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May 24, 2013
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 縁起とは「因縁生起」(いんねんしょうき)の略であり、
縁起の法は、釈尊の悟りの本質であり、仏教論理の根底を支えているものだ。

つまり、釈尊によって縁起という言葉で語られた真理を腑に落とすことができれば、
苦しみを超えることも遠くは無いといえる。


『これが有れば、それが有る。これが無ければ、それは無い。
これが生ずれば、それも生ずる。これが滅すれば、それも滅する』


このような言葉で知られる縁起の法(真理)とは、いったいどのようなものだろうか。


縁起の真理を今の言葉で説明すれば、
「私たちが認識する世界は、すべてが相対的であり、絶対的なものなど存在し得ない」



あなたは、この中に重要なポイントがあることに気がついただろうか。

それは『すべて』という言葉である。

あなたは、すべてといえばすべてだからと、
何の疑問も持たずに聞き過ごした(読み過ごした)のではないかな。

原始仏典では、すべてを意味する「一切」という概念をこのように定義している。

「比丘たちよ、何をもって一切となすのであろうか。
それは、
眼と見えるもの、
耳と聞こえるもの、
鼻と匂うもの、
舌と味わわれるもの、

意識と観念の作用を
比丘たちよ、これらを名づけて一切というのである」

どこかで聞いたような説明だと思わないか。

そう、五蘊(ごうん)という人間システムのうちの色、受である。

たいていの縁起の説明では、外側の相対関係や相互依存関係だけを説明していることが多い。


 実は、私たちの外側にあるはずのこの世は、
私たち人間にとっては、外側そのものではなく、
五感による情報を基に意識の中に相対的に構築された概念でしかないのだ。

 仏教が対象としている世界とは、
外側の世界そのものでなく、
自分が認識している世界と自分との関係性によって創られた世界のことなのだ。

だから私は『私たちが認識する世界』と限定をつけたのだ。

 これで釈尊は何が言いたいのだろうか。


 私たちは、この世には生老病死を始めとする多くの苦しみがあると思っている。
悟りを開く以前の釈尊、
つまりゴータマ・シッダッタ(ガウタマ・シッダールタ)もそう思っていた。

病気になるから苦しいのだ、病気が苦しみの原因だ、
老いていくことは苦しみそのものであり、さらに苦しみの基になっている、
死ぬのが怖い、死は誰にも避けることができない苦しみの原因だ、
そのような苦しみだらけの世に生まれなければ苦しむこともなかったのに、
今こうして苦しんでいるのは、この世に生まれてきたからだ。

そのような四つの苦しみ以外にも
いつまでも一緒にいたい愛する者と別離する苦しみ、
会いたくない怨み憎んでいる者に会う苦しみ、
求める物が得られない苦しみ、
肉体としての人間であることによる苦しみがある。

そのような苦しみの原因を何とかしたいと、
間違った理解で、もがいているのが凡夫なのである。


因縁生起という真理を腑に落とした釈尊は考えたことだろう。

『私(釈尊)は、たとえば、
病気のような外側に起きてくることが苦しみの本質、直接の原因だと考えていた、
だが、私たちが認識するこの世に絶対のものはないのだから、
病気が絶対に苦しみだということはないはずである。
病気を苦しみと感じさせてしまうのは、どんなものとの相対関係によるのだろうか』

ここでヒカリズムの感情法則を思い出して欲しい。

外側の出来事、状況 × 想い、観念(正しさ) → 感情

『私(釈尊)は、これまで
自分の外側に起きてくる出来事、状況こそ、苦しみの直接の原因だと考えていたが、
そうではなかった。
それは間違った理解だった(無明)。
このような間違った理解で生きているのが凡夫なのだ。

そうではなく、私の想いこそが直接の原因であり、
外側に起きてくる出来事、状況が縁となって苦しみを生み出していたのだ』

実は
「因」は結果を生じさせる直接の原因であり、
「縁」はそれを助ける外的な間接原因、条件のことなのである。

『私(釈尊)が『病気になるのは絶対に嫌だ』という想いを持っているからこそ、
病気という縁によって、苦しみが生じてしまっているのだ。

だから、『病気になるのは絶対に嫌だ』という想いを手放せば、
病気という縁による苦しみは滅することができる。

すべての苦しみは、自分の中の想いに直接の原因がある。
その原因を滅すれば、苦しみも滅することができるのだ』
と。

 もし、仏教の対象とする世界が外側の世界そのものであれば、
苦しみだらけのこの世界において、
苦しみの問題を解決するためには、この世を去る以外に手はない。

 しかし、外側の世界と関わりなく、
単に苦しみだらけの世界だと間違って認識している(無明)だけであれば、
認識を変えることで、苦しみを超えることができるのだ。

だから、『私たちが認識する世界』という限定はとても大切なのだ。
この説明なしに縁起の真理を理解することはできないのだ。

さあ、改めて縁起を説こう。

間違った想いが有れば、苦しみが有る。
間違った想いが無ければ、苦しみは無い。
間違った想いが生ずれば、苦しみも生ずる。
間違った想いを滅すれば、苦しみも滅する。


これが「悟り=縁起の真理」とその展開であり、
これをさらに詳しく説明していったのが、仏教なのである。



                        さんた ひかる







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最終更新日  May 25, 2013 07:37:50 AM
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