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1.蛍の光 窓の雪 書(ふみ)よむ月日 重ねつつ いつしか年も すぎの戸を あけてぞ今朝は 別れゆく2.とまるも行くも 限りとて かたみに思う 千(ち)よろずの 心のはしを ひとことに さきくとばかり 歌(うと)うなり3.筑紫のきわみ 陸(みち)の奥 海山遠く へだつとも その真心は へだてなく ひとえにつくせ 国のため4.千島のおくも おきなわも やしまのうちの まもりなり いたらんくにに いさおしく つとめよわがせ つつがなくスコットランド民謡を1881年に師範学校の先生が替え歌にしたんだそうです。まぁ、蛍の光にせよ、仰げば尊しにせよ、君が代にせよナショナリズムをベースにしたものは、全部だめか。国家って、いらないのかな。JiJiは日本が好きだし、青森が好きだな。津軽弁大好き。あづましい、って標準語では訳せない。
2007.01.29
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これは、ねぶたの里のかまくら村じゃ。海外観光客を招致する、インバウンド・観光フォーラムが、昨夜、弘前パークホテルで開催された。現在、インバウンド全国No1の飛騨高山の事例が紹介された。高山市観光課長、片岡吉則氏によれば、1.4言語対応おもてなしマニュアル、道路標識、舗道埋め込みプレート などの、「外国人が一人で歩きまわれる環境づくり」を、行政が統一 テーマの基づいて支援する。 すなわち、身障者はもとより、言語においてもバリヤ・フリーにする。2.海外(特に台湾、韓国、中国などアジア中心)エージェントを対象とした ファーム・トリップ(研修旅行),エージェント・プレス・リリースなど 全体招致活動は行政、つまり、市の観光課が推進する。3.方や、民間でできることは、一つ一つの企業、市民がホスピタリティー サービス=おもてなしの心 を実践する。以上のPOINTの説明があった。間にアドバイザーとして出席していた、弘前大学・人文学部教授の保田宗良(やすた、むねよし)氏から、マーケット戦略の立場からコメントがあり、1、数値にしろ、現状把握にしろ、事実認定が甘いと全ての判断が狂う2、マーケットが拡大しないことは、人口減少により明らか。 オンリー・ワンを狙うと言うことは、人がやらないことをやるということ。 高山から学ぶことはよいが、真似をするだけでは、差別化に繋がらない。3、私は国立大学の教授として、学生の就職を企業に直接お願いをしている。 行政のトップは、セールス・マンであるべきだ。この先生、青森に赴任して青森の人を嫁さんにして17年在住しているそうです。青森県の人材獲得は、この手ですよ。特に、医学部なんかは、津軽美人の嫁さん付で、土着率を高めなきゃ。4言語とは、英語、ハングル、中国繁体字、中国簡体字。繁体字は台湾系、簡体字は中国本土系だそうです。今夜は、よしこさんが晩御飯作ってくれて、JiJiに三万円置いてってくれたので、まず、携帯電話つなごうかな。これは、お布施ではありませんよ。前に、キャンペーンで売った、レダシルマのブレスレットの代金の残額ですよ。明日は又、病院に行って、点滴だぁ。
2007.01.28
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今年はこのまま暖冬だそうです。つづらごで、体力勝負の仕事ができないJiJiにとって、ありがたい冬となりました。しかし、スキー場、雪祭りイベントを組んでいる所は、大問題。それに除排雪を業務委託されている業者や、行政サイドも困ったものです。今年の予算残れば、国に補助金返すのかなぁ。業者は、あと150センチ降らないと契約満額から、減額されるそうです。青森市は唯一の特別豪雪地域に指定されているとか。確かにいざ、降ったら「お助けくださいお代官様」だよね。東奥日報23面にねぶたの里で「かまくら村」今年も開設、台湾から20名の団体観光客が、角まきを着て楽しむ、なんて記事が出てるよ。あそこはやっぱり、山に近いから、雪があるんだよ。大きな滑り台も作ったから、そりもって子供と一緒に遊びましょう。カーリング女子。スウェーデンを破って銅メダル獲得。良かったね。日本の現状のモラル・ハザードは何故起きたか。戦後のGHQ体制の後遺症。そろそろリセットできる時期になった。「国家の品格」が売れてるんだから、まんざらでもないよ。日本の経済成長を支えてきた、中央集権体制。終身雇用、年功序列、官僚主義、天下り。天下りを批判するのは、簡単だけど、それに変わるシステムやトータルな国づくりプランもなしに、ドロナワ方式では益々、金がかかるよ。日本のマスコミは程度が低すぎる。今や、民主主義も主権在民もマスコミに左右されておる。世論とは、ジャーナリズムが作っているようなもんじゃ。自由と放埓を勘違いしている、平和ボケ国民に迎合する、視聴率稼ぎのワイドショーは、もっとプライドを持たなきゃいかん。天下り、と談合。諸悪の根源のように言われてるけど、何故そうなったのか、何が悪いのか。そしてどうすれば良いのか。ただ、悪人探しばかりやるのではなく、マスコミという第二権力だからこそ、そこまでやらなきゃ、興味本位で見ている、あほ視聴者に迎合していることになる。あなたが、土建屋の社長の立場に立って考えてみるとわかりますよ。この世は「論理」や「善悪」だけで片付かないことがいっぱい、いっぱいあるんですよ。へばぁ、まだ、のう。いいでば、英語塾、ねぶたの里でやってくれないかなぁ。「山さ、ゆぎ、がっぱど、降ったネ」って、これ英語にするとどうなるんだべなぁ。
2007.01.27
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アパ・ホテル耐震偽造。構造計算を偽造したんだから、間違いない。但し、構造計算というのは、許容値があって、必ずしも安全を保証するものではない。応力の計算は単純ではないし、どのような負荷が、どのベクトルでかかるかによって異なるので建築確認が降りたからといって、絶対安全なのではない。ただ、常識的なことを守れば、こんなにおかしいことには、ならない。データを改竄する、というモラルの問題。それをチェックできない、行政の怠慢。モラル・ハザード。不二家、モラル・ハザード。学校給食を払わない親たち。モラル・ハザード。人殺しをするやつ。動物以下のたちの悪いやつ。PKO活動は、国連の要請によって行くべきであり、アメリカのリクエストでは、駄目です。国と国が交戦するのは、「戦争」と言います。国でないものが、武力を行使すれば、それをテロと言います。先回のイラクには、自衛隊はオランダ軍に守られながら、PKO活動したんです。そこまでいいんですけど、相手が銃撃してきても、撃ち返せないんですよ。正当防衛もできない自衛隊員の身、家族の立場を考えたら、あそこで死んだら、犬死ですよ。核保有論とは別なんですよ。核兵器は根絶しなければならないし唯一の被爆国だから、その意味が深いのです。国会議員のなかにも、色んな議論はあってもよいと言う人がいるが、こと核保有に関しては議論の余地があってはならない。これは、人間としての「理性」の問題です。スーパー・モーニング。又、鉾田の馬鹿町議の問題です。結局、市議、町議は土建屋のオヤジの利益誘導が議員になる動機だから、セクハラとか、経費不正使用とか言ってもぴんとこないんじゃないのかな。おっぱい掴んで、「ポーズとって楽しくやってました」って言うけど、それなら、プライベートの時間に、それなりのところで、遊んでよ。それより、あの人たち何を視察してたのかな。11月の電気料金の未払いのため、今日電力供給停止の予定でした。弟に夜間支払いを頼んで電気がついてます。携帯電話も昨日から止まりました。25日に失業認定受けたので、2月始めには、20万位入金になるはずです。携帯はそれまで、娘も使えない。明日は、弘前パークホテルで観光フォーラムです。夜のパーティーもあるので、宿泊です。
2007.01.26
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23日に商工会議所の会議があって、ねぶたの里の代表代理として出席した。挨拶があったので、現在のねぶたの里の現状について話したら、会議が終わって、取材をされた。24日朝刊4面にでとるで。こういうことなら、カメラ目線の写真持ってればよかったかいな。今朝、4時から起きてるよ。又、朝ズバ! みのもんた、また怒ってる。国民投票法案。整備法案としてはないほうが、不思議なくらいのもんだけど、敗戦国としてはどうしても、憲法第9条だよね。防衛庁が防衛省になるのは、いいんじゃないの。久間サンだっけ。JiJi好きだよあのひと。大体、自衛隊が軍隊なのは、言わなくたって、誰でもしってるし、小泉時代には、解釈論で、PKO活動に行くんだから、日本には、原爆が落とされて、不戦の誓いの憲法第9条があるんだから、これ以上は、お付き合いできません。っていうのが賢い立場なんじゃないのかな。民主主義の危険は「国家の品格」にも書かれてるよ。衆愚政治じゃだめだから、議員代表制にしてるんだろ。それじゃ、ある意味、国民投票っていうのは、危険じゃないのかな。ま、議員の資質もだいぶ問題じゃがの。やはり、武士道が大事じゃ。惻隠の情が大事じゃ。国語が大事じゃ。卑怯を教えなければならない。みの、が又怒った。学校給食費はらえ。NHKの受信料払え。議員の領収書を全部付けろ。JiJiが受信料を滞納してるのは払えないからで、払いたくないと言っているのではない。お間違えなく。ただし、善悪の問題ではなく、国に「機密費」ぐらいないと解決するものも、解決しないんじゃないのかな。外交は相手があるのだから、論理だけでも、善悪だけでもだめでしょ。ま、天下国家より、自分のビジネスじゃ。みんな、今日も頑張ろう。
2007.01.25
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つづらごで、風呂に入ってなかったから、JiJiが臭くなっちゃった。今日は思い切って、ガーゼも絆創膏も全部取って、ザップリ湯に浸かったよ。新聞にセンター試験の問題載ってたから、少し、やってみたけど、50%がやっとですね。数学や物理はおそらく、0点でしょう。今日は、昼に従兄弟夫婦がたづねてきて、病気見舞いを頂戴しました。JiJiってなんとなく、こうやって生きていくんですね。これから、宿題をやりますよ。昨日、「国家の品格」をもう一度読み直して、わが社の社是を作りました。株式会社ケアプラスあおもり「社是」「理を以って決し、義を以って断ず、 人を以って興し、情けを以って治めしむる。」なんと言うことはない。「義理、人情」しかし、ヤクザのような美しい社是であるなぁ。世の中55年体制以降の膿だし、システムの金属疲労の再構築。そして、心の入れ替え。いずれにせよ、団塊の世代が何かの役割をはたすはずだ。彼らには、世代の架け橋となる義務があり、素質がある。「国家の品格」が売れてるようだから、JiJiが「企業の品格」でも書いたら、売れるかもよ。・・・・売れないか。
2007.01.21
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つづらご、帯状疱疹のこと。東北では「つづらご」英語は「這う」という意味のギリシャ語が語源とされる、「ヘルペス」。ヘルペス・ウィルスが神経節に沿って帯状にはしり、痛みを伴い、発疹する。2週間程度の初期の段階で、悪化させないことが大事。帯状疱疹後神経痛になると、死ぬこともある。現代の医学でも、原因はとくていされていないが、40代を過ぎて、抵抗力が弱まってくると、発病しやすい。皇太子妃、まさこさまもこの病気だと、私の主治医に言われた。JiJiはひょっとして、高貴な生まれかも知れぬ。私は左腕に二箇所、ボツボツと赤く、発疹して痛がゆい。時々、胸元のビリッと神経が病む。黒くなって、瘡蓋が取れると、快方に向かうという。藤原正彦「国家の品格」ジャスコの成田本店で私が一冊買った。あと、残り4冊でした。5日ほど在庫切れして10冊おととい入荷してもうこれだ。300万部売れるかもよ。表紙のことばより、日本は世界で唯一の「情緒と形の文明」である。国際化という名のアメリカ化に踊らされてきた日本人は、この誇るべき「国柄」を長らく忘れてきた。「論理」と「合理性」頼みの「改革」では、社会の荒廃を食い止める事はできない。今日本に必要なのは、論理よりも情緒、英語よりも国語、民主主義よりも武士道精神であり、「国家の品格」を取り戻すことである。全ての日本人に誇りと自信を与える画期的提言。不二家は銀座に本社があるそうで、サーティー・ワンも、だから、アンパンマンさえ、パテント継承できればなんとかなるかもよ。
2007.01.20
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今日のスーパーモーニング。鎌田市の議員が視察旅行で小牧温泉に宿泊して、懇親会でバスガイドのおっぱい触ったとか、それを直撃インタビューしに行った、ディレクターを跳ね飛ばした、とか。マスコミのステロタイプ。マスコミの暴力。あほおばサンのための、女性にばかり味方する視聴率稼ぎの、正義の見方を自己演出する我田引水番組。大体、英雄色を好む、はナポレオンの昔から決まっているのじゃ。議員もどうせ私費で楽しむんだったら、その道のコンパニオンを呼んで楽しんでれば、おっぱい触ったぐらいで、問題になることはないし、そんなことより、視察の反省会をしろよ。(温泉地のコンパニオンもハッキリ言って品揃えが悪い)バスガイドも間接的には、そこの経営者に迷惑をかけているのじゃ。本人は羞恥の被害者を演じているが、一年もあとに、告発もせずに、テレビに出ているってことは、マスコミに金を掴まされて、悲劇のヒロインを演じているとかんぐられても、いたし方ないではないか。セクハラというのは、女性がそう思えば、セクハラなのじゃ。だからこそ、恥をしのんでの告発罪なのじゃ。恋は駆け引き。ハンカチ一枚敷いたか否かで強姦罪が左右されるのじゃ。なんでも女性の言とおりだったら、悪用する詐欺がいっぱいでてくるし、そんなに危ない世界なら男は誰も女にちょっかい出せないではないか。結婚は両性の合意にも基づくものでもあるが、お互いの錯覚に基づくものでもあるのだ。お出かけの時間だから、また明日。不二家問題もやろう。藤原正彦の「国家の品格」を読んでくれ。さっぱり、痛快であるぞ。
2007.01.19
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今日よしこに電話したら、熱が九度以上あがって、うんうん、うなってた。これは、座薬二本ぐらい打って、まず熱を下げなきゃだめだ。南七星、うらを返せば「北」なんじゃよ。これだけ、わかりやすいコード・ネームはないじゃろ。最近は、八甲田トンネルの立ち入り禁止区域に入って、なにやら、仕掛けをしてきたらしい。新幹線が開通してから、10年後あたりに、交渉人を指名してゲームをするかもしれん。青函コンミューンで独立を企画しておるのじゃが、JiJiのこのこの構想に感ずいて、阻止しようとしておるのかも知れん。今日モルモン教の若い女が二人きて、神がJiJiを愛してるって言うから、愛より、金をくれっていってやった。結局、神学の立場から、神えの信仰を語ったら玄関で30分も経っていた。旧約聖書にあるではないか。あなたは誰ですか、とモーゼが問うたら、「私は在って、在るものである」と言っているのだ。これは、実存論ではなく、実在論なのだ。神を「人智を超えた存在である」と定義すれば、神は、現世の論理において、いささかの矛盾もなく、「存在する」のである。それは、目に見え、形あるものとしての実存ではない。神はあなたとともにある。あらゆるものには、「仏性」が宿っている。信仰というのは、神をあちらの置いて、自分を拝むことなのじゃ。すなわち、信ずるものは救われる。ポジティブ・シンキング・マイナスはマイナスしか生まない。これは因果律なのじゃ。「善因楽果・悪因悪果」すなわち、幸せのブーメラン現象じゃ。これを、浄土門では「往生回向、還相回向」というのじゃ。
2007.01.17
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今日は、みんなJiJiの家にきてもらって、よってたかって、JiJiのブログの体裁を変えてくれたのじゃ。有難いことよのう。ところで、南くんは、ジャンバーとコードを忘れ、15は、カクタスの葉っぱを忘れ、これは、又JiJiのところに、遊びに来たいってことかな。ホップ君は、一番心配しておったが、就職決まって良かったのう。なにしろ、うちの第一秘書だから、県庁の星になるかどうか、しばらく頑張ってくれや。ワシは、その間、本町の星になって、よしこといちゃついておる。第一秘書、茶碗あらってくれてありがとよ。UTAKOも決まるといいね。わしの事務所は、コミュニティーの「場」じゃから、いつでも、おいで。今度、鍋祭りやろうね。今日は、教授が居なくて残念。今度わしのオフィスも見てやってくれ。金魚が入院してるのが心配じゃ。きっと、えさを食いすぎたのじゃろう。ディズニー君はどうしているだろう。又、ローコスト・ツアーを企画してるのかな。としを様は、じっくりやりましょう。待てば、海路の日和あり。Bとは恐れ入った。JiJiは今ボンビーだけど、皆の情けは忘れん。ワシは、義理と人情。任侠道で生きておるでの。桜の花が咲く頃には、ちょっとしたもんになっておる。そんときゃ、ノーパン・しゃぶしゃぶパーティーじゃ。まぁ、パンツぐらいは穿いて来てくれ。又朝になれば、点滴じゃ。ワシャ、寝るぞ。みんな、お休み。みなの情けに枕を濡らしながら、ホジオドシテ、寝る。南無阿弥陀仏 合掌
2007.01.16
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菩薩様の次は、エンジェルでした。友人の会社の女の子が、昨日お休みだから、JiJiにアイスクリーム持ってきてくれたよ。ありがたや。それが、ハーゲンダッツ。ハゲ、じゃないよ。それとシュークリーム。今朝はホッケの生干しを焼いて、貝焼き味噌。焼き海苔。豆腐とわかめの味噌汁。教授が7,000アクセス間じかというのに、JiJiはやっと1,000を超えましたよ。しかし、いまだにJiJiはこの、ブログなるものが良く分からん。つぶやき、か?つづらご、は勢いが衰えてきたが、まだ赤い。これが黒い、カサブタになってポロポロ取れてくるといいんだって。しかし、できものより、包帯を止めている絆創膏というかテープというかそっちのほうが、かゆくて、かゆくて左腕の間接をまたいで、二箇所なので、毎日右腕に点滴注射するので血管が硬くなってきて、針が通らなくなってきた。それに、風呂に入れないから、JiJi臭いんじゃなくて、JiJiが臭いぞ。明日またJMTCだから、左腕あげたままで、風呂に入ってからいくぞ。それから、ファブリーズ消臭だ。そろそろビールが飲みたくなってきた。よしこチャンにもあいたくなってきた。ところが、よしこは、リンパが腫れて、ダウンしたのだ。南君、JiJiのところに遊びにきて、ブログに写真入れるの教えてくれ。まじめに仕事してる場合ではないぞ。しかし、明日雪片付けをすべきかどうか、これが問題じゃ。明日で、つづらごの薬が切れる。これが保険効かせても6,000円だ。財布に1,730円しかないのじゃ。病院にツケがきくのかな。今月末じゃないと、失業手当が入らない。To be ,or not to be これが問題じゃ。
2007.01.15
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JiJiの家に、さっきおいでになって、桂木のお嬢様、就職が決まったそうです。昨日も、ボンビーなjijiのために、カツ弁当を差し入れしていただいたのに、今日もまた、JiJiが死んでたらまずいんじゃないかと、いっぱいおかずやら、プリンやら頂きました。こういう人を「菩薩」さまと言うんですね。それにしても つづらごって なに。神経系の病気で、昔は1周体をまわると、死ぬっていわれてたんだって。青柳の佐藤病院に行ったら、入院しろって言われたんだけど、失業中だから、家で安静にしてるってことで、毎日点滴を打つ条件で通院許可が出ました。結局、まぁ死ぬまで生きてるんですね。
2007.01.13
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ワシのラップ・トップが壊れたのじゃ。バイオのバッテリーがイカレタノジャ。それで、この際、ホーム・オフィスのデスクトップ二台のオフィスソフトを2003バージョンにしたのじゃ。これでアクセスの練習をするのじゃ。昨日よしこちゃんの所に、弟と二人で飲みにいって、サイモンとガーファンクルのレパートリーをハモリまくってきたのじゃ。最強のブラザーズ・デュオ。おかげで、今日は徹夜で原稿書きじゃ。年賀状、何名さまからかいただきましたが、じじは、年賀状出さない人なので悪しからず。何故、出さないかというと、「継続できないことは、やらない」主義だからです。明日から、またビジネスじゃ。今年はがっぽり儲けて、エーゲ海じゃ。韓国には、よしこちゃんと一緒に金のマイ・鋏みを持っていって高級カルビをチョキチョキやるのじゃ。にいきたいやつは、お布施が肝心じゃ。オッほほほ!また明日は、JMTCじや。明日は、商談が10:00からあるので、たぶん30分くらい遅れるであろう。
2007.01.03
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今年は失業中だから、年末年始は家にいるのじゃ。ここ5~6年は、元日から初売りだったので、むつのホテルに泊まっていたのじゃ。今日は、半纏着て、ねぶた囃子を若衆が演奏してお水取り場、水源池、ねぶた会館、成功哲学十三佛、ねぶた観音などをお参りしたのじゃ。なかなか風情があってよかったよ。来年は、これをイベントにするのじゃ。阿弥陀立佞武多も頭と胴体ができていたのじゃ。これが来年の目玉商品。阿弥陀様に願掛けまつり。合格祈願、金運必盛、除災招福、安産祈願、交通安全、家内安全、健康長寿、商売繁盛・・なんでもござれ。阿弥陀立佞武多の、お顔がとても良いので、写真見せたいんだけど、残念ながら写真を貼り付ける、技がないのじゃ。皆さん、良いお年を、ABAYOU!
2006.12.30
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青い森のナリコさん、4000アクセスおめでとうございます。JiJiは、ホームオフィスのパソコンから、どうやってログ/インするのか分らず、脱落しておったのじゃ。って云うか、殆どコミュニティー・ビジネスの研究で忙しくて、毎日徹夜状態。今日お気に入りに登録したから、明日また生きているかも知れん。JiJiはボンビーで、今年の紅白は、缶ビール飲めるかどうか分らん。ただ、JiJiよりも心配なのが一人おる。JiJiは、来年桜咲く頃には、ちょっとしたもんになってるかもよ。はよ、よしこちゃんとエーゲ海に行きたいのう。今日は眠いから、仏法の話は又今度じゃ。おやすみ。
2006.12.17
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男たちの大和見たのじゃ。従姉妹が特典CD付の奴を買ったのでパクッテ見たのじゃ。長島一茂もいい感じであったよ。日本がABCD包囲網で経済封鎖されたので、開戦に踏み切るしかなかったのじゃ。第一次世界大戦でアメリカはイギリスに加担したが見返りが無かった。米国民は戦争に辟易していた。ルーズベルトは元々軍人じゃが「私の任期中には戦争をしない」ことを選挙公約に掲げて大統領になったのじゃ。だからドイツが英仏を攻め、ロシアに侵攻した時にあせったのじゃ。「このままでは共産主義者に世界のへゲモニー(覇権主義)(主導権)を握られてしまう」そこでなんとかして参戦するきっかけを作ろうとしていたのじゃ。日本も脅威であった。日清・日露で世界の大国と戦争して勝利し日独伊三国同盟を結んで帝國主義を突っ走っておる。経済制裁はするわ、ハル・ノートは突きつけるわ、嫌がらせの限りを尽くす。日本は油を止められたら得意の海軍力を発揮できない。そこで真珠湾を先制攻撃する。オランダ、オーストラリアから連絡が入ってルーズベルトは知っていたのに、知らないふりをしていた。アメリカ国民はJustice=正義の国じゃから、ならず者は許さない。憎っくきジャップという事で、国民の支持を得てルーズベルトは大手を振って戦争ができることになったのじゃ。戦艦大和は大艦巨砲主義の完成品である。しかし、皮肉なことに真珠湾攻撃によって戦略兵器が船から飛行機に変わってしまうことを日本はアメリカに教えてしまったのじゃ。真珠湾以降アメリカは三ヶ月で空母を大量に生産している。泥水すすり、草を噛んでも所詮勝てない戦じゃったのじゃ。歴史にタラ,レバはないが、真珠湾攻撃で第二アタックをしなかったのは致命的な戦略ミスじゃ。陛下より賜った大切な兵器を無駄にしてはいけないと、石油備蓄庫に爆弾投下せずに引き上げてしまったのじゃ。愚か者め!
2006.11.10
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相手の立場に立ってものを考えると言うのは、自分を殺すことでは無いし妥協することでもないのじゃ。何度も言っておるが「人間は社会的動物」じゃ。人と人の間にリレーションがあるからには、「約束」ごとを決めなければならん。人間は「理性」を持っているから他の動物と大きく異なり地球上での生物の頂点にいるのじゃ。「理性」とは「感情」や「本能」、「知性」をコントロールして「善・悪」を判断するものじゃ。原始動物世界には「理性」は存在しない。「弱肉強食」と「適者生存」の法則によって動いておる。人間が神(人智を超える創造主)から与えられた最も偉大な能力は「心象」をコントロールする「理性」なのじゃ。では「善・悪」は誰が決めるのか。それは皆が決めるのじゃ。自分と他人は同事(おなじ)なのじゃ。人はみな自分が一番大事だと思っておる。これは「種の保存」という動物としての本能からきている。人間は社会を維持していくために「政治」と「経済」を持ち込んだ。自分の権利を守る事は、即ち相手の権利を保証することなのじゃ。法は運用にある。心の働きまでは誰もが客観視できる法律は作れないのじゃ。宇宙も自然も人間関係も全てはバランスで成り立っておる。利他の精神や報徳の精神は仏法でいう、「慈悲」の心である。損得に自分の心が働けば、損得により自分に帰ってくるのじゃ。善因は善果を産む。「利他行」とは自分を殺すことではない。休み時間が終わるから、また今度じゃ。
2006.11.09
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いじめの問題は、複雑じゃ。原因を特定しにくい。様々な要因が交じり合って起きているのじゃ。歴史の大きな観点から言うと、「戦後GHQ体制・去勢政治」の成果と言えよう。現代の精神的荒廃は戦後体制、更には明治維新まで遡って考察しなければ、ビジョンが見えてこないのじゃ。イジメにしても自殺にしても、既に「誰が悪い」とか犯人探しをしている場合ではないのじゃ。日本人は誰でもアジアの一員だと思っているけれども、アジアの人々は日本人は侵略者で悪い奴だと教えられている。日本再構築の時期なのじゃ。「国歌」とは、「家族」とは、「教育・躾」とは、「恋愛・結婚」とは何か、もう一度過去の親の時代感覚ではなく自分たちの考え、価値観に基づいて再構築しなければならないのじゃ。「国歌」君が代も歌わず、「国旗」日の丸も掲揚しない国民が愛国心などもてるのだろうか。そんな国民が、いくら与えられた憲法とは言え「憲法改正論議」をするにはあまりに未成熟ではないじゃろうか。子供の教育に「共働き」の環境が大きく影響しておるのは間違いないことじゃ。日本再構築の根本は「愛」と「奉仕」の心じゃ。その根本は小学校までの家庭の躾と教育にあるのじゃ。母親がいないのは特に悪い。前にも言ったが、子供は理性を持って生まれてこない。善・悪の判断が無い状態で生まれてくる。「ごめんなさい」「ありがとう」と言う人間の基本をはじめに教えるのは親の義務なのじゃ。人間は社会的動物じゃから「挨拶」ができないと、ただの「動物」じゃ。相手の立場でものを考えることができなければ、「相互の自由と権利」は守れない。先ず、「食べ物を粗末にしないこと」と「靴を揃えて脱ぐ」ことを躾よう。
2006.11.07
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金次郎は、役人は金治郎と書いていたのじゃ。何故かはわからんが、本人は金次郎と書いておる。幼少の頃より、父親の影響で「論語」や「大学」を読んで勉強大好きの金次郎は、自家の再興のみならず、本家の再興をなし、それが評判になって、武家の再興、村の再興、藩の再興、幕府の再興へと実力を発揮していく。自ら進んでやったのは本家の再興までで、それ以降は幾度となく断った上で承知している。これは格好つけていた訳ではなく、江戸三大飢饉(津軽ではケガヅと言う)の中、天明の飢饉では自家を水害でやられており、後に「仕法」と尊徳が名づけた経済再興政策もよほどの覚悟で取り組まなければならない時代であったのじゃ。それに、百姓である金次郎が武士に三顧の礼を尽くして頼まれたら断る訳には行かなかったのじゃ。金次郎がお上の命令とは言え、他国の仕法をやると言うことは、並大抵の苦労ではなかった。先んじて下命されて失敗した武士にしてみれば、百姓の分際で成功されたら、面目が立たない。反対派の村人を使って邪魔をしたり、良くない風評を流したりしたのじゃ。民、百姓にしてみても、無為無策な役人に対する不信感は根強く、飢饉の度に年貢の増税とあって人心は乱れ荒廃していた。金次郎は言わば役人の回し者であり、よそ者であった。おらたちが一生懸命やっても駄目なものが、学問好きのよそ者になにができる。土地の荒廃を視察した上で年貢米を半分にすると、あいつは役人の回し者だからあんなことができるんだ。騙されるな。そんな事情もあって、初めて他村の仕法を下命されたときは、女房から三行半を突きつけられて離婚しておる。可哀想じゃのう。
2006.11.04
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今の子供達は可愛そうじゃのう。昔は至る所に土があった。広場があった。ガキ大将がいた。虫がいた。蛙がいた。トンボがいた。川があり、田んぼがあった。夕暮れ時になるとおっかぁが晩飯だと言って迎えに来た。悪戯をすると近所の大人たちが誰の子でも叱ってくれた。いまの世の中は無機質なのじゃ。人間は社会的動物であるのに、即ち人と人とがコミニュケーションして生きていかなくちゃならないのに、それがどんどんなくなってきたのじゃ。異年齢集団の学習体験は特に大事じゃ。広場で小さい女の子や小学校の高学年まで、男女入り混じって遊んだ経験が大人になるプロセスとしては、非常に大事なのじゃ。おしくら饅頭で体力のない女の子が泣き出したら、ガキ大将が特別ルールを作ったり、みんなで今日の遊びを何にするか話し合ったり。そこには学校の知識教育の優劣は通用しない。擬似民主主義の世界であり、思いやりの学習の場である。男と女の違いを学習する場であり、真のリーダーシップとは何かを学習する場である。子供のけんかに親が入ってはいけないのは、こういった、擬似民主制をしっかり学習させるためである。子供達はこのときに暴力の「加減」を学習する。喧嘩の暗黙のルールを学ぶのじゃ。馬鹿な親御さんが「うちの子は一度も叩いたことがない。」と誇らしげに語っているのを見かけるが、そういう子が「まさか、あの子が」と言った事件をおこしているのじゃ。子供は原始動物の状態で生まれてくるので、小学校の低年齢(言葉で言っても判らない年齢)は、叩いて躾なければならないのじゃ。そこに親の権威を確立するのじゃ。教育とは半端じゃ出来ない。ある意味「洗脳」なのじゃ。
2006.11.02
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現役教師が朝ズバで訴えていた。「バラエティ番組でお笑いの若手の頭を叩いたり、蹴飛ばしたり、プライベートを暴露したり、それを先輩の兄貴分タレントがそばで冷笑して見ている。彼らはそれが仕事であるから、お互いの了解でやっているからまだいいが、それを見ている子供達の教育にはまったく悪影響だ。」その通りじゃのう。今のお笑い系タレントはなかなか高学歴じゃ。民間企業が面白くないので、ちょっと頭のよい奴はお笑いに行く。吉本興業には東大出が数人いてマネジャー修行をしておる。昔からドツキ漫才はあったのじゃ。コント55号だってそうじゃ。けれどもそれは、あくまでコンビの中でのネタ。ブラウン管の外での先輩,後輩のけじめや力関係はもちろんあったじゃろうが、それがネタとして出されることはまず無かった。あるとすれば成功と名声を得た芸人の、若い時の苦労話として披瀝される程度であったのじゃ。今のイジメは陰湿じゃ。無自覚的集団意識じゃ。加害者にならなければ、即被害者になるほか無い。それを深刻に考えると毎日の精神状態のバランスが保てないから、慣れてしまうように自分を追い込む。戦後のGHQ政策で日本人には「父性」が喪失してしまった。先生も、お回りさんも、近所のおばはんも、ついでにお父さんも誰も怖くない。「志」を支えているのは貧困体験とか利他的精神じゃ。日本の教育ももう一度「儒教的倫理道徳」教育をやらないといかん。つまり、親の言うことを良く聞き、年寄りを敬い、大事にする社会じゃ。これは子供だけじゃ、間に合わない。親と子供のサンドイッチでやらにゃいかんのう。
2006.11.01
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江戸後期、天保の改革に取り組んだのが、老中水野忠邦じゃ。それを手伝ったのが、小田原の百姓から農政改革の手腕を買われて武士の資格を与えられていた、二宮金次郎じゃ。後世になって尊徳という。終戦後までは、どこの学校に行っても天皇陛下のご真影と二ノ宮金次郎の石像があったのじゃ。金次郎の像は、薪を背負いながら読書する、という今では危なくてお勧めできない勉強の姿じゃ。金次郎は、戦中の「全体主義」・「勤勉」「忍耐」「従順」の象徴とされてしまったのじゃ。金次郎の逸材ぶりは、あの時代にあって、「農本主義」「民主主義」「男女平等」「報徳主義」など近代国家に必要な思想や哲学を持っていたことじゃ。それは彼が14歳の時に病に倒れて亡くなった父親の教育に拠るところが大きい。幼少の頃より、父親から「論語」「大学」など儒教的な教育を受けて育ったのじゃ。それと自ら進んで人に尽くすことを、父の人々に接する態度から学んでおる。 今の子供達のイジメ、自殺、引きこもりなどの問題は、翻せば親の、大人たちの問題の投影なのじゃ。その親世代の代表が、わしらの年代なのじゃ。高度経済成長時代にあって、消費は美徳,躾はパー!学生時代はバリ封鎖でマージャン・パチンコ・酒・たばこ。 誠に、申し訳ございません。今の子供達の悪いところは、すべてわしたち、親の責任でございますのじゃ。だからわしは、仏法を広めておるのじゃ。仏法は実践であり、科学であり、哲学であり、宗教でもあるのじゃ。
2006.10.31
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葬式が終わると、ご住職に「お布施でございます。」と言って、何がしかの金銭を渡すのが一般的ですね。「お布施はいくらですか、はっきりしてくださいよ」「お心しだいで結構ですよ」なんて言われても、少なく渡してお勤めをいい加減にすまされたらかなわない。現代では葬式仏教しか残っておらんので、お布施の意味が誤解されて伝わっておるのじゃ。布施とは、悟りを啓くための修行のひとつで「布施波羅蜜」という「行」なのじゃ。人間は欲によって苦しむ。愛は渇愛であり、執着であり、無常の世にあって常住、不変を望むから苦しい。だから、その「欲」を取ってもらうために自分の所有物、金品を施して同時に人のため、世のためにお返しして役立てていただく。これが、布施行の考え方じゃ。恵んでやる、とか施してやる、ではないのじゃ。お布施させて頂きます、なのじゃ。これをインド語でダーナという。これが転じて旦那、檀那となって、乞食が物乞いするときの語り口になったと言われておる。布施とは元々、何かをしてもらったお返しにすることではない。無償の愛、即ち慈悲なのじゃ。現代の坊主の法事は経済行為=職業だから、法事料はいくらと決めればよいのじゃ。殆どの人が仏教に帰依して法事をしているのでもなく、もともと釈尊は葬式だの法事だのと、一言も言っておらん。これは中国から伝わった時に儒教的要素が加わったためなのじゃ。親孝行と先祖供養は儒教の専売特許じゃからの。今はお坊さんも若いから、はっきり「料金」として聞いたほうが宜しかろう。
2006.10.30
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バラモン(司祭者)・クシャトリア(王侯、武士)・ヴァイシャ(庶民)・シュウードラ(隷属民)、これがヴァルナ(四姓)制度の階級じゃ。世襲制度だから「奴隷」に生まれてくると、一生奴隷なのじゃ。バラモンは、人生を4段階に分けて考える、「四住期」という習慣を理想としていたのじゃよ。師の元でヴェーダを学ぶ「学生期」、結婚して後継者をもうける「家住期」、出家隠遁する「林住期」、最晩年、旅の途で死ぬことを目的とした「遊行期」の4期なのじゃ。一方、「沙門」と呼ばれた、新しい思想家は年齢に拘わらず出家し、森林や洞窟などに住み、施食を受けて修行に励んだのじゃ。ゴータマはどうやら、この沙門の影響を受けて出家したらしい。妻子を捨てて出家したのじゃから、とんでもない奴じゃのう。ところが、考えようによっては、王子様だから、妻子を残して出家できたとも言えるのじゃよ。ある意味贅沢なのじゃよ。まぁ、しかし、無一文になって、断食やら荒行、難業をするのだから、ご立派なことよのう。
2006.10.27
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釈尊」は七人」目の過去佛と言われる。過去佛がいると言うことは、未来佛もあると言うことじゃ。釈尊が入滅してから56億7,000万年後の未来に我々衆生をお救い下さるために、今は兜卒天(とそつてん)にあって修行をしておられる菩薩様を「弥勒菩薩」と言うのじゃ。菩薩と言うのは、仏陀(悟りを啓く)になるための修行をしているものを言うのじゃ。昔は「出家者」に対して言ったものじゃが、大乗仏教的にはみな菩薩じゃ。梵語(サンスクリット語)で弥勒菩薩はマイトレーイヤと言う。釈尊の時代では、出家して自らが悟りを啓いて解脱するために修行をしたのじゃ。それにたいして、在家でも修行できるし、自分の救済だけでなくみんなの(苦からの)救済のために「布施=行」を行うことが大切だとしたのが、「大乗仏教」じゃ。大乗というのは大きな乗り物と言う意味で狭い小乗の徒を馬鹿にして言った物なのじゃ。今はそれは差別用語だと言うことで「部派仏教」とか「上座部仏教」と言うんじゃよ。さて、お釈迦様、当時は「ゴータマ・シッダールダ」は釈迦族の王子様だったのに何故、妻子を捨てて出家したのでしょうね。
2006.10.26
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死にたくない、歳をとりたくない、病気になりたくない。生まれてきちゃったことはしょうがないとしても、生きていくって事は、大変じゃのう。「人間は社会的動物である」って言うじゃろ。渡る世間は、、、じゃないが人と人の間にも「苦」があるのじゃよ。たとえば「愛する者との別れ」「会いたい人に会えない」これを「愛別離苦」と言うんじゃ。次に会いたくない奴に会っちゃう「怨憎会苦」。欲しいものが手に入らない、大事にしているものが奪われる「求不得苦」。そして自分の体(五感)が自分では如何ともしがたいという「五蘊盛苦」。この四つを足して八苦なのじゃ。最後の「五蘊盛苦」は前の七つの「苦」の総合と言う説もある。仏教では「愛してはならぬ」と教える。「愛」は「渇愛」である。喉が渇くからと言って、塩水を飲めば飲むほど喉が渇く。「愛」は「執着」(しゅうじゃく)であり、これが「苦」の根源である。四苦・4×9=36苦、八苦・8×9=72苦、合わせて108苦。これが「煩悩」の数と言われておる。除夜の鐘が百八つであるのは、この煩悩を祓って「無病息災」を祈念するためなのじゃよ。
2006.10.25
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本日はブログ第一話じゃ。よく、金も暇もなくて四苦八苦しているというのを聞くじゃろ。これは仏教から来ているのじゃ。インドではお釈迦様が生まれる前から、「輪廻説」というのがあって、人は生まれ代わり、死に代わりして何度もあの世とこの世を行ったり来たりするのじゃ。「一切皆苦」とされるのこの世に生まれ変わらないためには「解脱(真理を悟る)」して涅槃」に入るしかないのじゃ。悟りを啓いて涅槃に入った人を「仏陀」と言うのじゃ。涅槃に入ると、もう「苦」の現世に生まれ変わることはないのじゃ。この世に生まれて来るということは「苦」が始まると言うことなのじゃ。「苦」とは「欲」の裏側じゃ。そうでありたくない、と執着するから「苦」が生ずるのじゃ。
2006.10.24
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