草想記

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2011年07月22日
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 分野が異なっても共通することは多い。と言うより私の場合は共通しないことの方が少ないと思いこんでいる。

 子供の頃一芸は万芸に通じると言う言葉を聞いて素敵な言葉だと惚れ込んだ。もっとも当時は漠然と根拠もなくそうでもあろうか位にしかおもわなかった。無器用を既に自覚していたから自分にとって好都合な考え方でもあったから。

 果たしてそうなのだろうかと思うたびに、なんとなく思い当たることも多く、いつしかそうなのだと信じ込むようになった。具体的には判然としなくても姿勢とか言ったものには共通すると思うことも多かったので。

 私は真似事ほど書を嗜む。素人の域を出ない程度だが、それでも三十年くらいは即かず離れず継続はしてきた。

 それは今から二十年ほども前だったろうか。剣道の高段者に残心という言葉とその実際の立ち居振る舞い、又何故にそれが大事かということを解説してもらった。

 正直そのころそれが正しい解釈なのかどうか不明だったが、筆の穂先を剣の切っ先に見立てて最後の払いに最後まで気を緩めないように心がけた。

 そして何時かそのことは習い性になって、ついには何故そうするかも忘れて習慣のみ定着していた。

 何時か年月が過ぎて教書雑誌の写真版にたまに選ばれた折、批評として必ずと言ってよいほど線条が強い、最後まで筆力がみなぎっている等と言われるようになった。



 これは嘗ての残心のたまものなのかも知れないと思い当たった。とすれば彼の剣の達人の言葉は何時しか私にも生きていたと言わざるを得ない。又かなんどと思っては罰が当たる。

 又当時私が馬鹿正直に、こう言うことかとも知れないと闇雲に実践したことは無駄では無かったのだ。本人が忘れた頃に効果が出てきたのである。

 そして先般十年ぶりくらいにその折の剣の名手にお会いした折に、これこれでその節は結構なご指導をとお礼を言ったのだが、先方もそんなことを言ったっけとばかりに見事に覚えてお出でではなかった。

 マンガみたいな話だが、やはり一事が万事の一例くらいにはなるだろう。元々無器用極まりない方だから一つくらいは功徳もなくては!と今更ながら感謝する次第で。





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最終更新日  2011年07月22日 23時06分11秒
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