歴史小説が好きな爺のHP,

歴史小説が好きな爺のHP,

2005/10/06
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
昨日の続きです。

三藩の乱 (さんぱんのらん) は、清初の漢人武将による反乱。雲南の呉三桂、広東の尚之信、福建の耿精忠が反乱を起こした。

三藩は明滅亡後に南へ亡命した諸政権(南明)を指す事もあり、その場合は南明を前三藩、呉三桂たちを後三藩と読んで区別するが、普通に三藩と言った場合は概ね呉三桂たちのほうを指す。

1674年(康熙十三年)、呉三桂は湖南を占領し、ここから軍を東西に分けて西は四川省・陝西省へ、東は広西・福建へ進軍させ、同時に尚可喜・耿精忠に対して呼応の誘いをかけた。耿精忠は誘いに乗って反乱を起こすが、尚可喜は抵抗したために尚之信に殺されて尚之信は反乱を起こした。

これに加えて台湾から鄭経(鄭成功の息子)も呼応し、一時は長江以南は全て呉三桂たちの手に落ちた。

しかし呉三桂たちの反乱は元よりこれと言った方針があったわけではなく、自分達の権益を守るためのものであり、民衆からの支持は薄かった。

呉三桂たちは満州族を追い出して漢族の世を取り戻すとの大義名分を掲げていたが、その漢族王朝の明の亡命政権を南に追い詰めて滅ぼしたのは他ならぬ呉三桂であり、この言行を冷ややかに見つめる者も多かった。

また呉三桂たち三人は全て同格であり、指揮権の統一が為されていなかった。
これらの弱点により清側も徐々に盛り返し、反乱軍を各個撃破する事に成功した。1676年(康熙十五年)、陝西が鎮圧され、更に尚之信が降伏する。



      出典はフリー百科辞典ウィキペディア






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2005/10/06 09:01:35 AM
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

コメント新着

爺3684 @ Re[1]:サボテンの花(06/09) じゃまぽさん ご無沙汰ばかりで申し訳有…
じゃまぽ @ Re:サボテンの花(06/09) 枯らしやのじゃまぽは亡き父の置き土産?…
mkd5569 @ Re:サボテンの花(06/09) 朝のブログ更新おつかれさまです。 今日…
爺3684 @ Re[1]:咲きました(05/17) ララちやんさん ご無沙汰ばかりで申し訳…
ララちやん @ Re:咲きました(05/17) お久しぶりです。わがページのぞきに来て…

カレンダー


© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: