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"うさはな"こと、かおりのために作成していただいた森川さまのライアーを、11月下旬には札幌に送っていただいていたのですが、載せるのが遅くなり申し訳ありませんでした。姉の私は、叔母の音楽教室の手伝いのため、9月からカナダのケベック州に、いっておりました。12月上旬には、戻る予定でしたが、ケベックでの仕事のために遅くなり、12月26日、ケベックのクリスマスコンサート終了後に札幌に戻ってまいりました。帰札後、札幌でかおりがお世話になっていた教会関係の方への挨拶、私はケベックに行く前にしていた音楽関係の仕事の整理(またケベックに戻りますので)で追われて、このホームページに載せるのが、遅くなってしまいました。ライアーを作成していただいた森川様、本当にありがとうございます。森川様から作成していただいたライアーの写真を載せさせていただきます。 ライアーにはかおりの洗礼名のマリアの名前もいれていただいておりましたので、先日、ライアーを教会に持参して、神父さまに祝福をいただきました。仕事場(音楽教室ですが)はケベックでしたが、日本の稚内と同じ緯度にあります。寒暖の差が激しく、冬は-20度以下になります。いま住んでいるのは、ケベック近くのサンタンヌ・ド・ボープレ(北米三大巡礼地の一つです)ですが、英語も観光地以外は通じません。フランス語(フランス語は公用語です)ですので、最初は語学学校に通っておりました。その事で、最初は買い物にも苦労しましたが、今は簡単な会話でしたら、通じるようになり安心しております。音楽関係は楽典は共通ですので、何とかなりましたが。ケベックでは音楽学校のお手伝いを兼ねていましたので、観光ビザではできず、労働ビザも取らないとだめでしたので、その事で時間がとれず、日本に戻る時間が取れませんでした。また、かおりがmixiもしていたのだと思いますが、その事にも気づかず、メールを頂いた方には、大変失礼いたしました。かおりのメールまでは確認できませんでした。改めてメールさせていただきます。1月9日には、またカナダに戻らないとなりませんので、メールを頂いても、御返事できない事があると思いますが、お許しお願いいたします。また、叔母はもう高齢で教室の仕事が難しく、その支援のため、しばらくケベックに長期滞在する事になりますので、このホームページの管理も今後難しくなると思います。今度帰札したさい、多分、夏頃と思いますが、ホームページを削除させていただきたいと思っております。大変申し訳ありませんが、その点をお許しいただくよう、お願い申し上げます。
2009.01.01
妹の”うさはな”こと、かおりのブログは削除しないとダメかしらと思っていましたけど、真記様から、削除しないですむ方法を教えていただきました。いろいろな方からもう少し残して欲しいというメールも頂きましたし、 私(かおりの姉ですけど)自身も、本当は、もう少し残しておきたかったんです。もう祖母の元に戻ってしまった妹のアドレスを削除したら、自動的に削除になると思っていたんです。 せめてKAZUKI様に、かおりがお願いした、ライアーが届くまでは残しておきたいです。ただ私も、そのうちに親戚のいるケベックに行かないとなりませんし、その後は、多分、他の家族は、誰もブログの管理をしてくれないと思いますので、その時期になりましたら、ブログは閉鎖する事をお許しください。 妹の残したスコアを整理していましたら、雑記帳が出てきました。ほとんどは、コンサートでするフルート楽曲の展開とか,各小節を、どう表現するかとかという内容でしたけどその中に、シオリをはさんだページがあって、そこには、りん様のギフト・ヒーリングの事が書いてありました。 つい読んでしまって、かおりが仕事で、こんなに悩んでしたなんで、一緒に住んでいながら、全然気がつきませんでした。 かおりは、ブログでお知り合いになった方に、心のケアでも、とてもお世話になっていたんでね。 ありがとうございます。 看護職は、感情労働ですので、もちろん、いろいろ悩みはあったんだと思いますけど、家族には何も話しませんでした。 家族、特に母は看護職につく事に反対でしたし、上の姉達も、好意的ではなかったんです。 かおりも家族の反対を押し切ってまで看護学校に入りましたので、仕事での悩みも、相談しずらかったんだと思います。 夜勤明けで戻ったかおりの、 胸と腕の傷も、転んだためという妹の言葉をそのまま信じていました。 職場で、そんな事が起こりうるなんて、考えてもみませんでした。 かおりも、なぜ音楽の道を捨ててまで、看護職の道を選んだ理由とかそれでもなお、看護職の道を歩み続けている自分を説明できなかったんだと思います。 かおりが慕っていた姪が入院していた病院の看護婦さんの仕事を観て、憧れたのはあったのかもしれませんが、それだけではなかったんだと思います。 かおりの、ギフト・ヒーリングのことをかいたページを読んで、よく分りました。 かおりん、ごめん・・もし、このページをみていたら 許して。。。
2008.06.24
このブログをしていました、うさはなこと、かおり、の30日目の追悼ミサもおわり、家族ともに、気持の整理もできました。 また、お手紙と本とジュースを頂いたさな☆さま、ありがとうございました。さな☆さまからいただいた本は、追悼ミサの前に、教会で、読んであげました。かおりの元に届いていると思います。かおり宛の手紙は、祭壇にそのまま載せてあげました。ロザリオは、かおりがいつも身につけていたものです。 小原ミチルさま、かおり宛のお手紙、お菓子、そして御香料(お線香)ありがとうございます。香料の香りが、心の疲れを癒してくれます。心の中が清められる香りでした。ありがとうございます。かおり宛の手紙には、看護学生時代にシスター様から頂いたロザリオを置いてあげました。 あと、かおりの日記にりん様(HIKARI様)この度は、かおりの希望を無視してしまいりん様には大変失礼いたしました。今になっては、この事だけが心残りです。本当にごめんなさい。。 真記様音源を何度もいただいていたんですね。ありがとうございます。最初から、とてもお世話になっていたみたいで、本当に感謝しておりました。日記にいつも真記さまのお名前がのっていましたので。。 こはる様サンキャチャーを沢山頂いたんですね。かおりは、施設訪問にもっていったみたいで、施設の方からお礼の手紙がきていました。ありがとうございます。 ☆きら☆☆さま籠に入った布人形の天使様をいただいたんですね。ありがとうございます。最後まで、かおりの側で、かおりを見守ってくれていました。 AKAMINEさま、今年、沖縄でお会いする予定だったんですね。いろいろ相談にのってあげていただいたみたいでありがとうございます。 KAZUKIさま、ライアーはこのブログに載せる事はできませんでしたけど、ブログのかおりのお友だちが、その方のブログに載せていただけるみたいで、お願いいたしました。かおりもライアーを楽しみにしていると思います。よろしくお願いいたします。 あとこのブログは妹のかおりのですので、いつまでも、残す事ができません。IDが、かおりのアドレスですので、アドレスがなくなると、自動的に削除になるみたいなんです。いつまでも、残しておきたい気持があって、そのままにしておりましたが、今度の追悼ミサがおわり、後は召天記念日の1年後になりますので、このブログを閉鎖させていただく事にしました。 いままでお世話になった皆さまには、本当にありがとうございました。感謝の気持で一杯です。改めて、かおりにかわりまして、お礼申し上げます。 しばらく、金沢にレッスンの出張で不在になりますので、22日すぎに閉鎖させていただきます事を、お許しお願いいたします。7月には、いままでかおりと一緒にすんでいましたこのマンションも引っ越す事でなりました。 真智子
2008.06.15
妹のブログに沢山のコメントをいただきありがとうござます。メールも頂きましたので、かおりの病状の経過を御報告されていただきましたので、コメントへの返事にさせていただく事をお許しください。妹は10月前の病院を退職して、新しく勤務していた病院に就職するまで、それまでの公的病院に勤務している間できなかった、施設に入所されている方達のところに、音楽を聴いていただくために地方に泊りがけでいっていた頃から、体のだるさはあったみたいでした。ただ疲れていただけだと思って、妹も家族も気にはしていませんでした。再就職先の職場検診で、前から指摘されていた貧血の他に白血球の異常を指摘され、内科で検査をうけておりました。診断がすぐついた訳ではなく、最初はいろいろな病名がいわれて、最終的に骨髄穿刺を受けて、骨髄性白血病の診断がつきました。症状は軽くて、免疫抑制剤のお薬を服用しながら仕事はできたんです。ただ免疫抑制剤を使用していると、人混みの中に行けないなどの制限もありますし、使用するお薬が増えていましたので、3月に前から担当の先生に選択枝として説明を受けていた幹細胞移植術を受ける事を、本人が決めました。私達家族も説明を受け、その治療で病気が良くなれるならと思ってお願いいたしました。4月23日に入院して、28日に幹細胞移植術を受け、その後は順調だったんです。5月7日頃から、咳き症状があって、最初は免疫抑制剤を使用していましたので、風邪と思っておりました。その後、12日頃から、呼吸困難になり、酸素を吸入しても血液中に酸素が入らなくて、呼吸器も使用しましたが、病状は改善しませんでした。6日間ぐらいの急な経過でした。診断は、間質性肺炎でした。その間、主治医の先生のグルーフの先生方も夜中まで、診て頂きました。看護師さんも、何度も病室まで来ていただいて大変お世話になりました。前の職場の看護師さんもお見舞いやお世話にきていただいて、感謝しております。15日に3日目の追悼ミサがあり、洗礼を受けた時の代母(修道院の前院長様ですが)が、遠方から、わざわざ来ていたいていただきました。7日目の追悼ミサは、教会の関係で20日になりました。真記さまには、わざわざメールまでいただきましたのに、気がつかず、御連絡が遅れて大変申し訳ありませんでした。7日目の追悼ミサが終わりましたら、またメールいただいた方に、御報告させていただきます。本来は、早速御返事差し上げるべきところですが、突然の事でしたので、妹のブログを確認する余裕がありませんでした。いまグログに載せているのも、かおりに、催促されているような気がして、報告させていただきました。ブログはしたことがなく、かおりの留守に、メールがきていないかどうか、依頼されてブログを何度か開いた程度でしたので。妹のかおりは最後まで、iPodにいれた音楽を聴いていました。“アチューズメント”という曲を聴いていました。アーティストが伊藤真記さまとなっていましたので、真記さまに頂いた曲なんですね。ありがとうございます。妹が無菌室に入室した後は、入院したベットの横に置いていた物は、ナースステーションに預かっていたみたいでしたけど、最後はかおりの枕元の置かれていました。最後の看護師さんの御配慮だったんですね。本当は無菌室には私物は持ち込めないみたいなんです。かおりはブログでお友だちになった方から頂いたのもといっておりましたので、そのお写真を載せさせていただきました。有り難うございました。この絵とフローライトはかおりの枕元においてありました。かおりは、みちるさまから頂いたといっていました。メールを頂いた小原ミチルさまでしょうか。ありがとうございます。赤嶺さま、沢山の詩を送っていただいて、本当に感謝しております。詩を見ながら口ずさんでいたのは、曲をつけていたんでしょうか。今にして思えば、録音しておけばよかったと思います。iPodはそばにありましたので。KAZUKIさま、ライアーの件、御連絡いただいてありがとうございます。かおりから、何度もライアーをお願いしてある事の後を、依頼されていたんですけど、そのブログの名前の書いた紙が見つからず、探しておりました。かおりはとても優しい、笑顔を絶やさない妹でした。まだこれからの人生でしたのにと思うと切ないです。せめて、かおりの願いを聞き届けてあげたいので、作っていただけますでしょうか。御願いいたします。もし御面倒でありませんでしたら、メールをいただけますでしょうか、妹のアドレスは、もうありませんので、私のアドレスを御連絡させていただきますので宜しくお願いいたします。 妹のアドレスはしばらく、私のアドレスに転送されるようにしてはおりますので。りん☆さまりん☆さまにも謝らないとなりません。妹は風邪症状になる前日の6日、突然、りん☆さまの電話セッションを受けたいと、携帯にメールがきていたんです。でも、もうすぐ退院できると思っていましたし、無菌室からは携帯でのお話しはできませんし、前から元気になったら、フルートのサマースクールに行くので、その時にりん☆さまのところにも、お邪魔したいといっておりましたので、もう少し元気になってからと、そのままにしておりました。申し訳ありません。妹は、先の事が分っていたのかも知れません。もともと感性の鋭い妹でしたが、私達とは違った感覚をもっていました。かおりの最後の寝顔がとても安らかだったのが、せめてもの慰みです。かおりの寝顔に虹がかかっていました。とても不思議でしたが、担当の看護師さんが、ブログでお知り合いになった、こはるささまから頂いたサンキャチャーの虹と教えてくれました。サンキャチャーは、無菌室にもずっと飾ってあったみたいです。こはるさま、ありがとうございました。とても感謝しております。あと、さなさまに何かお願いしていたみたいで、とても気にしておりました。メモがありましたので、少し落ち着きましたら、メールさしあげますので。。いままでお世話になりました、皆さまには本当に有り難うございます。またいろいろ落ち着きませんが、今度の追悼ミサが終わりましたら、メールいただいた方に御礼のメールをさせていただきます。りん☆さま宛てのメールも携帯に保存されておりましたので、ブログにメールを送らせていただきますので、御願いいたします。
2008.05.18
このブログをしておりました、”うさはな”こと、私の最愛の妹は、骨髄移植のため、入院中でしたが、間質性肺炎で病状が悪化し、神に召されました。悲しい事ですが・・病状の悪化が急変でしたので、まだ現実を受けとめる事ができません。夢であればと思っておりました・・いたしかたのない事です。妹は、意識の多分、呼吸不全で、朦朧とした状態だったのだと思いますが、今までお世話になった方へのメモがありましたので、少し落ち着きましたら、また、その内容をブログに載せされていただきます。本来は直接、その方々に御礼を申し上げるべき事ではあると思いますが、メールのアドレスが分りませんので、グログ上で、御容赦お願いいたします。妹がブログを更新できない事をとても気にしておりましたし、メールも頂きましたので、お報せさせていただきました。長い間、妹、かおりんのブログを支えていただいた、皆さまに、心から感謝申し上げます。
2008.05.15
きょう、病院から外出の許可をいただいて 家にいます。夕食の時間までに戻らないとダメなんですけど。。 もう戻らないと・・・来週の月曜日に手術を受けて、その後、2週間くらい、免疫療法のために無菌室に入院していて、それが終わったら、前のように元気になれますし、コンサートもできるんです~~ ☆☆☆ それで、きのう、入院している部屋に、前の病院に勤務していた時に、救命救急センターに搬送されていた患者さまの、脳外科の手術をされていた脳外科のDrが、突然お見舞いにきてくれたんです。前の職場では、臨時手術で術場で、お手伝いはする事はありましたけど、直接、お話しする機会は、あまりなかったんです。夜中でも、脳外科の手術が必要な時は、最初に病院に来てくれる先生でしたし、とても綺麗な手術をされる先生で、指示も的確でしたので、尊敬はしていたんです。 でもお髭を生やして、お顔が精悍というか、ちょっと怖い感じでしたしので、直接、お話しをする事はしなかったんです。でも前も、時々ボランティアでしているコンサートに来ていただいて、寄付はしてくれていたんですよ。。入院している事はお話ししていなかったんです。去年、病院を辞められましたので。。ただ退職後、その先生は、地域医療振興財団の 医療海外ボランティアで、脳外科のお仕事をされていて、わたしも去年、ユタ州の修道院に行った時、現地の貧しい方、特にお子さまの医療状況が悪くて、その頃、難民のお子さまの支援活動のためのチャリティーコンサートをしていたんですけど、それより、直接、現地で、病気のお子さまの看護をさせていただきたい気持もあって、お手紙をして、海外ボランティアの事を何度か、お聞きしてみたんです。でもその時は、まだ看護師のタマゴだから、もう少し勉強して、一人前になるのが先だといわれて、そのままでした。ですので、きのう、お見舞いにきていただいて、とてもビックリしました。前の病院の看護師さんから、教えてもらったみたい。。いまは、医療海外ボランティアでパレスチナで、脳外科医として、お仕事をされているんです。現地のことをいろいろお話ししてくれました。思ってたより、優しい先生でしたよ。。お給料はでませんので、時々日本に戻られて、お給料のもらえるアルバイトをして、生活費を貯めて、また海外でお仕事をされているんです。いまは、パレスチナの病院の脳外科に勤務していて、でも350万人のパレスチナ人に、脳外科医は3人しかいないんです。手術の患者さまは、お子さまの急性硬膜外血腫や硬膜下血腫が多いみたいです。交通事故や怪我が原因なんですけど、ご家庭のお子さまがたいてい7-8人で、親の注意が行き届かないのが理由みたい。パレスチアで、ハマス(イスラム原理主義)が政権をとってから、欧米からの経済支援がストップして、患者さんが、必要な手術費用の支払いができなくて、大変みたいなんです。脳動脈瘤の治療につかうクリップ(風船のように膨らんだ脳血管の根元を止めるのに使うんです)もなくて、ヨルダンに患者さまを搬送しているといっていました。こんど日本に戻られたのも、今入院している病院(この先生の出身母校でもあるんですけど)、に、今は使わなくなった脳動脈瘤のクリップ一式を譲っていただく目的のお願いもあったみたいです。日本では、最近はMRIが術後もできるように、磁石に反応するクリップは使われなくなったんです。40代の仕事一番できる年代の方ですので、本当は日本にいて、沢山手術をされた方が、その先生の実績にはなると思うんですけど、その職場を離れて、海外の医療の受ける機会のない方のボランティアで医療をされるなんでとても偉いと思います。だって、3度の食事と宿泊施設以外は、お給料は全然でないのに、されているんですよ。離婚されて、お子さまもいないので、できるんですね。。でも、海外ボランティアの事が原因で離婚されたみたいですよ。わたしも早く、救命救急の認定看護師の資格を取って、この先生のお仕事のお手伝いをさせていただきたいです。先生は、認定看護師の資格をとって、いまの病気がよくなったらいつでも待っているといってくれていますしなので、わたしも早く元気になりたい。。。。その事だけを、神さまに毎日、お祈りしています。その先生が、治療した患者さまからの感謝のお手紙を みせてくれました。あと、今まで入院するまで、していたフルートです。しばらくおやすみです。 THE FLUTEもきていました。アレクサ・スティルさんです。前のアメリカフルート協会の会長で、 母国ニュージーランドの”国家の宝”といわれたフルーティストです。
2008.04.26
札幌は、きょうはとても暖かくて、 桜も満開だったんですよ!!いつもは連休明けなのに。。前の勤務していた病院に、明日入院するための資料をお借りにいった時のお花畑にも、もう、お花が咲いていました。。この病院に勤務していた時にボランティアの方と一緒に、お花の手入れをした頃が思い出されて、瞼がうるうるしてきちゃった・・ きょうの夕日です。夕日を自宅から見れるのは、今日が最後です・・26日は、多分一度自宅に戻れると思いますけど、夕方には、戻らないとだめですし。。 朝日より夕日が好きです。。 夕日は沈んでも、次の日は、朝日になって、再生します。。 もっともっと、輝きを増して。。夕日をみると元気になれます。 わたしには、希望の光です。あ、それで、多分26日はブログを更新できると思うんですけど、その後は3-4週間、おやすみしますね。クリニカルパスの入院ですので、予定通りでしたら、3週間の入院ですし、バリアンスになって、入院が少し延びても4週間目には退院できるかな~とか思っています。。こんどの主治医の先生も、前の病院でお仕事をされていた先生ですので、話しやすくて、安心です^^ それで、こんどの音楽療法をことを載せたら、とても沢山の方からメールを頂いて、でも、まだ返事が出来ていないんです。。退院したら、メールしますね。。札幌の方でしたら、直接お会いしてお話しを聴いた方がいいかもしれませんし・・・ ではでは
2008.04.22
きょうで 入院前の、音楽療法は終わりました。お子さまのための音楽療法でした。最後に会のお世話をしていただいていたお母さまから頂いたお花です。 いろいろお世話になりました。。ご家庭の中で育てられたんですよ! 音楽療法をしているとよく誤解されるんですけど音楽療法は、患者さまを集めて音楽を聴いていただくという事だけではないんです。もちろん、音楽で心が癒されて気持が落ち着くというヒーリング効果もあるんですけど・・音楽で、患者さまの心の中に閉じ込められた意識できない奥底の不安、ストレス、悩みを 開放してあげて音楽をする立場と聴く立場から音楽を一緒に感じ共感できる場というか空間を一緒に作り上げるとう事が音楽療法でとても大事な事だと思うんです。 その中で音楽に共鳴して、閉ざされた心の鍵が開いて その患者さまが今まで気づかなかった悩みを揺さぶってその悩みを一緒に、同じ感性で共有していくということだと思うんです。音楽療法は、そういう事なんだと思っています。 音楽を通して心の中の奥に閉ざされた感情を浄化していまこの瞬間を生きていてよかったと思える体験を音楽療法で可能にしていける場であればと思っています。その時、患者さまの訴えを最後までよく聞いて悩みを共有するという事が音楽療法を通して可能になれるんだと思います。お話しを最後まで聞いて、患者さまの心の中を開放していただく事がとても大事なんです。看護職でしたら、みなさんそうだと思います。 少しでも心の中にいい足りない事が残っていると患者さまのお気持は閉ざされてしまいます。前に癌のターミナルの患者さまに音楽療法をさせていただいた事もありましたけど進行して回復の見込めない事を知っていらっしゃる患者さまが御家族や他の方に介護をお願いしながら自分が、いま存在している意味がどこにあるのかしらという思いは単に精神的な問題というよりスピリチュアルな問題だと思うんです。でも本当はその患者さまが いま御家族と一緒の時を過ごせる事が御家族の生きがい・希望になっているということがあるんです。患者さまに、そのことを伝えてあげるだけで患者さまの心は明るくなります。生きる意味を見いだせることができます。でも、そのためには患者さまと、わたしたちの心が共鳴できないとだめですし音楽を一緒にさせていただくという事はそういう意味もあると思うんです。自分が、いま存在している意味がどこにあるのかしらという スピリチュアルな問題は大人の方だけが感じるんでなく お子さまの方が本当は強く感じているような気がします。大人の方と違って、意識はされてはいないんですけど心がとても純粋ですので、回りの方のお世話をする方の 感情の変化を言葉がなくても心で直接、感じてしまえるんですね。。大人の方よりお子さまの方が 感性が敏感ですしスピリアリティー自体は客観的に評価ができないんすけど お子さまはスピリアリティー(霊性)に対する感性がとても高い印象があります。お子さまの癌の患者さま自閉症のお子さまと一緒に音楽をさせていただいてそう思いました。 お子さまの方が音楽療法によく反応していただけるのはお子さまの感性や、スピリアリティーが関係しているのかしらという思いがあります。大人の方は、スピリアリティーへの感性が、普通は低下してしまいます。でも癌のターミナルの方や難病の方はとてもスピリアリティーが高まるんですよ。
2008.04.17
札幌は昨日は、みぞれ雪で、とても寒かったです。。でもきょうは、少し暖かくて、 自宅からも藻岩山が見えました~。 それで音楽療法の続きです。少し音楽療法のことを載せていきますね。メールでも、音楽療法のご質問が、とても多かったんです。。。音楽療法といっても、最初お願いされて始めた時は、予備知識は無かったですし、ただ、音楽療法に興味のあったリハビリドクターに依頼されただけだったんです。 ですので、リハビリのPTの作られたプログラムにそって、フルートをさせていただけなんです。でも音楽をさせていただいた後は、患者さまの表情が全然違うんですよ。。 音楽で、ただそれだけで、患者さまの笑顔をみれるなんて、最初はとても驚きでした。わたしが音楽療法を勉強させていただくきっかけでした。 音楽療法というのは、音や音楽を媒介として心身の回復・健康維持などを促進する治療法で、アメリカでは、1940年代から、日本では1995年に日本音楽療法学会が設立されたんです。*岡崎香奈さん、音楽療法の歴史と意義、神経内科67巻2007*音楽療法は、音や音楽のメロディー、音色、リズムで、ストレスの緩和、心理的安定などは、あると思うんでけど、 患者さまのケアでの音楽療法の目的は、他の手段では引き出せない身体機能回復訓練の上乗せ効果 と、心の中のスピリチュアルドメイン(零的な部分)を賦活させるという、意味があるんです。*中島孝さん、神経難病と音楽療法、神経内科67巻2007* わたしは看護師ですので、スピリチュアルドメインを主体に音楽療法をさせていただきました。身体機能回復訓練の強化は、リハビリのスタップが評価してくれますので。。。 音楽療法では、患者さまの痛み、苦痛を身体的、社会的な面だけでなく、スピリチュアル面から苦痛を緩和を試みるんです。 ☆☆☆ 音楽は、 スピリチュアな苦痛・・癌などの難治性疼痛や,進行性の病気に苛まされて生きる事の苦痛、そういう状態の現状を受容できない生きている事の無力感、を緩和するために、リハビリ医療の中でされてきているんです。。 わたしがしてきた、スピリチュアルドメインを主体に音楽療法は、病気を抱えていても、生きてゆくことの感動や意欲を、引きだして、少しでも、患者さまの精神的支援になればという思いがあるんです。 ☆☆☆いま、わたしは、病気で治療を受けながら仕事をさせていただいていますけど、看護職の立場からだけでなく、医療を受けざるをえない患者の立場になってみると、その必要性を実感できます。でも音楽療法は医療チームの中でしますので、音楽だけでなく、患者さまのご病気の事をよく理解していないとだめですし、 それだけ努力しても、音楽療法自体が医療保険で認められていませんので、一般の病院で音楽療法が、リハビリ医療として普及しない背景もあるんです。 それで音楽療法で、とても感動した言葉がありますので、載せますね。。前の病院の音楽療法に熱心だったドクターから教えていただきました。ベルリンの人智的音楽療法のセミナーでのお話しの内容です。アウディオペーデに音楽療法の事は載っていますよ。“人間には、ある一つの力があります。それは例えば、木が伸びる時の力、花が咲く時の力、木が伸びる時の力、花が咲く時の力と同じです。でも時々、この力は弱ってしまいます。そんな時、音楽は人間に働きかけて、この力を再び元気にしてくれます” 人智学的音楽療法では、ライア(竪琴)を使われる事は多いんです。音楽仲間でされている方がいるんですけど、ライアの音色もとても綺麗なんですよ~♪広い会場では、音色が小さいので、難しいですけど、音楽療法を目的にした患者さまを対象にした小人数の会場ではいいかもしれませんね^^ それで、KAZUKI☆さまにライアの制作をお願いをしました。 来年の3月の予約ですけど、 ライアでも音楽療法をしてみたいです。また、この続きは後でしますね。
2008.04.13
いままでしていた、音楽療法の後をしていただける方が、 やっと見つかりました^^いま続けているのは、自閉症のお子さまの音楽療法です。 今年、新しく就職された方ですけど、東京で4年間、訪問看護をされていて、クラリネットもされていたんです。音楽療法士は、東京では沢山いらしゃるみたいですけど、札幌はあまりいないんですよ。今度の方も看護師ですけど音楽療法士ではないんです。音楽仲間で、ボランティアでしてくれそうな方はいたんですけど、音楽療法は、音楽をするだけでなくて最後に一緒に他の医療スタッフとカンファレンスをして音楽療法をどうするかを考えていきますので医療関係の方でないと難しいんです。 患者さまの情報も提供していただかないとだめですし・・ですので、音楽療法士の方もヘルパーの資格は必要なんです。前の病院でしていたパーキンソン病の患者さんの音楽療法はされる方がいなくて、そのまま中断してしまいました。わたしの後をついでくれた方は、西の宮に移られましたし。。前に訪問で音楽療法をさせていただいていた 意識障害のお子さまは、もう車イスで、外出できるまで元気になっていますよ!! 単語ぐらいなら、話せるようになりましたし。。 最初は植物状態の診断だったんですよ・・ ですので、もう音楽療法も必要ないんです^^いままでパーキンソン病、慢性難治性疼痛、認知症の患者さまに音楽療法をさせていただきましたけどでも自閉症・注意集中障害・多動症のお子さまたちが音楽療法に反応してくれた感じがあるんです。音楽療法後のケースカンファレンスでも精神科の先生もそうおしゃっていました。 音楽を通してお子さまの心を開いて、社会というか外界との接点を開くきっかけを作れるんだと思います。 うまく表現できないんですけど。。あと介護されているお子様の親御さんが音楽で疲れきった心が安らいで お子さまの介護にもいい影響を与えているのかもしれません。。でも音楽療法は、音楽を聴くだけでなくてお子さまが、音楽に興味をもってもらってその後、お子さまに、歌ってもらったりグロッケンやパーカッションで一緒に音楽を楽しむ過程がとても大事だと思うんです。 スクロールピアノもあるんですよ!!お子さまのお母さんが寄贈してくれたんです。。 ただお子さまと、わたしたちの心が 一緒に共鳴して、音楽を楽しむ雰囲気をつくらないとだめですしいつもお子さまに接している作業療法士さんの協力がないとできないです。一人一人のお子さまの表情の変化で退屈しているかなとかこの曲が好きかなとか感じながら楽演奏曲を、そのつど変えてお子さまたちの心が一緒になれるようにもっていかないとだめなんです。 ですので、音楽療法をしていただくには、音楽をされる方の感性お子さまの気持の変化を洞察できる心の気づきが必要なんです。今度来られた看護師さんは、音楽療法士ではありませんけど看護師ですので相手の方を受容する教育も受けられていますので とても安心です。 あと10日ぐらいで入院しますので、それまでの間、一緒に音楽療法をしていただいて、わたしが、いままで経験してきた事を申し送りたいです。
2008.04.10
4月2日に地球環境と大気汚染を考えるNGOでフルートをさせていただきました。前にブログに載せたアントワネットの曲です。 それで、前にNPOとご紹介しましたけど、NGOでした・・NPOとNGOって全然違うんですね。 知りませんでした(^o~;何回か、この会議の打ちあわせ会があったんですけど、体調がいま一つなので、出席していなかったんです。NPOは利益は追求しない団体で、 NGOは非政府で,社会問題の解決に努力されている団体なんですね。今度のは、今年7月の北海道のG8洞爺湖サミットで、地球環境汚染で温室効果ガスを排出している温暖化の問題で、地球の47.1%の温室効果ガスを排出しているサミット参加8カ国が、地球規模課解決に相応の責任を果たすよう、市民に情報を伝え、政府に合理的な提言を行うことを目的とした会議だったんです。北海道でサミットがありますので、それで札幌に集まって来られたんですね。スエーデンとか北欧の方もいらっしゃいました。参加された方は、全部で20数名の方でした。ホテルが会場でしたので、体には負担がなくて好かったです。 演奏したのは、特別に主催者の方から御依頼のあった アントワネットの曲の他に、フォーレの“夢のあとに”フォーレは“フランスのシューベルト”とも呼ばれていますし、この曲も旋律の美しい曲です。ドビュッシーの“月の光~{ベルガマスク組曲より}ドビュッシーはフランス印象主義の作曲家です。サテイの“ジュ・トゥ・ブ”フランスの作曲家です。“喫茶店の音楽”という7曲のシャンソンの一つです。 シャンソンは、あなたの悩みがわたしにはよくわかる。愛しい人だからあなたの望み通りあなたの“いい人”になってあげる という内容なんです。。今度のNGOはフランスの方が主催された会議でしたのでフランスの方の作曲した曲でまとめました。アントワネットは、フランスの方ではないんですけど、 主催者の方は、アントワネットをとても高く評価されているんです。 帰りに頂いた、うさぎのお人形でした。手触りがとてもいですよ^^ あと、タヒチのビーチの砂です?前のタヒチにいってみたいという事を話したからかしら。。これが、多分、入院前の最後のフルート演奏だと思います・・ あ、それと、りかちゃん、お世話をおかけしてごめんんさいね。。
2008.04.05
前の続きです。 ☆ ☆☆ みてね~。アントワネットの作曲した曲を、こんどフルートさせていただきますので、アントワネットの資料を調べるのに、最近は、ずっと熱中していました。大好きなショッピングにもいけなくてお外にあまり出れないので、時間があるんです。。。ρ(-ω- ) それで、アントワネットの書いた12の歌の中の “それはわが恋人”を今週水曜日、フランスの方が主催される”環境汚染を考えるNPO”でするんです。ピアノの伴奏は、いつも一緒にしている友達です。十数人の方達だけですので、主治医の先生の許可もでましたので、大丈夫なんです^^この曲は、主催される方からのご依頼なんです。。それはわが恋人”以外は、アントワネットが作曲したのかどうかは分からないですけど 12の歌の中の “わが娘に”はアントワネット自身が作曲した歌曲に間違いないような気がするんです。 それで、この曲も演奏させていただく事にしました。 ”わが娘に” の歌曲をピアノで弾いてるとお子さまへのアントワネットの愛を感じます。アントワネットは、ご自分のお子さまの事を、とても愛されて気にかけられていた事は、アントワネットのご家族への手紙からも、感じます。 (ブェルサイユトリアノン博物館) アントワネットの肖像画には、お子さまと一緒に描かれたのが多いんですよ。 (ブェルサイユトリアノン博物館)マリー・アントワネットが、フランス革命の中で、処刑されるまで最後の2カ月間拘束されていたコンシェルジュリ牢獄です。この牢獄の小さな部屋の机の上の 2本のろうそくの明かりの中で死刑の裁判の後に書いた手紙を一部のせますね。 シュテファン・ツワイクの作品 ( 岩波文庫から、高橋禎二・秋山英夫訳、 マリー・アントワネットの題名で 翻訳本が出版されています)からです。愛する妹よ、娘が貴女の手許から引き離されたことは、このたびの裁判の弁論を通じて知りました。 ・・・ああ、かわいそうな娘よ!娘と息子は、いつも私が教えてきたことを忘れないでいて欲しいと思います。確固な主義と自分自身の義務を正確に果たすことが、人生の最も重要な根本であり、二人が仲良く信頼しあっていけば、幸福になれるだろうということです。娘は年長者として、自分の経験と好意から出た忠告を与えて、つねに弟を助けていかねばならないことを感じてくれるでしょう。息子はまた姉にあらゆる親切をつくし、親切な心根から出たあらゆる奉仕を示すべきです。二人はこれから先どんな境遇にあっても、心を合わせなければ本当に幸せになれない事を感じてくれると思います。 ・・・息子が、亡き父の最期の言葉を決して忘れないように望みます。ここに、その言葉を念のためくりかえしておきます。私たちの死に対して復讐しよういうような気を絶対に起こさないように!と言うことです。この暗闇からの手紙は、あて先の義妹に渡ることなく典獄ポーの手に渡ったまま、ルイ16世の弟ルイ18世に取り戻されるまで、そのままだったんです。アントワネットの息子(ルイ17世)は牢獄の中で母から引き離されて、8歳で病死してしまいました。何も治療も受けられる事なく・・このアントワネットの手紙が今でも残っています。字も筆圧もしっかりしていて、心のみだれがありません。 (ブェルサイユ市立図書館) もし わたしが死という事が現実の事となったら、 こんなに心が落ち着いていれかしら・・ ふと、そう思う・・・アントワネットの、 “不幸のうちに初めて人は、 自分が何者であるかと本当にしるものです”という言葉は、オーストリアの皇女が、何もしらないまま、14歳でルイ16世と政略結婚を強いられ、歴史の流れに翻弄されながら、苦悩の中で心の中に封印が解かれて、天からの自分に与えられた使命と責務を自覚されたんでしょうか。 わたし自身のいまの心の動揺が、 アントワネットの曲をフルートする事で じぶん自身のいますべき事 そして 今の時間を、大切にできるよう 冷静に受けとめる事ができる心をもちたいです。。。
2008.03.30
少し元気になれて、26日、高木綾子さんの フルートリサイタル2008にいってきました。札幌コンサートホールのKITARA大ホールです。でも、まだS席(前の方ですけど)は沢山の方が聴きにいらしているので、3階の席で聴いていました。沢山の方の集まるところはまだダメみたいで。。回りは誰もいなくて、友達と2人だけです。でも、本当に久ぶりのコンサートでした!! 演奏曲はドップラー:ハンガリー田園幻想曲 日本では、とても人気がありますよね。曲の雰囲気が、日本の風土と合っているのかもしれませんね。シューマン:子供の情景ピアノ曲ですけど、フルート用に編曲されたんですね。村松崇継:ERARTH高木綾子さんがCDにしています。ビゼー:”アルルの女”よりメヌエットマネス:タイスの瞑想曲などなどでした。タイスの瞑想曲は最初中学2年で、アルテの3巻に入る頃練習しましたけど、ブレスの間隔が長くて、どちらかというと苦手でした。。。ρ(。-、)男性でしたら、肺活量が大きいので問題ないと思うんですけど。それで、小樽のガラス館にいった時、ガラス職人の方が、ガラスに息を吹き込む時間が、とても長いので、お聞きしたら、息の出し方を教えていただいたんです。循環呼吸なんですけど、もちろん同時に息を吸いながら、呼くんでなくて、頬にためた息を出しながら、鼻から息を吸うんです。高木さんも、同じようにしているみたいです。。タイスの瞑想曲が苦手でなくなったのは、その後からでした。開演前の、キタラのレストランのサンドイッチは美味しかったですよ
2008.03.28
いままで一緒に音楽療法をしていただいていたリハビリのスタップの方2名が3月一杯で退職されますので、ステラプレイスでランチをしました^^おしゃべりをして、少し元気をいただきました!! いま病院は、勤務交代の時期なんですよ。。 ランチをした 創作料理“ほたる” です。初めてでしたけど、お食事するところから、札幌駅前の大通りが見えて、よかったです。。 キタアカリを使ったサクサクじゃが芋サラダ お勧めですよ!! 海鮮たっぷり”蛍”オススメ生春巻き 一番美味しかった ヽ(*゚ー゚*)ノ デザートもあっさり味で美味しい^^いまの病棟も4人の方が移動になって、4月から新しく7人の新人さんが配属になります。7対1看護体制になりますので、病院全体でも160名ぐらいの方が新採用になったんです。でも3週間の研修期間が終わってから、病棟勤務になりますので、わたしが、いまの病気の入院治療を受けられるのは、その後の4月下旬に延期になってしまいました。。。ρ(。-、) 。 でも、しかたないですね。。。 新しく来られるだけならいいんです。 退職される方もいますし。。きょう、一緒にランチをした音楽療法の担当の 作業療法士の方の2人は辞めて、一人は静岡の実家に戻られて、もう一人の方は、他の大学の建築科に入学されるんです。在宅での身障者の方でも生活しやすい環境整備の勉強のためなんですよ。。住宅改造も作業療法のお仕事ですし。新しい仕事にチャレンジできるなんてすごいです。でも、いままでいつも一緒にお喋りしていた方たちと、 もう会えなくなるのは寂しいです。。。 3月はいつもそんな季節・・それに、こんど辞められる方たちは、いままで自閉症のお子さまの音楽療法を一緒にしていた方なんです。自閉症のお子さまは、心の中の世界と外とのコミュニケーションができないんですけど、音楽を通して、お子さまの心を外に向けるきっかけをつくるという目的があるんです。自閉症の方も大人になってからでしたら、難しいんですけど、お子さまでしたら、音楽療法を継ける事で効果があるんです。でも音楽療法をお子さまにするのは、時間がかかります。 コンサートでしたら、もともと、聴きたい!という方が来られるんですけど、 音楽療法は、別にお子さまが聴きたいと思っているわけではないんです。ですので、最初はお話しからして、少しずつお子さまがよくしっているアニメのテーマソングとかから初めて、反応をみながら、演奏する曲を選んでいきます。20名ぐらいの子さまの顔の表情や眼の動きで、あそこのお子さんは、つまらないかなとか分りますので、そういう時は、担当の作業療法士の方が、そのお子さまの好きなアニメを教えてくれて、興味をつないでくれます。最初はばらばらだった、お子さまたちの心が、音楽を聴いたり、一緒にお歌をしたりして、お子さまの心が一緒になると、その場の雰囲気がとても明るくなるんです。自分の心の中に閉じこもっていたお子さまたちが、笑顔をかわすのがわかります。たぶん、こういう事が、お子さまの心を外と結ぶつけるきっかけになるんだと思います。お子さまには音楽療法は、とても大事なんです。でも音楽療法は、わたし一人ではできないんです。いつもお子さまのリハビリをしていて、一人一人のお子さまの個性をよく知っていて、音楽療法を側でささえてくれるリハビリのスタップがいないとできないです。こんど一緒に支えてくれていた作業療法士の方が2人ともいなくなってしまいますし、わたしも4月に入院したら、音楽療法は中断してしまいます。音楽療法士という資格はできているんですけど、まだ保健点数では認められていませんので、普通の病院の職員としては採用されていませんし、ボランティアでしかできません。患者さまのご病気の事もしらないとできないですし。。本当は看護師かリハビリの資格があるスタッフで音楽療法をしてくださる方がいればいいんですけど・・病院にも、音楽をされている方も沢山いますし、大学のオケラのコンサートマスターをされていた、ドクターもいるんですけど、みなさんお忙しくて、いい返事がいただけません。せめて、いままで一緒に音楽療法をしていただいてた作業療法士の方が残ってくれていたらと思いましたけど、でも、きょうランチをした方たちは、 事情があって退職されますので、いまさら、残ってとはいえないですし。。作業療法士は後任の方が音楽療法を手伝ってくれますので、音楽療法をボランティアでしてくれる方を、探してします。なかかな見つかりませんけど。。でも、自閉症のお子さまの親御さまの会の中断しないで欲しいというご希望もありますので、入院するまでに探したいです。。
2008.03.24
きょうの夕日が沈んだ後の景色です・・最近、ベットで横になっている時、今までのコンサートでした楽譜を、見直している事が多いです。でも日本の方が作曲した曲は、何か少ないかな~とかいう感じです。。 J-POPは別ですけど。。コンサートでした事のある曲は、 福島和夫さんのフルート無伴奏 “冥”-MEIコンサートでも最近演奏される事が多いと思います。恩人の方の訃報の連絡を受けて作曲したんです。日本の現代音楽の古典だと、お師匠さんはいわれていました。わたしも、この曲は日本のフルートソロの中で、一番好きです。 福島和夫さんのことばを載せますね。弔笛。笛の音は此世と彼世、ふたつの世ながらに響くという。“冥”くらい。ふかい。遠い。とおざかる。黙して思う。宇宙的意識。 楽譜はZerboniから出版されています。福島和夫さんのでは、 ”春讃”も好きです。特殊奏法もありますけど、コンサートでしても、好評ですよ^^来ていただく方が満足していただけないと、主催者の方から、次のお呼びがかからないですし。 楽譜は村松から出版されています。武満徹さんの、 巡りーイサム・ノグチの追憶にー友人のイサム・ノグチさんの追憶に作曲したフルートソロです。札幌のモレエ沼公園は、イサム・ノグチさんが設計しましたので、札幌のコンサートでは、よくするんですよ。モレエ沼公園の小泉浩さんのソロコンサートでも、演奏されていましたし。。 イサム・ノグチさんが設計したモレエ沼公園です。吉松隆さんの、 ”デジタルバード組曲作品15”も何度かしました。面白いとは思いますけど・・ 團伊玖磨さんの”ソナタ”團伊玖磨さんは、日本の作曲家では有名ですので、主催者の方から、依頼されることが多いんです。この鍵盤楽器とのアンサンブルのソナタは、穏やかな感じですきです。湯浅譲二さんの、 ”ドメイン(領域)”日本の伝統的な音楽の感性を呼び起こします。重音奏法、ボイッスルトーン、タンギング、アタックなどの旋律線の組み合わさった奏法ですけど。。1本のフルートでこれだけの世界を表現できるなんて、とてもすごいと思います。他の日本の作曲家の方の演奏曲を載せますね。 フルート無伴奏福島和夫さんの冥、レクイエム、春讃広瀬量平さんの、讃歌細川俊夫さんの線1池辺晋一郎さんのストラータ2石井真木さんの線様松平頼則さんの蘇莫者三村朗さんのガラク諸井誠さんのパルティータ作品9平義久さんのガテンツ1武満徹さんの、ブォイス、巡りーイサム・ノグチの追憶にー、エア湯浅譲二さんの、ドメイン、舞働2、タームス・オブ・テンポラル・ディーテリング フルートと鍵盤楽器團伊玖磨さんのソナタ福島和夫さんの、エカーグラ、伽陀迦盧那、{中有}からの3曲林光さんのフルート・ソナタ、ファンタジー、牧歌、平尾貴四男さんの、ソナチネ野平一郎さんの夜は白と黒で尾高尚忠さんの、フルート協奏曲 作品30b高橋悠冶さんの、チェト丹波明さんのソナタ吉松隆さんの、デジタルバード組曲作品15などなどです。多分まだ沢山あると思うんですけど。。
2008.03.20
きょうは、久しぶりに自宅でさっき起きました(^0^;きのうの夜1時から夕方の4時まで、 全然眼が覚めなかった。。 明日も勤務はないですし~♪病院は、就眠が9時で朝6時の起床ですので、生活リズムがくるってしまうんでね。。患者さまが夜寝れなくて、眠剤をもらいにナースステーションに来られる気持がよくわかります。。それで、 のだめカンタービレ#20が、届いていました!!ケータイ版 ♪のだめワールド♪へようこそから、のだめカンタービレが読めるんですよ*:.。☆..。.http://girlsi.jpドコモ・ソフトバンク・au対応ですけど。。入院している時は、携帯からみていました。 点滴の時以外は、何もする事がないんです。でも点滴だけの定期的な1泊2日の入院ですので、同じ部屋に入院している方の身の上話しを聞いていて、時間がたってしまいますのでそんなに、退屈でもないんですよ(*^^*)
2008.03.15
がんの子供を守る会のゴールドリボン推進活動のことをアップしましね。。 ご存知でない方もいらっしゃると思いましたので。。。 小児がんは、5歳未満の子どもさんの癌で、白血病・脳腫瘍・骨肉腫・悪性リンパ腫などがほとんどなんです。日本ではお子さまの死因の1位で、去年は2,600人ぐらいのお子さまが発病して、いまも日本で18,600名ぐらいのお子さまが癌の病気と闘っているんです。前に勤務していた病院は癌拠点病院でしたし、小・中学の分校が病院に付属していましたので、小児癌が患者さまがいつも入院されていました。みなさん、とても綺麗で可愛いお顔なんです。。 不思議なんですけど, みなさん、とても可愛いいんです・・お子さまは、元気に遊びまわっていますけど、病気のことは、もちろん何もしりません。。治療手段のない、命の限られたお子さまでしたら、 おもわず、抱きしめてあげたくなります。。 お子さまも、可愛そうですし、介護されている親御さまも、みているだけで切ないです。。小児癌のお子さまの治療法や薬などの治療手段もまだ限られているんです。最近は小児癌でも病気の種類では、60%ぐらいは寛解するようにはなったんです。でも抗癌剤の副作用で、脱毛、低身長、腎不全での透析、肉腫で義足装着を余儀なくされたお子さまの後遺症に、一般社会的の偏見や無理解のためにお子さまがつらい思いをすることもあるんです。がんの子供を守る会のゴールドリボン推進活動は、小児癌のお子さまや、親御さまのための支援活動をされているんです。治療後の身体的後遺症での社会からの偏見から、お子さまを支援して守ってあげようという活動なんです。がんの子供を守る会は、2006年10月にゴールドリボン基金を設立して、小児癌の方への支援活動を目的とした、ゴールドリボン推進活動をスタートさせたんです。 ゴールドリボンは、小児がんに関するあらゆる支援の世界共通のシンボルマークです。 500円の寄付で、ゴールドリボンのピンバッチかストラップをいただけるんですよ!! トートバッグにつけても、可愛いですし、もし好かったら協力してあげてね^^
2008.03.07
THE FLUTEの92です!!表紙はブォルフガング・シュルツさんです~。ウィーン・リング・アンサンブルのメンバーとして、日本にこられたんです。ウルフ=ディーター・シャーフさんです。ベルリン放送交響楽団のソロ首席奏者です。アラン・ワイズさんです。ボストン交響楽団のメンバーで、ヘインズ専属フルーティストです。ヘインズは年に150本ぐらいしか生産しないんです。 ヘインズのフルートが憧れですけど、 でもお高くて手がでないです。。。去年の第76回日本音楽コンクールで第1位になった上野由恵さんです。岩谷賞もおとりになったんですよ!! 羨ましいですぅ~^^本選までしかいけなくて、せめて入賞でもできればと思っていたんですけど・・でも参加資格は17歳から29歳までですので、まだ何回かは資格があるので、 もう一度チャレンジしてみたい!!
2008.03.05
まえに、教会のバザーで買ったマリアさまの絵はがきのことをブログにのせたら、さなさまが受けていただいたんです。 それで、それで、 さなさまから今度は天使さまの 絵はがきを送っていただいたんですv(^_^ v)さなさまから頂いた、天使さまのカードです。 印刷でなくて、手書きの絵はがきなんですよ!!さなさまが、とても大事に、大切にされていたカードなんですよね~☆ 何となくそう思いました。絵はがきの天使さまから満ち溢れる光が、わたしの心の中まで照らしてくれます。心の奥の、わたしを拘束しているネガティブな部分も・・・ さなさまのカードは拘束された心に羽を与えてくれました。 ☆☆☆ 優しいさなさま 繊細で、純真なさなさまさなさまの1番大事なものを送っていただいたんですね。 いまのわたしにはそのお気遣いが、とても嬉しいです*°'**☆。ご訪問いただいた、みなさまにもさなさまの優しさをシェアしていただきたくて ブログに載せました。 ありがとうございます・・♪いつまでも、このブロフは残しますので、 天使さまにお会いしたい時はいつでも、遊びにいらしてくださいね^^
2008.03.02
先週の日曜日 難病の患者さまの会でミニコンサートをさせていただきました~~ '**。 ☆☆☆ フルートをするのは、去年のクリスマス・チャリティーコンサート以来なんです。まだ大勢の方が来られる場所には、今飲んでいる免疫抑制剤の量がもう少し減らないとだめなんです。今度のは、札幌市外の医療大学の看護学科の依頼で、ただ札幌キャンパスが会場でしたので、主治医の先生と看護部の許可が出たんだと思います。会場のあった、札幌キャンバスのあるビルです。初めてでしたけど、中はとても綺麗でした。。会場から見えた、北海道開拓記念館です。 昔の道庁だと思います・・間違っていたら、 ごめんなさいm(__)m四十人くらいの小さな集まりですけど、患者さまの笑顔で、わたしの心も癒されます。元気をいただけました。 ミニコンサートのあとに頂いた花束です~♪ でもフルートをしていると、 30分ぐらいで疲れてしまうんですよ。 まだ体力が戻っていないんですね。 普段は1分間ぐらいのロングトーンは 頑張らないでも、何ともなかったのが、 今は意識しないとできないですし・・循環呼吸がきちんとでいないんですね。背筋が弱くなっていんだと思います。それで、少し背筋のリハビリをはじめました。 もう少し元気になれたら、前からお願いされていた、自閉症のお子さまへの 音楽療法をさせていただきたいです。。なので早く、でもあせらないで、元気になりたい・・あ、それとお世話になってしまったありすさま ありがとうございました!!(*^^*)。
2008.02.27
最近ずっと、アントワネットのことを調べています。マリア・テレジアが亡くなるまでは往復書簡が残されていますので解るんですけど、その後の事は、シュテファン・ツワイクの作品(岩波文庫から、高橋禎二・秋山英夫訳、マリー・アントワネットの題名で翻訳本が出版されています)で調べていました。アントワネットの作曲をフルートでさせていだくのに、その方は曲を作った時のお気持ちがわからないと、どう表現していいか判らないんです。アントワネットの前のブログもみてね。。アントワネットの“それは私の恋人” アントワネットの作曲した歌曲の楽譜おしゃべりずきで、おてんばで、音楽が趣味の普通の少女が、皇女として生まれたために、14歳で何もしらないまま、ルイ16世と政略結婚で結ばされて、最後は革命という歴史の流れに翻弄されて、 “ふしだらなオーストリア女”の汚名を帰せられて、宮殿から牢獄部屋に移され、儀装馬車から死刑囚護送用荷馬車で、処刑になったアントワネットが、最後に “不幸のうちに初めて人は、 自分は何者であるかを本当に知るものです”という言葉がを彼女の口から洩らされたんです。最後にアントワネットはなにを思ったのかしら・・自分に与えられた宿命と責務を自覚して、そのすべてを受け入れる事ができたんだと思います。アントワネットが革命裁判所の最後の判決後に、牢獄の中で書かれた妹宛の手紙も残っています。この手紙は、アントワネットから、妹に渡してくれるように典獄ポーに渡されて、でもそのままになって、最後にルイ18世の元に21年後に取り戻された手紙です。“愛する妹よ、いま貴女に最後の手紙をしたためます。いま判決を受けてきたところですが、恥ずべき死ではありません。犯罪者にとってのみ死刑は恥ずべきことであります。私の場合は、貴女のお兄さんに再びお目にかかれるだけのことです。兄上とおなじ無邪気に、兄上の最後の瞬間にならいたと私も思っています。良心になんらやましい点のない人がすべてそうであるように、私の気持は落ち着いています。あわれな子どもたちをあとに遺して行くことだけが、本当に残念です・・皇女時代のアントワネット(ブェルサイユトリアノン博物館)手紙は12歳の時の宿題(ウイーン国立文書館)王妃時代のアントワネット(ブェルサイユトリアノン博物館)マリー・アントワネットと子供たち(ブェルサイユトリアノン博物館)アントワネットの最後の肖像(ブェルサイユトリアノン博物館)
2008.02.23
アントワネットの作曲した歌曲の楽譜が、パリ国立図書館からまとまって出たんですけど、“それはわが恋人”の楽譜は、今までも沢山の方が歌われていますので、入手できたんですけど、他のは無くて 池田理代子さんの ”ブェルサイユの調べ” ―マリー・アントワネットの書いた12の歌 のCDから、楽譜に写してみたんです。“それはわが恋人”以外はアントワネットが作曲したのかどうかは分からないですけどCDから書き写した歌曲をピアノで弾いてみたら、12曲の中の “わが娘に”はアントワネット自身が作曲した歌曲に間違いないような気がするんです。アントワネットは、ご自分のお子さまの事を、とても愛されて気にかけられていたのは残されたアントワネットの手紙からも感じとれます。歌詞からも、お子さまへのアントワネットの愛を感じます。曲の旋律も14歳まで暮らした当時のオーストリアの曲をイメージさせますし、音楽の師だったグルックの曲風を感じます。 “それはわが恋人”を今度フルートでさせていただきますので、 もし体調がよくなって、 主治医の先生のお許しがでればなんですけど・・アントワネットの生涯をもっと知り他かったんです。フェルセンへの思いを歌った曲なんですけど、その方がどういう方だったか分かりませんでしたし、ハプスブルグ家の皇女が、政略結婚で13歳でブルボン家の王太子(ルイ16世)とお顔もしらないまま結ばれて、38歳で命を絶たれてしまった宿命をどう背負っていたのかも気になります。13歳の頃の ”スピネットを弾くオーストリア皇女 マリー・アントワネット” 歴史美術館ウィーン
2008.02.17
アクセス20000のコメント いただいてありがとうございました!! *°'**☆。*°'**☆。*°'**☆。 それで切り番プレゼントは特に考えていなかったんですけど、20000の切り番を踏んでいただいた ☆きら☆☆さまにビーズのストラップをお送りさせていただきますので、 お待ちくださいね^^ これから作るんですけど(^0^; あと、今までアクセスされた方にも プレゼントを用意しました。 マリア様の絵ハガキ5枚セット を5人の方に 天使さまの版画(かしら?)の絵ハガキの4枚セットを2名の方にプレゼントしますね~~ と です。絵ハガキの天使さまは、違いますので、こちらで適当にお送りさせてくださいね。。 前に教会のチャリティーコンサートの時の バザーで買った絵ハガキでした。ご希望の方は、コメントをいただければ、こちらから返信しますので、 ご住所をお知らせくださいね。楽天ブログに登録されている方しかコメントができませんので、そうでない方は、ごめんなさいm(__)m ☆☆☆コメントが、絵ハガキのセット数に達したら締め切りさせていただきますので。。 あ、ご希望の方がいらっしゃらなくても 一人で盛り上がっていますので、 気にしないでね・・・(*^_^*)
2008.02.11
☆。。oO・○・・。o・~☆・◇。o・・~☆。oO・○・・。o・~☆・◇。o・・ アクセスが20000を越えました!! 遅ればせながら ありがとうございますゥ~☆ 20000の切り番を踏んでいただいたのは ☆☆きらきらり☆☆の☆きら☆☆さまでした。☆きら☆☆さまからは、 ヒーリングドールの天使さまを作っていただきました。 “かおりドールちゃん” なんです^^みているだけで、幸せになれるんです。優しい天使さまのお人形でした。みてきるだけで瞼がうるうるしてきます。幸せな気持ちになれます。ブログをした頃は、2万のアクセスを超えるなんて全然思っていなかったんです。ただ、その日の思ったことを、ブログにしていっただけなんです。でもブログで沢山の方ともお会いできました。 " 天使とミチルの愉快な日常♪ "小原 ミチルさまからも、 “♪あなただけの天使” を作っていただきました。和風の服装をした天使さまです。黒髪と青の瞳で、花のパール彩も綺麗で、思っていたより素敵でした~♪リーディングも一緒にいただいたんですけど、天使さまの手にした光の花は、希望、音楽、使命、願いなどを現していると メールでありました。 音楽を表しているなんて、きっと、わたしのエンジェル オブ ミュージックですね!! 受け取ったキーワードは『根気』でした。 頑張りますねv(^_^ v)!!いまも☆きら☆☆さまとミチルさまからいただいたいつも天使さまは、わたしの側で見守ってくれています。 こはる日和の☆こはる☆さまからも、 サンキャッチャーを頂いて、音楽の施設訪問した方のところにお送りさせていただきました。施設訪問でもっていったら、 サンキャッチャーから,沢山に虹が部屋中に広がるのを掴もうとされていたんです。 入所されている方たちは、ベット上の療養か車椅子移動の方達ですので、太陽の虹をみる事はないんですね。。。 ☆こはる☆さまからのサンキャッチャーを施設にお送りさせていただいて、とてもお喜びになって、お写真も送っていただきました。 楽花生“のほほん日記”の真記さまからは、音源ヒーリングもいただきました。真記さまのブログでいろいろな方と、お知り合いになる事もできたんです。じぶんの心をみつめるという事も教えていただきました。あと、りん☆hikariさまの一斉ギフトヒーリングも受けさせていただきました。 ありがとうございます。。。りんさま、AKOさま竹さまの3人の方、送り手の皆さまから頂いたヒーリングで、同じ時間に、日本の知らないお会した事のない方たちと空間を超えて、思いを共有するという経験は全然初めてでした。日本中のいろいろな所に住んでいらっしゃる方達と、心の波動を合わせれるなんで,体中が、感動でいっぱい、胸が熱くなって、ブログでどう表現していいか、わからないです・・ヒーリングが終ったあとも、ずーと涙が溢れ出てとまりませんでした。。。ヒーリングを受けて、天使さまもいただけて、 その日、その日を、 元気で仕事ができたという事に感謝する気持に自然になれるようになったと思います。 それまでは、 いつまでも、今日と同じ毎日が続くのが 当たり前だと思っていたんです。 でもそうではないんですね。 今日という日の時間は、神さまがわたしに授けてくれた貴重な時間ですし、あるのは、今日という時間だけで、 昨日は今日の続きですし、 今日を誠実に生きていけば、明日の命も授けていただけるんですね。 自然にそう思えるようになりました。朝、起きた時も、しぜんに健康でいれることの感謝することができるようになりました。sana☆☆☆さまからは、いつも優しいコメント 頂いてありがとうございますm(__)mいままで、グログを続けれて、本当によかったです。あ、それと、いつもAKAMINEさまの詩はわたしの気持を癒してくれました。また素敵な詩(うた)を聴かせてくださいね^^ ブログでお世話になったみなさま 本当にありがとうございました。。今は、少し元気になって、来週から、ある大学の看護学科の先生が主催されている難病の患者さまの会で、フルートを再開させていただける事になりました。 主治医の先生から許可がでたんです~♪一時中断させていただいていたんですけど、40名ぐらいの会で場所も、その大学の札幌キャンバスの講堂ですので大丈夫といわれたんです^^お願いされた看護学科の先生は、学生の時に、 とてもお世話になりましたのでできる事は協力させていただきたかったんです。☆。。oO・○・・。o・~☆・◇。o・・~☆。oO・○・・。o・~☆
2008.02.09
最近、すこしブログの更新がスローになってしまった・・いまは、まだ、免疫抑制剤を飲んでいますので、インフルエンザなどに感染しやすいということで、人ごみの中に行けないんです。ライブもだめですし、コンサートを聴きにいく事がまだできないです。゚(゚*ω⊂でも早く健康にならないと、仕事も音楽もできないですので、主治医の先生の言う通りにしようと思ってます、ですので、最近は、フルートやピアノをしている以外は、楽譜の整理をしたり、本を読んでいる事が多いんです、漫画がほとんどですけど^^さっきまで、“クワイエットルームへようこそ”を読んでいました。原作の松尾スズキさんの本は、読まなかったんですけど、上野愛さんが、原作を漫画にしたんです。精神科の閉鎖病棟という重い設定が、楽しめる内容になっていましたし、上野さんの画も好きでしたので、きのう、友だちから借りてきたんです。“クワイエットルームへようこそ”の映画は、内田有紀さん、蒼井優さん、大竹しのぶさん、俵万智さんが出演してましたので、映画の内容はあまり興味がなったんですけど、レディースディに半額で見に行きましたヽ(*゚ー゚*)ノ内田有紀は役にはまっていましたし、蒼井優さんの演技も、良かったですよ。内容は、主人公のフリーライターの佐倉明日香さんが、お酒と眠剤を一緒に飲んでしまって、2日間昏睡状態で、目が覚めたら、精神科の閉鎖病棟(クワイエットルーム)で拘束されたというシチュエーションで、その非日常的な空間で繰り広げられるストーリーなんです。あ、でも安心してくださいね^^眠剤を飲みすぎたからといって、精神科に強制入院になる事はないんですよ。。昏睡状態でしたら、救命センターか、院内集中治療室か脳外科病棟ですし。。原作のシチュエーションは、ありえないしと思って、本屋さんで数ページを立ち読みしただけで、そのままだったんです。でも、主人公の佐倉明日香さんが、眠剤の飲み過ぎで、精神科に強制入院させられて、自殺未遂の診断で、一方的に精神病扱いされてしまうという事は、現実にもありそうな感じも映画をみてなんとなく思っていました。普通の方が、ちょっとした事で、ヒステリーとか、うつ症とか、心気症とか、身体表現異常という診断でかたずけられてしまって、後は、何か症状を訴えても、○○の病気だからとかたずけかれて、ますます精神的に混乱して、悪循環になってしまう事って、ありそうな感じがあるんです。心と肉体は切り離せないものですし、病気の診断と治療はドクターがするんですけど、でも看護職でしたら、病気という偏見でみないで、その方の訴える症状は受け止めてあげて、一緒に患者さまが抱えている悩みを解決していけれるようになりたいです。 そういうと、患者さまに感情移入しすぎる、プロの看護職でないといわれてしまうんですけど・・ でも・・
2008.01.31
先週、看護倫理の研修会があって、札幌の弁護士さんの講演があったんです。 興味ない!! という方はスルーしてね~。医療問題専門の弁護士さんなんですけど、講演の後、お聞きしたい事があって、お話しさせていただいたら、ささえあい医療人権センターCOML(コムル) の ナース研究会というのを紹介していただきました。それで、COMLというのは、医療と法の消費者組織の頭文字なんです。 いのちの主人公は、私たち。 からだの責任者も、私たち。 だから、私たち自身が、 賢い患者になりましょう。という目的で作られたNPO法人なんです。全然知らなかったんですけど、 パンフレットをみると、医療を消費者の目にとらえようと、1990年9月に活動をスタートしました。“いのちの主人公” “からだの責任者”である私たち市民中心のグループです。COMLでは、“賢い患者になりましょう”を合言葉に、患者の主体的な医療への参加を呼びかけています。 患者と医療者が、対話と交流の中からお互いに気ずき合い、歩み寄ることのできる 関係ずくりを願っています。 COMLは、患者中心の開かれた医療の実現を目指しています。と書いてありました。紹介していただいたのは、その中の “ナース研究会”で、患者塾やフォーラムなどのボランティアとしてかかわるナースが中心となって、それぞれの悩みや問題点を話し合う研究会なんです。“患者さん中心の看護とは”を模索し、院内研修とはひと味違う研究会をめざす。とパンフレットに書いてありました。ただ、会は大阪ですので、いちど電話で、聞いてみたいです。看護の問題でも、同じ職種で相談しても、同じ見方しかできないですし、同じ看護教育を受けていますので、別な見方ができないような気がする事があるんです。。ささえあい医療人権センターCOMLの住所は、大阪市北区西天満3-13-9西天満パークビル電話:06-6314-1652です。
2008.01.27
きょう、久しぶりでフルートを手にしました!!(*^^*)検査入院したあと、主治医の先生から、甲状腺に負担がくるといわれてできなかったんです 。゚(゚*ω⊂片方の甲状腺は手術していますので、我慢していたんですけど、 きょう、やっとお許しがでました*°'**☆。フルートはいつもしていないと、思うような音色になってくれないんです。タンボも乾燥してしまうと、微妙に影響しますし、管体も冷えてしまうと、音が変わってしまいますし。。楽器もいつもお世話をしてあげないと,すねてしまうんです・・それで、前から予定になっていたNPOのチャリテーコンサートに出させていただく事にしたんです。最初は、無理かしらと思って、あまり準備していませんでしたので、少し頑張ろうと思います。フランスの方が主催しているNPOですので、 マリーアントワネットの “それは私の恋人”を選んでみました。マリーアントワネットはナデルマンハーブをされていましたし、グルックが音楽の師でしたので、作曲もされていたんです。楽譜はパリ国立図書館に12曲だけが保存されていて、 “それは私の恋人”はマリーアントワネットが作曲したのは間違いないみたいなんですけど、他の曲は、本当にマリーアントワネットが作曲したのかどうかは分らないんです。“それは私の恋人”は唐澤まゆこさんが、CDにしていますよね。“それは私の恋人”はフェルセンへの思いを歌った曲なんですけど、でもアントワネットがどういう思いで作曲をしたのかとか、その頃に時代背景が分らないと曲のイメージもつかめません。。フルートができない間、一応アントワネットの本を調べていたんですけどアントワネットの内面が良く理解できなくて、いつも音楽関係の本を調べてもらっている楽器店の方にお願いしたら、“マリーアントワネットとマリアテレジア・秘密の往復書簡”という本を探していただきました。ウイーン国立公文書館に保存されていたアントワネットの手紙と、マリアテレジアの手紙の控えなんです。マリーアントワネットからマリアテレジア宛ての1770年7月9日の14歳の時の自筆の手紙です。この本を少し読んで、アントワネットの事をしりたいです。
2008.01.24
いまの職場で、マトリョンが流行っているんです。ロシアの民芸品のマトリョーシカに、 テルミンを組こんだ楽器なんです。病院のクラークさんがマトリョンを教える教室に通っていて、きょう、その方の家に遊びに行って、 マトリョンを見せていただきたした。友だちは、ソプラノみたいといっていましたけど、 わたしには胡弓みたいな感じの音に聞こえました。 マトリョン音のゆらぎが、癒し効果があるといるみたいですけど、多分、上手な方がされたら、そうなのかもしれないですね。 あ、友だちは2カ月前から始めたばかりですので・・前にテレビでみた時は、アンテナみたいのが1本立っていて、リングみたいなアンテナ(?)もついていて、演奏される方が、両手の動かしていて、手の動きがとても綺麗だった印象があります。 友だちのクラークさんは、ご主人さまが購読されている科学の本のおまけを見て、するようになったみたいですよ。要らないみたいでたので、もらってきました。。 一応音がでるんですけど、微妙な感じです・・普通の電子音みたいにしか聴こえないんですけど、手の動きで音が変わりますし、手首を動かすと、スタッカートみたいになるので、 演奏がきちんとできたら、本当に癒し効果があるのかもしれませんね。。
2008.01.20
きょうで職場に戻って1週間でした。。札幌は、ここ数日はとても寒いんですよ!! 今日も氷点下12度でした。。 自宅のお外も雪で真っ白です・・退院した後の2-3日は、骨髄穿刺した腰が痛くて、患者さまを車椅子に移動するのが大変でしたけど、何とかなれました。先週と今週は、休日はお休みですけど、来週から、休日の勤務と準夜・深夜勤務が入ります。休日は、どこの救命センターも忙しいと思いますけど、いま勤務している病院も、1日に数人から多い時は10名以上入院されるんです。土日は、一般の病院は急患を受け入れてくださらないですので、搬送されることが多くなるんです。 でも前の病院よりは全然楽なんです。前に勤務していた病院は3次救急で、他の病院で治療ができない重症の患者さまが、ドクター・ツー・ドクターの依頼で搬送されて来られるんです。でも搬送された時点で、心肺停止になっている患者さまが多かったんですよ。いまの病院は、一応3次救急になっていますけど、ほとんどは院内の他科に通院されている患者さまです。 数日で、もとの診療科に転科になります。 他の病院からの入院の依頼があっても 入院できないことが多いんです。。 入院ベットが少ないですし、センターの先生も他の診療科の兼任でされている方も多いですので、マンパワーが足りないんです。 研修医の先生も少ないんです。前は大学を卒業して、そのまま残って研修するのが普通でしたけど、いまは、大学卒業後、一般病院にそのまま初期研修を受けてそのまま残られる研修医の先生が多いと、 センター長の先生がいっていました。ですので、救命救急センターといっても、 前よりは暇ですし、楽なんです。でも、いまの救命センターの部長先生は、まえのわたしが勤務していた病院にいた先生ですので、 3次救急には力を入れられていますし、少しずつ、搬送される患者さまは増えているんですよ。。大きな病院ですので、前の病院のように、入院依頼の患者さまを受け入れれる体制が早くできればと、 ここにきて思いました。わたしも、できることは協力させていただきたいです。。 先生の応援もしますね!! あ、それで本当はきょうのテーマは、ケーキなんです~ ^看護倫理研修会が、この間あって、前の職場の方にも会えて懐かしかったです。12月中旬の前の病院の忘年会にも出席したばかりですけど。。 旭川にいかれた先輩も研修に来られて、 わたしの部屋に泊まっていかれたんです。。 多分、心配されて会いにきていただいたんだと思いますけど・・今度看護体制は7対1看護体制になったので、看護師が不足して、院長先生が札幌まで、募集に来られているみたい。。札幌の大きな民間病院に引き抜かれるみたいなんですよ。 前には東京の大学病院からも札幌まで看護師募集に来られていましたし。。 それで、きょうのブログに載せたかったのは、 先輩のお土産なんです・・(*^_^*) 大好きな大好きな、そしてとても美味しい 旭川の”菓子処梅屋”の フルーツロールなんです~!! とても美味しいんです!!(*^^*)まえに旭川に、施設訪問でのミニコンサートにいったときに、 たべたシュークリームが、すごく美味しくて、 それ以来の大フアンなんです~♪フルーツロールも、お口の中で溶けてしまいそうな感じで いくらでも食べれそうです~ ~ 先輩、ありがとう!!
2008.01.18
お久しぶりです!!きのう、やっと検査入院から退院できました。グログから、心配していただいて、ごめんなさい。でも、多分大丈夫です。入院中、知人の方がお見舞いにきていただいて、嬉しかったです~。 それで、前の職場の同僚も来てくれたんですけど、いま、ターミナルケア専門の在宅訪問診療専門のクリニックでお仕事をされているんです。その方が、在宅ホスピスを支える会の関係で、タイ・チェンマイのバーンサバイ(エイズ感染者安らぎの家)を訪問されてきたんです。タイの現状を聞いたら、とても悲惨な状況なんです。もし元気になれたら、少し協力させていただきたいです。。いままで、そんなに身近な問題として考えていませんでした。。でも札幌でも2007年の12月8-11日に、世界エイズデーがあったんですよ。もし、病院にいかれることがありましたら、 看護師の胸をみてね!!レッドリボンをつけていると思います。多分ドクターもつけているんでないかしら。。エイズ支援のシンボルなんです。バッチは札幌市で作成したもので、札幌の看護師は多分つけていると思います。最近、エイズ感染の心配で、献血をされる方が多いんですよ。でも、献血でエイズの検査はしますけど、陽性でも、献血された方にお知らせできる訳ではないんです。たいていは、保健センターで無料、匿名でしてくれますので、もし心配な方を御存知でしたら、知らせてあげてね。。札幌の、”エイズ検査に行こうよ”のパンフレットの内容を載せますね。レッドリボンとは、エイズ陽性エイズ患者への理解と支援のシンボルです。これを身につけることで、”私は感染者・患者を差別しません”という気持ちを表すことができます。日本のエイズ陽性者・エイズ患者は今もなお、増え続けています。現在では感染者のほとんどが、異性間の行為によって感染しています。特別な人だけが感染するわけではありません。差別や偏見に囚われず、自分自身の問題として捉えることが必要です。という内容でした。エイズの方は、いま異性間で増加していますし、新しいエイズの感染者は20-30代が多くて(68%)、30-50代に広く分布しているんです。詳しい事は、ホームページをみてね。あと、入院中に病院のお外からみえた景色です。。この木が若葉をみにける頃には、わたしも前のように元気になれると思います~*°'**☆。
2008.01.12
1月1日の続きです。実家に、お正月に飾ってあったお花です~ ~今年のお正月、姉夫婦も一緒に過ごしたんですけど、そのあと、みんな北海道神宮に初詣でした。でもわたしは実家でお留守番です。。。ρ(。-、) いま内科にも通院していて、甲状腺のお薬と免疫抑制剤を使用しているんです。それで感染しやすいので、あまり人ごみの中にいかないように、主治医の先生にいわれているんです。。特に、いまはインフルエンザの季節ですし・・実家でに一人になった間、居間で、ミニコンサートを一人で、そしてわたし自身のためにしました。実家は一軒家で、周囲とも家が離れているので、音が外に響かないんです。。じぶんで好きな曲を、じぶんに聴いてもらって、勇気ずけたい。心が満たされるまでしたい!!一人になった時、そう思いました。アベェ・マリアの曲だけをフルートでしてました。アベェ・マリアというのは、“聖母マリアへの祈り”という意味なんです。マリアという名前はもともとヘブライ語で“ふくよかな美女‘という意味だったみたいなんです。それに1月1日は、ナザレのイエスを産んだ聖マリアの祝日なんですよ~*°'**☆。聖マリアの祝日は、1年で10日ぐらいあるんですけど、2月11日のルルドの聖母 、3月25日の天使のお告げ、10月7日のロザリオの聖母、12月8日の無原罪の聖母はよくしられていますよね。マリアの曲も沢山ありますし、ジュリオ・カチーニ、J.S.バッハ&シャルル・グノー、フランツ・シューベルトのアベェ・マリアは有名ですけど、でも、わたしが特に好きなアベェ・マリアはジュゼッペ・ブェルディの“4つの聖歌”の第1曲のアベェ・マリアこの聖歌は、“謎の音階”で呼ばれる音階で有名なんです。。アルフォンソX世の“聖母マリアのカンティーガ集の、カンティーガ320“聖母マリアは取り戻された”聖母マリアをたたえるカンティーガ集は中世スペインの代表的な単声歌集です。ピエトロ・マスカトーニのアベェ・マリアこの曲はマスカトーニが1880年頃の音楽学校に入学した頃に作曲した歌曲です。よく、声のパートはトランペットでもよく演奏されると思います。の3曲をフルートでしました。いつもは狭い防音室でしていますので、実家の広い空間で、フルートができるのは気持ちがいいです。どれも素敵な心が癒される曲ですけど、普通のコンサートなどでは、あまりされないんです。教会のチャリティーコンサートなどでも、たいていは、カチーニ、バッハ&グノー、シューベルトのアベェ・マリアですし。有名な方の曲でないと、聴いていただける方が満足していただけませんし、献金にも影響しますし・・看護学校の時、実習先の修道院で運営している病院で、そこのシスターさまから頂いたマリア様です。いまはユタ州のソルトレイクに戻られてしました。。あと、きょう撮った朝日です。 こんどは綺麗でしょ^ ~お日様の回りのピンクカラーが十字架みたいで素敵でした。
2008.01.05
あまして、 おめでとうございますことしも宜しくお願いいたします。12月31日は深夜勤務あけで、仮眠して、それから年賀状をかいていました。テレビをみながらでしたので、十数枚だけでしたけど、夜の9時までかかってしまったんです。1月1日は実家で、姉夫婦と姉とわたしと両親で過ごしました。姉夫婦がもってきてくれた、すし善の、ちらし寿司は、美味しかったですよ∩(`・ω・´)∩ 1月2日は、お師匠さんのご自宅で新年会があってお伺いしました。ご自宅は、演奏する部屋が、床の土台から独立していて、部屋全体が防音室になっているんですよヽ(*゚ー゚*)ノ60デシベルまでは全然大丈夫なんです。 羨ましいです~。わたしは、余興に弾き語りで、”涙そうそう”をしてきました。 ラストシーンを思い出すと、 瞼が潤んできます。今朝の朝日でした。元旦のを撮ろうと思ったんですけど、ずっと雪でだめだったんですよ。。
2008.01.03
きのうTHE FLITE 91巻が届きました!表紙はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の首席奏者のワルター・アウアーさんです。フルマラソンもされているんですよ。年に300回ぐらいの公演もされていますし、マスタークラスの指導もされていますので、体力がないとできないですよね。 それでそれで、札幌交響合唱団の副首席フルート奏者の高橋聖純さんが載っていたんです*°'**☆。とても音色が美しいんです・・柔らかくて心の中に染透るような音色なんです。今年のびわこ国際フルートコンクールで1位になったんです。あと、キム・ミヒ(Kim Mihi)さんのインタヴューもありました。いま、フランスでお仕事をされています。キム・ミヒさんのマスタークラスの指導を前に受けましたけど、ブリージングの講義はとても参考になりました。今日の夕日です~☆
2007.12.30
今朝、自宅から見えたお月さまです。とても、本当は大きくて、とても綺麗でした。吸い込まれそうになります・・12月25日、稚内の方から、大学の時のオケラの先輩が、バイクで、札幌にきてくたんです。バイクが大好きで、バイクのほとんど改造さてれしました。彼はチューバで、わたしはフルートとホルン担当でした。とても厳しい先輩でしたし、少し練習時間に遅れると、怒鳴られてしまうんです。でも大学を卒業してから、わたしの出るコンサートには来ていただいていましたし、知人のライブでは時々、お会いしていました。25日に突然来られて、お休みがとれたからといわれて、お食事をお誘いしていただいたんです。自宅の近くの藻岩下のリストランテ フォレスタ・ピアンカでした。バイクで5分ぐらいでしたけど、乗せてもらう12月の風は身をきるように寒い・・でも背中に身を埋めているととても温かかった。フォレスタ・ピアンカはイタリアン レストランですけど、藻岩シャローム教会も付属していて披露宴もするんです。彼が席をはずしている時にとったお写真です。友達の結婚式の披露宴の時、ピアノと、フルートと彼のギターで、演奏をしたレストランです。オケラ以外に一度だけ、一緒に演奏させていただいたところでしたので、思い出があったんですね。その時の演奏は、スウィート・ノベンバーの主題曲のONLY TIME(エンヤ)でした。ここで、3人で演奏したんです。わざわざ札幌まで、数時間もかけて会いにきてくれたけど、でもわたしは、彼には多分何もしてあげれそうもない。。寄り添いたい気持ちがあっても、悲しませるだけだと思うと、逃げてしまう。別れた時の彼の背中が寂しそうだった。せめて、手作りの石けんとクッキーを送ってあげたい。お正月に届くように。。いまさら、健康がすべてだと思うけど、どうしようもない。毎日、その日 できる事を努力したい。看護の仕事はできるだけ、もう少し頑張りたい。そのための時間が欲しい。。明日の事を考えてもしょうがない。
2007.12.27
こんばんは~。ご無沙汰していました。体調が悪くて、ブログも更新できませんでした。でも、もう大丈夫ですよ^^お休みしている間に、気になっていた事です。前の病院でもそうでしたけど、いま勤務している病院の救命救急センターにも、年に数名の方が、臨床的脳死の状態になれる方がいらっしゃいます。臨床的脳死というのは、臨床的には法的脳死判定基準の状態を満たしていて、脳波も平坦になっていらっしゃる方です。臓器移植カードをもっていらっしゃらない方ですので、心臓死が、臨床的な死になりますし、それまで医療を中断する事はありません。一般的な臨床的な心停止で、死亡の判定になるんです。でも、臨床的脳死状態の方で臓器移植カードをもっていても、移植カードの記載が不十分で法的脳死判定にならない方もいました。もちろん、臨床的脳死状態でも、心停止までは医療は続けますし、医療を中断する事はありません。でも、せかっく臓器移植カードを持っていらしても、移植を希望する臓器の記載がないと無効なんです。患者さまの意志が生かされないで、とても残念です。臓器移植カードをもっているだけではダメなんです。カードの裏に移植を希望される臓器に○をつけないとカードをもっているだけでは、有効でないんです。ご家族が、患者さまの意志で希望されてもダメなんです。わたしは、臓器移植カードを、いつも身につけています。家族にも、その時は、臓器の提供に反対しないでといっています。わたし自身は、この世界での命が終わっても、わたしの心は亡くなるわけではないんです。もとの世界に戻るだけなんです。肉体は心の入れ物でしかないですし・・ですので、もし、わたしの臓器を移植して、命を永らえる方がいらしたら、提供させていただきたいと思っています。日本臓器移植ネットワークのホームページです。もし臓器移植カードを持っていらっしゃる方が、いましたら、もう一度、ご自分の移植カードに各臓器に○印を付けられているかどうか、ご確認してくださいね。。 お願いします。
2007.12.22
12月11日札幌の“ザ・ルーテルホール”でクリスマスチャリティーコンサート2007バッハ平均律全曲連続演奏会があったんです。バッハ平均律クラブィア曲集の48曲は、前奏曲とフーガの曲で構成されていて、ピアノをされる方には、”ピアノの旧約聖書”に例えられている曲なんですよ。このバッハ平均律クラブィア曲集をピアニストの上杉春雄さんが、今年から6年かけて、全48曲を演奏されるんです。今度のは、平均律1巻の1-8番まででした。第4曲の嬰ハ短調は、とても重要な作品なんです。わたしは、48曲の中でも、この曲が一番大好きです。プログラムの第4曲の解説を一部載せますね。。悲しみをたたえた前奏曲のあと、十字架のテーマ、精霊のテーマ、神のテーマの三つのパートを持つ受難曲。癒しから、悩む人間と、断定的に宣言する神の言葉のやりとりになって、最後は神の言葉を受け入れて人が安らかになれる教会音楽。この曲を聴いていると、気持ちが落ち着きます。多分いまのわたしの心は、この曲のテーマを求めているんだと思います。
2007.12.13
きょう大通り公園の札幌ミュンヘン・クリスマス市(いち)にいってきたんですョ゚.+:。∩(・ω・)∩゚.+:。。札幌とミュンヘンは姉妹都市なんです。 お写真だけアップしますので、 興味のない方はスルーしてね^^大通り公園に行く途中のロバの馬車です。観光客を乗せて、大通り公園の近くを回るのよ。札幌に来られる方は、絶対乗ってみてね*^^* 観光バスより楽しいですよ*°'**☆。札幌ミュンヘン・クリスマス市(いち)です。。 市場でお店が沢山でていました。 広場で賛美歌のコーラスもありました。歌っている方は寒そうでしたよ~♪ お芋屋さんもでていたんです・・でも先輩と一緒でしたので、何となく遠慮しちゃった...ρ(。 。、 )
2007.12.10
きょう、前から、訪問でフルートをさせていただいたお子さまとお母さまとお子さまの、お洋服を買いに一緒に地下街にお買物にいってきました。お子さまの事は、前に何度かブログにのせましたのでみてね^^もう、お子さまのご自宅でのフルートはしていないんです。11月の2週目で終わりました。。だって、もう音楽療法を必要としないほど、お元気になられたんですよ~。外出には、お父さまの、ワゴンカー(?)でギャージ式の電動車イスで、ポータブルの吸引器も一応もっていったんです。わたしは、念のため、アンビューバックも持っていきました。バリアフリーの地下街で、朝早めの込まない時間帯でしたので大丈夫でした。クリスマスツリーをみて、お子さまは笑顔一杯でした~!!(*^^*)地下街のお外は、もう雪なんですよ。ワゴンカーでそのまま地下街に駐車できますので、大丈夫なんです。。お子さまのご自宅でのフルートの音楽は、もう2年以上だったと思います。わたしが、看護師になって救命救急センター勤務になった頃、搬送された患者さまでした。救命救急センターから、脳外科病棟に移られて、そのあと、在宅に戻られた頃は、話しかけても反応はなかったですし、お食事も、胃ろう(胃に直接栄養が入れれるようになってるんですけど)から留置カテーテルで流動食を注入されていたんです。気管カニューレも入っていましたので、声もでなかったんです。いまは、表情もゆたかになって、楽しいことがあると、笑顔をみせてくれますし、笑ったりもなさるんですよ。声も今はスピーチカニューレ(気管と喉の皮膚の間に管が入っていて、そこから、吸引もできますし、穴を塞ぐと声もだせるんです)ですので、楽しい時は、ことばは話せなくても、“あー”、とかの音は出せますし、お顔の表情で、お子さまが何を希望されているかも大体分かるんです。最初、音楽療法を兼ねてフルートをさせていただくために、お子さまのご自宅を訪問させていただいた時は、こんなに元気になられるなんて、思ってもいなかったんです。お子さまのお母さまから、意識がなくても、お子さまが好きだった音楽を聞かせてあげたいというお気持ちと、リハビリの担当の先生から、聴覚刺激は意識障害の方でも、最後まで音の感覚刺激は脳を刺激する効果があるので、意識障害の方のリハビリには効果があると勧められたんです。担当の脳外科の先生からは、お子さまは、植物状態で、これ以上良くなるのは難しいと説明されて、それでお母さまが、これ以上良くなれないのなら、ご自宅で、療養をさせてあげる事を希望されたんです。でもお子さまが、車椅子で外出でさるまでに元気になられたのは、音楽療法というより、お母さまの愛情だったんだと思います。最初は、お母さまと一緒にお子さまの入浴や、精拭をお手伝いさせていただいたり、お母さまの介護での大変さのお話しを聞かせていただいたり、フルートもお子さまの好きなというより、お母さまにも思い出のある曲をさせていただきました。訪問させていただいた最初の頃は、お母さまも精神的にとても疲れていました。お母さまか、気持ちに余裕がないと、お子さまの介護もできませんし、共倒れになってしまうような気がしたんです。本当にお子さまの音楽療法を、リハビリの先生の助言や指導で始めたのは、お母さまのお子さまへの思いを、共有できるようになってからなんです。音楽療法といっても最初は。リハビリの先生のプログラムにそって、モーツアルトをしていたんですけど、でも、それよりお子さまが元気な頃に好きだった曲がいいと思って、勝手にお母さまから、お子さまの好きだった曲を演奏させていただきました。意識障害で、反応がなくても、目をみていると、瞳孔の大きさの変化などで、お子さまの反応が何となくわかるんですよ。リハビリの先生は、最初は音楽療法の研究会に報告する予定だったみたいで、あとで、とても怒られてしまいましたけど・・でも、お母さまと一緒に電動車椅子ででも、外出できるようになって、とても嬉しいです!!帰りに、お母さまが、わたしにリップクリームをプレゼントしてくれましたけど、Hello Kittyの天使バージョンのリップクリームなんですョ 。゚(゚*ω⊂わたしは、もう女の子でないよ・・ね~^^
2007.12.08
お師匠さまのコンサートが、やっと終わりました。。疲れました・・でも、札幌コンサートホールのある中島公園は、夜でも綺麗なんですよ。キタラのある中島公園にいく途中の、パークホテルの木にライトが点灯してました。札幌コンサートホールもライトアップされています。キタラ小ホールでコンサートがあったんです。小ホールのお写真です。 公演中は、お写真はとれませんので、開演前に、こっそり撮ってしまいました。大ホールは、前のブログに載せた札幌コンサートホール KITARA をみてね~☆小ホールの客席の7割ぐらいは、何とか埋まりました。安心しました*°'**☆。お師匠さまの大学の音楽科の生徒さんも、聴きにいらしていましたけど、一般の方も沢山いらしていて、よかったです。札幌は、音楽人口が多い方だと思うんですけど、それでも、クラシックを聴きにくる方は多くはないんです。音楽関係の方達以外は、中年以上の方がほとんどです。毎年のコンサートの数は増えていますので、少ないクラシック人口の小さいパイを奪い合っている感じです。その日は、大ホールでも、コンサートがありましたので、心配していたんですよ。。でも、何とか、お客様も沢山きていただいて、本当に嬉しかったです♪♪もう、わたしも、いまの病院での勤務が始まりましたので、今度のようなお手伝いはできませんので、いままで、いろいろお世話になったお礼に頑張らせていただきました。公演が終わって、帰る途中の豊平館もライトアップされていました。
2007.12.04
きのう、西宮から叔母が札幌に来たので、叔母と母と2人の姉の5人で札幌の藻岩下にあるカフェ『RUTH LOWE(ルースロウ)』にお食事にいってきました。ランチの時間はもう終わっていて、ディナーしかなかったですけど、3000円ぐらいで、美味しいのにお値段がお安すかったでしたよ。家庭的な雰囲気でしたし。。お昼でしたら、カフェスタイルで珈琲とスイーツでもいいみたいです。自宅の真駒内の近くの藻岩下のケーキ屋「ろまん亭」のすぐ近くなんです。お客さまは、女性同士やご夫婦がいらしていました。前菜;ホタテのカルパチョオ 3種盛りパスタメインディシュ姉はお肉でした。デザートです。などです。話しの途中で、わたしの職場が変わったことも叔母に聞かれたんですけど、母は わたしが音大に行かないで、看護職になってしまった事を何度も誰にも聞かれもしないのに話すんですよ。いつも、そうなんです。それを言われると、何となく気まずいです。中学、高校とフルートのレッスンを受けていた頃、全国のフルートコンクールには、先生にもついていってもらって、先生の宿泊代とかも出してくれましたし。。高校の時は受験する音大の先生も個人レッスンに、夏休み、冬休み、連休の時は東京まで通っていましたので、お金もかかったんだと思います。母は音楽教室をしていましたので、わたしにも、その教室で管楽器の講師をさせたかったんですね。でも、わたしは、音大の他に、勝手に受験をしてしまった地元の看護学校に合格して、最後は看護学校を選んでしまいました。音楽教室は、二人の姉が音大にいっていましたので、わたし一人ぐらいは、他の道を選んでもいいかなとか思っていたんです。最初は母は泣きながら、せっかく合格した音大に行く事をわたしを説得しましたけど、でも看護の道を選んでしました。母には、とても申し訳ないと思っています。経済的にも負担をかけてしまいましたし。。自分でもどうして、そういう選択をしてしまったか、分らないんです。受験する前の11月までは、音大以外の事は考えていませんでしたし、ただ音大も公立で、音楽の実技以外に、他の一般科目の筆記試験もありましたので、最初は、一応 看護学校も受験してみただけなんです。一般の受験勉強は全然していませんでしたので、受かるとは思っていませんでしたし。。でも看護学校も受験したい! と心の中で思ったのは、子どもの頃の思い出もあったんです。わたしは小学校の頃、4歳年上の姪のお姉さんが、とても好きでした。いつも一緒に遊んでくれたし、学校で虐めにあった時もいつも相談に乗ってくれたんです。わたしは、小学・中学と、虐められ子だったんですよ。学校の先生は、けんかするのは、両方が悪いからといって、相談しても、聞いてくれませんでした。でもわたしは、タバコの火を腕につけられて、その後が今でも残っています。その事が家族に分って、虐めをさけるために父が単身赴任していた帯広の中学に、しばらく通学していました。吹奏楽グラブで遅くまで、学校に残って、土、日の音楽に熱中していたのも、いじめっ子と会わないですむからなんです。母はわたしが音楽が好きぐらいにしか思っていませんでしたけど。。姪のお姉さん(叔母の娘さんですけど)が病気になった時、いつも学校から帰る途中、入院している病院に遊びにいっていたんです。でも最後は姪のお姉さんも病気には勝てませんでした。その時に側で観ていた看護のお仕事に、思い入れがあったのかもしれません。担当の看護師さんがとても親切で、看護師長さまも、わたしに”看護の仕事が向いているから、大きくなったら、看護師になって、一緒にお仕事しましょ”といってくれた言葉がいつまでも心の中で消える事はなかったんです。まだ小学生でしたので、もちろん、その頃の看護師長さまと一緒にお仕事をする事はできなかったんだと思いますけど。。高校の時の音楽コンクールでは入賞はしましたけど、全国から、優秀な方が沢山集まってきますし、その方達の独特な雰囲気についていけないとかがあって、このまま音大にいってしまうのに抵抗感もあたったんです。音大は、同級生でも、競争相手という感じもありましたし。。高校時代に、看護の日に看護実習をした時、看護の仕事もわたしに向いているかなとか思っていて・・看護学校も受験してしまいました。看護学校の受験を決める時も、見学した看護学校の先輩も、とても優しくで、受験の時にも、いろいろお世話しれてくれて、先輩が緊張しないように、話しかけてくれてたんです。受験の最後の日に、”合格したら、ここにきてね、あなたは看護職に向いているよ”といってくれたんです。でも最後に母の期待を裏切ってまで、看護の道に入ったのは、それだけではないんだと思います。わたしには、看護が、この世に与えられた使命のように感じていたんです。もう肉体的には、この世にはいない姪のお姉さんも、心に中にそう話しかけている感じもしていました。真記さまのヒーリングを受けたのも、りんさまの一斉ギフトヒーリングを受けさせていただいたのもわたしが、合格した音大に行かないで、本当に母の期待を裏切ってまで、看護の道にすすんだ事が、それでよかったのかどうか、だんだん分らなくなって、不安になったからなんです。電話チャネリングセッションもありましたので、それをお願いしようとも思ったんですけど、公立病院勤務でしたので、職場の仕事の悩みもお話しできなかったですし・・でも真記さまの音楽ヒーリングはわたしの混乱した心を整理してくれました。9月一杯で、前の職場を辞めた後、北海道内の小さな施設を訪問して音楽をさせていただいたのも、その心の中の本当の答えを見つけ出したかったんです。いま、心の整理ができて、看護の道にすすんで好かったと思います。わたしが、いまの仕事がいつまで出来るかわかりませんけど、元気でいれる間は、看護の仕事をさせていただきたいです。旧約聖書の伝道の書に天の下の出来事には、すべて定められた時がある生まれる時、死ぬ時泣く時 笑う時抱擁の時 抱擁を遠ざける時求める時 失う時黙する時 語る時愛する時 憎む時曽根綾子さんがそう書いていました。もしわたしが看護の仕事ができなくなってもそれは、わたしが天から与えられた使命を終えて光のリングに戻れる時だと思っています。その時はミチルさまから、作っていただいたわたしの天使わたしの一番傍にいる天使さまが、ヒカリのリングにガイドしてくれるんです。みんなでお食事をした時は、新しい職場で精密検査が必要といわれた、甲状腺腫瘍のことは黙っていました。前に甲状腺癌の手術を受けて、大丈夫といわれていたんですけど。。
2007.12.01
20日、 札幌市時計台ホールでハイメス・海外アーチストとの交流コンサート~中国琵琶の巨匠・劉剛氏を迎えて~があったんです。中国琵琶の劉剛さんは、札幌と姉妹都市の瀋陽音楽学院民族器楽系の主任教授で、毎年北方音楽交流ーMUSICA.織音で、来日されている方なんです。曲は、梁山泊と祝英台(何占豪、陳鋼作曲)をブァイオリンとピアノで札幌の方がされて、揺藍曲(中国の子守歌、浅野宏之編曲)をテノールの桑田敏明さんがされてその後、 劉剛 琵琶リサイタルでイ族舞曲(王恵然編曲)天山の春(鳥斯満江作曲、王范地編曲)新翻羽調緑腰(楊浩明作曲)春江花月夜(古曲)十面埋伏(古曲)を演奏されたんです。琵琶の音色が、わたしの心の疲れを癒してくれます。時計台のコンサート会場は2階で、作りは昔のままなんです。
2007.11.30
新しい職場も1週間たって、やっと慣れた感じです。最初は、毎日お顔をあわせる方達との対人関係には、やっぱり、いろいろ気を遣います。チームワークですので、誰々さんと、あの方は仲が悪いか、ここの職場のお局さまは、あの方だとか、どうでもいいことなんですけど・・休憩室で、何となく噂ばなしをしてしまって、爆弾をふんでしまったりとか してしまいますし。。もとの職場で一緒にお仕事をさせていただいたというか、教えていただいた、救命センターの部長さまが、わたしのことを、前の職場での事をナースステーションで褒めていただくのは、そのお気持ちは嬉しいですけど、先輩の看護師さんは、顔は笑っていても、目は引きつっていましたし・・そんなこと、言わないで!お願い!と心の中で叫んでしまいます。。せっかく、まわりに気を遣っているのに・・でも患者さまの心を傷つけてしまうのが もっと悲しいです。。きのう、前の職場の友達から、こうの史代の”夕凪の町 桜の国”の本を借りてきました。広島の原爆の事を書いた本で、 手塚治虫文化賞新生賞と 文化庁メディア芸術祭大賞 のW受賞をした作品です。まえに映画でみて、映画化の元になったこの本は読んでしませんでした。最初、映画を見たときは、涙が瞼から溢れ出て、止まなかったんです。広島の原爆の映画ではあるんですけど、ストーリーが悲しいというより、心の傷が蘇って疼くんです。前の職場の救命センターに白血病の患者さまは搬送されて、でも原爆の後遺症の白血病が悪くなられて、出血が止まらなくなったんです。わたしが、その方の担当で、患者さまは、原爆でいまの病気になられた事、原爆で家族が、みんな亡くなられた事をわたしに、一生懸命話しでくれたんです。わたしも、原爆のことは知っているつもりでしたし、患者さまの、苦しみも理解でしていたつもりでしたけど、患者さまは亡くなる最後まで、もっとわたしに訴えかけたい気持ちがあったことは、目の表情から、何となく感じていました。それが何かは分らなかったですし、新人でしたので、新人教育担当の看護師さんにお聞きしても、特に反応がなかったんです。でも映画を見て、原爆の被爆体験が、どういうものだったのか・・というか、わたしが全然戦争体験を、言葉でしか知っていなかったという事に、初めて気がついたんです。。戦争や原爆の事は、学校で習いましたし、一応知っているつもりだったんですけど、でも、何も知らなかったんだと思います。 本当の戦争で被害に会う方の悲惨さを・・患者さまも、その事を伝えたかったんだと思います。でもわたしは、それを受けとめるだけの理解がありませんでした。患者さまは身寄りがなく、最後は、誰にも看取られる事なく亡くなられたんです。患者さまは最後に、その悲惨さの思いを伝えたかったんだと思います。そのことに気がつかなかったことが、患者さまに、辛い思いをさせてしまいました。映画で、少し原爆で被害を遭われた方の心の傷を知る事ができました。そのことを思い出すと、わたしの心の傷が疼きます。つらいです。映画を見たあと、その方が眠られている市営の共同霊場にお参りにいってきました。 ごめんなさいと謝りましたけど、あの方に届いたかしら。。その事がとても気になります。
2007.11.28
きょう来週の、お師匠さんのコンサートの最後の準備で、1日中大変でした。+゚(゚´Д`゚)゚+。コンサート会場で音響装置の確認をして、楽器店にお願いしていたコンサートのチケットが、どの程度売れているか教えていただいて、聴きにきていただける方の人数を把握しないとダメですし。。他のお師匠さんの指導を受けられている方は、ミュージックスクールの講師をされていたり、個人レッスンの教室をされていますので、生徒さんにお売りするんだと思います。でも3000円ですので、少し大変みたいですよ。普通は、有名な方でなければ、チケットは札幌は1000円から1500円ぐらいですので。。11月12月はコンサートが沢山ありますし、講師をされている方は、たいてい、そのミュージックスクールの発表会とか、ご自分のコンサートのチケットも販売しないといダメですしね。。わたしは、10-11月の間、お仕事を休んでいましたので、お師匠さんの秘書代わりの仕事をさせられていたんです。お師匠さんは、音楽学校の先生もされていて、そちらには秘書の方もいるみたいですけど、プライベートなコンサートですので、いつもは奥様が会計とか、事務処理をされているみたいなんです。今度は奥様もピアノの伴奏もされますので。。でも、その代わり、看護の仕事が休職中、謝金をいただけるミニコンサートや、結婚式の演奏にも紹介させていただきましたので、そのぐらいのことはしないと。。お師匠さんの会計をしていましたけど、コンサートは赤字にしないように、頑張れますけど、黒字には、なかなか大変ですよ。。それで、帰りにお師匠さんから、 ご苦労さまといわれて、ノルウェーのエドヴァルド・グリーグのCDをいただきました。ノルウェーの方から、頂いたみたい。。エドヴァルド・グリーグさんは、ノルウェーを代表する作曲家で、1843年に生まれて、オスロ音楽院の副院長なども務めていた方です。ピアノ協奏曲も有名ですけど、「ペール・ギュント」は有名ですよね。ノルウェー国民楽派を確立させた方なんです。一緒にエンヤのCDもいただいてしまいました!!(*^^*)。エンヤは、前のブログでも、載せましたけど、大フアンなんです~♪♪
2007.11.25
札幌はもう長い冬の季節に入りました。手稲山のスキー場にも雪が積もっています。。20日からは、新しい病院で勤務しているんです。母校があった付属病院ですので、元の古巣に戻った感じで、とても懐かしいです。今度の職場も、救命救急センターで仕事をしますけど、前の職場みたいには、忙しくないんです。。体調がまだ、完全には良くなっていないみたいでしたので、忙しかったら、大丈夫かしらと思っていました。 ですので少し安心です。。看護師長さまは、看護学校時代の教官でしたし、センターの部長先生も、前の職場で一緒にお仕事をさせていただいた先生ですので、新しい職場という緊張感はなくて良かったです。今の病院は、三次救急(他の病院で、対応できない重症の患者さまを受け入れるという意味ですけど)ではなくて、どちらかというと、院内ICU(病院内での集中医療を必要とする患者さまを受け入れる治療室ですけど)みたいな感じで、前の病院に比べると全然暇なんです。救命救急センターのドクターも専属は3名程度で、あとは他の診療科との兼務ですし。。研修医の先生も数名程度でした。でも、救命救急センターの部長先生は、もう少し、仕事を充実させたいみたいで、わたしもできるだけ頑張りたいです。前の職場は、看護学校を卒業して初めての職場でしたので、ミスばかりして、先輩の看護師さんに怒られてばかりでしたけど、その部長先生は、小さいことまで、手取り足取り教えてくれたんです。患者さんの事を、いつも考えてくださる優しい先生でしたので、その時のお礼を、今度の職場でさせていただきたいです。もう先生にご迷惑はおかけしませんよ*°'**☆。大丈夫です~♪安心してくださいね^^あと初勤務の20日、新しい職場で一緒に仕事をさせていただく方達と、卒業した看護学校の先生たちにル・ニュアンシエのチョコをもっていきました。カカオの原産地が違うブラックチョコが5種類入っているんです。ビロードの口あたりで、スパイシーな後味のグラナダ繊細で洗練された味のカカオで出来たブエネズエラ甘草の風味と赤い果実とグリーンオリーブを思いうかべるサント・ドミンゴまろやかで、花の香りのするエクアドルイチジクと赤い果実の酸味のあるパプアニューギニアです。全部で7種類あるみたいです。カカオが72%入っていて、糖分が少ないですので、甘いお菓子が苦手な方でも、お好きみたいですよ。
2007.11.23
17日のモレエ公園でのイサム・ノグチ バースディコンサートの続きです。コンサートのあったガラスのピラミットです。ここで、小泉浩さんのフルートの現代奏法のワークショップもあったんです。。その後、武満徹さんが作曲した巡りーイサム・ノグチの追憶にーの公開レッスンもありました。イサム・ノグチさんを偲んで作曲されたんです。その時、小泉さんが、“巡り”って、どういう意味かと聞かれたんです。でも誰も お答えできませんでした。そうしたら、ノグチ、イサムのこの彫刻のコピーをわたし達に渡して、この彫刻は直径が5mぐらいある大きいもので、”エネルギーのリング”を現しているというんですよ。。それで、何のリングですか?目で見えないものです。とお答えになりました。エネルギーのリングというのは、輪廻のことを示しているといわれました。ですので、“巡り”という曲の意味も、輪廻の事で、輪廻―生まれ変わりーエネルギーのリングという意味なんですね。。 とてもよく分ります。1人1人の心も、もともとは宇宙の大きな光のリングの一部分で、この世の命もその光のリングから、テラ(地球)に、たぶん何か、使命をおびて生まれてきて、その使命が終わったら、また光のリングにもどるんだと思います。ずーっと、何となくそう思っていました。シスターさまも、人は亡くなるんでなくて、蛹から蝶になるだけで、心は浄化されて、元の世界に戻るだけだと、癌でターミナルの患者さまに、おしゃっていましたけど、 そうだと思います。あと小泉さんがいわれた日本の音楽の事は、また後で載せますね。小泉さんの本を読むとわかりますよ。。終わったら、もう夜でした。。。
2007.11.18
きょう、フルートの現代奏法の本をお書きになった小泉浩さんのワークショップを受けてきました。日本ショットで発刊した”フルートの現代奏法”の本はもっていますけど、よく分らない部分もあって、それも、きょう、お聞きでてよかったです。とても気さくな方なんですよ。それに、音楽のことでも、とても大事な事を教えていただきました。日本の音楽教育はなぜ、遅れているのかということです。そうなんだ!!という感じでした。。このことはまた、後で載せますね^^それで、きのう"のだめカンタービレの#19"が発売になったんですよ!!#19のオビについている応募券(A)と11月24日(土)発売予定のKiss23号”のだめカンタービレ”のページについている応募券(B)の両方を切り取って応募すると、のだめグッズをプレゼントしてもらえるのよ――゚.+:。ヾ(o・ω・)ノ゚.+:。――
2007.11.17
ピンクリボンキャンペーンの活動って御存知でしたか?乳がんの早期発見のための啓蒙活動と、乳がん検診をすすめて、乳がんを早期に治療できるようにするためのキャンペーンなんです。今年の2007ピンクリボンキャンペーンも、10月の乳がん月間も終わり、一段落しました。11月始めにも、来年のキャンペーン活動のための集会がありました。札幌市内の芸術の森公園であったんです。わたしも、少し協力できる事があればと思って参加しました。検診でも看護師として協力できそうですし、ミニコンサートも会場内でできれば、寄付金を集める事もできそうですし。。このブログをご訪問いただいた方に、ピンクリボンキャンペーンを知っていただければと思って、載せました。乳がん検診を受けていただきたいですし、できれば寄付などにも協力していただけますか?乳がんで亡くなられる女性は、2004年で1万人を超えたんです。30歳代から50歳代の女性の死因の1位なんです。日本対がん協会にも乳がんをなくす「ほほえみ基金」があるんですよ。乳がんは、ご自分でも触診でわかることもありますし、小さいうちに検診で、見つければ治る可能性が高いんです。「ほほえみ基金」は、早期発見に必要なマンモグラフィを国内の検診施設に整備することを目的に設立されたんです。ここでも寄付金で運営されているんです。もし協力していただける方が、いしゃいましたら、お願いいたします。ピンクリボンキャンペーンの事はピンクリボンとは~キティからのメッセージ~をみてね
2007.11.13
函館に音楽療法のため、養護施設に伺った時に、"こはる日和"の こはるさまから、施設にお届けしてとお願いされて、サンキャッチャーを贈りした施設から、とても嬉しいプレゼントを頂きました~*°'**☆。その施設は、重度の障害をもたれたお子さまが多くて、半分ぐらいの方は車いすだったと思います。施設の職員の方も不足しているみたいでしたし、お外に出る機会もあまりないと思って。。頂いたのは、入所されているお子さまが作ってくれた工作品なんです。運動機能障害で手も不自由なお子さまや、車いすのお子さまたちが一生懸命作ってくれたんですね。作業療法士の方がお手伝いしてくれたんだと思います。ありがとうございますぅ♪工作作品をみているだけで、お子さまの演奏を聴いていた時の笑顔が目に浮かびます。入所されているお子さまたちは、地方の施設に入所されていましたので、音楽を聴かれる機会はなかったみたい。。それで、本当は、施設訪問での音楽をさせていただくのは、とても難しいんです。コンサートでしたら、聴きたい方が演奏を聴きに来られるんだと思いますけど、施設訪問は、リハビリやデイケアの一環としてされますので、入所されている患者さまは、みなさんが、最初から音楽を聴きたいと思っているわけではありません。面白くないと騒ぎ始めてしまう方もいます。本当に正直なんですよ。。認知症の方でしたら、出て行こうとされてしまうんです。もちろん、普通は職員の方が、部屋の外にお連れしますけど、でも、その後の事が気になります。会場から出された患者さまは、また自分の病室とぽつんと一人でいられるんですね。何となく、その患者さまが仲間はずれにされているようで、悲しくなります。ですので、施設訪問の時は、来られた方が、退屈していないかどうかに、演奏中でも神経が集中してしまいます。出席されている方のお顔の表情、目の動き、体の動きで、何列目の何番目の方が退屈されているのか、感じてしまいます。目で見ているわけではないんです。フルートをしていても、雰囲気で感じてしまいます。何人かの方達とする時は、アンサンブルですので、お互いに協力して、場もちはできますけど、一人ですと、フルートだけでしたら、飽きてしまいますので、トークの他にキーボードをして、途中で声楽もいれます。最後にお子さまたちと一緒にお歌もします。その時の感じで、患者さまのお気持ちが一緒になって、楽しんでいただけるようにというためなんです。患者さまと演奏するわたしの心が一緒に共鳴して、一つになれないと、音楽を楽しんでいただく事ができないです。今までしてきた、パーキンソン病の患者さまや、脳梗塞の患者さまの音楽療法は、患者さまももともと治療目的という事を御存知ですので、御自身の治療のために、演奏を積極的に聴きたいという希望がありますし。。でも認知症の方や、外傷後の高次機能障害の方、重度障害のあるお子さまでしたら、リハビリの一つとして、音楽療法をされますので、患者さま自身は、音楽を聴きたいとかという事ではないんです。最初、施設に入った時から、その施設の雰囲気が分りますし、介護がどの程度されているかもわかります。最初に何人かの患者さまとお話しをすると、入所されていて、患者さまが何を求めらているかも、ある程度、把握できます。あとは、実際に会場で、トークを最初にして、会場に来られている方の反応をみて、演奏する内容をどうするか、その場で決めているんです。フルートも頭部管だけでも演奏できますし、管体だけでも、尺八のように演奏できるんですよ。。高齢者の方たちでしたら、それだけで興味をもっていただけるんです。今度、サンキャッチャーをお贈りした、施設のお子さまには、帰ってきたワンダバの、オープニング、MAT出動、戦うウルトラマンを演奏したら、お子さまたちは、とても喜んでいました。帰ってきたワンダバは昔の番組ですので、実際に観られた事はないと思いますけど、演奏曲自体がお子さまの、気持ちをワクワクさせるんですね。。一緒に送っていただいた、集会室に飾ってあったサンキャッチャーのお写真です
2007.11.11
きょうは立冬です。。札幌の手稲山のスキー場には雪がありました。自宅の真駒内からも見えるんです。それで、平岡公園のケーキ屋さんの、“レ・シェス”のお店が今度、 大丸にも出店したんです。 シェフの遠藤嘉さんは、コシノ・ヒロコのオリジナルケーキをオファーした方なんですよ!!前は、友達の車に乗せてもらって、平岡まで買いにいった事もあるんです。大丸に出店したのは、全然知らなくて、今日、前の職場の方達が、遊びにきてくれた時に、持ってきてくれたんです。少し体調が悪くて、メールもしていなかったので、心配してくれたんですね。 ごめんなさい・・“レ・シェス”のケーキは、とても美味しいの~。生クリームをフンダンに使ったロールケーキのリシェスレアチーズのフロマージュ クリューパイナップルの載ったカリブモダンガールあと、名前は忘れてしまったけど、このケーキが一番美味しかったですよ^^ などでした。みんなで少しずつ分けて食べました。。 いまは元気ですよ・・ でも11月20日から、新しい職場での初勤務が始まりますので、それまでに、もう少し元気になりたいです。 それで、デジカメで写真を撮っていたら、みんなから、何しているのと聞かれたけど、 適当にごまかしちゃた。。前の職場でも、ブログを勝手にのせるのは、できなかったですし、今度の職場もたぶん、そうだと思いますので、誰にもいっていないんです。何人かの方は知っているみたいですけど。。
2007.11.08
札幌はもう晩秋です。。大通り公園の木の葉も落ちてしました。左に見える銅像は、北海道を開拓した昔の方だと思います。スエーデンから送られたトーテム・ポーム(?)です。それで、アップするのが遅くなたったんですけど10月29日(月)に札幌コンサートホールKITARAで”イェルク・デームス&パウル・バドゥラ=スコダスーパーピアノデュオ”があったんです。その日のお昼にも、”お昼のランチタイムコンサート3”でイェルク・デームスのピアノコンサートが1時間あって本当はこっちの方が聴きたかったんです。イェルク・デームスのピアノ演奏はCDでしか聴いた事がなくて、生の演奏は聴いた事がなかったでしたし、母と一緒に行かれる予定の方がいけなくなって、チケットが余ってしまったんで、誘われたんですよ~☆ モーツアルトの曲は幻想曲ハ短調K396ピアノ・ソナタ第14番ハ短調K457ラルゲットとアレグロ変ホ長調ソナタニ長調K448などでした。イェルク・デームスのピアノ演奏は、同じ曲を他の方が演奏したのより、快い気持ちになれるんです。 不思議です・・11月下旬から勤務する新しい職場で、癌のターミナルの患者さまを対象に、音楽療法を緩和ケアチーム(麻酔科の疼痛緩和の専門の先生と、看護師さんと主治医の先生で構成されているんですけど)でされていて、そのお手伝いもお願いされているんです。でも、演奏をお願いされている曲は、やはりモーツアルトの曲が多くて、演奏だけでしたら、患者さまに興味をもっていただけませんので、その曲の説明とか、作られた背景も、演奏の合間に説明しないとだめなんです。それで、いまさらですけど、”モーツアルトの手紙(岩波文庫)”の本を読み直していました。モーツアルトは楽しいエピソードが多いので、患者さまに音楽に興味をもっていただくのには、トークしやすいです。モーツアルトの演奏曲を今度聴きたかったのは、少し自分でフルートで演奏する時のイメージ作りに参考にできればと思って。。
2007.11.05
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