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■手に入れられるもの手に入れられないもの。どうして、ほしいものがあるんだろうか?どうして、生きる以外にほしいものをもとめるんだろうか?町並みはなには問いかけているんだろうか。植物はどうしてたたずんでいるんだろうか。それは、もう一部だともいえる。もうすべて手に入っているともいえる。だが、渇望する。それがあれば、、あれが手にはいれば、、そんな欲求のもと生きることになる。あなたと、それに違いはない。この世界があなたそのものだからだ。あなたは世界であると同時に自由意志をもっている。世界と一つなのに自由に行動できる部分も持ち合わせている。最初から、もっているのにほしがる。それを手に入れることで何かを思い出すのかもしれない。あなたはそれがほしいのではない。それをもっているとき感じるものがほしいのだ。簡単だ、すでにそこにあるのだから思い出すだけでいい。あなたは世界であり、世界はあなただから。世界にはすべてが存在する。あなたが考えうるすべてがそこにすでに存在している。
2006年03月29日
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■週末に絵を描くワークをやりました。毎回、楽しく、よくなっている感じがしてうれしいです(^^今回はチャレンジ要素が多く、ちょっと難しいことをやってみたんですが、思いのほかうまくいってよかったな~なんて。(参加者のレベルの高さに感謝!)だんだん筆も手に馴染んできて、描くことに余裕もでてきました。(手法的になれても、描いてるときはいっぱいいっぱいですが)こういった何かを作るのはいいですね。無心に何か手を動かすって最近では貴重な気がします。しかし、毎度毎度同じような図柄が出てきますね~。結果的に自分の内面を描くので、共通があるんでしょうけど。だんだん描いた絵もたくさんになってきて、並べてみると同じような表現されたものが必ずでてきます。おもしろいですね~。今回はモデルをたてて描いてみましたが、やっぱりここでも共通するものがあります。図柄や、配色、構図や雰囲気など、不思議な共通点がでてくるのが驚きです。今はいい時期で桜をすこしみてまわれたのでそれもよかったです(^^今週末は本格的に花見のシーズンですね。もっとよくなるように、楽しんでやっていきたいな~と思いました。
2006年03月27日
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■否定でしかいけない場所。肯定からはたどりつけないところがある。肯定はパターンを生み、その堂々巡りをする可能性が高いからだ。どこまでいっても新しいパターンしかない。ようは制限しかない。いい悪いはさておき、そんなもの。今を生きるためには、ありのままの事実をみる必要がある。ありのままの事実をみるためには、制限をはずす、パターンからの脱却が必要だ。パターンからの脱却は、、、否定からしかいけない。疑問といってもいいかもしれない。過去の制限から開放されても、新しいパターンを作ってしまっては、また、そのパターンがどこかで足かせになっていく。ありのままを観れない最大の理由は、パターンを手放せないことにある。中途半端にうまくいっているパターンほど手放しにくい。そして、理論的にそれを完全たらしめることは可能で非の打ち所がない(ようにみえる)。でも、どっかでうまくいかなくなる。パターンに気づくにはいろいろ方法があるが、根深いところはすでに本人と一体になっているかのようなに強固な結びつきがあるため、本人自身では気づけない。ようは前提条件を変えられない。そのため、同じようなところで座礁、葛藤する。まったく制限のない場所。本当の自由とはそういうものをいうのかもしれない。自由は平安と、静けさをうむ。平安や静けさは自由さからしかうまれないかもしれない。
2006年03月24日
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■なんのために生きているのか?生まれてきたものの大きな疑問であるこの議題。最近、一つの結論がでた。そんなんでいいのかね~。人は、生きるために生まれてきた。ただこれだけ。そんなバカな。でもそんだけ。いったい全体なんなんでしょうね~。世の中に本当の安定はなく、ただ、不安定さになれるしかない。不安定ゆえに変化に対応でき、過去にこだわりもしない。人ほど変化に対応できる生き物はいない。寒いところにも、熱いところにも、高いところにも、低いところにも、肉も野菜も食べ生きていく。すさまじい順応性だと思います。ただ、知性の力でかりそめの安定を求める。意識のちからは偉大で、かりそめでも安定を得られる。そして、ある地点から崩壊か、極度のコントロールにおちいる。その結果、あたらしいパターンを作り、また同様に繰り返す。なんてこった、結局不安定という答えしかない。安定をなにに求めるかというのが、世の中の流れ、それは眼に見えるものに代表される『お金や物』そして眼に見えないものに代表される『精神世界』どっちも結局、終着点は安定をもとめているだけか。なんてこった。結局答えは真ん中しかないってことか。眼に見えるものと、見えないもの二つのバランスの真ん中しかない。そこは常に不安定で、バランスをとることしかできない。では、その恩恵はなに?それは、制限がなくなっていくこと。ただ、今をいきるというのにもっとも必要な能力ありのままを見るためにも必要な能力でもただそれだけともいう。なにかの本にかいてあったことを思い出した。弟子:悟りとはなんですか?師匠:一度重荷をすべて降ろして、そして、またその重荷を背負って歩くことだよ
2006年03月22日
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■無限無限という解釈言葉というのは多くの認識による誤解を含むのだな~とおもう。無限というのは広がっている感覚の言葉だが、実際?は点のようなもの。点なのに無限ってどういうことよって感じですが、そんなもんです(^^たぶん宇宙の始まりとかってこんなかんじだったんだろうな~。ビックバンと呼ばれる大爆発の前は宇宙はただの点、でも無限。じゃあ、今の宇宙には無限はないのかっていうとそうでもない。なんにせよ、無限はひろがりのことだけではない。点だけど無限。それが今の解釈だな~。世の中って矛盾だらけなのかもな~。光が波であり、粒であるっていうのも普通信じられないしな~。でも受け入れるしかない事実だし、そんな感じなのかな~。
2006年03月20日
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また、絵を描くワークショップをやりま~す。興味のある方はご参加ください。あなたのハートにふれる絵を描いてみませんか?『オープン ハート ペインティング』●内容このコミュニティでは絵を描くことによってそれぞれの人が内なる経験をすることを目指しています。描きあがった絵がそれぞれの人の内面の活動の結果であることが大切であり、うまい絵を描く必要はありません。アートを学んだ人はいろいろ考えることがあるとおもいます。ですがそれらまなだものをすべて真っ白にして、幼子のように絵を楽しんでもらいたいと思います。絵を描くこと、創作の原点に返ってもらう、そういった楽しさを思い出していただきます。このワークショップの絵というものは、頭で考えたり、作為的に作られたものではありません。作者の本来の内側からでてきたものです。本当に自分自身と向き合って、それが絵に表れたとき正直な絵になります。その正直なものが見るものの心を打ちます。なによりも、あなたの魂の奥底に触れるために描くこと。そのことにより、あなたがリフレッシュされていくのを感じてください。これは、禅などと似ているものです。絵を描くことを通して、あなたに存在する豊かなエネルギーが活性化していきそして、その豊かなエネルギーでもって生活を送っていくことが出来ます。ここで絵を描くことに必要なことは、本当に自分自身と向き合うことです。全身全霊をかけて向き合うことで、さまざまな発見があると思います(^^とまあ、こんなものを目指して試行錯誤しています。まだ、荒削りでワークとまではいかないので、気軽に絵を描くことを楽しんでもらえればと思います。最初なので破格の3,000円でやってます(**)画材込みの値段なので、気軽に参加してください。●詳細・日時:2006/03/26(日) AM10:00~PM16:30・場所:久我山会館・費用:3,000円(画材込みの価格です。)※今後の企画において変更の可能性があるのでその場合はご了承ください。・持ってくるもの:汚れてもいい格好(エプロンなどあれば便利です)※筆や絵の具などの画材等は用意してあるのでお気軽にどうぞ 画材は水彩画(初心者が扱いやすいのでアクリル絵の具)です。・定員:12名(満員になり次第、受付を終了いたします)申し込みはこちらから申し込み お名前、メールアドレス、ご住所(都道府県名より)、電話番号を書き添えの上、送信してください。
2006年03月17日
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■4日ほど伊豆にいってきました。伊豆に行くことが随分昔から計画されていたような感じだったな~。認識→破壊→創造→秩序→認識→破壊みたいな感じだったな~。とても、数日前とは思えないな~。人は、内面の変化が大きいと少し前に起こったことでも遠い昔のように感じるんですね。もう、違う自分になっているので、前の自分がたとえ一日前でも懐かしくも遠くに感じるんですね。内面が変われば、ものの見方、捉え方、考え方が変わるので、文字通りその人にとっての世界が変わる。別に何も変わっちゃいないといえばかわってないんですが。本当に『これがいい』みたいな統合解ってのは存在しないんですね~。人それぞれですね~今の状態は、クリアとも、まどろんでいるとも取りずらい不思議な感じ。新しい自分ってのは良いでも悪いでもない、ならなくてはならないわけでも、なったらいいわけでもなく、ただ変わっていく感じ。こういうものを人は運命と呼んでいるのかもしれないな~必然ではないんだけど、結果的に必然になっていっているような感じか。まあ、一度変わってしまったらもうその認識をなくすことは不可能で、それを踏まえて生きていくしかないしね~。とはいえ変わるというのも正確な表現ではなくて、、全部が変容してしまうわけでもないし、変わるというほど変わってはいないし、今の状態がすべてって感じで、でもそれは常に変化していて、、う~んうまくいえないな~。
2006年03月16日
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■怠けること怠けることは、何もしたくないという感情の表れ。これは、休息とは違う。しかし、見た目は休息と怠けることの境界はないのであいまい。怠けること=悪のような価値観が今の世の中にはある。どんなことをしていようと休息は必要だ。しかし、私たちは休息することがゆるされない。みんなが忙しくしていることを正解だとおもっているから。幸せになるためにみんな努力している。だけれどもその努力とは、自分を忙しくさせることに没頭しているにすぎない。そもそも幸せになりたいとおもっていないのではないだろうか?人は批判されることを恐れる。これは、個人が成功すればするほど、誹謗中傷も激しくなる。どんなことであれ、プラスとマイナスの面は存在する。今を生きることが結果的に、今を幸せに生きていることにほかならない。そもそも幸せかどうかなんて、いちいち考えないほうが幸せでもある。っと話をもどそう。なまけること=めんどくさいと思う心。なぜ、めんどくさいと思うのか?めんどくさいということは、何かの行動や行為をしたくないということ。では、なぜある行動や行為をしたくないのか?それは、そもそも休息が必要だからということでもある。では、休息が必要ないのにそれをしたくないということであれば、なぜ?それをやってもいいという許可を自分にとれない。行動することが自分にとって負担になると思っている。その行為自体がどうでもいい。怠けることが幸せだとおもっている、または感じる。でも、それは他のことで怠けたいのにそれを怠けられない自分を癒せないので、しかたなく、誰にも迷惑のかからない範囲でなまけることになる。これも、一定以上になると他人に迷惑をかけ始める。これはセルフイメージに大きくかかわる。自分を自分がどういう人間だとおもっていることによる。基本的には飽きたことをやりたくない。価値がないと思っていることに対してやりたいくない。という感情が行動にまで移ったときの、理由がめんどくさいということか。ようは、したくないんだね。でも、意図がそこに発生する。なぜ、その状態を望んだのか?まだ、その状態でいたいのか?葛藤が発生する。その葛藤をみないようにすると、、。ただ、罪悪感がのこる。やろうとおもったのに、できていない自分という存在を証明するから。罪悪感を感じたいので、怠けるのか?そもそも怠けることに罪悪感は必要ないが、感じないようにしているだけ?いい怠けと、悪い怠けがあるのか?悪い:ただ、やりたくない。やる気がない。よい:必要、どうでもいい、罪悪感をもたない。あんまり代わり映えはしないか。まじめにやるのは他人の評価が怖いから?やろうと思ったことをやっているのは別にまじめでもなんでもない。意図と実験と思えば、大半のことは説明がつくか。意図が何かを知ることを怠ることが、一番怠けていることなのかも。怠けるとは行動についての言葉だが、大切なのは自分が何を思っていて、何を意図していることに気づいてること。究極的にはここをなまけなければ、怠けているうちにはいらない。では、どうすれば自分の意図をエゴなく気づけるのか?それは、事実を詳細にみるしかない。つまり、今を生きるしかない。このほかのことについて気づくこと、知ったほうがいいものはありますか?感情の動きですね。怠けるというのは感情の動きと大きくかかわります。あなたがたの多くは、感情を軽視しすぎる面があります。怠けているときも感情は大きく動いています。この感情の動きを捉えるときに実際に動いていてはいけません。静かにしている必要があります。それを禅とよんだりします。感情の動きに常に敏感である必要があるんですね。まったく未知なものに進んでいくとき、あなたがたは大きく感情が揺れます。そのゆれは悲観的なものであれ、楽観的なものであれ、大きなものです。ではどうして、怠けようとするのでしょうか?それは、どうしてもその状態にいたいと思うからですね。どんな状態でも怠けるというのは、変化を拒絶しているということです。どんな風に変化するのかわからない、または、変化させたくないと信じているのです。この世で変化しないものはありません。あなたが変化しないなら、あなたの周りが変化するだけです。その、変化に対応できないので、あなたは怠けたくなるのです。思っている以上のスピードで変化しているんですね。その変化についていけなくなったときのひとつの方法がなまけるです。あなたが、なまけたいな~と思うとき、気づいてください。変化についていくのがやだな~と思っている自分がいることに。さあ、まずは考えて見ましょう。どんな結果を望んでいて、そして、どんな結果を導きたいのか?そして、それについて決断してください。やるのか、やらないのか。やると決められたなら、今すぐやればいいのです。あとでやると決めないことです。そういう時はめんどくさいなどの感情とは違う感情です。それはこんど話しましょう。
2006年03月09日
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■花粉やってまいりました、今年も、、。まったく毎年、、。鼻が、、眼が、、。■毎年おもうのですが、花粉が悪いんじゃなくて、花粉についてしまう有害物質(排気ガスやら空気の汚れ)が悪いことしているのではないのでしょうか?もちろん花粉へのアレルギー反応ってのもあるでしょうけれども、よっぽど、それにくっついてくる奴のほうが悪そう、、。本当はどうなのかはわかりませんが、空気がきれいなところがいいですね。鼻水に悩まされる今日この頃です。
2006年03月07日
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■意識をひらく意識を開くとは、自分に対していえる言葉なんですね。何に対して意識的であるか?ということです。すべての出来事を自分の内側の反映として捕らえ、自己の内側を気づいている状態、、それが意識を開いていることなんですね。どんなことをも自己の責任として捕らえることで事実をありのままに見えるのです。意識が開いているとは、ありのままに事実をみれること。そのためにも、外側の出来事を通して内側を見る必要がある。これはけっこうきついです。なぜなら、すべての出来事、それによって起こる内面の感情の起伏や葛藤を自己責任ととらえるからです。なにかの責任にしているほうがよっぽど楽です。他人の、社会のせいにしているほうがはるかに楽です。それをすべて、自己の内側に反映として、自分に問題を返しているんですね。意識を開いているというよりは、つねに自分の状態に気づける様子といったほうがいいかもしれません。これは内側に敏感であるとともに、外側で起こることにも敏感に意識を向けているんですね。そして、ありのままの事実を見るためには必須の感覚です。
2006年03月03日
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■区切りのあいまいさ最近、デザイナーズマンションがもてはやされています。コンクリート仕上げのおしゃれなマンションのこと。ここで面白いことがあります。デザイナーズマンションというのは、デザインされたマンションということです。デザインとは設計のことです。ようは設計されたマンション、、。設計されていないマンションなんてあろうはずもありません。ようは、口当たりのいいことばを使うことで、他と差別化できているのですが、その本質は限りなくあいまいです。どこからがデザイナーズで、どこからがデザイナーズでないのかなんて定義は基本的にできません。人が作ったもので、デザインされていないものなんて何ひとつないからです。人工物である以上、デザインはされているわけですから、すべてデザイナーズマンションともいえるわけです。デザイナーズマンション=他と違っていいものという図式がここでの意味で、実際になにがいいかはそれぞれです。こういった、区切りがあいまいなものは世の中に数限りなく存在します。何をいわんとしているか?が大切なんですね。言葉で正確な定義なんて、本来の意味では不可能です。とまあ、区切りのあいまいなものってのはたくさんあって、マインドコントロールなんかもそうですね。どこまでがそうで、どこまでがそうでないのかは便宜上では決められますが、本来の意味では区切りはありません。まあ、いろいろありますね。
2006年03月02日
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■知性人は知性があるがゆえにパターンを手放せるだけれども、知性ゆえにパターンを求め、そして、他人をもそのパターンにはめようとする。コントロール(=パターンにはめようとする)に気づけばそこには自由意志が発生している。自由ゆえに、明確な意図と自己責任が発生する。そうなるとコントロールはパターンではなく、きっかけのひとつにすぎなくなる。知性の意味たいていの出来事は知性的に理解することができます。知性のもっとも顕著な意味は出来事を理解することです。なぜ、その出来事が起こったのか?なぜ、そのことを解釈する必要があったのか?そんなことを理性は正確に、そして効率よく理解することができます。時間軸をずらしたり、見る角度を変えられるのは知性の力です。知性はただ、その出来事の意味を割り出すために存在します。それは、これから起こることや、これまでに起こったことですら理解する能力があります。ただし、この知性には致命的な部分があります。それは、感情の動きに大きく左右されるところです。感情は感情として理解されなければなりません。知性とは別に理解されるべきものですが、大半は同じと考えられます。オススメとしては別人格として扱うことです。感情、知性、肉体、ハートを別々に理解することが必要となります。これには多くのエネルギーが必要になるので、あきらめないでください。(今までひとつですんでいたのが4倍になる)どこからくるニーズ、理解、欲求なのかをしっかりと理解することが知性をもっとも有効に活用することです。友人が本を出しました!笠岡さんとは楽天日記で知り合った次の日くらいに偶然に実際にお会いしたという超シンクロな関係です。私が行う企画にもいつも的確なアドバイスをいただいていてすごい人です。アマゾンで48位、ビジネス4位ですばらしいことになってます。ぜひ、見てみてください!----------------------------------------------------------------------■飲食店繁盛会 タルイタケシと笠岡はじめの出版記念キャンペーン『繁盛飲食店にする1分間セミナー』 タルイタケシ・笠岡はじめ(著) (同文館出版) 1,470円を、2月27日(月)~2月28日(火)の間に、ママゾンで購入していただけると飲食店繁盛会の新小冊子(PDF版46ページ)をいち早くプレゼントいたします(ダウンロード)。できればこの期間に買ってもらえれば・・ ▼キャンペーン詳細・応募方法はこちら http://www.hanjoukai.com/2006/02/20/ ▼ママゾンでの詳細ページはこちら(こちらから購入できます) http://tinyurl.com/jy9dm ※もちろん、お近くの書店で買っていただけても嬉しいです。----------------------------------------------------------------------
2006年02月28日
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■絵を描く日曜にワークをやりました。いろいろ楽しい発見があってうれしくなりました。何かを作るっていいですね。自分の気づかない部分を無意識に表現するので、自分も含め人の絵を見ることも面白いです(^^ほんとに良いも悪いもないんだな~と感じます。いろんな意見、考え方、生き方、気づきがあるのだな~と感動しました。自己の状態を多角的に発見、気づいていくこと。創作活動を通じて、楽しさや、面白さ、自己を表現していくことを再発見していく。それらが大きなテーマですね。・公開の許可をいただけている方々のアンケートです実際に描いてみて『自分』というものを別の視点から見つめることができた。過去の自分を振り返ることができたし、今の自分に必要な色とか形を見ることができてよかった。もっと、自分を大切にしようと思った。小林 由美(会社員)楽しかったです。久々に自分を表現できて気持ちがすっきりした。今まで気づけなかったことも絵から気づくこともあって楽しかったです。M.A(教師)絵を描くことがこんなに楽しいとは、生きてきてはじめての感覚でした。こういう感覚を取り戻していただいて感謝しています。また、絵についてほめていただいてこれも生まれてはじめての経験でしたのでうれしかったです。H.K(会社員)いろいろ自分の思っていることが絵に出来てよかった!!絵も自分の納得できるものが描けて嬉しかった!!絵の具も、筆も、買いたいと思った。S.S(OL)ありがとうございました。
2006年02月27日
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■絵を描く。週末、絵を描くワークをやるので楽しみです。毎度なんですが、私の主催するワークの参加者は女性が多いですね~。今回は特に顕著です。8割が女性です。こういった絵を描くようなものは若い女性に人気があるんですかね~。いろんなチャレンジ要素が含まれているので、私自身もとても楽しみにしています。■オープン ハート ペインティングでは絵を描くことのなかで『テーマ』を大切にしています。絵を描くことというのは、『人』、『絵』という2次元的なかかわりあいを持つものです。絵と自己の対話という意味では、ただ絵を描くということでもいいのですが、そこに『テーマ』という第三者を含ませることで、『人』、『絵』、『テーマ』という3次元的なかかわりが発生します。そうすると、より多面的に創造活動がおこなわれることと、3次元の多面性によって他人がそこにかかわることのできる部分をつくることができます。『テーマ』をかいして他人の眼からその絵を解釈できるのです。そうすることで、本人が気づかない視点をもたらせてくれることができ、その絵の価値を多面的に発見できます。こういった3次元的なかかわり方を多くしていきたいな~と思っています。また、企画する予定なのでお楽しみに~。
2006年02月24日
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■デザインとは?物体に魂をこめること物のありかたを変えたり増やしたりできる。そのものがありえる可能性を引き出すこと機能的でありながら、落ち着きを与えたり、遊びの要素があるもの目を引いたり他と違うことブームをつくるもの身近で使うものをデザインするデザインとは協力です。何か自分ではないものとの共同創造がデザインです人には自由意志があり、自由に何かをつくることができます。そこには独りよがりが同時に存在します。なにかそこにある場所、空間、物や素材と話しながらつくることです。よいもの、本物は、本質を強くあらわしています。あの本質はにじみでてくる力です。その力(デザイン)に人は魅入られるのです。それは誰が使うのですか?どんな人にどうやって使ってもらいたいですか?楽しいと思うことはどんなことですか?学ぶのではありません、感じそして、形作っていくのです。そのものすべては、感情を込めてつくることにあります。それは独りよがりではいけません。使う人や、場所と相談して、そして考え出してください。そのもの、素材に存在する可能性以上のことはできません。しかし、その可能性は無限大にも等しいのです。そのもののあり方がもっともよくなるように相談しながら作り出してください。それがデザインです。
2006年02月22日
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■ニュースと新聞。最近、新聞をとり始めた。いまさらって感じもあるけど、テレビをあまり見ないので時事にうとくなってるな~なんておもって取り始めました。まだ、一週間くらいしかとっていないのでまだまだこれからいろいろ発見があるかもしれませんがとりあえずの感想。■時事問題は、ほぼテレビの5分ニュースでまかなえる。って感じです。覚えてられるか?と言われると新聞に軍配があがりますが、情報量と、まとまり具合、手軽さ、速さはニュースの方に部があるな~と。五分ほどのニュースでも、ほとんどの情報がもうらされているのはすごいです。テレビのよさは、興味のないニュースでもちゃんと説明してくれるところです(^^新聞の場合は間違いなく飛ばします。情報に偏りがすくなくなるんですね。では、テレビのデメリットは?見たくないニュースも無理やりみないといけない。特集がみたいとしてもまたないといけない。見ていてつまらなくなっても飛ばせない。などなどですが、これってあることで簡単に解決できるのでは、、そう、最近はハードディスクレコーダーという便利なものがあるんですね。撮りためておいて、すきなときにすきなだけ見れる。わざわざニュースの時間を待つ必要もなければ、みたくない部分を見続ける必要もない。便利な世の中になりましたね~。ハードディスクレコーダーがほしくなっちゃいました(^^■新聞のメリットは、ニュースで扱わない情報を取り扱うところかな~と。知りたい情報が、テレビで放映するかどうかはわかりません。知りたい情報にあわせた紙媒体の情報が有効に活用されるのかなと。ただ、これもネットの台頭でどうなるんでしょうか。紙媒体は手軽さと、解像度の高さが売りです。情報量と情報のスピードでは、ネットやテレビにはおよびません。今後の新聞のあり方がかわってくるのかな~なんて思いました。
2006年02月21日
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■がんばりと気づき感情は自動的で容赦ありません。この感情システムがあるためにあなたは『今』この瞬間を生きられます。流れのなか、次から次へとやってきて待ってはくれません。こうしなくてはいけない、こうであるべきだ、、などは違和感としてあなたに蓄積していきます。以前、過去ではそのことが必要だったかもしれませんが、今のあなたにはもはや必要ないものかもしれません。ですが、過去の習慣や罪悪感、責任感がそれを手放すことを許しません。あまりになじみがあるので、それを自分自身の姿だと信じてしまうほどです。そこで、活躍してくれるのが感情システムです。感情システムの容赦ない、自動的で、いい加減で、本質的で、そして『今』この瞬間を感じさせる機能がそれらを手放させてくれます。■ようは気づくんですね。もう、そのことについてがんばらなくてもいいということを。このがんばりにきづくことは、そうとう内側を探求するか、そういった出来事がないとなかなか難しいです。なぜなら、もっとも手放しにくいものがそこにあるので、通常の知性では、そこへたどり着くのが前にエゴがそれを擁護してしまいます。ですが、手放すと決めていればいずれできます(^^時間をかけてゆっくり、あせらなくとも、それは必ずできます。この重荷を降ろすことによって人生に軽やかさと自由さがやってきます。それが静かな、でも確かな平安を心に満たしてくれます。なんだっていいんです、人生は本当に自由にできているんですね。ぜひ、今という感情を感じてみてください(^^
2006年02月20日
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あなたのハートにふれる絵を描いてみませんか?『オープン ハート ペインティング』●内容このコミュニティでは絵を描くことによってそれぞれの人が内なる経験をすることを目指しています。描きあがった絵がそれぞれの人の内面の活動の結果であることが大切であり、うまい絵を描く必要はありません。アートを学んだ人はいろいろ考えることがあるとおもいます。ですがそれらまなだものをすべて真っ白にして、幼子のように絵を楽しんでもらいたいと思います。絵を描くこと、創作の原点に返ってもらう、そういった楽しさを思い出していただきます。本物の絵というものは、頭で考えたり、作為的に作られたものではありません。作者の本来の内側からでてきたものです。本当に自分自身と向き合って、それが絵に表れたとき正直な絵になります。その正直なものが見るものの心を打ちます。なによりも、あなたの魂の奥底に触れるために描くこと。そのことにより、あなたがリフレッシュされていくのを感じてください。これは、禅などと似ているものです。絵を描くことを通して、あなたに存在する豊かなエネルギーが活性化していきそして、その豊かなエネルギーでもって生活を送っていくことが出来ます。ここで絵を描くことに必要なことは、本当に自分自身と向き合うことです。全身全霊をかけて向き合うことで、さまざまな発見があると思います(^^とまあ、こんなものを目指して試行錯誤しています。まだ、荒削りでワークとまではいかないので、気軽に絵を描くことを楽しんでもらえればと思います。最初なので破格の3,000円でやってます(**)画材込みの値段なので、気軽に参加してください。●詳細・日時:2006/02/26 AM10:00~PM16:30・場所:浜田山会議室・費用:3,000円(画材込みの価格です。)※今後の企画において変更の可能性があるのでその場合はご了承ください。・持ってくるもの:汚れてもいい格好(エプロンなどあれば便利です)※筆や絵の具などの画材等は用意してあるのでお気軽にどうぞ 画材は水彩画(初心者が扱いやすいのでアクリル絵の具)です。・定員:12名(満員になり次第、受付を終了いたします)申し込みはこちらからhttp://plaza.rakuten.co.jp/tuiteruarigatou/mailboxform/お名前、メールアドレス、ご住所(都道府県名より)、電話番号を書き添えの上、送信してください。
2006年02月18日
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■昨日に引き続きオーラソーマのインフォメーションを取り出してみた。・クイントエッセンスマハコハン(ターコイズ)みずみずしさを覚えていますか?なぜ、潤いがなくなっていくのでしょうか?なぜ、乾燥していくのでしょうか?あなたの心は潤いに満ちていますか?その心の潤いのことを満足といいます。あなた方の多くは、満足を欲求と取り違えています。欲求はあなた方を正常に働かせる機能の一種です。食べる、寝る、出す、さまざまな欲求が存在しますが、どれだけ突き詰めても、それは恒常反応にすぎません。あなたを一定の状態に保つために働く機能のことを欲求といいます。一定以上になることはありません。あなたが普通だとおもう感覚にいたるだけです。それが欲求です。あなたの心に潤いがあれば、それが満足です。あなたの心は潤っていますか?それとも乾いていますか?どんなことが起ころうと、あなたはその潤いを保ってください。それが私たちの願いです。では、どうすれば心に潤いが満ちるのか?それは、ハートの声を聞くことです。あなたのハートはなんといっていますか?どんなことを望んでいますか?それを聞いて、そして満たせてあげてください。そうすれば、植物のように潤ってきますハートは植物のようなものです、水が足りないときは水をやり、栄養が、光が、温度がたりないときにそれを与えますそうすれば、凛と輝くその姿を見せてくれるでしょう。さあ、ハートの声を聞いてください。そのお手伝いを私がやりましょう。考察これはなかなかいいインフォメーションだと思います。欲求と満足の違いをうまく教えてくれています。欲求=幸せという観点でみるといろいろなきづきがあると思います。
2006年02月17日
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■最近、オーラソーマをいろいろ研究しています(^^ポマンダーやクイントエッセンスをいろいろ楽しんで使っているんですが、その中に入っているインフォメーションを液体からいろいろ取り出してみました。おもしろいのでその一部を紹介しときます。・ポマンダーヴァイオレット私が信じていることはなんであれ真実です。ただ、そこにあるというのも、未来に向かって進んでいることも信じればそこにあります。では、なぜ意識のとおりに現実が働かないことがあるのでしょう?あなた一人で事をおこそうとしている限り、あなたは自分の中にしか創造ができません。すべてはつながっているのです。そのつながりを本当に意識できたとき、あなたの意識がすべてになります。そこにあるのものはすべてであり、あなたそのものです。この、すべてはつながっているという感覚を手にいれてください。創造活動がスムーズになりますよ。紙に書いてください、声に出してください。その活動を三次元に落とし込んでいってください。つながりとともに実現されていくでしょう。創造活動は一人ではないのです、いろいろな意見を聞きながら行ってください。それは人でないかもしれません。絵や音楽、はたまた風や空気かもしれません。それらとの意見を交換しながら活動してください。もちろん自分自身ともよく相談しておこなってください。それが共同創造です。考察独りよがりではだめだというインフォメーションですね。相互に影響しながら形をつくっていくことが大切で、こだわりや執着が邪魔しますよということですかね。・クイントエッセンスパラスアテナ(マゼンタ)私は拒絶する心です。どうして、拒絶することが必要なのでしょうか?あなたは拒絶することを悪いことにように考えていませんか?拒絶するとは、あなたがあなたでないものを取り去る作業のことです。あなたの真実でないものをあなたの信じることに取り入れる必要はありません。どんなものであれ、あなたに必要なものだけであなたは構成されていればいいのですどうして、あなたでないものを取り入れてしまうのでしょうか?そこに見るべきところがあります。なぜか、あなたはあなたであるものを忘れています。そして、あなた自身を追い求めます。その結果、身近にあるあなたらしいくみえるものをあなたにかぶせていくのです。そうして、実際はあなたでないものにどんどんと上塗りされていき、ついにはその重みで、なにがなんだかわからなくなってしまいます。さあ、勇気をもって拒絶しましょう。あなたでない部分はあなたのハートが知っています。あなたでない部分を脱ぎさることができれば、静かな平安があなたにあふれるでしょう。あなたが自分と思っているもののほとんどはあなたではありません。あなた以外のものを拒絶しましょう。あなたの本質に近づくもっともよい方法です。考察拒絶という言葉をポジティブ使っているかわったインフォメーションです(^^自分を知るためには、自分でないものを取り除くしかないんですが、強い意志が必要になるってことですかね。なんて感じです。それぞれにそれぞれのインフォメーションが入っているので取り出すといろいろ面白いことに気づきました。ビッキーはすごいね~。ポマンダー15種類、クイントエッセンス15種類なんでいろいろ楽しんでいます(^^ただ、クイントエッセンスにすこし違和感を感じました。勝手な考察ですが、たぶんビッキーのオリジナルの配合(または原料)を変えている感じがしました。マイクさんオリジナルにもどしてくれないかな~。
2006年02月16日
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■最近、夕日を見ることが多い。夕日を見ていると切なくなる感じがありますね~。しかし、夕日に照らし出される雲や空の色というのはさまざまですね。夕日が沈んだばかりのそらは、まだ青いところから緑、オレンジそして赤色になっています。遠くの雲たちは紫の色をしていて、沈む瞬間くらいでは黄金の色をしています。プリズムから考えると普通な感じもしますが、不思議な景色ですね。
2006年02月15日
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■幸せとは?人は幸せを願い、そのとおりに行動する。なにが幸せなのか?ほとんどの場合、そのことをしっかり考えたり、しらないまま行動する。そして、後から思う。あの時は幸せだったと。思い出というのは不思議で、トラウマ的ないやな記憶もあるが、思い出という形で幸せを感じることができる。幸せを感じるのは大半が頭の中ということになる。人としてどうしたいか?思い通りになって楽しいなど。これも幸せの形。幸せとは快感に近い感情なのか?享楽的や快楽的にも幸せを感じられるし、日々の穏やかさに幸せを感じることもできる。現象としては不思議だ。わかるのは人は幸せのためにいきることを望んではいるが、そのために生きるということは、執着、制限やコントロールになっていく。ある状態にこだわりがある限り、いつか限度がくる。そうなったとき、幸福は一転、不幸とかす。企業のように、つねに新しい幸せ、成長曲線を打ち出していかないと、上昇と衰退を繰り返す幸せを平準化できない。平準化できないと、思い出がカセになり不幸をより多く感じる。そして、それを求めるがゆえに常に常にがんばるという状態を生む。なんていい加減な感覚なんだろう、幸せって。。でも、それを得たいと考える。なぜ?幸せってトータルな感覚のことなのかな?一元的にみてしまうと、よくわからない。でも、その人のトータルで良い状態のことを幸せっていうんだな、きっと。幸せであればあるほど、『あなたは幸せですか?』と聞かれても『??』となってしまう。その状態であればあるほど、それに気づかないという不思議な感覚。そして、幸せであればあるほど、そのときはそんなことどーでもいいと思っている。即答で『幸せです』ってこたえらる方が異常な気がする。ようは幸せにはカタチがない。これが幸せだと決めても、次の瞬間から幸せの定義が変わってゆく。たとえば、フリーの人の幸せが恋人ができることだとすると、恋人ができるとしばらく幸せだけれども、次には愛されたいとか、かまってもらいたいとかに幸せが変わるそれも満たしてしまうと、また、次の幸せと呼ばれるものを求め始める。ようは、幸せには決まった形もなければ、定義もない。たとえ、定義できても次の瞬間からべつのものになっていく。ゆえに、いつまでも手に入らないものを求めるという無限のサイクルにはいってしまう。定義がなくて、流動的で、瞬間瞬間であり方がかわるものが幸せ、、つまり、あるようでないもので後からしかわからないって感じでしょうかね~。・考察なにか他に気づいたほうがいいものはありますか?幸せというものは目に見えません。形がないといってもいいですね。目に見える本当の勇気、自信、愛なんてあると思いますか?大切なものというのは目には見えないものです。あなたのうちにあるものを信じられるかどうかです。常に信じていれば、日常的なことになるので、それと意識しなくともその状態でもあります。あなたは、もうそこにこだわらなくなってきているんですね。あるとかないとか、証明したいとか、確かめたいとか。あなたが信じればいつでもそこにそれは存在します。自信も、勇気も、愛も、幸せもです。それは、知性を超えています。いくら知性的にそうしようとしてもできません。気づくしかないのですね。常にあると。そうすることで、そこへのこだわりや執着がなくなります。より自然に、より自由に人生を楽しめるでしょう。あなたがたは人生を楽しむことをしたいのですか?それとも、幸せというカタチにないものを求めついづけたいのですか?
2006年02月10日
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■平安と展開日常がすごくエキサイティングになってきている。ぱっと見、落ち着いてたんたんとしているように見えるはずななのに、内面の活動が活発なので、非常にエキサイティング。いままで知らなかった自分をどんどん発見しいっている感じ。日常が、教師であり、生徒である感じです。何万も払うセミナーを毎日受けているような感じ。結局は日常から学ぶのが一番なんだな~とおもう今日この頃です。そして、これは恐ろしいまでに心に平安がやってきます、すごいです。ただこれは幸せとはちがって、幸せなんてどうでもよくなってきます。いいんでしょうか?今まで幸せとは?幸せになるためには?という思考回路が大半をしめていたのですごい違和感です。でも、恐ろしいほどにそんなものがどうでも良くなっています。飛んじゃったり、いっちゃたりしているのかな~なんておもったりしますが、飛んじゃってるとき特有の、排他的な感じがしない。自分という存在を主観的であり、そして客観的にもみている感じです。不思議な感覚です。今は肯定しているんですが、過去はどうでもいいというか、手放しているというか自分じゃないような不思議な感じです。すごい違和感ですね。どんどん自分を知っていっているのに、自分が自分でなくなるような違和感です。でも、恐ろしいまでに平安が心にあるんですね。不思議です。別に誰になにかを言われているわけでも、その根拠があるわけでもないのに、すごい平安が心をみたしています。不思議ですね~、まったく。その平安が、いろんなもの関係にどんどん展開、拡張していっているのが今の状態かな~。今、わかっているのは幸せと平安はまったくべつのものなんだなということぐらいです。
2006年02月09日
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■エシャレット最近、エシャレットを食べることが多い。単に近くのスーパーで安く売っているだけのことではあるが。一度に結構たくさんたべてしまうのだが、恐ろしく息がくさくなる(^^自分でけっこう感じるくらいだから、けっこうにおう。次の日の朝もけっこうくる。でも、おいしいのでたべちゃう。■このエシャレットというたべもの、実はらっきょう。らっきょうを育てるときに、根元に土をかぶせて日光に当たらないようにしておくと、白くやわらかくなるという軟白栽培というものらしい。らっきょうそのものじゃん。なぜ、エシャレット?らっきょうをフランス語にするとエシャレット。フランス語のエシャレットはらっきょうというか、ゆり科の球根類一式のことをいうみたい。名前の妙ですね~。たんにらっきょうをおしゃれに言ってるだけって、、。生らっきょうや、生食らっきょうよりはいい名前か。
2006年02月08日
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あなたのハートにふれる絵を描いてみませんか?『オープン ハート ペインティング』●内容このコミュニティでは絵を描くことによってそれぞれの人が内なる経験をすることを目指しています。描きあがった絵がそれぞれの人の内面の活動の結果であることが大切であり、うまい絵を描く必要はありません。アートを学んだ人はいろいろ考えることがあるとおもいます。ですがそれらまなだものをすべて真っ白にして、幼子のように絵を楽しんでもらいたいと思います。絵を描くこと、創作の原点に返ってもらう、そういった楽しさを思い出していただきます。本物の絵というものは、頭で考えたり、作為的に作られたものではありません。作者の本来の内側からでてきたものです。本当に自分自身と向き合って、それが絵に表れたとき正直な絵になります。その正直なものが見るものの心を打ちます。なによりも、あなたの魂の奥底に触れるために描くこと。そのことにより、あなたがリフレッシュされていくのを感じてください。これは、禅などと似ているものです。絵を描くことを通して、あなたに存在する豊かなエネルギーが活性化していきそして、その豊かなエネルギーでもって生活を送っていくことが出来ます。ここで絵を描くことに必要なことは、本当に自分自身と向き合うことです。全身全霊をかけて向き合うことで、さまざまな発見があると思います(^^とまあ、こんなものを目指して試行錯誤しています。まだ、荒削りでワークとまではいかないので、気軽に絵を描くことを楽しんでもらえればと思います。最初なので破格の3,000円でやってます(**)画材込みの値段なので、気軽に参加してください。●詳細・日時:2006/02/26 AM10:00~PM16:30・場所:浜田山会議室場所はこちら・費用:3,000円(画材込みの価格です。)※今後の企画において変更の可能性があるのでその場合はご了承ください。・持ってくるもの:汚れてもいい格好(エプロンなどあれば便利です)※筆や絵の具などの画材等は用意してあるのでお気軽にどうぞ 画材は水彩画(初心者が扱いやすいのでアクリル絵の具)です。・定員:12名(満員になり次第、受付を終了いたします)申し込みはこちらから申し込み お名前、メールアドレス、ご住所(都道府県名より)、電話番号を書き添えの上、送信してください。
2006年02月06日
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■自分探しあなたの本質(とよべるもの)を探してもみつかることはないでしょう。旅行にいったり、いろいろなことをやってみてもそれをみつけることはむずかしいです。なぜなら、すでにそこに存在するからです。本質にふれたいなら、価値観や、今、自分とおもっているものを捨てていきます。すてても、すてても、残るものがあります。それがあなたの本質です。探してもみつかりません。すでにそこにあるからです。でも、普通はあることがわかりません。いろいろな価値観や偏見や、パターンやエゴなどに邪魔されて見えなくなっているからです。そのか弱い、しかし強いものが本質です。本質は変わることがありません。あなた自身がどれほど、変化していっても本質は変わりません。あなた自身から、どれほどたくさんのものを剥ぎ取っていても本質は変わりません。それどころか、輝きを増していきます。本質は傷つくこともありません。どれほどあなたが傷ついたと思っても本質を傷つけることはできません。それこそあなたの命を奪ったところで、本質自体は残り続けます。それほどまでに強い存在なんですね。そんなことを理解できる、わかると、変化に対する恐怖がなくなっていくんですね。なんででしょう、自分でなくなると思うほど強力に思っていた価値観を手放しても、自分でなくなることはありません。どんな、変化がやってきても、あせることも、うろたえることもありません。それどころか、変化を楽しめるようになります。人生のさまざまイベントを楽しめるようになります。うまく言葉を尽くせませんが、それが本来の自分探しかなと。
2006年02月03日
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■オーラソーマ昨年の11月にオーラソーマのトリートメントにいってから、ポマンダーやクイントエッセンスなんかをつかっています。ちなにみ、ポマンダーやクイントエッセンスは香水みたいな使い方のもんです。色や匂いによっていろいろな効果をもたらすというのがこれらの効果です。アロマテラピーみたいなもんですが、天然の成分から作られた独特のにおいのする液体を手にとって、体のまわりを包み、匂いを吸い込むのが使い方です。匂いって、細胞レベルで覚えているもので記憶にのこってなくても、匂いをかぐことで過去の出来事を一瞬で思い出したりします。自然のものからできているので、きっと自然を思い出しているんでしょうね。自然の偉大さや豊かさに包まれるような感覚を受けたりします。色もきれいなんですが、匂い(アロマ)がいい感じでここ2ヶ月ほど毎日のように使っていました。すると、おどろいたことが起こり始めました、、。■以前は、そのポマンダーを使ったときだけその、落ち着いた、ゆったりした感覚になれていたのが、いつでもその感覚を思い出せるようになりました。手が、体が記憶したんですね。(すりこみ!?)梅干とかといっしょで思い出しただけで、味と匂いも同様に再現される感じです。ポマンダーをイメージするだけで、そのときの感覚ばかりか匂いまでもが手に取るように思い出されます。エネルギーが体に宿った感じですかね。いやー、ちょっと驚きました。えっ、それだけじゃ驚かないだろって、、う~ん、、思い出すなんてレベルじゃなくて、もうそのものって感じですかね~。そして、これはいつでもどこでも簡単に再生できるんです、そのエネルギーを。っていうとなんか驚きそうな感じがしません?きっと、創設者のビッキー・ウォールはこんな感覚をエッセンスに出来たらな~なんておもってオーラソーマをつくったのかな~と思いました。最近、ずいぶん落ち着いていられるな~なんて思っていたらこれの効果かも!?■オーラソーマは比較的、私にはあっていたようです。これからもいろいろ愛用していこうかなと。(記憶してしまえばいつでもそのエネルギーを使えるので思ったより便利!!)
2006年02月02日
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■週末二日とも絵を描いてきました。合計4枚の絵を書き上げて、いろいろわかったことがあります。絵を描くということは、作品としての価値よりもプロセスの方が価値がある、です。作品造りに静物もなければ、これというものもないので、非常に内面的なものがでてきます。その過程で、いろいろ気づいていくんですね。色や、構図が自分に対して語りかけてきます。ああしたい、こうしたいっていいながら、絵といっしょに作品を作っていく感じです。まさに共同創造!■私の場合は、現状の状態をリアルタイムで絵のプロセスが語っていました。こんなことがあったんだ、、と思いながら描く絵は感慨深いですね。しかし、驚いたのは異様に疲れることです。1時間で1枚絵を仕上げるんですが、思った以上に集中しているんですね。なれないこともあるんでしょうけど、日ごろ使わない部分の脳をつかっているんでしょうね。動きはほとんどないはずなのに、異様におなかがすいたりします(^^それだけのエネルギーが絵にこもるってことなんですかね~。■また、色をつかうことによって色の特性をいろいろ知ることができました。色によってこんなに特性が違うとはおもっていなかったので非常に新鮮でした。絵の見方や感じ方もすこしわかってきたし、絵を通していろいろなことがわかるとは思わなかったので、楽しい時間でした(^^
2006年02月01日
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昨日のつづき・生きるとは、自分というものを知っていき、自由になっていくこと。意識の中で、意志の力で人は自由になれる。束縛されているのは、自分の意志の力。その力は、意識からきているけれども、自分のしらない意識からもきているので自分の意志とは思えない、自動的に働いてしまうことが多い。生きていくことの本来の目的は自由、拡張していくこと。ただこれをやめて、生命活動に専念することも可能。どうして、生命活動だけすることが可能なんだろうか?自由意志がそこまでいきわたっているからなんだろうけど、、。生命活動に重点をおきすぎることで、どんどん自由がなくなっていく。でもそれも自由意志。どうするかは本人しだい。自由になっていくことは、平安と静けさを手に入れることができる。人は、この平安と静けさを求めようとして、安全にはしる。安全に生きようと思えば、思うほど、自由ではなくなり、結果的に安心でもなくなる。どうして、自由になりたいのだろうか?現在が非常に抑圧されたなかで生きているからだろうか。それを本能的に感じて、自由をもとめているのか。それとも、もともと人はそういう風にできているのか。なんいせよ、今の自分は自由を渇望している。では、どうしたら自由になれるんだろうか?自由になるためには、束縛されている意識に気づき、開放していくしかない。自分自身で自由にしていなのだから、自分でそれに気づいて解決していくしかない。では、どうしたら効率よくその束縛に気づけるのか?それは日常の出来事、人からやってくる現象や言葉などによって起こる自己の感情の起伏を感じることで多くのヒントがそこに眠っている。では、どういう感情を抱いたときがそのチャンスか?もっとも効率的なのが葛藤であろう。葛藤は、理想の状態があるのに、それになっていない現実に対しておこる現象である。楽しい気持ちだけや、つらいものだけでは感情の起伏が単調なのと、日常の刷り込みで深い部分に入っていけない可能性がある。また、表面的なものなのか、根深いものなのかを判別することも難しいのと、いちいちそのたびに深く入っていると、日常を楽しめなくなってしまうので、葛藤とよばれる、複雑な心理状態の場合に労力を集約させたほうがよいだろう。では、日常の状態での解釈をどうすればいいだろうか?生まれてきた家系のおかげでお金の不安がない人たちがいる。自分からとくに働きかけなくてもお金の入ってくる状態にある人もいる。労せず、また、人をだましたり傷つけたりして大金を得ている人もいる。べつにその人たちが大変そうな感じはしない。自己のフィルターを通しているからだろうか?その人たちの大変さをわかってないのだろうか?その人たちは心の平安がないんだろうか?よくわからない、、。なんにせよ、自分はそっち側に生まれてきたわけではないし、逆に、特に大変な思いをしてきたわけでもない。きっと、大変な思いをしてきた人にとっては、僕はうらやましく写るんだろう。僕が、もともと裕福な人にあこがれるように。ということは、可能性を使うしかないんだな。今という、自分の状態の可能性を最大限活かさないと、きっと楽しさってないだろう。不安はないかもしれないけど楽しくはないかも。ゲームやスポーツと一緒で、制限があるほうがわかりやすく燃えることができる。今の状態から、逆転や成長したときに大きなカタルシスがある。これは快楽?そうでもないか?自己が成長している喜びだからいいんだろう。また、その過程で得られることが大きいと思われる。お金へのあこがれは、安心というよりは贅沢だろう。自分の力がお金というもののために大きく増徴され、思うがままのことが増える。その力に魅了されるのであろう。ほしいものはなんだろうか?贅沢というのは、あったほうがいいが、なくてもそれほど大変なものでもない。生きている時間が限られているので、あったほうがいいという程度の価値に重きを置いて生きているのは意味がないかもしれない。これは、テレビやメディアの影響が強いので、それらに触れる機会を少なくすればかなりそこから開放されるであろう。自己実現、名誉欲、使命なんかは無価値観からきているんだろう。本来は自由になりたいだけなのに、何かを得ればそれが実現できると勘違いしているのであろう。段階的に高まっていくといわれているが、つねに無価値観に悩まされているだけな気がする。今だ知性を越えた自由への信頼というものを得られていないかもしれない(特にお金)。一時的に得られているが、知性がそれを邪魔する。でも、その邪魔は必要なのかもしれないし、自由な感覚というのはある種の恐怖をともなうのと、活動的でなくする感じがある。最近、過去、手に入れたスキルや知識をかなり手放している。本もほとんど読まなくなってしまった。自分の内側に入ること、キープハイを保つことばかりに興味がいってしまい、外部的な活動をかなり制限している。独立に際しての下準備を手放している状態なので、知性的には不安なはずだが、なんともいえない安堵感がただよっていて、それに浸っている。不思議な感覚である。っと、話がそれましたが、生きるということ。今を生きるという感覚を手に入れつつある。ただ、エゴが邪魔して常にそこにいるのは難しい。今を生きていること、自由になっていく感覚とともにあることが「生きる」ということ。そこには、本来の自分に戻っていっているという感覚と、安心感がある。これは単なる現実逃避か、それても真実の道なのか?そこを出来事を通して理解していっているのが現状です。生きるとは、自分というものを知っていき、自由になっていく、そして『今を生きる』こと以下、チャネ・今の理解で補足や、気づく必要のあるものはありますか?自由はいいですね、ただ、あなたの考えているような自由ではありません。自由とは、責任と表裏です。出来事に対する見方やあり方が大きくかかわってきます。どうして、出来事があなたにやってくるのでしょうか?それは、あなたが成長を意図しているからです。困難な状況や、受け入れがたい言葉がまだまだやってくるでしょう。それを、あなたは一つ一つうけとり、そして学んでいくでしょう。常に、これです。つまり、それを抜けきることはないのですね。それは、あなたが成長をあきらめたときだけです。常に常に、あなたはその自由という概念と葛藤するでしょう。抜けきることはないのです。徐々に自由という範囲は広がるかもしれませんが、あなたが思っているような自由ではありません。楽になるためではありません。勘違いしないように。今という状態は、過去の意図、そして、未来への気づきという状態で存在しています。都合のよい未来を描くのではなく、現状を受け入れ、改善することを中心にしなさい。どうして、今というときが必要なのか?どうして、未来が必要なのか?流れのなかで、感じていきなさい。・考察自由を過度に楽という概念にとらわれていました。もっと違う自由のあり方なんですね。自分という存在はどんどん楽になっていきますが、出来事としては困難というものがたくさんくるということですかね。成長を意図している限りしかたないかな~と。
2006年01月31日
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前のつづき■生きるということには二つの大きなものがあるひとつは、ただそこにあることもうひとつは、表現などの活動絶対的な存在としての私と、活動における記憶と経験。前者はすべてはつながっているという感覚。後者は自分がすべてであり、世界であるという感覚をもたらす。相反するこの矛盾をひとつに取り込んでいくことが「生きる」ということこの相反する考えかたは、同時に拡張していく。どちらかだけが極端に高いということはない。もし、どちらかの認識が異常に高ければ、おそらくその人はバランスを欠いているだろう。自分がすべて、世界であるという感覚は意識、意図からもたらされる。意図されたこと、意識で現実がつくられていき世界がなりたっているということが非常に広い世界への働きかけというアクセスを可能にする。すべてとつながっているという感覚は、その意図や意識でははかりしれない大きな力に触れたときに感じる。これはどちらかというと、いいことが起こったときに感じること。逆に悪いこと(都合が)起こったときは絶望になる。そこから、這い上がっていくことで多くの気づきあるのだろうけれども。拡張していくことが生きるということ意識をバランスを取りながら拡張させていくことが生きるということつづく
2006年01月30日
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昨日のつづき■その2生きるとは、生きようとする意志である。生きようとする意志によって、表現がはじまる。最初は、自分だけ、そして、人や物をつかって、さまざまに。その表現が多様化につながる。高尚なものを表現すれば、高尚になったきになる。生きるというのは自分を使った表現。どうつかってもいい。どんな表現をしてもいい。でも、なぜかこうしたいという確信に似た感覚が、やりたい気持ちとなって、ふつふつと勇気をもたらす。生きることで、何かをつくり、なにかを壊し、何かをつないでいく。つづく
2006年01月27日
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ある人に出されたテーマです。テーマ:『あなたにとって”生きる”とは、なんですか?』最近このことでいろいろ考えています。正解のない質問ですし、明確な答えもないです。そのときどきで変わるでしょうし、こだわる必要もないものですが、そのことでいろいろ考えたことです。■その1生きるとは、表現すること。創造といってもいいです。自分を使って何かを作り出す、形作るということ。いいも、悪いもなく、ただ、内なるものを表現していくこと。生まれてきたその瞬間から、自分を表現していく。たくさんのことにふれ、たくさんのものに囲まれていくなかでそのすべてがつながっていく感覚を覚えている。ただあることが、そこいるだけでも表現していることだときづく。そして、それ以上も可能である。自分が思っていることは、時間をともなって実現していく。どう、意識を保つかということが、どういった意識を保つかが、生きるうえに非常に大きなウエイトをしめている。流れのなかで、すべてをみていく。こだわりのない、くもりのない感覚がやるべきことを見せてくれる。つづく
2006年01月26日
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■週末、絵を描きくワークに行きます。アドレーションアートっていう、パステルを使用した絵です。自分でも開催するので、勉強がてらいってこようかなと。無心でなにかに打ち込むってなかなかないですよね。意図的にその時間をとろうとしない限り難しいです。絵や、音楽、彫刻、お茶や生け花なんかは無心になってやることができるものです。特に絵はすそのが広く、テクニックやスキルがなくても形にすることができます。■自分には絵の才能があるとおもっているんですが、どうでしょ~(^^こなごなに打ち砕かれる可能性もありますが、そういったものとは関係ない絵の描き方だからいいかな~と。あ~でも、似顔絵とか、記憶をたどって絵を書くのは苦手だな~。■おもしろい遊びがあるので、興味のある人は時間があるときにやってみてください。人数:2人以上道具:紙とペンやり方:まずどちらかが『お題』をだす。 例 ドラえもん パーマン アンパンマン ウルトラマン、キリンなどなど それをそれぞれ絵にする。 見せ合うただ、これだけなんですが結構おもしろいです。どれほどいい加減に覚えているかがわかると思います(^^キャラクターや動物とは別の、なぞの生き物が満載されていくと思います。おためしあれ
2006年01月25日
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■クリスタルボールいってきました。感想としては、いいですね~。でかいのを鳴らすとビリビリきますね。振動が心地いいです。リラックス&ヒーリングって感じです。こういうのは、無理がなくていいですね。ただ、弾いて聴くだけですし。そのときには気がつかなかったんですが、ちょっと前から、左手首と右足首を痛めていたんですが、、なおっちゃいました!?なんででしょうね~。たまたまかもしれませんが、肉体の調整がうまくいったのかも。治癒力が増すんでしょうか!?とはいえあんな短時間で効果がでるなんて、、。■ほしいな~とも思ったんですが、かなり高額なのと、アパート住まいには厳しい音の鳴り方なんで、ちょっと難しいかな~と。あ~でもほしいな~。というわけで、音の出るものを買ってみようかと。「音叉」ってやつです。ヒーリングチューナーとかともいうんですかね。振動がいいです。しばらく、体がビリビリしてる感じがなんともきもちいい。植物がいい音楽を聴いていると育ちがいい、みたいなことを思い出しました。人もそんな気がしますね~。
2006年01月24日
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■クリスタルボール週末に、クリスタルボールを鳴らしにいってきます。クリスタルボウルとはサンドピュア・クォーツクリスタル(砂状のクォーツ)で作られたボウル型の楽器です。ボールはなでる様に奏でるものです。一度きいたことがあるんですが、ピュアな波長の楽器です。鳴らすのにコツがあるんですが、それもかねて鳴らしにいってこようかなと。■人の体の7~8割は水です。その水に、音の振動というアクセスから癒したり、調整しようってのがクリスタルボールです。水は、一度ある周波数の音を与えると、しばらくその周波数で振動しています。また、違う周波数の振動を排除する働きを持っています。たとえば、オーケストラでモーツアルトを奏でているなかに、ひとりだけで民謡を歌おうとしてもなかなか難しいみたいなもんです。できないことはないでしょうけど、黙るか、多くの音に順ずるほうが自然です。そんな感じで、体の中の水の周波数(振動)を調整するのがクリスタルボールのような楽器です。■体も楽器と同じで、調律しないといつのまにかズレていってしまうのが普通です。そのズレを直しにいく感じでしょうか。たのしんできま~す。
2006年01月20日
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■桜早くも今年一番の桜を見ました。なんと、会社で。年末の挨拶でもらった桜の盆栽。いやー、なかなかないですよね。普通はカレンダーかなんかです。年末から、セッセと世話をしていたら、咲きました!なんと、1月も中旬から。不思議ですねー。室内はあったかいからでしょうか。早くも花見です。今年の花見はずいぶん早い時期からでした(^^
2006年01月18日
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■浄水器最近、浄水器を買いました(^^わが家で洗濯機を抜いて一番の高級品となりました。一日2~4リットルほど水を飲むんですが、せっかくなら、いい水がいいな~と思ってました。ミネラルウォーターもいいんですが、日本人にはちょっと硬度が高すぎる気がします。ミネラルウォーターだと飲みすぎると、おなかが張ってきて気持ち悪くなることもありました。いくら飲んでも(言いすぎ!?)おなかが張ったり、気持ち悪くならない水を探していたら、、ありました!■水に含まれる不純物を99%ほど取り除くという代物です。水に含まれる空気とかは取り除かれないらしいです。ある場所で、出てきた水がいいな~と思っていたら、その浄水器の水でした。感想としては、とにかく「飲みやすい」こと。そして、いくら飲んでも、おなかが張ってこない。すごい勢いで、体の不純物が体外に出て行ってる感じです。値段もお手ごろで、浄水器としてはお得感があります。フィルターの交換などの手間は必要ですが、フィルターの交換がない浄水器のほうが怖いきがするのでいいかなと。■今では、飲み水としてはもちろん料理などにもつかっています。この水でつくると料理もおいしく感じます(^^お米についてはてきめんですね。お米をとぐときから使っていると、お米にいやなにおいがつかないのでふっくらおいしいお米が炊けます。おいしい水っていいですね(^^
2006年01月17日
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■ただ、今を生きる。過去にも、未来にも人は生きられません。そこに縛られているなら幻想です。今は、今であって、過去と未来の間にあるわけではありません。いまの大きな課題です。つい、過去の思い出やトラウマ、成功体験にこだわって今を生きられない。未来に思いをはせることで、今を感じない、楽しめない。■どちらかというと私は、勝手にでも計画するタイプです。石橋をたたく系なので、ほっておいても未来を計画してしまうこともしばしば。そして、計画どうりいかないことに憤りや焦りを感じで、なんだか人生がいやになってきてしまう。そんなパターンを繰り返していました。まさに今に生きていないですね。時間軸がずれて行くと、ベストな選択はかわっていきます。それが、過去に計画、決めたことにとらわれてしまって自由がなくなってしまう。計画をしばらく手放す必要があるのかなと。■人生はバランスです。行き過ぎているなら、その反対に一度ふってしまうことで、ちょうどいいバランスが発見できたりします。あなたは今をいきられていますか?
2006年01月16日
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■自分の方向性を簡単に確認する方法簡単ですが、自分の方向性を簡単に確認する方法です。1、紙の真ん中に線をかく。2、左側にやりたいことを書く。 (制限をはずして考える)3、右側に出来ることを書く。 (スキルや能力)4、左と右を見比べる。■ただ、これだけですがいろいろわかると思います。一番重要なのは、やろう、なろうとしているものに対して、ステップを踏んでいるかどうかです。つまり、やりたいことと、出来ることに格差がなければないほど理想的です。もちろん、成長の段階でどんどん更新されていくとはおもいますが、少なくとも方向性と、実際にやっていることの整合性の確認ができます。これは、スティーブン・R・コヴィーさんの言葉をかりれば、『緊急でない重要なこと(もっとも人生で大切なもの)』に気づくワークです。緊急性がなければ、基本的に努力しにくくなります。そして、日常の雑多のなか、本当にやりたいことが埋まっていってしまいます。そこで、定期的にこの『緊急でない重要なこと』にフォーカスする必要があります。それが、人生をより豊かにするコツともいえます。■このワークをやるときは、ぜひ自分を責めることがないようにお願いします。もし、理想と現実のギャップがあっても、それにたいして格差がある自分にきづいても責めないでください。ただ、ただ、今の状態に気づいてください。それが、このワークのコツです。
2006年01月13日
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■新年なんで、また、企画をやろうかなと考えてます。今回は『絵を描く』ということにテーマをしぼってやってみようかなと。絵は非常に自由で、幅広い表現のできるツールです。自分を表現する、発見する。何かの感情や、状態を色や構図で表現する。やさしさや、慈しみを表現する、、。なんかいろいろできそうです。前から、絵をかけたらいいな~とおもっていたんですが、なんせまったく知識がない。道具の使い方や、種類までいちから学ぶのはさすがに、、。というわけでその知識と経験をもっている人があらわれたので、やってみようかなと。自分がかいてみたいから、というのも大きいのですが、何かを手を使ってつくるって楽しくないですか(^^大人になってからそんなことやってないので気晴らしになったり、新しい発見があったらいいなと思います。主題は、絵を描く、色を自由に使うことによる自己表現、自己発見、感性の向上。やさしさや、静けさをよぶ絵を部屋に飾って、安心できる落ち着く空間作り、空間提案をする。絵画や芸術に関する知識、歴史を学ぶ。ものづくりや音楽を通しての表現ができるコミュニティ作り。これらを主眼において、練り上げて生きます。まだ、一般に公開できるレベルではないので、細々とやっていく予定です。うまくできそうなら一般公開しますのでお楽しみに~!
2006年01月12日
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オススメ映画■アマデウス(デレクターズカット)ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの人生を描いた作品。天才モーツアルトと凡人サリエリの対比で物語が進んでいく。宮廷作曲家として、財産、富、名声を手に入れたサリエリが持ちえたのは、天才を見抜く力であって、天才的に作曲できるわけではなかった。天才モーツアルトに嫉妬し、苦悩し、彼をおとしめていく、、けど作品は残したいというところが面白い作品。人物描写がすばらしい。ときの皇帝をバカッぽく描いたり、モーツアルトを天才だけれども品行が自由極まりないところとか。しかし、かつらや仮面をつけた舞踏会って滑稽ですね(^^なにもそんなデカイのをつけくてもってかんじでおもしろいです。モーツアルトの天才っぷりと、その自由きままな生き方は本当にそうであったように思います。その当時の意味もなく格式ばっていたものを根底から揺るがしたことでしょう。地位や名声でなく、音楽に生きることを選んでいるのもすばらしいです。3時間と長いですが一見の価値ありです。ネタバレですが、最後のサリエリとモーツアルトの作曲の共同作業がなんともいず切なく、そしてとっても盛り上がります。オススメです。
2006年01月11日
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■音楽音楽はなにかを『整理』してくれるもの。自分にとっての音楽の位置づけです。■音楽にもよるでしょうけれども、音楽は頭の中や、身の回りを整理するのにぴったいかなと。優雅な音楽を聴きながら、ごちゃごちゃな部屋の中にいるのは居心地がわるいです。同様に頭の中を正常にしてくれるはたらきがあるのかなと。たとえば、怒っているときに、音楽を聴いているとハッときづくときがある。どうしてこんなことで怒っているんだろうか?なんて感じで、正常値にもどしてくれるというか、『整理』してくれる。音楽によっては逆にごちゃごちゃにしてしまうものもあるでしょうけど(^^■なかなか部屋がかたづかないな~なんて人がいたら、ためしてみてください。クラッシックでもながしていたら、それだけで部屋を掃除したくなるかもしれません(^^■音によるヒーリング効果もありますが、その分野についてはまだまだこれからかなと思います。ヒーリング効果は音楽(ハーモニー)でなく、『音』そのものにあるからです。ちなみに、ヒーリングは自分を『まっすぐ、素直にしてくれる』ものです。整理とはちょっとちがう感じかな~。
2006年01月10日
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■タロット最近、タロットを買った。OSHOの禅タロットというものです。このタロットはOSHOさんというマスターがつくったタロットらしいです。78枚のカードで気付きを与えるのがメイン。未来を当てるというよりは、『気付く』ことを主眼につくられています。過去でも未来でもなく『今』この瞬間を生きるために気付くことや、洞察がされています。内なる静けさを作りだすための言葉満載です。最近ひいてみて、おもしろかったのが『インナーヴォイス(内なる声)』というカード瞑想しろ、とか静かにしていれば内なる声が聞こえてくる、、みたいなカードかと思ったら反対!?解釈は、、あなたの周りに起こる出来事はすべてあなたにとって真理。あなたの内なる声を反映されたものが出来事としておこっている。だから、目の前の出来事をしっかり観察し、洞察することが、インナーヴォイスを聴くことです。そのとき、自分も他人も裁かずにただただ見なさい。みたいなカードです。なんか意外なかんじですが、しっくりきました。また、カードに書かれている絵がきれいで鮮明なので気に入ってます。解釈の言葉などは、それこそ禅問答チックでわかりにくいので、自分なりに解釈していくことが大切なタロットです。(リーディング、チャネリングが出来ることを前提につくられているようなカードです)しかし、やっちゃいました。『英語バージョン』言語まで確認しなかったよ~、、。まあ、英語の勉強になるし、なんとかなるでしょう(;;(泣きながらつよがる、、)■こういったツールは、あくまでもツールかな~と。心に染み渡るようなカードがでてくるときもあるのですが、だからといってそれにとらわれていてはいけないなと。自分のハートがなにを言っているのか?を大切にしながら、それと違ったり、違和感があるときは、どんなカードがでてこようと、その結果を手放す必要がある。過信するのではなく、感性や感覚を大切にしながら、流れのもと、決断していく。そんな感じかな~と。と、そこまでいくためにも徹底的に学んぶ必要があったりするんですが(^^まあ、気楽に楽しもうとおもいま~す。
2006年01月06日
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■新年明けましておめでとうございます。年があけましたね~。みなさんどんな正月を過ごされたんでしょうか?私は実家に帰って、甥や姪4人にもまれてきました(^^■独立についていろいろ両親とも話してきたんですが、一応の了承はうけたものの、母親はなんだか釈然としないかんじです。不思議だったのが、父親が大賛成しているところ。ほとんど内容なども話してもいないのに賛成どころか『大』賛成でおどろきました。父親といろいろ話していると、2年前くらいから体の調子がよくなってきて、それまで大好きだったサプリメント系のものをいまはほとんどとっていないとのこと。私がそれまでの不健康でかこくな労働から脱出して、体を癒し、いたわり始めたタイミングとピタリと一致していてなんだか、つながってるな~と思いました。肉親が肩代わりしてくれてたのかな~なんて。■最近、感情の処理をかなりできるようになっていたな~と実感していたんですが、肉親となるとそうもいかないようで、つい声を荒げてしまったり、感情が噴出してコントロールできなくなるのをかんじました。さすが、肉親は一筋縄ではいきませんね(^^自己の成長という観点からはこれ以上ないすばらしい課題です。いろいろ話をしておもったのは、『あなたのためをおもっているのよ』という言葉。これは、本当にやっかいです。うそではない分、非常にやっかいです。■人は変化を恐れます。とりあえず、変化が起ころうとすれば反対します。それは、感情をとおして違和感や、もやもやとしてやってきます。その違和感が何かが実は問題で、本人の『課題』でもあるんですが、普通の人にそこまで深く内観することは難しいです。そこで、とりあえずその違和感をなくしたいがために、その変化の種を摘み取ろうとします。その変化をとめるためにいっしょにつかわれる言葉が『あなたのためをおもっているのよ』です。うそではないんですが、的外れでもあるんです。本人がそれに気づくのは相当困難ですが、、。この都合のよい言葉は、なんと人に反対する、前向きな考えをつぶすという罪悪感を吹き飛ばしてくれます。人のためという正当性をもって自己の行動や言動を肯定します。やっかいです。完全にうそではないからです。■自己の課題に気づくことが大切なんですが、そんなことやってられません(^^その人に準備と、決意がない限り、それをみていくことは難しいです。それを見るのが怖いために自らを欺いているといってもいいです。この言葉のやっかいさがこんなに大きいとは思いませんでした。肉親にいわれて一番やっかいだったことばです。『あなたのためをおもっているのよ』もし、自分が使うときがあれば本当に気をつけたいな~と思った年末年始でした(^^
2006年01月05日
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■今年を振り返って一年を振り返ってみました。私にとって今年は『変化と決断』の年でした。堰を切ったように、さまざまな変化とそれにともなう決断をした年だったな~と。去年の間に溜め込んだ知識が、分別され、経験として流れ込んできました。考えが知恵になるので、必然的に変化がもたらされます。細胞レベルでいろいろとかわったな~と思います。『知っている』と『わかる』は大違いだな~と。■今年一番の出来事をあげるなら、『ハワイにイルカと泳ぎに旅行に行く』と『決められた』ことでした。それまでの自分を大きくうち破った瞬間であり、決断と願望達成の本当の意味を体験しました。それまでの、甘えのあった考えから一気に抜け出した瞬間でした。変化がどとうの勢いで始まった瞬間でもありました。■流れ、決意、愛、癒しが今年のキーワード。知識的に知っているレベルと『わかる』というのがこれほど違うとは思いもしなかった言葉たちです。外的な変化はあまりないのですが、内面が劇的に変化した感じです。■最近はだれにあっても言われます。『変わったね~』って。半年前のころに比べると、鋭さや、とげとげしさがすごくなくなっているそうです。今は、自分でもわかるくらい心に平安がある時間をすごせます。これから、会社を辞めて独立しようってのに不安がない、、。そんなんでいいのかと思ったりもするんですが、ぜんぜん安心していられるんですね。不思議だな~。■来年に向けて。新年会の実施(^^自分の正常値を知ること、そして日常的にでてくるゆがみを正常に戻す方法を確立する来年早々に宝地図を作りなおす起業プランをパートナーと練る→お試しの実施海外旅行に3度行く伊勢のあたりを旅行する事務所をもうけるいろんな料理にチャレンジする現在の仕事を完了させる家庭のパソコンをメンテ、ソフトの充実を図る引越しをする個人カウンセリング、ワークをおおやけに始める流れに乗りながらいろいろ進めていこうと想います(^^みなさんにとって今年はどんな年だったのでしょうか?また、来年はどんな年にしたいのでしょうか?
2005年12月28日
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■音楽第九を聞いてきました。うまいですね~、みんな(^^バイオリンとかってあんなに一糸乱れぬ演奏ができるんだと驚きました。■音楽というものに触れると、自分自身も調律されているかのような感覚をうけます。音楽ってのは癒しの効果もあるんだな~と思いました。とはいえ、癒しというよりは敏感になっていくことを多く感じました。音楽をやっている人はたいへんだろうな~っと。音にかなり敏感になるはず。繊細ゆえに日常生活がけっこうきついだろうな~と想いました。メロディラインもおもっていたより高めにあるので、敏感にはなるけれども、不安定になりやすい感じでしょうか。別世界というか、多少現実逃避的なものも感じました。ゆえに、想像するのがたのしかったりするんですが、、。まあ、癒しのための音楽ではないのでそりゃそうでしょうけども。■日常的にCDをききすぎているからでしょうか?実際のオーケストラを聴いていると少しこもっているように聞こえます。一音一音がはっきりと聞き取りにくい。これはデジタルに慣れているがゆえの傾向かもしれません。■第九のような音楽を聴くとなんか壮大な気分になります(^^実際にオーケストラやオペラを聴くことはまれだったんですが、来年はたくさん聞きたいな~と想いました。
2005年12月26日
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■ここ最近、または、ここ3日くらいで私が気づくことはなんでしょうか?間違いを認めることです。なぜ、そんなに成功にこだわるのですか?人はそんなことでは幸せになりませんよ。心の求めるものを正確につかむことです。しかしながら、源に帰るために必要なものは自然とやってきます。求めずともそこに存在するのです。源はすべてのなかに存在し、愛し、領域を広げていきます。そのときの違いや、間違いを直すのではなく、感じるのです。認めることで、感覚が鋭く、多様になります。心に浮かぶことば、感情はなんですか?いやだな、とか、やりたくない、そうしていきたくない。それらは、そうしたいと願っていることと大差ないのです。あなたが何に気づき、そして求めていくのか、知っていることや知らないことは関係ありません。いまやってきている感覚を大切にするのです。いまどんな流れが来ていますか?そんな感情をいだきますか?どんなことを願いますか?さあ、勇気を出して考えて御覧なさい。いままでの人生とは違うものも体験、実現できるのです。それは、あなたしだいです。あなたのとらえかた、見方におおくかかわっていきます。どんなとらえかたをしたいですか?あたたかい、緩やかな流れを感じてください。激流のながれにのまれることはありません。あなたのペースがあるのです。そのペースをつかめば、なにがあっても大丈夫です。あなたはあなたのペースですべての物事に当たればいいのです。そのとき、相手を自分のペースに巻き込めないからといってあせってはだめですよ。自分のペースが見つかるよう、手助けしてあげなさい。でも、そのペースにあなたがあわせる必要もないのです。自分の人生を生きるとは、そのペースを見つける、生きることに似ています。自分のペースを見つけてみなさい。
2005年12月22日
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■もうすぐクリスマスですね。みなさんいかが過ごされるんでしょうか?仏教徒なんで関係ない、、なんて人もいるかもしれませんが、ほとんどの人がケーキに、パーティーに華やかな日を迎えると思います。この日本人の節操のなさがいいですね(^^キリスト教であろうがなんであろが関係なし。いいもの、楽しいものを主義に関係なく取り入れているのはすごいことですね。■プレゼント。こういったタイミングにヴィトンなどの高級ブランド品のお店をのぞくと面白いですね。何十万もするものが飛ぶように売れていきます。ありえない金額の叩き売りのようになってます。そのときの人の表情をみるといいいですね。お金を払うときにどういった表情をするかを見るとおもしろいです(悪趣味!?)感謝している人もいれば、得意そうな人、また恐怖を感じている人とさまざまです。■最近、オペラシティーでオペラを鑑賞する機会があって、こんなクリスマスすごしかたもいいな~と思いました。というわけで、今年は第九を聴きにいこうかと。私は耳の特性がほとんどないので、音感などはゼロに等しいですが、こういういい場所でいい音楽というのはいいですね(^^クリスマス、たのしみですね~。
2005年12月21日
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■年末、忘年会シーズンですね。先日も友人宅にて10人ほどの忘年会にいってきました。たのし~ですね(^^料理や、お酒をかこんでおしゃべりをしているとあっという間に時間がすぎていきます。■クリスタルボウルのように、音を出す鉢のようなものがあったので(超高級品)ひっしにうまくなるまで練習していました。こういうのは、つい本気になってしまいますね。勝敗なんてものはないんですが、だれがうまくならせるかをつい競い合ってしまいます(^^■年齢も下は23から、上は50overまでさまざまな方がいらしていたんですが、みんな一様に元気です(^^すごいな~と思いました。ちょっと前で、こんな風に年齢も性別も関係なく同格に付き合える人たちができるとはおもってもみませんでした。せいぜい、会社か従前の友人しかいなかったころを考えると、こんなにもかわるもんなのかと、不思議です(^^みんなどの人もすばらしくて、ある分野の日本チャンピオンとか、第一人者、先駆け、発起人とかすごいです。途中でジャズ歌手の方によるクリスマスソングがあったりとみんな楽しんでました(^^■初めて会う人でもすぐに仲良くなれるんですね。もはや、言葉を超えたコミュニケーションとよんでもいいと思います。相手が何を望んでいて、自分がどうできるかなんてことは瞬時にわかるんです。ゆえに、うそをつけば一発でばれますし、ストレスがある分野も瞬時に見抜かれます。普段から自分を意識して生きていないときついとおもいますが、逆にうそや偽りで自分を保護する必要がないんですね、意味ないんで。無理もなければ、押し付けもしない。それでいて、信頼してくれているような感じ。不思議ですが、なにをやっても大丈夫なんだと思えます。■こんな素敵な忘年会を企画してくれたEさん、Yさんありがとー!
2005年12月19日
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■最近、自分のバイオリズムが明確にわかるようになってきた。バイオリズムはだいたい二種類にわけられて、拡張期と収縮期がある。拡張期はいろんなことが楽しくなってきて、新しいことにチャレンジしたり、カンがするどくなったり、動きたくなったりするタイミング。この期を逃さないようにチャレンジや行動するといい。収縮期は自分のうちにはいっていくタイミングいろんなことに悲観的になったり、やる気がなくなったりするけど自分の声を聞きやすくなるので、深いトラウマを溶かしたり、自分の本当のやりたいことを見つめるにはいいタイミング。このときはほとんどカンが働かないので、動き回らずに一人の静かな時間を大切にするといい。だいたい、この二つをいったきたりしている。■大きくこの二つの波と、小さな毎日における波がある。収縮期でしっかり自分をとらえることができると拡張期の伸びがよくなる。波は、拡張、収縮ともにほぼ同じになるので、収縮をさぼると、拡張もたいしたものでなくなる。逆に拡張ばかりに目がいっているとどこかの段階で一気に収縮するタイミングがきてしまいしばらーく再起不能、なんにもやる気のない時期がつづいてしまう。■まあ、難しいことはともかく、今は行くときか?それとも、行かざるときか?の判断がちゃんとできるといいですね(^^
2005年12月14日
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