2016.08.31
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カテゴリ: 生き物
変な台風10号は、ようやく日本海に抜け、
東北・北海道地方も、これから天候が回復することでしょうが、
被害があった方たちには、お見舞い申し上げます。

さて、その台風のおかげで、すっかり涼しくなった昨日のお昼、
庭に出て、写真を撮りました。

昨日はツマグロヒョウモンが、メス1、オス2、
ナミアゲハが2、ナガサキアゲハ1、チャバネセセリが2
シジミチョウの仲間が3と、チョウがたくさんいました。
また、ブーーーンと羽音を立てる大型のハチもいました。



もちろん、その場ではなく、部屋に戻ってパソコンで見て
初めて、そのことに気づいたのですけどね。

はい、それはこれです。



見えますか? 蝶の口の中に、何やら白いつぶがいっぱい。

ツマグロヒョウモンのメスの口の中なんですよ。

産卵の前で、栄養を摂るのに夢中なのか、
私が、ほんの20cmくらいのところでカメラを構えていても、
ちっとも気にせず、そのまま吸蜜。

おかげで、ピントがびしっと決まるまで、


それを、部屋に戻ってから見ていたら、発見したのです。



それから、いろいろ調べてみたんですよ。

でも、チョウの下唇鬚(カシンシュ)や長いストローのような口については、
いろいろと書かれているのに、

写真も、説明も、見つけることができませんでした。

ひょっとしたら、体の構造ではなくて、
他の生き物によって産み付けられた卵かしら、
なんて、考えるようにもなりました。

蜜は、この長い口で吸い上げるわけですから、
食べ物がくっつくとは考えにくいですよね。

何だろう???


では、他の写真も載せます。


























以前はよく蝶を手でつかまえて観察していましたが、
この美しい鱗粉を傷つけてしまうとわかってからは、
触らず、写真を撮るだけにしています。

こんな鱗粉を、一度自力で電子顕微鏡で見てみたいのですが、
すぐには実現しそうにないので、
こちらのページ で見てみてください。

せめて、自分の実体顕微鏡を使いたいけれど、
それでも、やっぱり蝶の翅を傷めてしまうでしょう。

ちゃんと、がまんしています。








では、ここからはおまけ。

昨日、Scotchケンさんのところで、杜甫と李白に出会って、
嬉しかったので、これをのせますね。

以前、かな書サークルで漢詩の一部を書いた時に、
自分で調べてワードで書いたものです。



これは、杜甫が、安禄山の乱で逃げ出してかくまわれていた時、
その杜甫を慰めるために山に連れていってもらった時の詩。


いつ捕まるか、と心落ちつかぬ日々を送っていた杜甫を
知人である白水県の尉官である崔十九翁が連れて行ってくれた
高い場所にある書斎のような場所で書いた詩です。

くわしく知りたい方は、 こちら で。


今はいいですねー、
こんなに詳しく調べた人が、ちゃんとHPで公開してくださっています。

昔なら、図書館とかに行って、たくさんの本の中から
自力で調べないといけなかったはずです。

今は、ポイントになる言葉を書いて検索すれば、
たくさんの資料がピックアップされるし、
画像検索、動画検索、地図検索・・・・
本当に便利になったと思います。




次のも、同じく、かな書サークルで書いた文字、
「清白遺子孫」の意味を調べようとして、
この詩に出会ったので、
書き下し文と、現代語訳を、ワードで書きました。
現代語訳は、私がやったものです。
(かな書の先生にも見せたんですよ)




小さくて見にくい方は、クリックするともう少し大きくなります。

「清白遺子孫」と聞いただけでは、
なんのこっちゃ!!

という感じですが、
これは、白居易さんが、奥さんに捧げた詩だったのです。




また、そんなに有名ではないかもしれませんが、
左思という人の詩も調べました。

同じように、原文と書き下し文、
そして、現代語訳をつけて、ワードで作った文書です。





左思さんは、西晋の貧しい家の出身で、
おまけに容貌が醜く、どもりだったらしいのですが、
学問に励み、文章もとても上手な人だったそうです。

妹が、西晋の武帝「司馬炎」の後宮に入ったことがきっかけで、
首都の洛陽に転居し、それから、魏・呉・蜀の三つの都を詠んだ
「三都の賦」を十年かけて執筆したのだそうです。

それが大評判となり、みんながこぞってその書を書き写したので、
洛陽の紙の値段が上がってしまった・・・という逸話があります。


ちょっと、中国のサイトになりますが、
ここに、原文が あります。


これを見ると、私も書き写してみようかな、と思えるくらいの量。

どこがそんなに素晴らしいのか、私にはよくわかりませんが、
これを十年かけて推敲して推敲して仕上げたのでしょうから、
きっと、素晴らしい出来なのでしょうね。

可笑しいのが、最初はみんな批判してあざ笑っていたのに、
えらい先生が褒めた後、名士の人が序文を書いたら、
とたんに、貴族や金持ちたちが大騒ぎして
ほめたたえるようになったという話。

今でもありそうです。

そんな、大評判になった左思ですが、
自分を大事にしてくれた高官が誅殺されてからは、
官職をやめて隠棲し、書物相手の暮らしをしたそうです。

そして、よくわからないけど、55歳くらいで亡くなったみたい。

上に紹介した詩は、不遇のまま年老いていく我が身を
天地と一体になって嘆く詩なんですね。

中国では、こういう人がとにかく多かったことでしょう。

また、一度高官になったとしても、皇帝でも、
安心はできません。
いつ、陰謀でやられてしまうか、
襲われて殺されてしまうか、ちっともわからない。

一般庶民も、どんどん支配者が変わっていく中、
なんとかして生き延びていくために、
いろんな苦労があったことでしょう。

日本もいろいろあったけど、
中国は、さらに人の命の価値が低く見られているような・・・


とにかく、漢詩を見ても、
その時代背景とかを合わせて味わうと、
感慨深いものがあります。



では、今日の日記は、これくらい。









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Last updated  2016.08.31 13:58:18
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