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ようこそ、お越しくださいました。 島でも、春の様相を呈してきた今日この頃です。寒かったり暑かったりと、目まぐるしい近頃の天気です。 今に始まったことではありませんが、我が家にお金が不足気味になってくると、なぜかお客様がドガドガとやってきて下さり、我が家の金庫が少しだけ潤います。 近頃も、そんな傾向にあります。 まさに、天の采配ですね。 こんなことが私には数十年続いている。 だから、心から「天」を信じている。 信じているから、「天」もできの悪い私を捨て去ることができずに救ってくださる。 私もそうされれば、更に信じる力が強くなり、それに「天」も答えて下さり、、、といった具合の循環が回っている。 有難いことですね。 さて、今年もいよいよ夏季シーズンの予約を本日4月1日より開始いたします。 空室状況や知りたい事なんかはメールで構いませんが、予約の決定はお電話でお願いしております。 随分とアナログ的なやり方だとお思いでしょうが、宜しくお願い致します。 メールアドレスは seikoudoku@blue.plala.or.jp 電話番号は、0225-49-2726 です。秋田駒ヶ岳です
2018.04.01
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ようこそ、お越しくださいました。 さっぱりブログの更新も滞っておりますが、お越し下さる方はそんなに減ってはいず、申し訳ない気持ちにもなります。 先般、術後2回目の3か月がん検診に行ってきました。 やはり、膀胱内のがん組織は見当たらず、きれいな状態でした。 有難いことです。 そう言えば、琵琶茶について一言。 1日に琵琶茶を飲む量は、一時期よりも少し減って、1500ccくらいですが、この琵琶茶を膝に塗って3か月くらいか。 風呂上がりにアトマイザーに入れた琵琶茶をたっぷりと膝に吹き付けます。 若い頃にひざの靭帯を痛めて以来、何かと痛くなったり違和感を覚えたりと、トラブルのある私の膝でした。 いつものジョギングの時、3/4くらい走った頃から膝が抜けるようになる時がある。 ジョギングで着地する時はひざを少し曲げた状態で着地するものですが、膝が抜けるというのはそれができなくなっちゃうんです。 傷みが走って大きく膝がガクンと膝が曲がってしまう。 そのため、転びそうにもなってしまう。 ウォーキングに切り替えても、着地の時には膝を延ばした状態でないと歩けない。 この感じは、見た目に競歩選手が歩いているようなスタイルになる。 これが10回に1回位あります。 私が行っている床屋さんの奥さんが、琵琶の葉をホワイトリカーに漬けこんだものをキンカンの容器に入れて外反母趾の所に塗っていたらそれが治ったという話を聞いてから、これはやってみる価値ありと思い、やり始めました。 初めは琵琶エキスでしたが琵琶茶に替えて1か月くらい経ってから、「あれっ、そういえば膝の痛みが無い!」ということに気付きました。 それと、がんを宣告されてから9か月になろうとしておりますが、大きく言えることは私自身の基礎体力が向上したことか。 ジョギングの時のスピードが増し、走った後の疲労感が少なく、何かをやる時の集中力も増したようです。 その原因を考えると、やはり「命の水」と琵琶茶が影響していると思われる。 忙しい行政区長のお役目も、コンスタントにこなせている。 このまま、ずっと続けて行ったらどうなるのか??? 有難いことです。
2018.03.23
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ようこそ、お越しくださいました。今、近しい方の葬儀のため仙台に来ています。海が荒れているため、予定の日の前から島を離れないと、当日の船が欠航してしまう可能性があるためです。この辺りが離島の不便なところかな。都会から離れて20数年、一切の世間の常識とされる色々な煩わしい考え方を一旦は捨て去った私ですが、その捨て去った常識の一つが冠婚葬祭の無駄。葬儀は亡くなった人のためにあるのではなく、残された人の気休めのようなもの。このことを書くと長くなるのでよしますが・・・20年以上葬儀には関わりのない生き方をしてきたのがここ最近数件の葬儀に列席しました。その理由は、難しいことではないのですが自分の常識と世間の常識とで、かたくなに区別する必要は無く、もっと流動的に考えてもいいんじゃあないかと思うようになったことかな。相手の立場に立って本当に考えられれば、自分の考えなんかはいくらでも応用できる。自分の考えとは主義であり、思いでありイデオロギーであります。それは、本来自分に対してのエネルギーであり、相手に対して発するものより強いはず。今の私としては、相手の気持ちを斟酌できるまでに至っておりませんが添うよう努力しなければなりません。確かに、若い頃は何が正しくて何を避けるべきかハッキリとしていたのが、今ではどうでもよくなっちゃって、どちらでもいいような気持ちになります。「それもいいかな」と、何でも受け入れちゃう。それだけ、多種多様の考え方や生き方を受け入れられるということか。要は、いかに日々人の生き方や、世間の流れに失望せず批判せず、感謝の念を忘れずにいることかな。
2018.01.26
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ようこそ、お越しくださいました。秋田駒ヶ岳です。またもや、いつもの秋田の水沢温泉に湯治に来ています。温泉と言えば山岳部。冬の山と言えば雪。ということで、冬の湯治は雪を覚悟しなくてはなりません。更に、私の湯治宿の希望が、、、清潔で、ツインベッドで、低価格で、、と。温泉の泉質も、白濁した硫黄泉で熱目の湯で。という贅沢な能書きがある。この能書きを満たしてくれるのが今来ている露天風呂水沢温泉です。雪のことを思えば、近くの鳴子温泉にも蔵王周辺にも、いくらでも湯治場はあるのですが、私のワガママな希望を満たす所はありません。それでもって、決まってここに来てしまう。今日で4日目になります。部屋の窓から見える田沢湖です。日に4回くらい温泉に浸かります。熱目の湯だから、浸かっている時間はせいぜい10分程度。それでも、湯から上がっても暑くて汗が止まりません。部屋にいるときは、本の読みあさり。 ブルーレイでの映画鑑賞、あとは散歩と昼寝。極楽です。
2018.01.12
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ようこそ、お越しくださいました。早いもので師走の半ば、癌と宣告されたのが6月終わりだから半年が経ったのか。「光陰矢のごとし」の通りですね。光は太陽、陰は月、これらが凄いスピードで過ぎ去っていく。「禍福は糾える縄のごとし」とも言われるように幸も不幸も撚った縄のようにお互いがせめぎ合うかのように織り成すのが人生と聞いてます。癌の宣告を受けてから6ヶ月、先般、術後3ヶ月の検診を受けました。内視鏡で膀胱内部をモニターして全部見せてくださいました。手術で取りきれなかったガン細胞や今後ガン細胞になる疑いのある部位、それらがまったくきれいに消えていた。私のガンは浸潤性であっった為、組織の根っこまでは取りきれないでいるはずでそれらが3ヶ月経って成長している筈なのに消えている。この3ヶ月間何をした???「命の水」を毎日200cc位飲んだ、枇杷茶を毎日2000cc位飲んだ、湯治に行って、熱目の温泉に浸かった、こんなことくらいか。そして、何よりも大きい事だと思うのは、今、こうして生きている事に何があっても誰であっても、どんな状況でも、受け入れ感謝し日々を送るということだった。これからの病の日々や、「死」ということを身近に感じさせていただいた後、今を感謝することはいたって自然だった。もうちょっと 生きてみろ、ということか。これも「天」の計らいの一部なのでしょうね。自分なりに「死生観」は持っていたはずだけど、さらに「死」を意識させ私の目指している「人生の仕上げ」、この3次元世界で生きる大いなる意味である「生かされている」ということに、もっと近づけさせるためだったのかもしれません。昔から大病すると人は変わる、と言われていますが病というマイナスに考えられる事をプラスに転換するこれを「観の逆転」と言われていますね。さあ、これからの人生を更なる高みに昇華できるよう目の前の出来事に想いを寄せよう。
2017.12.13
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ようこそ、お越しくださいました。術後の経過が至って順調で、とても癌患者とは思えない自分です。例年の11月の長期の旅は、今年はなかなか日程がつかず、7~10日で帰島。そしてまた7日と、ぶつぶつと区切った日程になっております。今は、秋田県田沢湖の近くにある 水沢温泉での湯治にきています。今日で4日目ですかね。早朝から日に4~5回の温泉を楽しんでおります。ここの湯は、私の好きな硫黄泉で白濁した温泉らしい湯です。もちろん、カミさんと一緒です。ここでやることは温泉に浸かることと昼寝、後は、近場の散歩といったところ。一切の世俗から離れて、今生きていることを感謝してこの時を刻んでいます。外は雪が降っています。雪の中での露天風呂、なんと贅沢な時間でしょうか。
2017.11.19
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ようこそ、お越しくださいました。またもや、長期のご無沙汰でした。シーズンが終わり、お客様の対応からは解放されこれからは、自分の時間をどう過ごすか自由になります。まずは、冬に向かっての越冬対策で、薪の確保が重要となります。今回は、その前の山に雪が降る前に「命の水」を取りに行く役目があります。その日は、降雪はもちろん雨天も避けます。谷を上がり下りますので足場が悪くなりますからね。日程は7日くらいを見ました。八甲田山は、温泉が豊かですからたっぷりと楽しみたいですからね。出発前は、25年前に行ったきりの場所が突き止められるか、車でどこまで入って行けるか、など少しは心配します。でも、それよりも絶対にその場所に出会えるという信念みたいなものが強くあって、準備を整えて行きました。前日は、温泉つきの道の駅にキャンカーを入れました。翌日の早朝、かみさんの炊いてくれたご飯をいただき、いざ八甲田山に向かいます。天気予報では、その日を挟んで両日とも傘マークあり。でも、その日は抜けるような秋晴れでした。その場所はすぐに特定できました。でも、そこまで行くまでの 道がとても車で入って行ける状態ではなかった。両側から藪がセリだし、轍は深くえぐれ、雨水がたっぷりと貯まった状態。これは想像していた範囲。覚悟を決めて、背負子を背負い徒歩で取りに行きました。かみさんにも手伝ってもらい、なんとか20リットルポリタンク4個確保できました。25年前にはそこに小さな朽ち果てそうな祠がありましたが、今回はそれはなく、きっと朽ちたのでしょう。祠があった場所に、なにがしかの賽銭を捧げ、感謝の祈りを込めました。次は来年に越させてもらえるよう手を合わせます。さて、なんとか 目的を達成した後は、温泉をゆっくりと楽しみましょう。タブレットで更新しましたがどうもやりずらいね。
2017.10.03
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ようこそ、お越しくださいました。台風5号のおかげというか、思わぬ休暇ができました。 7日は船が動くけど、8日は全便欠航と予定され、7日の宿泊客は帰れなくなるということで、すべてキャンセルにさせていただきました。 それでもって、7日宿泊のお客様の朝食が終わったら、1日か2日のお休みを頂けました。 この間のお客様には、ちょっと可哀想ですね。 大雨で困っていらっしゃる地域もある中、私たちはまだまだ幸せです。 さて、私の病気のことをブログに書きましたでしょう。 そのせいか、その事を気遣って下さるお客様が多くいます。 特に、常連さんで毎年来てくださっているお客様が。 私は至って元気なのですが、やはり癌という事なんでね、はい。 前回書きました「命の水」ですが、30年近く前に行ったきりで、その後その場所がどうなっているかも解りません。 きっと八甲田山系の国有林だと思いますが、どうなっているでしょうか。 湧き出ている場所がけっこう奥で、車で行ける所からさらに奥に入って行き、そして沢をぐっと下る。 足場も悪い。 前回は20Lポリタンク100個という大量だったもんで、水の汲み上げにポンプで吸い上げ、長いサクションホースで上まで引っ張りました。 .今回は、ポリタンク5~6個程度にしようかと。 それで、ポンプは使わずに背負子で背中に担いで運ぼうかと思っています。 けっこう急勾配の上りと距離もあるので、きついとは思いますけどね。 この「命の水」に関わっていた頃、東北から関東以南まで「すごい」と言われる湧水を求めてあっちこっち歩いたな。 会社まで作っちゃって。 社名は(株)如水(じょすい)といいまして。 戦国時代の武将の黒田如水は、あまり意識はしませんでした。 普通の意味は「水の如く」なんでしょうけど、この場合は違います。 逆の「如くの水」なんです。 「如く」とは、「如来」(にょらい)に起因するのか。 大日如来とか釈迦如来とかいらっしゃいますが、「如くの所(次元)から来られた存在」という解釈があります。 仏教では、大日如来といえば大元の仏、宇宙そのものというとらえ方をしていますね。 如くの所とは、私たちが住んでいるこの次元ではなく、神の領域である高次元を指します。 だから、如来様は菩薩様とは違って神の領域の存在で、そこから来られた存在ということになります。 ここから、「如くの水」とは、如くの世界に通ずる水、人間の人知には及びもつかない次元の水ということになります。 そういう水を扱う会社ということでしょうか。 でも、こういう水を商業ベースに乗せることって駄目なんですよ。それであわよくば一儲けしてなんて考えていたのも事実。 「お金」にしちゃあいけないんですね。 結局、この会社は消滅させましたけど。 私の母が、くも膜下出血で倒れ医者には生存は5分5分と言われましたが、島に連れてきてこの「命の水」を毎日飲ませて16年間生きてくれました。 病院からもらった薬は一切飲まずにね。 あの頃は、人に飲んでもらおうとしていましたが、今は自分が飲むことに専念しています。 医療効果が認められるとした水を追いかけ、 人に配って喜ばれ、そのために設立した会社も潰し、水を追いかけすっ飛んで歩いた10年間、無駄になったようで無駄になっていない。 今、私が結果はどうあれ効果を期待して飲んでいる。 あの10年は、このことの為の10年だったのか。 なんせ、私の名前から言っても、「水」に縁がある訳ですから。
2017.08.08
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ようこそ、お越しくださいました。今年の梅雨は雨がなく、毎日暑い日が続きました。島の各家庭では、たいがいの家で野菜を作っていますが、雨が少ないので嘆いていました。関東で梅雨が明け、東北もそろそろかと思いきや、1ヶ月遅れの7月後半の梅雨空にげんなりぎみ。子供たちに夏休みが訪れても、島は梅雨空でかわいそう。そんな時こそ、おもてなしの真骨頂が問われます。幸いにも我が晴耕雨読は、そんな日でも宿泊のキャンセルはありません。有難いことです。さて、私の術後の経過ですが、至って順調です。今は、以前と変わりなく料理人に徹しております。ネットで調べてみると、膀胱癌は再発する確率が他の癌よりも多いらしい。だから、定期的な検査は怠れない。今の対策として、多くの水分を取ること。ゲストのcocoちゃんから教えていただいた枇杷茶を、1日2L飲むようにしています。そして、「命の水」と言われている水を毎日コップ半分を飲む。「命の水」と命名された水、けっこう仰々しい。この「命の水」に出会ってから、もう30年くらいになるでしょうか。いや、それ以上か。都会に住んで、都会が嫌になってきて、島に移住しようかな何て思い始めた頃か。ある方から「末期癌にも効果がある水」と聞かされてから、その水にのめり込んでいったことがあります。どこから湧き出ている水なのか知らされていなかったのですが、ある時にその場所を知らされたのです。それは、夢の中で。なんとも不思議な夢でした。その場所は、青森県の八甲田山系でした。何万だか何千だかある湧き水や沢のなかで、数日かけて探しあてた経緯がありました。その水は、自然に湧き出る水にも係わらず、ものすごく酸っぱいのが特徴で、山に入り込んでは沢を見つけ、それを飲んで「これ、違う、これも違う」と確認する連続だったかな。目当ての泉を見つけたとき、それは、とてもドラマチックだったのを覚えています。一旦自宅に戻ってから、再度2トントラックでポリタンク100個を携えて水を取りに行きました。その水の残りが島にありました。忘れ去られた水、。。。30L位しかなかったけど。早速、コップ半分くらいを目安に毎日飲んでいます。この秋に八甲田山に雪が降る前に、「命の水」を汲みに行こうと思う。健康寿命を維持することって、肉体の死を迎えるその時まで、生きる上で大切なこと。不自由な状態で、心臓が動いているだけでは、生きているととは思えない自分です。家族に極力負担をかけずに、限りある寿命を全うすることは、正しい選択だと思う。そして、間違うと死に直結する病に遭遇して、回りの人や物に生かされている自分が、いったい何ができるのか、そして何がしたいのか、改めて脳裏をよぎります。
2017.07.31
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ようこそ、お越しくださいました。7月5日の手術から4日目。経過は至って順調です。通常と違うところは、まず頻尿。2時間から2時間半毎に尿意が起こります。それと、排尿にともなった痛みかな。この2点ははじめから予想されていたことで、少しずつ改善されていくと思われる。退院後は島に帰らず、キャンカーで過ごしています。至って快適です。気がかりと言えば、お酒が飲めない事と、運動ができないこと。それ以外は発病前と変わりはありません。最近聞く言葉に、「健康寿命」というのがある。日常生活を誰の助けも要らずに送れる間の寿命のことだ。日本人の男性は71才、女性は74才らしい。私は66才(来る10月で67才)だから、後5年程度か。誰でもが思う事だと思うが、死ぬまで自分の足で歩き、食べ、排泄し、寝起きし、好きなことに没頭し ていたいと願うこと。ただ心臓が動いているだけで、果たして生きていると言えるのかという問いかけである。きっと、肉体が滅んだ先にどんな世界が待っているのか 、そんな世界があるのか無いのか、それが解らないから死が怖いし、死にたくないと思ってしまう。解っていたら、延命治療も無くなるし、癌も怖くないから高価な抗がん剤治療も必要がなくなる。「じゃあ、行ってくるね」と気軽に死後に旅立てる。誰もがそうなったらいいね。でも、そうなると経済が立ち行かなくなる業種がたくさん出てくるね。この3次元の世界では、そういう環境の中で自己の選択をするからこそ、その選択によって凡夫と覚者に別れるのか。
2017.07.09
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ようこそ、お越しくださいました。本日昼前に退院しました。7月4日に入院して、手術の準備。翌日5日14時から脊椎麻酔、そして手術。4cm強の癌細胞を内視鏡による電気メスで削り取る手術でした。下半身の麻酔だったので、上半身の機能はいつも通り。だから、手術台脇のモニター画面をずっと見ていました。膀胱内部の壁を削り取る様は、まるで仏師が荒彫りするが如く、ビビー、ビビー、という音と共に荒々しく削り取って行く。モニターが拡大されて撮されているせいか、実際よりも大きく写るのでまるで肉屋職人みたい。膀胱内はパンパンに水分で満たされているため、削り取られた肉片が膀胱内を浮遊する。そして、削られた部分からは出血が勢いよく吹き上がる。まるで活火山さながらだ。麻酔のせいで全く痛みはない。それを90分間繰り返された。その後、出血している部分を電気メスでジュッと焼き付け止血する。それが、見事に次から次と止血されていく。さすが年間100例を越える手術経験のある専門医だ。目の前でそれをやるのではなく、内視鏡というカメラを通してやっちまうのだからプロ中のプロだ。止血が終われば手術は成功裡に終わる。膀胱内に浮遊する癌組織が膀胱壁に付着して根付くのを防ぐため、尿道に管をいれたまま にして翌日の午前中に癌組織の浮遊物を完璧に滅する薬剤を膀胱内に満たす。それを30分程度満たしたらば、それを捨てて尿道管を抜いて一連の手術は終了する。それが昨日の昼頃か。そして翌日の今日の昼、退院の運びとなった。本当に退院なの?あれだけ切って出血して、生傷が残っている状態で退院していいのかい?というのが正直な気持ちです。プロの仕事というのは、こういうことを指すんだな。昔のコミックの「スーパードクター K」みたい。取りあえずは石巻市内に滞在して、ないとは思うけど不測の事態に備えます。私からすれば、この奇跡のような荒業ができたのも、家族を初め多くの方からの温かい「思い」があったればこそと思います。有難う御座いました。
2017.07.07
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ようこそ、お越しくださいました。 入院して3日目。昨日の午後、膀胱癌の手術を行いました。表在癌という膀胱内の表皮の粘膜に根を張った軽度の癌と、粘膜の下の筋層にまで根を張った中度の癌の間くらいの進行度でした。よって内視鏡による電気メスで組織を削り取る手術でした。不幸中の幸いとでも言いますか、膀胱摘出といった転移が予想される重度の癌ではなかったので、明日には退院できるような話も出ました。しかし、数ヵ月後、数年後の検査で再発や転移が発見されるケースも多くある。口では「軽くすんで良かったよ」と言いながら、再発や転移を意識していなくてはいけない。それにしても、なんとして有難いことです。守られています。取りあえずはこの程度で済まされたのですから。今ある命を、限りある命を大切に大切に使いたい。どうすれば命を大切に使えるの ?今思うことは、寛容であり、許すことであり感謝であると思う。昔から、「大きな病を経験すると、人は寛容に成れる。」と言われます。大きな病は、同時に「死」を意識します。死にたくない。何で俺が死ななきゃあなんねんだ!!! とね。でも、残念ながら人は誰もが例外なく死が訪れます。突然、それが訪れるのと、死期を事前に感知してその時に備えることができる場合とがある。その時が来るまで、どう生きるのかという自身への問いかけ。そして、その時が来た後どうなるのかという疑問。これらが脳裏をかすめるのではないか。私の場合は、いつもこのブログに書いておりますが、この生が終わった次の生が、より自分の思い描いたステージに移行するための、残された日々を過ごすことであると決めております。寛容でありたい。どんなことでも許したい。例え逆境であったとしても、感謝の念を持ち続けたい。これが、私の心からの願いです。
2017.07.06
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先月の初め頃から、血尿らしき兆しがあり、目視で大したことはないと思ってそのままに放置しておりました。ところが、先月の中頃にコーラのような尿が出て、、、慌てて病院に駆け込みました。尿検査の結果、悪性の腫瘍という結果が出て、専門医にて再度の検査。検査はCTと内視鏡で、話には聞いていましたが内視鏡を入れる時の痛さというか、違和感というか二度とやりたくない感じ。検査の結果ですが、大きめな腫瘍が確認できました。先生によると、膀胱ガンらしいとのこと。一週間後に摘出手術ということになり、今入院先の病室で明日の手術に備えております。誰しも思うことらしいですが、まさか自分が癌なの? と信じられない気分と、自分の番なのという感じか。こんな記事は書きたくなかったのですが、ここで改めて自分の死生感を考えるいい機会かなと思って、今病室で書いています。タブレットで書いているので、書きづらいな。自分なりに膀胱癌について情報を集めました。私の場合は、癌の進行が(浸潤度)さほど進んでいないとのことなので、内視鏡手術にて行い、膀胱の前摘出はないらしい。その後の転移等は様子見というところ。膀胱癌の5年生存率は、80~85%というらしい。100人中20人程度は亡くなるという確率。私の年齢が66歳ですから、回りからはまだまだ若いと言われますが、私自身はもう十分生きたと思っております。普通の人が10年かかって経験する悲しいこと、嬉しいこと、苦しいことを1年くらいで経験したような生き方をしてきたようなので、今生でのやり残しはそんなないかな。あと、5年生きられるだけでもありがたいですね。いきなり心の準備ができずに肉体の死に向かうよりも、少しでも時間があれば感謝の日々を送りたい。それ以上生きられれば、それはそれでおまけの人生として感謝の日々にしたい。闘病という言葉がありますが、戦ってねじ伏せるというよりも病と調和して生き、例え肉体が朽ちてもそれは病に負けたことではまったくない。生老病死、そして諸行無常。それすらも楽しみ受け入れるのが私の死生感かな。今回の入院は、一週間程度か。明日は手術で朝から何も食べられず、安静にしていなくてはいけない。それにしても暇があるので、またアップします。
2017.07.04
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ようこそ、お越しくださいました。 お天気が、夏のように暑かったり、又逆戻りして寒い東風が吹いて冬の衣類を引っ張り出して着たりと、目まぐるしく変化する今日この頃。 なかなか冬物の服をしまえずに、衣装棚には夏冬ごちゃごちゃになって整理がついていません。 薪ストーブも6月になって、もういらないだろうと思い薪ラックを片付けたりしましたが、寒い朝に逆戻りした寒い朝に火を入れたりと・・・ これからどうなるのかと心配される方もいらっしゃるのではないでしょうか。 過去の経緯から考えると、異常と思われることが頻繁に出現し、異常なんて何もないと思うように少しづつ慣らされて行っている。 正しく、この世の真理の一つの「諸行無常」ということを人類に体験させていると思われてしまう。 この先に控えている「何か」に備えさせる為の「天」の愛なのでしょうね。 私が網地地区の行政区長になったのも、その準備の一つなのかも。 今まで、どんなに周りから推薦されても、「この世のしがらみから抜け出るために島に来た」という理由からお断りしてきた区長という立場を、今回は引き受けてしまった。 これも大いなる流れの一つなのでしょうね。 この立場は、やればやるほど忙しい立場だと思います。 ほんとに忙しい。 震災からの復旧が過渡期に来た現在、今までおざなりに過ごしてきたいろいろな事を作り上げて行かないといけない。 更には過去を踏襲しながら、調和を目指さなくてはいけない。 そんな中で、わずか百人にも満たない集落の人達との関係が、今は非常にスムーズに、より深く接することができるようになりました。 いかなる時も、島民の願いを推察し、それを実行に移していかないとね。 これも、ペンションをやらせていただいていることと同義で、私の天職なのかもしれませんね。 天から与えられたお役目。 人生の仕上げの為に島に移り住んで二十数年、又これで次のステージに一歩近づくことでしょう。 集落の役員とは、集落の人達の下僕のような存在。 しかも、臨時雇いです。 「大変な役を押しつけられた」ではなく、やるからには「ビシッ」とやりたい。 自分以外の為に、時間と情熱を傾けることのできる立場に立たされて、人生の仕上げをするにはうってつけのお役目。 こんなお役目を与えられて、これに勝る喜びはないでしょう。 ある本の中に出てきた言葉紹介します。 歌人とは、外見の美醜を見る者ではない。 心の中を、胸の内を詠む人間である。
2017.06.09
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ようこそ、お越しくださいました。5月連休は、落ち着いた五月晴れの落ち着いた日々が続きましたね。 今までは、連休中の前半か後半のどちらかで春の嵐がやって来る年が多かった。 だから、レジャーの予定を立てにくい面がありましたね。 今年は、アウトドアには最高の日和でした。 昨年11月の旅の紀行文も途中まででしたね。 まあ、焦らずのんびり、書ける時に書くという事でお許しを。 さて、木曽路の次に回るのは、いつもの定番のコースで京都に向かいます。 今回の京都のメインは、東寺の骨董市です。 京都の駐車場は京都御所内の西側にある駐車場です。 ここは広いし、街中なのでバスや電車でどこにでも行きやすい場所。 ここから市内は市営バスで1日乗り放題500円で行けます。 東寺の骨董市は、祖師の空海入寂の3月21日を期して、1239年以降は毎月21日に行われているという、大層歴史のある市だそうです。 私とカミさんは、あまり混まない内にという事で午前8時頃に行きました。 ところがどっこい、その時間ではもう身動きできないくらいの混みようでした。 1000店を超える店が、ぎっしりとひしめき合い、割と低い価格設定であるため、気安い感じで買い求められました。 私の狙いは、焼き物です。 古伊万里、古九谷、古萩とか無造作に、ガサツに並べられている。 私の場合、真贋はあまり問いません。 あまり問わないというよりも、まったくどうでもいいことです。第一印象で、「これ、いい!」と感じたものを選びます。 少々の古美術の知識があっても、そんなものはあまりあてにならない。 直観が教えてくれるものを信じます。 なんだかんだで10時頃までいたか、数点買い求め、半分もお店を廻れず、慣れない人混みに酔ってしまいました。 買い求めた品をつっこんだ60Lのダッフルバックを背中に、帰路につきました。 でも、結構楽しかったかな。 お店の人との会話のやり取り、食べ物屋の屋台で何かを食べたりと。 次回に京都に来るときは、21日のこの日を選んでまた来よう。 キャンカーを止めた駐車場の京都御所に向かいます。早速、昼寝をしました。 それから数日京都の紅葉を楽しんでから、奈良に向かいます。 真っ先に行くのが明日香村。 何故か、明日香村に滞在していると心が和むというかまったりとして落ち着きます。 ヤマト民族の故郷だからか。 数日間、特に観光地巡りもせずに過ごします。 毎日歩いたり、自転車で散策しています。 大和三山の一つである天の香具山の頂上に、無人の国常立神社があります。 香具山は200m足らずの低い山なので、15分くらいで頂上につきます。 登山口のたたずまい。ここには、全国的にも珍しい国常立(くにとこたち)神社が鎮座しております。 質素で厳粛、神域としての厳かな空気に包まれている。 国常立大神は、日本書記によれば、天地が分かれ始めた時に第一に現れたとされる根源神であるそうな。 日本神道では、特に重要と位置付けられている神との事。 天の香具山には、特に観光客が訪れる場所ではなく、ひっそりとした厳粛な空気が流れている所です。 私が一通りお参りを済ませ、帰路に着こうとした時、白装束に身を包んだ3人の女性が供物を持って上がってきました。 私が話しかけたところ、何やらどこかの教祖様のような方と二人の助手のような方で、曰く、その教祖様らしき方はこの神社から呼ばれて月参りに来たとの事。 いろいろな事を聞かれ、又いろいろな事を話し、一緒に祝詞をあげ、般若心経を唱え、大切な時間を共有しました。こんな場所で偶然に見える出会いをお互いに「縁」と深く認識したと思います。 私が311の津波の時に熊野古道を歩いていたこと、そしてこの明日香村にいるという時の昨日、宮城県で津波注意報が出たこと、その事を話しすると 「この地のエネルギーと縁を持って網地島に帰ることがあなたのお役目だ。」 と言われました。 そんなこともあるのか~~と思いましたが、あんに納得しました。 それでもって、「そろそろ島に帰るか」ということになり、翌早朝に明日香村を発ちました。 これが昨年の11月でした。 それから半年たった今も、旅に出られないでいるなんて・・・ まあ、これも流れですから仕方がないですね。
2017.05.07
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ようこそ、お越しくださいました。光陰矢のごとしとはよく言ったもの。 光陰とは、言わずと知れた太陽と月の事ですね。 日が昇って日が落ちて、月が上がって西に沈み、そして又日の出を迎え・・・ それが目まぐるしく繰り返され、あっという間に数十年が過ぎてしまっている。 人生50年と言われていた時よりも、今は平均寿命80数年でしょうか。 それすらも矢の如しでしょう。 私は66歳というこの年を迎え、何と一生の短きことかと感じる日々であります。 如何にその日その時を悔いのないように生きなければならないか。 そして、寿命が来て今生に別れを告げ、次の生に移行する。 その生も光陰矢のごとしで、あっという間に過ぎ去り、また次の生に移行する。 3次元の生を卒業できるまで、こんなことをずっと繰り返してきた私達。 しかし、今生は生の完成度がかなり高い方も大勢いらっしゃる。 「美しい生き方」を実践している方が大勢いらっしゃることを実感します。 どんな環境に置かれていても、愚痴も文句も言わず感じず、楽しめたらいいですね。 だって、今の置かれた立場って自身の選択によって決められたものだから、文句なんか言える筋合いではないですよね。 愚痴の多い人って、今の置かれた環境が自身が選んだと思っていない人が多いから始末に悪い。 自分のせいではない、人のせいだと思っている。 もし自分が逆境にいると感じているならば、その逆境は自分の成長にとって必要だからそれが来ているんだよね。この世に、無駄というものは一切ないとされております。 その逆境を受け入れ、乗り越えた所に何か素敵なことが待っている。 この「受け入れる」という事が肝心みたい。 自分の不幸を呪い、愚痴をこぼし、文句を言う。 これではせっかくの逆境が無駄になり、更にはもっと厳しい逆境が登場する。 これは、自身が気づくまで続くみたい。 これが、3次元世界が道場と言われる所以かも。 逆境を受け入れれば、それだけでその半分は解決し、安らぎが訪れる。 すべてを、良い方に良い方にと考えたいですね。我が家から見た、田代島の向こうの奥羽山脈の、更に向こうの彼方に沈もうとしているお日様。
2017.04.25
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ようこそ、お越しくださいました。又また、ご無沙汰でございます。 方々の方々から「ブログ止めたの?」とかのお叱りをいただいております。 今、とっても忙しいです。 こんな忙しいOFFって初めて。 お客様がいらっしゃることもさることながら、行政区のお役目や何やかやで、旅にも出られません。 島に移住して20数年、なるべく責任ある立場には極力避けようと生きてきました。 しかし、島のそういう立場の方々が高齢化なのか、日を追って亡くなられてしまって、・・・ 数年前からは、ある程度は覚悟をしてきましたが、ついにこの4月から行政区長という立場に立たざるを得なくなり、その役を拝命いたしました。 今の島の置かれた状況は、311の震災から6年、復興に向かって大きく前進しているさ中です。 その流れを傍観していられる時ではなくなり、むしろ牽引していかざるを得ない状況です。 という事で、俄かに忙しくなってしまった次第です。 「在るがままに生きる」というのが、このブログのタイトルです。 私の座右の銘でもあります。 「在る」という事は何を意味するのか。 この話は長くなりますが、私の考えている「在る」は、「天」を意識しております。 私はこの大自然や宇宙、私たちの体や意識、この世あの世のありとあらゆる真理を創造された存在を「天」と呼んでおります。 「天」はどんな「私達」を望んでいらっしゃるのか。 どんな道を歩んで行ってほしいのか。 それを、絶えず意識して確認しながら生きようとしております。 まだまだ足りないところだらけですがね。 この制限だらけの3次元社会を生きていく上で、私達は何のために生かされ、どこに向かって生きて行くのが、この永遠のテーマが目の前にいつでも存在し続けます。 「美しく生きたい」「美しくありたい」といつも願っています。 じゃあ、何が美しいの? どんな生き方が美しいの? その問いかけには、それぞれの人の心の奥底から響いてくる「直観」にヒントが隠されていると考えます。 この「美意識」の違いが、霊的に目覚めかけている人か、否かに分かれてくるような気がします。 「そんな考えでは、食ってはいけねえよ」 と言われる方も多いと思います。 でも、少しでもいいから 「人間まんざら捨てたもんじゃあねえな」 と得心するような生き方もいいんじゃあないっかな。 現代人は、物事の判断基準を「利害得失」に重きを置いております。 いや、そうさせられてきたのです。 私は、それを否定するわけではありませんが、美しくありたいと願っちゃう。 区長という役を引き受けたのも、目の前に引かれたレールだと考えました。 十数年前に我が家が火事で全焼して、私が煙を吸って一酸化炭素中毒で島の病院に担ぎ込まれて、あらゆる人達に返すことのできない恩を受けました。 その恩の万分の一でもお返しすることが出来たら、いいのかな・・・と。 ローペースではありますが、ブログも続けてまいりますので、お許しください。 中山道、木曽路で見つけた晩秋
2017.04.10
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ようこそ、お越しくださいました。 随分とブログのアップをさぼっておりました。 11月の旅先からのアップ以来です。 旅は、あれからも温泉巡りを楽しんでいました。 長野市周辺から白馬村へ、そして新潟県妙高の池の平温泉、そして野沢温泉へ。 野沢温泉は10を超える共同浴場があり、無料で楽しめます。 でも、入口に賽銭箱のようなものが設置されていて、数百円の寸志を入れさせていただきます。 地元の方や観光客の為に地元の有志が管理して下さっている。 有難いことですね。 野沢温泉の共同浴場の湯の温度は割と高く、熱くて入れない所もあります。 まあオフシーズンだったせいか入浴客はほとんどいなかったので、適当に水を入れて入ったけど、薄めすぎちゃあいけないと思い、我慢できる温度で水を止め、息を止めて入りました。共同浴場の大湯足湯にある張り紙。これって、やった人がいたんですね。 あっちこっちの湯を楽しみ、一週間くらい滞在していたか。 温泉郷の中央付近に無料の駐車場があって、そこに車を止めて湯めぐりを楽しみます。 ここは、車中泊禁止という看板が入口にある。 過去に、こうせざるを得ないようなことがあったのでしょう。 後の為に、最低限のマナーは守りたいもの。 ということで、宿泊は野沢温泉から車で10分程度の「道の駅 千曲川」。 ここのレストランの食事もうまかったな。 産直の売り場では、今が旬なのか野沢菜と山芋が毎日大量に売られておりました。 安くて新鮮なので、ついつい買いたくなってしまうのですが、荷物が増えるのは困りものなので、そこはぐっと我慢。 スーパーマーケットが隣接していて、キャンカーでの自炊の買い物もできます。 ここで、あんまりのんびりし過ぎていると、これからの予定もありますので、重い腰を上げました。 野沢温泉から、例年訪れている旧中山道へ。 奈良井宿、妻籠塾、馬籠塾とまるで江戸時代にタイムスリップしたような道を歩きます。 好きなんですよ、この道が。 錦秋の中を歩きます。 後、どれくらい、あと何年、あと何歳まで歩けるか、旅ができるか。 足腰だけは、しっかりと鍛えておきたい。 幸い私は歩く、走るが好きな方なので、今はそこそこ自信はあるけど。 昔から、文武両道とはよく言ったもの。 文は知識を増やすことのみならず、その中から「精神性」を高めることと思う。 武は運動で体を鍛え、地震も天が作りたもうた自然の一部として、生かされている天に、周りの一切に感謝しながら生を楽しむという「神性」を高めることに思われる。 こうして考えると、私の「旅」の意義とは何か。 以前は、旅とは「自分探し」だと思ってた。 俺は何のために生まれたのか、どこに向かって生きているのか、否どこに行きたいのか、・・・ でも66歳にして、「自分探し」は一段落した感ありで、で、どうなの? 今思えることは、「感謝探し」と言ったらいいのかな。 ややもすると、自分一人で生きてきたかのような考えが無意識にこみあげてきてしまう事がある。 そんな自分に、「ガツーン」と鉄杭をぶちかまして原点に立ち返るきっかけを作ってくれるのが「旅」かもしれません。 「旅」は、非日常の極みです。 日常から大きく隔たりを持たせて、己を見つめることの美しさに身を浸すことができる事に心から感謝しております。 今朝は大寒波のせいか、予報ではー6度らしい。 でも、島はそれより4度くらい温かです。 今の室温は、薪ストーブのせいで18度。 これまた有難いことです。
2017.01.15
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ようこそ、お越しくださいました。 久しぶりのブログのアップです。 約、50日ぶりか。 この間、シーズンが終わり、暇になるかと思いきや、結構忙しい日々を過ごしてまいりました。 お客様に向いていた心というか情熱を、島の為というか、そんな役割が目白押しとなってきまして、一つ一つこなしている毎日でした。 「あじ朗志組」というボランティア団体に長くかかわってきましたが、昨年にその代表の組長は亡くなって、その穴埋めに奔走してきたこと。 地元の行政区に関わることで、新しく開設される船の待合所とトイレの管理と運営の在り方を決め、スタートさせたこと。 311での支援事業で行われる公民館の解体工事と新規建築の設計やら運営やら、バタバタです。 そんなことにいったん中断を決め込み、今は旅先からこのブログを書いております。 11月1日に島を出発し、今は長野県の白馬村にある道の駅にいます。 今回の旅の前半は、温泉巡り。 福島の高湯温泉、那須塩原の元湯温泉、群馬県の四万温泉、そして極めつけの草津温泉でした。 それぞれに、いい湯でしたよ。那須塩原温泉郷の一番奥にある元湯温泉。硫黄泉の白濁した湯が、何とも良かったね。 温泉があるという事は、火山がある。 火山があるという事は、地震にもつながる。 温泉は好きだけど、地震は嫌と思う方が当たり前ですね。 これも、プラスとマイナスの「調和」なのでしょうね。 旅先でいろいろな人々や風景に出合います。 それぞれの人には、もちろんそれぞれの生き方や生活がある。 家族や仕事、収入や支出、喜びや悲しみ、夢や現実・・・ そんなことを、ふと考えてしまう。 私も若い時はその日その時を真剣勝負で生きてきた気がします。 そして60歳を過ぎ、今は66歳になりました。 今にして思う事は、現役を退く機会に出会う60代までが人生の半分、それ以降の人生が、実はもう半分に匹敵するのではないかと思ってしまう。 計算からすれば、人生80年の半分は40歳。 でも、人生は計算ではありません。 子供や家のために頑張ってきた今迄から、それら義務感から解放された自由な人生が待っている後半の半分の人生。 その残り半分の人生を、どう生きるかに真価が問われるような気がします。 もちろん、どう生きようが自由ですので個人の選択次第です。 でも、その時間を前半の半分と同じように、ただ食べて行くためだけに大切な時間を費やしてしまうのは、もったいない気がいたします。私の知り合いに、定年を迎えた後、あと何年生きるのか、そこから逆算して今はどれだけお金を使えるのか。結局お金は極力使えないからと、お金を使わなくとも時間をつぶせる図書館に、おにぎり2個をもって自転車で図書館に通い、夕方までそこで時間をつぶすという生き方をしている方がいます。お金に自由を奪われた人生、多くの義務感から解放されるべき時に、更なる鎖を自身に纏ってしまった。それも、自由な選択です。 「自分は、何のために生まれてきたのか」という絶対的テーマを追い駆けてみたくはありませんか。 旅に出ていると、生活感が無くなります。 支払いの事、収入の事、人や仕事との関わり、損や得。 それらが目の前からふっと消え、今日どうしようか、どこに行こうかという子供じみたことを問いかけて、1日がスタートする。 なんとも幼稚な珍道中ですが、その中の有り余る時間の中で何かが見えてくる。 それは、こうして元気に旅を続けていられることへの大いなる感謝と喜び、隣を見れば必ずそこにいる46年連れ添ったカミさんへの愛おしさと幸せ感。 怒りや焦り、恐れや不安のない時間を、心から楽しめます。 旅の間、読もうと思って島から持参した5冊の本も読み終わり、現地調達で数冊購入しました。 旅先で、時間がもったいないから何も本なんか読まなくったっていいじゃあないかと思われるでしょうね。 ところが、これがまたいい。 あっ、雪が降ってきた! 今年初めて見る雪。 白馬村の紅葉と小雪のコントラストが美しい。 今日で旅も9日目。 とっても早い気がします。 あと数日間長野に滞在し、のんびりと京都に向かいます。長野市の善光寺の紅葉。
2016.11.09
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ようこそ、お越しくださいました。 網地島の夏が終わりました。 混み合っていた海水浴場も今はまばらでカモメさんたちがやっとその縄張りを奪還したが如く、波打ち際を数百の数で埋め尽くしております。 他の民宿の女将さん達や海の家の人たちと話をすると、やはり台風の影響でかなりの経済的痛手を被ったと言っています。 いつもの年とは違った進路を進みましたね。 こうまで異常気象と騒がれる事象が立て続けに起こると、こういうことがさらに加速して、もっと大きな、人類にとってはとてつもないような事が起こっても不思議ではありませんね。 その時のために、心の準備をしておかなくてはいけませんね。 なーーに、何も心配はありません。 しっかりと「天」を信じていれば、次のステージがちゃんと用意されていますから。 わが晴耕雨読も他の民宿と五十歩百歩で経済的ダメージを受けましたが、ここ九月に入ってから、そのマイナスを補うが如く、そこそこの忙しさで日々を過ごしております。 島民の方々からも、私が忙しい時期が終わったということで、いろいろな頼まれごとも目白押しです。 ここでも、常々書いている作用があれば反作用がある、マイナスがあればプラスがあるといった具合です。 ありがたいですね。 これこそが、天の采配、宇宙の真理ですね。 この恩恵を受けられる人は、誰でもというわけではないようです。 やはり、「調和に生きる」ということを旨とした生き方が大切なのではないでしょうか。 何があろうと感謝し、激せず騒がず、競わず添わず、ということか。 自分の都合で感謝したり文句を言ったりではいけません。 喜怒哀楽の感情に流されず、他人と勝ち負けを争わず、人の後ろに就くことはせず、・・・ですね。 もちろん、この生き方は人生の完結を求める人に当てはまる指針です。 年齢的に若かったり、魂レベルでも若い人は、そういう生き方に美しさを感じられない人が多いので、難しいかもね。 年齢的に若い時は、がむしゃらに何かを追い求めたり、拝金主義だったりしてもいいんじゃあないかな。 その経験は、後のレベルアップに大きく影響を与えるから。 そこから徐々に年を重ねていくと、何が美しいかが見えてくる。 そういう人の中に、自分が生まれてきた理由は何なのかを真剣に考えるようになる。 そして、おぼろげなりに残りの人生を賭してやるべきことが見えてくる。 そんな感じで、どんどん精神を高める世界にのめりこんで行く。 この精神を高めようとすることは、取りも直さず「調和に生きる」ということに気付くことでしょう。 何度も書いたと思うけど、「調和に生きる」ということは、決して何かを残す、生きた足跡を残すということではありません。 むしろその逆で、残すためにあれこれと無理をすることの方が、どれだけマイナスになるか。 こういうことを、頭の隅において生きてみるのも、悪くはありませんよ。 間違いなく、すべてにうまく行く方向に走り出しますよ。
2016.09.18
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ようこそ、お越しくださいました。 今シーズン4回目の台風休業となっております。 今年は、例年になく台風に気に入られているらしく?、毎週のようにおいで下さります。 せっかくのバケーションを網地島で過ごそうとされたお客様が、中止を余儀なくされて、とっても可哀そう。 キャンセルの電話をする時に、皆さんとっても残念そうで、日にちの変更でしのぐ方もいらっしゃいました。 でも、その変更日もまたもや台風で、船の欠航となり・・・ という事で、どたばたのシーズン後半となりました。 昨日は、台風10号が網地島付近を通過して行きました。 報道されていたほどの風雨ではなく、先程ぐるっと見回りをした結果、今のところこれといった被害はありません。 大量に降った雨も、速やかに海に流れ落ち、強風にも人も自然の木々も慣れっこです。 まったく、有難いことです。 本当に、この島は自然災害?に強い島です。 311でも一人の死者もなく、悲壮感を漂わせることなく過ごせました。 もっともっと、網地島の波動が上がってくれば、何の心配や憂いは無くなることでしょう。 さて、「日輪に向かって歩く」ということ。 先般、ある本を読んでいたら出てきた言葉です。 「あの日輪に向かって歩いて行け、さすれば己の影を踏むことはない。」 日輪とは太陽のことですね。 お日様に向かって歩けば、自身の影は後ろに回るので、その影を踏むことはありません。 この意味する所は、日輪は真理とか誠、愛とかの代名詞。 それに向かって生きれば、悔いや恐れを生むことなく真の王道を進める、ということかな。 「言うは易し、行うは難し」で、これって難しいですよね。 でも、完璧は無理としても、これに向かって歩けという事ですから、向かって歩こうとする姿勢が大切なんじゃあないかな。 今私達が生きているという事は、やるべきことがあるから生きている。 過去生からのやり残しがあるから生きているわけです。 やり残しが無ければ、過去からのカルマを解消したことになりますから、そういう人は生きる場所がこの次元の地球ではなくなります。だから、やり残しが無い人は、ここにはいないのです。 往生したという事、解脱に至ったという事ですから3次元の輪廻から解放され、その魂は次のより高い表現の場に昇華します。 私達の今生の生きる最重要のテーマは、そのやり残しをやり遂げることなのですね。 やり残しを完結させずに、生きて行かなくてはいけないという理由でその最重要テーマに手を付けずにいれば、また再び輪廻の輪からは出られずに同じことの繰り返しとなるようです。 どういう生き方でも、それぞれの自由な選択ですからね。 私の場合は、出来得ることなら3次元の世界から解放されて、食っていかなくてはいけないという制限のない世界で、より高次元の世界で生きてみたいな。
2016.08.31
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ようこそ、お越しくださいました。 今シーズン2度目の台風休暇です。 毎年のことですが、夏季シーズン中に3回くらい台風が接近し、連絡船が欠航もしくはその可能性があるということになって、島に行けることはできるけど、明日の帰りの船は出ないかもしれないと言われると、お客様も宿泊のキャンセルとなってしまいます。 楽しみにしていたバケーションが中止となって、大変可哀想です。 でも、天候のことですから仕方がないとあきらめているようです。 我がペンションも、満室状態だったのが一転して宿泊者ゼロ状態。 逆を言えば、そのおかげで私たちは予期せぬお休みがいただけて、のんびりできます。 まあ、経済的損失は否めませんが、これも世間にお布施をしたと思ってポジティブに考えております。 確証はありませんが、この経済的損失も、すぐに埋まる仕組みです。 今日以降の客数が大きく伸びるとかで、必ず補填されます。 プラマイゼロの調和に戻る。 それは、毎年のことで実証済みです。 マイナスがあればプラスがある、プラスがあればマイナスがある、これが宇宙の真理の一つですから。 だから、これが解っていると、ガタガタ騒ぐ必要はないのであって、騒げば騒ぐほどその仕組みが歪みます。 それは、「天」を信じていない証で、突発的なマイナスに対し、憤りや不遇を呪う想念を発してしまうから。 見た目や目先の状態を、その都度一喜一憂する癖がついている私達。 マスコミも、一つ一つの出来事に幸不幸、ラッキーアンラッキー、加害者被害者と色分けし感情をあおります。 それを見ている視聴者は、見事にそれに踊らされ、怒ったり涙したりと大忙し。 目の前に起こる出来事が、魂レベルの長い長い時の中で、良き方向に導かれて進んでいると認識できないでいる人が多い中、まず「天」を信じて、信じ切ることが大切と思うのですが・・・ 仏教で言う所の四苦、4つの苦しみの、「生老病死」(しょうびょうろうし)。 自分の居場所のない家庭や職場で、どう生きて行ったらいいのか。 老いて体が弱り、死ぬまでお金がいくらかかるのか。 病を抱えた体で、周りの人に支えられながら、どう生きて行くのか。 死んだら、死んだ後はどうなるのかという、四苦の極みはやはり「生」ではないか。 「諸行無常」(しょぎょうむじょう)という、この世で形あるものは時とともにその形を変えていくというこの世の摂理をお釈迦様が説きました。 人の生死も、人との出会いや別れも、お金や人間関係もすべてこの世は流れ流れて変化していくという事。 しかし、その変化は「天」を信じていれば、必ず「歓喜」、「弥栄」(いやさか)に向かって進んでいくと確信しています。 四苦の極みである「死」が、実は「終わり」ではなく、次のステージの「スタート」だと信じることが出来たら、どれほどこの人生が豊かに、尊厳を持って生きて行けることでしょう。 特に、人生の仕上げ時期に入っている50代以降の方は、現世利益に走るのもいいですが、来世をどう生きるかに焦点を絞った生き方を少しでもできれば、結果として晩年がより豊かな人生になることと思います。
2016.08.18
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ようこそ、お越し下さました。 前回のブログで、来世が無くては辻褄が合わないと書きました。 でも、証拠というか、科学では証明されていないし、来世から今世に戻って来世の事を現代の人に詳しく説明した方もおりません。 リーディングで高次元の存在と交信したと言っている方はけっこういますね。 でも、そこにははっきりとした第三者が認められる確証というものがありません。 それは、高次元から3次元に積極的に介入することはできないからです。 あくまでも現代人の本人の意思で、この混迷した世の中で気付いて行かなければならないから。 間接的な気付きのヒントみたいなものは、けっこうたくさんあると思います。 でも、高次元からそのヒントが下りてきても、そのヒントを受け取る受信能力が乏しく気付かないで過ぎてしまうことがとても多いと思われます。 高次元からの波動を受信するために、その能力を高めなければなりません。 自らが高い波動を有しないと、受け取れないのが普通とされています。 荒々しい波動の中で生きている人には、その精妙な信号に感応できないのですね。 荒々しい波動の中とは、競争社会の只中、争いを好む、言葉が乱暴、相手を思う心が少ない、敵対心競争心が強いなどですね。 そういう世界をなるべく避けて、まずは喫煙や薬物は勿論NG、口に入るものはなるべく添加物の少ないものを選び、ピュアな体を目指さなくてはね。 魂が発する波動を高めるために、怒りは最もいけません。 どんなに努力して高めても、一瞬の怒りですべてがなし崩しになるかもね。口や表情に出さなくとも、心に思う事でもNGです。この辺りが、私のテーマでもあります。 鮭が生まれた川を目指して何千kmも泳いで、きちんと産卵をする帰巣本能なんか、「天」と一体となっている証ですね。 実際の生活の中で、いらいらすることも多いでしょうね。 ニュースを見れば、なんでこんな理不尽なことが起こるのか、怒りとも悲しみともつかぬ感情に流されることでしょう。 私の場合は、少し世俗から離れていますので、皆さんとは少し違うのかな。 でも、それが出来なくとも頭で解っているだけで、言動がそれに伴っていなくとも、いいんです。 先ずは、頭で解ることが第一歩です。 こうじゃあ駄目なんだ! と自分を叱りながら、3歩進んで2歩下がる。 私なんかもいつもこれです。 この努力というか、目指す光があるのは来世があると思うから出来るのです。 今の生きている環境は、今までの過去生を含む自分が蒔いた種の結果です。 自分が思い描いた人生と違っていたら、そうなるような原因を作ってきたからに他ありません。 親のせいでも、世の中のせいでも誰のせいでもありません。 この宇宙の揺るぎない絶対的真理である「因果応報」という不変の営みが支配するこの宇宙で、なに一つの例外はないと思われます。 だから、たった今以降の人生は、大いに「来世がある」という前提で生きてみたらいかがでしょうか。 今までの人生は、過ぎてしまった時間を戻すことはできません。 でも、これからの人生は自分で開けて行くんです。 今生は、ここまで来ちゃったんだからしかたがない。 だから、「来世に賭ける」と心に誓って生きてみるのも一興ではないでしょうか。 世界中の人がそうすれば、数パーセントでもいい、世界はどうなるのでしょうか。 戦争や紛争が少なくなり、自殺はなくなり、犯罪が少なくなりと、素敵な世になるのでしょう。 むやみに「肉体の死」を恐れず、延命治療の必要もなくなり、美しく生きた結果がどうであろうと、何も不安や恐れを抱くことなく末期を迎えられます。 でも、そういう訳にはいきませんね。 私達が住む3次元は、低い波動の人から高い波動の人まで、渾然一体となったカオスの次元です。 低い次元の金銭に対する執着に囚われていたり、人と争う愚かさを学ばなくてはならない途上の人もたくさんおります。 そういう人はそういう人で、本人の選択に任せて、好きなように生きてもらって、高い次元を目指そうと気付いた人は、周りはさて置き自分がどんどん高く上り詰めることが大切です。 マザーテレサさんがノーベル平和賞受賞の時、「幸せでない人たちが大勢いるのに、私がこういう賞を受けるのは本意ではない。」と言って受賞を辞退したとかそうではないとか。 そういう考えも立派だと思いますが、今は「天」はカツオの一本釣りのように、気付いた人をスパッと引き上げて下さります。 一人の波動が上がると、その周辺の人達やその地域そのものの波動も上がると聞いています。 だから、冷たい言い方かもしれませんが、他人の選択はその人に任せて、自分は自分の信じる道を進むしかないのですね。 愚かと思える生き方も、その人にとっては気付きの一環なのでしょう。 だからそういう人に対し、軽蔑したりすることはないのです。 私は、そういう人との付き合いは、一定の距離を保った状態で接しています。 まあ、あまり私の周りにはそういう人はおりませんけどね。 そういう意味では、世間との距離を保てる環境にいることは意味あることですね。 島に移り住んだそもそもの理由は、そこにある訳です。 誰しもが高次元に向かうという方向は一緒でも、そこに行き着くスピードと方法はまちまちで、それは仕方のないことなのですね。 まず頭で理解し、出来る所から少しずつやるというのがいいのかもね。
2016.08.09
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ようこそ、お越し下さました。 夏季シーズンも、すでに2回の週末を終え、やっと忙しさに慣れてきました。なんか、今年の7月は大変長く感じられ、まだ7月が終わりません。お客様はもう何度も晴耕雨読に来られていて、 私共の事をしっかり覚えて下さっているのに、 私なんかは記憶が今一で、はっきりと覚えていないことがままあります。 注意しなくてはいけませんね。 博報堂生活総研による2014年のアンケートで、 来世について調査したところ、 29.8%の人が「来世を信じる」と答えています。 逆に、「来世を信じない」と答えた方は70.1%だそうです。約10人に3人が来世があると思っている。 意外に多いな~~と感じました。 又、「宗教を信じない」と答えた人が77.0%だそうです。 来世・・・肉体が滅んで死を迎えた後の世界についてのジャンルは宗教観に入るのかなと思っておりますが、 宗教・・・これは宗教団体を意味しているのかもしれませんが、 宗教団体は信じないけど来世はあると思っている方も結構多いのかな。でも、こういう無記名のアンケートには心の内を正直に書けるけど、 家族や友人同士の会話の中では割とタブーなのではないでしょうか。 死んだらどうなるのかという、 子供でも疑問に思ってお母さんに聞いたりしますね。 可愛がっていたペットが死んで、 「どこへ行っちゃうんだろう・・・」とね。 戦前は人間の生まれ変わりは広く信じられていたらしく、それが戦後、アメリカの進駐軍が日本人の特攻精神の教育を危険視してストップをかけたのと、 共産党や日教組の影響で宗教教育が無くされたと言われています。だからなのか、現代人は「死んだら終わり」と考えている人は多いと聞きます。 私は古いタイプなので(笑)、 輪廻転生という思想は小さい頃から受け入れてきました。 「二世を契る」とか言いますよね。 今世に続き来世も契(ちぎ)るという事なのでしょうか。 結婚式なんかで「二世を契ったカップル」なんて紹介されますね。その意気込みというか、気持ちは解るのですが・・・ねぇ。 結婚はある種の課題を持った知らない者同士が巡り会って、 愛が芽生え結婚に至ります。 同じカップル同士が来世でも結婚するという事は、 今世の課題をクリアーしていないために やり直しの意味で結婚することになる。だから、二世に渡った結婚は考えづらいですね。 余談でした。しかし、肉体の死後は魂すらも残らないとする考えよりも、 過去生があって来世もあるとした方が、すべてにおいて自然で腑に落ちます。だって、生まれた意味だけを考えたって、 死んだら終わりで何も残らないのであれば、 死がゴールでどんな生き方をしたって その評価、結果がありません。 肉体の死を迎えるその瞬間まで、どんな生き方をしたかが原因で、その結果が現れる前に消滅するのであれば、その結果が現れる対象物がありませんね。したことに対してその結果が後に現れるという、 因果応報の法則が当てはまりません。これが無くては、宇宙の成り立ちから始まる一切の営みが、根底から崩れてしまうのです。美しく生きたいとか、 尊厳とか、誇りとか、 誠とか、気高さとか それすらもなくなってしまう。 人の心、いや魂に神性が宿っていて、 本来ならば法律やルールなんかが無くとも、 人と仲良く相手を思いやって生きて行けるはずなのです。だから、ある意味では「死んだら終わり」という思想は、 今さえ自分さえ良ければという考えに陥り、 非常に危険に思います。そんな仕組みを、この宇宙を創造された「天」は造る筈がありません。 年間24500人を超える自殺者も(平成27年度)、その事によりどんな結果が待っているかを考えれば、かなりの数が減ることでしょう。 先のアンケートで「来世を信じない」と答えた人が70%・・・ これは、「来世があるとは思えない」とも取れますね。 思えないのであれば、無いと言っていることと同じなのか。でも、アンケートは「信じる」か「信じないか」の二者択一方式なので、 二色に色分けできない人達がきっと多くいると思います。 白と黒の間には、 白っぽい灰色や黒っぽい灰色など、 無限に存在しますもんね。 私は、死を目前にして「死」を意識したのではなく、 元気バリバリの40代で その意識を取り込んだ生き方をしましたので、 幸いしたとでも申しましょうか。 四半世紀の25年間も来世のことを詰めて考えてきましたから。そう、私の島に移り住んでからの日々は、このことに尽きると言っても過言ではありません。こんな風に書くと、なんかクソ真面目に考え込む哲学者のように聞こえますが、 毎日好きなことをやっている能天気者です。 移住前に長くある霊能者と言われる方と親しくお付き合いをさせていただいた時、 何回か言われたことがあります。それは、私のずっと以前の過去生で、 多くの徳を積んだ僧侶だったそうです。 今世で私がずっとラッキーボーイでいられたのは、この過去世の僧侶が積んだ徳という貯金のおかげだよとも言われました。だからか、その徳を食いつぶすのではなく、 来世にどう生まれ変わるかに絞って生きてきたような気がします。どんな環境に生まれ変われるか、 5次元あるいはその上か、はたまたやり直しの3次元か。 5次元と一口に言ったって、その中での高次元と低次元では雲泥の差があるようです。 私の波動に見合った環境が選ばれるのでしょう。 選ばれると言っても、 自身の波動は自身が高めたり下げたりした結果ですから、 自分が選んだとも言えましょう。 少なからず、自身の幸せを願わない人はいないでしょう。 明日の幸せ、来年の、晩年の、そして来世の幸せ。それには、幸せになる原因を作らないといけません。 原因があって結果があるのですからね。 結果として幸せになるために、その原因作りをどんどん作りましょう。それは、何をするかは、もうお解りですよね。
2016.07.28
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ようこそ、お越し下さました。夏の準備が、ほぼ終わったかな。いや、かなりの部分で目をつぶって、終わったとしちゃったんですね。一番の難問である一年分のベーコン作り。これも、ばら肉220kgのベーコンを作り終えました。ちょうど、一か月かかりましたね。これで、お客様が喜んでいただけたら、それに勝る私の喜びはありませんね。この前の旅の中で、こんなことがありました。この前と言ったって、半年前の一月の九州への旅でのこと。フェリーで仙台から名古屋に行き、そこからは高速道路を通って九州入り。あっちこっち廻って旅の後半戦に入った大分市の南手前辺りに滞在していた時でした。道の駅にキャンカーを駐車し、そこから自転車であっちこっちと毎日走っていました。ある日、大分市に南から入ったコンビニで飲み物を買おうと、自転車に鍵をかけて店内に入りました。時間にして一分間くらいか、自転車に戻るとリアにカラナビに引っ掛けてあったデイパックがありません。そのデイパックには防犯対策は何もしてなく、只カラビナを外せば持ち去ることができる状態。「あっ、やられた!」と。中身は大したものは入っておらず、自転車のメンテの工具が5点くらい入っていたか。でも、一瞬がっかりしました。今まで、旅先や普段の生活の中で、物を盗まれた経験って、全くないと言っていい位でしたから、そういう事って映画や本の中の出来事としか認識がなかったため、ましてや美しい九州の地での出来事に、ちょっと悲しくなりました。物が無くなったから悲しいのではなく、盗んだ人が哀れに思えてなりませんでした。でも、思い直していつもの自分に戻りました。まず、物が盗まれたのではなく、世の中にお布施したのだと思いました。そして、盗んだとされる人を許し、感謝しました。それは、私に宇宙の真理を教えてくれた人だから。度々書いている因果応報という事。原因があって結果があるという事。良きことすれば良きことが訪れ、悪しきことすれば悪しきことが訪れる。それは、何も行為に限ったことではありません。むしろ想念・・・どんな波動を発したかにより、結果が顕著に表れるのです。物を盗まれたり、金銭的損をしたり、一見マイナスに思えることにどう思うかによりその結果が大きく変わるという事。「盗まれた!頭にきた!!!」と、感情的に腹を立てて、盗んだ人を恨み、わが身の不遇を呪っていたら、その想念が自分に跳ね返ってきます。まあ、腹を立てるのは当たり前で普通のことですよね。しかし、それは今までの常識で、生まれ変わった次の生の為にはグッと堪えてポジティブに行きましょう。「世の中にお布施したんだ」と思って、あるいは普段はお布施なんてあまりできないことを、強制的にさせていただいた、と思うんですね。すると、必ず巡り巡って返って来るのが因果応報の仕組みです。その、なかなか出来ないお布施をする環境を作ってくれた盗んだとされる人に感謝する。すると、良きことが返って来る勢いがさらに加速するのです。手から離れて行ったものは、所詮物ですし、それはいくらしただの、無くなったものを再度買わなくてはいけないとかの金品に対する執着を捨てたという観点からも、5次元的ですね。私が言っていることが夢のようなことで、現実の社会では無理と思われる方も多いと思います。なんせ、我が家は数日の留守をするにも家に鍵をかけたことがないし、車もキーはつけっぱなしという生活をしているもので、盗まれるという危機感がまったくないという事も事実ですが。確かに、毎日のニュースを見ると、ちょっと油断するととんでもないことが起こると思わせるような事件事故が起きていることも事実。先に書きました、「原因があって結果がある」という事をよく考えて下さい。自分の身近に起こる出来事は、起こる原因がどこかにあるから起こるのです。その原因に心当たりが有る無しに関わらずにね。自分の発する想念が粗くて粗雑なものであった場合、その波動に感応して粗いザラザラした出来事が忍び寄るものなのです。「類は友を呼ぶ」とでも言いましょうか。だから、そういうことが身近に起こらないようにするためには、自身の発する波動を上げることが最良の手立てになると思われます。前回の記事に書きました、「自分を許し、相手も許す」という事を意識的に実行するようになると、自身の波動はみるみると上昇し、高次元の存在と化すことでしょう。他の人を置いてきぼりにして「次元が違う」ことを実感することでしょう。先般、ある本の中に出てきた面白いエピソードをご紹介いたします。後鳥羽上皇だったか、後白河上皇だったか失念しましたが、時の権力者に都を騒がす盗人を捕まえたことを報告に来た部下に対し、言ったことが面白い。「盗人は牢の中では飯は与えられるかも知れんが、残されて家にいる女房や子供の飯はどうなるのだ?どうにかならんのか?盗人を早々に家に帰してやるわけにはいかんのか?」という、盗人の家族を心配する時の権力者のこの配慮。なんとものん気な話ですが、立場はともかくこういう許し方もあるのですね。
2016.07.15
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ようこそ、お越し下さました。今日から7月。いよいよ、夏季シーズンが近づいてきました。6月は総じて忙しい日が多かったな。お客様の対応だけでなく、夏の準備や行政区の役割も多くあり、キャンピングカーに乗り込む日もなかったな。これも与えられたお役目。嬉々として、一つ一つに誠をもってあたらなければいけないですね。ここ何回か、今生での人生の晩年に向かうにあたって、どういう節目に当たっているかを私の人生を通して書いてきました。幼年期、少年期、青年期、壮年期、熟年期、そして晩年期とに分けてみると、その年代ごとに、適切に学ぶべき物事があり、最後の晩年期において、一応の完結を見るというシナリオでしょうか。晩年に至る前に病や事故で今生の生を終える人もおりますが、それはそれで別の意味がそこには存在しているのでしょうけどね。理不尽と思われがちな出来事も、過去生からの因果応報というルールにのっとって進まれるようです。それは、長い長~~い目で見たら私たち一人一人の幸せに繋がる刹那の不幸に見える現象なのかもしれません。一人の人生の成長の段階と、日本民族のあるいは人類の成長段階も幼年期から始まって晩年期に至ります。人類の幼年期から青年期にかけては、食べるために獲り尽くしてきた狩猟的段階から、農耕や酪農といった、獲り尽くすより育てて生産するという段階で、初めてその土地に定着するようになり、・・・分業化が起こり、・・・産業革命が起こり、・・・もっと物質的豊かさを求め、戦争に走り・・・こんな風に人間の進歩を遂げてきましたね。外国はともかく日本の民族は、人生の晩年期と同じような成熟期に入ってきたような気がします。自然を破壊し欲望をエスカレートさせてきた愚かさに気付き、人と争う愚かさに気付き、たくさんのお金を持つ豊かさより心の豊かさを求めるようになり、量より質を重んじ、スピードを速めるよりも、ゆっくりとした時間を楽しむような人が増えてきました。依然として、まだお金至上主義の方も大勢いらっしゃいますが。まあ、それが悪いという事ではありませんが、精神性とのバランスが大切だと思います。完結すべき人生の晩年期に入っても、なおかつ金銭や名誉欲に拘りと執着を断ちきれずにいる方は、とっても悲しむべきことですね。それはさて置き、私個人の足跡と、人類が残してきた足跡がなんか似通っていることに気付きます。そうすると、これから進む方向は解ってきます。そうです、精神性の成熟とでも言いましょうか、霊性の昇華が私達の進むべき方向性なのだと確信いたします。また、この方向性が「天」という創造の大いなる存在の願っていることであり、宇宙の真理なのでしょう。一つの一生で、そういう方向に生きられなかったら、次の生でこれに挑戦します。それでも駄目で、また生まれ変わってやり直しをする。でもやっぱり成熟の完結に至らなく・・・こんな輪廻転生を何十、何百と繰り返してきたのでしょうね。でも、私達は生まれ変わる度に前世の記憶をすっかり消されて「オギャー」と生まれてきますので、生まれる前に確認した「何のために生まれ変わるのか」という事を心の奥の奥にしまったまま、日々の生活に流されて行きます。今、その蓋をされた記憶を徐々に思い出すというか、「あっ、このことが俺の生きる理由なんだ!」と気付き始めている人が増えてきていると聞きます。肉体の死と、次の生まれ変わる生の狭間、これをチベットではバルドと言うそうです。「チベット死者の書」はバルド・ソドルと言われ、バルド=中間、ソドル=教え、死と生の中間における教えの書ということでしょうか。バルドは4次元とも、そういう場所とは別の亜空間とも言われているようで、一旦そこに留まり次に行く所が決まるまで滞在するような次元とされています。そこでは、それまで生きてきた前世を含めた自身の生き方を、まるで映画を見るように蘇るそうです。そして、マスターと呼ばれる師のような存在や自身のハイヤーセルフ、守護してきてくださった高次元の存在等と反省会のようなことをする。そして、前回のバルドでの反省会で生まれ変わったら、やり残したことをやろうと誓ったことが、今回の生でその通りに生きてこられたか、自身を見つめるんだそうです。自身の立てた目標通りに生きられなかった場合、もう一度次の生で同じ目標を立てる。宿題をクリアした場合は、もう3次元で肉体を持ってやり直しする必要がないため、3次元を卒業する。このことが仏教徒が修行の主眼とされている「解脱」(げだつ)です。「往生」(おうじょう)とも言われていますね。この世に生まれ変わる必要が無くなり、高い次元に昇華することです。一般的な言い方だと、「天国」とでも言いますか。では、解脱するために課せられた宿題をクリアしなくてはなりません。実は、その事が私達が生まれた目的なのではないかと思われます。具体的に言えば、やはり何度も書いてきた、「自分を許し、周りの人を許す」ということに尽きるのではないか。この事は、私がすでにできているという事ではまったくありません。残念ながら、まだまだそこまで行っていません。とっても遠い道程です。しかし、遠いと思えば自分の想念で遠い所に追いやってしまうし、遠くないと強く思えば、意外と近くにあると思います。私はというと、意識して何でも受け入れようとしています。他人の考え方や生き方、目や耳に飛び込んでくるネガティブなニュースも、人それぞれにその人なりの正義がありますから、否定したくなるところをグッとこらえます。いくら頭で解っていたって、瞬間的にどんな考えでも生き方でも、心から受け入れられなくっちゃあね。これら事は本人の現在の意思の関わりなく、宇宙の真理は粛々と進みます。幸いにして、3次元社会にいる今の状況は、一点の曇りなき所まで上り詰める要はないようです。今のこの次元では完璧に「許せる」段階に入るには、若干の無理があります。目指すは、せめて自分と自分の周りの人に対して許せたらいいね。
2016.07.01
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ようこそ、お越し下さました。前回のブログで、今生の生を終了した後の生は、今の物質世界でのステイタスである業績や数字といった「形」はあまり意味をなさないと書きました。私がこういう考えに至るには、島に移住する前の生活で「形」に拘って生きてきたからに他なりません。「形」に散々拘ってきて、そして今になって「実は実績とか数字とかは何の魂の浄化には関係ないのだ。」ということにようやく気付いたのです。関係ないというよりも、むしろ結果として邪魔なものと思っていいのかな。しかしそれが、その時は悪いことでは全くないという事なんですね。その時、その年齢においては、お金や数字に拘ることが大切な経験だったのです。発展途上人というか、人間の成熟度が低い段階で、学んでおくべき重要なテーマなのでしょう。一家を構えることは、必然的にお金が大きく絡んできます。だから、そこで経済力という事に執着することは、至極自然なことなのですね。そういう生き方にたっぷりと頭の先まで浸かった後、第二の人生が近づいてきて、「待てよ」と一歩立ち止まります。「俺の人生、これでいいのかよ」とね。人間的に熟成期を迎えるその頃の年齢になると、余命、残りの人生はどのくらいあるのか、そしてその先の「肉体の死」も頭の隅っこには意識し始めます。体も徐々に無理のきかない状態になり、老いを感じます。あとどのくらい生きられるのか、残りの人生をどんな生き方をすればいいのか、死ぬまでにお金はどのくらいかかるのか・・・・・そんなネガティブな考えに苛まされ、辛い日々が続きます。当然、この肉体が滅んだ先に、どんな世界があるのだろうかと考えるのも自然の成り行きです。私の場合は、島に移り住む前の30歳代後半からこういう形而上的な問いかけにかなりの時間を掛けました。どういうわけか、私は20代中頃から仕事の上での師の影響で、精神世界に大変興味を覚え、いろいろな宗教本を読み漁りました。そして、1999年の世紀末思想、あるいは2012年のマヤ歴にも大変興味を覚え、思想的に随分と突っ込んだ覚えがあります。そんな私の中の結論的な考えが、このブログでチマチマと書いている所です。そう、このブログの開設が2006年3月ですから、10年過ぎました。この10年間の記事が929回で、その中の半数近くは「どう生きるか」という事に関係する記事です。そして、3次元の制限のある肉体という服を脱いだ後、新しい服を着る===新しい次元で生きるのに、より良く生まれ変わりたい、そうするためには今、どうしたらいいのか、その事に生きる意義を見つけたのであります。今までの60年間の私の人生が、いろいろな紆余曲折を通して、その事があって今日に至りました。その事は、すべてが必然で引かれたレールに沿って生き、霊的進化を遂げたいと意図するに至ったのです。無駄な時期を過ごしたと思えた時期も、全く無駄な経験は一切なかったのです。老いという不安、お金が減って行く不安、「死」が近づくという恐れ、自分の居場所や存在理由が解らない恐れ、そんな不安や恐れを心に抱いて「肉体の死」を迎えるのは、あまりにも虚しいと思いませんか。「肉体の死」に直面した時、次の「生」に期待と希望を抱きながら、残される人たちに「世話になった」と、そして笑顔で「じゃあ、行ってくる」と言える末路を迎えたいと思いませんか。私が常々言っている「肉体の死は終わりではなくスタートだ」の所以です。もし仮に、今辛い中で生きているとしたら、その経験が大切なお宝だと思える時期がきっと来るでしょう。だって、そのつらい経験って、あなたの霊的進化にとって必要だから「天」が愛をもって与えて下さった恵みですもの。自分を許し、相手をも許しましょう。どこまでも、どこまでも許しましょう。(これ、私自身に言っています)
2016.06.13
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ようこそ、お越し下さました。今流で言うと、超忙しい?数日が過ぎ、少しのんびりとした時間を楽しんでいます。根っからのさぼり人を自称する私としては、ちょっと働き過ぎか?と思わせる5月でした。その反面、とっても有難いことと、いつも家族にの中では感謝し続けてはいます。口から出る言葉は「ありがたいね」私もこの10月で66歳になろうかと・・・カミさんは12月で63歳・・・46年に渡る結婚生活。随分と、年を重ねたもんですね。昔で言えば隠居の年、今で言えば定年後の現役リタイヤをしている年ですね。よく言われている、第2の人生に入っています。第1の人生は、はっきりとした生きる目的もなく、ただ目の前のことをこなしていくために突っ走ってきた方は多いのではないか。子供や家族の幸せを第一に考え、自分はどう生きたいのかという事に目をつぶって、ただひたすら周りの人の為に生きてきた。目をつぶるというよりも、それしか選択肢がなかったと言えましょう。そんな生から、長すぎる定年後の生に考えたり迷ったりしている私と同年代の方も多いのではないか。でも、子供の為やローンの為とかの義務感から解放され、自分と妻の二人だけのことを中心に生きられる時が来たのですね。これが、第2の青春と言われる所以ですね。青春とは、思慮や分別を度外視して思ったことをすぐに実行しちゃう、そんな年頃です。やっと65歳を過ぎ、長い間持ち続けてきた夢に向かって、やっと歩き出せるのですね。日本地図を歩いて作った江戸時代の商人、伊能忠敬さんはこれを第2の山と言っています。第1の山はお店の為にすべてを犠牲にしてきたが、隠居してからの第2の山は自分の好きな山を登りたいと思い、17年をかけて私財を投じて日本中を歩いて地図を作りましたね。私は、42歳で都会の生活に見切りをつけ、島に移住して第2の山に登り始めました。離島に移住した理由の第一は、やりたいことがやれる可能性を秘めていたのが島でした。私のやりたかった事、持ち続けてきた夢は、心の修行をしたかった、と言えばかっこいいかな。本来の人としての在り方とでも言いましょうか、日輪に向かって歩けるような、そんな心を持ちたかった。修行と言っても、比叡山の代表的修行の千日回峰行のような荒行とは意を異にします。出家して、世間から隔離された中で、お金とは縁のない世界に身を置くことよりも、日々の生活の中で行う行です。そして、この肉体が死んだ後の私のイメージする世界観が、残りの人生を賭して追求するに値する素晴らしい次元であるという事。そして、私はそこの住民になりたいと大それた願いを切望したのです。それから今では20年を重ね、今ではこの島はその私の大それた願いを成就させるにはうってつけであったと確信しております。目指すその世界に移行できるため、私の第2の山である島での生活は、「何をしているか」「何をしたか」はあまり意味を成しません。もちろん、「何をしたか」も大切ですが、それよりも重要なのは「何を思ったか」、そして「何を思っているか」だと考えます。意義ある業績を残すことは、とても素晴らしいことですが、そういう「業績」というか「足跡」という「形」は、3次元を超えた世界ではあまり意味がないように考えます。他人から見た目は、その人が生きた「形」しか見えません。何を思っていようと、第三者から見た目の実績の形や数字は、物質の世界である「この世」しか通用しません。私の目指している次の次元は、「光一つ上がる」世界ですから、形なんて何ら意味を成しません。だって、その世界は想念、想いで何でも形づけられるから。「形」や「物」の世界である3次元と、その次元を超えた世界ではその人の発する想念が重要なのだと考えます。「形」を大切にすることを卒業して、「形」は後からついてくるものに囚われてはいけませんね。こんなことを書きながら、私の背中には汗が・・・まったく汗顔の至りなのですが、修行?がまったく足りていない自分に気付きます。この「想い」って、修行すれば何とかなるというような代物ではありません。生き方そのものを変革しない限り、難しいのかもしれません。何を思っているかなんてどうでもよく、「形」や「結果」を大切にする今の世界の価値観をすっぱりと捨て去る勇気と決断が左右します。どんな思いが、3次元を超えた世界に通用するか、私なりに考え続けています。次回に続く
2016.06.03
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ようこそ、お越し下さました。あ~~~あ、いよいよ夏がやって来る~~その前に、あれもやらなくちゃあ、それにこれも~~なんて、その準備にかかりっきりとなっています。これも、毎年の事なんですけど、その時が近づいていよいよとなって動き出すのって、良い癖なのか悪しきものなのか?間に合えばそれで良し、間に合わなくても何とかなる。そんな考えで、毎年この時期を迎えます。お客様もこの時期の海のものが旨い季節という事を知ってか知らずか、けっこういらっしゃる。業者さんも、夏は観光客でごった返すから、その前に工事をやっちゃおうとなってこの時期に泊まりがけでいらっしゃる。だからか、やたらに時間が足りない。のんびりする時間も大切だし。夏は、エクササイズがおろそかになるため、この時期に体を鍛えておこうとなって、毎日走っている。最近は、自転車を電動に替えてみた。電動アシスト自転車だ。アシストだから、足こぎを助けてくれる自転車だ。坂道なんか楽に登れ、平坦や下りは普通の自転車と変わりなし。今では、町場でも多くの方が利用されていると聞いています。島は坂が多く、通常の自転車だと登坂時には心拍数が上がり過ぎ、有酸素運動から無酸素運動へと切り替わってしまう。旅先でも山道が多く、そんな時に活躍するのがアシスト車だ。女性で、富士山に登った人もいるらしい。で私が使ってみたら・・・・大変、良かった。大概の坂道もスイスイで、スイッチの切り替えできつくもできるし。OFFにすれば、普通の自転車と変わらないので、平坦な道や下りはこれで行く。難点と言えば、バッテリーの容量かな。遠出の時は、スペアバッテリーを携帯していけばOKか。旅先で充電するのに、発電機を使わなくてはいけないかも。なんせ、キャンピングカーのバッテリーから100Vの充電をしなくちゃあいけないのだから、ちょっと厳しい。でも、旅先でアシスト車があれば、「鬼に金棒」といった具合に、大きく行動半径が広がるのは事実。難点のもう一つは、値段が少し高いこと。私のは、ヤマハ PAS CITY-X。輪径20インチのクロスバイクタイプ。価格は10万円位で、スペアバッテリーを更に購入するとなると大容量タイプで3万円か。決して安くないですね。ヤマハにしたのは、パナソニックと並んで最大手の一つだから。商品に安心感があるし、バッテリーの入手に楽なことかな。今は試乗中で、毎日乗り回しておりますが、次の旅予定の希望は11月。(11月は、あくまでも希望。お客様次第で変わっちゃうし)この時まで、カミさん用にもう1台用意して、旅先で峠越えやロングツーリングなんかも楽しめるかな。いや~~ぁ、便利な時代になったもんだぁ。
2016.05.28
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ようこそ、お越し下さました。5月連休は低気圧の影響か、巡航船の欠航が数日あり、そんなに忙しくはない状態でした。でも、その後は業者さんは入って結構忙しかった。それが、今月いっぱい続きそうです。その合間をぬって、夏のシーズンに向かってその準備に追われています。終われているったって、私だけが忙しいフリをしているだけですけど。ブログののアップも、外作業のできない雨の日を狙ってやっています。ついには春先の旅も行けずじまい。まあ、花見は島で十分堪能しましたから、旅先で見たいと思う気持ちも盛り上がりも少し薄れたけど。島の桜は、それは立派に咲いてくれました。私が手入れをしたこととは関係ないですが、数年に一度か、隔年とか、桜の花の勢いが、なんか波があるようですね。まあ、旅は桜を見に行くとか、どこそこに行って何それを見るといった目的とかは、どうでもいいことで、要は「知らない所に行きたい、知らない道を歩きたい」が本音かね。次に旅に出られるチャンスはシーズンoff。11月から12月に行けたらいいな。最近見たSF映画の「チャッピー」。学習機能を備えたロボット「チャッピー」が、赤ん坊状態からいろいろな経験をする中でどんどん学習をし学んでいく。ギャングに連れ去られ、その仲間にされていく中、自分のバッテリーがあと5日で消耗しダメになって行くと知らされる。ギャング仲間の女性に可愛がられ、その女性は自分を「ママ」と呼ばせいろいろなことを本から学ばせていく。童話の黒い羊と白い羊の話。「大勢の白い羊の中で、チャッピーは黒い羊。でも、あまり外見は意味がないの。外見は一時的なもの。」羊が死ぬ場面で、チャッピーはママに質問する。「死んだらどうなっちゃうの?」ママはそれに答える。「大事なのは中身。本当のあなたは心の中にあるの。あなたの魂。死んだら魂は次の場所に行くの。」あと5日で自分が死ぬと思い、次の場所に行きたくないと考え、自分の人工知能を他のロボットに移植して、次に行かなくて済んだ、という話まあ、ストーリーとしては単純な娯楽映画ですね。でも、「死んだら次の場所に行くの」という言葉は、肉体は滅んでも魂は次の場所で生き続けると言っている所が、面白いというか、あまり映画ではない表現ですね。近くの愛する人やペットが亡くなってしまうと、「きっと天国で生き続ける」と思っている人が多いと思いますね。天国で生きるか、4次元か5次元世界か、極楽か、西国浄土か、多くの人が死後の世界はあると感じているのでしょう。私のように、この肉体が滅んだあとに、より良い生を得たいと熱望し、その為にはどうしたらよいか、と肉体がある内からそのために努力する人間って、きっと少ないだろうし、まあ変わっていますね。でも、こんな私からすれば異常と思える世の中で、死んだ先を考えている人間がいても良いのかなと。
2016.05.17
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ようこそ、お越し下さました。島の桜が散りました。ソメイヨシノが散って、次は山桜。それも散って山は青葉の季節。私の好きな萌黄色に染め抜かれた島は、桜から次のステージを迎えました。例年は、5月連休の時に満開から散り初めを迎えますが、今年は幾分早い感じ。我が家の庭にある月桂樹。今年は花が多く、その可憐な美しさを楽しませてくれています。さて、長々と書いてきた因果応報の話、原因があって結果があるという事実、話せばきりがなくなりますね。お断りしておきますが、私はかつて宗教団体という組織に入ったこともないし、入る気もさらさらないですね。基本的に、私は人と群れることを欲しません。組織の中に入ることを好まないタイプ。もちろん、人は好きですよ。でも、長時間に渡って俗っぽい中に身を置くことは無理なタイプです。幸いにして、私の場合はそういう我儘が許される環境をセレクトしたため、どっぷりと俗世に浸かることなくいられることって、とっても有難いことですね。だからか、「道」を求め続けることができるのでしょう。宗教団体に入ることをしなくとも、いくらでも「神」に触れることはできます。それは、「天を信じる」という事です。「天」とは、この宇宙を創造された存在とでも言いましょうか。私のこういった思想は、「道」を究めたいと真摯に思う心でしょうか。だって、私達が生まれ変わり死に変わって生き続けた数千年がそれ以上か、この結果をゼロに戻す作業を延々としてきたわけです。ゼロという事は、調和に戻すこと。それが出来ていないから、生まれ変わった次の生でその続きをやる。ゼロに戻すことができれば、この3次元社会に生まれた宿題を完結したことになるので、もはや生まれ変わる必要が無くなって状態、すなわち往生する、または解脱する、アセンションする、となります。こんな話は、一般の生活の中で普通の人達の中植え付けられた常識の中にいる人にとっては、イカれた?話となるのでしょうね。確かに、その準備ができていない人にこの話をしても、全く「糠に釘」でした。そういう人にとって、まだ時期が早いのか、精神世界に入る前に体験しておくことがたくさんあるのか・・・まあ、全人口の2%も覚醒すれば上出来とされておりますから、致し方ないことですね。先般、大阪からいらした二人の22歳の女の子二人。「心の田んぼを耕す」というテーマに旅を続けているとのこと。私の孫と同じくらいの年の二人と長い時間を共有しましたが、座右の銘とでも言うのでしょうか「因果応報」と「足るを知る」だそうです。これには、少し驚きました。私が長年追求してきたテーマでもあるこの二つ。このブログでも、度々登場してきた言葉でもあります。大学生で、こういうテーマを考えているなんて、確かに周りの人達と合わないと言われたことも解ります。1980~2000年代頃に話題になった「インディコ・チルドレン」という子供たち。より覚醒された子供たちで、地球のアセンションを手助けするために生まれてきたとされています。SちゃんとMちゃん、今はそのほとばしる熱い思いを胸に、熊本に行っています。二人には、いろんな経験をしてほしいですね。わたしは、今生の生の長さを表現するのに、こんな言い方をします。「例えば、ここに100cmの物差しがある。この長さが人の魂の寿命とするならば、今生の人生80年の長さなんて、きっと1cmにも満たないんじゃあないか」とね。今の3次元社会では長さというものが存在しますが、そこを超えた高次元では時空を超越した世界となるらしいので、100cmという概念はないのですけどね。私の住む宮城県も、311という未曽有の災害を経験しました今は、九州の方々がそれに直面しています。そういう被害と思える出来事も、因果応報という真理の表れなのでしょうね。天の采配には理不尽と思えることもたくさんあるようです。目先の出来事に囚われず、大きく俯瞰できる心の目を養いたいですね。
2016.05.04
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ようこそ、お越し下さました。春真っ盛りといった毎日、島のソメイヨシノも4月8日に開花をいたしました。冬の間ずっと手入れをしてきた桜、毎日が気にかかります。昨年まで、手入れを怠ってきた島の桜、せいぜい3月いっぱいが剪定時期なので、それを過ぎてしまうといけません。ほぼ一人で手入れをやってきましたから、そこまで間に合いませんでした。だから、途中で見切り発車といった感じです。それでも、桜の花芽が少しづつ大きくなり、うっすらと色づき始めた蕾の先端が顔を覗かせ、薄紅色に染まった花弁が恥ずかしそうに開き始めると、その自然の偉大さに圧倒されてしまいます。桜の並木道になっている南北に走る島唯一の県道を、ほぼ毎日ラン&ウォークしているので、桜の成長過程をつぶさに確認できる事が喜びの一つとなっています。春になれば、桜が咲くのは当たり前と思っていたものが、そのお手伝いが出来た充実感がひしひしと感じている毎日です。500本くらいある桜の半分が私の担当というか、自分でお世話したいなと思った桜で、他人からお願いされたものではない、やりたくなっちゃっただけなんですが。近頃では愛着が湧いちゃって、名前を付けちゃおうかななんて思ったりして。さて、前回の続きです。雨を願ったら、ぬかるみも覚悟せよ何かを得ようと願えば、それに見合うだけの代償を支払わなければならないと書きました。「願う」という事は、何かが足りない、行きたい方向に向かっていないといった、思い通りに行っていないから、それを実現したいと思い、自分以外の力に助力を願う事ですよね。苦しい時の神頼み・・・なんて言う事も??目の前に展開する「現実」とされるものは、自己の内面の投影だとする考えがあります。これは、東洋思想の唯識論に繋がります。先に記述した因果応報という、原因があって結果があるという真理。目の前に展開されている現実は、そうなるような原因があるからなのだという事。この原因とされるものは、今生を含めた過去生の一切から起因しているとされています。今世のみで原因を探っても、皆目解らず見えてこない場合が多いかもしれません。子供の事故やトラブルなんて、事故やトラブルが結果で、その原因がどこにあるのか、今生でその原因なんて見あたらないのがほとんど。それらは、前世以前にその原因が作られたと考えていいのでしょう。これらは、我々人類に対し大いなる目的があって存在するようです。それは、人類が何度も経験してきたとされる生まれ変わる度に、大いなる目的を忘れ、目先の物質的豊かさを追い駆けてしまった結果、多くの人が失念してしまったと思われます。自分にとっての不都合は、その必要があるから起こっている、意味ある出来事なのだと認識しなくてはならない時期に来ていると思われます。何の為に必要なの?という問いかけは、誰しも思う所です。私は何のために生まれたの?どこに向かって生きるの?この疑問は、大昔から繰り返されてきたようです。その答えが今解らなくとも、その問いは消えることがない、その問いの答えを探し続けることが、人生の最大のテーマなのかもしれません。「神も仏もない」と思えるような出来事も、そこに意味があるとして想いを巡らす。そんな悲惨と思える出来事が、その人の生にとって必要だったと自覚できたら、どれだけその人は救われることでしょう。要は、今生で惨いと思われるような体験をしたとしても、大きな失敗を繰り返したとしても、それは来世の、又それ以降の自身の進化に通じるための出来事なのですね。今まとっている肉体が滅んで、いったんリセットされた後の生に影響してくることなのでしょう。じゃあ、どうしたらいいの?それは、「信じる」ということに尽きます。自分自身を信じ、宇宙の真理を信じ、置かれたそれぞれの場所で、良くも悪しきも一切を受け入れ在るがままに生きることが大切と考えます。どんな出来事に遭遇しても、信じ切ることです。「天の采配」とでも言いましょうか、「宇宙の真理」とでも言いましょうか、「神」かもしれません。そういった人知を超えた大いなる存在を「信じる」という事です。まあ、信じようと信じまいと、この真理は誰にでも平等に訪れる訳ですが。しかし、信じていてそれが訪れるのと、信じ得るチャンスに遭遇しないで訪れるのと、天地の違いがあるのは解ります。こんなことを書いている私も、どこまで信じ切れるか・・・自信があると言えば嘘になるかな。でも、信じ切ろうと思い、努力することが大切なんじゃあないかな。信じることができれば、どんなことがあったって許せます。例え痛い思いをしたって、死にたくなるような辛いことがあったって、それを乗り越えた所に「弥勒の世」があるんだと思えるから、信じられるから許せるんです。私の若い頃、そう23歳から27歳頃か。職場の上司を心から尊敬し崇拝し、絶対的存在と認識しておりました。その人が、仮に何かで逮捕されても、殺人を犯しても、「絶対にきちんとした意味がある」と心から信じ切れました。だから、何があっても許せました。まあ、その方のおかげで埼玉から仙台に移り、今日に至っているのも事実でした。そんな若き日々もあったのかな。雨を願ったら、ぬかるみも覚悟せよ幸せを願い、そうなることを信じ、ぬかるみなんて自分を信じ、「天」を信じられれば、恐れることは何もないはず。間違いなく、自分にふさわしい場所に導いて下さるという絶対的信頼があるから、何が起こってももちろん許せるのです。私はすでに65歳。今生であとどのくらい肉体が生きられるかは解りませんが、私のこれからの余生は次の生の準備に入っていると言えましょう。とはいえ、何も難しい事なんか何もやりません。今まで通り、毎日を楽しく、心から感謝し、目の前のできる事を誠を以って行いうことか。もちろん、心には「天」を宿してね。
2016.04.10
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ようこそ、お越し下さました。いよいよ4月、ペンション晴耕雨読の夏季シーズンの予約受付が4月1日からスタートします。今までのんびりとしていた分、いよいよ始まっちまうという「喜びと諦めと、感謝」とが心の中を交錯します。港内周辺では、震災から5年がたち、港やそれに付随する施設の復旧が急ピッチで進められております。島は、それほど震災の影響は受けなかったこともあり、また高齢の方が多いこともあって、復旧に目くじらを立てることもなく、静かに見守っております。ただ、復興が佳境に入ったことで、行政区の役員をしている私としては、何やかやとやることや決めるべき事柄も多くあります。どう工事を進めていくか、どのようにしたらいいのか、工事業者と住民、そして役所との三者でどんどん決めて行かなくてはいけません。どうせ、復旧工事でやって下さるのですから、住民の声を大きく反映させていかないと、まずいですよね。さて、冒頭の言葉、「雨を願ったら、ぬかるみも覚悟せよ」厳しい言葉ですよね。何かを願ったり得たいと思ったら、その代償を支払えという事。この原理は、宇宙の真理の一つと言えますね。皆さんご承知の「因果応報」という仕組みですね。原因があって結果があるという事。やったことに等しく、その結果が現れる仕組み。いくら、神社仏閣で手を合わせても、やった分以上のご利益(ごりやく)は期待できないという事、だから、願うという事はそれに見合った努力をしなければ何ら意味をなさない。ねっ、厳しいでしょ。ぶっちゃけて言えば、「やることやんなきゃあ、何も変わらねえよ。」ということなのか?いや、そうではないようなんです。もう一歩突き進めると、努力するという行動もさることながら、何を考え思い、どんな想念を発したかが問われるんですね。「やることやんなきゃあ」というと、行動という動きに目が行きます。実は、そうとも言えないんです。むしろ、やった行動よりも、何を思い、何を考え、という心の中の「動き」、想念の方がむしろ重要なのかもしれません。行動は、傍から見ていて解り易いですが、その心の中は見えません。代償という言い方をすると、何かの犠牲を伴った義務的な印象を受けますね。仕方がないから、代償を支払おうというふうに。ここでは、いやいや代償を支払ったとて、それはあまり効果が得られないようです。じゃあ、その代償ってどんなもの?私が思うには、忍耐や我慢といった事ではないように思われます。昔から、好きなものを断って願いを成就させようとする茶断ち、酒断ちみたいなもの。「こんだけ好きなものを断って我慢するのだから」として、その見返りに願いを叶えて欲しいと願う。その気持ちは解りますけど、辛い我慢と事の成就の因果関係はあまりないようです。ここで言うところの代償は、宇宙の真理である「調和」に戻すという事。これに尽きるようです。この話になっちゃうと、長くなっちゃうんだけど、はしょります。この「調和」の世界に入ると、幸せを願わなくても幸せになっちゃうという仕組みです。私の場合は、まだまだその入り口に立っている程度です。でも、それだけでも私の世界は大きく変わってきています。いやな思いをすることが大変少ない。不都合な出来事があまりない。いやなことや不都合が仮にあったにせよ、それが嫌なことや不都合に思えなくなってくる。「何かを願ったら、調和に生きよ」どうしたら調和に生きられるのかは、当ブログでちょくちょく書いています。次回に続く。
2016.03.31
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ようこそ、お越し下さました。2月11日より始めた私の食事改革。言うまでもなく、食事は我々の肉体と精神を維持していくための大切なものですね。江戸時代に「養生訓」を書いた貝原益軒が著した本の中に、「人は歯をもって命とする故に、「齢」(よわい)とも読む也」という事が書かれています。齢という字は、歯に命と書きます。正しく、噛むことは命そのものを左右する事なのでしょう。そして、更にゆっくり噛む。その事により、たっぷりを唾液を出す。ご承知のように、唾液を多く出すと虫歯や歯周病予防、消化を助けアレルギー予防、プロ選手がよく噛むガムもストレス発散や緊張の緩和に役立つとか。よく噛めば、それなりに時間がかかるので、少ない量で満腹感を得られる。私は、子供に言い聞かせる「よく噛んで食べなさい」「噛み噛みして」というのを、「神神して」とも聞こえます。噛むこと、神は良いことずくめのようですね。前述した私の食事改革には、よく噛むこと50回~100回としています。今まではというと、せいぜい20~30回位か。そして大切なのは、食事は腹を満たすという事に重きを置きがちですが、如何に精神性を高めるかという事。噛み神しながら、この糧(かて)を満たして下さった調理してくれたカミさん、食材を売ってくれた方、買うことができたお金、またそのお金を稼がせていただいた人と人の繋がり、食材を生産加工にたづさわった農林水産酪農に関わった方々、調理することに関わったガスや水道に関わった人たち、・・・挙げたらキリがないくらい、多くの存在に支えられた今日の食事に、心から合掌せずにはいられないでしょう。その食材も人間も、太陽の光や雨や風といった自然の営みを無くしては何も語れません。だから、感謝なのですね。だから、それを感じるためにゆっくり噛み噛みするのですね。飽食とかグルメとか言われている昨今。それを否定するわけではありませんが、ちょっと待って!!!と言いたくなります。高級で希少な値の張る食材を使った料理で、それらしい場所で、腹が膨れるほど食べて、それが憧れとか、一流とか、思っちゃう現代の風潮をあらためて俯瞰すべき時ではないでしょうか。こんなことは百も承知で、長く実践されていらっしゃる方も多いと思います。与えられた今の食事を、個人の主観で旨いとか不味いとか、決して言えませんね。不平不満を口に出すことなんかは番外で、それを心に宿さず思わず、もちろん我慢や忍耐なんてつゆほどにも思わず、有難くいただける自分でありたい。今回の「天」からのメッセージには、「体をきれいにしろ」という事の奥に、頭で解っていたようなふりをしている自分に、改めてもっと「精神性を高めろ」という意味が込められていたのですね。私は、まだ一か月程度しかこの行の実践をしておりませんが、もっとやれそうな気がしております。
2016.03.15
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ようこそ、お越し下さました。旅から帰り、更に春になると何かと忙しくなる昨今。先月末から海藻類の開口が始まりました。フノリから始まり、主流はヒジキです。網地島産の海藻は定評があり、市場にはあまり出回りません。それはそれは、美味しい海藻です。5月初旬まで、海藻採りは続きます。そして、桜並木の剪定という仕事があります。私が島に移り住んで22年、只の一度も剪定をやったことがないと聞いています。「桜切るバカ梅切らぬバカ」と言われるように、桜は切るとそこから雑菌が入ったりして枯れる恐れがあります。だから、剪定には気を付けないといけません。でも、てんぐ巣病という病気に侵された枝は、花芽が充実してくる前の2月末頃までに切り取らなくてはいけません。その切り口には、保護材のトップジン等を塗布して腐食に備えます。あたふたと確定申告の書類関係を整備し、申告が終わったのが2月24日。それから桜の剪定を始めましたので、もう4日位続けています。同時に枝の周辺の樹木も伐採して、日当たりと風通しを良くします。状況によっては、梯子をかけて高い所の枝も含まれ、危険を伴います。カミさんには、「年なんだから、危険を冒してまでボランティアをすることないんじゃない!」と強く言われている。私は「大丈夫だから。」と言っては作業に出かけて行きました。好き好んでやる一人の作業だから、気楽だけど注意が必要です。ところが、傾斜地で変な位置から梯子を掛けなければならない場面で、気を付けて梯子を登って作業をしたにもかかわらず、2.5m位の所から落下してしまった。背中からドンガリ落ちたけど、ちょっと足首を捻ったくらいで、大きな怪我には至りませんでした。ちょっと痛めた右足をかばいながら、その日の午前中の作業を終わらせました。しかし、その日の夕方辺りから傷みがひどくなり始め、腫れも酷くなってきた。カミさんにあれこれ言われていたにもかかわらず、梯子から落ちたなんて言えず、「ちょっと捻っちゃってさ~」と、軽くしゃべっていた。しかし、翌日はお客様が結構いらっしゃる忙しくなる日で、まいったな~と頭を抱えてしまった。痛めた右足は床につけることができない。過去の経験からすると、このくらいの痛みと腫れの捻挫は、最低3日はまったく動けず、一週間は最低限しか動き回ることはできない。明日は、どうしようかと悩む。ところが、夜になったら少し楽になってきた。おやっ、おかしいな、いつもと違うな。まずは、早く寝ようと思い、床に就いた。今は、ちょっと訳があって断酒中。だから、床に就く時間も早い。夜中に起きた。ベッドから降りて、足を床についてみた。「うむ、痛くない!」「こんなはずはない、おかしい」トイレまで歩いた。普通とまでは行かないけど、問題なく歩ける。「こりゃあ、奇跡じゃぁぁ!」捻挫して、アンだけ腫れ上がって、翌日に腫れが引かない状態でそこそこ歩けるなんて、全く信じられませんでした。私の人生65年の中で、見たことも聞いたこともない。奇跡って、映画の世界と違って小さな小さな驚きで、一般的には偶然とか言われていますね。大発見や大事業を為した方々のお話を聞いていると、偶然が重なってとか言われています。この世界に偶然なんてありはしない。ちゃんとした理由があって、意味があってすべてが必然です。それらは、すべてが「天」やハイヤーセルフと言われている高次元の存在の小さな「愛」なのかもしれません。「かもしれません」なんて無難な言葉を使いましたが、私は確信しています。捻挫した次の日の夕方、いつも通りに10km弱のジョギングに行けました。決して無理もなく、足を引きずるわけでもなく、いつも通りに。ジョギングから返って来ると家族のみんなも、びっくり仰天。「何走ってんの~~」と、非難ごうごう。だって、痛くないんだも~~ん。つらつらと考えるに、・・・・・痛みを感じない体になってしまったのか。いや、違う。局部を強く押せば、ちょっとは痛い。こんなに早い回復は、神のみぞ知る世界だ。心当たりがあるとすれば、先月から始めた食事のとり方を変えたことか。1、 食事の量を少なくする。2、 飲酒量は、ビール300ccとウィスキーの水割り1杯のみ。3、 食事の時間は15分以上とする。4、 50回~100回はよく噛む。そして、お客様の関係とか雨降りとか、何かの理由がない限り毎日10kmのラン&ウォークをやる。事あるごとに、感謝の念を抱く。こんなことを旅から帰ってやりだした。更に、極めつけは2月末から“断酒”に踏み切っちまった。10代半ばから半世紀にわたって毎日飲んでいる酒を、断ったのだ。これには、わっしもびっくりだ。何故、こんなことをやり出したかというと、「天」からのメッセージによる。“体をきれいにしろ”ということ。“リセット”に近づけることだ。高次元からのメッセージを受け取る受信機としてのこの体を、もっとピュアにしなくてはならないようだ。そういえば、20年前に喫煙をやめたのも、同じ理由だったな。喫煙や飲酒、薬物の依存は、霊的に退化する最たるもの。特に喫煙と薬物は番外と言われている。飲酒は、百薬の長の範囲を越えちゃって、依存となれば問題になるのだろう。この体の、言わば「改造」を始めたことが、捻挫事件の原因か。これしか思い当たらないな~ある程度の自分で納得できるところまでは断酒で行ってみよう。どこまでやれるかは知らねども、今より少しでも光の方向に行ければいいな。
2016.03.06
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ようこそ、お越し下さました。旅から帰って1か月。毎日、結構忙しい日々を送っています。まずは、毎年のことですけど確定申告。そして、桜並木の剪定やらのメンテ。本業の料理人としても、少し忙しい感じ。そして、旅の間おろそかになっていた運動不足の解消。まあ、それらも何とかなりそうな今日この頃です。数日前、変わった夢を見ました。大変リアルで、時計を見たらAM1時。このまま目を閉じて、その続きが見たいという思いと、メモしなければ忘れてしまうという思い。迷ったが、メモを取ることにした。どうしても、覚えていたい夢だから。夜空に大きな渦が現れ、グルグルと回っていて何もかも吸い込み、そしてそれはどこかに繋がっている。それは3重の円で、中心の円は立体的に内側に向かってうねりながら回り込んでいる。色はオレンジ色から茜色だ。その外側2つは、それぞれ違った青色だったと思うが、夜空のせいではっきりとしない。青色の中に、何隻もの飛行物体が中心のオレンジの渦の中に入って行く。そこには選ばれた人々が乗っている。UFOは地上に立つ私達の傍に降り立ち、まるで重力が無いように地上30cm位の所に浮いている。長さ5m位の小さなUFOは、徐々に近づいてきて私の脇に停まる。いつの間にか、指導員のような男が傍にいてUFOの乗り方を教えてくれる。それは、大変妙な乗り方だ。乗るという事を心の中で決意すると、UFOはまるでその意思が解るかのようにゆっくりの上下逆に引っくり返る。UFOのお腹を見せる格好になり、私はその上に仰向けになって横になる。すると、徐々に開口部が現れ、その中に私は吸い込まれていく。と同時にUFOは通常の飛行体制の上下を正常に戻し、私はUFOの右側の助手席に座っている。コックピットの運転席には赤と白でデザインされた宇宙服を着た異星人らしき男が座っている。一見して欧米人のようなイケメンの30代くらいの紳士の男だ。男はUFOを水平状態のままゆっくりと上昇させ、数十メートル上昇すると船首を立て、垂直にする。すると、そのまま垂直に上昇すると思いきや、真後ろに猛スピードで飛び立った。行先は、勿論オレンジの渦の中だ。次々とたくさんのUFOが同じようにして渦の中に飲み込まれていく。そんな中で私はというと、意識のみが地上に戻っている。地上は昼間になっていた。真っ青な青空に、オレンジ色だった中心の渦は、美しい青色になっていた。その周りの2つの大きな輪も青色だ。その中に、白い線のようなものが光りながら中心に向かっている。渦は、おそらく地上から5000mくらい離れているか。富士山のふもとから富士の山頂を眺めた時、それよりも少し高かったくらいの高さか。渦と二重の円の大きさは、きっと数kmはあろうかと思われる。私の意識は、準備の整った人々をサポートするために地球に残っている。準備が整った人々は、一目見ただけで解る。こういう状況になることを解っていたというか、高次元の存在から知らされていたか。落ち着き払って、笑顔と喜びに溢れている。私の家族の番になり、私がUFOに乗るよう促すと、「○月の初めころ(○日???)、それに間に合うように出発します。」との事。(都合上、日付は出てきたけどここには書きません)私は「解った」と言って、UFOなしで単独で青い渦に吸い込まれるように一人で向かう。この時の私は、すでに第一次アセンション(次元上昇)を完了していたようだ。渦に向かった人たちは、渦の先は地球とは違う異次元に繋がっているという事をしっかりと認識しているようだ。京都高山寺の中興開山の人、明恵上人(1173~1232)は、19歳から始まり40年に渡って夢の記録を書き留めた方ですね。夢記(ゆめのき)として記録されたものが、今も高山寺の残されておりますが、きっと明恵さんも眠気を押して書き綴ったのでしょうね。当ブログでアセンションについて書いたのは、久しぶりです。今までも、夢で何かのメッセージを残して下さった例はいくつもありました。今回の夢は、どんなメッセージが隠されているのでしょうか。私が見たこの夢、誰か他にこんな感じの夢を見た人いないかな。
2016.02.29
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ようこそ、お越し下さました。旅からいつもの日常に戻ってみると、待ってましたと言わんばかりに電話が鳴りっぱなし。旅でお金を使い果たした私の懐具合を心配してくれたのか、宿泊予約や料理の注文が届きました。この時期は、1年で最もお客様の少ない時期。ありがたいことですね。旅から帰ると、いつも旅の日々に想いを巡らせます。「遠くへ行きたい」という旅番組がありますね。その番組の主題歌を「ジェリー藤尾」が歌っています。最近は、新しい人が歌ったっているのかな。♪ 知らない街を歩いてみ~た~ぁい ♪このフレーズって、私好きなんです。子供の頃からですかね、これって。知らない道を歩くの。学校の行き帰りも、いくつかの登下校のコースを毎日変えてた気がします。新たな発見を期待していたのか、好奇心旺盛な子供だったのかな。こんな気持ちって、きっと誰でもあるよね。その思いは大人になって歳を重ねた今でも変わることなく、心に宿している。長期の旅ができそうだとなると、「遠くへ行きたい」となる。「こうだから行きたい」という理由はあまりないような気がする。何も神社仏閣や絶景を訪ねる事のみが旅ではないと思う。勿論、それもいいけどね。知らない街なら、どこでもいいって感じ。旅先で、他愛もないことをするのがいい。それは、普段と同じようなこと、スーパーや市場でどんなものが売られているのか、どんな食べ方があるのか、店員としゃべったり、床屋に行ってさっぱりしたり、暖かい日だまりで本を読んだり、歩いたり自転車で散歩したり、・・・昼寝したり、ブルーレイで映画を見たり、近頃は自転車で散歩が多いかな。自転車だと、結構な距離を移動出来たり、歩きと同じ目線で自転車を転がしてみたり、それでもっていろんな所を覗いて歩く。これがけっこう楽しい。九州別府からフェリーで大阪着。大阪から向かったのは、毎年滞在している奈良県明日香村。滞在地は、甘樫丘(あまかしのおか)の無料駐車場。大和三山の一つ、畝傍山。その向こうに見える双子の山が大津皇子が眠る二上山奥が耳成山、手前右が天の香久山奥の右が葛城山、その左が金剛山この三枚の画像は、甘樫丘展望台からの画像です。甘樫丘は、曽我蝦夷や曽我入鹿の屋敷跡とされています。蘇我入鹿(そがのいるか)は645年の大化の改新で藤原鎌足(かまたり)らによって殺害されてしまいましたね。そんな、仏教の力を借りて日本を統一しようとしていた、飛鳥時代の舞台となった所。このあたりの田んぼや畑は、どこを掘っても遺跡が出てくるといった、歴史好きにはたまらない所です。この辺りは、観光客向けの無料のトイレ併設の駐車場がいくつかあります。そこに陣取って、明日香村や橿原あたりを自転車でうろうろと4日くらいいたかな。一カ所に数日滞在していると、ずっと前からそこに住んでいたような錯覚に陥ります。九州でも、数日滞在していたところがいくつかあります。宗像、湯布院、高千穂、佐伯、臼杵、別府・・・その地で地の野菜や魚をいただき、キャンカーで自炊する、歩くって、その地の空気を感じてエネルギーに変換する作業なのかなって思っちゃう。だから、つまらない地などどこにもない。どこも素敵な所。また行ってみたいな。甘樫丘の近くで発見した、青みがかった白梅。普通の白梅の花は、額が赤っぽいよね。
2016.02.21
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ようこそ、お越し下さました。先日、約1カ月の旅から島に戻りました。前回のブログのアップは別府滞在時でしたよね。なんだかんだで別府には1週間くらい滞在したのかな。その毎日が温泉三昧。特に印象に残った温泉は、初めに通った別府八湯の竹瓦温泉と、最後の柴石温泉 かな。柴石温泉は、別府市内から車で5分位離れた所にある市営温泉だ。料金は210円。湯温も結構熱い。私好みだ。入湯料の券売機はなく、番台?のおばちゃんにお金を払いおしゃべりし、・・・この温泉は、895年に醍醐天皇が、1044年には後冷泉天皇が病気療養に湯治されたと伝えられている歴史のある温泉。どちらも近代的とは逆の、レトロ感あふれる素朴な温泉です。そろそろ温泉から別のチャンネルに切り替えるかなと思い、別府発大阪行きのフェリー、サンフラワーに乗りました。クルマを転がして帰路に就くのもいいけど、フェリーは楽ですね。私のキャンカーは車高が高く、3メートル弱。室内で私が立っても更に天井まで余裕がある。(私の身長は178cm)だから、走行車線を走っていて、追い越し車線をトラックが追い越していく時なんか、風圧に影響されて左右に揺れることもある。横風に煽られるのと同じだ。だから、高速道は緊張の連続。フェリーは夕方乗せれば、よく早朝には大阪に着いている。料金も、車と比較してけっして高くはない。お風呂もあるし、食事はバイキング。旅は、非日常のサプライズを楽しむもの。どんな風呂もバイキングも、上出来、上出来。ある本を読んでいたら、こんな言葉に出くわしました。「おなごは我儘を言うからこそ可愛ゆきもの、その我儘を聞くのが男の幸せにございます」ふふ~~ん、そんなもんですかね。私の場合は我儘を聞くというよりも、カミさんの希望や願いを受け入れると言った方がいいのかな。そう言えば、今回の九州行も大阪行きのフェリーに乗ったのも、カミさんの希望。カミさんがなるべく行きたい所に行き、やりたい事をやらせてやりたいと願うのは、結婚45年を過ぎてこなれた証拠なのでしょうね。???
2016.02.13
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ようこそ、お越し下さました。別府に雪が積もりました。積雪3~5cm位。別府でP泊している場所は、別府市内の南立石公園の駐車場で無料です。平日は22時に施錠に来ますが、P泊は禁止という事ではありません。公園を散歩したり運動をしたりする人に解放されています。私もP泊中は毎日公園内をジョギングしたりしています。緑多く、その昔に黒田官兵衛軍と大友宗麟軍の合戦地でした。大友軍はこれに敗れ、大友家400年の歴史は閉じられました。以後別府の地は明治維新まで黒田家が所領したとされています。そこそこの巨木も多く見られ、「兵どもが夢のあと」を全く連想させない、静かな公園です。そこに降った雪が、遊歩道をこのような文様を見せてくれました。これって、志野焼 にこんな文様が見られませんか?別府市内を歩きながら、これと同じ文様はないかと探しましたが、残念ながらこの公園のみでした。何の加減でしょうか。
2016.02.01
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ようこそ、お越し下さました。寒い日が続いていますね。寒波がやって来るという事で、海寄りの佐伯市、臼杵市と移動し、数日前から比較的暖かいと思われる別府に戻ってきました。毎日が、新鮮な魚と温泉三昧です。どこの町でも海鮮市場のようなお店があり、鮮度抜群の魚が低価格で売られています。勿論、朝取り野菜もね。基本的には我らの食事はキャンカーでの自炊が多いです。外食はあまりしません。だから、こういう新鮮な食材が手に入るって嬉しいですね。普段の生活でも、勿論そうですから、旅先でも普段通りの食生活と言えるかな。気にしなくてはいけないのは、体重オーバー。毎日がけっこう時間があるので、合間を見てジョギングやサイクリングを楽しんでいます。今回の寒波は、夜半から降り出した雪が、ここ別府市内で今は積雪3cm位。寒さはさほどでもありません。早朝のキャンカーの車内は、暖房なしで5~7度くらい。昨日床屋さんに行ってきて、床屋の方と話をした時、「ここでは10度以下は考えられないよ~」なんて、ここ数日の寒さを嘆いていました。やはり九州は暖かいのですね。朝が明けるのも島と比較すると1時間くらい遅い。朝7時でも薄暗い。今日は車の移動はせず、ずっと車内にいるつもり。スタットレスタイヤは履いてるし、4WDですので安心ですけど、こちらの方のドライバーは雪道運転に慣れていないかもしれないので、一応ね。車内で家庭用電源の100Vを使う時は、3台のサブバッテリーをインバーターという機器でバッテリーの12Vを100Vに変換して行います。冷蔵庫や電子レンジなどですね。でも、使っていると電圧が下がってきてしまうので、充電する必要が出てきます。そういう時は、発電機でカバーします。走行中は、走行充電しますので、問題ありません。キャンピングカーは、電源の確保が一番大切になるのかな。その次に水。飲用はスーパーなどで買いますが、生活水は補給しなければなりません。家にいる時も、キャンカーと同じくらいに節電やらをシビアに考えなければならない環境なら、その大切さが解るのにね。
2016.01.24
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ようこそ、お越し下さました。数日前でしょうか、寒気が来るらしいという事で雪が来る前に山間部に行ってしまおうという事で、早々に別府温泉を離れ、宮崎県高千穂に向かいました。別府から高千穂への道は、南に東九州自動車道に入って延岡まで、そこから北西に国道を上がれば、2時間足らずで行くはずでした。ところが、ナビと私の相性? が良くなく、車の擦れ違いにも困難なくらいの山のくねくね道を選択してしまい、5時間もかかって高千穂に着きました。まあ、それものんびり旅には楽しい道行になりましたがね。高千穂は、ご存じ天孫降臨の地をされる所ですね。日本書記に出てくる神話の物語が受け継がれる場所がいくつもあります。まずは高千穂神社。高千穂峡。天の岩戸神社とその奥まった所に鎮座する天安河原宮(あめのやすかわらぐう)といった所。日本神話の華々しい神々が登場します。天安河原宮は、天照大神が岩戸に隠れてしまい、暗闇の世界になってしまったため、神々がどうしたら岩戸から天照大神をお出しするか会議を行った所とされています。なるほど、その場に立つとそれらしくも見えてきます。神話というのは、私が考えるに文字も読み書きできない衆生を、解りやすく説明しようとしたものと言ってしまえば身も蓋もないか。神の御業は、我々の3次元の言葉や奥行等では表現できない世界。表現できないことを解りやすく表現しようというのだから、大変なのでしょう。でも、神話の通りに理解して見れば、楽しくもあり夢もあり。日本に生まれ、日本の文化に染まり、こうして日本人らしく生きられることって改めて強く喜びと誇りに感じます。
2016.01.20
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ようこそ、お越し下さました。九州の旅は、温泉巡りの様相を呈してきた感あり。今までの旅は、どちらかというと日本の歴史を踏襲するような面がありました。京都、奈良、近江、・・・でも、単なる温泉巡り、いいっすね。体がすごく調子いい。カミさんも、腕が上がりにくかったのがけっこう調子いいようです。温泉は、天が与えたもうた「愛」そのもの。入湯料を支払ったのだから、温泉に入って当たり前というのも結構ですが、やはり「入らせていただく」という思いは忘れたくないですね。感謝や謙虚な心を忘れた所に、天からの「愛」は届きづらいという真理は忘れたくないですね。湯平温泉を楽しんだ後、やはり九州の温泉と言えば別府に行かなくちゃあね。別府に来たら、まずはここ。竹瓦温泉 かね。昭和初期の建築の建物は、入口が唐破風でレトロ感いっぱい。明治12年に創設時、竹で葺かれた屋根だったのを、その後の改築で瓦葺となったため竹瓦温泉と呼ばれるようになったようです。入湯料は100円。砂掛け温泉は、1030円。体を横にして、砂をつま先から首まで掛けて温まる砂掛けは、受付で、「心臓に弱い人、高血圧、糖尿病・・・はご遠慮ください。」なんて言われて、脅かされます。お湯もちょっと熱めで、トロッとしていて体にすごく良さそうです。別府でのP泊は、近くに道の駅がないので、市営の別府公園東駐車場へ。夜間は夕方から朝まで最大1080円。日中は近くの役所前の北駐車場が無料となっていますのでそこに停めました。そして、市内散策ははるばる宮城県から1700km共にしてきた可愛い自転車。坂が多いとちょっときついですけど、でかいキャンカーで移動するよりはるかに便利。駐車場探しや車庫入れもないし。3メートル近くある車高だと、高すぎて入らない駐車場が多いのも事実。臨機応変に、電車やバスを利用したりと、自由自在です。時間はあるしね。人の生き方も、組織の中で生きていた時は「こう在るべき」と思っていたことが、それは組織の中でうまくやって行くための方便だったことに気付く。周りを気にせず、自分らしく生きられるって、とっても素晴らしいことですね。だけど、現実は・・・・・となる。でもいつか、諦めずに周りに左右されない自分を生きたいね。別府の町中で見つけた招き猫専門店。開店前のこの時間、2匹の猫ちゃんが開店を待っていました?。
2016.01.19
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ようこそ、お越し下さました。人で混み合う湯布院温泉に別れを告げ、そこから車で20分くらい離れた、知る人ぞ知る湯治場、湯平温泉に移動した。同じ湯布院町にある温泉だけど、その歴史はお隣の湯布院温泉よりも古く、伝承では鎌倉時代に始まるとされている。戦前は、別府温泉に次ぐ九州で第2位の入湯客を誇っていたらしい。私達が行った時は、朝早いせいもあったのか、とても静かな温泉場で、観光客はあまりいなかったな。共同浴場「金の湯」温泉入口にある無料の駐車場に車を止め、早速お風呂セットを持って散策に。目指すは、共同浴場。ここの共同浴場は5件あり、すべて無人で入口の箱に入湯料200円を入れる。浴槽には真ん中あたりに30cm位の幅の仕切りがあり、湯口側が熱め、片方が温めとなっていて、熱めが好きな私としては、迷わず熱めへ。う~~む、45度はあろうか、いささか熱い。でも、とっても気持ちがいい。他にお客さんがいないため、貸し切り状態。隣の女湯にいるカミさんと話をしても、何ら差支えない。温泉街?は、石畳のメインストリート?をずっと坂道を登って行く。賑やかだった過去をしのばせるあの有名な種田山頭火に歌碑があった。「分け入っても 分け入っても 青い山」私の好きな句だ。九州に入って感じたことの一つに、九州の身近にある山は高い山々が多いことだ。出身地の熊本から托鉢の旅に出て、真っ先にぶち当たる九州山地だ。この高く深い山々を、山頭火は嬉々としてこの句を詠んだのか、どこまでも続くつらく厳しい深い山に萎える心がこう詠ませたのか・・・やはり、大自然の中に身を置く歓喜の叫びかも知れないね。この日は、石畳の道を上まで行って、そして降りてきてもう一軒の共同浴場に入らせてもらった。
2016.01.17
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ようこそ、お越し下さました。1月3日に島を出て、のんびりした旅に出てすでに10日を過ぎようとしております。今は、九州大分県、湯布院温泉にいます。「道の駅ゆふいん」です。やはり、P泊は道の駅が安心です。山陽道のSAから見た厳島九州に渡るまで、ちょっと寄り道しようかと思うような場所もいくつかありましたけど、まずは一路九州へという事で、宗像市、福岡市、太宰府、そして由布院温泉と来ました。湯布院温泉は、九州の温泉では人気NO,1というらしく、すごい人出です。まるで、京都に東山か嵯峨野といったくらいの人の多さに驚きました。湯布院温泉に来る前の太宰府天満宮がすごい人出で、いそいそと逃げるように出たのですが、・・・どうも人の少ない島で生活しているせいか、人で混み合うのは苦手なもんで。東北は温泉が多いというのは有名ですが、九州も温泉がたくさんありますね。しかも、温度が熱めになっている。私は、熱めの温泉が好きだから、毎日が温泉三昧です。1日数時間出歩き、余裕をもってキャンカーに戻り、昼寝したり本を読んだりと、のんびりとした時間を過ごしております。そうそう、地の野菜や魚を調達してカミさんの手料理で酒を飲む、というのも欠かせませんね。玄界灘の魚は美味しかったな。でも、普段から島で新鮮な魚をいただいていますから、当たり前のように有難くいただきました。キャンカーの狭い台所で自炊して作られた料理も、大変結構ですね。読んでいる本の中で出てきた言葉に、こんなのがありました。「夫婦は天地の如し、天は地を包み、地は天に抱かれる故に、夫は外を営み妻は内を調う。」江戸初期の思想家 藤原惺窩著(せいか)「寸鉄録」よりなんか、とってもいい言葉だと思いませんか。夫が天で、夫人が地、二人で一つ。これが、夫婦の目指す究極の姿なのかな。キャンカーで朝から晩まで夫婦二人で過ごすクルマ旅。やはり、「調和」ですね。今年は暖かいと見えて、紅梅が咲いています。
2016.01.13
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ようこそ、お越し下さました。多くの方は正月も終わり、通常の日々に戻られたことでしょう。私は、シーズンオフの真っ盛り?カミさんと二人で旅先にいます。今いる所は、岡山県の吉備(きび)。倉敷のちょいと手前。キビ団子で知られている所かな。島からは、1000km以上離れています。一路、九州に向かっているその途次です今回の旅は、途中下車をなるべくしないで九州まで行っちまおうということです。京都奈良は毎年お邪魔しておりますが、九州はそこから更に600km以上は離れている。めったに行けない九州だから、思い立ったが何とかで山陽まで来ました。愛車はいつものキャンピングカー。だから、行き当たりばったりの気まま旅。さすがにこちらは暖かい。ダウンジャケットはいらない感じ。今日は、これから福岡県を目指します。
2016.01.09
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ようこそ、お越し下さました。新年あけまして、おめでとうございます。光陰矢のごとしで、時の流れの速さに、ただただ驚くばかりです。だからなのでしょうか、その時その瞬間の刹那を楽しく豊かに過ごしたいものですね。さて、ヴァイオリニストの千住真理子さん。クラッシックファンのみならず、多くの皆様も良く知っていらっしゃる。その千住真理子さんが、昨年8月3、4日と網地島に来島され、ミニコンサートを2日に渡って開いて下さりました。初日は、網地のボランティアグループ「あじ朗志組」が毎年施設の子供たちを島に招くイベントに来て下さりました。2日目は、網小医院の老健施設のお年寄りの為に演奏会を開いて下さりました。ピアニストの山洞智さんと共に演奏された、それは素晴らしい曲目でした。特に私が感じたのは、バッハのG線上のアリアと、サラサーテのツィゴイネルワイゼンでした。ほんのわずかしか離れていない所から演奏されている音は、その名器が醸し出される流れるような旋律は、心が震え高揚し、多くの方が涙するくらい、魂のこもったものでした。あのヴァイオリンだからでしょうか。良く解らない私ですら、素晴らしい音でした。この日は我がペンションに泊まっていただきましたが、防犯上?の事とかあったりして、一行6名様の貸切としました。何かあっては大変です。千住さんが島に来られるという情報も、一般には一切流しませんでした。なんせ、千住さんのヴァイオリンはあのストラディバリの名器です。巷では、10数億円とも言われている逸品。千住さん本人は、軽く肩から下げて何という事はない感じで島までいらして下さりました。「武士の魂ですから。」と、さらりとしたものです。服装も普段着で、肩の凝らない千住さんらしい気の配り方です。演奏会の後は、美味しい海のごちそうをたっぷりと食べていただき、気さくなお人柄の千住さんは大変ご満足のようでした。
2016.01.02
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ようこそ、お越し下さました。最後にブログをアップしてから、どのくらい経ったのか確認したら8月23日が最後で・・・大変なご無沙汰でした。充実した夏が終わり、もはや冬。大して忙しくもないのに、ブログに目が行きませんでした。時間のある時は自然の中に身を置き、家にいては本読みをしているか。旅と言っても、キャンピングカーでの長旅は出来ずで、せいぜい3~4日程度か。長旅は、来年正月からなんとか行けそうです。そして毎日が楽しく、意味ある日々を過ごしております。禍福は、糾える縄の如しとは、昔からよく言われる言葉ですね。幸せや不幸せは、まるで撚り合せた縄のように交互にやって来る、幸せはいつまでも続かないし、不幸もまた同じ。不幸と思っていたことが、幸福の始まりだったり、幸福の絶頂だったと思いきや、奈落の底に突き落とされたようになるような。確かに、そう言われて久しいのですが、私の場合は、これに当てはまらないというのはどういう事なのでしょうか。その人の考え方で、一つの出来事が幸にも不幸にも思えるのも事実。不都合と思える出来事を、与えられたチャンスだと考えて受け入れることは、「災い転じて福となす」ということでしょうね。都会の生活に見切りをつけ、島に移り住んで、はや23年?初めの頃は、人並みに禍と思えるようなことがあったかも。しかし、もうずっと長い期間、不都合と思える出来事はなかったし、幸せいっぱいな日々。感謝の毎日が続いております。カミさんのほんわかした幸せそうな顔を見ているだけで、私はとっても幸せな気分に浸れます。何かハッピーな事があると、「本当に有難いね。」「そうだね。」と言い合います。体調の不調は少しありました。65年も何とかお付き合いしてくれている我が肉体も、少しはガタがきている模様。歯が痛くなったり、ジンマシンが出たりとその程度のことはある。「諸行無常」という、形あるものは同じ状態を保つことは一瞬もないとされる。でも、精神というか、霊性というか、心の在り方は形のない存在だ。心の在り方で、現実とされる目の前に展開されることが、自身の思いに近づいてくると言う不思議を体験しております。どう生きればこうなったのかは、折に触れこのブログに書いております。今の時期が、「打てば響く」時期なのでしょうね。やることをやれば、すぐに返ってくるという事。少し前までは、打ってもなかなか響いてくれませんでした。どんどん二極化が進んで来ていて、波動の高い方向を目指せば、考えられないくらいのスピードで加速されて行くのでしょうね。ここで言う二極化とは、高次元的方向と低次元的方向とに人は分かれていくという事。高次元的方向を目指そうと意識した途端、人はどんどん引っ張られて行くように幸福感に満たされる体験をすることでしょう。私の65歳という年齢は、そろそろ「死」を意識する頃か。周りで、友人だった人が突然に亡くなったりとかしています。私の「死」に対する概念は、今でも少しも変わってはおりません。「肉体の死」は、大いなる「生」のほんの1ページ。今生の生に区切りをつけて、次の表現の場に移行することと思っているため、悲しいことではありません。今の「生」は、次の「生」に続く道です。どんな「次の生」にするかは、「今の生」にかかっています。だから、「今の生」が衣食住を満足させる為だけに汲々とせずにいられたらいいね。そしたらば、余った時間やエネルギーやお金を、自分が本当にしたいことをやれる。人と争う事もないし、飢えることもない。皆がそうなれたら、とっても豊かだね。埼玉県川越市にある喜多院の5百羅漢像40年近く前に、仕事で壁にぶち当たった時によく訪れた場所でした。当時は、こんなにすっきりとはしていなかったな。羅漢さんは、仏道を究めようとする求道者。当時私は、羅漢さんに憧れていたことを思い出す。
2015.12.16
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ようこそ、お越し下さました。シーズンスタートの7月の海の日連休から、怒涛の一ヶ月が過ぎました。6回の週末とお盆を無事こなし、今日はダブル台風のおかげで思わぬのんびりとした時間を過ごさせていただいております。なんせ、船が高波のせいで欠航続きなのですからしかたがありません。多くのお客様に予約のキャンセルをお願いいたしました。せっかく予定されていた休暇が台無しになってしまうことについては、大変残念ですね。気象海象は、生命体である地球のゆがみを調和に戻す自浄作用と言われておりますから、致し方ないこと。当方としては、予期せぬ休暇が頂けたとして喜んでおります。昨日は、約1か月ぶりのジョギングを楽しみました。今までは忙しいのと猛暑のせいで、全くできないでいましたから、ちょっと体の切れが悪くなっておりました。好きな映画も4本ばかり鑑賞しました。本はと言えば、今まで読んできた旅の本なんかを繰り返しめくっていたか。シーズンが終われば、また旅の出ようと考えています。そう、今回は九州まで足を延ばしてみようかな。これは、カミさんの以前からのたっての願い。いつも通り、草津温泉に滞在し無料の公衆浴場を楽しむ。このプランは避けられないな。長野当たりの温泉もいいか。そして、いつもの京都や奈良を歩いて・・・キャンピングカーだから、焦って計画を練る必要はなし。行き当たりばったりで、気が向けばいつまでも居続けられるし、・・・そして山陽道を進んで広島、萩、・・・そして九州へ。う~~む、こうなると2か月くらいの旅になるか。
2015.08.23
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ようこそ、お越し下さました。まったく、ブログ更新の怠けの常習犯となっています。日々、忙しいことも原因しているかな。行政区の役員をやっているせいも?やはり、シーズンの準備が主原因か。宿泊予約も順調に入り出し、なんか、せわしない日々を過ごしております。さて、海鞘(ホヤ)。私のホヤとの出会いは25年くらい前の、埼玉県から宮城県仙台市に仕事の関係で移住した時からか。初めて見るホヤに、新鮮な驚きを見ました。海の蛸と書くように、まるでタコの頭。味はというと、ちょっとほろ苦く、何とも変わった味だ。「どうだ、おれなんか毎日10個は食ってるぞ」と、友人は言っていた。私と言えば「嫌い!」とは言うまでもないが、好んで食するものではなかったように記憶する。初体験がこうだったから、今日まで苦手意識でまったく食べなかったかな。ところがどうだ、この度当方の漁協が深い所での天然ホヤ漁を業者に許可し、そのおすそわけで、企画寸法に漏れた天然ホヤをたくさんいただいた。そして食した。それが何ともなんとも、旨いんです。ほろ苦さはほとんどなく、これほど網地島のホヤは旨いのかと、驚き桃の木山椒の木でした。カミさんも私と同じホヤに対してのイメージを持っていましたが、なんと食べるは食べる、見ている私の方が驚きでした。同じ天然ホヤでも、獲れる場所でこうも変わるものなのか。ここ数日のペンション晴耕雨読のお造りと、会席料理の最後を飾るご飯ものです。左から、ヒラマサ、スズキ、アワビ、蒸し海鞘、ウニとなってます。ホヤの生も美味しかったが、蒸し海鞘にすると、マナより食べやすくなります。この日は海鮮丼です。スズキ、ウニ、いくらです。飲んだ後、さっとシャリを胃の腑に落とすと、よく朝の目覚めが清々しい。
2015.07.13
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ようこそ、お越しくださいました。そろそろブログのアップを考えておりましたところ、昨日からパソコンの調子が悪くなっちゃって。今、タブレットで書いておりますが、ペンションの宿泊予約の問い合わせメールも確認できないでおります。当方への連絡方法は、タブレットのアドレスへおねがいいたします。Seikoudoku.kenji@gmail.com
2015.07.01
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