不可思議の海岸線が長くなる為に・・・

不可思議の海岸線が長くなる為に・・・

2007/05/07
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カテゴリ: 日本旅行記
福澤諭吉記念館 から駅の方面へ歩いていきました。

すぐの所に「浄安寺」があります。
浄安寺は1640年小笠原長継の菩提を弔う為に、長男の小笠原政直が建立したと伝えられます。

閻魔様がある「 圓龍寺 」があります。
寛永年間に、小笠原長継公が播州龍野(七万石)から中津藩主として入国したときに、専よし上人を開山として開いた。
山門を入って左手に観音堂、閻魔堂があり子安観世音菩薩、右手奥に閻魔様と葬頭、河婆(奪衣婆)が安置され、民俗信仰が伝承されている。

大分2中津51閻魔堂
閻魔堂ですが、ケースに入っていますが門のすぐの所にあります。
脱衣婆のほうが、おどおどしいですね。
大分2中津52

河童の墓がある「 円応寺 」があります。
1587年に黒田如水の開基で見道大和尚の開山。
河童の墓などがある。
江戸中期に寂玄上人が河童共を佛の道に入らせ修行の末、河童の頭目三匹に戒名を授けた。


大分2中津61河童の墓

赤壁の「 合元寺 」があります。
黒田如水が前領主宇都宮鎮房を謀略結婚により中津城内で誘殺した時、その従臣らがこの寺を拠点として奮闘し最期をとげた。
以来門前の白壁は幾度と塗り替えても血痕が絶えないので、遂に赤色に塗られるようになった。
その戦いで戦死した宇都宮家の家臣は合葬し、菩提を葬った。
この寺の開山空誉上人は宇都宮鎮房の庶子であったといわれ、慶長十六年黒田長政に福岡城で誘殺されたといわれる。

大分2中津71赤壁
中津城跡の話から、この寺までの話が繋がっていて良かったです。
赤壁ですが、そんなに大きい寺でないので、期待しないほうが良いですね。
ちょっと赤壁が綺麗過ぎるのも残念ですね。
大分2中津72

この辺りは寺町らしく寺だらけですね。
なかなく雰囲気のいい寺もあります。
新しい寺が多いは残念ですね。
これで中津の歩きは終わりです。
大分の宇佐に移動します。


大分旅行2は、まだ続きます





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Last updated  2007/05/07 07:49:54 PM
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