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私の今年の誕生日プレゼント、PSPいただきました。 開けた瞬間、なんで!?となりましたが、どうも一緒にモンハンがやりたかったようでした。 いつやるんだ!と思いましたが、夫婦半分寝ながら、夜にその一時を設けようと努力しています。 二歳の息子も参戦、いつの間にかひとりで電源を入れ、アナログパッドを使い、マンモスみたいな雑魚キャラは普通に倒していました。 子どもって、すごいですね。
2009/09/10
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本人も忘れていたのですが、主人が私のブログを発見。読めばやはり高松の家族には見せられない。忙しさにかまけて更新しておらず、勝手に無くなっているものと思ってましたが、ちゃんとあるんですね。そんなこんなで二人目を産んでおります。86歳のおじいちゃんも元気です。二番目の弟は結婚して独立。四番目の弟が帰ってきて同居。義母のサポートはもちろんありますが、子供が小さくて忙しいというだけではないようなあわただしさです。
2009/09/08
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『義母、おじいちゃん、旦那さんと4人暮らしです。 先日、出産の里帰りから帰ってきました。そこで、おじいちゃんが曾孫見たさにおかまいなしに部屋に入ってくるようになりました。日曜日の朝も、親子三人が眠る中やってきました。赤ちゃんが起きているときに、みんなのリビングに連れていき、リビングにおじいちゃんを呼びましたが、水戸黄門の放送時間と重なったみたいでその時は来ませんでした。放送が終わった後、部屋に帰りうとうとし始めた赤ちゃんをあやそうとします。私も一緒にお昼寝のつもりがそうもいきません。 正直困ります。 どう対処するのが良いのでしょうか? おじいちゃんは83歳です。 高松市 主婦(32歳)』
2006/12/04
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2006/10/18
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7年は前になりますか… 当時、私はフランス料理の繁盛店でサービスをしていました。縁あって、中堅建設会社に勤め、建築士を目指す 同じ歳の彼氏ができました。 彼は超朝方の仕事、私はやはり夜が中心でおまけに休日が合わない中、なんとか努力しながら付き合っていました。 社員旅行だったか、彼が沖縄に行くことがありました。 彼は私のマンゴー好きを覚えてくれていて、マンゴー味と付くお菓子を何種類も買って来てくれていました。そして、私の仕事上がりを待って迎えに来てくれたのです。 が、しかしどうも顔色がおかしいのです。泣きそうな顔で私に謝りました。 「ごめん‥お菓子、いっぱい、買って、来た、のに…」 かなりの落ち込みようです。それもそのはず、迎えに来てくれた道中、友達と食事をしている間に車上荒らしに遭っていたのです。 買って1ヶ月ほどのパジェロの後部の窓ガラスがありませんでした。 とりあえず、被害に遭った近くの交番に行きました。 「何盗られました?」 警官に尋ねられた彼が答えたのは、お土産のお菓子、だけでした。聞いていると、本当にたくさん買ってきてくれていました。 金目のものが盗られていないので、警官曰わく、お腹を空かせたホームレスだろうということで、お菓子くらいなら諦めてよぐらいの扱いでした。 気落ちした彼と、とりあえずコンビニに寄り、ガムテープで窓を覆いました。 「マンゴーのお菓子、食べさせてあげたかったのに…」 私は、彼の想いに心打たれながらも、付き合って二ヶ月という短い期間で音信不通を決め込んでしまいました。嫌いになったわけではなく、仕事の疲れから余裕がなくなり、面倒臭くなってしまったのです(ひどく勝手)。 彼は何度も留守電にメッセージを残してくれました。 私は無視を続けました。 二週間もなく、彼からの電話もなくなりました。 それからちょうど一年経った頃、なんとその彼から電話がありました。私は謝りたい気持ちもあり、電話にでました。近くに来てるし、会いたいと言われました。 一年間、彼以来誰かと付き合うことは無かったのですが、私は「会うことはできない」と答えました。 彼に言われたとき、正直気持ちが揺らぎました。しかし断った理由はなんとも情けなく、しょーもないプライドでした。 一年前、最後に彼と会っていたときと全く同じ服だったのです。それも、当時よりくたびれた白いTシャツに、同じくくたびれ色あせたカラーデニムでした。全く何も変わってないどころか、何もかもが疲れていました。 とにかく私は謝り、後悔が残る中、きっちり最期を迎えました。 二ヶ月の付き合いでしたが、なんとも思い出深いエピソードが残りました。 私のマンゴー好きは今でも変わりません。そして思い出すのです。いい人だっただけに彼には悪いことをしたなと。今となれば、彼はどうしてマンゴーだったのかと考えるかもしれませんが、車上荒らしに遭ったことは思い出すでしょう。 私も結婚し、子供も生まれようとする今でも、マンゴーをみると彼が幸せになっていてくれたらと心より願うのです。
2006/10/05
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なんともまあ久しぶりです。 出産の為、大阪に里帰りをし、今か今かと待ち遠しい日々を送っております。 陣痛と言えば、相当痛いらしいのですが、初めて味わう痛みでしょうか? 私が今まで味わった中で一番の痛みかと思われるものは、胃痛。キムチの食べ過ぎが原因と思われますが、あまりの痛さに防衛本能からか気を失いかけるという事態に陥ったことがあります。 二段ベッドの上から、妹に「お、お父さんよんできて…」と絶え絶えの声で頼んだことを思い出します。 私は手荒れがひどく、かのガニエールシェフも気にしてくれたほどでした。洗い物をするときや重いものを運ぶとき、また果汁がしたたるような物を触るときの痛みは勢いでやり抜かなければならない。あるとき私は「この痛み、気持ちいい~」と思えばいいと考えたのです。実際、そう思いながらやってきました。これは手荒れによる痛みだけではなく、火傷や寝不足まで… この持論を先輩に話すと、「それをMって言うねん」と言われました。 そうだったのか… 果たして、陣痛にこの持論が通用するのかどうか。 赤ちゃんも必死で出たいはずである。 そんな生死の境に、いくらMでも「い、いく~」なんて叫んではならないなと心して望む次第なのであります。
2006/10/02
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間もなく再開したいと思います。 ―高松の見所は何なのか?!―から
2006/04/13
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今日はうす揚げ。 朝から晩まで食事はうす揚げ。 表面をカリカリに焼いて、かつをぶしとショウガ醤油をかけるだけのもの。お昼は少しアレンジして焼きうどんを+。 さすがに、他の人にそれだけではいけないので、別のおかずは用意したが、とにかく今日はその一品につきた。 甘いものがダメになり、飲めない割にどんどんと酒のアテ系が欲しくなるばかり。 たたみいわしを炙って… 明太子をチビチビ… 酒盗にチャンジャ、蛍烏賊の沖漬け… 明日は何が欲しくなるのやら。
2006/03/25
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昨晩は、義母とおじいちゃんは義弟が働くホテルへ宿泊に。久しぶりの夫婦二人きりということになったのだが、夕飯にたこ焼きをしようと言っていたので、せっかくなら友人をと私達を引き会わせてくれたM夫妻を呼ぶことに。 奥さんが私の親友になるのだが、会って食事をするのは久しぶりだった。四人で、となればそれこそ旦那さんを紹介してもらった日以来である。 ところで、‘たこ焼き’であるが、大阪の我が家では子供の頃から夕飯にあがることは度々。楽しみなメニューのひとつである。 嫁いできて、「夕飯にたこ焼きをしようと思うんです」と言うと、義母の顔が曇り、おじいちゃんには「あれはおやつじゃ」と言われた。 お好み焼きはOKで、たこ焼きはNG? どうもたこ焼きはおかずとして認められないようである。私としては、自分なりの好きなたこ焼きを作って、くるくるしながら楽しい団らんを夢見ました。 そして、今日がこの日とばかりに実行したのです。 美味しかった。 楽しかった。 何の気兼ねもなく、友達を呼んでワイワイする。息抜きができた。 いつかは、‘たこ焼き’を立派なおかずとして認知してもらいたい。 いや、私が強行手段にでるほうが早いか…
2006/03/24
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日曜日は、家での夕飯の支度を考えてず二人で勝手をしていいということになっているので、この日も外食することに。 午後からかなりの予定を入れていたので、少々疲れ気味。 旦那さんの希望で焼き肉となったので、ファミリー向けの安価な店にまず向かう。高松の外食産業、特に郊外型は素晴らしく繁盛している。土日祝は、どの家庭も外食しているのではないかと思うほど込み合っている。 訪れた先の店も40分待ちと告げられるが、私としては、今からまた車に乗って移動し、新たに店を探すことを考えてたら待ってもいいと思っていた。すでにつわりと疲労で気持ちが悪かったのだ。 旦那さんはそれができなかったようで、別のところへ行くと言う。 結局、そこから10分ほどでしょうか、初めて入る焼き肉屋に。店員さんの感じも良く、炭火ということで期待をするのだが、いかんせんお値段が高め。 個人的にネギ塩たれがないことにもテンションダウン。正直、疲れて機嫌が悪かったのかもしれないが、それなりに食べ、最後に二人で分けようと「石焼きピビンバ―当店自慢の一品―」を頼む。 少し待ち、出てきたはいいが、スプーンが無い。店員も焦った様子でとりにかえるが直ぐにはでてこない。 ジューっと言い続けるピビンバをみて、これは箸ででも混ぜないとヤバいなと思い始めたとき、店員がピビンバには向かない少し短めのスプーンを持ってきた。 「これかよ!」と軽く声にだしながらも、急いで混ぜる。 時すでに遅し。底のご飯は完全に焦げ付いている。後から、長めのスプーンを持って来た店員に、「ご飯、焦げ過ぎてるんやけど」と告げると、「よくこそげ取ってください」と私にしたらピント外れの返答が。私は上の部分だけで混ぜ続け、別添えのコチュジャンを加えた。 どこが自慢するところ?と聞きたいような一品であった。確かに、ユッケらしい肉はのっていた。でもほんのひとつまみである。 なんの工夫も味もないという印象しか残らない。量も少ない。 それで1300円。これ、かなり遠慮のない設定でっせ。 それだけあれば、冷麺館でたっぷりユッケピビンバが食べられるのに… 値段の割には肉もさほど美味くないし、もう二度と来ないと誓う私に「店員さんも人やから、な、ええやん」となだめる旦那さんにも腹が立ってしまったのである。
2006/03/20
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妊娠3ヶ月ナリ。 つわりは多分ひどくないものの、便秘と下痢を繰り返す日々。 甘いものが食べられなくなる。 おやつもスナックも野菜の甘さもちょっとつらい。 よって、義母の味付けがますますつらいのである。
2006/03/17
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旦那さんとは出会って一年で結婚、付き合いが短いため細かな性格や好みを知るのは結婚後にということになった。 ここにきて少し気付く。どうも見る目が違うのである。人それぞれあるのは仕方ないが、彼の美的感覚は私の理解を超えることがある。あまのじゃくに人の評価と違うことを言うのではなく、純粋に否定する。 綺麗な女優さんやタレントさんに見向きもしない。表情一つ変えず「どこがキレイなん?」と問いただす。 旦那さんの価値観に、疑問と、かわいいキレイだと言ってもらう嫁として複雑な気持ちを抱きながら1日を終えようとしていたとき、突然大声をあげ、洗面所から戻った旦那さんが言った。 私が常々誰かに似てるという疑問が解けたらしいのだ。 私には一抹の不安がよぎる。 自分で言うのもおかしいが、過去千秋や原田知世に似てると言われたことが数回ある。しかし、旦那さんにその言葉は期待できそうにない。誰と言われるか想像もつかない。 「で、誰なん?」 恐る恐る聞いてみる。 次の瞬間、今までにない感覚が体中を巡り、時代もフィールドも人間すらも越えたのである。 旦那さんは嬉しそうに、晴れやかな顔でこう言った。 「エルフ!」 漫画のごとく、私の頭からドカーンと火山が爆発し、後ろにのけぞった。 「人間ちゃうやん、ファンタジーやん…」 誰かに似てるどうこうの問題ではなかった。 うっすら涙を浮かべる私をよそに、旦那さんは疑問が晴れたと共に、エルフであってくれて嬉しいという感じであった。 「エ、エルフってあれやろ、耳がニョーンとなって…」 「そうそう、ロード オブ ザ リングとかに出てくるあれ!」 そう言って愛しそうに私を見る目に邪な気持ちは無さそうだ。 彼は私と最初に会ったとき、一目惚れに近い感情で目を奪われたと言った。 素直に喜んでいた私はもう居ない。 あの日、彼は紹介者の横で、色白で耳がニョーンと突き出た柔らかいドレープのかかったドレスを着たエルフを見たのである。 ファンタジー、彼の目にはそんなフィルターがかかっていたのである。 嫁にもらってもらった者として、そのスケールの大きさには感謝をしなければならぬのだが、エルフと言われた心中を旦那さんには少し理解してもらいたいのである。
2006/03/15
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私は名の付くような病気をしたことがなく、風邪すらもほとんど引かない丈夫な体をしていた。 それが、突然身に訪れたのである。自覚症状は全く無かった。 場所は新大阪駅。 当時、ヘルプで一般店の厨房に入っていた。12月だったため、かなり忙しかった。クリスマスを越え、27日に13連チャン明けの休みをもらった。 その日は、高松から彼がでてきてくれて、一緒に映画を観ようということになっていた。 今思えば、その日は朝から調子が悪かったのかもしれない。 12時頃新大阪に着くとい彼を迎えに行く準備をしていたが、名古屋の従姉妹から電話があり、一時間捕まってしまった。 朝ご飯を食べる時間が無くなり、急いで家を出た。 駅までは歩いて5分。ホームに電車が入ってきそうだったので、階段を駆け上がろうとしたのだが、どうも体が重く、足が上がらない。 「食べてないし、疲れてるかな」それくらいに考えて、間に合った電車のシートに座った。 大阪駅で京都線に乗り換えなのだが、その時には相当のフラつきと、気分の悪さがあった。座席はうまっていたた。奥に入ってしまったため、扉横のポールにつかまることができず、その後ろに立っていた。 大阪―新大阪間は4分はある。心の中で、早く、早く…と繰り返しじっと集中していたのだが、まもなく立っていられなくなり、その場にしゃがみこんだ。目の前が霞んでくる。 新大阪駅に着き、扉が開いた。ゆっくり立ち、ホームに降りた。歩けない。またしゃがんでじっとする。 駅員さんを探したが、見当たらない。どうも下腹が痛いので、トイレに行かねばと、力を振り絞り気合いで歩くことにした。場所は把握している。立ち止まってはダメだ。 エスカレーターも歩いて上り、一直線にトイレに向かった。後10メートル、後5メートル、手前でほぼ目の前が真っ白になった。入り口にある身障者用の開扉ボタンを押し、崩れるように入った。 洗面台に手をかけ、ハアハアと荒い息をした。しばらくどうすることもできず、しゃがんでいたが、やはり下腹が痛く、便座に移った。 (風邪でお腹でも壊したか…) 一段落がついた頃、彼からもうすぐ着くとメールがあった。 「もう着いてるからね(^_^)v」と何事も無いような返信をし、立ち上がった。 流そうとしたときに、自分で信じられないものを目にしてしまった。汚い話だが、黒いのである。 「あれ?血便?」 不安はあったが、歩けるようだったので、トイレを後にし、症状を精神科ではあるが医師である弟にメールをした。直ぐに電話があり、一刻も早く病院に行けということだった。 私としては、動けそうだったので、久しぶりに会う彼と映画を楽しむことにした。 彼は私の様子を心配してくれたが、せっかくということもあり、梅田へ戻り映画の時間までブラブラとした。 15時からの上映を観終わったのだか、やはり調子が悪い。食欲が無いというのが、私に危機感を与えた。 彼には悪かったが、その日は帰ることにした。 母は田舎に帰っていたため、一人暮らしをしていた妹に戻ってきてもらい、犬の散歩にも行ってもらった。 翌日、病院に行った。おそらく十二指腸潰瘍だろうと診断され、胃カメラを飲むことになった。 驚いたことに、出血は500mlはあっただろうと言われ、「何なら死んでましたよ」と付け加えられた。 十二指腸、要は胃から下の出血だったため、下血したということだった。胃から上であれば吐血。 あの日、駅のコンコースでトイレに辿り着けず、倒れこんでしまったとしたら、セカチューよろしく彼に叫んでもらわなければならなかった。がしかし、私の場合は下血…。 その姿に誰が手を差し伸べてくれようか。 原因はピロリ菌。何なら胃でも良かったのでは? 完治まで3ヶ月、ピロリ菌除菌成功で幕を閉じた。 病気にならないにこしたことはないのだが、どうせなら上がいい。 私はやはり選ばれた下道の人間ということを思い知ったのであった。
2006/03/11
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パソコン、完全に動かなくなりました。 基盤を換えるとなると、約5万円… 昨日は、家までシステムエンジニアの方にきてもらったのですが、インターネット接続以前の問題でした。 このお家にはあと2台パソコンがあるので、義母も自由に使ってよ、とは言ってくれましたがとても無理。 いつ直って帰ってくるのかわかりませんが、しばらくの間は、ちまちまとケータイから日記を書くことにします。
2006/03/07
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部屋のパソコンの調子がどうもおかしいようです。 旦那さんが持っていた超薄型軽量モバイルパソコン「MURASAME」を使っているのですが、詰め込み過ぎたのでしょうか、何かにつけて速度も遅く、突然オフラインモードに突入します。 なので、とりあえず携帯電話から更新しています。 調べると、インターネットとは接続が出来ている、と。 ??? 今日はとても知りたいことがあったので、検索できないことがとても気分を害しております。 生ハム食べたいのです。イベリコとは言いません。100gくらいをパックにして売ってる店ないですかね? 輸入食材のお店探しています!! もちろん高松でお願いします。
2006/03/03
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先日の日記に、犬にまつわる食べ物の怨みを書いたが、もう一つ忘れなれないできごとがある。私の父親は飲み歩き好きで、休日前に限らず、気ままに飲みに行くことが多かった。そのほととんどが法善寺横丁界隈でその中でも「美加佐」をとてもひいきにしていた。子供には珍しい肉を扱っていて、すっぽんを初めて見たのもそのお店だった。父は、あまり食事をとらないので、おみやげとしてもって帰ってくれることも多く、その日も袋を提げて帰ってきていた。中学生の時分だったと思うが、家族で私だけ鹿肉を食べたことがなかった。一度、父の土産の中に鹿肉のスペアリブがあったのだが、どうも私の寝ている間に他の4人で食べてしまったのだ。残っていたのは筋のほとんどまでもきれいに無くなっていた骨のみ。そのことが悔しく、父に「食べたい食べたい」と懇願していた。どうやって家まで着くのか不思議なくらいに泥酔している父。玄関に入るや否や靴も脱がずに倒れこむ。毎度のことなので、心配することなくお迎えにあがる。が、その日はなにか騒がしい。玄関には、飼い犬をつないでいる。今ではミックスというらしいが、バリバリの和犬の雑種、捨て犬であった‘団十郎’である。居間から玄関を覗くと、みやげらしい美加佐の白い袋の横で、団十郎が動いている。最初は父とじゃれているようにみえた。違う、何か食べている。「やられた!」父のみやげには予告がないので、その日に何があるかは分からないのだが、私の希望をお店に伝えてくれていたに違いない。私の予測は間違っていなかった。団十郎は、近づく私を威嚇した。団十郎は20kg強ある中型犬であるが、飼い犬には負けていられない。牙をむく団十郎の顔に蹴りを入れた。依然として威嚇は収まらない。もう一蹴りしようとしたとき、後ずさりしたため、みやげの袋を手元に引いた。中の包み紙は無残にも破れ、中身のほとんどはなくなってしまったようだった。鹿の赤い生肉が一人と一匹の本能を刺激したのか、お互いに視線をはずさない時間が流れた。威嚇のポーズは変わらない。狩に勝利したごとく口の周りに鹿の血を付けている団十郎に飛びつき、ヘッドロックをしてガンガンに脳天に拳を落とした。「このボケ犬~、私も食ったことないのにぃぃぃ」怖気づいたような態度をみせたので、手を緩め逃がしてやった。そんな戦いが繰り広げられていたことも、グデングデンの父はわからない。「お父さん、風邪ひくから部屋入ってよ」と脇下に手を入れ引きずるように起こした。機嫌が良さそうな父に、怒りは収まったが、悔しい気持ちは消えなかった。またしても鹿肉にありつけなった。その後、10年くらいだろうか、仕事を始めるまで口にすることはなかった。初めて食べたときのことは忘れてしまったが、口にするたび思い出す。父はきっと私が味わったのだろうと。私がとても喜んだのだろうと。父も団十郎ももうこの世にはいないのだが、私が未だに根に持っていることを天上で笑っているにちがいない。
2006/03/02
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私には、食べ物についてかなり根強く恨みを持つものがある。犬によるものである。もう20年近くは前かもしれない。私たち5人家族はまだ健全で、珍しくバーベキューをしようと武庫川の河川敷に出かけた。とても良い天気で、あたりは賑わい、そういった家族も他にもあったと思う。セッティングし、炭を熾した。お弁当を広げ、たれに漬けてきた肉がとてもつやつやに輝いていた。今思えば、家族皆が楽しそうで幸せの絶頂だったのかもしれない。網の上には、父の指導の下、火の通りにくい野菜からのせた。すると、どこからともなく二頭のドーベルマンがすごい勢いで走ってきたのである。子供三人は背を向けていたため、直前まで気付かず、両親は子供が襲われると思ったらしいが、あまりの勢いとドーベルマンの風貌に箸を持ったまま硬直していた。周りの人たちもかなりびっくりしただろうが、獲物をみつけたごとく筋肉ムキムキで走り寄る犬の標的が自分たちでないことがすぐ分かっただろう。ドーベルマンは一直線に向かってきた。一瞬のできごとであった。私たちでさえまだ口にしていない肉のボールに顔を突っ込み、ガフガフと食べだしたのだ。30秒もなかっただろうが、呆気にとられるとはこのことだ。すると、100メートルぐらい向こうを、飼い主らしきおじさんが自転車乗りながら「すいませ~ん」と軽い感じで走り去った。それを見て犬もあっさりと走っていった。しかし、二頭で相当の量の肉は食べている。「犬が肉食べたよ~」という精一杯の私の叫びが届いたのか聞こえぬふりか…周りの家族は見ないふり。そうだ、けっして見てはいけない。この哀れな家族を。ローテンションへと下がりきった家族のその後の記憶がない。両親は、子供に何もなくてよかったと言ったが、子供たちは納得しなかっただろう。肉が食べれなかったんだから。今の私なら、なんとしてでも飼い主を捕まえ、弁償させただろう。ドーベルマンの首捕まえて、「その口縫うて、耳丸く切るぞ」くらい言ってやりたい。今でも悔しさがこみ上げる。はるか向こうに犬が立ち去ってから、父がサバイバルナイフを取り出し、「次来たらこれで殺ったる」と意気込んだ。なんでさっき出せへんねんと思いながらも、小心者の父の強さアピールに子供たちはがんばってと言ったはずだ。しかし、その二頭が戻ってくることもなく、私たちが河川敷でバーベキューする機会もそれ以降無かったのである。
2006/02/27
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高松での生活が始まって、落ち着いてくればお気楽主婦としていろいろ出歩けると思っていた。が、しかし、そんなわけにはいかなかった。働かざるもの食うべからず…そんな言葉が私の欲望を沸かせる前に諦めさせた。高松に限らず、四国の美味しいお店やおもしろいところを紹介しようと考えていたが、今の状況では少し難しそうである。夕飯に義母が‘おしゃべりクッキング’を観て食べたくなったという味噌煮込みうどんチゲ風。いただきながら恋しくなった大阪の、私もあまり友達にも教えていない好きなお店を紹介したい。「雑兵」名古屋味噌煮込みの店である。一番最初に勤めた店の近くにあった。心斎橋である。地下鉄の駅で言えば、長堀橋に近いかもしれない。長堀通り南側に面しており、赤い丸い提灯が出ているはずである。愛知のほうから出てきたというおじさん二人がやっているお店で、手打ちのうどんを使っている。もちろん、麺はきしめん風の太めでしっかり。名古屋では、山本屋というかなり有名なお店もあるが、勝るとも劣らない本格派である。昼もやっているそうだが、仕事帰りに寄る事が多かったので、お店に入ると暗い雰囲気で‘ラジオ深夜便’がかかっていた。メニューの数も多く、客足の少なそうな夏場には鍋焼きではない夏向けのメニューもちゃんとある。口数は少ないが、愛想の悪くない二人組みのおじさんがやってるお店には、常連のようなお客さんばかりだった。きっと、八丁味噌の味が恋しくなるとこのお店しか思い浮かばないだろう。ラーメンを食べるよりかは値段がはるが、必ず注文するのは‘すじ肉入り味噌煮込みうどん’柔らかく炊かれたすじ肉が入っており、味噌出汁にとてもよく合う。少し多めに七味唐辛子を入れていただく。一人が多いので、流れるラジオとそれにまつわる会話をする店主と客の話をなんとなく聞きながら、熱いうちにぱっと食べてぱっと出る。体全部が満足し、二人のおじさんの仕事ぶりに自分はまだまだ甘いな、と反省して帰路につく。もう一年は行ってないが、やはり冬場になると無性に食べたくなる。今、ここでいちばんそれに近いもの…インスタントではあるが、寿がきやのみそ煮込みうどん。私が、インスタントの中で言っても一番だとおもう商品。やはりこのあたりでは売っていないので、名古屋の伯母に1ケース送ってもらった。大阪でも見つけたら買いである。私が名古屋になじみがあったからかもしれないが、食べたことない人は最初は味噌辛いと感じるかもしれない。ただ、くせになることは間違いない。ひとつ、味わってもらいたい。
2006/02/25
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福山雅治を見ると必ず思い出す。もう数年前になるが付き合っていた彼氏が福山雅治似というのだ。しかし、これは自称。私はちっとも気づいていなかった。彼は、元々は中学のときに仲の良かった同級生で、偶然職場の近くで再会した。彼は寿司職人、種類は違うが同業のよしみですぐに付き合うようになった。初めて焼き肉屋へ行ったとき、好みのタイプの話になった。彼は、「田中麗奈」と言った。私も答えた、「原田泰造」と。彼の顔が曇ったのは分かった。でもなぜかは分からなかったのだ。次は?と聞かれた。迷わず答えた。「極楽の加藤」彼は少しがっかりした感じで「お笑いばっかりやん」とつぶやいた。少しの間、二人は肉を焼き続けた。すると、また聞かれた。私は正直しつこい奴やなと思いながら、今まで考えたこともない三人目のタイプの男性に悩んだ。彼は、悩む私を見かねてヒントの如く「俺を見てわからんか?」と言った。茶色の無造作なパーマに端正な顔。私にはもったいないかっこいい顔を、近くでまじまじと見た。そして、あっ、この人忘れてたという人を思い出したのだ。彼も身を乗り出した。私はその人を思い出したとき、とても嬉しい気がしてしばらく忘れていたことを悔やんだ。「アイルトン・セナ!」私は満足感と達成感に満ちていた。彼はというと「外人やんけー!」と立ち上がる勢いで大声でつっこんだ後、さすがに諦めたのか自分で言い出した。「福山雅治は好きじゃないの?」そこで私はやっと気付いたのだ。彼が福山雅治を意識していたことを。「俺、似てない?」「ホンマや、似てるわ~」と言えればよかったが、福山雅治と私の好きな彼とは違った。確かに、かっこよくもてたであろう彼がそういうのは別に構わない。冗談を言っては笑わせて、優しく、仕事にプライドとポリシーのある彼に惹かれただけのはなし。しかし、そういう態度が次第には傲慢に感じてくるようになった。調理場で木っ端のように動き回るだけの私には、優しくなれる余裕がなかった。そして、中学卒業して働いている彼の仕事ぶりを羨み、アドバイスが説教に聞こえてくるようになってしまった。結局、一年ともたなかったが、忘れられない人となったのは間違いない。別れてしばらくしたころ、深夜のバラエティ番組に私も話には聞いたことのあるAV男優が出ていた。その人を見たとき、焼き肉屋での会話がフラッシュバックした。「俺を見てわからんか?」知っていたら答えたかもしれない。「あんた、福山というより、加藤鷹やで」と。
2006/02/22
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東日本、西日本で分けると、高松のある四国は西日本ではなかろうか?関西よりであることは明らかだ。私はなんの違和感もなく生活できると思っていた。が、こちらの感覚は関東なのである。私は知らずに何の疑いもなく「マクド」と言った。それを聞いた旦那さんや義母は一歩ひいたような感じで笑みを浮かべ、「あーマックね」と納得。あー、マックねって、いやいや高松はかなりの大阪よりでっせ。それだけではない。朝の情報番組が終わると、大阪では南光さんの「つぅっかいエブリデー!」を聞き、「なるとも」でローカルとメジャーの狭間に居る芸人さんたちの笑いを楽しんだ。海をちょっと渡っただけで、こちらは関東ローカルが流れる。これが思った以上に楽しめない。笑えない。土曜の朝は、健ちゃんのどうでもいい存在に、かつみ・さゆりの熱い住宅情報を観ていたい。しかしその時間こちらでは、優香をはじめとしてかわいい女の子たちがレポーターを務める情報番組が放送されている。きまりきったきれいな台詞に、きゃーきゃーおいし~と叫ぶだけの情報はいらない。‘笑い’のつぼはかなり重要のようだ。意外にストレスになっていると気づく。夕食時、これだけは譲れないと‘フレンドパーク’にチャンネルを合わせる義母。不戦敗で結構。意地を張って、関西人を通そうという気はないが、自分が好きな面白い部分は忘れないで行こうと思う。おじいちゃん、義母、旦那さん、私の食卓に、M-1やましてや大川興業の話題なんかのぼらない。あー笑いで笑いたい。いずれ、郷に入ればで「マック」と言うようになるかもしれないが、抵抗感は消えないだろう。いや、言わないかな。「マック」やっぱりこれは挑まなければならない…
2006/02/18
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今日、京都の超有名割烹に勤める女性料理人からメールが。「アムウェイについて知っていることがあれば教えてほしい」と。久しぶりに聞きました。ということは彼女に勧誘があったのだろうか?10年ほど前、私は大阪北新地で深夜までアルバイトをしていた。もちろん、私が華やかなホステスさんができるわけではなく、家庭料理割烹という小さいカウンターのお店であった。オーナーは女性で、辻調理師専門学校の夜間部を卒業してすぐのオープンだった。そのとき、知り合いになって料理のアドバイスをしてくれていた先生がアムウェイのディストリビューターだったのだ。夕方の早い時間、お客様がいらっしゃらない時間に先生はやってきて、実演販売さながらの熱い売込みが始まる。私は元々この商法が嫌いだったので、とりあえず話だけは聞いていたが、その熱心ぶりに「この人、救ってあげたほうがいいやろか」と考えたものである。無水調理が売りのステンレス鍋セット、電磁調理器、風邪を引かないというサプリメント…ビタミンCを一日何十錠も飲むという先生に、私は私の知識の中から「体内に吸収される以上の摂取は排出されるのでは?」との問いかけに、待ってましたとばかり「飲めば飲むほど許容量が増えていく」と説明した。そんな怪しげな話にオーナーも私もなかなか食いつかない。客にはならないと感じたか、アムウェイのシステムと成功者の話になった。どう聞いてもねずみ講のシステムに、横山たかし坊ちゃんに見間違ったN島K氏。確かにN島氏はすごかった。そうなれるのであればやってみたいと思うのは仕方がない。先生も、そのN島氏クラスのランク、なんちゃらクラウンアンバサダーを目指し、「こうなれるんだよ~」とプール付きの庭でホームパーティをする様子の会報をみせて夢見る顔になっていた。知らんがな~~!あんたの夢はペンションちゃうんかい、と言いたかったがもはや聞く耳持たず。売り上げノルマを達成するべく自身で商品を購入。金のない私にまで鍋セット(-通称アム鍋-24万くらいだっただろうか)を売ろうとする始末。私は友人に、友人知人に売り込めるのであれば良いのではと返事した。でもそんな友達がきたら避けるけど、と付けて。こういった商法は限界があると思っていたが、当時子供だった人たちが、新規会員に増えているのかもしれない。そうすると先生の夢の実現もあるだろうし、ヒエラルキーの上層に居てもおかしくない。数年後、別の店だが次はお客さんの中にミキプルーンのディストリビューターがいらっしゃった。あちら様もとても不思議な団体であった。講演会には有名人、海外集会はベルサイユ宮殿を貸しきる力があると宣伝された。お前もか…とつぶやきながら、こちらは相手がお客様ゆえ商品を購入したのである。実は嫁いだこの家にアム鍋があった。義母に聞くと、ちょっとしまったという顔をしながら売り文句に負けて、と言った。何年経っているか分からないが、底はたわみ、野菜は焦げ付いた。到底カレーはできず、カレーのときには保温調理の魔法鍋を登場させるのであった。
2006/02/17
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ブルターニュにいる同僚から絵本のようなかわいらしいレシピ本がおくられてきた。かのアルページュのシェフ、パッサールの本である。‘Les recettes des Droles de Petites Betes'特有の材料も若干ありますが、手に入る材料で魅力的でお遊びたっぷりな料理ばかり。料理の鉄人に出たときのことをうっすら覚えている。ポワソニエール(魚が一匹入るような細長い鍋)に魚と塩と藁のようなものだけ入れて焼いていたような…火加減が普段と違うのか時間がないと笑顔であせる彼を、スマートで男前やなぁと感じた記憶がある。料理の鉄人がものすごく勢いのあった時期、私はまだフレンチはおろか、料理の世界に携わるとは思ってなかった。今は亡き父と、料理人たちのすばらしいショウを楽しんでいるだけであった。和食の平野さんがでたときは、「こいつはホストか!」とみんなでつっこみ、神田川さんがでたときは、勝負そっちのけではらはらどきどきを楽しんだ。そのときは、関西の恥だなと思ってしまったものである。いま思えば、私の最後の師ドミニク・コルビシェフも出ていたそうである。最近、みぽりんのコマーシャルが流れている。変わらずとても綺麗。たしか、みぽりんはフランスでしばらく過ごしていたはず。現在はわからないが、出産まではむこうにいたと思っていた。が、コマーシャルを観て疑問が湧いたのである。パン屋に並ぶみぽりんに声をかける人、それに対してみぽりんも答える「ボンジュール」と。フランス語ができる人に聞いてみたい。あの「ボンジュール」はどうなのか。フランスに行く前に撮ったコマーシャルなのかと疑うほど、馴染んでいないと思うのは私だけであろうか。
2006/02/15
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本日は特別スペシャルデイではありますが、どきどきしながらあれこれ考えるというより、もはや義務感を感じるようになってしましました。昨年のこの時期は、旦那さんと高松-大阪で恋愛中でした。私も仕事をしており、前倒しで会えたときに生チョコをプレゼントしたと思います。すでに一年前の記憶があやふやではあるが忘れられないこともある。数年前の職場でのこと。やはり礼儀的でも男性にチョコレートをプレゼントをしたほうが良いのかもしれないが、当時調理場にいた私ともう一人の女性と話し合った結果、10人以上いる男性に後々気を遣わせてはいけないと「無し」と決めたのである。むろん男性陣も私達からは期待してなかったようだが、当日、ちゃっかりその子はチョコレートの詰め合わせを持ってきていたのである。休憩時間に、みんなはコーヒー飲みながらそのチョコレートをつまんでいる。私は唯一同じポジションにいた男性先輩に事情をはなし、気持ちを落ち着かせた。私「チョコレートどうしようか?」A子「いいんちゃう」って言うてたやろが!と責めればよかったのだろうか?もはや信頼は薄れとてつもない敗北感を味わったのであった。私は大きなことを学んだと納得させて「ありがとう」と彼女に言った。さて、今年は貧乏の材料難から何ができるかと考えて「マカロン」にしようと。丸い形、つるっとして乾いた表面、中はしっとりとしコンフィチュールやクレームをはさんだアーモンドの粉と卵白で作るクッキーである。このマカロン、日本のパティスリーでもよくお見かけするが、皆さん美味しいと思っているのだろうか?正直かなり甘く、生焼けか?と入れたものを出してしまうくらいネチっとしている。色粉バリバリのポップなかわいらしさは存分にあるが、買うたび作るたびに味に疑問をもってしまう。バルト氏と結婚しフランスにいる中村江里子も「これだけはダメ」と言ったのを聞いたことがある。ここにきて、身内が増えたため、元パティシエとしてやらねばならぬイベントである。まずは、休みに帰省していた義弟用に焼いてみる。思い通りにはいかず分量や時間、温度を変えて3回焼き直す。ココアのマカロンに酸味の強いマンジャリのガナッシュ、フリーズドライのフランボワーズをはさんだ。なんと、これがめちゃくちゃ美味しいのである。これならプレゼントしてもいいよなと自分で作ったマカロンにうっとりしながらラッピング。受け入れてもらえるかはわからない。83歳のおじいちゃんにはフランボワーズははずさねばならない。なぜなら種が入れ歯にはさまるから。生焼けではないという注意書きを入れておかねばならない。日本のマコロンというお菓子と一緒にしてもらっては寂しい。相変わらず、当日本番のぎりぎりのところではあるが、美味しかろうがまずかろうが、誰と相談しようともしないよりはした方が良いことを学んでるため今日の日を大切にしようと思う。ぼちぼちやりますか…
2006/02/14
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やはりでました。iPod/マッキントッシュが訴えられるというもの。いい音(大きい音)がですぎて聴力が失われたと。己で調節せーよ!と言いたくなるが、とりあえず訴えてみようと思うのでしょうね。エルネスト1969さんのブログにもあった、熱いコーヒーで火傷をしマクドナルドを訴えて勝訴、多額の賠償金を手にした人がいたことが発端なのでしょう。ハンバーガーを食べ過ぎて太ったと訴えた人、その人はさすがに敗訴だったらしいが、今後そういう人がないように「チーズバーガー法」というのができたという。学生時代、友人数人でユナイテッドアローズへ。一人がジーンズを試着した。それを見ていたもう一人の友人が「いいなぁあんなのがはけて」と羨ましがった。彼女は少しぽっちゃりした体系のかわいい子でした。でもなぜか私はその少しすねた態度にイラっときてしまったのです。「痩せたらええやん」言ってやりました。そばにいた友達は凍りついたようです。彼女はどうも怒ったようですが、私も彼女もそれ以上言葉は交わさず冷静を装った。フォアグラにされる鴨やガチョウでもあるまいし、自己管理責任だと思う。もちろん、体質もあるだろうし、病気や治療の副作用は仕方がない。彼女には痩せたいと思えば痩せれる余地があった。それなのに、その服が着れる体系を保っている友達を羨ましがるなーと思ったわけである。何か隙間をつき、企業のせいにし賠償金をとろうとするのはビジネスなのでしょう。マイケルジャクソンを訴える親御さん然りである。私はマイケルのすべてを信じているわけではないが、彼を訴えている親なんかの根性は相当汚いと感じてしまうのである。
2006/02/10
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紀子さまの御懐妊のニュース。まわりにも妊娠・出産の話が多い。私も結婚して3ヶ月なのだからあってもおかしくない話。もしもの場合、知らぬ土地ゆえどの病院にかかればよいかと考えていたら、旦那さんが「女医さんか、かなりのおじいちゃんの先生のところにして!」と。私は(他の男の人に触れられるのがいやなんだなぁ)と、ちょっとうぬぼれながら理由をたずねた。「何されるかわからん」これは男の意見だそうである。確かに、医者にあるまじき犯罪は起こっている。ネットなどが発達する前、とある産婦人科医が「女性の外性器」という写真集を発売して物議をかもしていたことがある。きっとこれは患者女性の知らないところで撮影されていたのだろう。可能なことである。男性の方は実際の診察の様子はわからないだろうが、内診(膣の中を診察)の際は先生に診てもらはなければならない。そうすると、下着をとり仰向けに寝て足を台にかける。そこで、恥ずかしくないようにとお腹を境にカーテンがかけられるのだ。正直、カーテンの向こうは何があってもわからない。AVの影響かそういったサイトを観たのか定かではないが、男性の医者だと心配ということだ。きっとそれは素人考え、ほぼそんなことはないと思っている。診察中にいちいち看護士の目を気にしながら作業するほど暇はないし、反応もしていられないだろう。昔、相原コージのコージ苑というマンガの中に、子供のころ見たい見たいと暴れていた男の子が医者になり中年頃、「もういい…」とため息をつくオチのものがありました。どちらかといえば、皆そちらではないかと…確かに恥ずかしいし、指も道具も入れられる。そんなことを聞けば、パートナーの心中穏やかでないのは仕方がないかもしれない。
2006/02/08
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昨晩の食事はおじいちゃんの希望で「カキの土手焼き」。買い物から帰り、準備をはじめる。そうしていると、おじいちゃんが自分の部屋から上がってきて私に白味噌を渡した。(ま、まさか!)夕飯のお伺いをしたときに、白味噌で土手を作って溶かしていくと言われたが、何かの間違いと思っていた。さて、鍋にお出汁を張ろうとしたときに義母がヘルプに来てくれた。「砂糖砂糖、あったかしら~」でました。これぞ讃岐の味覚。お正月には、白味噌にあんこもちの雑煮を経験。雑煮と言うより、おしるこである。料理の感覚でいただくからおかしい。デザートと思えば…あまいお汁の中で、生牡蠣でも食べれるふっくらとしたカキが入れられる。冬野菜のあまいお出汁もプラスされる。義母の「いったん鍋の中あげてよ~」の掛け声に、私は採り皿のなかにまだまだある具の一部を口にするだけで精一杯であった。(甘い、甘い、甘い、無理、無理、無理、)「お義母さん、醤油かけてもいいですか?」最終的には、私は醤油をかけてしまった。なんとも安心するおいしいと思う味になった。パティシエだったからといえ、甘いものが好きとは限らない。毎日のように作っていたアングレーズのおかげで、卵に火が入り甘い香りがだめになってしまった。昨日のお出汁に卵黄を加えれば、りっぱに白味噌風味のアングレーズができるだろう。思い出しただけで、うっ、となる。嫁として、受け継がねばならぬのだろうが、これから私が台所を任されるのなら、昨日が最後の讃岐風土手焼きになるのだろう。雑煮だけで充分である。そして関西人の皆様はとくに、讃岐にやってきてうどん屋さんに寄ったとしても、肉うどんは避けるべきではある。こちらも相当なものである。
2006/02/07
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義弟は全部で3人になるのだが、全員が高松を離れている。 そのうちの一人はIT関係のお仕事で東京に。 そしてこの家にはその弟作の家族専用ホームページが存在する。 弟が認証してくれなければ入れない。 私も申し込んだのだが、待てど暮らせど返信が無く、優しい言葉で誘ってくれてても正直兄嫁として認めてくれてなかったんだとかなり落ち込んだものである。 そんな私を哀れに思ったのか、旦那さんは直訴し私をねじこんでくれた。 今思えば、ウィルスがくっついていた使用パソコンが門前払いをくっていたのかと考える。 ホームページの内容は家族BBSと個人のブログ。 各々がタイトルを持ち、日記を書きそれにコメントする。 なんとも見える絆も相当のあったか家族である。 我が実家? 娘の結婚式に亡き父の写真一枚も持っていかなかったような家である。 その時は、誰を責めるでもなく、妹が「要は気持ちや」と母を慰めた。 ともかく、この熱い家族に私が入っていけるのか? 果たして日記に何を書けば?! ある意味私の裏日記。 旦那さんのタイトルは「兄っ貴」(言わずもがな兄と日記をかけている)。 そして、弟さんが私に付けてくれたタイトルは「姉っ貴」。 「姉っ貴て…」と思いながらも、これには何故か嬉しく軽く吹き出してしまった私であった。
2006/02/05
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昨日できた太巻きは、今日の晩まで間に合ってしまうかもしれない。現在、海外にいる知り合いは四人。イギリス、オーストラリア、フランスに二人。フランスはどちらも料理人、大阪での職場の先輩と同僚である。一人はよくフランス地方の写メールを送ってきてくれる。先輩とは、たわいもないが普通の友では通じない内容になってしまう。くしくも同じ時期に同じ内容のメールが届いた。調理場のフランス人がどんどん辞めていくということだ。そして日本人が増えると。同僚の店には三人も増え、先輩は飛び級のごとくシェフに。日本人はまじめに修行する。やるべき仕事は遂行する。お客が待つテーブルに、シェフの料理をだすために。今、本場のフランス料理は誰が作っているのだろう?知る限りでは先輩と同僚。そんなことはないのだろうが、調理場はもはやフランス人よりも、フランス料理に誇りを持っている他国籍の人でまわしていけるのかもしれない。ただ同僚は言う。フランス人の子羊をさばく速さは並ではないと。カレなら30秒だという。すばらしい!
2006/02/04
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本日、夕飯に義従妹の招待で「木蘭ムーラン」という手打ちラーメンの店へ。義母の独身時代からあるということは、30年はゆうに越しているはずである。片原町という商店街の中、中間あたりにあるテナントビルの二階であった。旦那さんとは現地集合であったが、仕事が押しているのか30分まてども音信不通のため店に入る。改装はしているのだろうが、さすがに中華ならではの艶があった。メニューは多くない。店に入るや否や、店主は人数を確認し、いきなりブインブインやりだした。おー!初めて見るではないか。ブインブイングルングルン…それぞれ店の個性があるのだろう。この店は割りと太麺であった。義母、義従妹は五目麺、私は肉味噌麺。待つ間にと餃子をとる。田舎を思わせる台所に、ダクトのスイッチ。これがまた何か引っかかってるような怪しい音を出す。すべてがほぼ同時に出てきてしまった。突如あらわれたおばさんが、アテにとだしてくれた揚げ麺スナックもつまむ間がないほどである。五目麺はあんかけ風、肉味噌麺には汁気はない。太いがプルプルしている麺は、濃度のある汁にぴったりであった。そして餃子、焼いてはいるがこれはまさに小龍包。熱いうちに食べなければいけないが、餃子だと思っていると食べ方を間違ってしまう。がばっと噛んだ私はのどを火傷した。厚くて柔らかい皮がやぶけると肉汁が飛び出した。そのとき、私たちがワーキャー言っていても愛想のない60歳くらいの大将は、米良美一がでている「うたばん」にとても優しい目をして声をあげて笑っていた。麺はそれぞれ1000円とちょっと高めだが、とても満足できた。餃子も美味しかった。また行ってみようと思う。手打ちラーメン、あの太さは讃岐仕様かもしれない。
2006/02/02
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日記を二日も空けてしまいました。友人の出産、実弟の家購入祝いで二泊三日の里帰りしてきました。高速バスに揺られること三時間で、とりあえず難波に着きます。その間は、酔い易い自分の防衛本能か、9割がた寝ています。難波から市バスに乗って実家を通り過ぎ友人宅へ直行。皆、私の高松同居生活を案じてくれる。集まったのは、中学同級生夫婦と高校同級生夫婦。一組は結婚して10年になる。それぞれのご婦人が中学1年生からの友人である。よって私のこともよく知り、結婚の大先輩のお言葉は誰のアドバイスよりも効いてくる。「全部愚痴っていきや~」と言いながら、始まったのは第2子めを産んだ友達の舅と姑の話。私の口を挟む間もありません。その彼女の怒り心頭の様子は、他人には理解不能です。幸い、私にはそこまで涙ながらに「聞いて聞いて、お義母さんったらひどいのよ~っ」というものはありません。そんな家は珍しいと思われるくらい順調で平和です。しいて言うなら、食費である。先月の食費がかなりオーバーしてしまいました。雑費もしかり。年末とお正月にかけての出費があり、食費のほとんどのやりくりを任されているため月末は食材が貧相なものに。義母曰く(笑顔でまったくの嫌味はない)「本当にこんにゃくすきねぇ」と。めちゃくちゃ好きなんですと答え、まだ2キロはストックしています。と告げる。そういう現実もふくめ、言わなければ伝わらない、言わないといけないのだと教えられる。私は人に感情や考えを示す、伝えるのが苦手である。結婚前からそうアドバイスをもらっていたので、しているつもりができていないようである。その日は友人宅で遅くまでいたため、旦那さんとはメールだけとなった。次の日、夜に電話をした。気になっていた夕飯のことを聞く。「作ってくれていたおでんは全部売り切れたよ」満足げにはなしてくれたので一安心。「とりだんごかな?あれお湯でゆでてケチャップつけて食べたは。美味しかったよ」ん?ゆでた?ケチャップ?それもおでんの具でっせ。言わなければ伝わらない部分はまだまだあったのだろうか。義母に、練り物系はすべて入っていますが残りの具は中身を入れ替えて食べるときに炊いてもらえますか?と。鶏団子をつくり、はくさいで包んだ。意図は出汁であり、煮込んでは硬くならないように直前でお願いした。かなりのショックである。きっともっと美味しいおでんを食べてもらえたに違いない。ましてやお湯でゆでただと?!私は電話口で絶句し、問いただした。「なんでやのん?!」珍しく口調を荒げる私にびっくりしたのだろう。「え?あかんかった?」弱い声で聞き返す。「あかんに決まってるやんけこのボケーっ!」「プラスの料理やろうがこの野郎ーっ」「お湯でゆでただけじゃ旨いのを逃がしてるだけやろがー!」と、言いたかった。が、言えなかった。そして私は反省する。やってもらいたいことは伝えなければいけないことを。このことを教訓に生きていこうと決心する。鶏団子に合掌…
2006/02/01
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今、大阪に向かうバスの中。 旦那さんをおいて二泊三日の里帰りです。 夫婦に何かがあった訳ではなく、実弟のマイホーム購入祝と長年の友人の出産祝のためである。 昨晩は、小豆島から帰り夕飯の支度をし、夕食後初めて旦那さんと一緒にフィットネスに行ってきた。 夜中までかけて、片付けやら洗濯やら食事の仕込みをし、“水曜どうでしょう-四国R-14-編”を観る。 これがかなりの怖さがあり、旦那さんにも止めてくれと言われる。 朝はおでんをわんさかと作る。 とまあこんな感じの日記を数日続けていたら、クレームがでたのである。 フランスで働いているK先輩である。 正直言って私は職場で親が見たら泣いて怒るような目にあっている。三十路の女である。 しかし私も色々と面倒をみてもらっていたのと、どこかでまだたずなで引かれ、調教のムチがあるようで逆らえない。 そのK先輩に言われたのである。 「おまえのブログにはセクシーさが無い」 そういう先輩の顔は容易に想像できる。 K先輩が求めるセクシーさとは… 一週間が始まり、私に課せられた重圧、タイトルが高松M妻に変わっていても友人には離れていってもらいたくないものである。 ※K先輩とどうこうあったというのではない。職場での指導の行き過ぎ、先輩の個人的趣味による体罰、自分の空き時間を埋めるための小道具にされていたのである。 おっとバスに酔いかけているよう。 とりあえずこの辺で…
2006/01/29
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2006/01/28
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朝突然言い渡される。今日は二人とも帰れないよ、と。え?私も泊まり?今日、小豆島で勉強会があり、参加することは了承。遠方の人のみが宿泊するとばかり思っていた。ちょっとした小旅行である。義母にどきどきしながら報告。「勉強なんて素敵じゃない!いってらしゃい」快く勧めてくれた。義母にしても私は突然の共同生活者。ましてやB型体質バリバリの私はA型家系を知らずのうちにかき乱しているに違いない。義母の心遣い、ありがたく受け止め、わずかではあるが私のいない静かな時間を過ごしてもらいたいものである。では、今からプールに行ってきます。
2006/01/27
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午前中、フィットネスクラブでプールに。 クラスは“かえるキック”、平泳ぎの初歩である。 私以外の平均年齢は60歳強で少し女性が多い。 夫婦で来られている方がいらっしゃらないのは、無様な姿をお互いに見られたくないのかなと考える。 さて、このタイトル、最近のニュースのキーワードに聞く機会が何度かあった。 最初は聞き間違いかと思っていた。しかし、どう聞いても違う。その度にちょっと恥ずかしくなり、どうしようかとうろたえてしまうのである。 義母は間違えている。 そして私は「団塊ダンカイですよ」と正す機会を失ったのである。 ダンコンの世代…2007年、話題が増えるであろうこのときまでに、なんとか間違いに気付いてほしい義娘である。
2006/01/26
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いざ、バースデーケーキ制作。 おじいちゃんまでもが期待する有り様。 フルコース? したいのはやまやま。 やるからには家庭でみることないもの作ってみたい。 今年は完全に挫折だな。逃げてます。 義母が残念がっているのがわかります。 なんだかんだ言って、クリスマスもお節もしていない。 今夜は義母のチキンカツカレー。 旦那さんは大好物である。 歳の数のプチシューを積み上げ、クロカンブッシュにろうそくさしましょう。 さてさて、やりますか。 お夕飯の支度をしなくて良いため、今日はまだまだ長い気がします。 はー、それにしても夜遊びしたい…
2006/01/25
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昨晩、夕飯はいつものように帰りの遅い旦那さんをおいて、義母とおじいちゃんとでいただく。 鍋だったため、義母はビールを飲み、私は延々と食べていた。 おじいちゃんはサッと食べ自分の部屋に。 義母の友人の話をきっかけに映画の話へ。 義母は映画鑑賞が趣味。手帳も細かくつけ、この1、2年分でも分厚いものになっている。 入り口は「ローレライ」。 義母達は映画館で観たそうです。 義母は可哀想で涙が止まらなかったと。母・友人はケロッと泣くところがあったか?と。 純粋で優しい母はもしかしたら人格を疑ったかもしれません。 「私も泣けなかったですね。」と辛口の批評を始めてしまった。 義母の目は、私を冷静に温かく受け止めようとしてくれているのと、疑問視する二つが交差していた感じ。 内容は映画の出来不出来とは違うステージに立っていました。 追いかけるように議題は「キングコング」へ。 義母はもちろん泣いたそうです。 キングコングが可哀想だと。女性をかばって死んでいく優しさが観ていて辛かったと。 ん? あれはかばって死んだのか? もちろん私は泣けなかったのである。 とても言えないが、劇場で何度も笑ってしまった。 確かに、人間の勝手で連れてこられ惨い仕打ちを受けた部分は可哀想だと思う。 キングコングの演技力は充分に感情をみせていたと思う。 美女の眼の前で力尽き、するりとビルから落ちて行くキングコングはまるでタイタニックの1シーンを彷彿とさせた。 「どうして逃げず高いビルに登ってしまったのか?」という疑問を観た後に旦那さんが投げかけた。 きっと義母はこう思うのでしょう。 「島で一緒に見た夕焼けが恋しくなって」と。 「所詮、獣やからとりあえず高いところに登ったんちゃう」と答えたこのセリフは永遠に封じ込めねばならない。 義母は、素直に映画に入ってしまうからすぐ感情移入していまうと言った。 私は素直でもなく非情なのかもしれない。 しかし映画を楽しむことも知っている。 もちろん泣く。 どんどん意見をぶつけあい、お互いを理解しあう手だてもあったかもしれないが、純粋に信じきってる人の前では言葉がない。 私が悪い人にみえるまえに話題をかえる。 リベンジ(負けたのか?)はしたいものである。 泣けた映画をぶつけてみようと思う。 その間に、こっそりと爆笑した「シリアルママ」を挟んでみようか。 実行する日は、まさにその時。 ないことを願う。
2006/01/25
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日曜日、旦那さんは休日。これ一般的。 午前中はゆっくり過ごす。 午後からどうやって動くか、バナナにクリームをつけながらミーティング。 結婚してから2ヶ月と2週間、未だにそろわぬ諸々を見に行くことに。 高松の街中、瓦町辺りに着く頃には午後2時近く。まず最初の目的地『natural store』へ。 大阪は中崎町の隅っこや、堀江の古いビルなんかに入っていそうなシンプルラインの雑貨と家具。 この日、BGMには大好きな“はっぴいえんど”がかかり、晴臣さんと“相合傘”を口ずさむ。 好みのもの多し。 極めつけは月光荘のスケッチブック。欲しいものはたくさんあったが、必要不可欠なものはなく、理想を二人で描いただけでお店を後にする。 次に向かうは近くのホームセンター。しかし私のナビゲーションに裏道で迷う。 その途中、見つけたのはパキスタンカレーのお店。通り過ぎるが、空腹と目新しさにやられて引き返す。 らしき料理人が二人と日本人のかわいい女の子が店内に。割と広いお店は休日の遅いランチに繁盛してるようす。 マトンのミートボールカリーとお豆のカリー、ごはんとナンを注文する。 美味い。若干日本人向けなのかこれが本場なのか甘くてまるい味。 ナンも同じように柔らかく甘い。 壁掛けのテレビには、ミュージカル風のインド映画が流れる。出演者をみながら、6年ほど前のインド人とのふれあいを思い出す。それは食後のチャイを飲んだ瞬間によりはっきりとフラッシュバックしたのである。 カリーよりもスパイスさを感じるその中にはカルダモン、私とインド人の架け橋となったスパイス‥ 当時、いつも終電間近の地下鉄で帰宅。終点に近い 乗客も少なく、先頭車両には何気なく同じメンバーになることも。 そのメンバーが私と異国の男性が4、5人。威圧感大。 何度か居合わせるうちに、むこうがかたことで声をかけてくれた。 「イツモオナジね」 「シゴト?」 「ワタシタチ、インドリョウリ シテマス」 (そのままやんけーっ!)と突っ込みたかったのですが、 「どうりで!カルダモンの香りがすると思いました。」と私。 言うや否や、みんなの眼がキラキラし、日本の小娘からまさかカルダモンなんて言葉が聞けると思わなかったのか、肩を抱き「カルダモン イエー!!」と沸き上がったのです。 カルダモンとはピスタチオのような形をした種で、辛いというよりかは舌を刺す感じが山椒に近い。 フレンチでも煮込み料理などに数粒使うため、私でも知っていたのです。 もちろん使い方は香り付け。 そうすると、一人がおもむろにポケットからむき出しのカルダモンを取り出したのです。 「コレ ダベルネ」 え?またもや私に与えられたのは戸惑っている間がない間。 インド人に渡されたカルダモンを口の中に。 渡したインド人も自分で食べた。 みんなが私の顔を見て、グーねって言っているように笑顔を浮かべる。飴をなめるように口に入れて嬉しそうなインド人の勢いに飲まれ、そのまま私は自分の降りる駅の一つ前でインド人と降り、そのままみんなでローソンへ。 各々に買い物をし、あっさりと解散になりました。 しかしあっさりと解散できた訳に、一人の若きインド人との取引があったのです。 それはまた別の機会に‥ “カルダモン”、これは親交を深めるキーワードと認識。 試してもらいたいものである。 ポケットにカルダモン(むき出し)、突然の出会いにも対応し自国をアピールできる最高のスパイスなのだ。 それにしても、生ターメリックでなくて良かったものである。
2006/01/23
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義母、私のために友達ができるだろうとフィットネスクラブを結婚前から申し込んでくれていました。 働いているときは、お金を払ってまで運動したくないと思っていましたが、現在専業主婦子供なし、断る理由もありません。 もともと文化系の私、エアロビクスによる激しい運動や、同じ位置で走り続ける運動がどうもこっぱずかしい。 そのため、ストレッチ系のプログラムに多く参加していました。 その中、『チャレンジMt.富士 開設』の案内が。 何をかくそう結婚を決めたポイントに ・富士山に一緒に登ってくれる が。 登山好きの旦那さんに連れて行ってほしいとお願いしました。 快諾してくれましたが、山を軽くみてはいけないと言われました。 山は全くの初心者。 これは丁度良いと時間にスタジオへ。 きっと、重石をリュックのように背負い、踏み台昇降のような運動をするのだろうと考えました。 案の定、ステップを用意。 意外にもインストラクターは若い女性。 マイクをつけています。 音楽がスタート。 え、え、エアロビだ~! 戸惑っている間はありません。周りの勢いにのまれ、手を激しく前後に振り、台に上ればこぶしを突き上げ足をのばす。 張り巡らされた鏡をみることはできません。 笑顔で汗だくのインストラクターを見ることさえできません。 自意識過剰とお思いでしょうが、こういう動きをしている自分が恥ずかしいのです。 私よりもはるかご年配の方々は、一所懸命がんばっておられます。 途中退場では根性がない。 これで富士登頂ができるのなら何てことない、我慢するのだ。 顔は心配されるほど紅くなり、汗もかいています。 爽快感?いやいや。 今度はちゃんと鏡を見てみよう。 義母の奨めるヴァームめ飲んでみよう。 今度2回目の『チャレンジMt.富士』。 自分なりに羞恥プレーでMt.富士に挑みます。
2006/01/21
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嫁ぎ先の義母は映画好き。私も嫌いではないのだが、一般大衆的なものは借りてもあまり観ていない。今、義母の勧めで「ローレライ」を観始めました。妻夫木くんなどがでている潜水艦が舞台の戦争映画のようだが、不思議少女がでてきたり、一部オカルト風で趣旨不明。その中で一際顔のでかい奴。潜水艦で軍人してたのですね。-ピエール瀧-タウンページのコマーシャルでは‘何故こんな胡散臭い二人を兄弟に?’というほどの組み合わせをなぎら健壱と演じておりますが、映画ではサブの中でもキーパーソンのよう。真剣、険しい顔をして役者をしているそんな瀧をみると、すこし哀れに思うのは何故だろう。人生、電グル時代もミュージシャンとしての才能は卓球やまりんの担当だったが、瀧による名作も多い。瀧は何をしているのだろう。ミュージシャンから役者への転身は数知れず。その逆もしかり。きっとこれから先、この姿が本来のものとなっていくのでしょう。着ぐるみをきてドガーンドガーン言うこともないのでしょう。おっと、哀が愛にかわったぞ。よし、瀧はいいとしよう。ところでいったいこの映画は何なんだ?どうもラストが近いようだ。義母は感動したと。しかと見届けねば…
2006/01/19
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胃がむかむかしています。目が結膜炎、唇にヘルペス、鼻はぐずり、両足裏には魚の目予備軍が着実に成長しています。体中の毒素が排出されているのでしょうか?なんとも自己ボトックス機能の付いたできたボディです。そして、こんな壊れた毒素妻を持った旦那さんを、他人事であれば二礼二拍手一礼して拝みたいものです。本日は旦那さん、義母が勉強している‘古事記’の会に一緒させてもらえることになりました。現代語訳の冒頭だけ目を通しました。日本創生の原点なのか?!かなりのスペクタクル(←雰囲気で使用)です。心身ともについていけるか心配ではありますが、ここは神頼み。体内浄化を進めるべく、いままでにない勉強会という風を自身に吹かせてみたいと思います。早ければかえり、今晩には私の体のありとあらゆる毒素が放出されるのでしょう。さてその様とは…
2006/01/19
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昨年11月に結婚、大阪から高松に移住。旦那さんの義母、義母側のおじいちゃんと同居生活スタートさせました。迎えるはクリスマスに年末年始。義母は申します。「うちにはプロがいるから~」あたりかまわず申します。「プロパティシエのクリスマスケーキ」…頭に浮かぶはつやつやのグラッサージュショコラにフリルのチョコ、あるいは島のように積み上げられたシューのモンブラン。大阪から持ってきた道具はしれたもの。材料に関しては皆無です。もしかして、ハッピータウン(近くの大きなスーパー)で揃えるの?!の不安もなんのその、高松を穴ドル泣かれ、いやいやあなどることなかれ大阪にもないプロ仕様の材料を多種類用意、小単位で販売するコジャレタ店がすぐ側に。これにはびっくりでした。がしかし甘くはない。商品はすべて定価、割高感は否めません。関西人として、業界価格に慣れたものとしてつらいところでしたが、傷物20%オフのタルト型やカレボー社のチョコレートなど、リストアップしていた商品をすべて仕入れることができました。さて、作ったものとは。気が引けましたが‘人気シェフのケーキ教室’を参考にしながら、数々のルセット(レシピ)を組み合わせ、マスカルポーネクリームのロールにチョコレートクリームでデコレーションしたブッシュドノエルでした。メレンゲできのこ作ったり。イチゴでサンタさん作ったり。超定番の形でしたが、われながらの出来映えだったと思います。おかげさまで、プロパティシエの冠を下ろすことはなかったよう。おせちです。こちらは義母の計らいで外注となりました。義母も息子の結婚で疲れていたようです。助かった~の安堵もつかの間、続きまして旦那さんの誕生日です。義母は申します。「ぼちぼちフランス料理の腕を奮いたいんじゃない?フルコースどう?」と。どう?とは…「もとパティシエの旦那さんのバースディフルコース」…ってなんだ?2月にはバレンタインディがやってきます。義母はきっと言うのでしょう。どんなチョコレートを作るのかと。そのときは言ってみようと思います。「パティシエでもチョコレートは作りません、買って溶かすのです」と。
2006/01/18
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今朝は何の用意もしていなかったので、ホットケーキ。ガス圧サイフォン式のホイップを初めて使う。もそもそのセパッた(セパレートした=分離した)シャンティイが出てきたが、ちょっと感動。味も悪くない。腹が急激に出てきたと気にしている旦那さんは遠慮がちに。中学友人が本日二人目出産。女の子。今年は当たり年かのごとく、出産ラッシュ。来年頭くらいに産めたらと思うが、いのしし年は止めたほうが良いと数人のアドバイス。某有名フレンチシェフは本物の猪突猛進タイプ。うちお一人のアドバイスはそのシェフの奥様から。なるほど納得です。
2006/01/18
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