小説を書こう!

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2007.10.27
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 外では、この冬、東京では初めての雪が降っていた。夕方頃から雲のかけらが落ちてくるように降り出した大きなボタン雪を、私は自分の部屋の窓の小さな隙間から目撃した。その雪は、私が思っていたよりもあまりに白くて、心がカサカサと鳴っているような不思議な感動を覚えた。
 中学一年生の三学期が始まって一週間がたっていた。
 窓の外で冷気に息を白くさせながら、その日学校であった事を思い出そうとする。だけど、私の目の前は、深い落とし穴にはまって周りが真っ暗で何も見えないかのように、何一つ浮かんでこなかった。本当に、その日私が何に悲しみを覚え、何に怒りを感じ、何を心に焼き付けたのか全く分からなかった。
「何も思い出さないってことは、何も無かったということなのかな……」
 私の白い声は、雪に混じってすぐに見えなくなる。
「深い落とし穴……、か……」
 この言葉が、私にあることを思い出させる。そのことは、私がクラスメートや家族と話せなくなった小学五、六年の時に、よく一人ぼっちの部屋で考えたことだった。それは、こういうものだ。
『ギャグ漫画で、主人公が落とし穴を掘っている。ひたすら掘り続けた。すると、あまりに深く掘りすぎたために外に出られなくなってしまう……』
 私は、この話のどこが面白いのか分からなかったし、逆にジワジワと地面から足に這い上がってくるような恐怖を感じた。私は、この穴を掘った場所が深い森の中とかだとしたらどうするのだろうと思った。どんなに穴の中から叫び声を上げてみてもその声は穴の中でこだまするだけで誰にも届かない。誰にも発見されることも無い。もしかしたら、いなくなったという事にすら気付いてもらえないかもしれない。そして、ジメジメとした穴の中で、暗闇の恐怖に体を震わせ続けながら腐っていくのだ。自分の力で穴を掘っていながら、自分の力ではもうそこから抜けられないという無力感の漂う絶望の中で、頭の遥か上の丸く切り取られた青空を見上げるのだ。
 私は小さく溜め息をはいて、窓を閉める。そして振り返って、自分の部屋を眺めた。窓の外は一秒ごとに暗くなっていくかのように、急に暗くなっている。その闇が窓を通って、電灯が一つも点いていない部屋に流れ込んできていた。もう一時間もすれば、この部屋は闇で一杯になるのだろう。勉強机の上に置かれている雑誌や漫画の山はその闇に溶けていくかもしれない。その闇は私の中にも流れ込んでくるかもしれない。そして、この部屋は、「落とし穴」の中になっているのだ。私はそのことを経験から知っていた。いつもなら、ベッドの片隅に体を縮こませ、だけど目だけは思い切り開いて闇を見つめて夜をやり過ごしていたのだけど、あまりに白い雪を見てしまったその日は、一階へ降りてみようという小さな勇気があった。
 私は薄暗い自分の部屋を出て、静かに階段を降りる。洗面所のほうからは、風呂の水を出しているシャーという音が聞こえた。私は茶色い居間の戸を前にして、その向こう側にはやはり私の居場所なんて無いのではないか、という思いが襲う。だけど私は小さな勇気を信じてその戸の取っ手に右手の指をかけ、力を入れた。戸は思ったよりも軽く横に滑っていった。
「あれ、慶ちゃん、どうしたの?」母の声。
 私には明るい世界から四つの目玉が向けられている。意外そうな目。私は体を居間の中に入れずに、黙ってそのまま戸を閉めようかとも思った。だけど、母や姉をそこまで敵に回す勇気はなかった。私は、「テレビ、見ようと思って……」と低い声で呟きながら、ソファの端に腰を浅く下ろした。
 テレビではニュースをやっていた。
 傘をさしたリポーターの女性が、寒そうに息を白く凍らせながら、「大雪になりそうなので、十分注意をしてください」と言っている。
 私はそのニュースを見るともなく、部屋の後ろから姉と母の様子を観察していた。
 姉は体を前に乗り出して、ひじをひざの上に立て、その上に顔をのせて真剣そうにテレビを見ている。二つの手のひらが頬を蔽っていたので表情はよく見えなかった。母は、姉の前のソファに座ってコーヒーを飲んでは新聞を読み、読んでは飲み、を繰り返している。
 私の心臓は、部屋の一番後ろに腰掛けているだけなのに、スピードを上げて脈打ち始める。私はテレビのリポーターの声と一緒にその心音を聞いていた。そして、やはりここには私の居場所なんてないのかもしれない、と思った。
 自分を捻じ曲げるようにして学校へ通うのと同じように、リポーターの声だけが響いている居間も私の安息の地ではないのだ。
 でも、安息の地ではないからこそ勇気が出るということもあるのかもしれない。なぜなら、そこはもう私にとって守るべき場所ではなくなってしまったのだから。
 私は、言おう言おうとしてどうしても言えなかった言葉を言ってみようかと思った。
「私、もう学校へ行きたくない」
 リポーターの声が不意に止まった。そして居間にはあまりに突然に沈黙が訪れたのだ。まるで私の呟きがその沈黙を呼び寄せたかのようだった。そして困ったことに私の一言は、テレビの垂れ流す騒音にかき消されることなく、居間を包み込むようにして漂ったのだ。






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Last updated  2008.11.03 20:51:08


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