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2006.05.31
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テレビを見ていたら「こねつけ」を特集していました。ババの大好きな「お菓子」です。そして、ババの母が思い出される食べ物です。こねつけとは、ご飯に小麦粉と水少々を加えてこねたものを油で揚げたりフライパンで焼いたりする昔からこの辺に伝わる食べ物です。昔(戦前)はもっぱら夏や秋の子どものおやつでした。ババの母は、残りご飯を決してむだにしたことはありません。ババ達が子どもの頃、ご飯がたくさん残ってしまったとき作ってくれました。当時は冷蔵庫などなかった時代ですから、時には、ちょっと悪くなりかけのご飯もあったかもしれません。残りご飯に、そのときどきのあるもの、秋ならさつまいも、春ならジャガイモをふかして入れたり、あるいは卵を入れたり、黒砂糖を細かく刻んで入れたりして、小麦粉と水を少々加えながらよくこねて、ハンバーグぐらいの大きさに丸めます。油で揚げたり、焼いたり、ふかしたり、あるときはお鍋にたくさん湯を沸かし、沸騰したところに次から次から入れて、長い菜ばしで鍋底からそっと動かし、こねつけの位置を変えながら作っていました。変なお菓子よりずっとずっとおいしかったです。ババも何度となく作りましたが母の味と同じようにはまれにしかできませんでした。(今はもうお勝手仕事はほとんどやりません)ゴマやらイクサの練った砂糖を加えたとろりとしたものをこねつけにかけてくれました。現代ではバター当を入れるのでおいしさが当時とは違いますが、母の作るこねつけはピカ一だったと今も信じております。
2006.05.31
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午前中は朝顔の手入れ。毎年道行く人に楽しんでもらっている (と思うが、実際はわからない)。間引き、草取り、水くれ、施肥、等。午後、ジムのヨガクラスに参加、その後水中歩行。帰って一服した後、床屋へ行く。頭髪はほとんどない。とはいえ、明日は葬式に出るのできちんとしないといけない。2カ月に1篇の3900円也。4時過ぎ帰宅。地元の紹介をテレビで見聞する。知らないこと多し。
2006.05.30
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ババは9人きょうだいです。一番下の妹は年が20離れています。近くに住んでいるので何くれと気に掛けてくれます。感謝しています。その妹の夫のお姉さんが昨晩亡くなられました。電話が昨晩あったとのことですが、ジジとババには朝になってから伝えてと妹が言ったとのことで、朝になって知りました。皮膚がんで長いこと苦しまれていました。亡くなったと聞いて、ああ、楽になったね、休んでねというのが正直な感想でした。でも、肉親はまた別の感想を持ちます。義弟にとっては最後に残ったたった一人の肉親です。今朝挨拶に伺ったら、お相撲さんのように身体の大きな義弟、必死に涙をこらえていまにも泣き出しそうでした。あすは友引なので、お葬式はあさってということに決まりました。年を重ねると、新しいお友だちができることはほとんどなく、知り合いが減るばかりです。さみしいことです。ババはきょうだいの中では上から2番目、長女です。両親はもとより、兄も亡くなり、弟も2人亡くなっています。さみしいです。義弟のお姉さんのご冥福をお祈りいたします。
2006.05.29
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土曜日。地区の球技大会の日。マレットゴルフ競技に出場を依頼されていた。起床6時で諸準備を進めていたが、直後、降雨激しくなった。きょうは中止かなと思った。7時過ぎ、小雨となり、空もだいぶ明るくなってきたので実施できると思って待機していたら中止の知らせが来た。したがって午前中はゆっくりと過ごした。だんだん晴れてきて、朝の雨が嘘のように快晴となる。午後はジムに行き、リハビリの水中歩行をする。4時過ぎに帰宅。以降はお勝手の手伝い、洗濯物たたみの手伝いをする。
2006.05.29
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SONY MZ-DH10P ポータブルミニディスクプレーヤージジババのブログ、文字ばかりでなく、写真も入れようと購入した。新しいものにはいつも苦労する。取り扱い説明書を読んでも、使い方がまだ理解できない。写真用音楽用区別なく、MDとやらを買ってくればいいのか。写真が載せられるようになるまで時間がかかりそうだ。
2006.05.28
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ジジ記。そのときが来たとき、家人らに少ない預金通帳や保険証書や土地建物権利書などが、残された者によくわかるようにしておいてとババからずっといわれている。午前中それらの整理点検をする。午後はリハビリの水中歩行に行く。夕飯は早め。その後、片づけをする。昔と違い、今は服などの形見分けなどしなくなった。ババが、イトコから言われたという「誰ももらい手のない故人の服は全部川原で焼き捨てたと。大切にしまっとかないでどんどん出して着ようね。一度も袖を通してなくても焼かれてしまうだから」という言葉。ちらちら思い出すも、古いというだけでどこも破れていない服をゴミとして出し、新しい服を着る気にはなれない。そういう言葉を言いつつ、ババが潔く着る物を捨てたところも見たことがない。
2006.05.28
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ババ記。きょうのデイサービスの昼食は次のようでした。・ご飯、味噌汁(なすと小松菜)・鳥のから揚げ、レタス敷き・煮物:大根、人参、もう一種ありましたが思い出せません。ジャガイモでもない、みすず豆腐でもない。・細かく刻んだ漬物・キウイ入りみつ豆おやつは・サツマイモの茶巾絞りありがとうございました。
2006.05.26
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ジジ記。きょうはゴミ出しもなかったので、朝ゆっくりする。9時40分ごろ、デイサービスの迎えの車が来てババと二人で行く。いつもとほぼ同じスケジュール。入浴、体操、お昼寝、ゲーム。きょうのゲームは、一種のボーリング。ソフトボールぐらいの大きなボールをスティックで打って10本のピンを倒す。ジジは6本、ババは4本であった。ストライクを出した人もいた。2名。きょうはいつもと違う席に名札が置かれていた。右も左もしゃべらない人で困った。帰宅後、畑の野菜に水をくれる。夕飯は小豆ぼとだった。小豆とかぼちゃの甘い汁の中におほと(うどん)が入っている。本来なら秋の料理だ。おいしいかぼちゃが収穫できる頃の料理。きょうのかぼちゃは冷凍だという。冷凍でもまったく構わない。実にうまかった。
2006.05.26
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ババ記。木曜日。きょうも家族に合わせて起き出しました。起きれば、このババにも何やら仕事があります。この一日も生涯のうちの一日だと思えば軽んずるわけにはいきません。母の亡くなった88歳の年齢まで生きるには、どんなに焦ってもあと6年かかります。この頭がボロボロにならずにいられるかなあと床の中で考える人になりました。久しぶりに美容院へ行って髪を切ってもらいました。夜は、切った髪の小さいのが背中や頭の中に少し入っているのでお風呂に入って、家人に頭と背中を洗ってもらいました。手足や前は自分で洗って、出てきて電気のドライヤーで乾かしてもらいました。幸福です。ありがとう。
2006.05.25
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ババ記。水曜日。お昼を食べて少々やすんで、ジジと畑へ葱を植えたり豆を撒きに行きましたが、雨がポツンポツンと降ってきました。雷まで鳴ったので豆は撒かずに帰ってきてしまいました。ジジの友人でゴルフ中に雷に打たれて死んだ方もあります。この畑は、ジジババたちにはできないので知り合いに依頼して管理してもらっています。きれいにすいてくれてあり、藁を漉きこんでくれてあり、とても土の状態がよく気持が良かったです。ババの実家は農家でした。娘時代は手にも鋤胼胝がありました。それが消え失せて早や何年になるやら。いろいろやってきたわれの過ぎ越し懐かしく、この身が愛しくなりました。もう実家には血肉を分けたものは一人もいません。兄は5年前に亡くなりました。弟も亡くなりました。時々無性に淋しくなります。
2006.05.25
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ババ記。月曜日、火曜日。ウェルサンピアの湯に一泊二日で行ってきました。電話で、近くに行くのでとババの叔母一家をお誘いしましたら思いがけず夕食を共にしてくれることになりました。4時ごろ、叔母のつくった蕗の煮物、漬物等を持って宿を訪ねてきてくれました。皆に会えて、暫し話に花を咲かせることができました。叔母は元気いっぱいとは最早いえません。温泉にも疲れるので入りたくないとか。でも、頭の方はまだまだ。81歳のババよりまだ若いみたいです。あやかりたいものだとつくづく思いました。今でも毎日三食ご飯の支度をしています。叔母たちは泊まらずに帰りました。久しぶりにお会いできて、それも全員に。楽しいひと時を過ごすことができました。
2006.05.25
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ジジ記。木曜日。朝、生ゴミを出す。午前、昨日できなかった枝豆の蒔き付けをやる。きょうはお付きがおらず、一人で行く。家の裏の畑はわずかだったが、こちらの畑は3畝になる。2回さくって、肥料を撒き、土おろしをしてから、種子の蒔き付け、さらにもう一回土おろし。計6回畝を歩くので大変だった。腰も痛くなった。午後、ジムへ行く。リハビリ水中歩行をして1時間半ほどで帰宅。帰ってから、植物、蒔物に水をやる。夕方までかかる。
2006.05.25
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ジジ記。水曜日。今朝はゆっくりする。おそ起き。おそ朝飯となる。午前、枝豆などの苗木を購入する。午後3時過ぎ、ババと一緒に植付けに行く。最中に雷が鳴り、幾分降雨となった。ババが帰ろう帰ろうという。葱だけ植えて帰る。このところ畑が乾いているので植付物が育つかどうか心配だ。
2006.05.25
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ババ記。バラは咲いていませんでしたが、昨日はバラ園の園内を歩きました。正味1時間ほどいたでしょうか。ババが歩いたのは15分ぐらいですが、限界まで歩きました。きょうの午後は、ジジと一緒に畑に行き、ジジが種を撒くのを手伝いました。夕方、夕焼けがきれいでした。いつもならいい空気を吸うためにも外に出て夕焼けを眺めたいところですが、きのうきょうとちゃんと外に出たのできょうは許してもらいました。運動しましょう運動ましょうと、家人からも、ケアマネさんからも、テレビや新聞でもいわれますが、ちょっとの運動がしんのです。老人になるとこんなにも疲れるものか若い人にはわからないのでしょう。
2006.05.24
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ジジ記。朝食はバイキングでおいしくいただけた。昨晩の親戚の話では、厚労省はウェルサンピアから手を引きたい(あるいはすでに、手を引くことが決定?)のだという。その後は、地元自治体が引き継ぐか民間が引き継ぐか。何年後かにどうすべきか地元ではいろいろ話題になっているという。更地にしてもらうのが一番ありがたいといっていた。ジジたちが泊まったウェルサンピア、まだ10年と経っていないらしい。神前及びキリスト教式の結婚式もでき、大宴会場も複数あり、相当に大きな施設だ。あれだけの建築物を10年でつぶすのだとすれば資源がもったいない話だ。だが、これがサービス業かと、今回泊まってみて少々の違和感を覚えたのもたしか。露天風呂付き大浴場のロッカーは返却式ではあるが100円玉を持って行かねばならない。ジジは忘れた。部屋の電気は、鍵についているカードを挿さないと点かない方式。シングルの部屋ならいざ知らず、複数人で泊まる部屋にカードは不便だ。不慣れなアルコールで眠くてしょうがないジジが寝てから家人が大浴場へ行くという。帰ったとき起こしては悪いからと鍵のついたカードを抜くとすべての電気が消えてしまった。真っ暗ではトイレにも行けない。危ないからと、非常用の懐中電灯を点けて枕元に置いていってくれ鍵付きのカードを持って風呂に行った。バイキングは7時から9時までだったが、8時半過ぎたら果物はほとんど残っていなかった。果物は他の料理を食べた後に取ればいいと思っていたので最初のときに取っておかなかったのが敗因?か。フロントにはスタッフが1名しかおらずチェックイン、チェックアウトとも先客がいてだいぶ待たされた。今ほど、バリアフリーが言われていなかった頃の建築なのでしかたないのか。部屋にある風呂とトイレが一緒になったドアとその下の廊下に段差がある。15センチぐらい。ババは低い方から高い方へ行くのはそれほどでもないが、高いトイレから低い廊下に出るときだいぶ苦労していた。聞くところによると、老人会等の団体等が一部屋に数人ずつに別れて泊まる場合には段差を解消するための踏み台を貸すという。風呂・トイレ・洗面が一緒になったあのサイズはビジネスホテルのシングルでよくみかけるサイズだ。貧しい感じがした。帰途、家人が、英国式ローズガーデンに寄りたいという。どうせ帰り道方向だと寄ることにする。立派な外国の館のような建物で入園料を払う。今年はやっぱり気候が遅れている。残念ながらバラは一輪も咲いていなかった。そのせいか、あとで見たら1000円とある入園料が800円だった。セルフサービスのコーヒーを飲んでバラ園を後にする。どうせならバラ満開の季節に来たいものだ。帰来後は、ジムに行き、静かにヨガクラスに参加。プール歩行などをして、帰宅後休養。
2006.05.23
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ジジ記。月曜日朝食後、一息も二息もついてから遠くの畠へ手入れに行く。珍しくババもついてきて除草作業の真似事をする。最近やたら泊まりで出かけているような気がするが、きょうもまた温泉に一泊二日で行くのだという。きょうの宿まではドライブ1時間弱。午後3時、ウェルサンピアへチェックイン。厚労省が音頭をとってつくったというウェルサンピア、日本全国に100ぐらいあるのだという。前もって施設のすぐ近くに住む親戚にウェルサンピアへ行くので一緒に夕飯をどうだと声をかけていた。ババが一番親しみを感じているというババの叔母(86歳)、娘、その夫の3人。ジジたちの部屋に来てくれたのが4時半ごろか。温泉に行く者あり、話に夢中になる者あり。夕飯は6時スタート。ジジはアルコールは好きではない。だが、親戚の者が好きなので付き合わないとと思い、同じく生ビールを頼む。飲める者だけでキリンとアサヒを飲み比べる。アサヒの方が飲んだ後爽やかさが残るという声大。給仕をしてくれたウェイトレスさんと親戚の者が知り合いとのことで、そのウェイトレスさんもアサヒの方が良いとのことだった。皆ご機嫌でついつい声がでかくなる。しばらくぶりで愉快であった。
2006.05.23
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ジジ記。きょうは千秋楽なので午後1時からずっと大相撲をテレビ観戦する。雅山に優勝して欲しかったが、残念だった。白鵬ももちろん応援しているが、まだまだ若い。これからいくらでもチャンスがある。きょうの対杷瑠都戦うまかった。来場所もいよいよ楽しみだ。それにしても、雅山に優勝させたかったなあ。
2006.05.21
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ババ記。昨晩からすべすべのシーツで寝ています。それでなくても、「いつもよく寝てるわ」とジジからしょっちゅういわれるババ、シーツのおかげで一層よく眠れます。ババは骨粗鬆症のため寝返りがなかなかできにくいのです。それに心臓のある左を下にして寝るとめまいが起きやすくなってしまうため寝る姿勢がどうしても制限されてしまいます。かと言って一晩中同じ姿勢ではいられません。家人に確認したら、シーツの生地は「サテン」とのこと。パジャマは先より絹にしてもらっているので絹とサテンで苦もなく寝返りができます。
2006.05.21
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ジジ記。最近敷布がサテンというのになった。このサテンが全くすべっこくて体を動かしたり寝返りをしたりするのにとても良く、又清潔感があって気分良く眠れる。家人に感謝する次第なり。
2006.05.21
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ジジ記。昨日はデイケアに行った。いつもはジジ・ババそろって行くのだが、今朝は、ババが具合が悪くて起きられないというので、急遽、デイケアセンターに電話。ババの分をキャンセルし、一人で行くことにした。少々風邪っぽいとのことだが、熱もなさそうだし、腹もこわしていない。ババは「朝はうつ気味だ」とよく言っている。起きて、顔洗って、着替えて、朝飯を食べデイケアに行くものをそろえてかばんに詰めてというようなことがおっくうになっているだけだろう。ようは起きたくないのだ。というようなことを言ったら、「やぶ医者にはわからない」とさ。いつも通り、9時45分に迎えの車が来る。センターに着き、いつもの薄くてまずいお茶(失礼!)が出る。午前中は男女別で順番に風呂に入ったりしているうちに昼飯となる。昼ごはんのメニューは下記の通り。・ご飯・味噌汁:ありがたいとはいえ、塩分控えめすぎ。不味い。・野菜たっぷりハンバーグ・レンコンサラダ、缶詰のみかん入り・漬物午後は昼寝とレクリエーションのゲーム。きょうのゲームは、倒さないように箱をどんどん高く積み上げていくゲーム。1回目は、7,8個積んだところで倒れたが、2回目は、用意していた箱を使い切っても倒れなかった。午後のおやつのメニューは下記の通り。・フルーツゼリー・紅茶昼飯とおやつのメニューは朝、センターに着くと、職員が書いたものを皆の前で広げて見せてくれる。「きょうのメニューはこれこれです。楽しみにしていてください」というわけだ。そのメニューを書き写してきた。ババは、帰宅してもその日のメニューが何だったかそらんじていえる。ジジは思い出さない。ババにいわれて、ああ、そうだった、そうだった。きょうは一人だったので、書き写してきた次第。いつも通り送ってもらって自宅着が4時ちょっと前。それから、お茶を飲みながらテレビで相撲観戦。いつもと変わらない一日であった。
2006.05.20
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ジジ記。木曜日、朝ゴミを出す。生ゴミ、新聞、段ボールときょうはたくさんになった。市役所で処理してくださるからほんとうに有難い。前立腺関係の薬がなくなったので診療所へ行き、処方箋を書いてもらう。診療所前の薬局で購入してくる。夕方明日のゴミ出しの準備をする。発泡スチロールをくだいて指定ゴミ袋に詰める。その後、テレビの相撲観戦。ひょっとすると新入幕のバルトが優勝なんてことも。ババが大ファンの栃東関は休場だし、大大ファンのカイオウ関は優勝戦線から離脱。どうなることやら。夕飯は藁焼きの鰹に生野菜がたっぷり載っていた。ババが「女房を質に入れても食べたいっていわれている初鰹だよ」とうれしそうに言っている。美味しくいただいた。「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」か。
2006.05.19
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ジジ記牛肉は乳臭くてきらいだ。すき焼きは、当地ではブタでやると決まっている。牛は、会食にでも出れば食べるが、買ってきてまで食べない。家人の友人がしゃぶしゃぶ用の牛肉をクール宅急便でたくさん贈ってくれた。連れ合いを亡くしてから一人暮らしをしているジジの弟を呼んで、しゃぶしゃぶパーティをしようと家人が言ってくれた。弟も牛はそれほど好きでなかったはずなのに箸でごっそり寄せて食べていた。たしかにうまいのだ。乳臭くもない。どうもジジも考えを改めないといけないようだ。ジジは「山」「川」の合言葉のように「牛」といわれるとすぐ「乳臭くてまずい」という言葉が口から出てしまう。おいしく食べた後でも、出てしまう。それでババからあきれられたり怒られたりする。「一体いつまで昭和初期の肉の味をひきずっているだずら。あんなにおいしそうに食べてたじゃないの」。ものがおいしく食べられるうちはまだまだ死なないな、と言い合っている。
2006.05.18
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ババ記。●月曜日、天気が素晴らしいです。一昨日あたりから、「天気が良ければお出かけしよう」となんとなく言っていたのが実現することになりました。ゴールデンウィークも終わったので、当日予約でもすんなり部屋が取れたということです。若葉が出揃ったとは言いがたいところですが、遠くに見える山々の濃い緑、薄い緑、山桜のピンクがとてもきれいなドライブでした。道も空いていました。ホテルは庭に噴水があり、とにかく大きいのでびっくりです。ババの車椅子を押してくれたボーイさんの話によると、景観の関係で高くはできないので、横に広がって120室もあるそうです。大きなホテルの割りにはエレベータが小さいと思いました。ババの車椅子が入るといっぱいになって車椅子の向きを変えるのも難儀です。他の人は身を縮めて乗っています。今回のホテルのプランには全身手もみマッサージと頭皮マッサージが組み込まれているとのことで、40分ほどもんでもらいました。中国人の男性がやってくれたのですが、ババはもんでもらって大変楽になりました。夜はフランス料理をおいしくいただきました。つくってくれる人に申し訳ないのですが、この年になるとたくさんは食べられません。お皿ごとに少しずつ残しました。途中、ナイフとフォークが手に重く感じたのでお箸をお願いしたら、料理もお箸で取りやすいようにババの分だけ最初から切ってきてくれました。こういう心遣いありがたいです。ジジは家人に「ナイフとフォークは外側から」と言われたのにフォークだけは外側から取り、ナイフは内側のを使ったらしく、困った顔のボーイさんに、「外側からお使いください」と言われていました。ババはずいぶん昔、婦人会のフランス料理マナー教室でこういうことは一通り学びました。今となっては懐かしい思い出です。部屋に帰ってから料理の話題になって、ソースがどれもおしいかったとか、フォアグラはちょっとなどと話していたらジジが「おいしくなかった」と言いました。ですが、ほとんど残さずきれいに食べていました。ソースもパンできれいにぬぐって食べていました。おいしくなかったはずはないと思います。食後はもうすっかり疲れてしまって、露天風呂は明日にして、ベッドに入りました。●火曜日。雨が降っていました。先に朝食を食べてからそれから時間を気にせず露天風呂に入ろうということになりました。朝食バイキングは昨晩ディナーをいただいたところとは別のところでした。家人がババの好みのものを一通り取ってきてくれました。玉子焼きがおいしかったこと。朝食後、部屋に戻らず大浴場に行きました。昨晩のディナーのときご一緒だった若いお嬢さんたち4人とまた一緒になりました。こちらから挨拶をしたらみなさん返してくれました。あちらはお出になるところで脱衣室の鏡の前で髪を乾かしたりなどしておりました。浴場には誰も入っておらず貸切となりました。少し寒かったけれど露天風呂にも入りました。120室あって大浴場がここだけだとすると狭いかもしれません。お部屋のお風呂も広々とした独立したお風呂です。でも、日本人は大浴場があると聞けばやっぱり入りたくなってしまいますよね。ババも車椅子を押してもらっても大浴場に入りたいです。10時ちょうどにはホテルを出ました。ガソリンが少なくなっていたので、すぐ近くのスタンドに寄りましたら、またぜひ蓼科にいらしてくださいねといろいろパンフレットをもらいました。パンフレットの中に「長門牧場アイスクリーム割引券」が入っていました。ちょっと走ったら、大きな牛の親子の人形が牧場まで300メートルと合図をしています。アイスクリームは濃厚でおいしかったです。食べきれないのでジジに残り半分を食べてもらいました。帰り道も車が少なくてよかったです。来るときには道は間違えなかったのですが、帰る道はジジの指示がどこかで間違ったらしく予定の道に出ませんでした。方向的にはこっちだからと、走っているうちにやっとその道に出ました。車には画面に地図が出る装置が付いています。ジジは苦手だといって見ようともしません。でも、ジジは地図が好きなので、ほんとうだったらとても好きなはずなのにと思いますが、ババは紙でさえ地図はよく読めないので黙っています。なんとなくうつ気分になったり(特に朝起きるとき)、生きるのがおっくうになったりします。きのうきょうと素晴らしい自然の中で、素晴らしいホテルで、素晴らしいお部屋ですばらしい食事をいただき、全身マッサージをしてもらって、大きなお風呂にもつかって長生きをしてよかったと心に染みました。
2006.05.17
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ジジ記。●月曜日。朝生ごみ出し。午前2時間ほど畑の掘り起こしをする。爽やかな気象の中、午後4時ごろ女神湖畔のホテルに着く。聞くところによるとこのホテルはこのあたりでは一番高級なホテルとのこと。何から何まで整っていて驚きだ。夕食はフランス料理だった。ずらりと並んだナイフやフォーク。外側から使うのだと教わるが、こういうのは食べた気がしない。ジジの口には合わなかった。●火曜日。7時半起床。少しばかり雨が降っている。豪華なバイキング朝食で、もっぱら和食をいただく。ジジの口に大変美味しくいただけた。昨晩は部屋の風呂に入っただけだったので、朝食後、大浴場に行く。ジジのほかに、入浴者なく自由にゆっくり入浴する。広く立派な風呂であった。10時ホテルを出発し、車で女神湖を一周し長門牧場で一息ついて帰路に向かう。正午に自宅すぐ近くの「木漏れ日」で昼食をとる。自宅に着いてからは、自宅周りの片づけを少々する。3時ごろからテレビの相撲観戦をする。
2006.05.17
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ババ記。日曜日、母の日とて、バラの花束が2つ、カーネーション付きの蜂蜜が届きました。 ● 面映き 母の日の母なる我や 花に囲まれ女王の如き ● 薔薇薫る 子ら贈りくれし薔薇よ薔薇 心に染みる若き日偲ぶ
2006.05.17
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ババ記。書道と墨絵の教室に通うのはやめました。短歌は思いついてはつくりときどき新聞に投稿したりしています。もうやめよう、この年限りでやめようとこれまで何度も思いましたが82歳の今日まで続いているのがマレットゴルフです。今年の地区大会、なんとか皆さんについていくことができ、なおらいの会で楽しいときを過ごしました。●マレットの大会参加成し得たり 骨粗鬆症のこの身に万歳●天気よしマレット大会参加でき ビールのうまさ身に沁みゆくも
2006.05.14
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ジジ記。スポーツジム(車で5分)へ行く。ヨガクラスで1時間ヨガをやる。昼のヨガは中高齢者それも女性が圧倒的。正座もあぐらも不可能なので、一生懸命やろうとしているが思うようにできない。その後水中歩行を30分ほどする。ジムに通い始めて2年になんなんとしている。股関節全置換術後、筋肉をつけなくてはいけない。まさかこんな手術をすると思わないでジムの会員になったわけだが手術後に、初めてのところに行くより、前から行っていてよかった。栃東に今場所ぐらいで横綱になって貰おうとしたのに途中休場となりがっかりしている。日本中が応援している。来場所、またがんばって貰いたい。
2006.05.13
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ジジ記。どういうふうにそこにたどり着いたかはもうわからない。人様の、字が大きくて読みやすいブログにたどり着いた。ジジも大きい字で書きたい。自分のブログは字が小さくて読めないのだ。ジジは80歳でパソコン教室に通い始めた。家人らに、なんで?と聞かれ、「ジジはパソコンが趣味じゃ」と答えた。誰も信じてない。熱心に通ったコースが終わっても理解できたとは思えない。家族に「いい客だ」と言われながら、再度同じコースを取った。失礼とは思いつつ、勇者さんのブログに、「お暇なときで結構ですので、やり方を教えてください」と書いた。さっそく出勤前という勇者さんから返事がきた。試した。ジジにもできた!あんなところにやり方が隠れていたとは。勇者さん、ありがとうごわした。
2006.05.10
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ジジ記。月曜日は生ごみの日。きょうはペットボトルも出す。当地は、週2回の生ごみ、週1可燃ごみ、週1リサイクル・プラスチックごみ、週1埋め立てごみ。月1の古着、段ボール、雑誌・本等の古紙。月2でペットボトルの日、ビン・缶の日。乾電池等危険物は別の所定場所に出さねばならない。ごみ出しはずっとジジの担当。車で収集場所まで出しにいく。2、3分のところだ。分別方法が毎年何かしら変更になる。台所の消毒液(キッチンハイターと言ったか)のプラスチックボトルは以前は埋め立てごみだったのが今は燃えるごみだ。使い捨てカイロ、トクホン等の膏薬も埋め立てごみから燃えるごみに変更になった。こういう変更が憶えられない、変更についていけない。以前の分別が頭に染み込んでしまっている。迷ったらその都度、市役所発行のごみカレンダーの分別方法を参照する。が間違って出してしまうことがある。ゴミ収集車はこれを持っていってくれない。東京ではごみ袋に名前など書かないそうだが、当地では名前を書くのが決まりだ。名前のない袋は収集車は積み残していく。ジジの名前が書かれたごみがごみ収集所に1つ取り残されていると非常にみっともない。迷って出した場合は持って行ってくれたかを車で確認に行く。迷わないで出して間違っていた場合は区の衛生委員から電話がかかってくる。取りに行く。「これこれこういう間違い」と赤いシールが貼られたごみを自宅に持ち帰り、間違っていたごみを分別し、次回の収集日まで保管する。ジジも1年区の衛生委員だった。収集場所をきれいにし、収集車が取り残したごみはないか、もしあれば袋に書いてある名前の主に持ち帰るよう連絡する。その年の年末のこと。29日か30日か、ごみ収集はすべて終わった。収集場所をきれいに掃き、正月を迎えるようにした。翌日たまたま通りかかったらごみ袋が置いてある。名前も書いてない。ジジは腹が立った。ごみを置いた主の証拠を探すためごみ袋を開封した。主宛の書類が入っていた。近くのアパートの住人だ。ジジはアパートの持ち主のお宅へ伺い、当人にこのようなことをしないよう言ってもらうことと、ごみの保管を頼んだ。ごみ問題、ごみ問題、ああごみ問題。
2006.05.08
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この花を、風薫る5月に生まれ、ご自分のお母様を5月に見送った友人に送る予約をしました。
2006.05.07
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ジジ記。朝飯には遅く昼飯には早い食事にウドが出た。親戚が昨日「今年は出来るのが遅くてなあ」と言って、掘りたてのウドを10本ほど新聞紙にくるんで持ってきてくれた。昨日の夕飯には薄く切って酢の物で出た。きょうは茹で輪切りに味噌が添えてあった。うまい。小学生の頃だからもう70年以上も昔のことだ。この季節になると決まって5、6人の悪童仲間と連れ立って、学校からの帰り道、勝手によそのうちの畑に入り込み、あの長いうどを引き抜き、皮だけむいて生で食べたものだ。約束したわけでもないのに誰かしらが味噌を持ってきている。うまかった。
2006.05.07
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ババ記。5月5日天気良い子どもの日です。デイサービスの送迎の車の中から鯉のぼりが見えました。突然亡き父母が心に顕ってきました。ババたち子どもを本当に大事に育ててくれたなあと思い出しました。9人もの子どもをよくぞと、つくづくしみじみしのばれます。ババの母さんはもとよりですが、父さんは朝晩鯉のぼりを上げ下げして子どもたちを喜ばせてくれました。ババの生まれた地は寒いので5月初旬には柏の葉もまだ小さくてお餅が包めません。月遅れの6月5日になると母さんは一升もの小豆をたいてこしあんを作り、柏餅をつくってくれました。父さんが裏の山へ行って柏葉を取ってきてくれるのです。ババは総領長女ゆえ毎年手伝わされて葉っぱをきれいに切ってふかすなどをしました。毎年のあの柏餅のおいしかったこと。今でも忘れられません。嫁いでからも毎年父さんが30枚ぐらいの柏葉を我が家に持ってきてくれました。ババはそれを一度か二度に分けて柏餅をつくって子らに食べさせたものです。今では柏餅は月遅れでなく、世間様と一緒の時期にスーパーで買ってきて食べるものになりましたもうジジも引退廃業しましたが、以前仕事を手伝ってくれてていたYさんのお宅に柏の木があるということで、柏の葉をいただいたことがあります。ババお手製の柏餅をつくったのに、そのお餅を一つもYさん宅にお分けせず、今でも悔いていることの一つになっています。恥ずかしい思い出ですが懐かしい思い出でもあります。きょうのデイサービスの昼食献立・ちらし寿司:細かく切ったうなぎ蒲焼が入っていておいしかったです。・お吸い物:梅花のお麩、三つ葉・豚肉とサトイモの煮物・きゅうりの漬物・いちご2個、キウイ3切れ(総入れ歯にツブツブが挟まると飛び上がるほど痛いです。この果物はどちらも苦手です。自宅では家人がイチゴの皮をむいてツブツブをどけてくれたり、キウイもつぶつぶをはずしてくれたりします。デイではいちごは噛まないで飲っくむようにしていただきますが、キウイは食べたことがありません。必ず残します)おやつ・手作りの柏餅おいしいちらし寿司と柏餅をいただいて昔のことを思い出しました。3週間ぶりに行ったら新しいスタッフの方がいました。その方がたまたまでしょうけれど、ババの担当のように手を引いてくださり、お風呂ではシャンプーしてくれたり背中を洗ってくれたり。スタッフの皆さんに親切にしていただき、おいしいものをいただき、きょうもまたいい一日でした。皆さんに感謝しています。
2006.05.06
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ジジ記。昨日は午後、先祖祭りのため墓地に行った。40人ぐらい来ていたか。A氏が今年は巨人がなかなか強いので野球中継の見がいがあると言っていた。ジジは以前は必ず見ていた野球中継だが、昨今はどういうわけか興味が薄れた。B氏とは亡くなったご先祖の年齢の話になった。大方が40代、50代、70歳以下で亡くなられている。経済的、衛生的にも、今日から見るといろいろ問題があったことだろうし、ご苦労されたのだろうと話した。ジジが今年の出席者の中では最年長ということで乾杯の音頭を取らされる。今年は当番の兄いの家だが、兄いはもうこういう場は無理なので跡取り息子が来てちゃんとやっている。去年の夏、墓地の木をだいぶ切ったので日陰がほとんどない。太陽が照りつける下に置かれていて、墓地での宴会で酒のさかなにした折り詰めは持って帰ったが、こういうものは翌日に取っておけないとババが言うので二人で食べられる物は食べ残りは捨てた。この年まで生かされていることに感謝。ご先祖様のおかげである。
2006.05.05
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ババ記。きょうは素晴らしいお天気になりました。きのうは暗く寒かったのですが、家人の友人が見えることになっているので一番のごちそうです。数日前「東京の友人が3日に日帰りでこっちに来たいとメールをよこした」と家人が言いました。お客様が日帰りでも、自分達がどこかの温泉に泊まることにすれば(早めにお部屋に入らせてもらって)ゆっくりできるのに、急に言われても、もうどこも満杯だよ、ゴールデンウィークだぜと家人は困った様子でした。案の定インターネットで調べられる近くの温泉はすべて調べたようですがどこも満杯だと言っておりました。キャンセルが出るかもしれないと今朝も当たったようですがやはりダメでした。結局、お昼ごはんはお煮かけうどんがおいしい古民家再生のお店に行き、その後、山の上の温泉に温泉に入るためにだけ行きました。先日泊まったばかりの山の上の温泉です。平地の温泉より山の上の温泉の方が都会から来た人にはいいのではないかとババも思いました。晴れた日には富士山が見えるそうですが、きょうは晴れていましたがちょっと霞がかかっていて見えませんでした。あまり自分からお話をなさらない静かな男性でババはこちらからお話をしなくてはと思って気を使ったのでしょうか。お客様と駅でお別れして家に帰ったらなんだか急にくたびれてしまいました。きょうはもう寝むとします。
2006.05.03
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ババ記。テレビの番組でまた腰痛対策をやっていました。対策の一つにバランスボールを使う体操がありました。半年ほど前でしょうか、やはりテレビでやっていて、ババが面白そうだし簡単そうだと感想を言ったら、翌々日にはボールが配達されました。おちおち感想も言えません、すぐに手配されてしまいます。ありがたいやら、ちょっと迷惑やら。ババは足腰が弱いからと、ボールだけでなくボールを乗せる台も買ってくれました。台に乗せた状態でボールに座っている限りは、前につんのめることもなく後ろに転ぶこともないはずとのことです。運動というほどではなく座って身体を揺するだけですし、興味を持ったから、買ってくれたわけですが、あまりやりません。時々思い出してはという程度です。寝たきりになって家族に迷惑をかけたくない、自分もつまらないだろう、とは思います。でも80歳を過ぎれば衰えるばかりです。家人は、その衰えカーブの角度を自然にまかせないでほんの少しでも緩やかにするために、散歩しろ、軽い運動しろ、何かやれ、ボールに座れと言います。正直言うと、しんのです、おっくうです。きょうの腰痛対策の番組の途中から、思いついて、ボールに座りながら番組を見ました。途中のコマーシャルのときトイレに行って帰ったらもう座りたくなくなりました。座った時間は正味10分もなかったと思います。「何にもしないよりは、たったこれだけでもやったらいいよね」といつもの口実を言いましたら、家人が、そうだよそうだよと言ってくれましたが、ほんとのところはどうでしょうか。
2006.05.02
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ジジ記。きょうの出来事を順番に思い出せなかったことが家人の指摘でわかった。天気も実にいいし(夜ニュースを聞いたらあちらこちらで真夏日だという)、特段の用事もないし、自由業の家人らも仕事暇だと言うし、で、ドライブに行くことにした。1.朝食2.ケアマネさんが来て1時間ほど話していく3.ドライブ開始。マレットゴルフ場で9ホール打ってみる4.日帰り温泉に行く5.公園でピクニック6.スーパーマーケットで買い物7.帰宅上が正しい順番だという。だが、話をしていて3番4番5番の順番がどうしてもごっちゃになってしまう。マレットで汗を流した後が温泉だっただろうと言われて、そういえばと思うものの不確か。公園でお弁当食べたのは温泉の前のつり橋を渡ってからだったよねと言われても、そうだったかな、と。最近こんなことが多い。自分を不甲斐なく思う。だが、家人にあまりしつこく、こうしてこうしてこういう順番だったなどといわれると少しカチンと来る。ジジ、大きい声で「どうでもいい」と言ってしまった。不甲斐ないと思われてもしかたがない。だが、それを指摘されると腹が立つ。
2006.05.01
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ババ記。ドライブに連れて行ってもらいました。先日、妹夫婦が「姉さんにはここが平らだからいいと思って」と紹介してくれたマレットゴルフ場に行って10ホールほど打ちました。涼しい顔をして回っているジジはカランといい音を立ててホールに玉を入れています。ババはなかなか入らないし、とにかく腰が骨粗鬆症のため痛いし曲がっているので、杖の代わりのスティックにつかまって歩いてもしんので汗びっしょりです。こんな有様なので地区の会の練習や大会でもついていくのがやっとです。皆さんの迷惑になるばかりだから何度ももう止めようと思いましたが、皆さんに励まされたり、家族に励まされたりで続けています。それでも内心はもうあとどれくらいできるかなあと思っています。車から降りる時足元は散った桜の花びらでじゅうたんのようになっていました。川のすぐ横のこの湯の瀬温泉はもうずいぶん昔に日帰りで短歌の会でも来たはずですが、よく思い出せません。お風呂は改築したのでしょうか、もっと汚かったような気がしたのですが。貸切状態で広くてきれいで窓からはまだ花びらがたっぷりついた桜の枝が見えて、もっともっと長く入っていたい気分になりました。旅館の入り口に「秘湯の会会員の湯」と書いてあったような気がします。たしかに川の側の静かな一軒の旅館、秘湯といえるかもしれません。川のすぐ側に2メートルもあるような石碑が建っています。魚釣りが趣味の知り合いが建てたものです。釣らせてもらった魚への感謝と鎮魂、魚たちがこれからもこの清き流れに生きられるように願って建てたと書いてあります。こういうものを建てるというこの方のお気持ち、偉いと思います。この方はもうお亡くなりになっています。ババの母は88歳まで生きました。最後の数年はもう寝たきりでしたが、母がどんな気持で日々いたかを知るためにババも88歳まで生きたい、生きなくてはと思っています。きょうは少し疲れたけれど、よい一日をありがとうね。
2006.05.01
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