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明治42年鹿児島の大崎町から12Km位のところの野方というところに親戚の結婚式に、自転車に乗って行きました。ほろ酔い気分で、半分位帰ってくると日は暮れて暗い道のりで、家も一軒もない山道です。すると河童がでてきて、相撲を取ろうと寄ってきました。勝ったら荷台に積んでいるものをいただきたいと言われたので、かまぼこと赤班、鯛や御馳走取られてたまらないからと思い、相撲を取っていました。気がつくと夜が明けて、荷台の御馳走は全部取られていました。家に帰るとおお熱を出して3日寝込みました。わき腹が痛いので良く見ると15Cmの針が刺さっていましたそれを抜くと熱も下がり元気になり病気もせずに94歳まで元気に暮らしました。それを河童の毛だと言っていますが、金属の針でした。今もその針は存在します
2010.12.24
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母と河童を捕まえたおじさんから聞きました。昭和5年8月17日義雄おじさんが神崎河で子供たちがしりこだまを、抜かれて良く死にました。これはキャトルミュティングと言って宇宙人が牛の内臓を肛門から切り取って持っていくことです。この時代は多くの宇宙人が来ていた時代です。神崎河の土手の杭の上に座っていた子カッパを捕まえて縄で縛って村に持ってきたのです、母も子供ながら初めて河童をみたのでした。おじ様が河童汁にして食べると言われていたら河童が二度としませんからゆるしてくださいと懇願するので子供たちのしりこだまを抜かないと約束したので、縄を解いてにがしてやりました。何度も振り返りお礼を言われてさっていきましたと言われました。
2010.12.23
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