年末年始は、料理とパズルと編み物三昧。
先ほど、無事、4枚目のベストが出来上がりました。
それで、床に広げて、記念撮影。
ぱちり

これは、真四角にゆったりと編みました。
着た感じは、こんな風。
まん中には、V字型に、模様を入れてみました。つまり、三本の糸で編んだのです。
へちま襟(ショールカラー)が、とっても暖かい。
これは、1、2枚目のベストと同じ、野呂英作さんの糸です。

ね、いろんな色が混じっているのだけど、なんとも言えない、美しい色合い。
糸だけ見ると、地味かな・・・と思っても、編んだら、結構キレイなのです。
年末に届いた野呂さんの糸は、まだまだたくさん。
それでね、今度は5枚目を編んでいます。
茶系の段染めです。
さて、実は、昨日、突然母が帰ってきました。
予定では、確かもうちょっと長かった・・・
聞くと、あまりの寒さに、急きょ帰ることにしたらしい。
何十年振りかの寒波で、
毎日、マイナス20度とかマイナス30度とかの、
信じられないような寒さ。
建物の中は、とっても暖かいけど、
ちょっと外に出ると、吸い込んだ空気が、
ナイフのように、体の中に突き刺さったとか。
車も、走っている間はいいけど、停まると、地面に凍りついたりするって。
ほんまかいな、というような話です。
エンジンもかかりにくくなるので、とても大変だったようです。
それでもそんな中、
毎日、先生の知人や親せきのお宅を
ずーっと回って、宴会また宴会。
いろんな人が先生を招くから、母も一緒に招かれて、接待されて。
年配の人とかは、
日本軍に占領された時の記憶があるから、
日本を賛美するような歌とか言葉を覚えてて、
それを母に歌ってくれたりするのが、
とっても悲しかった・・・と言っていました。
きっと歓迎の気持ちを表すために
歌ってくれたのでしょうけど、
それを、その人たちが、
当時どんな状況で教えられたかを考えると、
自分の戦争体験とも重なって、
つらい気持ちになるらしい。
旧満州の長春(新京)だもの。
30年ほど前に、南京に行ったとき、
日本軍の略奪や虐殺の記念館に入って、
中の展示物を見せてもらっているとき、
なんか、私にも
責任があるような気分になっていました。
それでも、私たちは、国賓のように、
歓迎されて、しょっちゅうパーティーがあって、知事さんみたいな人とかから、接待されて、
カンペイ、カンペイの毎日だった。
中国の人たちからすると、
380人くらいの団体だった私たちを、
どんな思いで見ていたのだろう。
日中友好通商条約がちょうど締結された時だから、親善ムードが最高潮に達していたとは思います。
でも、髪に大きな花飾りをつけ、
首にスカーフを巻いた子どもたちが、
大勢で中国と日本の旗を振って出迎えてくれたり、
歓迎式典で、いろんな催しをしてくれたりするのが、
申し訳ないような、
そんな気がしていました。
お隣同士の国なのだから、もっともっと仲良くなるといいな、と思う。
それには、まず、お互いをよく知ることですね。
母も、日本人のイメージアップに役立っていたらいいけど。
さて、お風呂に入ってきましょう。
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