俳句で綴る 悠々の一年三百六十五句

俳句で綴る 悠々の一年三百六十五句

2007年08月13日
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                                        「まがき」に囲まれた能登の家屋

11日、12日と、また、能登に行ってきました。
11日はそうでもなかったが、12日はお盆休みでなのか、県外のナンバーを付けた車が多いように感じた。ガソリンの高騰が叫ばれても、やはり、車の便利さには勝てないと言うことか。
(増して、能登線も廃止になっしまって、なおこと...)

夏の能登半島の岬は燃える陽炎に揺らいでいた。空も海も、その青さを普段より深いものにして、太陽は痛い程に肌を突き刺して来る。

半島の外側(外浦)の小さな湾の奥まった狭い土地に、身を寄せ合うように数軒の家々が、ひっそりとたたずんでいて、強い冬の季節風から少しでも逃れようと「籬(マガキ)」と呼ばれる垣を家屋の周囲に巡らし、必死に厳しい冬をやり過ごそうとする能登の素朴な生活が伺えます。
自然や四季、それらを素直に受け入れて共に生きる。
本来の人の生き方とは何なのか、あらためて考えさせられる。
内紛や戦争、そして公害に地球の温暖化、原発の事故、などなど...。
幸せを求めるために、それ以上の別な不幸を背負う。
未来に負の遺産を残してはならない。
今、自分達が平然とやってることは、せっせと負の遺産を未来に残すことのような気がしてならない。



「キリコ」の正面には南無阿弥陀仏と書かれているところを見ると、浄土真宗のそれも限られた地方でのものだと思います。
「キリコ」はお盆の頃になると、スーパーなどに供花やお線香と並んで、普通に売っています。 
浄土真宗が盛んなところでも、金沢以外のところで見たことはありません。
この風習がいつごろから、どんなことで始まったのか分かりませんが、子供頃、お盆に墓地の近くを通ると、灯りの入った「キリコ」が風に妖しく揺れていて、それが恐くて息を切らせて走り抜けたことが懐かしく思い出されます。
ワタシも供花とお線香、ろうそく、そして、キリコを携えて、少し涼しくなった今日の夕方にでも、お墓参りに行こうと思います。

能登に夏まがきの風を迎へけり

金沢の盆はキリコを揺らす風

蝉を追ふ網を持つ子に篭持つ子

子どもらの大樹に伸ばす捕虫網






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最終更新日  2007年08月13日 11時59分20秒
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