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東日本大震災から1年が経ちました。
あの日、あの時間、何をしていたのか?鮮明に覚えています。
以下、私達家族の記録です。
・私と次男は幼稚園から帰る途中の車の中。ちょうど信号待ちをしていました。長男は学校の体育館にて部活動中(丸1日停電・大きな被害なし)
・塾経営の母は仕事中。小学生数名が学習中だったとの事。(けが人なし・丸2日間停電・実家の2階は窓ガラスが割れ、タンスや本棚が倒れめちゃくちゃ)
・旦那の両親は2人揃って家に。(丸2日間停電・津波警戒区域なので3度に渡り、学区の中学校へ避難・大きな被害なし)
・東京在中の弟はビルの17階に。(帰宅難民になり、自宅まで6時間の徒歩帰宅)
震災当時、旦那はカンボジアに海外赴任していました。
お互いに連絡がつかず、それぞれが不安な1日を過ごしました。
旦那は震災翌月に帰国し、現在まで宮城県と岩手県と、被災地関係の仕事をしました。
最初の仕事は宮城県でガレキ撤去の仕事。
住む環境も決していいとは言えない状況での毎日。
そこの現場では子供さんのご遺体を発見し、ご両親に引き渡す事が出来ました。
心身共に参ってしまった状態で、自宅から通える場所での仕事。被災した岸壁を修復し現地へと運ぶ仕事です。
その仕事終了と同時に心身ともに回復し、現在はまた宮城県へ。
津波の被害が大きかった地域の一つです。
ガレキ撤去され、見渡す限り建物の土台のみになった土地と集められたガレキの山・山・山。
鉄骨だけとなってしまった小学校のグランドに建てたプレハブが工事事務所です。
地元のゴミ処理場だけではガレキの処理能力をはるかに超えている為、新たにゴミ処理場を建設中。
今は冬で気温が低いですが、気温が上がってくると、ガレキの温度が上昇し自然発火する恐れがあるとの事。
一日何度も温度チェックし、発火の危険があればガレキを重機でかくはんする作業が続いています。
私の地元も津波の被害に遭い、ガレキの処理が未だに終わっていません。
姑の話によると、近くのセメント工場では震災後、宮城県からの被災米(海水に浸かってしまった備蓄米)を焼却処分しているとの事。
「処分しなければならないのは、ガレキだけではない」という事を初めて知りました。
全国でガレキ受け入れに難色を示す理由の一つが、放射性物質への不安だと思います。
きちんと数値を測定して安全表示しても納得せずに反対するのは、被災地への方々に対して背を向けている事ではないか?と思います。
私も子供を持つ身。
どんなに安全を示されても今後の影響を考えると心配は残ります。
でも、実際に被災地でガレキ処理の仕事をしている旦那の事を思うと、受け入れに賛成したい気持ちでいっぱいです。
最近は、1ヶ月に1度しか帰宅できない旦那。
24時間滞在できるか?出来ないか?で仕事場に戻っていきます。
今まで会社が借りたアパートで自炊をしていましたが、現場近くに宿舎を建設中との事で近々入居できるとの事。
地元で炊事の方を雇うそうで、やっと食事の心配をしなくて済みます。
復興を手伝う旦那が体調を崩していたら元も子もありません。
今日は現場で慰霊祭を行ったそうです。
私も子供達と2時46分に黙祷しました。
少しでも元気に毎日の仕事が出来るよう、旦那を支えてあげなければと心を新たにした一日でした。