えるのに、“橋、ブリッジ、という漢字の旁つくり、右側の方です”、と、電話で伝えるのが常ですが、その返事に、“喬木のきょうですね”との一言。さすが、〇〇社の編集部、感激したとのことでした。漢字ってだんだん伝わらなくなっていますけど、その意味は奥深い。両国の江戸東京博物館の“大関ヶ原展”では、豊臣方・徳川方の幾つもの文書のやり取りがあって、もちろん原文は漢字ばかりですが、筆の勢いのままに、熱意が伝わってくる感じです。同盟の結束、翻意を促す文書、緊急の指示書・・・。電話もネットもない時代、強い思いを相手にどう伝えるのか。歴史に残る個々の人物の心中を思うと、身震いしてしまいます。とりあえず、漢字が日本の歴史を表してきたことは否めません。中国も韓国も、漢字は大きな役目を終えようとしているのか、少なくとも、日本では日本なりの漢字を大切にしたいと思います。
2015年05月13日
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茶の湯道具の取り合わせは、お茶事の趣旨によりいろいろですが、作者の主張のある、美術品・芸術品である道具の取り合わせは苦労するだろうな、とは、道具を持たない私のひがみ?? 実際の取り合わせを見ると、作者の思いはあっても、穏やかにまわりの道具と調和しているその姿、心地よいものでした。第一室の、“流水不争先りゅうすいさきをあらそわず”。 よく見れば書いたのはなんと、熊谷守一翁。 なんという言葉。 この一行があれば、ほかのお軸はいらないのでは。 お庭に寝そべって何時間も過ごし、草花を観察し、ついでに、「蟻は歩くとき、左の真ん中の足から動かし始める」、との、名言!!あり。このようなお軸にふさわしいのはどのような取り合わせか。 ここに書いてもその感慨は伝わらないでしょう。社中の方と、稽古の一日をこの工芸館で楽しまなくては・・・。 竹橋の近代美術館の前を通り過ぎてさらに進むと工芸館の建物、往時近衛師団司令部、があります。 この日、ほんとは、近代美術館の常設展に行くつもりでした。先日片岡球子展を見た後、常設展も行ってみたのですが、そこには2万点もの所蔵作品、昔、美術の教科書で見たものがいっぱいでした。 これは日を改めてこなければと、おもっていて、この日でかけてきたのですが、・・・。やはり、“近代工芸と茶の湯”(4月28日から6月17日まで)の文字に誘われてしまい、本館の前を通り過ぎてしまったのでした。角谷一圭の瀟洒な釜肌、長野垤志・烈親子の釜、三輪姓の方々の萩焼、村瀬治兵衛鉈割の作品群、川北良三のけんぽなしの盛器・松田権六の漆器、生野祥雲斎・飯塚琅玕斎の精緻な竹籠、楽吉左衛門の茶碗にぶつからない茶入などなど。 湯河原の人間国宝美術館にもおさめられている作家の方々の作品も使われていて、なぜか懐かしい感じ。陶芸の深見陶治の、青磁の風炉先 “心象 彼方へ” には目を見張りました。 社中の方とは6月に入ってから行くことになりました。 また話題が広がるのが楽しみです。
2015年05月07日
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2006年5月の席開きに伺ってから、年頭の茶事・口切の茶事・真の茶事・五事式の茶事・暁の茶事などを勉強させていただいた、京都C先生の自在軒。さらによりよく改装中とのことで、建仁寺四つ頭茶会の翌日、正午の茶事でお招きいただきました。枝垂れ葉桜のかかる冠木門をくぐり、玄関から寄付きへ。 身支度をして待合に入ると、薄明かりの中に一幅が見えました。まことに不思議な絵です。 一人の男が穴の中で地上から垂れ下がっている蔓につかまっています。男は口をあけて花から滴る蜜を受けて至福の面持ち。 しかし蔦の根元には黒白の鼠が歯を立てていますし、穴の底には龍が、壁からは恐ろしげな蛇が何匹も顔を出しています。 地上には大きな象が鼻を振り上げて走り回っている・・・。 どこにも逃げ場のない人間があじわう一瞬の・・・。 仏画とのことですが、恐ろしくも意味深い一幅でした。 以前にこの話は伺っていたので、なるほどと思いましたが、初めて目にしたら怖いかも。香煎をいただいて腰掛待合へ。 周りは車の通る道路なのに、蔦の絡まる塀を隔てればなんと静かな空間なのでしょう。 踏み石の間の苔の色、周りの木々の若葉が露地を彩っています。 やがて蹲に水の音、ややあって枝折戸が開き迎えつけです。 蹲を使い、本席ににじりいると、そこは逆勝手向切りの中板入り四畳半、伏せ窯がかかっていました。 床は、「張公飲酒李公酔ちょうこうさけをのめばりこうよう」、離れていても信頼し合う仲の良い友、ということでしょうか。 客となった私たち四人、そういう関係でいたいものです。本席のこのお軸、清巌宗渭和尚の一筆でした。 三代宗旦の参禅の師であり、あの有名な逸話の主です。 その話とは・・・、清巌和尚が約束の日に宗旦を訪れたところ、宗旦は留守。伝言で「明日おいでください」とのこと。 清巌和尚はわきの壁に“懈怠比丘不期明日”と記して帰ったそうです。 帰宅した宗旦はそれを見て“今日今日といひてその日をくらしぬるあすのいのちは兎にも角にも”と詠んだという話。 宗旦の庵名が今日庵となった由来と言われています。 “明日明日と思う心のあだ桜夜半に嵐の吹かぬものかは”というのは、子供の頃、怠ける私が母によく言われた言葉ですが、こういう意味でしょうか。“自笑”の朱印が、“自笑子”と号した清巌宗渭筆の証拠、400年前の一幅でした。C先生、最近茶事では、“前茶”とおっしゃって、初炭に続いて濃茶をなさいます。 このあと(隣の立礼席に移って)懐石、中立ちのあと(後炭)薄茶です。 こうすると、前席のピリッとした空気の中で濃茶をいただくことができ、のちの懐石・薄茶は打ち解けた雰囲気で安心して楽しめます。 とても良いやり方だと思いました。すでに2千回を超え、生涯3千回の茶事を目指す先生ならではの、自由自在なお茶でした。自在軒の改装は今が中間点とか。 2階の8畳・4畳半の稽古場の水屋は、使いやすくコンパクトに収納された道具がずらり、こんな水屋ならどなたもお茶が大好きになること請け合いです。今回改築のメインは、“一客一亭二畳の茶室”とか。これはまだこれからなので、完成したらまた来てくださいとのこと、楽しみにしていましょう。
2015年04月25日
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社中の方々と共に首を長くして待っていた“四頭茶会”にいってきました。せっかくの京都行なので、前日にでかけて、新装なった京都博物館見学。 特別展の、狩野派代々の栄光の系譜を鑑賞したら、あまりの大きさと迫力に圧倒され、早起きの疲れも出て足取り重く、そのあとの常設展はほどほどに。お昼を済ませて、明日の会場・建仁寺の下見。翌朝の打ち合わせをして、私は某ホテルへ。社中の方々はこの後、高台寺・青蓮院を回って、某高級ホテルにチェックインしたそう。 年齢は変わらないのに、皆ほんとに元気です。そして、20日。 4時起床、着替えて5時出発。タクシーで15分ほどで建仁寺に着きました。 私と、ホテル同宿の友人はなんと一番乗りです。 待合所と書かれたテントの下、毛氈のしかれた椅子に座りました。 5分後に、横浜からいらしたという5人連れ。 ほどなく社中5人が到着。 やはり続いて座っていたいので、横浜組に先頭を替わっていただきました。なぜこんなに早くから並ぶのか。 それは、8時から大方丈で“開山栄西禅師ご誕生慶讃法要”があるから。建仁寺の何十人ものお坊様が揃ってお経?をあげる法要です。これに参加できるのは四頭茶会本席拝服指定券の、第一席目32人まで。 実際は来賓の方も入るので、この日は24人まででした。私は6年前に参加したのですが、このことを知りませんでした。 今回はせっかくの茶会、意義ある四頭にしようと、皆で法要参加を計画していました。待つこと1・5時間、テントの椅子が埋まって立つ人が増えてきたころ、7時に受付開始。 ここで件の“四頭茶会本席拝服指定券”一席目6番ゲット。 もう安心です。しばらくして本席待合にはいり、大方丈の法要も拝聴し、8時過ぎには、天目台と天目茶碗の“特為茶とくいさ”をいただく本席に入りました。副席(添釜)は、表千家・裏千家・煎茶席の3つ。 裏千家はW先生の兄上担当とのことで、早速参上。床の一行は、“嘉風吹又生かふうふきまたしょうず”建仁寺益州老師筆。 胡銅象耳花入には大きな葉を広げたクマガイソウ。荒井正春作の花筏蒔絵の炉縁、清右衛門作の透木釜。誰が袖棚に竹泉の赤絵平水指、棗は栄西禅師手植えの松の木から(席主も当代益州老師も??と、しかし古い)という中棗。主茶碗は了入作東陽坊写し鵬雲斎書付、次は伊羅保、三碗色絵。 淡々斎作銘“春霞”茶杓。建水はリチャード作信楽の箪瓢、金物と見まごう大変珍しい永寿作五徳蓋置、結界が桑木地琴型千鳥透、 莨盆は庭の栃の木とのこと。表千家席、煎茶席、点心席、最後に番茶席で熱いお茶をいただき、雨を受けて木々の若葉もお庭の苔も緑に輝いていた建仁寺を後にしました。
2015年04月21日
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一泊二日で、郡山・猪苗代湖・裏磐梯・福島・二本松・白河など、福島県で桜を追うツアーに行ってきました。郡山駅からバス。まずは、さくら湖にまわって湖畔の小高い展望台で、まだつぼみのままの桜の枝越しに、遠く安達太良山を展望しました。 安達太良山はその半分はまだ雪。 青空のもと、かすんだ紺色の山肌に光る白雪がすがすがしい。バスガイドさんが語った、高村光太郎の“智恵子抄”の一節、こころにひびきます。このあと一時間半の渋滞を我慢して、たどり着いたのは、樹齢千年の“三春の滝桜”。早朝、自宅のテレビで、「昨日は五分咲き」とのニュースでしたが、この好天の日差しで、一気に八分咲きから満開という幸運。 美しい紅枝垂れ桜、正面から見てまことに見事ですが、横から見ても、また草原に広がって桜を見上げる人々の色とりどりの姿を背景に、高台からその後姿を見ても、思わず笑顔になる楽しい景色でした。午後は、奥羽山脈を越えて猪苗代湖へ。 中通りあたりとは打って変わって、家々の陰には雪が残り、風はないものの空気は冷たく、早春の雰囲気です。湖畔から遊覧船で40分ほどの周遊。 船上からは、磐梯山はもちろんのこと、連なる那須連峰までよく見え、船の後ろに立つ波も湖面に散る雪のようで、山々の残雪に呼応しているようでした。 宿泊は裏磐梯の温泉です。 裏磐梯の檜原湖付近は雪の回廊の名残? 歩道はまだ雪で占領されていて、ホテルの前には雪の小山がいくつもあります。 空気はさらに冷たくて、湖も8割がた凍っている状態。 遊覧船やボートが、打ち上げられたような姿で雪に埋もれていました。 同じ県内なのに山々の影響で気候が大きく変わるのを実感しました。次の日、裏磐梯から土湯峠(奥羽山脈の分水嶺)を越えて、福島市へ。 途中、吾妻連峰を左に見ながらの走行で、吾妻小富士の山肌に残る雪の形が何に見えるか、答えは雪ウサギですけど、この形になると種をまく、というのがこの地域の暦だそうです。 暖かい中通りに入ると、満開の桜があちらこちらに見えて、しかも少しも散っていない、グッドタイミングでお花見日和です。“花見山公園”では、レンギョウ・木瓜・サンシュユ・木蓮・日向水木・梅、そして東海桜・染井吉野・おかめ桜・十月桜・寒緋桜・彼岸桜など、花三昧。飯坂温泉近くの“はなももの里”は、2年ほど前に開園したばかりですが、赤、白、ピンク、濃桃色と、幾色ものはなももがしっかりと咲いていました。 まだ畑の雰囲気も残っていて、ホトケノザとかオオイヌノフグリとか土筆とかタンポポとか、みどりいっぱいののびのびできるところでした。東北道を走って二本松市の霞が城公園へ。 雨が降り出して傘をさしての見学でしたが、がんばって完成したばかりの天守台石垣に挑戦、二本松城下四方をながめてきました。 雨の中で一汗かいてしまいました。最後に、白河市役所近くのお寺,妙関寺の紅しだれ桜。 寺の門を覆うようにしだれている“乙姫桜”。 “三春の滝桜”に勝るとも劣らない紅色でした。 こちらも樹齢何百年だそうですが、比べるとちょっと元気かな。 続けて、妙徳寺の源清桜、関川寺の結城桜と、いずれも年月を感じさせる立派な枝垂れ桜でした。今まで桜前線という言葉、あまり気にしなかったけど、今回福島の美しい桜を見て、北上する春を待つ気持ちがわかりました。 福島からさらに北の国では、今から桜の季節なのですね。うちのベランダから見える桜の木の枝には、紅いがくと若葉だけ。 雨に濡れています。
2015年04月13日
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竹橋の東京国立近代美術館で始まった、片岡球子展に行ってきました。色彩豊かで力強い富士山の絵が記憶にある画家でしたが・・・。球子さん、すごい!! ファンになってしまいました。デフォルメされた、というか、彼女にはそう見えるのでしょうけど、おおらかで、しかも丁寧な描写をささえる観察眼が見飽きぬ作品にしています。 遠くから観ても、近くに寄って観ても、一枚の絵を見尽くすことができない、そんな永遠の時間を感じます。描こうと決めたものに関しては、時間をかけて納得のいくまで調べ尽くし、自分の内部で育ち成長してくるテーマを、自分なりの形と色で再構成して表現する、そういう描き方だとか。院展初入選の枇杷の絵、教え子の表情、歌舞伎・雅楽・浮世絵とその作者たち、赤白青の足利将軍たち、裸婦像、そして富士山。どれも目に焼き付いています。心に残るのは、衣裳の文様の細やかさ。どれとして同じ文様がなくしかも複雑な絵柄を丁寧に大きな衣装に描き込んでいく・・・。衣裳の文様が、描かれた人物をより個性的にその人らしくみせてくれます。作品を作る前のたくさんの資料の中に、桃山時代の衣装文様のスケッチがありました。こんな風に調べているのですね。茶道具の裂地の勉強は大事で大好きですが、もっともっと真摯に向き合わねばと思いました、球子さんのように。
2015年04月07日
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昨日は、千葉県我孫子市の“杉村楚人冠”邸の広々とした庭に植えられている椿を観に行きました。すでに散り始めているものからまだ固いつぼみの種類まで、楚人冠さんがお好きで集めて植えられた何十本もの椿。昨秋、今は記念館となっている邸宅を見学した折、庭木の銘板が椿の名前だったので、二月から四月中旬までといわれた案内どおり、訪れてみました。近づくと、通りにも、大きくて紅い朴半・日光が顔を出していました。門を入ると左右に椿の木々が。どちらから回ろうか迷ってしまいました。“羽衣”、“紀州司”、先月の大炉席で使った“岩根絞”。名前は読めても、二・三歩歩くとほとんど忘れてしまいますが、読めなかったので覚えたのがありました。“蜑子舟”。さっき漢和辞典で調べたら、“蜑”は“あま”。中国南方に住む、海に生業を求める異民族を指す字だそうです。“あまおぶね”。 やまと言葉でいえば、漁師さん(海人)があやつる小舟のことでしょうか。万葉集にも出てきた言葉のような気がする。ネットでもすぐ出てきたので、もっと前から椿に関心を持っていればきっと知っていた種類。勉強になりました。ピンク色の小ぶりの八重咲き“乙女椿”、紅白の“侘助”、“光源氏”などなど。馴染み深く心休まる“藪椿”もそこここに植えられて、戦前の重く落ち着かない東京の空気を離れて、すがすがしい手賀沼の水面を渡る風を受けながら、ゆっくりとひとときを過ごす楚人冠さんを想像しました。もう一つ忘れられない名前。“袖隠し”。あまりの美しさに心奪われて、その一折をこっそりと袖に隠して持って帰りたい、そういう花です。何年も前、たしか四月の茶席で使いました。小さく硬いつぼみが、昼過ぎて茶席の温かさにほころんだとき、命名に納得。割と遅くに開花するのか、昨日も白という色がわかるだけの堅いつぼみ。四月にもう一度来なければ、と思いました。
2015年03月14日
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口切の茶事では、茶壺から取り出したお茶を、初炭・懐石・中立ちの間に、水屋で石臼で挽いて、濃茶・薄茶として後入りの席で使います。しか~し、今時、石臼で挽いたお茶というものにはなかなかお目にかかれません。亡くなったN先生の口切茶事では、詰茶を直径一尺もある石臼で挽いたものですが、細かく挽き切れずに葉茶の破片が残り、薄茶に点てても泡がよく立ちませんでした。でも、香りはさすがで、さわやかな一服だった記憶があります。石臼の目立てが必要だったのかもしれません。この時の濃茶は市販のすでに挽いてあるものを使いました。噂では、ゴロゴロという石臼の挽き音を、懐石のあいだ中テープで流して、気分を盛り上げるところもあるとか。そのくらい今の時代の道具ではなくなったのでしょう。せめてカタカタと茶漉器だけでもと思ってしまいます。もちろん私も石臼はもってなくて、社中の方の提案で、ミルサーを使って細かくしてみましたが、石臼で挽くのとは全く別物。茶筅で薄茶に点てても、泡はたたずず、すぐにお茶の粒が沈んでいきました。味はとりあえず挽きたてという感じでしたけど。重い石の隙間に挟み込んですりつぶすのと、鋭利な刃できざむのとでは、大きな差がありますね。以前、石屋さんにお聞きしたところ、10キロほどの石臼で、半袋20グラムの葉茶を20分ほどで挽くと30~100ミクロンの抹茶になるそう。それでも、薄茶を点てても泡は立たないとのこと。お茶屋さんでは電動式30キロの石臼で細かな抹茶を挽いているそうな。冬の白菜漬や大根漬、こちらも重い重石の方が、なぜか風味が増しますね。先人の知恵は素晴らしい!
2015年03月10日
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口切の茶事といえば、11月の開炉のころが一般的で、内口切を終えれば、お茶がある限り、何回でも催すことができます。昨年秋に、初めて茶壺にお茶を詰めてもらいました。私の茶壺は、20年も前に、小習壺荘のために奮発して購入したもの。京焼の雲錦模様です。「〇〇さんには丹波なんかよりこの方がお似合いですよ」というのがポイントでしたが・・・。今回、濃茶3袋分(120グラム)と薄茶の詰茶(600グラム)を入れてもらったら、覚悟して持ち上げる重さになりました。今までは、壺荘をしても壺に重さが感じられず、壺拝見もくるくるまわせて形だけという感じでしたが、さすがにどっしりとした壺、ゆっくり丁寧に扱わずにはいられません。稽古茶事でしたが、お客様も招いて、内口切の茶事を勉強しました。そのあと、一週ごとの社中稽古では、亭主の口切役、正客、お詰を交代で務め、網袋を脱がせて口覆いを取り、小刀で封紙を切り、茶上合にお茶をだし、挽家にお茶を入れ、糊をつけた封紙で壺と蓋を張り合わせ、亭主の印を押す、さらに壺を拝見に出す、取りに出て網袋に収め水屋に下がるという一連の動作を経験しました。糊が乾いてないと口切はできません。紙一枚切るのになんでこんなに手間取るのか・・・小刀が重なった紙に食い込むこともありますが、やはり、経験かな。今年の秋の口切茶事では、、どなたが亭主になってもスマートに口切ができると期待しています!!もう4か月もの間、茶壺のふたを開けたり閉めたりしているので、中のお茶の風味は失われているかもですが、もったいないので残るあと一人の稽古が終わったら、抹茶に挽いてもらう予定です。
2015年03月08日
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昨夕、雛ちらしのおともに、(蛤の用意がなかったので)鶏肉団子のスープでもと思い、買い置きしていた鶏挽肉と豚挽肉、合わせて550グラムを混ぜ始めたら、なんか腕が疲れる。一休みしてまた挑戦。今度はすぐにだるくなる。子育てのころは900グラムのハンバーグでも平気だったのに、これは〇〇のせいか。茹であがった肉団子は、三つ葉を添えたスープ以外、すべて冷凍庫へ。鍋物・昼のラーメン・煮ころがして主菜、と、二人の食事ならあと数回は楽できるかな?苦あれば楽あり。神様、ありがとうございました。
2015年03月04日
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2月8日はお仲間と京都まで出向き、W先生の初釜に参上いたしました。昨年ご母堂を亡くされて喪中とのことで、控えめなしつらえで新年を寿いでいただきました。お床は「雪片打窓灰満爐」、青竹花入れには本阿弥椿と青文字の一枝。真台子に染付の皆具という道具組で、34人の客に嶋台三組のお茶を席中で丁寧に練ってくださいました。先生の濃茶は、とてもクリーミーで柔らかくのみやすく、ふだんいただくのとはちょっと違うものです。お菓子はきんとんですが紅白は避けて、今年は白紫。塩芳軒の御製。続く薄茶では、宗入の飴楽・左入の暦手・即全の梅の絵茶碗など、歴史を見る思いでした。古瀬戸茶入れはとても古く、蓋に金継ぎあり、仕覆の裂地の金箔が落ちて布地の糸目が見えるほど。仕覆の拝見は注意が必要と学んでいますが、こういうことなのかと、ほんとに持つ手に気をつけました。又妙斎好みの東雲棗、黒地にほんのり赤色が透けて朝の空、黒漆が盛り上がって松か櫟かが描かれ、黄漆で塗られた底が月を表しているそうな。認得斎作の煤竹茶杓は「銘 梅が枝」。ところが先生は最後のご挨拶で「松が枝」と、おっしゃっていました。私はまたもや「どちらかえ???」と言ってしまいましたが・・・。後で伺ったら、正解は「梅が枝」でした。せんせい、おつかれさま。朝9時の席でしたが、このあと12時・3時・6時と、合計120名ものお客様をおもてなしなさるとか。大徳寺重の点心もおいしく、奥様共々何回も燗鍋をもって回られて、ありがたく楽しく、至福のひとときを過ごしました。
2015年02月26日
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庵主さん主催の新春特別茶会で大炉席を担当しました。本席の方は、表千家。お道具も庵主さんが由緒ある珍しいものをとりそろえ、ご説明もたっぷりと、薄茶席ですが京都風に二服点で、しっかりと初釜の情緒を味わっていただきました。福引もあり。時は2月1日、添え釜ともなる裏千家席は、2月なら大炉です。こちらでは、何よりも温かさを。緊張をほぐしてゆっくりと過ごして頂こうという趣旨で、筒茶碗のお茶を運びました。先輩友人社中の方から筒茶碗をお借りしたら、楽・萩・唐津・大樋・色絵など、水屋で見てるだけでも楽しい茶碗が集まり、席中でも楽しんでいただけました。隣の部屋を前席として、お菓子「きんとん“下萌え”」を召し上がっていただきました。このきんとん、漂白などせず、色はオフホワイト、まぜものなどなくとてもお味はいいのですが、一つ一つおなじみのプラスチックケースに入っていました。ちょっと大きめだったのか、中で動いたのか、きんとんのつんつんしたのが丸まって、やや優しい感じになって盛り付けてありました。「羊でしょうか」「焼売???」・・・・・これがお客さまからの言葉・・・・・。楊枝で割って、薄緑の餡が見えて、そこで初めて下萌えとわかっていただいたようです。が、これも愛嬌。床には、「紅爐一點雪」。碧巌録の禅の奥義に迫る難しい解釈からまったくの具体的な受け取り方まで、いろいろと楽しめる一行ですが・・・。3席目にお点前をなさった方、置き水指に水を次いだ帰り、茶道口で振り向いた途端に、水次薬缶から真っ白な茶巾がポトリ。控えていた私は、思わず声に出してしまいました・・・「こうろいってんのゆき」・・・・・。席中のお客様の優しい笑い声で救われた一席でした。
2015年02月26日
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ご無沙汰いたしておりました。今更ですが、昨年の出来事を振り返ってみました。1月 C先生の稽古初釜、Yさん宅初釜、社中稽古初釜、 社中稽古2回、同窓会茶道クラブ初釜、Z先生の稽古初釜2月 茶会大炉席担当、社中稽古4回、同窓会茶道クラブ稽古、 Z先生稽古、C先生稽古、ゼミ。3月 席持ちはなかったけど、淡交会研究会あり。4月 国立博物館「栄西と建仁寺展」なんと3回も行きました。 先輩のお席持ちで畠山記念館茶会へ。5月 時節柄、茶事・茶会数件参加。6月 月末、2泊3日で社中友人12名と恒例の花月合宿。7月 ゼミの当番で、「軸荘」大研究、社中でも。8月 お盆の時期を除いていつも通り、 10月の席持ちに向けて野点組の稽古を始める。9月 淡交会やらゼミやら。国博「故宮博物院展」・ 上野の森「北斎展」・上野動物園も行っていました。10月 月釜で席持ち、山下甫斉さんの「花鳥風月」野点組で。 茶箱点前を応用してお茶を点てました。 美術の秋! 国博「国宝展」・東京都美「ウフィツィ」・ 西洋美「ホドラー」・三井記念館「東山御物」・ 国立美汐留パナソニックで「キリコ展」も。 月末は先輩席持ちの受付お手伝い。11月 月釜で席持ち、これはZ先生稽古のお仲間と。もっぱら水屋。 晴れた日に、等々力渓谷・千葉の手賀沼散策。 友との語らいは楽しい。ボージョレパーティーもありました。12月 今年2月の大炉席持ちに向けて稽古開始。いろいろありました。毎週の体操教室、パッチワークの集まり、ライブを聴きに行ったり、友人との小旅行、要町の熊谷守一美術館も感激でした。今年も元気に過ごしたいと思っています。
2015年02月05日
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もちろん昨日でははありません。1967または1968年?? WAO!、超・大昔、ですね。 私だって若かったんです!!山岳部かワンダーフォーゲル部かの主催で恵庭岳登山があり、友人に?、多分?、誘われて?、参加したのだと思います。恵庭岳は支笏湖になだれ込むように添う休火山?確か、札幌オリンピックでは、スキー競技の会場になったはず。その日は、10月10日、東京オリンピックを記念した休日、体育の日でした。朝は気持ちよい秋の日、参加者20名ほど。私は、秋の登山にふさわしい恰好で参加していました。登りの途中に、2mほどの鎖が下がっていて、それを懸垂で上って岩の上に上がる、という場所がありました。こんなところがあるなんて聞いてないよ。だれでも山頂まで行けます、が、うたい文句だったはず・・・。文句言っても仕方ない、か弱い腕力を振り絞り・・・、ああ、みじめなことに、下からお尻を押し上げられて・・・、ようやく岩の上にたどり着き、腹ばいました。情けなさにうっすらと曇る視界に白いもの。雪がちらちらと私の手の甲に落ちてきました・・・。恵庭岳の、その年の初雪でした。今、東京に住んでいるとはいえ、10月10日は、あの日が私の季節の節目なのに・・・、この暑さはなんなのでしょう。
2013年10月11日
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なぜかこんな気のするこの頃です。第一の人生は、自分という自覚が芽生えた小学校五年の頃から。第二の人生は、とりあえず結婚してから。今回は、自分の意志で身体を整え、これからも意欲を持って生きていこうという気持ち。八月末に、両股関節の人工関節置換手術を受けました。経過は順調、信頼する先生の言葉に力づけられ、何の心配もしていません。お茶の稽古に備え、正座もできるようになり、あとは立居の筋力アップが課題。頑張ります、なんたって私自身の身体、思うように動きたい!!今年もあのあと、二月の大炉の茶会、四月の小間の濃茶席などを担当し、五月からは、茶会の稽古で何かとおろそかになりがちだった風炉の点前に精出しました。十月、中置の季節です。明後日10日から社中の稽古再開。今日はその前準備?? W先生の稽古に、見学で参加させていただきました。真の炭、大円の真、中置濃茶、あまりよろしくないけど中置のまま茶碗荘・茶筅荘、後炭もいれて、常据に替え棚にて貴人清次薄茶花月に四畳半花月・・・・・・盛り沢山です。お茶の時間を過ごすうちに、体もすっきり、頭もすっきり?? お茶への元気が戻りました。朝、庵主さんが「来年二月の大炉、お願いしたいと思って…」。さっそく、また新しい目標ができました。第三の人生を歩きだしましょう。
2013年10月08日
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1月10日 大炉の稽古を兼ねて社中の初釜。 花びら餅と重ね茶碗の濃茶で新年を祝いました。1月11日 C先生の灰型研究会。 花月札で、初炭手前・嶋台茶碗の濃茶の用意と片付けの役を決め、あたった方がそれぞれ お点前。先生が濃茶を練ってくださいました。お菓子はもちろん縁高の花びら餅。 大徳寺重の祝い膳をいただいた後、各服点の平花月、物足りなくてさらに濃茶付花月。 新年から十分なお稽古です。1月13日 Yさんのお宅での新年茶会。待合で汲み出しをいただき、本席でお薄一服、お菓子は丹頂 でした。鶴をかたどった練り切り、新鮮でした。そのあと、手作りの祝い膳、料理上手な お友達がいらしてうらやましい。5年ほど続く個人宅の新年茶会ですが、毎年グレードア ップしている感じで、続けることが力となることがわかります。1月14日 友人の社中の初釜に招かれました。結び柳の床に「松樹千年翠」の一行。手作りの懐石は たっぷりで、花びら餅をいただき、後入りは隣の台目席。細かいあられで姥口瓢型尾垂 と、いくつもの“素敵”を取り込んだ釜の湯で嶋台濃茶をいただきました。床には蓬莱飾 り、鼠志野掛花入にマンサクと西王母。一分の隙もありません。薄茶はもとの八畳にもど って、社中の方が順番にお点前なさいました。 さて、桃源郷に遊ぶうちに、外では雪が降り積もり、閑静な住宅街は15センチの雪で埋 もれていました。 帰りは4時間かけてJRとバスで帰宅。翌々日、車を取りに。忘れられないお茶事です。
2013年01月19日
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あけましておめでとうございます。遅くなりました。もう五日です。申し訳ありません。昨年末は、夫の整形外科関連の痛みの訴えに付き合わされて、ちっとも年末年始の準備がはかどらず、普段の日々の連続で新年を迎えてしまいました。挙句、大みそかに帰宅した末娘は、少しも当てにならず、元旦から荒川でウェイクボード。 寒波の中、水をかぶっていました。二日、我が家の新年会。子・孫と三代で新年を祝いました。食いしん坊一家ですから、作るものは作り食べるものは食べる。例年の変わらぬ料理ですが、手作りだから毎年味付けに変化あり、はは、新鮮。私はおいしかったけど・・・。夕方にすき焼きでさっぱりとお腹を満たし、我が家のお正月は終わりました。孫も大きくなると塾やら習い事やら。ゆっくりした時間はわずかなようです。ま、何十年か前は、私もそんな時を過ごしてきたのかな。子や孫にとっても、また世界中の方たちにとっても、よき一年でありますように。
2013年01月05日
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すっかりご無沙汰いたしておりました。パソコンを変え、携帯をスマホにしたら、それだけで日々の操作の煩雑さに追われ、ブログを書くまでの余力なし・・・世の流れについていくのは容易ではありません・・・トホホ。昨日は、夜咄の趣向でとお誘いいただいた、日が落ちて灯りのともる頃席入りのお楽しみ茶会に参加しました。十数年続いたこの茶会も、今回で一区切りとのこと。 一席目の“お話の間”では、初回に戻って、「葉っぱのフレディ」。 お元気な日野原医師は、講演では、ご自作のオペラの音楽に合わせてステップを踏まれるそうですが、長く親しんだ先輩の先生がご本を読んでくださり、その声を通してお話を聞くだけで、なぜか目に涙が・・・。 私の涙腺が緩むのは、「佐野洋子作・100万回生きたたねこ」だけのはずなのに・・・。愛を超えて死を考える・・・・・・。十年の年月は、私にとって、以前より大きなものなのかもしれません。続く薄茶席では、「今度目出度千秋楽」の掛物。今年も終わり、この茶会も終わりかと、揺らめく手燭の灯り中、流し点による筒茶碗の薄茶をいただきました。躙り口から入った長四畳小間濃茶席。掛物にはお話によると、利休金印が押してある。明治のころに出てきた利休の“納屋”印とのこと。 夜目遠目で細かくはわかりませんでしたが、まあまあお茶をいただきましょうとの意味とのことで、これにて一段落、また新しくお茶を楽しむ機会を作りましょう、としめくくられました。席を移してお楽しみ点心席。いつもながらの、さらにお心入れを感じる、庵主様お手作りの品々。山海の旬の素材を身近な季節の姿に変身させて、たっぷりと吹き寄せ、炊き合わせは温かく、煮物碗は柚子の香り豊かな一品。一献は美酒八海山。 車で行ってちょっと残念でした。鬼が笑っているでしょうが、来年二月に大炉で茶席を持ちます。このところ三年続きですが、すでに12月初めからお稽古に励んでいます。いつかのように大雪にならなければいいけど。またご報告いたしましょう。
2012年12月14日
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JR横須賀線に乗っていた時のこと、新川崎駅のあたりで、すぐ横を新幹線が通り過ぎて行くのにびっくりした当時4歳の長男が、 「お母さん、新幹線が “まとなり” を走っていくよ」と、目を丸くして言いました。 ・・・ま・と・な・り・?・・・先日、NHKの番組紹介で、女優さんが沖縄の海の豊かさを話していました。そのなかで、 「走る船の “まとなり” を、たくさんのイルカが泳ぐんです」と、目をきらきらさせて話していました。 (私の聞き違いでしたらごめんなさい) ・・・新しい言葉はこうして生まれるのでしょうか。ついでに話してしまうと、長男は同じ4歳の頃、 “まったて” 、と言ったことがありました。“まよこ” というからには、たてなら “まったて” 。 ・・・素直ないい子です・・・。
2012年07月08日
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いつもの年なら、ちょっとした名所旧跡を回り、美術館で茶道具を鑑賞、お宿は熱海伊豆山と、社中の春の旅行は決まっていました。が、今年はなんと、お宿は同じでも、昨秋の課題、「花月百騎」に挑戦することになりました。宿のご厚意で、宿泊部屋の隣を、稽古の部屋として貸していただいて、しかもその部屋の畳の敷きかたが、八畳の茶室そのまま。 とてもありがたかったです。花月百騎は平花月のみで、道具を変えるなら、お運び・長板・棚や卓を使うとの助言をC先生からいただいていたので、そのように道具も運びました。風炉はさすがに電気を使いましたが、そのほかはいつもの稽古と同じ。C先生がかつてお仲間と正味一日半をかけて、不眠不休で「百騎」をやり遂げた、とおっしゃっていたので、私たちも、二泊三日かけるなら「花月百騎」ができるのではないか、と、内心は思っていたのですが・・・。甘かった・・・。一騎が35分から40分かかった私たち、食事とお風呂の時間を除いて、約14時間かけて17騎。ノートに筆ペンでしたが、記録もしっかり残しました。 二日目の朝に早朝花月を入れれば20騎できたかもしれないけど。何しろ総勢7名で、花月のメンバーは5名。ほとんど続けてメンバーになるので、体力的にも大変でした。へへ、私は一応指導に回ったので立ったり座ったりはなかったのですが、それでも座り続けるのも疲れました。最後の数回、メンバー交代で、ついに私も5人の中に。参加された方々、まことにお疲れ様でした。それでも、経験してよかった、またやりましょう、の声ばかりで、うれしい限りです。「花月百回、おぼろ月」といいますが、“互換の機鋒を子細に看よ”との偈頌の真髄は、限りなく遠くにありました。また訪ねていかなければなりません。
2012年07月08日
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この、すっぱい飴は、運転の必需品で、いつも私の飴袋に入っています。さて・・・。長男夫婦に、待望の第一子ができたという朗報に喜んだ友人は、お嫁さんが悪阻で苦労していると聞き、電話で話したうえで、家伝の塩のきいたすっぱい梅干を送ることにしたそうです。しかし、梅干だけではあまりに愛想もなかろうと、すっぱい梅干飴でもと思い、この飴を見つけました。が、よくよく見たら、“ お・と・こ・う・め ” Oh my God!!こんなことはとても言えないと、家伝の梅干だけにしたそうな。
2012年06月16日
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この春体調不良で静養されていたイエルク・デムスさんが来日されて、光が丘美術館での演奏会が実現しました。 ふだんは美術館として使われている空間がその会場。 四曲の大きな花を描いた金屏風二双の前にベーゼンドルファーが置かれていました。今年84歳の巨匠、お年相応にゆっくりとした足取りで登場。 木管の響きを含んだウィーンのピアノの音を奏でてくださいました。ソナタばかりのプログラムでしたが、アンコールのシューベルト“楽興の時”などの小品は、素晴らしかった。 デムスさんのピアノは、やはり小品に音の美しさや優しさが光ると思いました。ここのベーゼンドルファーは、オーストリア建国一千年を記念して世界で12台のみ製作したモデルのピアノ。 日本ではこの一台のみとか。 デムスさんとバトゥラ・スコダさんのサインがありました。モーツァルトの幻想曲はまさしく“まぼろし”に終わったけど、白髪のデムスさんの演奏は今の私に心地よい余韻を残してくれました。 これからもお元気で!!
2011年12月04日
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半年前の旅行。 スロベニアのポストイナ鍾乳洞で出会ったサラマンダはとても印象深く、いまでも土産のぬいぐるみを眺めながら、「生体保護のために、半年毎に、展示しているサラマンダを交換している、と書いてあったけど、あのときのサラマンダは洞窟に返されたのかな」、などと思うことがあります。先日、NHKBSで『びっくり地底大冒険~不思議の国・スロベニア~』と題して、鍾乳洞の成り立ちや棲息する生物の紹介がありました。もちろんサラマンダ=プロテウスも!!サラマンダ、は、スロベニア語、かも知れませんが、英語では、プロテウス、というらしく、旅行中にもらったパンフレットの英語版にも確かに、“Proteus”と書いてありました。スロベニア・クロアチアあたりの石灰岩のカルスト台地は、3億2千万年前、旧大陸が移動して今の地形になるときに、珊瑚や貝や深海生物の死骸が堆積した厚さ2000から3000メートルの海底が隆起してできたもの。 雨水に侵食されやすく、浸み込んだ雨が地下河川を作り、その水が現在のような、たくさんのの鍾乳洞を形成したそうです。 それはいまから1億年前のこと。ポストイナ鍾乳洞は、10万年ほどの歴史があると聞きました。 鍾乳石は、10年で1ミリ、100年で1センチ、100年で10センチ、1000年で1メートル、一万年で10メートル・・・。見学できた鍾乳洞の、あの高さ、あの広さは、確かに10万年以上かかっているでしょう。プロテウスは、ヴェリコ・オケンツェ洞窟というところで撮影されていました。水中をひらひらと泳ぐ、優雅なその姿。 私が見た、サラマンダ博物館の展示水槽の中の姿とは違って、自由に、思うがままに生きているよう。 うれしくなりました。プロテウスは、両生類、イモリの仲間。 独自に進化したエビなど、餌となる生物の少ない環境で、餌のないまま6年も生き続けた記録があるとか。 寿命はなんと100年。 10数年に一回、一度に50~60個の卵を石に産みつけるが、無事孵化し成長するのは数匹とのこと。 現在、20箇所で観察できるが、その生息数は全部で1000匹ほど、とのこと。 孵化直後は眼があり身体には黒い斑点がありますが、数ヶ月で白く変化。 900万年生きてきた間に、不必要な機能を退化させ、エネルギーの節約から、流線型の頭部・短い脚を持つ、“退行進化”をしたとのこと。 頭部は映像で見るとまるで新幹線。 前脚は三つ指、後足は二つ指です。 ぬいぐるみの脚もよく見たら分かれていた!!ポストイナの鍾乳洞の地下のピヴカ川が、他の鍾乳洞や地下河川とつながり、カルスト台地の下、地下深い水辺に、プロテウスが息づいていることを思うと、心が温かくなります。 大きな環境の変化がないことを祈りつつ、静かに平和に繁栄して欲しいと思っています。
2011年11月29日
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大阪在住の、六代川端近左さんの作品展示会があって、最終日にはご本人が亭主を勤めての薄茶席がありました。掛物は、『一以貫之』、いつをもってこれをつらぬく、大徳寺430世大徹和尚筆。花入れは、実際に漆掻きに使われた桶に、多少手を入れて漆も塗り、花入れにしたと説明がありました。 木の皮をまいて底板を入れて作られたもの。 蔦の紅葉にアケビのつる、白花がそえてありました。香合は、小さな染付けの漆桶、古いもののようです。金地桐の絵の風炉先は組み立て式で、長板ほどの箱に収めることができるそう。釜は、角谷一圭の兎釜、兎のかん付と釜の丸さが印象的、釜肌も一圭ならではのおだやかさ。炉縁は掻き合せに波の絵。 うさぎ年にちなんで、『波うさぎ』の趣向とのことでした。棚は、溜め塗り四方棚、水指は真葛の染付けで蜜柑型。そして、正客に出されたのは、なんと了入の黒茶碗。 次客には、紀州葵窯永楽作の金彩福寿茶碗。 高台横には、なんと、『河濱支流』の印が・・・。 見込みには、『福南風如寿東海似』、ふくは南風のごとし・じゅは東海ににる。三客からにも黄伊羅保など素敵な茶碗の数々。さらに二服目のお茶が真葛の数茶碗ではこばれました。法隆寺御物の華文をかたどった螺鈿入り漆の食籠、溜め塗りの干菓子器。 お菓子は大阪から。建水は浄益、蓋置は永楽の緑色のつくね。大きな青貝で紅葉をちりばめた大棗、茶杓は、銘『初時雨』。圧巻は、料紙の上の硯箱。 15年間、様子を見ながら乾燥させた直径15センチほどの蔦の輪切りを、黒漆に銀の縁取りで硯箱とし、中にはうさぎのついた丸い硯、平目の金蒔絵を施した二本の短めの筆、金彩の墨、そして多分水滴(残念なことに水滴が思い出せない・・・)この硯箱と、前出の花入れがご当代の作品、他の漆の道具と茶杓は先代および歴代の作品。そして今日のお道具のすべてに、歴代表千家お家元の箱書・花押がありました!!
2011年11月25日
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しばらくご無沙汰してしまいました。 実は、数日前更新をしていたのですが、カーソルの位置が悪かったのか、あっという間に消えてしまいました。 がっかり。 で、今日、また書きます。 元通りには書けないけど。11月2日 炉開きふくべの炭斗で私が初炭を入れました。 懐石は、社中の方々の手作りの品々を折敷に盛り合わせ、椀物は不室屋の季節のお汁で。八寸燗鍋は略式ですませ、亥の子餅をいただいて後座へ。 濃茶、薄茶はすでに炉点前のお稽古。 時間の許す限り、お茶を点てていただきました。蓼科旅行その後の数日は、友人の山荘・蓼科で過ごしました。初日は高千穂高原・白樺群生地・自然園・白駒池の散策。 二日目は松本城見学と民芸運動の余韻を感じつつ店めぐり。 三日目は雨で終日パッチワーク。 次の日、諏訪大社下社秋宮へ。かねてより懸案の、宝物殿横の梶の木をしっかり見てきました。 梶の木に雌雄があること、初めて知りました!!11月9日 灰型教室午前中は各自灰型を2・3種造り、先生に直していただきつつ、いろいろなお話を・・・。炉にて炭付花月のあと、濃茶付花月で各服点て・・・だったかしら。旅行疲れの残る、翌日の、お茶の稽古は厳しいです。11月11日来る二月には、またもや大炉でお茶席を持つことになったので、開けていただいた大炉で、勉強しました。 五徳、雪輪瓦の位置、炉灰の掻き上げ具合など、一年経つと新鮮です。初炭の後、まずは薄茶点前を繰り返しやってみました。経験者でも、改めての課題が山積。 二月まで三ヶ月間の稽古の成果に期待しましょう。11月12日 家族写真結婚以来、5年ごとに家族写真を撮っています。ふたごちゃんが生まれて、今年は12人で記念撮影。今までは大人にも視線や顔の向きに注文がきましたが、今回は小さい子どもの注意を引くのに精一杯なのか、五人がかりの写真屋さん、ぬいぐるみと鳴り物担当で大変です。みんなちゃんと前を向いて写っているかな?11月16日 川端近左さんの展示会しっかりと塗られた茶道具の数々。 様々な棗が並びます。う~む、すてきだけど、やはりお値段が・・・。銘々皿をいただくことにしました。大炉の茶会で使えるかなあ。函南在住の画家杉山光子さん知人の高校時代の同級生とのことで、素敵な画家の方のおうちを訪ねました。11月いっぱいは、沼津市の、沼津御用邸記念公園で展示があります。12月中頃から1月いっぱいは、新作を含め、静岡市の静信ギャラリーで。ご主人は木工の製作をなさる方とかで、アトリエは木の香りに包まれていました。描かれた絵は、それは沢山。 壁にも床にも額があります。湧き出る思いを作品にしている、そんな自由さを感じました。白黒になるペン画は絶品です。明日は、ちょっとした集まりに関根彰良さんたちが演奏するので、聴きに行きます。
2011年11月18日
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風炉の時季最後の稽古となったので、大板の中置で稽古しました。初炭手前で炭を入れ、濃茶付花月を二回。 後炭手前で火力を整え、雪月花の式に挑戦。炭も、濃茶も、薄茶も、花月も、盛りだくさんで皆さんちょっとお疲れ???棚を置けず、お運びだったのもたいへんな勉強でした。来週からは炉の点前。気分も新たに励みましょう。
2011年10月26日
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一ヶ月ほど前から二人の娘に、お母さん、三人で女子会しようよ、と誘われて、夫を家に残し、東京駅で待ち合わせ、丸ビルや新丸ビルをぶらぶらしました。次女は独身ですが、長女は小学生三人の母親。 日曜日に子供を置いて出歩いていいものかとちょっぴり心配しましたが、夫もいるし隣にばあば(お姑さん)もいるから大丈夫、とか。日頃から大変お世話になっており、感謝しているのですが、まったく時代は変わったものです。買い物し、お昼を食べ、また買い物。 女冥利です。 私もつい、からし色のスカーフを買ってしまいました。昼食は三菱一号館、たまたま“たまさか”でお弁当。 デザートにはそれぞれ違うメニューを選びました。ティラミス、抹茶プリン、私は最中。 椿皿にのった、甘さ控えめの最中が一番人気でした。
2011年10月25日
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利休好みの旅箪笥。もともとは秀吉の小田原攻めに同行した利休が、そこここと毎日移動する陣中で、秀吉の茶の求めに素早く応ずるために考案した、持ち運び自在の箱型の棚、です。以前から社中の方が、うちにあるので使ってみましょうと話していらしたので、今日は持参していただいて、初炭・濃茶・後炭・薄茶と、茶事の順で稽古しました。うん、なかなか面白かったです。薄茶では、拝見後中棚に棗を荘り、けんどん(箱前面の戸)を閉めるのと、中棚に棗と茶碗を荘る総荘と、稽古しました。水指は浅目のを使ったつもりでしたが、半出しでもこれでは柄杓の出し入れが厳しく、も少し浅くて口の広がっているものを用意しようと思いました。今日は風炉でしたが、炉になると旅箪笥が点前座の中央に来るので、広々として、よりふさわしいかも。来春の野遊びの会では、外で! 芝点で! お客様をお迎えしたいと社中から声が上がりました。 すばらしい!! 社中の方々の求道精神は、確実に私を追い越していっています!!写真は、今日の茶花、ホトトギスやワレモコウなど。
2011年10月19日
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明神千夏さんのピアノに、滝沢ミナコさんのフルートと関根彰良さんのギターで、ジャズとボサノバのライブがありました。 写真は、美女お二人で。明神千夏さんの10年来のファンがカウンターにずらりと並んでいて、久しぶりのライブなのにすっかり盛り上がっていました。 奏者が替わるたびにすかさず大きな拍手。 ジャズの阿佐ヶ谷で、ジャズライブハウスを銘打ったKLAVIERの面目躍如です。 一杯のジンライムとともに、初めての私もその雰囲気に飲み込まれました。KLAVIERのご主人は芸大卒業の声楽家とか。 お店のつくりは簡素でシック。 深いチーク材の色。 まっすぐ伸びたカウンターバー、グランドピアノを中心にすえたステージと共になんとなくクラシック音楽をも感じます。 ご主人のピアノと歌も、今度聴きたい。 金・土曜日はライブの日、ジャズに限らず、様々な音楽を楽しめるそうです。
2011年10月19日
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実家に弟一家が引っ越してくれて、一人暮らしの父の生活に不安がなくなり、しばらく無沙汰していましたが、今日、弟も在宅とのことで、久しぶりに行ってきました。父は前より顔色もよく、つやつや。 持参した昼食、弟よりたくさん食べたのではないかな。満腹中枢が働かなくなっているのではないかと、弟は笑っていましたが・・・。爪がうまく切れないというので、手と足のつめを整えました。 父はまだよく散歩しますが、たくさん歩かない人は、いわゆる巻爪になりやすいとのことで、老人の足の爪は、原則真っ直ぐ切ります。 父は右手右足に梗塞の不自由があり、自分ではうまく切れないのでしょう。 以前から爪切りは私の必須の仕事でした。 続いて今日は、鼻毛を切ってくれ、と言われました。 私の人生で初めてのこと。 父は、三種類の小さなハサミを洗面所から持ってきて、どれを使ってもいいよ、と言っています。 でも危なそう。 ゆっくりと慎重にハサミを動かしました。ほんの1・2分のことで、父のいつも気のなっていたことが解決してくれれば、うれしい。でもいままでなかったことなので、不審に思ったのですが、しばらくして、この頃左手がしびれているんだよ、と。 だから鼻毛、自分では切れなくなったのね。 身だしなみに気が回るうちはまだ安心です。 しかしながら、老化はいつの間にか進んでいるのですね。92歳になる父、庭の石榴が今年はたった一つなんだよ、でももう持っていっていいよ、といいました。 今年は台風で小さな実が落ちてしまったのでしょう。 たった一つの立派な石榴、もうしばらく鑑賞してください。 おとうさん。
2011年10月13日
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先月は台風直撃の日に当たって、車での移動を、家人があまりに心配するので、月一回の稽古なのにお休みしてしまい、とても残念でした。八月から新しく二人の方が参加されていて、今日の欠席者はなし。午前中の灰形の稽古は、二文字押し切り、丸灰、向山、遠山など、各自学びたい灰形に挑戦。入ったばかりの方は、灰と灰匙に慣れるための、“灰の平点前”に懸命です。C先生は、残月の間に広がる私たちの作る灰形を、ひとりづつ、二回も直してくださいました。 また友人と、藁灰を入れた風炉でお茶事を楽しみたいという方の、五行棚に入れる土風炉の灰作りも。 その間に、自ら水屋に入られて、床を掛け、茶室の建物を一回りして、野の花を集め、籠に入れてくださいました。 廻り灰~初炭~濃茶でお茶をいただき、その後“雪月花”。 私は、雪でお菓子をいただき、最後、仕舞花となりました。 月が二回当たった方、花が二回当たった方、雪が当たらずお菓子を食べそびれた方、さまざまでした。 今度社中でも楽しんでみましょう。
2011年10月12日
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千葉市の土気にあるホキ美術館に行ってきました。昨秋開館、様々なところで取り上げられて人気は上々と聞いていました。早めに出たため、開館時間の30分前に着いてしまいましたが、すでに3台の車が停まっていて、しかも次々と駐車場に入ってきます。 開館時には100人近い行列ができました。“静物と風景画展”がテーマの最初の展示室、正面の、動いているようなロブスターの絵に足を止められ、誰もが同じ衝撃を受けるのか、この入り口がとても込み合いました。どの絵にも今までにない驚きを覚えました。 細かい描写に感心しましたが、写実絵画とはいっても心象を感じるものもあり、いろいろ楽しめました。 入場料以上の感動と収穫あり。 また行きたいところです。たっぷり見てちょっと疲れて一時間半。帰途、サービスエリアで海鮮丼を食べ、五時間の美術の旅は終わり。なのに夫は五味文彦さんの絵が欲しいと言い出しました。 美術館に行くと、すぐこれです。 原資はどこに? 困ったものです。
2011年10月10日
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ゴーヤって、畑か、あるいはベランダ園芸でもプランターや植木鉢で、少なくとも屋外で育てるものと思っていたのですが、先日知人の家の室内の植木鉢で、こんな風になっていました。びっくりです。ゴーヤの長さは、とがったところを測って10センチ。これ以外に3つほど、花をつけたままで1センチの実ができていました。以前、ゴーヤを育てているのよと、話では聞いていたのですが、ベランダで栽培しているものとばかり思い込んでいました。まさか室内で育てているなんて。そのときの約束で、ゴーヤがなったら半分くれるということだったのですが、はて???。
2011年10月10日
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今年の春からご案内いただいていたYさん宅の茶事に、ようやく伺うことができました。社中の方もご一緒に、ということだったのですが、なかなかお互いの予定がそろわず、しかも今夏の猛暑。 九月に入ってやっと五日と決めることができました。 それでも、日本画をなさる方が展覧会の連続で欠席。 残念なことでした。Yさんからは今回のテーマは“鵜飼”、10月15日まで行われるので、と、こっそり聞いていたのですが、お彼岸後の冷たい空気に押され、テーマ変更、初入の床は、 『話尽山雲海月情』秋の一日、皆さんと季節の移ろいをいろいろお話いたしましょう、と年代の鉄切掛風炉が中置にしつらえてありました。待合には、『山色夕陽時』。 濃茶の銘が『喜雲』。 香合は波千鳥の蒔絵で『海』。 お手製のお菓子、きんとんの銘が『今宵の月』。赤茶碗を“木守り”の写しに見立て、南部鉄の釣花入れは三日月型、山芋のつるが黄葉をふくんでさがりねじめにホトトギスともう一枝(名前失念)、秋の野が再現されます。侘びの趣向は、待合の汲み出しから。 鉄瓶がのっているひびりの紅鉢には、なにやら柔らかく細かくふわふわした藁灰が敷いてあります。 席中で伺うと、なんと稲穂の蒸し焼きとか。 ストロー状の藁より燃えやすいので、ほんのり白く灰になった部分もあり、とてもすてきでした。 枝炭のクッションになっているもみ殻も、もみ殻灰とし、藁灰と同じように使いますが、それよりやさしく、とても風情を感じます。懐石も定法どおり、時候の松茸の入った煮物椀、八寸には近くのお寺の銀杏、と、心のこもった品々をいただきました。お宅の周りは、一方は杉木立、もう一方は広葉樹林で、雨にぬれた木々の葉が茶室の窓のすぐそばに。 茶事の間激しく降った雨はしっかりと秋を告げて、『話尽す』を深めてくれました。
2011年10月06日
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高校音楽部で一緒だった私たち三人。♪~わかきかみがみ~きみとぼく、わたしとあなた~♪NHK合唱コンクール課題曲を一緒に歌った仲間です。三人ともが二年生の一学期で転校、ばらばらになったのですが、音楽部のつながりは固く、毎年宮崎先生を囲んで同窓会が開かれていましたので、時々参加していました。 先生が亡くなって、しばらく会う機会がなかったのですが、大分に住む友人が上京するというので、もう一人にも声をかけ、数年ぶりに会いました。大分の友人は、視覚や聴覚に障害のある方や高齢者のために、音声ガイドや字幕の入った映画、『バリアフリー映画』を上映する活動をしています。メールのやり取りで知ってはいたのですが、話を聞くといろいろと困難や悩みがあるようで、それでも積極的にお役所と掛け合ったり、企業とつながりを築いていったり、各県の同じ活動をしている人たちと連携してより良い作品を上映するために奔走したりと、高校時代と同じように熱く行動する様子に感動しました。 音大でピアノを専攻したのに、「ピアノはもう部屋の隅の埃の中よ」と明るく話す彼女を見ると、人っていつまでもより良く成長?するんだなあと、妙に納得してしまいました。 写真の、右の白い紙は、彼女が打った点字の案内。 最近はご主人にも活動に協力してもらっているそうです。もう一人は中学も一緒だった人。 40年近く某国立大学に奉職、物理とかレーザー光線研究とかの教授です。 来年四月には晴れの退職。 現在の諸事はすべて四月に収斂していくそうな。二人ともすごい、刺激を受けました。でも共通の悩みは、退職後の夫婦二人の毎日の生活。濡れ落ち葉になるのは三人のうち誰の夫か。
2011年09月30日
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近所の親しい方たちと、ミステリーツアーなるものに行ってきました。バスに乗り、千住大橋から川口線、左折して外環道から関越道へ。上里SAのトイレ休憩でもまだ行き先不明。そのうち左折して上信越道に入ったので、軽井沢かなという声が車内に。案の定、碓氷軽井沢ICで高速を下り、北軽井沢方面に向かっていました。昼前に到着したのは、とあるリゾートホテル。ここでランチ。そのあとは、万座ハイウェイを走って、草津白根山に着きました。有毒ガスが発生しているとかで、お釜へは行けず、弓池を散策。ななかまどに山鳩がとまっていました。後ろ向きだけど、パチリ。草津温泉に下って、湯畑の横で足湯を使い、温泉卵と揚げ饅頭を食べ、お土産を買ってひと休み。一般道を走って渋川まで。道の駅こもちに立ち寄り、蒟蒻や椎茸を買い、渋川伊香保ICから関越道に乗り、帰京しました。それなりに楽しかったけど、どこまで行くのかわからない時間を過ごすより、目的地の決まっている旅のほうが安心できるかな。今回は旅の記録をまとめてみました。
2011年09月30日
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9月10日土曜日、関根彰良トリオライブがありました。20時から2ステージ、アンコールも含めて12曲。マイケル・JやロックバンドTOTOのカバー、デューク・エリントン、ハービー・ハンコックのジャズ曲、今回発売のCDから何曲か。ライブは同じ曲でも毎回アレンジが変わり、濃密になっていくのが楽しい。ユニコーンの『自転車泥棒』は、ジャズにするとこんな風になるのかと、びっくりしたけど、高橋佳輝さんのベースがとてもすてき。 今夜もまた進化してたまらない。 ハービー・Hではドラムの福森康さんがまさに独壇場で、すばらしかった。 CDではおとなし目でしたから。 もちろん関根彰良さんも燃えていて、こじんまりした店内は主客一体となって行き交う音を楽しんだ次第。息遣いが伝わるような距離は緊張感もあり、また相手を受け入れざるを得ない。待庵を連想しました。六本木の角から高速道路に沿って溜池方面に3分、落ち着いた雰囲気のお店です。月三回ほど土曜日にライブをするほかは美味しいお料理とお酒を楽しめるところ。夕方から深夜28時(午前四時)まで営業とはさすが六本木です。ライブがなくても素敵な時間を過ごせそう。
2011年09月11日
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