不可思議の海岸線が長くなる為に・・・

不可思議の海岸線が長くなる為に・・・

2006/06/02
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カテゴリ: 日本旅行記
真如堂 から歩いて近くの、 金戒光明寺 へ行きました。
御影堂の横から歩いて来ましたが、建物が大きいですね。
御影堂の前に春の庭園特別初公開の看板がありました。
ここまで来たので、拝観をしました。
拝観料は600円でした。

御影堂の中に受付がありました。
前までの公開は大方丈(松平容保謁見の間)までだったらしいです。

まだ庭園が新し部分と古い部分が交じり合ったない感じですね。
馴染むまで時間がかかりそうですね。
庭園は靴で歩けますが、降り口の看板を見てから歩いた方がいいですね。

大方丈は松平容保謁見の間で撮影禁止でした。
でも当時の建物ではないらしいので、そこまでする理由はなんでしょうか?
もう少し垣根を下げてもいいと思いますが・・・。
50円で資料がもらえます。

御影堂から出るとテントが張られていてイベントでもあるのか撮影の邪魔になるなと思いながら山門へ歩いていきました。
後で気がつきましたが、「鎧かけの松」を見るのを忘れました。
それと「阿弥陀堂」も見るのを忘れました。
なにをしているのやら・・・。


山門の雰囲気はよかったです。
木や道路や看板などが少し邪魔になりますけどね。
境内の案内の看板がもう少しほしかったですね。

文殊塔 を確認して歩きました。
文殊塔 は何かで調べて知ったいたので訪れました。
お墓の中を少し石段を登った所に 文殊塔 がありました。
登っている途中からの眺めは、平安神宮の鳥居と京都タワー方面が少し見えました。

文殊塔 (三重塔)は小高い所にあり、近くからは撮影は距離がありません。
内部も公開されていませんので、ここまで訪れる人はほとんどいないのではないでしょうか?

また「蓮池院」を見るのを忘れました。
公開はしていないんですが・・・。
もう少し調べてくるんでしたね(笑)。


☆☆☆ 金戒光明寺 うんちく ☆☆☆

1175年、法然上人が比叡山を下りて、この地に草庵を結んだことが寺の起源です。
法然上人が吉永禅房に移ってからも、ここを説法教化の道場にしたという。
数回の火災にあっているが、その度に再建されている。


御影堂は、法然上人の75歳三昧発得の御影を奉安している。
1934年火災による焼失後、1944年に再建されている。


阿弥陀堂は、1605年豊臣秀頼により再建。
当山諸堂宇中もっとも古い建物である。
本尊阿弥陀如来が納められ、如来の腹中に一代彫刻の使用器具が納めてあることから「おとめの如来」「ノミおさめ如来」と称されている。


山門は、1398~1415年に建立されたが、応仁の乱で焼失し江戸幕府の命により1860年の完成。
山門楼上正面に「浄土真宗最初門」があり、それは後小松天皇のごしんがんで元祖法然上人が最初に浄土の教えの真実義を弘められた念仏発祥の地との意を賜ったものである。


文殊塔は、古く黒谷の西にあった中山文殊が、江戸時代初期徳川秀忠公菩提の為に建立の三重塔。


2006京旅行2は、まだ続きます
京604-22金戒光明寺





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Last updated  2006/06/02 10:31:47 PM
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