全366件 (366件中 1-50件目)
1.紺のいすゞジェミニ・イルムシャー初めて買ったクルマがFFジェミニのイルムシャー。その頃は既に新車は売ってなかったけど「街の遊撃手」のCM以来欲しいなぁと思っていたFFジェミニの中でも、エアロパーツを付けてホイールカバーがボディと同色のイルムシャーを中古車屋で探し、忘れもしない60万円で手に入れました。いたくお気に入りとなり、あちこち乗り回したものの「60万円のクルマでこんなに楽しいんだったら、ちょっといいクルマってどんななんだろう?」と気になり・・・。2.赤いローバーMGF会社の連中と一緒に「芋煮会」に行った先の奥多摩で見かけた売り出されたばかりのMGF。ミッドシップのイギリス製オープン2シーターを「なかなかカッコいいじゃん!」と思い、その頃に住んでいた寮の近くにローバー屋へ見に行って商談、ご契約。オープンカーは冬のモノです。よく効くヒーターのおかげで頭寒足熱。これもあちこち走り回り、2シーターの助手席に釣り道具を積込んで活躍してくれました。いいクルマなんだけど、意外と普通で思ったほどの刺激はなく、どうせなら英国車中の英国車に乗ってやろうと思い・・・。3.赤いミニクーパーローバー屋で試乗させて貰い、木と革とクロームの内装に包まれたゴーカートのような走りに降参して即決。クラブに入った頃のクルマ、母猿と知り合った頃のクルマ、耕平の運転する馬運車にくっついて山梨の試合場にも行きました。脚を折って病院送りになり、クラブに置きっ放しになったこのクルマを、巨体の義兄が窓から半身はみ出しながら運転し、家まで届けてくれました。思い出のいっぱい詰まったクルマだけど、母猿が「このクルマは正直言って、ちとツライです」と不満を洩らし・・・。4.銀のトヨタ・アレックス思いっきり普通のクルマに乗ってやろうと、その頃売り出されたばかりの新型カローラの派生型を購入。色は実家のドイツ車のワークスカラーに倣って銀色。買った翌日飽きて、以来苦節5年半・・・。
2006年12月19日
コメント(4)
久々の日記、ポティロンに行って楽しかった話。前(ずいぶん以前・・・)に来た時にはなかった新らしいアトラクションをご報告します。世界一速いメリーゴーラウンド車輪の付いたいかにも手作り風の木馬が、メリーゴーラウンドのようにクルクル回ります。動力源はロバ。ロバ使いのおじさんが「はいや~! はい~!」と大声を上げながら追いムチを振りかざして追いかけると、ロバは走ります。木馬も走ります。適当なところでおじさんがロバを止めて終了となるはずが、ロバが反抗すると再び走り始めます。木馬が止まって、ロバが反抗して再び走り出す前に、半泣きの子猿をさっと抱えて下ろすのがポイント。おじさんによると「泣く一歩手前、落ちる一歩手前で止めるのがコツ」だそうです。世界一速い馬車ロバ使いのおじさんが御者です。おじさんが御者台の上に立ち上がって「はいや~! はい~!」と大声を上げながら追いムチを振りかざすと、馬は走ります。馬車も走ります。結構広い園内を風を切りながら、あっという間に一周します。おじさんによると「あの黄色いヤツ(園内一周バス)は時速10キロと決められているが、馬車には制限がない」のだそうです。園内のボート池から雄叫びを上げながら疾走する馬車を見上げるのも一興です。メリーゴーラウンド稼動中は馬車は動けませんが、勝手に乗り込んで待っていると、メリーゴーラウンドのキリのいいところでおじさんが来てくれるので心配いりません。馬車稼動中はメリーゴーラウンドは動けませんが、あんまりそばに寄らないほうがいい気がします。
2006年09月24日
コメント(8)
この6月から会社の肩書きがひとつ上がったのだけれど、同期入社の連中はたいがい一斉にひとつ上がっているので、プロモーションというよりインフレーションという感じ。一緒に昇進した連中と話していても、上がったところで何すりゃいいんだって感じで、ほとんど自覚なし。終身雇用バンザイ! 横並びバンザイ!って感じ。えらくなったのでエラそうにしているわけではないのですが、昨日、今日と昼から大酒飲んで、ほとんど使い物になっていません。さっきは帝国ホテルのバー、昨日はオークラのバー、そういや先週の金曜日はニューオータニで半日ぐらいゴロゴロしていたんだっけ・・・。ホテル全体の雰囲気はニューオータニが好きだけれど、バーの雰囲気はオークラがいいかな。でも、バーのウェイターは帝国ホテルのおじさんがいいです。帝国ホテルではハンバーガーを食ったけど、おじさんに「肉汁が飛びますのでお気をつけ下さい」とうやうやしく言われて「はいはい」と言いながらバクッとかぶりついたら、飛び散るなんてもんじゃない! ハンバーグが破裂したように肉汁しぶきが撒き散らかされて驚いた。美味しかったです。ウマのほうですが、先々週の月例にはナッツでクロスと60に出場した。クロスは規定タイムだったけれど、全く無視して60のコース取りの練習。タイムは早かったけど、規定タイムなので成績は恐らくドベに近いところでしょう。一箇所、隅角に近いところの回転から距離のない単一という私が一番苦手とするところで踏切りを間違えたので、60の時は回転で少し積極的に脚を使いながら向かったら、今度はうまく行った。結果として、60では今の私の実力では理想かなという走行が出来て良かったです。とは言っても、明後日は進級入校なのですが、ここんところ60以上は全然跳んでいないので、うまくいくのかなぁ・・・。
2006年06月30日
コメント(2)
ウマが前にノメリ気味だし、あまりガマンも頑張りも利かず、口が強くなってさらに前にノメる傾向がある。騎手は騎手で前に被さり気味になり、ガマンさせるにも頑張らせるにも脚力不足気味。どうすんべぇと考えながらナッツを洗い場へ引き出してきて、となりのヘイアンウィンザーの鞍箱に比較的きれいなウィンテックの総合鞍が置いてあるのが眼に入った。個人のモノじゃなくてクラブのもの。クラブの鞍といえば革がボロボロになってるもんだけど、人工素材のおかげか、あるいは新しいものなのか、不特定多数の人が使う鞍にしてはきれい。・ウィンテックはウエスタン(ストックサドル?)しか跨ったことがないので、一度使ってみたい。・滞空時間を意識するようなドでかい障碍を跳ぶわけもなく、馬場ウマでも跨ぐようなキャバレッティに毛が生えた程度の障碍跳ぶのに本格的な障碍鞍はいらない・フラットワークを大事にして、その中でウマにガマンさせる、頑張らせることを覚えさせるのに障碍鞍はいらない。・シートが悪く、被り気味になる騎手に障碍鞍はいらない。「いろいろ考えるなぁ・・・」と前所長に言われた(たぶん、100%嘲笑ではなく呆れ半分、感心半分だったと思う)ことがあったのを思い出しながら、スタッフに断って、今日の練習にはこれを使わせて頂くことにする。いっそのこと、馬場鞍がどっかに落ちてないかと洗い場をうろついたが、落ちてなかったので総合鞍でガマン。「今日はどないになっとるんやろな・・・」と思いながら乗出してみると「?」。なんだか乗りやすい。鞍には関係なく誰かが一生懸命乗ってくれたような雰囲気。あるいは単にウマの気まぐれ・・・? 久々に跨る総合鞍の感触も、ガマンさせる時、頑張らせる時、シートが落ち着くべきところに落ち着いて、脚もはまるべきところにはまって、いつもよりはるかに快適。踏切りを間違えたりで失敗もあったけど、全体の雰囲気は今までで最良だった。ウマの状態も普段より良かったので、総合鞍の効果がどの程度なのか分らないけれど、ますます馬場鞍で試してみたくなった。80くらいまでなら馬場鞍でもOKのはず・・・。クラブハウスで新進の画家さんの個展開催中。う~ん・・・悪口言っちゃいけないけれど、何も感じない。ただのウマの絵って感じ。ウマの絵は匂いや音、空気の温度まで感じとれるようなものでないとねぇ・・・。(デッサンはお上手だと思ったので、技術の問題じゃないのかも・・・)
2006年06月10日
コメント(2)
80年代の半ば頃に"Lone Justice"という連中がいた。「連中」としかいいようのない連中で、ロックグループかといえば「?」、カントリーかといえば「?」、パンクかといえば「?」という感じ。強力にプロモートされ、有名ミュージシャンの全面的なサポートを受けて売り出されたが、結局2枚のアルバムを出したのみで雲散霧消してしまった・・・。ボーカルのMaria Mckeeは今でもソロで活動し、私もアルバムは買い続けているけれど、"Lone Justice"時代から既に20年。最近はなんだか退屈な感じ。風貌もちょっとくたびれ気味という感じ。高校生の頃からこの"Lone Justice"が大好きだったのだけれど、再び思い出したように彼らのアルバムを毎夜聞き続けている。2枚目にして最後のアルバム"Shelter"はこれを聞かないと寝られませんという感じ。なぜに彼らが売れなかったのかいうことがナゾだったのだけれど、CDのジャケットに書いてある「オリジナルはアナログで録音されてます」という注意書きを読んで、彼らのサウンドとこの注意書きにすごく違和感があるのに気付いた。アナログ? 21世紀に入って数年過ぎた今聞いても全く違和感がないどころか、新鮮そのもののこの音がアナログ時代のモノ? 彼らが80年代に受け容れられなかったのは、彼らが20年先を行っていたということか? それが当時受け容れられなかった理由ではないか? 会社にCDウォークマン(これってもう古いの?)を持ってきて、若いヤツに曲を聴かせ「いつ頃の曲やと思う?」と尋ねたら「そんなに昔じゃないでしょう?」という答えが返ってきて「お前が幼稚園の頃じゃ!」という答は言わずにニヤニヤしていたが、私の推測が当たってる気もするし、「いい曲ですね!」という反応はなかったので、単に受け容れがたいというだったのかも知れないし・・・。それにしても、このアルバムの8曲目の"Gift"から9曲目の"Inspiration"にかけての盛り上がり、というか今にもキレそうな緊張感の高まりからラストの"Dixie Storm"の伝統的カントリースタイルへの急転直下の弛緩は、この連中にしか出来ないワザのようで、あれから20年後の私をドキドキさせてくれてます。("Inspiration"は"インスピレーション"ではなく、"インスパィァレィッション"って感じで読んで下さい)
2006年06月05日
コメント(4)
日曜日のお楽しみはBS2で夜の8時頃からやってる「世界ふれあい街歩き」。毎回世界のどっかの街をカメラが徘徊する(それだけ)という番組で、子猿と遊んでヘトヘトになり、風呂に入って子猿を寝かしつけて、遅い晩メシ前のホッと一息という時に癒してくれる番組なのです。ナレーションも品が良くて(昨日は牧瀬理穂だった)いかにも日曜の夜のひとときにぴったり。9時からは「N響アワー」か「NHKスペシャル」、10時からは「芸術劇場」か「ウルルン」、11時からはそのまま「芸術劇場」の時もあるし「情熱大陸」の時もある。ちょっと前の「情熱大陸」でカツオ漁船乗りのことをやってたけど、あれはカッコ良かったなぁ! オトコはああでないといけません。いかにも「私は海の男です!」という風でない風貌がさらに良かった。ずいぶん以前に日本のマグロ船がアイルランド沖で爆発とかいうニュースを読んで「あんなところまで・・・」と仰天した覚えがあるけど、マグロ船とかカツオ船とか捕鯨船団のキャッチャーボートなんて、よくもまあ、あんな船で大洋に乗り出して何週間も何ヶ月も過ごせるもんだと思う。ああでないといかんと言いながら、私が乗船研修で乗組んだ船のフィリピン人船員に日本のマグロ船に乗ったことのあるヤツがいて、「Tuna Boat! No good!」と大袈裟に手を振りながら顔をしかめていたけれど、フィリピン人をして二度とカンベンと思わせる労働って、どんななんだろう・・・?深夜0時からの「週間ブックレビュー」が週末の締めくくり。3人のゲストが近頃印象深かった本を紹介し、常任(?)の司会の中江有里と週代わりのゲスト(司会?)の児玉清、藤沢周らを交えて書評を述べ合うという番組で、「私は文化的な生活をしています」ということを確認するために見ているような感じ。でも面白いです。この番組で紹介された本で最近読んだのは児玉清が推していた「無頼の掟」。禁酒法時代のアメリカを舞台にした犯罪小説で、当時の刑務所、というか矯正(強制?)労働キャンプの様子が興味深く、内容もそれなりにハードだけれど、肝心の追いつ追われつの舞台設定がちょい甘めで5点中3点という感じ。でも、それで再び犯罪小説熱に火がつき、今読んでいるのは先々週紹介されていた「幸運は誰に?」。これはもう最高! 最盛期のタランティーノ映画のノリがそのまま小説になったような感じ(あそこまで人は死なないけど・・・)で面白すぎる~! 著者のカール・ハイアセンには要注目だわ。文化的とかいいながら、結局読むのはエンタメなんですが・・・。
2006年06月04日
コメント(4)
ナッツは自分で機嫌よく動ける範囲内だと、すごく素直だし、乗り心地もいいし、ヘンなこともしない。そこから少しでも頑張らせよう、ガマンさせようとすると・・・岩のようになる。「お前なんか、どっかノンビリしたとこで外乗用のウマでもやってたらどうや?」と言いたくなるようなフラットワークのしんどさなのです。初めて乗った時に「この左はほっといたらえらい事になるやろな・・・」と思った左は、もう私ゴトキにはどうしようもないことになってしまい、首の筋肉も心なしか上より下が発達しつつある気がする。じっくりやればいいんだろうけど、時間がかかってしようがないので、先週からは対症療法で申し訳ないですが、折り返しを使うことにした。とにかく最初はオープンにして動かして、それから折り返しを強めに使ってまとめにかかり、まとめにかかると動かなくなるので、右手で手綱を束ねて左手は逆ムチでバチバチ叩きながら、とにかく動いて頂く。左の脚が全然効かないし、私は左が乗れないので、こうでもしないとどうしようもないのです。跳ぶ時も折り返しはかけたまま。それでも速歩飛越(踏切を難しく考えなくて良いから好きなのです・・・)で力を溜めながら向かって跳ばせると、低いバーでも後躯がグワ~ンと持ち上がって気持ちがいい。そうやって速歩から駈歩でいくらか跳ばせると、やっと馬が動いてくるので、それに応じて折り返しを伸ばしてやるのですが、絶対に気をつけるべきことは騎り手の姿勢で、馬の背中を圧迫せず、一方で前に被らずの「基本的な姿勢」をあくまでキープしてやる必要がある。私の場合は跳んだ後の回転(流しがちになる)、連続の間(上体が起しきれない)でこの「基本的な姿勢」が崩れて前に被ってしまうので、このウマは練習になるのです。45分の騎乗で汗ビッショリ。
2006年06月03日
コメント(0)
田村高廣が亡くなった。「泥の河」のお父さん役は素晴らしかったな。子供を見つめる目が素敵だった。惜しいです・・・。http://www.oguri.info/movie/doronokawa/時々無性に見たくなる映画があるけれど「トップガン」はそのひとつ。映画好きを自認する私としては、この映画の名を挙げるのは少々抵抗があるのですが・・・。いちばん最近ではシンガポール行きの飛行機の中で見た。プログラムに入っているのを見つけてスイッチオン。ボリュームは思いっきり大きくします。荘重な感じのテーマに乗ってだんだん明るくなる航空母艦の飛行甲板。カラフルなベストをつけた水兵が忙しそうに動き回る中で、ジェットエンジンの音を高めながら1機のF14が発艦位置につく。オレンジ色の炎を吹いて推力を高め、カタパルト士官がちょいと指差して合図し、パイロットが手首だけで敬礼を返すと、カタパルトが一気に戦闘機を大空に投げ飛ばす。荘重なテーマが突然ケニー・ロギンスのDanger Zoneに調子を変え、操縦席から後ろを振り返ると母艦はたちまち遠ざかる・・・。このオープニングだけでも繰り返し見たくなるのだけれど、この映画は映画というより約2時間のプロモーションビデオだわね。まずサントラありきで、そのサントラのプロモーションビデオが映画になったという感じ。トム・クルーズの相棒役がERのグリーン先生だと知った時は驚いた。ティム・ロビンスもチョイ役で出ています。演技がどうこう言う映画じゃないけど、教官を務めるベテランパイロットのJester(道化師)やViper(マムシ)がカッコ良かった!そう言えば、イラク戦争中に出回った"What is the difference between Army and Navy ?"という2枚一組の報道写真があり、前者(Army)は雨に降られて、それこそ「泥の河」のような塹壕で泥にまみれて肩を寄せ合う陸軍兵士、後者(Navy)は飛行甲板に大きなビニールプールを広げてふざけあう海軍パイロット。結構笑いました。
2006年05月18日
コメント(0)
バイキングの族長ハルバルとその妻イルバの一人息子はビッケ。ビッケは弱虫だけれど、頭は滅法切れる。ハルバルに連れられて荒くれ男達に混じって初めての遠征に出かけたビッケは、次々にバイキング達を襲う災難、すなわち勇猛果敢なハルバルを先頭にして大きな屋敷に攻め込んだのはいいが、実はその屋敷はハリボテで、突撃したドアの先は大きな落とし穴だった、すなわち海峡の通行料を取り立てるべく、てぐすねひいて待ち構えるデンマーク人、といったモロモロを、そのひらめきで解決していく。途方に暮れるハルバルにはビッケが解決先をひらめくとすぐに分る。なぜならビッケの頭の周りに火花がチカチカするからだ。ビッケの初遠征の最後の難関は「いじわるスベン」だ。海賊バイキングの中にも仁義があり、洋上ですれ違うとお互いに獲物についての情報交換をしたり、自分の船に病人がいると相手の船にうつすのを恐れて近づかないようにする。いじわるスベンもバイキングだが、彼には仁義は通じない。獲物を積んだバイキング船が通りかかると、襲いかかって取り上げる。取り上げすぎて自分の船が沈みそうになってもかまない。他のバイキングに獲物を与えるくらいなら、自分の船が沈んだほうがマシだと思っているからだ。いじわるスベンの船に病人がいても、他の船を避けたりしない。近づいて最後の力を振り絞ってツバを吐きかける。そんないじわるスベンの脅威もビッケのひらめきにより逃れて、故国へ帰りついたが、少年ビッケの名声は広まり、村人達は困ったことがあるとビッケに相談に訪れるようになった。応対に出た族長ハルバルに村人達はおずおずと「ビッケを・・・」と申し出ると、ハルバルはビッケを呼び出し、彼らが話をしやすいように自分は庭で薪割りに精を出す。ハルバルは素敵だ。体力勝負になりがちなハルバルと、頭デッカチになりがちなビッケをうまく両手でコントロールするイルバもさすがだ。子供の頃に見たテレビアニメの「小さなバイキング」が大好きだった。父親に原作本を買って貰い、それ以来ずっと手許に置いている。今でも私の持っている本の中でいちばん面白い本で、ケストナーの全集とともに、いつも過ごす部屋のいちばん取り出しやすい棚に納まっている。引越し後に新しく買ったモノでいちばんのお気に入りは無段階にリクライニング可能なコールマンの折り畳み式イス。バルコニーで使うつもりだったけど、あまりにも具合がいいのでリビングで使ってます。そのイスにふんぞり返って、左手を伸ばすと飲み物、右手を伸ばすと「小さなバイキング」、少し上に伸ばすとカントリーをかけっ放しのインターネットラジオのボリューム。我ながら素晴らしい家具のレイアウトだわ。
2006年05月16日
コメント(0)
いろいろ話が前後します。ここんとこ乗ってるウマはず~っとナッツ。前回の月例(4月)でクロスと60に出て結果は良かった。クロスと60は同じコースでタイムが0.3秒しか違わなかったのがひそかな自慢。低い経路は緊張する。なんでもいいから跳んで帰って来いという乗りが許されないし、下手打ったら自分のミスに決まってる。クロスやら60やらでウマがどうこう言うわけにはいかないし・・・。それに最近は高いのを跳ぶのに体がついていかない。これじゃいかんということが分りながら体が動かないというのは、フラストレーションが溜まるだけだ。それならば低いのを正しく、美しく跳ぼうと方針を転換した。ということで、連休最終日の竜杯は80だけにエントリー。コースは外周と斜線を組み合わせただけの簡単なものだったが、回転して障碍までの距離が短めでイヤらしく、よく考えて作られたコースだと思った。内容は良かったよと言って貰ったけれど、自分的には気に入らない。なぜか落ち着いて、先先を考えながら乗ることが出来ず、いくつかの障碍で踏切がずれた。最近チョコチョコ止まるんですわと聞かされていたので、それが気になっていたのがあったけれど、自分が思い描いていた「正しく、美しく」からは相当隔たった内容だった。ただ私の場合、回っていてズレを感じると、気が焦ってからだが前へ行きがちになるのだけれど、今回はこれがなかったので、結果的にはなんとかクリアできたという気がする。これは練習の成果かも知れない。天気もイマイチなので、出番が終って手入れしてすぐ退散。私にはナッツには土曜の朝の乗馬学校とたま~に日曜にフリーで乗るだけだけど、それ以外の時は何をしてるんでしょう?
2006年05月15日
コメント(2)
水曜日に日本を出て木曜日はシンガポールで仕事。今回はホントに仕事で朝から人に会い、昼イチはドックで船のタンクやらに潜り込み、汗だくのままでまた人に会って、夜行便で帰国。行きと帰りのクルーが同じで「もうお帰りで?」と驚かれた。いくらシンガポールでも一泊ってのは珍しいのかな・・・。水曜の夜はインド人の店でカレー。美味かった。木曜の昼は事務所近くのローカルの屋台みたいな店で定食。美味かった。飛行機に乗る前はアッシーとして働いてくれた若い駐在の希望で牛角。不味かった。金曜日は成田から出社して働いたので、土曜日は疲れてウマはおやすみ。日曜日は母猿と子猿を母猿の姉夫婦に預けて、まだ残ってる引越し荷物の片付けに集中。リビングなど普段使う部屋はわりあい早めに片付けたけど、その分のしわ寄せが普段使わない部屋に集中。連休前にまず本を片付けようと、段ボールに詰め込まれた本を全部取り出し、普段よく手にする本、そうでもないけど手許に置いておきたい本などに仕分けを試みたが、山のような段ボール要塞とブック軍団に圧倒されて収拾がつかなくなり、なかったことにしようともう一度箱に詰め直して1日が終了。詰め直すとなぜか箱が足りなくなったのが不思議だった。ブック軍団が終っても、模型軍団、CD軍団などに二重三重に包囲されてるので、気が遠くなりそうで、このまま何もかも捨ててどこかへ引っ越したくなった。(ちなみに薄倖家は住んでいるうちにどんどん増えていくモノの山にパパが圧倒されて、ホントに全てを捨てて引越ししたらしい)社宅時代は3部屋に分散していた本を新居では納戸に集中させるという大方針があるので、とにかく数を減らさないとどうにもならない。しかし本の選別は自分本位に考えながらやると収拾がつかなくなる。岡山にリタイアして余生を読書で過ごそうという叔父がいるのを思い出し、その叔父貴に押し付けてやろうという積極戦法に方針を転換して連休中にチャレンジしたら、思いのほかに作業がはかどった。叔父貴行きの本はなんとなくカスばっかり集まった気がするが、つまらん本ばっかり読んどるなとバカにされるとイヤなので、手放すのが惜しい本(但し、絶版は除く)も適当に混ぜておいた。こうやってブック軍団は先週までに片付いたので今日は模型軍団。これも各種あるけれど種類ごとに段ボールに整理して簡単に終了。その他のガラクタ団どももなんとか整理して全てが納戸に収まる目処がついたところでつまづいた。もうあまり使わないので一番奥に仕舞おうを思っていた石油ストーブに灯油が入ったまま。社宅ではこのまま仕舞い込んでいたのだけれど、自分の家の納戸に灯油の入ったままの石油ストーブを仕舞うのはイヤだ。シュパシュパポンプで汲み出そうとしたが、いくらシュパシュパやっても汲み出せない。ヘンだなと思ったら、シュパシュパ部分に穴を発見。仕方ないので燃やそうと、空き部屋でストーブに火を点ける。こういう時に限ってなかなか減らないんだよなぁ・・・。結局、石油ストーブを仕舞えないので、他のものも全て仕舞えず・・・。
2006年05月14日
コメント(2)
つくばへ越して来て一ヶ月が過ぎた。休日の居心地が良過ぎてどこへも遠出する気がしない。家から歩いて行ける範囲内に、三角公園、ジャンボ公園(なぜにこの名前?)、交通公園、吾妻公園、竹園東公園、中央公園、松見公園と家族で弁当広げても恥ずかしくない公園が7つ。他にもブランコと滑り台だけのちょっとした遊び場が多数。元気な子どものいるファミリーには理想的なところです。住民達は・・・どうなんだろ? うちのマンションに限らず、なんだか活気のないおじさんが多いような気がする。場所(学校や研究所が多い)に対する先入観のせいかも知れないけど・・・。連休の前半は奈良のジジババが東北巡行の帰りに我が家へ立ち寄り、子猿に自転車を買い与えた。全体がピンク色のディズニーお姫様自転車。私と母猿はもっとシックなセサミストリート自転車かスヌーピー自転車を奨めたが、お姫様マニアの子猿は聞く耳持たず。ジジババが去る前日、オークラで中華を食った。連休中は赤坂の巨匠の特別コースが食えるとかで連れて行ってやったのに、ハナから春巻きとか五目ソバとか、そのへんの珍来あたりで食えそうなものばかり注文しやがってアタマに来た。ホントに巨匠が作ってるのかどうか知らないけどね・・・赤坂で弟子が作ったヤツを冷凍して運んできて、つくばではチンしてるだけかも知れないけど・・・。我々夫婦は既定方針通り、そのコースを食いましたが、それにしても美味かったです。ジジババは春巻きも五目ソバも美味いと言っていた。つくばでの生活には自転車が必需品なので母猿も自転車を購入。小柄な母猿が自転車へ行くと、自転車屋のおっさんが異様に小さなママチャリを奥から引っ張り出してきて「あなたにはこれしかない!」と半ば押し付けられて買わされたらしい。メディカル病院(この名前はキライ! メディカルじゃない病院ってあるのか?)近くの韓国料理屋で家族で食事した帰り、母猿と子猿は自転車で私は徒歩。でも子猿にパパのカッコいいところを見せようと母猿の自転車を奪ってウィリーした途端、ドタッとこけて膝を強打。まあ近況はそんなところです。
2006年05月08日
コメント(2)
月曜日につくばへ引っ越して来た。以来、なぜだか分らないけれど、全くと言っていいほどテレビを見ていないのが嬉しい。新居に移るや否や、すぐに取り出せるところにしまっておいたCDウォークマンにスピーカーを接続し、これもすぐに取り出せるところにしまっておいた愛聴盤をリビングのカウンターに並べた。1975年に出たEmmylou Harrisの本格デビューアルバム「Elite Hotel」。名うてのソングライターRodney Crowellが書いた既にタイトルからして韻を踏んでいる名作「Till I Gain Control Again」あるいは以前にホンダ・シビックのCMで流れていた「Together Again」が収められている。落ち着いた気分でこのアルバムを聞こうという気になる家で良かった。
2006年04月07日
コメント(4)
今日は新居マンションの2回目の内覧会。先週の1回目で指摘した点が直っているかどうかをチェックする為のものだが、直っている点もあり、直っていない点もあり、なぜか新しい指摘事項もあり。わが家よ、ホントに予定通り31日に引き渡されるのか?「すまいサーフィン」とかいう新築マンションに関するサイトに、そのマンションに入居を予定している人達がカキコできるBBSあり。そこを読んでみると、わがマンションに入居を予定している人達は相当怒っているようです。まあ、確かに工事が遅れ遅れになってしまっているせいか、雑な部分は多いけれど、うちの場合はここはどうしても直して貰わないと住宅としての機能に問題ありというところは多くないので、怒るほどのところまでは行ってません。一点だけ、子供部屋の窓のすぐ外に配管覆いがあり、窓から外へ出れば一歩で上に乗れる。で、さらに一歩踏み出せば8階から地上へ飛び降りられる。子猿が脚をブラブラさせて配管覆いに腰掛けて、デタラメな歌を歌っている光景が浮かんできて、ここは何とかしてくれやと頼んどきました。どういう工作をしてくれるのか分りませんが、いずれにせよ、あそこの窓は全開できないようにしなきゃいけないな・・・。引越し準備にあたり、10年近く前に作ってトランクルームに入れっぱなしになっているヨットの模型をどうすんべということになった。帆と舵を無線で動かして、ホンモノのヨットと全く同じように動かす模型のヨット。完成させてから牛久沼で1~2回動かしたけれど、その後は放置状態。全長1m、マストをセットすると高さ2メートル近い大きさなので動かしに行くのも面倒だったのだ。ホコリをかぶっているのを引っ張り出してきて、こら処分も止む無しやなと思いながら、ダメ元で電池を入れて、無線機を動かしてみると全く問題なし。舵はビンビン反応するし、帆の出し入れもスムーズ。ホコリをきれいに拭き取ると船体も全くダメージなし。趣味の心がムクムクと起き出して、いそいそと整備に取り掛かり、いつでも動かせる状態となりました。つくばの池でラジコンヨットを動かしながらニヤニヤしてるおっさんがいたら、それは私かも・・・。。
2006年03月26日
コメント(2)
この日のナッツ騎乗は最悪だった。先週よりもさらに口が強くなっているような感じでフラットワークはロクに出来ず。障碍になるとウマが覗くんだけど、その挙動の変化に乗り手が反応してしまって、先跳び続出。とにかく納得できない1鞍だったので、急遽フリーで乗ることにした。口の強さはホントにスノーシャイニー的な感じ。ただ暴走しないだけ安心。輪乗りの速歩、駈歩で手前を頻繁に換えて、後躯がなかなか動ききらないので詰め伸ばしを入れようとするが、どちらもガマンさせきれない。小さめの巻乗りと輪乗りの開閉の小さな輪線で、思いっきり外方脚を使って動かすようにするとだいぶ動きが良くなったような気がするけれど・・・。
2006年03月25日
コメント(0)
今日の昼メシは部内の懇親会ということで(要は余っちゃった交際費を一挙に使っちゃえという趣旨)ホテルのランチバイキング。卒業式シーズンなので、きものや袴姿の方々がチラホラ。仰げば尊し仰げば尊し わが師の恩教えの庭にも はや幾年思えば いと疾し この歳月今こそ別れめ いざ さらば互いに睦みし 日頃の恩分かるる後にも やよ忘るな身を立て 名をあげ やよ励めよ今こそ別れめ いざ さらば朝夕なれにし 学びの窓蛍のともし火 積む白雪忘るる 間ぞなき ゆく歳月今こそ別れめ いざ さらばこの歌って、今はどういう位置づけなんでしょう? あまり歌われないという説も有れば、最近になって復活してきたという説もあり。私はどうだったか、歌ったのか歌ってないのか全く思い出せないんだけど、あらためて歌詞を読み、心の中で歌ってみると、なんて格調の高い日本語なんでしょう!いずれにせよ、あまり歌われなかった時期があることは確実なんだけど、その理由というのは「古くさい」「儒教的」「立身出世主義」だからだそうな・・・。そう言えば、卒業生たる私自身、そういう風に思ったような気がする。そう思ったということは「歌わせられた」ということなのかな? 反発を感じながら「歌わせられた」ということか・・・? 卒業する時も、あるいは今に至るまで、教師の恩を感じたことはないし、思い出に残っている教師ってひとりもいない。私を教えた教師たちが熱心だったのか、あるいは不真面目だったのか、それすら全く思い出せない。もっとも小学校から大学まで、全然マジメな生徒、学生じゃなかったし、先生のことはアタマからバカにしてたから、当然と言えば当然か・・・。そんな人達がいるのかどうか知らないけれど「仰げば尊し」を歌いながら、卒業生も先生も父兄も涙を流すというような学校があれば、その学校は幸せだと思う。今はそう思う。
2006年03月24日
コメント(2)
「WBC収益のキューバに対する分配が対キューバ経済制裁に反する」という理由でアメリカ政府はキューバの参加に反対したが、フィデルはブッシュのことを「とんでもない愚か者」と非難した。世界でブッシュのことを「愚か者」と言える国家元首が何人いる? それもアメリカのすぐ足元の小さな島国から・・・。キューバ側が分配金全額をハリケーンの被害者に寄付することを提案し、参加が認められることになった。もちろん約束どおり、キューバは全額寄付するそうだ。アメリカ政府って乞食じゃん・・・。ハリケーンの直後にもキューバ政府はすぐに援助を申し出たはずだけれど、自分が続けている理不尽な経済制裁のおかげで、食べるものも満足に食べられない人々の国から寄付を受けるそうだ。恥知らずだな・・・。フィデルはキューバ選手たちを迎えての演説で「国中がテレビを見ていたから停電になりそうだった」と言ったそうだ。電力不足が深刻で、頻繁な大停電や5分おきに電気が点いたり消えたりするような地域(テレビのインタビューでその地域のおばちゃんは「気が狂いそうだ!」と言っていた)もある状況の中での発言。さすがフィデルだ。私の好きなフィデルの言葉。「資本家どもと私は地獄に落ち、マルクスやエンゲルス、レーニンに会いまみえるだろう。地獄の熱さなど、実現することのない理想を持ち続けた苦痛に比べれば何でもない。」誰がなんと言おうが、フィデルはスゴイ男だ。
2006年03月22日
コメント(0)
キューバ、負けちったよ・・・。でも選手も国民達も自分達のチームを誇りに思っている様子。ガッカリしてるんじゃないかと思って心配していたけれどホッとしました。確かに頑張ったしね!次回大会の時には少しでもキューバの人達の生活がマシになっていますように。フィデルが元気で優勝の場面を見ることが出来ますように。PATRIA O MUERTE, VENCEREMOS !=====キューバ満足2位 WBC決勝 “アマ最強”のキューバが力尽きた。五輪、W杯、インターコンチネンタル杯で計37度、世界一になった野球大国が、日本に屈した。しかし、試合後の彼らに涙はなかった。ベレス監督は先頭に立って、試合終了直後、日本代表の王監督に祝福の握手を求めた。むしろナインの姿は誇らしげに見えた。 5回表、5点差をつけられてもあきらめなかった。6回に連続適時打で2点。8回、セペダが左翼席へ1点差に詰めよる2ランを放った。「日本は優勝に値するチームだった。でも、今大会は歴史に残るイベントだった。なぜなら、大金をもらっている大リーガーを破ることができたんだから。素晴らしい2位だった」とセペダは振り返った。 ベレス監督も「決勝戦にたどり着いたのは、誰かからもらったんじゃない。キューバは厳しい、死の組み合わせから勝ち抜いた」ときっぱり。組み合わせ、そしてエースのラゾが決勝戦で使えない球数制限という今大会のルールへの皮肉もまじえた。 開幕前には米国の入国拒否問題もあったが大リーガーをズラリそろえたプエルトリコ、ベネズエラ、ドミニカ共和国を次々と粉砕した。WBCの次回大会は09年に予定されている。WBC制覇という新たな目標が見つかったキューバ。3年後はどんなチームで参加するのか楽しみになってきた。◆ハバナも大興奮 ○…キューバの首都ハバナでは深夜11時過ぎの開始ながら、今大会初めて屋外への大型スクリーンが設置されて、多くのファンが声援を送った。8回、セペダが2ランを放って1点差に詰め寄った時には、興奮は最高潮に達した。敗戦で落胆の声もあったが、あるファンは「キューバは打撃とスピードが不足していた。でも我々のチームを誇りに思うよ」と母国のナインの健闘をたたえていた。 (スポーツ報知) - 3月22日8時3分更新
2006年03月21日
コメント(0)
今までの私の住環境をご近所との関わりにおいて考えてみると、誕生~高校生 自宅 関わる相手は同じ年頃のお友達大学生 馬術部厩舎 関わる相手は馬術部員、ウマ、犬、ネコ就職~結婚 独身寮 関わる相手は同僚社員結婚後~現在 社宅 関わる相手は同僚社員とその家族言葉は適当でないかも分りませんが、今まで私は比較的均質(あるいは均質であるかないかを意識しない)な環境で暮らしてきたわけです。世間では社宅暮らしはいろいろ面倒と言われてますが、うちの社宅の場合は若いもんが多いこともあり、それほど気を遣うこともなく、どちらかと言えば周りの好意に甘えられる環境だったのですが・・・。いよいよ3月末にマンションの引渡し、4月のアタマに引越しを控え、昨日内覧会&駐車場の抽選会に行って来ました。諸事情により突貫工事になってしまっているせいか、部屋の中は雑な部分が多々あり。いちいち考えるのは面倒なので、10項目の指摘事項しか書けない紙に手当たり次第に大小50項目余の指摘事項を書き込んで内覧終了。ちょっとしたキズや汚れなどが大半ですが、大きな点としては、・押入れのフスマの柄が頼んだものと全然違う。・リビングと和室の仕切りの意匠が違う。和室側には和風の意匠の壁紙を張ってもらうことになっていたのに、何も張られずにざらついた木目がむき出し。最初、私は気付かずに「なかなか野趣のある木目やな・・・」と思った。危ないとこだった。・風呂場に付け忘れたのか、余ったのか、何かの部品が置きっぱなし。建築屋も「何の部品ですかねぇ?」と首を捻っていた。一段落して、集会所になるのであろう工事現場そのものの一室に入居予定者が一堂に会して駐車場の抽選会。駐車場は上中下三段の機械式で、上下がハイルーフ入庫可能、中段が車高1.5メートルまで。当然上下段の希望者が多く、中段はダブつき気味。かつ場所柄、車2台所有の家族が多いのだが、2台分希望者全員に2台分は行き渡らない。「今は普通車2台保有で2台分頼んでいるが、2台分当らなければデカイの1台に買い換えようと思っている。しかし1台分でもデカイのが置けない場所がクジで当ってしまったら、どうすりゃいいんだ?」というような、そもそもクルマ2台を1台にまとめるってどういうことよ?と思うような文句が飛び出し、管理会社の不手際もあって抽選会は紛糾した。私は抽選の場合は明らかにフェアじゃないなと思うものでなければ文句は言わないし、文句を言ったところで私の有利=他人の不利になるはずだから抽選の意味がなくなる。第一、抽選に対して文句を言うこと自体みっともない。こんな人達に付き合ってられないわと思いながら、私は一生オフローダーやワンボックスやミニバンは買わないはずだから、さっさと不人気な中段希望で母猿にクジを引かせて退散しました。俺の車、車高1.5メートルはなかったと思うんだけどなあ・・・。
2006年03月19日
コメント(2)
今日もナッツ。先週みたいな感動はないなぁ・・・。ま、しょせんボクのウマに対する愛情なんて、この程度なのかも・・・。モノミの練習しましょってことで、キャバレッティに使うブロックを横木の下に置いたのと、幅の狭い垂直。順番待ってる間に見せときましょうと言われたので、前まで歩かせようとする。最初は「なんじゃこりゃ?」って感じで警戒してたけど、何回か繰り返したら鼻を寄せてクンクン匂いを嗅ぎだした。手綱を放して嗅がせるにまかせ、納得した様子なのでよしよし。それぞれ単一だけの時は跳んだ。幅の狭いヤツはからだをよじって逃げようとしたけれど、押し込んだら跳んだ。こういう時の脚一発は自分でも得意なのだ。ふたつを組み込んだショートコースになったら、1回ずつ逃げられた。回転で肩を張られて、そのまま横へ逃げられたのだけれど、モノミでなくても良い回転ではなかったので「いわんやモノミをや」という感じだ。それに一回目よりも人馬とも余裕ができた二回目の方が要注意奈のかも知れない。ある程度の高さ(と言っても数十センチ)になると跳んだ後で走らないけど暴れる。経路の最終を跳んだ後は頭を下げて大暴れしたので乗り手は阿波踊り状態になり往生した。手が強いのかと思って、跳ぶ時と跳んだ後は出来るだけフリーにしてるつもりなのだけれど、後で聞くと「脚が強いんじゃあ?」と言われた。いずれにしろ、遠くから見ていたばくは「なんで馬上で踊ってるんだろう?」と思ったらしい。このウマが賢いのか、バカなのかはまだ分らない。先週よりもフラットワークの時の口(左)の突っ張りと弾きが烈しく、スノーシャイニー的。なんとなくだけど、今はまだ比較的乗りやすくて素直な分、いったんひねくれると手に負えなくなるような気がする。ミーティングではこうごうがお菓子を広げてみんなにおすすめ。私はこの一月半ほどで7キロの減量に成功した話をおひろめ。こうごうはお菓子を小さいだいちゃんにムリヤリ押し付けていた。
2006年03月18日
コメント(0)
引き続き、鉄道ネタなんですが・・・。=====社内賭けゴルフ、ウィニーでバレた…近鉄・社員処分へ 近畿日本鉄道(本社・大阪市)の社員35人が社内のゴルフコンペで現金を賭けていたことを示す記録が、ファイル交換ソフト「Winny(ウィニー)」を通じてネット上に流出していたことがわかった。 同社は「法令順守の内規に反する」として、近く全員を処分することを決めた。17日午後、奈良県警に報告する。また、記録を保管していた男性社員については、情報流出についても処分する方針。 同社によると、流出したのは、車両の修理などを行う検査職場と車両課の社員が参加して、2004年9月に行われたゴルフコンペの際に行われた賭けの賭け金と払戻金の一覧。 コンペは懇親を目的として毎年1回程度行われていたが、04年のコンペでは、上位入賞者を予想して当てる賭けを行うことになり、1口200円で賭け金を募って、当たった人に分配した。 流出元は、検査職場の班長を務める40歳代の男性社員で、自宅のパソコンで記録を作っていた。ウィニーを使用しており、今月上旬、流出したと見られる。 この社員は昨年7月、社員教育用の資料を作るため、奈良県内の車庫の配線図や検査作業マニュアルのファイルをコピーして自宅に持ち帰ってパソコンで作業しており、これらも流出していた。(読売新聞) - 3月17日14時39分更新=====その事実が社外に漏れたから処分すべしってことになったと思うんだけど、これくらいさぁ「大近鉄はこの程度のことで社員を処分すべきだとは思わない。これで気晴らしして、日頃の安全運航に励んでくれれば大いに結構!」くらいのこと言ってやれよなぁ・・・。情報流出についても処分とか言ってるけど、それ以前に班長さんが家で仕事しなくても済むような対策を講じてやれよな・・・。残業代ケチってるのか、人増やすの渋ってるのか知らないけど、大近鉄がさ・・・。ケツの穴がちっせ~の!
2006年03月17日
コメント(0)
長い座席の車両でもトイレの前の座席は向きが違うというのが一般的。長い座席では窓を背にして座るけれど、トイレの前だけは肘の横に窓がある。トイレから出てきた人が正面の座席に座っている人と目を合わせなくて良いように当時の国鉄が編み出した配慮だそうで、やけに細かい配慮だなと思ったものでした。夏目漱石の「三四郎」を読み始めたけれど、さわりの三四郎が汽車で上京する場面。当時の人達はなんでもかんでも汽車の窓から投げ捨てるようですね・・・。弁当食ったら弁当ガラは窓の外へポイ! 桃を食ったら芯とタネは窓の外へポイ!私の少年時代には山陰線やら福知山線には古い客車がいっぱい走っていたけれど、あれらのトイレは全部垂流し式だったな・・・。列車からウンチが撒き散らかされるんだから、弁当ガラや桃の芯ぐらいどうってことないわな・・・。
2006年03月16日
コメント(0)
奈良駅は県庁所在地の駅で唯一、国鉄の特急が走らない駅だった。今も走ってない。JRの特急は奈良県をかすりもしない。大昔に「あすか」という名古屋・和歌山間の関西本線の特急が奈良を経由して走ったことがある。1等車2両連結、食堂車連結の豪華列車だったが、あまりに人が乗らない為に2年半ほどで廃止になった。たぶん定期列車での短命記録だと思う。急行は何本か走っていた。東京・湊町間の1等寝台車連結「大和」は別格として、「かすが」も伝統ある列車で、戦後国鉄が幹線用のディーゼルカーを開発した時には真っ先に「かすが」に投入された。この当時はまだ新幹線も出来ておらず、名阪間の距離は東海道線より関西線の方が短いので、ここに最新鋭のディーゼルカーを投入、近鉄の名阪特急に対抗しようというものだった。しかし新幹線が開通して、関西線は裏街道となり、私が幼稚園の頃には奈良・湊町間も電化されたのでディーゼル急行を走らせる必要もなくなり「かすが」の区間は名古屋・奈良間に短縮された。私が中学生の頃の「かすが」の編成を見ると全部で堂々12両編成のように見える。しかし注意書きがあって、1~4号車は名古屋・紀伊勝浦間急行「紀州」5~7号車は名古屋・京都間急行「平安」8~10号車は名古屋・奈良間急行「かすが」11~12号車は亀山・奈良間急行「かすが」と書いてある。これで行くと10両編成で名古屋を出発した急行列車は実は「かすが」「紀州」「平安」という別々の急行の寄合所帯で、まず亀山で「紀州」が独立、一方「かすが」には2両が増結されるが、柘植で「平安」が独立し、結局奈良まで行くのは5両。確か京都・鳥羽間急行の「はまゆう」が亀山・柘植間にくっていていた時期があった気がする。要は3両~5両程度のローカル急行を別々に走らせるのは合理的じゃないから、同じ区間はくっつけてしまえという発想で、多層立て列車と呼ばれている。いずれにせよ相棒の「紀州」も「平安」も「はまゆう」も次々に廃止になり「かすが」のみが生き残って、最近は2両編成で1日1往復、名古屋・奈良間を走り続けていたわけです。国鉄分割後「かすが」はJR東海の担当になり、まったく見放されたワケでもなく、急行にはボックスシートが一般的だった頃にも、新幹線から引っ剥がしてきたお古のリクライニングシートを取り付けてみたり、最近ではJR東海ご自慢の最新ディーゼルカーが投入されたりして、それなりに頑張ってきたようです。この最新式ディーゼルカーは面白くて、本来は急行用ではなく快速用なのです。急行用は出入口が1両あたり前後2箇所だけれど、快速用は前中後の3箇所(鉄道車両は出入口の数が多いほど身分が落ちる)。でも「かすが」として走る時は真ん中の扉は使われず、またシートにもこの時だけ白い枕カバーが取り付けられて「急行料金を頂戴致します」として登場する。笠置山地に排気ガスを吹き散らかしながら走り続けた急行「かすが」もあと3日で廃止。ついに奈良駅、奈良県は特急はおろか急行すら、かすりもしないということになってしまうそうで・・・。
2006年03月15日
コメント(0)
昨日私が乗ったウマはナッツ。最近どっかから来たばかりのようで初めて乗るウマ。馬房から引き出して眺めてみると、馬格は大きくないけれどバランスが良さそう。洗い場へ繋いで正面に立つと、耳をピンとこちらに向けて、つぶらな瞳でじっと見つめている。ナッツ~! お前はかわいいなぁ~!滅多にクラブのウマに愛情を持たない私だけれど、やられてしまいました。ちょっと色が淡いけれど、膝から下が黒い鹿毛がビアンスーを思い出させる。ストライドは大きくもなく小さくもなく、重くもなく軽くもなく、芯が通ったように活発に動く。ナッツ~! お前はいいヤツだなぁ~!障碍は時々止まる。ひねくれた止まり方じゃなく素直な止まり方。ナッツ~! そっか~! 跳んでいいのかどうか分んなかったのねぇ~! おじさんが悪かったねぇ~! ちゃんと乗ってあげるからねぇ~!って感じ・・・。騎乗後はタバコの煙を鼻に吹き込み、1本のタバコを分け合った絆を確立!
2006年03月12日
コメント(6)
新生乗馬学校BC合同班の今日の面子は、おかちゃん、小さいだいちゃん、こうごうの帰り新参で帰順が認められた3人+H鞍さん、私ともうひとり(この人の名前はいつまでたっても覚えられない・・・)の古参3人。おかちゃんはトート(現「南無」)で三木まで行った人、小さいだいちゃんはおりこうだし、車はベンツだし、ウマ乗る腕はぬっぴ~(今は某事業所の所長)をして「天才や!」と言わしめた人。こうごうはこうごう。前にも書いたけど今月から時間割が変わって9時始まりの45分になり馬場も広く使えなくなった。ヤダなと思っていたけれど実際やってみると、そこそこ充実してる。フラットワークにあまり時間が取れず、早めに纏めなきゃと思うので少し焦るけれど、障碍練習自体は特に支障ないです。プラス思考で受取れば、・狭い馬場でみっちり練習して杉谷インドア出場(今でもあるのか?)を目指す。・時間が取れない試合前の準備運動に備えてウマを手早く実戦モードに持っていくワザを会得する。新年度から日馬連も県馬連も登録やめちゃった私には、あんまり関係ないけど、いつかまたね・・・。狭い馬場の中でおっさん6人(正確にはおっさん4人+小さいだいちゃん+こうごう)が走り回り、こうごうがいろいろお喋りしながら障碍を跳びまくり、今日の練習はなかなか楽しかったです。練習後のミーティング、小さいだいちゃんにはケイスがお似合いで「ベンツを売ってケイスを買え!」「どうやって土浦からここまで来るんですか?」「ケイスで来い!」「ちょっとすんませんとか言いながら来れんことないやろ?」「そうですね・・・」というような会話が交わされた後、4月からのレッスンの予約方法についての説明あり。全然わからんけど、いずれにしても乗馬学校しか出ないだろうから適当に聞いてました。
2006年03月11日
コメント(2)
新聞やテレビで「数千万円の借金を抱えた挙句の犯行」というような報道をよく目にする。この「挙句」に至った借金には住宅ローンも含まれるのでしょうか?もうすぐ数千万円の借金を抱える身の上になるワタクシですが、何かをやらかすと「挙句」と言われてしまうのでしょうか?=====昨日書いた小学校とフェリーのエピソードは「白い船」というタイトルで映画にもなったらしい。「白い船」ってロッセリーニの長編処女作と同じタイトルじゃん! 「無防備都市」を撮った同じ人の作品だとは思えないファシスト・イタリア海軍のプロパガンダ映画。でも、さすがにカッコ良かったな・・・「国王バンザイ! 統領バンザイ!」か・・・。
2006年03月09日
コメント(0)
昨夜遅くのNHKの番組。出雲の海のすぐそばに建つ小さな小学校の子供達と、毎日午前10時過ぎに沖合いを通るフェリーとの交流の物語。直江津と博多を結ぶ大型フェリーが沖合いを通る頃、子供達は授業を中断して双眼鏡を海に向け、船に向かって大声で叫んだり、旗を振ったりして挨拶を送る。いつしか船と子供達の間には手紙やファックスでの遣り取りが始まり、長年にわたる交流の末に去年の夏、子供達は初めてそのフェリーに乗り、今度は船から自分達の学校に双眼鏡を向ける。ちょうど沖合いを通りかかるその時、子供達の父兄を乗せた漁船が何隻も、大漁旗を掲げてフェリーを取り巻き、お互いに挨拶を交わすという物語。ゲストの井筒監督が、エピソード以前に海を眼下に眺めるその小学校の佇まいに感激していたが、私も同感だ。そんな小学校の卒業生は全員、まっとうな人間になるような気がする。船と人々との交流で真っ先に思い出す映画はフェリーニの「アマルコルド」だ。ある夜、イタリアの誇る大型豪華客船"Rex"が村の沖合いを通るというニュースを聞きつけ、村人達は挨拶を送るべくボートで海へ乗り出す。静かな夜の海でいつまで経っても来ない船を待ちながら、何艘ものボートに乗った村人達はやがて眠ってしまう。ふと目を覚ますと、村人達の眼前にキラキラとした照明に飾られた見上げるような巨船"Rex"が姿を現す。「イタリアの誇り"Rex"万歳!」を叫ぶ村人達を残し、霧笛を鳴らしながら"Rex"は静かな海のかなたに去って行く。面白いのは、この映画では1930年代に令名を馳せた大型豪華客船"Rex"がアニメーションというか、マンガチックなカキワリで表現されていること。適当に別のホンモノの船を"Rex"に見立てるわけでもなく、CGを使うわけでもなく(この映画が作られた1974年ではムリ?)、思い切ってカキワリにしちゃったところが面白く、かつその幻想的なシーンを余計にロマンチックにしている。1983年製作の「そして船は行く」(1983年製作)では、舞台となる船、海がすべてマンガ的カキワリになり、登場人物たちがカキワリの中で物語を演じる。どちらの映画も素晴らしいです。(「アマルコルド」はムッソリーニ時代について、「そして船は行く」は第一次大戦前夜について、ほんの少しばかり知識があると面白さが倍増します。)
2006年03月08日
コメント(0)
今度こそA班進級をかけた試験ですが、メッチャメチャどん臭く、かつバッチィ乗りで、終った瞬間「こら、あかんな・・・俺なら落とすな・・・」と思い、今日は母猿家の法事なので、始まるまでにひと寝入りしようと結果も聞かずにトットと帰っちゃいました。法事の最中に「新入り」からメールを頂戴し、生意気にも「新入り」に「来週から一緒だね!」と言われてしまいました。キ~ッ! 自分でも結果は分っていたのですが、あの「新入り」め! こんなことなら、もっと事前にプレッシャーをかけて、早めに芽を摘んでおくべきだった・・・。あるいは車のタイヤに穴を開けて、当日来れなくするとかいう方法もあったはず。ぬかってました。まあ、いいや。出戻りとは言え「新入り」は「新入り」だわ。B班在籍何ヶ月(何年?)になるのか知りませんが、私は指導的立場、指導すべき立場にあるはず。昔の軍隊では進級遅れのひねくれた下士官くらい新兵さんにとって怖いものはなかったそうです。そんな下士官がいっぱい乗組んでいる戦艦「山城」などは「鬼の山城」と言われて怖れられたそうです。私はひねくれてないですけど、「愛と青春の旅立ち」でルイス・ゴセット・JRが演じた鬼教官くらいの鬼になることぐらい許して貰えるのでは? そうやって私が指導した「新入り」どもを感慨深くA班に送り出していくという役どころ。鬼のB班か・・・それもいいな・・・。この際、班の名前も変えたいな・・・「B班」というのも、ちとケッタクソ悪いので「S班」とか。どうよ?ちなみに乗りが悪かったのは新しい長靴のせいではありませんが、特に効果も無かったようです。来られた前所長には「今日は泥靴で乗ったらあかんと思って、わざわざ長靴買うたんですよぉ!」とアピールしましたが、そもそも前所長は採点のためではなく、別の用事で来られたそうで「高かったやろ?」の一言で終ってしまいました。
2006年03月05日
コメント(2)
学生の時に初めて買った革長靴は、買ったその日に飢えた犬(馬術部の飼い犬)に食われて底だけ残して消滅し、今のクラブに入会してほどなく買った長靴は相当傷んでいるというお話は前にもしました。相当傷んでいると言っても崩壊の危機に瀕している訳ではなく、爪先がから甲にかけてパックリ割れているという程度。騎乗するのに別に差し障りはなく、下見などでぬかった馬場に入るのは素足で田んぼに入るのと同じという程度。その程度だけど見た目のインパクトは結構強烈で、クラブの人達には注目され、母猿には「買いなさいな」と言われてきたのですが、なんとなく愛着があることもあり(ならば、もっと手入れしてあげるべきだったか・・・)長年に亘って私の唯一無二の長靴として活躍してきた訳です。「明日の進級入校には前所長が来られるから頑張ってや!」と現所長に声をかけられて「ゲゲッ!」と思いながらの乗馬学校のミーティング。「試験は頑張ってくださいねぇ! ところで親猿サン、あの長靴ですけどねぇ、そろそろなんとかした方がええんちゃいますかぁ? 今、長靴フェアやってますよぉ!」と谷野クンに言われ、「・・・」と言葉に詰まりながら、まだ前所長がうちのクラブにおられた頃に、泥靴で乗って叱られた経験が蘇ってきた。「教えを受けようというモンが、その靴はなんや!」「まずい・・・泥靴どころか泥靴下で乗ってるとこ見られたら、何を言われるか分らん・・・」という思いで頭の中が一杯になり、ふらふらと吸い寄せられるように長靴売り場に直行し、一応慎重に足のサイズやらふくらはぎのサイズやら試してみてお買い上げ。Sergio Grassoのジッパー付編み上げ、84,000円。この長靴は履き心地いいです。まだ、ふくらはぎがキツイですが、革は柔らかくて即、騎乗してもなんら差し障りなしという感じ。爪先パックリの長靴でも私自身は我慢出来ていたとは言え、やはり新しいモノは嬉しいし、今日の練習の出来はまあまあだったし、わざわざ新しい長靴買いましたでぇ!ということを強烈にアピールすれば、明日の試験は間違いなしやなと思いながら、とりあえず、この日は上機嫌でした。
2006年03月04日
コメント(0)
先週の乗馬学校はゴルフで行けず、今週は酔っ払って行けず。家に帰ったのが4時ごろで「1時間くらい眠れる!」と思いつつ5時過ぎに目を覚ますが、二日酔いというより完全に酔っ払ってる状態だったので断念。ゆっくり眠ってスッキリし、何がなんでも乗りたいという感じでもなかったけれど、行かないとこのままフェイドアウトになってしまう気もしたので、クラブに電話して「明日フリーで乗りたいけど、何時から乗れますか?」と聞くと「7時」とのこと。よろしくとお願いし、今日は久しぶりのフリー騎乗。ラビットの専用が2鞍余っていたので使おうかとも思ったけれど、朝のA班の練習で使うだろうからとおもんばかったこともあったし、何でもいいから乗りゃいいやという気分でもあったので、ウマはおまかせにしたらパスカル(パスカル→小太郎→パスカル)だった。まあ普通の練習馬で、何がどうってこともないけれど、ダイエットの一助とするつもりで45分間ダラダラ汗を流しながら動かしまくって終了。ところが(ってほどでもないけど・・・)、乗り終わってから「ホントは7時からのフリーはダメよ」って話を聞いてビックリしましたわ! なんでも7時はまだクラブの営業時間外(何時から何時なの?)らしくて、フリーは営業時間内じゃないとダメってことらしい。別にこっちから「どうしても7時!」ってゴリ押ししたんじゃないから気にもせず「ケチケチすなよ!」って思っただけだけど、乗馬クラブの朝にそんなに厳密な営業時間なんてあるのかねぇ・・・。 確かにフロントはまだ開いてないけど、7時から乗馬学校はやってるわけだし、スタッフ達もほぼ出揃ってるし、誰もいない暗いうちに勝手にウマ引っ張り出して勝手に乗りまっさと言ってるわけじゃないんだから、別にいいじゃないねぇ! それにそもそも7時なんてウマの世界じゃ全然早くないじゃん! (それならキチンと乗馬学校来いよというご指摘はお受けします・・・)そう言えば、来月からプログラムが大幅に変わって、殆どのレッスンは9時からになり、乗馬学校も通常のレッスンに紛れて45分間になってしまう。普通の商売並みに「営業時間は9時からよ!」ということを強くアピールする理由があるのかないのか知らないけれど、表立った理由というのは「各ウマの稼動時間を平準化する」ということらしい。これもよく分らん。なんで1日の開始を遅らせて、乗馬学校を45分に短縮したら、それが各ウマの稼動時間の平準化につながるのかが全然分らん。「90分は人馬ともに辛い(?)ので、すべて45分レッスンにします」というなら、まだ分るけど、いかにもレッスン代を稼げそうな土日の午後には90分レッスン目白押しじゃん!古くさいと言われようがなんと言われようが、ウマは朝早くから乗るもんなんだ。で、酒飲みには辛いもんなんだ。普通の商売並みに「9時からです」なんて言われたって、なんじゃそりゃって感じ。
2006年02月26日
コメント(8)
ヒトラー時代のドイツでは、あちこちに例のナチスの鉤十字のマーク(卍をひっくり返したヤツ)が翻っていたわけですが、鉄道車両やツェッペリン飛行船も例外ではない。当時のツェッペリン飛行船会社のエッケナー社長は、大型飛行船ツェッペリン伯爵号の世界一周の途中で日本に立ち寄り、土浦の霞月楼でメシを食いましたが、その時に靴を脱いで座敷に上がるのをひどく嫌がったそうです。靴下に穴が開いていたそうで・・・。エッケナーという人は新聞記者から転身して飛行船の世界に身を投じた人ですが、徹頭徹尾リベラルな人で、ヒトラーとナチスが大嫌い。ヒトラーが政権を取ろうと台頭してきた頃には、対抗馬として大統領候補に担ぎ出されそうになったこともありますが、結局政界には入らず、飛行船ビジネスの発展に邁進することになりました。お互いに反目し合いながら、ヒトラーはエッケナーの飛行船がドイツの威信保持に大いに役立つと考え、一方でエッケナーは自らの生き甲斐である飛行船ビジネス保護のためにヒトラーとぎりぎり妥協できるところは妥協するという微妙な関係でしたが、この鉤十字で大モメにモメることとなった。ヒトラーはドイツの威信の象徴たる大型飛行船に鉤十字のマークを付けろと要求し、エッケナーはそれだけは勘弁してくれと譲らず、結局、尾翼に小さな(と言っても尾翼自体が大きいのでマークも相当大きい)マークを付けることで妥協した。ドイツ国鉄の車両にも当然のように鉤十字のマークが付けられ、流線型の優美な大型蒸気機関車の側面にはこれでもかというような大きなマークが大書され、正面には鉤十字を掴んで翼を広げる鷲のレリーフが取り付けられていた。当時の飛行船にしろ、鉄道車両にしろ、再現されたミニチュア模型を誰でも手に入れることが出来ますが、ドイツで製造される模型には、この鉤十字は描かれていません。実物では白い円の中に鉤十字が描かれていても、模型では白い円のみであったり、あるいは鉤十字であるべきところが 田 であったり・・・。現代のドイツでは、学術目的など一部を除いて鉤十字を表示することは、モラルだけではなく法律で禁止されているそうで、当然商業目的で市販される模型でも、これを再現することは出来ないからなのです。以下、もう既に旧聞ですが・・・。=====ホロコースト否定の英歴史家に禁固3年…ウィーン地裁【ウィーン=石黒穣】ウィーン地方裁判所は20日、英国人歴史家デービッド・アービング被告(67)に対し、ナチスによるユダヤ人大虐殺、ホロコーストを否定した17年前の発言を理由に、禁固3年の実刑判決を言い渡した。「ヒトラーの戦争」などの著作があるアービング被告は、1989年、ウィーンとレオベンで「アウシュビッツ(強制収容所)にガス室はなかった」などと演説。これが有罪の根拠となった。ヒトラー誕生の地であるオーストリアでは、第2次大戦中ナチスにくみしたことへの強い反省もあって、ホロコースト否定を喧伝する行為を法律で禁じている。指名手配がかかっていたアービング被告は昨年11月、極右団体の会合に出席するため入国したオーストリアの南部で逮捕された。アービング被告はこの日の罪状認否で、「ガス室を否定したのは誤りだった」と認めたが、裁判官は「うわべの改心」として情状酌量しなかった。欧州では現在、ムハンマドの風刺漫画問題をめぐり表現の自由のあり方が問い直されており、今回の裁判結果は、新たな波紋を投げかけている。 (読売新聞) - 2月21日11時52分更新
2006年02月24日
コメント(0)
名うての悪筆のワタクシにヘンな趣味があることを発見した。数日前のこと、会社で外人へのプレゼント用に買ってあるクロスの万年筆(1万5千円くらいのヤツ)が余っていたので「貰いまっせ!」と断って貰ってきた。万年筆への関心があったわけでもないし、今まで使ったこともないのだけれど、余ってたからなんとなく・・・。で、家に持って帰って、インクのカートリッジを入れて、紙にさらさら~っとやってみて感動! 今までに体験したことのないような感触! デタラメにいろいろな線や文字を書きなぐる。すごく気持ちいいです。英語の文章もいろいろ書いてみる。すると・・・なぜか綴りの間違いが続出。考えてみるに今までは手書きするにしても、鉛筆やボールペンのスピードで書いてきたのだけれども、それらに比べてあまりにスムーズな万年筆の運びに頭がついて行ってないようです。万年筆にはまってしまい万年筆収集を趣味にする人がいるのもわかるなぁと思いながら、それ以来、私も帰宅してから夕食後のひとときを万年筆をなぶって過ごすようになってしまったのです。だからと言って、特に何を書くということもない。初めての時と同様に頭に浮かんだ語や言葉をデタラメに書き殴る。スポーツニュースで某選手が「レギュラー入りを目指します」と言っていれば、それをそのまま書く。東京ガスのコマーシャルが「自宅で発電!」と言えば、それを書く。中原中也の「月夜の浜辺」(月夜の晩に、ボタンがひとつ・・・・)が浮かんできたので、それを頭の中で暗誦しながら何回も書きつける。とにかくそうやって、そのへんの紙2枚ぐらいが様々な文字や言葉で埋め尽くされるぐらいまで、心地よい感触に乗って無心でペンを走らせているうちに、ものすごく気分が落ち着いてリラックスしてくる自分を発見したのです。ちょっとヘンかしら・・・?
2006年02月23日
コメント(6)
スポーツの国際競技ではほとんど母国日本を応援しない私ですが、カーリングだけは真面目にハラハラドキドキしていたのですが・・・。競技自体も面白いし、白人の意地悪オバサン軍団に健気に立ち向かう東洋の小娘という分りやすい構図も宜しかったです。他の競技が奮わない中で、粘り強く闘い続けるカーリングチームはテレビにも格好の話題を提供したようで、昨夜のNHKのアナウンサーは「駆け引きや先を読むという要素がいかにも我々日本人を惹きつける」と今後はカーリングが国技になるようなことを言っていた。観戦しながら気になったことは選手達の本職。まさか日本でカーリングでメシが食えるわけなかろうし、みんな何か本職を持っているのだろう。母猿は村役場の職員とかいる筈だと推理していた。カーリング先進国と言っても、この事情は多分変わらないのだろう。全部の試合を見たわけではないけれど、イギリスチームのスキップ(いわゆる司令塔)のおばさんはダミ声といかつい顔つきが強烈で、労働者相手のパブの女将かなんかじゃないだろうか? あと気になったこと。カーリングチームの監督というのは一体なにをやってるんだろう? 各チームは作戦会議のため競技中に1分間のタイムを2回とれるのだけれど、その時だけ監督がノコノコ出てきて選手たちにアドバイスを与えている。それ以外の時は黙って見ているだけのようだ。もうひとつ気になったことは、NHKのアナウンサーが日本チームの1人の女の子だけをいかにも親しげに「マリリン! マリリン!」と呼ぶこと。ほかの選手達のことは単に名字で呼び捨てなのに、なぜにマリリンだけがマリリンなのか・・・?いずれにせよ、オリンピックに出てくるカーリングの選手達はすごい人達(冷たい氷の上で50メートル先に向かって重い石を精密に滑らせるということを2時間以上も続けるのだから・・・)なんだろうけれど、一方で、村役場の職員風やら、パブの女将風やら、マリリンやら、カーリングにハマってしまったそのヘンの人達が大舞台の端っこを借りて集まり、一番強いチームを決めようという本気だけれど、良い意味でたかが遊びという雰囲気もあり、私は好きです。馬術なんかにハマってしまったそのヘンの連中に相通じるものがあるような気もする・・・。
2006年02月21日
コメント(6)
アメリカの航空母艦に「シャングリ・ラ(Shangri la)」という船があった。シャングリ・ラは「桃源郷」という意味だけれど、なぜこの航空母艦にこの名前がついたのか知らない。知らないながらも「いい名前だなぁ!」と思い、この船には親しみを感じてきたのですが、その縁(?)で高級ホテルグループのシャングリ・ラも一度泊まってみたいなぁと思っていたのです。一昨日、昨日と5年ぶりにマニラへ出張したので泊まってきた。マカティ・シャングリ・ラ。向こうのパートナー(仕事のです!)を通じて予約したので、普通のシングルの料金(U$150くらい)だったけれど、家族で住み着けるんじゃないかと思うくらい広いスイートルームをあてがって貰った。ベッドも正方形に近いほど広かった(独り寝です!)。昼は打合せ、夜は会食だったので、ホテルライフを満喫したわけではないけれど、朝メシのお粥が絶品だった! あのヘン、で括っては悪いけれど、東南アジアに出張した時の楽しみはホテルの朝メシ。様々なエスニック料理やら中華粥やらを好きなだけ楽しめる。中でもお粥は絶対外せない! 豆腐の発酵したヤツ(腐乳だっけ?)やら、塩辛い魚のヒモノやら、ピータンやら、その他薬味を散らしたお粥を頂いている時は、来る前には「ジャマくさいなぁ!」と思っていた出張も来て良かったと思うひとときだ。それにしてもホントに、ここのお粥は美味かった! 近いうちにまた出張するかな・・・お粥を食いに・・・。
2006年02月17日
コメント(2)
さっき会社を脱け出してクレイン東京に行って来た。またも残念ながら所長はいらっしゃらなかったけれど、ヤツはいました。元気で頑張ってます。去年の春に大阪で会った時はデブデブでしたが、何週間かOPに放り込まれて再調教を受けたおかげで、すっきりしてました。3年遠ざかってたけど3日で馴れたと言っておりました。場所柄、前に居たところみたいな普通のあんちゃん、ねえちゃんばっかり相手にするわけじゃないから、そのへんが違うと言っておりました。レッスンしてるとこをちょっとだけ見ましたが、ウマのことを「この○○クンは・・・」なんてクン付けで呼んだりなんかして「こいつも苦労しとるなぁ・・・」と思ってしまいました。東京の掲示板によると、催し物としては「陶芸教室」「フラワーアレンジメント教室」「園芸教室」などがあるようです。(講師は会員か・・・?) 「農園教室」の担当者は所長になってました。その他、今後の予定としてパン作り教室って書いてあったような気もしたんけどなぁ・・・。
2006年02月13日
コメント(6)
昨日は突然クレイン東京へ行こうと思い立ったので書きかけになってしまった日曜日の月例の様子。=====「今日は朝から結構モノミしてましたから・・・」「コースは結構イヤらしめですから・・・」などなど、親切に囁くように言ってくれるアドバイスに「うん! 分った!」と応えていたものの、全く分っておりませんでした。先にラビットに乗った人の様子も見ていたのに、全く分っておりませんでした。1番から3番までが外周で、急回転で長い斜線に入って、4番と5番ダブル。1番と2番は間が5歩の連続で、ラチ沿いに回転してポツンと置いてある3番が苦手意識をそそり、急回転後にパッと視野が開けて両脇がクリアなライン(馬場の対角線上でこの馬場で作り得る最長の直線)には「???」と思ったけれど、それでも全く分っておりませんでした。経路は殆ど周ったことがなかったのだけれど、信じ切っていたのです。ウマを信じるというより、何てことないさとタカをくくっていた感じ・・・。で、実際にヒョコヒョコ出てみると待ち伏せされて十字砲火を浴びたって感じ・・・。低い方は入場してすぐに審判台を見てびびり、中の所長に「ちょっと走っといで!」とアドバイス頂いたので、普段はあまりやらない外周をぐるっと周ってスタートを切った。それでも手綱は強く持たずに、ちょっと自由にする感じで3番まで行ったのだけれど、その後の急回転で慌てて手綱を握り直したらウマが滑った。結構恐怖だった・・・。立て直せずに4番で止まり、向かい直したけれど入りが悪くて5番ダブルの間で止まった。もう一度向かい直したダブルの前で止まられて失権。跳ばしてから退場しようか自信が無くて迷っているところに、所長に「跳ばして!」と言われたので、叩きながら向かったら特に躊躇せずに跳んだ。この低い方は練習のつもりで乗ったので、あんまり乗り手は考えずに、ウマに考えさせるつもりで緩めの手綱で乗ったのだけれど、完全に裏目に出た。一旦引き上げてから、同じコースの高い方。コースは同じだけれど、二段階飛越のルールで一段階目は斜線上の5番ダブルまで。低い方はダブルの手前で失権したので、二段階目進出はさっさと諦めて、とりあえず失権せずに一段階目を終らせたい。なんか練習馬場はひどい有様だった。パッカンパッカン後肢を跳ね上げるウマに粉砕されたラチの破片が宙を舞い、ギャラリーに襲いかかる。昔のアニメでサムライ・ジャイアンツとかいうのがあったけど、折れたバットの破片がピッチャーを襲うという打法を編み出した悪役バッターがいたのを思い出した。そんな落ち着かない雰囲気の中で、今度は強めに握って、脚で絞り出すようにして動かした感触は良かった。私は入場の時はスタート切る時とは反対の駈歩で審判台まで一直線、というのが好きなのだけれど、一発叩いてから入場してすぐに敬礼し、さっきと同じように元気良く外周を周ってからスタートを切った。で、元気が良すぎて1番を落としてしまい、早くも二段階目進出ならず・・・。1番から2番の間も待たすのを躊躇するうちに5歩のところを4歩で踏み切ってしまった。踏切位置自体は悪くなかったと思うけど、この高さだからたまたま落とさなかっただけだと思う。ポツンと置かれた3番は人間が苦手なのだけれど、ウマは特に躊躇はなかった。さっき大失敗した斜線への回転はきれいに出来たので、4番は問題ないだろうと思っていたら、やっぱり止まった。見ていた母猿には「回転して真っ直ぐ向いた時にムチでしょ!」と詰問されましたが、跳ぶだろうと思っていたのと、手が動かなかったということです。向かい直したら素直に跳ぶんだけど、今度は叩きながら向かったダブルの前で左へ逃げた。バタバタするのを何発か、思いっきりシバキ倒して向かい直した。ハコ番の子が人間ソデのように障碍のすぐ左脇に立ってくれたのだけれど、跳ばす自信もないし、また左へ逃げられて轢いちゃうとイヤだから、どいて貰った。シバキ倒しけれど向かう時は落ち着いて素直に跳んだ。一応、ゴール。スタートから2番までは飛ばし過ぎだったけれど、雰囲気としては高い方が良かったように思う。低い方はストライドは合っていたけれど、結局中途半端な乗りだったような気がする。4番から5番ダブルのモノミはまあ、この際あまり気にしないことにして、今後の人間の課題としては、高い方の元気良い雰囲気の中での正しいペースの作り方かな・・・? もう1回同じコースを周れるとしたら、4番、5番は止まっても気にせずに、1番から3番を落とさずに正しく跳びたい。
2006年02月12日
コメント(2)
今日の練習も90分のうち、1時間くらいフラットワーク。先週よりも左右の抵抗が大きかったような気がする。障碍は最初の速歩飛越の上がりが良くて乗り手がはがれ気味で相当カッコ悪かった。地上横木を障碍に寄せ気味にして駆歩で跳ぶ時は「考え過ぎ!」という注意を連発されたけど、その通りで、横木から障碍までの距離が近いのが気になって外しまくり・・・。しかし、その合わせ難い練習のおかげだと思うのだけれど、その後でさらに横木を前に出した時には踏切りを合わせるのがすごくスムーズで、自然に踏切位置が見えるような感じで気持ち良く跳べた。初めて乗った時はだいぶ戸惑ったラビットだけれど、先週、今日と乗ってみて「自分に合ってるのかも・・・」と思うようになっている。いろいろと自分の乗りについて細かいところ(随伴が深い等)が気になるようになってきたのだけど、それは余裕が出てきたせいかも知れない。やっぱり動かすのに必死、跳ぶのに必死のウマじゃあかんなぁと思い、ミーティングの席では「今日の感じやったら明日の月例は問題ないでしょう!」と太鼓判を押して貰ったのですが・・・。
2006年02月11日
コメント(2)
雉の会社に猿というおっさんがいました。今もいる。このおっさんはメチャメチャなおっさんで、飛行機に乗る時は必ずゴネるような人。エコノミーのチケットを持ってファーストのカウンターへ行き、そこで初めて自分が予約してカネを払ったのがファーストにも関わらず、チケットがエコノミーになっていることに気付いたというような演技を始める。「信じられない・・・まあミスは誰にでもあることだ・・・しかし信じられない・・・暴落航空ともあろう一流会社がこんなミスをするとは・・・」と延々とごね続け、ついにファーストゲット!はっきり言って最低のおっさんです。雉は猿と同じ部署になったことはなかったけれど、なぜか仲が良かったのです。まあ最低のおっさんだったので、この人のことをいろいろ言う人は多く、雉も「猿と仲がいいとは・・・」と珍しがられたものでした。ところで、この猿の下に犬という若い部下がいました。当然、猿と犬は折り合いが悪く、と言うか犬は猿に苛められヒドイ目に遭っていました。その反動として犬は猿のいないところで上下の人にいろいろとボロクソに言うわけです。さすがに犬も雉の前では言いませんでしたが、犬がそういうことを言っているということを人づてに聞いた雉は、まあ客観的に見ると犬の言うことに理があるなと思いました。しかし、残念ながら雉は犬のことが表には出さないもののキライだったのです。「どうなるんだろう・・・?」という好奇心に駆られるままに、雉は猿と飲みに行った一夜、犬が日頃から猿をどのように悪し様に言っているかという人づてに聞いた話を暴露してしまった・・・。多少の陰口は想像していただろうけれど、具体的に聞かされた猿は怒り狂い、いろいろと工作した結果、もはや犬は会社には居られなくなってしまったのでした。保険屋さんに転職した犬は、何も知らずに雉のところへ保険の勧誘に来ていたものでした。
2006年02月08日
コメント(8)
すごく寒いんだけど車の窓が凍っていない。昼と夜の寒暖の差がないということなのかな・・・?馬場はハローをかけてくれているのでカチカチではないけれど、岩がゴロゴロしてる溶岩地帯みたいな感じ。落ちると刺さるんじゃないかしら・・・? ウマは今日もラビット。重いとは思わなかった。フラットワークは楽しい。力強くて乗り甲斐がある感じ。じっと待っていれば頭は下がるけれど、左姿勢を辛がるので、ある程度力で押し込んで行くことが必要かも・・・。とは言っても、力強くて乗り甲斐があるということは乗り手も消耗するということで、フラットワーク(これが長い・・・1時間くらい)大詰めの反対姿勢の運動になるとすっかり力負けしてました・・・。最後に30分ほど、地上横木を跨いで一歩で単発。横木から単発までは広くはないのだけれど、その最後の一歩の詰まり方が気に入らない。こんな感じだろうというペースで向かって来て、跨いでから覗く感じでもなく、起きて来る感じでもなく、ふ~っと力が抜けるというか、単に動きが小さくなるような感じ。横木から単発までの距離がないので突っ走って来ると破綻するし、対策がよく分らないまま、その最後の一歩で手を緩めて自由にしてやると気に入らない感じはなくなったのだけれど・・・。次に地上横木を外して、単発の真下まで踏み込ませる練習。相当近付けたつもりでも「それはちょうどいいとこ!」と言われ、なかなかうまくいかない。単発がオクサーになったラストでやっとOKが出たのだけれど、と言うことは、それまでの地上横木を跨いでという時は踏切が相当遠かったんだろうか・・・?ミーティングで聞いてみると「地上横木を置いてある時は踏切がバラバラだった。バラバラだったけれど、ウマを自由にして人間が助けなかったから、ウマが自分で考えて踏切を合わせてきたということだろう。だから、あれはあれで良かったんです」ということで、結果オーライみたいな感じ。真下まで踏み込ませたい時は、そういうウマの変化(ウマが自分で踏切を合わせるようになっている)を人間が感じ取ってやって、練習の意味(ウマの注意力を喚起して、跳ぶ時に体を使わせる)をもっと意識する必要があるのだろう。いずれにしろ面白かった。やっぱりウマは奥が深いです。
2006年02月04日
コメント(4)
思い出した。こないだラビットに乗った後で所長に「対話しながら・・・」ということを言われたんだ。特にラビットの時は頭の中が「???」だらけで必死で乗ってたから、対話も支配も何もなかった気がするけど、大概の場合は支配が勝ってる気がするなぁ・・・。支配しようとするのは大事なんだろうけど、支配しきれなくなった時、あるいは「あんたの支配下には入りたくありません」と言われた時にカッとなって、切り捨て御免的対応を取るのが問題だ。あ・・・でも以前と比べたらずいぶんとマシになってる気がする・・・あるいは体の動きが鈍くなって、カッとなるのに体がついて行ってないだけかも知れない・・・。切り捨て御免って時に反射的に刀が抜けないのかも・・・それはそれで悲しかったり・・・。いずれにせよ、どんな馬のどんな態勢でも表情変えず(笑うのは可?)に乗りたい気がする。どんな馬のどんな歩度でもスピード感を全く感じずに乗りたい気がする。駈歩の1歩1歩を意識しながら乗ってみようか・・・? スタートからゴールまで何歩で走ったか数えてみようか・・・?
2006年02月01日
コメント(2)
初めての試合(障碍)春学の新人戦。「はよベル鳴らさんかい!」と思いながら審判台に向かって突っ立っている私。なぜだか睨んでいる審判。バンケットの上にいる学馬連はじめ使役連中が一列に整列して私に挙手の礼。 仲間達よ! 思い出せてくれてくれてありがとう!(丸坊主を逃れる)2回目の試合(障碍)なんの試合だったか忘れたけど京産の馬場。「このウマ重いなぁ! 出して行こ! 敬礼もしたし、おりゃぁ!」スタート切って1番を跳ぶや否や鳴り響くベル。審判よ! 思い出させてくれてありがとう! でもちょっと遅かった・・・。(丸坊主になる)初めての馬場の試合なんの試合だったか忘れたけど大乗協の馬場。「入場OK! 停止、不動、敬礼OK! 見とれよぉ!」蹄跡に入るや否やチリンチリンとかわいいベル。審判台に向き直って「なんですか?」という私。「アホか! 蹄跡は右やろ! 左行くヤツおるかぁ!」馬場はやり直しが出来るのさ!(監督・コーチは口をきいてくれず)
2006年01月31日
コメント(2)
今日は初めて乗るウマ2頭。乗馬学校はパブロからの手紙。なんだかアホっぽいウマなのだ・・・。速歩まではなんとか纏められるけれど、駈歩はしんどい。障碍は下が凍っていたので、単一を2回連続で飛越するというのを何度か繰り返した。少し纏め気味に発進して1回目はなんとかなるけれど、2回目のアプローチに入るとアゴを上げて突っ掛かって行く。前の谷野の指摘を思い出して、1回目から流して2回目に向かうのではなく、その間できちんと一からやり直しに持って行こうとしたが、時間切れで残念・・・。アホっぽいけど、乗りたくないウマではないかも。ミーティングで今後乗るべきウマについての話になり、「軽いヤツはもういいから、重めのヤツで・・・」と言う谷野のお薦めはラビット。「乗ったことないから、いっぺん乗せてよ!」と言うと所長に話してくれて、11時の所長の「障碍スペシャルクリニック」なるものに参加することになった。馬房から出して初めてマジマジと眺めたけれど、後躯に比べて前躯の逞しさが目につく。所長が「危ないかもわからん・・・」と仰るので先に乗って頂いた。メーターぐらいの垂直やら、移動ラチやら、いろいろ跳ばしておられるのを見る限りでは、動きの大きなよく跳ぶウマなのだけれど・・・。自分が乗ってみると、これは初めてのタイプのウマかも。動かないくらい重いわけではないんだけれど、本当に良い動きをさせようとするとしんどい。でも発進にはデリケートな扶助が必要。障碍に向かうと自分から向かって行くような時もあるけれど、行き過ぎかなと思って待とうとすると、思いのほかに詰まり過ぎてしまったり・・・。なんか、とまどいながら必死で乗ってたので、よく分りませんでした。
2006年01月28日
コメント(6)
とか言ってみたって、なかなか出来るもんではないわな・・・。日常の会話の中で「キミはヘタッピですね!」なんて面と向かって言える訳ないし、面と向かってじゃなくても「誰かさんが自分のことをヘッポコだと言ってた」というようなことを聞くと怒り狂うでしょう。一方で、ここには書けないような他人に対して不都合なことを現実にはいろいろと思ったり、考えたりしているわけで、そういうことを書かないと本当ではないし、せっかくブログを作っていても、単なる当たり障りのない毒にも薬にもならないお話で終ってしまう。なんか、つまらないな・・・。私はここでは親猿なんていうくだらないHNを使ってますが、実は(ピ~ッ!)というおっさんであることは、このブログを読んでいるうちのクラブ(ピ~ッ!)の連中は大概知っているはず。何年か前に阿川弘之が監修して出版された「高松宮日記」はその名の通り宮殿下のプライベートな日記そのものだけれど、文中には侍従の実名を挙げて「誰某は大バカ」なんてことが書いてある。誰某さんの子孫がそんな記述を読むと「こんちくしょう!」と思うだろうけれど、これは書かれた当時は公にされることを前提としていないプライベートな日記であるからこそ書けるのであって、同時にそのような不都合なことが書いてあるからこそ、日記としての意味もある。そのような不都合なことが書けない、本当に思っていること、考えていることが書けないブログなんて、エンターテイメントに過ぎないだろうし、書いている本人にとっては全く意味のないことなのかも知れない。もちろん、自分の騎乗について書く=問題点を客観的に整理できるという利点はあるけれど・・・。結局のところ、書いている本人の正体が読む人にばれているブログなんて、そもそも失敗だということかも知れないな・・・。一体ブログというのはなんなんだろう・・・?=====(ピ~ッ!の部分は実名を入れていたのですが、microっちのアドバイスに従い、別にこだわりもないので消しました。)
2006年01月25日
コメント(8)
な~んか、バレバレの匿名で当たり障りのないことばっかり書き散らかしてるのがバカバカしくなってきた今日この頃。どっかに実名入りで「○○が気に入らん!」とか「××はヘタクソ!」とか「△△はオツムが弱い!」とか、思いっきり書きたくなってきた。そういうネガティブなことを書いてこそ、本当の自分が見えてくるのでは? それでこそブログの意味があるのでは? 別に実名入りでなくてもいいんだけど・・・。
2006年01月24日
コメント(0)
ドイツ語で雲固のことはシャイセレ(綴りがわからん・・・)だっけ? 開高健の随筆だったかで、お互いに愛情を込めてシャイセレと呼び合うドイツ人の夫婦の話があったような気がする。雲固クン、雲固チャンと囁き合うのだ。映画「Uボート」のジブラルタル海峡突破の場面で、艦橋に仁王立ちになった艦長が雨と降り来る弾丸の中で「シャイセレ! シャイセレ!」と喚くシーンがあったと思うが、これはまさか愛情を込めているわけではなく「くそったれ!」であろう。ずいぶん前の新聞で「クレヨンしんちゃん」が子供に見せたくない番組として名を挙げられるのが解せないというような記事を読んで、なるほどと思った。その記事いわく「子供というものはバッチイものが大好きなんだ。おゲレツなことが大好きなんだ。あんた達にも覚えがあるでしょ?」だったかな?子猿もおゲレツだ。立派な雲固が出たら必ず嬉しそうな顔をして見せに来るし、私が居ない時だと帰るまで流さずに置いといてくれる。おならをするとお尻の匂いを嗅げと迫って来て、臭がってやると喜ぶ。私がすると嗅ぎに来て、喜んで臭がっている。最近はお尻をこちらに向けて腰を屈めておならをするようになった。正式な放屁ポーズだ! 子猿も成長したものだ! 昨日なんか、そのポーズでおならで返事をするようなことまで出来たので、よしよしと思いっきり誉めてあげて、お友達の京花ちゃんにも教えてあげなさいと言っておいた。今日は子猿の検診の日だ。お医者に「屁こき病は治るでしょうか?」とちゃんと聞くんですよと言い置いたのだが、忘れずに聞いているだろうか・・・?
2006年01月17日
コメント(0)
= 土曜日 =自然な欲求に身を任せて、今日の乗馬学校はおやすみ。ベースが元気だと多少の二日酔いでも早起きして行こうという気になるけど、ベースがくたびれていると一旦は目覚ましで早起きしても「あ~ダメダメ! 今日は寝る!」って感じ。子猿の体調も良くないし、天気も良くないし、終日家でゴロゴロ。= 日曜日 =母猿が子猿に風邪をうつされてダウン。一方で休養十分の子猿は元気度150%。したがって今日は子守の日。10時前に公園へ連れて行き、近くのマックで休憩を挟んで昼過ぎまで延々とぶらんこ。子猿はまだ自力では漕げないので、私が延々と揺すり続ける。ちょっとサボると怒られるのでブンブン振り回す。「ぶらんこ闘牛ごっこ」もやる。私が闘牛士の役で、ぶらんこの子猿が猛牛の役。闘牛士は突進する猛牛の前に立ちはだかり「あわや!」という瞬間にひらりと身をかわす。非常に危険な遊びだ。隣のぶらんこに知らない親子連れが現われて、私たちの楽しそうな様子に触発されたのか、父ちゃんが張り切ってぶらんこを派手に振り回すが「ドサッ!」という大きな音とともに子供が転落・・・。父ちゃんはわんわん泣き喚く子供(子猿と同じくらい)を抱きかかえて慌てふためいて立ち去った。子猿はその様子をクールに見つめ、一言「ちょっとウルサイね・・・」と呟いた。朝から出ずっぱりだし、だんだん子猿の鼻が赤くなってきたので、そろそろ帰ろうと促すと「まだ遊びたい!」とゴネまくる子猿。今度は私がわんわん泣き喚く子猿を引きずるようにして三輪車に積込み、公園から社宅へ戻って来ると、玄関脇の子供の遊び場に子猿のお友達が何人か・・・。日当たりは良くないのだけれど、風が当たらないのでまあ良かろうと「遊んどいで!」と言ってやると、喜んで遊びに行ったのだが・・・。何人かたむろしているお友達の中にモモ(敬称略)というヤツがいる。こいつは子猿より年上の4歳で、以前は子猿を可愛がっていたのだが、子猿にぶん殴られたという些細な理由で非常に冷たくなり、子猿に敵意を抱くようになっている。昨日、このモモ(敬称略)が仲良く遊ぼうと喜んで近づく子猿にはっきりと「キライ!」と言ったのだ! いきなり凹まされて、しょんぼりする子猿・・・。キ~ッ! モモ奴! ぶん殴られたくらいで根に持ちやがって! キ~ッ! 覚えてろよ! お前のオヤジは船乗りだな! オヤジが俺の支配下にある船の乗組みになったら、インドとかアフリカとか、そんなところばかり行かせてやる! 日本になんて絶対帰って来させない! 親父に会いたきゃアフリカまで行け! キ~ッ!
2006年01月15日
コメント(8)
別に忙しかった訳ではないけど、何やらやる気が出ずに、一週間遅れの日記になってしまった。祝日の早朝恒例の乗馬学校合同練習。うちのクラブの駄馬どもの中でもフュージレイドは好きなウマ。重いせいか余り力を使っていない(使わせられていない)のかも知れないが、ヨタヨタではないので・・・。ロングの7歩から回転して詰めた3歩・3歩という練習だったけれど、このウマには(私にも・・・)詰めた3歩が課題だ。たまたま7歩の後で手前を出せずに速歩を挟んだのでうまく行ったのだけれど、詰めた3歩に力強さが足りない。クロスだったので跳んでくれたのだろうけど、ちゃんとしたコースの中にこれがあったら止られてたかも知れないな・・・課題は尽きない。
2006年01月09日
コメント(0)
成人式って出席して何かいいことあるんですか? みんな何しに行くんですか? 全く理解できない。兵隊に取られるワケでもないし、ハタチになるのをなんで挙って祝って貰わなきゃならんのだということが、私にはそもそも理解できないのだけれど、私が成人の時は成人式には出たくても出られない。なぜなら当時の成人の日、1月15日は大阪府の新春大会があるから。で、選手なり使役なりで大会に参加している新成人には府馬連から記念のメダルが授与される。成人式に出席できない可哀想な馬乗り新成人に対する先輩成人のせめてもの心遣いなんだろうけど、試合には出んといかんし、使役はせんといかんし、あれやらんかい! これやらんかい!とコキコキ働かされてヘロヘロに疲れ切ってる学生馬乗り新成人にとっては、そんなメダルなんて貰っても全然嬉しくない。私が貰ったメダルもその辺に投げ散らかしておいたら、退厩の混乱に紛れてすぐに行方不明になりました。
2006年01月09日
コメント(4)
正月に「カルメン」のDVDを見たら「アルルの女」の「ファランドール」が聴きたくなってCDをAmazonに注文したのが、4日の仕事初めで会社に来て一番最初にやった作業。あわせて「1812年」も注文。なんか威勢のいい曲を聴きたい気分だったのかも・・・。「世界のオザワ」の20年くらい前の録音がシリーズ化されていて1枚1,000円! 土曜日は母猿と子猿が買物に行って、そのまま実家に泊まるので私ひとり。その日の午後にCDが届いた。早速聴いてみると、すごく気分が良くなってきて、2枚のCDを繰り返し聴いているうちに日が暮れた。「ファランドール」を聴くと、ロックの天才プロデューサー、フィル・スペクターが「音の壁」(wall of sound)の手法を確立する遥か昔に既に「音の壁」というものが作り出されていたのだと思う。「1812年」に収録されている歌劇「エヴゲニー・オネーギン」からの「ポロネーズ」は初めて聴いたけれど素晴らしい。HAKKOに借りた「カルメン」二種。レヴァインとメータ。俺はメータの方が好きかも・・・。演奏の善し悪しを比べてもよく分らんのだけれど、見比べているうちにレヴァインが俺の大嫌いなエルトン・ジョンに見えてきて、エルトン・ジョンがこの歌劇を指揮しているんだという気持ちになりギブアップ。そう言えば、4日だったか、NHKの番組でチョン・ミョン・ファが指揮する「カルメン」序曲の演奏を見た。期せずして3人の指揮者を見比べることが出来たわけですが、「あんたワケわかってやってるんですか?」と尋ねたくなるようなメータやレヴァインの激しい指揮に比べて、チョン・ミョン・ファは冷静そのもの。それなのにオーケストラは同じ曲を演奏する。クラシックの指揮というのは全く分らない・・・。
2006年01月07日
コメント(6)
今年の初乗りはレオン。どこがどうとか書く気もせず。ケッタクソ悪い初乗りだった・・・。納得行かずに珍しくもう1鞍。「ウマはなに?」と聞くとフロントでは「ロトーで・・・」と言われ、納得行かない気分に輪をかけられたてショボクレていたら、片山クンと谷野が近付いて来て「ウマ決まりましたよ」と言う。「ロトーやろ・・・」と答えると「マールー!」。ショボクレ気分を察してくれたのか替えてくれたらしい。せっかく配慮してくれたらしいマールーの練習だけど、最後は見ていた人に笑われるくらいの失敗・・・。谷野が「またやってしまいましたね・・・もう1鞍いきますか?」とからかってきたので「もうええわ・・・これからはゼイタク言わずに謙虚に練習します・・・」と答えた。私の欠点について谷野が非常に深いところを突いてきた。ウマや技量がどうこう以前の問題。要は私の性格か・・・精神修養に行ったほうが良さそう・・・。
2006年01月07日
コメント(2)
全366件 (366件中 1-50件目)