2015.04.16
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カテゴリ: 庭の花
16-8.jpg
都忘れ 」という名前は、以前から知っていましたけど、
誰が都のことを忘れようとしたのかについては、
調べたことがありませんでした。
今回、この日記に載せるついでに、調べてみたら、
順徳天皇 (鎌倉幕府打倒!!)が『 承久の乱 』後、配所で詠まれた
いかにして 契りおきけむ 白菊を
都忘れと 名づくるも憂し 

 という歌に由来しているのだそうですよ。
でも、今私たちが見ている「都忘れ」は、
江戸時代以降に作られた 園芸品種らしいので、
順徳天皇が見たのは、これと似た別のお花なのでしょうね。
順徳天皇のお父さんである後鳥羽上皇が、
白菊が大好きだったことは有名らしいので、
その白菊に似た花を見ると、都を忘れる???
いや、かえって、都のことを思い出しそうです。
だから、順徳天皇は、 絶望のあまり断食 し、
ついには、 自分の頭に焼石をのせて 亡くなったとか・・・・
すごい自殺の仕方ですね。
21年間の島での生活で、
すっかり心が疲れてしまったのでしょうか。
亡くなったとき、順徳天皇は45歳。
佐渡に流された人はたくさんいたのでしょうね。
後醍醐天皇 に仕えた 日野資朝 (すけとも)さんも、
鎌倉幕府を倒そうとした陰謀が露見してつかまり、
佐渡に流された後、斬首 されています。
(後醍醐天皇の方は、隠岐島に流罪になったけど、
無事脱出した後、大活躍でしたね。) 
それから、 日蓮さん も、佐渡に流されていたそうですけど、
この方は、4年間で無事御赦免になりました。
鎌倉幕府を批判したことで処刑されかけていたのに、
流罪で済んで、それから御赦免にもなって、
良かったですね。
あらら、どんどん脱線してしまいました。
歴史も面白い。
とっても興味深いです。
というわけで、現在、どんどん咲きすすんでいる我が家の都忘れ。
16-9.jpg
庭のあちこちで、咲いています。





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Last updated  2015.04.17 07:12:33 コメント(6) | コメントを書く


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