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ゆり太郎パパ

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June 4, 2008
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カテゴリ: カテゴリ未分類
出張に出て以来、約1週間が経過した。

なんか面白い紀行文を書こうかとも思っていたが、毎晩夜10~11時くらいに部屋に戻って
パソコンで仕事をし、報告書を書き、そして時には部屋で洗濯をしている状況では、書く
余裕は無い。

ましてや、毎日会社に報告をかいてメールしているので、その後にブログというのも気分が
乗らないのである。

そんな日々ではあるが、先日現地の代理店と地中海が見える海辺のシーフードレストランで
食事をした。

umi

写真では上手く伝えづらいが、地中海の青は深く、その上を白い帆を上げて走るヨットは


このレストランは、食材を客が選び、調理してもらうシステム。お約束のイカも出てきた。
あおりとヤリイカの中間みたいな感じであった。

いか.JPG

調理して出てきたのは、カラマーリと呼ばれるイカ料理であるが、これが単なる焼きイカで
あった。しかし、オリーブオイルとレモンをかけて食べたその味は。。。やはりイカであった。このカラマリという名前、まるでカラマレッティー。釣り仲間も言っていたが、恐らく
語源はラテン語ではないか。

カラマリ.JPG

食事もそこそこに、やはり釣りたいという衝動が胸を衝く。
外をみれば、釣りをする親父。。。それも腰に軽く手を当てて。

つり人.JPG

実は、私はこの度の出張、タックル持参である。
代理店のギリシャ人に聞けば、港湾内は釣り禁止であるが、外海に向けては可との事。
オランダは免許制なので、不可であったがここギリシャでは出来そうだ。

休日は遺跡巡りもほどほどに釣行を決行する。






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Last updated  June 4, 2008 07:55:34 AM
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※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


聖書預言  
王島将春 さん
はじめまして。福井市在住の王島将春(おうしままさはる)と言います。聖書預言を伝える活動をしています。

間もなく、エゼキエル書38章に書かれている通り、ロシア・トルコ・イラン・スーダン・リビアが、イスラエルを攻撃します。そして、マタイの福音書24章に書かれている通り、世界中からクリスチャンが消えます。その前にキリストに悔い改めてください。ヨハネの黙示録6章から19章を読めば分かりますが、携挙に取り残された後の7年間の患難時代は、苦痛と迫害の時代です。患難時代を経験しなくても良いように、携挙が起きる前に救われてください。 (April 4, 2025 01:23:18 AM)

ginoskoとyada  
王島将春 さん
ゆり太郎パパさんが悔い改めたら、ギリシャ語に詳しいクリスチャンに「ginoskoが使われている御言葉を全て教えてほしいです」と伝えてください。

ギリシャ語に詳しい兄弟姉妹の皆様へ。

シャローム。あなた達に平安がありますように。このたび、あなた達にお願いしたい事があります。ギリシャ語のginosko(経験的知識)が使われている御言葉を全て教えてほしいです。旧約聖書の原語はヘブル語で、ヘブル語ではyada(ヤーダ)というヘブル語がginosko(ギノスコ)と同じ意味を持っています。つまり旧約聖書原語のヘブル語のyadaと、新約聖書原語のギリシャ語のginoskoの御言葉を、全て教えて頂けると幸いです。

yadaが使われている旧約聖書の御言葉は沢山あると思いますが、その中の一例として、創世記4章1節と、エゼキエル書38章23節があります。

『人は、その妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み、「私は、主によって一人の男子を得た」と言った。』(創世記4章1節)

『わたしは、わたしが大いなる者であること、わたしが聖であることを示し、多くの国々の見ている前でわたしを知らせる。そのとき彼らは、わたしが主であることを知る。」』(エゼキエル書38章23節)

そしてginoskoが使われている新約聖書の御言葉も沢山あると思いますが、その中の一例として、ルカ1章34節と、マタイ7章23節があります。

『マリアは御使いに言った。「どうしてそのようなことが起こるのでしょう。私は男の人を知りませんのに。」』(ルカ1章34節)

『しかし、わたしはそのとき、彼らにはっきりと言います。『わたしはおまえたちを全く知らない。不法を行う者たち、わたしから離れて行け。』』(マタイ7章23節)

・・・。

ギリシャ語に詳しい兄弟姉妹の皆様。ギリシャ語に精通しているあなた達の意見をお聞かせ願いたいのですが、ギリシャ語のginoskoという言葉は、クリスチャンにとって極めて重要な概念だと言えませんか。エゼキエル戦争の目的が全人類にyada/ginoskoを得させるためならば、一人一人のクリスチャンがyada/ginoskoという言葉について、しっかりと理解しておく事が重要なのではないかと考えました。いかがでしょうか。

そして、世界で最も有名な御言葉であるヨハネ3章16節には、以下のように書かれています。

『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。』(ヨハネ3章16節)

この素晴らしいヨハネ3章16節の御言葉に書かれている「御子を信じる者」という箇所について、私達一人一人が、信じるとは果たしてどういう事なのかを、しっかりと考えていく必要があると思っています。そして「信じる」という言葉について考える上で、yada/ginoskoという言葉の理解が密接に関係しているように思いました。ギリシャ語に精通している兄弟姉妹の皆様がたは、どう思われますか。yada/ginoskoという言葉は、ヨハネ3章16節の「信じる」と関連していると思われますか。

私達は「御子を信じる」という御言葉を読むと「うん。イエス様を信じてるよ」と簡単に考えてしまいます。しかし、エゼキエル書38章23節を読む時、そんな簡単に解釈して良い御言葉ではないと思えます。エゼキエル書38章に書かれているエゼキエル戦争が起こる最大の理由は「わたしが主であることを知る(yada)」です。それだけでもyadaという言葉は極めて重要な言葉だと言えます。マタイ7章23節でも、イエス様の裁きの基準としてginoskoとしての「知らない(体験的に知らない)」が用いられています。ヨハネ3章16節の理解と繋がっているように感じるのは私だけでしょうか。

話を戻します。兎にも角にも、ginoskoが使われている御言葉を全て教えてくだされば幸いです。日本中のクリスチャン達にも共有・拡散してあげてくださいませ。きっと喜ぶと思います。そういえばヨハネ3章16節の「信じる」のギリシャ語も、何か深い意味があるのだろうか。色々と興味が尽きません。

もしよろしければ宜しくお願いします。

これで筆を置きます。 (April 4, 2025 02:13:54 AM)

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