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2024年09月23日
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カテゴリ: クラシック


サントリーホール 14:00〜
 2階右方

 J. ハイドン:交響曲第6番 ニ長調 Hob.I:6 「朝」
 ブルックナー:交響曲第7番 ホ長調 WAB107 (ノヴァーク版)

 新日本フィルハーモニー交響楽団
 指揮:佐渡裕

 これは突然ではなくて、実は前から買ってあったチケット。伝手で安く入手出来るということで、聞きに行ったのでした。いつも安いとこなんですけど、今回は安くてもそんなもんということで、横や裏ではない席。
 新日フィルは昔は定期会員やってたのですが、アルミンク不在後の凋落著しく、うちから錦糸町はそこそこ遠いのもあって、定期はやめてしまって、とはいえ時々聞いてはいます。申し訳ないけれど、定期で買ってる東フィルやN響ほどじゃないにしても、在京オケの中ではまだしも....と思っているので。アルミンク時代以来の腐れ縁って言った方がいいかもですかね。

 思いの外お客が多い。満席ではないですが。最近の新日はあまり埋まってない印象がある中、健闘してる方でしょう。まぁ、連休中日とはいえ日曜日=休日だし、例によってブルックナーだし(だから(?)お客はおっさんが多い<オマエモナー)、指揮は佐渡裕だし、で、入ったのでしょう。


 ただ、ですね。例の、日本のオケは重心が高い話。今回の新日はかなり健闘してました。いつもと違っていい席で、しかもサントリーだから、と言うのはあるかも知れません。ただ、確かに、よくある力み返った演奏はあまり出ていなかった。その点だけでも新日としてはいい出来だと思うし、佐渡裕も良かったのでしょう。ただ.......
 これ、ブルックナーだから、そういう問題に見えてしまうのかも知れないですが、どうも、弦が弱い。というか、管が、特に金管がアホほど鳴らすんですね。で、そうすると、弦が、特にヴァイオリンやヴィオラが負けてしまう。埋もれちゃうんですね。支え切れなくなっちゃう。
 この日の編成は、どうやら16-14-12-10-8だった模様。ブルックナーだろうがなんだろうが、サントリーでこの編成で乗るのなら、不足は無い筈なんですね。でも、金管がアホほど鳴らすので、隠れちゃう。低弦は、それでもまだ頑張ってるんですよ。だから、低弦が足りないのではなく、中高音域が足りないのかと。まぁ、確かに、ここいらはオーケストラの要ですから、そもそもここが弱くてはしょうがないんですが....
 どうなのかなぁ。元々こういうものなんだろうか。それとも私の聞き方がおかしいのか。低弦が強過ぎるの?それともやっぱり金管がバカなの?それとも、やっぱり中高域の弦が弱いの?指揮者はどう思ってるんだろう?こういうものなのか、仕方ないからこうなのか、どうなんだろう。よく分からない.....
 分からないけれど、ヴァイオリンがまるで金管にやられちゃってたのは事実だと思います。

 それで、ちょっと思うところはあるんですけれどもね。
 この曲書いてる時にブルックナーはワーグナーの訃報に接したんだそうです。つまり1883年。で、ワーグナー・チューバがこの曲には使われる訳なのですが、今日の演奏でもワーグナー・チューバが4本入ってました。どうでもいいけどこれってトリフォニーホールに飾ってあるやつなのかしら?いや、あれはアイーダ・トランペットだっけ?いや、ワーグナー・チューバもあったような....いやそれは余談でね。
 このワーグナー・チューバの響きが、4本もいる割にはモデレートなんですね。上述した金管がアホほど鳴らす、の中では、むしろトランペットやホルンやトロンボーンがうるさかった訳ですが。
 ちょっと我々は勘違いしてるんじゃないかな、と、思うんですね。確かに、慣習的に、こういう演奏の仕方になるのかも知れないんですが。ただ、バイロイトでワーグナーが目指した音は、実は結構繊細なものなんじゃないか、と思う時、もう一つ気付くことがあって。つまり、我々の耳は、もう、ストラヴィンスキーを知ってるんですよね。春の祭典なんかの管の咆哮。あれをもう知ってしまっている。いや、春の祭典の責任じゃないんですけど、ただ、あれを知ってしまっているから、ついつい激しい演奏をイメージしてしまうけれども、ひょっとするとワーグナーやブルックナーが考えていたものとはちょっと違う可能性はあるんじゃなかろうか。ブルックナーは基本ウィーン・フィルに当て書きしていたという説はありますが、それの真偽はともかく、実はもっと綺麗な響きを目指していたんじゃなかろうか、ひょっとすると今ほど暴力的な音楽のつもりではなかったのではないかな、とも思うんですよね。
 生誕200年だってことで、なんやかやとブルックナーを聞かされている訳ですが、なんかこう爆音万歳ブルックナー、っていうのとは違うのかもな、とね。ま、分かりませんけど。

 前半をすっ飛ばしました。ハイドン。爽やかな目覚め、ってな感じでよございました。

 面白くはありましたよ。悪くないとも思うし。





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最終更新日  2024年09月23日 03時14分37秒
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