りょうの戯れごと

りょうの戯れごと

Feb 21, 2006
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カテゴリ: 読書日記
日記の更新はほとんどできていないけど、その時々に読んだ本のことはここに書き留めていきたいなと思っています
本の中身についての、詳しい紹介はできないかもしれないけど・・・
でも、自分自身が読んだあとの、お奨め度を独善的にポイント化してみます

ハードカバー
人間というもの
人間というもの

文庫はこちら
人間というもの
人間というもの


お奨め度:6.5ポイント(10点満点中)

興味のある方は是非ともどうぞ!



先週読み終えたのは、司馬さんの 「人間というもの」 という本
文庫で買おうと思ってたんだけど、ついつい買い過ごしてしまい、たまたま図書館で見つけたので借りてきて読みました

内容は、司馬さんの作品の中に出てくる言葉や台詞を抜き出してまとめたものです
タイトルにあるように、日本と日本人ということをテーマにして、彼の作品からテーマ事に抜き出して書かれたものです

例えば、表紙にはこんな言葉が書かれています
「人間のいのちなんざ、使うときに使わねば意味がない」(峠 上)



好きな言葉を少しだけ抜き出してみると

「人生の大事」

こういうのを人物というのかもしれない。同じ内容の言葉をしゃべっても、その人物の口から出ると、まるで魅力がちがってしまうことがある。人物であるかないかは、そういうことが尺度なのだ(竜馬がゆく 一)

「生死などは取り立てて考えるほどのものではない。何をするかということだけだと思っている。世に生を得るは事を成すにあり、と自分は考えている」
「事とは何ですか」
「しごとのことさ。仕事といっても、あれだな、先人の真似ごとはくだらぬと思っているな。釈迦や孔子も、人真似ではない生きかたをしたから、あれはあれでえらいのだろう」(竜馬がゆく 六)



「弱さとおろかしさ」

人間の厄介なことは、人生とは本来無意味なものだということを、うすうす気づいていることである。古来、気づいてきて、いまも気づいている。仏教にしてもそうである。人間は王侯であれ乞食であれ、すべて平等に流転する自然生態のなかの一自然物にすぎない、人間は自然界において特別なものでなく、本来、無意味である、と仏教は見た。これが真理なら、たとえば釈迦なら釈迦がそう言い放っして去ってゆけばいいのだが、しかし釈迦は人間の仲間の一人としてそれでは淋しすぎると思ったに違いない。(ある運命について)


「悪人と善人」

「つまるところ、あの人には百の才知があって、ただ一つの胆力もない。胆力がなければ、知謀も才気もしょせんは猿芝居になるにすぎない」(最後の将軍)

「男子の本懐」

幸村は、男はだれでも、自分の才能を世に問うてみたい本能をもっている、といった。男が世に生まれて生きる目的は、衣食をかせぐためではなく、その欲を満たしたいがためだ、ともいった。
「むろん、煎じつめれば、それも屁のようなものさ。しかし、その屁のようなものも当人にとってみれば、たいそうなことだ。ひらずに死ぬのかと思うと気が狂いそうになる」(風神の門 上)



「戦略とかけひき」

うそは、誠実につかねばならない。だまそうとする場合、誠心誠意だまさねば-必要なら相手と心中するほどの覚悟でだまさねばだませるものではないことも、信長は知っていた。(夏草の賦 上)


「サムライの国」

小さな躾でいえば、侍は雨が降っても走らない。そして、道の真んなかを歩く。雨に濡れないように軒先を歩くのは、見ていて浅ましいものでしょう。曲がり角など、直角に曲がるそうですな。直角に曲がるのが侍というものなんです。
ぼくらは、ちょっとでも早道しようと、角のほうをさっと曲がりますけれど、侍はそれをしない。つまり、侍には、どうやればシビライズドされた人間ができるか、つまらないことまできちんとした取り決めがあったわけですね。それらが、集積して、普遍化していくと、文明の姿となる。(歴史を考える)

幕末期に完成した武士という人間像は、日本人がうみだした、多少奇形であるにしてもその結晶のみごとさにおいて人間の芸術品とまでいえるように思える。しかもこの種の人間は、個人的物欲を肯定する戦国期や、あるいは西洋にはうまれなかった。サムライという日本語が幕末期からいまなお世界語でありつづけているというのは、かれらが両刀を帯びてチャンバラをするからではなく、類型のない美的人間ということで世界がめずらしがったのであろう。また明治後のカッコワルイ日本人が、ときに自分のカッコワルサに自己嫌悪をもつとき、かつての同じ日本人がサムライというものをうみだしたことを思いなおして、かろうじて自信を回復しようとするのもそれであろう。(峠 上)

武士の道徳は、煮つめてしまえばたった一つの徳目に落ちつくであろう。潔さ、ということだ。
盗賊を働いてもいい。殺人をおかしてもいい。それらの罪は世の法によって検断されるが、たとえ検断されても武士の武士たる所以のものはほろびはしない。それがほろび去るのは、その法をおかした者が、潔くなくなる瞬間からであった。(竜馬がゆく 六)


「諸外国と日本」

日本と日本人は、国際世論のなかではつねに無視されるか、気味悪がられるか、あるいははっきりと嫌悪されるかのどちらかであった。(坂の上の雲 七)


人間というもの、日本人というもの
それらをわかりやすく、類型的に我々に示してくれた司馬さんは、今の日本をどう見てるのかなぁ





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Last updated  Feb 21, 2006 08:37:27 PM
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Comments

り_ょ_う @ Re:生きるって…(11/15) ありがとう そんなこと言ってくれるのは…
アキアカネ♪ @ Re:生きるって…(11/15) りょうさんはちゃ~んと生きて、存在して…
りょう@ Re[1]:心配だけどさ・・・(12/14) アキアカネさんへ ありがとうございます …
アキアカネ♪ @ こんばんは お言葉に甘えて(?)おじゃましま~すヾ(…
M.T@ こんばんは りょうさん こんばんは。 またまた、お…

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