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戦場の村 」 とその反響
東京本社社会部の本多勝一と大阪本社写真部の藤木高嶺のコンビによるベトナム・ルポ「戦争と民衆」の連載は、四十二年五月二十九日からはじまった。第一部「首都のベトナム人」が十八回(夕刊)第二部山地の人々」が八月一日から14回(朝刊)、第三部「デルタの農民」が八月十六日から十五回(朝刊)、第五部「戦場の村」が九月二十九日から二十回(夕刊)、第六部「解放戦線」が十一月六日から二十三回(夕刊)と半年間にわたる計九十六回の連載だった。ルポは北ベトナム、解放戦線の内側からと、南ベトナム政府側からの双方を取材したうえで、戦争にしいたげられた民衆の姿を生々しく伝えたもので、圧巻は第五部の「戦場の村」であった。そのなかからもっとも衝撃的な部分を再録しておく。
ミゾのようなクボ地で、うつぶせになって死んでいる若い女ゲリラの遺体に、一人のアメリカ兵が近づいた。……三メートルほど離れて見ている私の目の前で、その米兵は彼女の片耳からイヤリングをもぎ取った。頭を足でひっくりかえすと、もう一方の耳からも奪って、自分のポケットにいれた。死体からものを盗むことなどは、しかし次に目撃した光景に比べたらものの数ではなかった。
女ゲリラから七、八メートル離れた芝生の上の遺体にも、上半身ハダカになった別の米兵が近づいた。ナイフを片手に、他方の手で解放戦線の耳をつかんだ。イスキモーたちがトナカイの角先を切落したときのように、彼はさっさとナイフを使って耳を切り落とした。
ことは余り簡単に行われたので、私は最初その意味がわからなかった。なんとなく変な気持ちで、カメラマンたちのいる土手の方へ歩くうちに、その意味がすこしずつわかりはじめた。その瞬間、ベトナム人カメラマンP氏が「ミスター・ホンダ、あれを見なさい!――」と、低い声で注意した。彼は同じものを見ていったのである。米兵は切落した耳をビニール袋に入れたところだった。
P氏の横にいた別のカメラマンも気付いていた。彼はそれまで話していた相手の米兵に「あの兵隊は耳をどうするんだね」ときいた。相手は苦虫をかみつぶしたような顔をして短く答えた――「スーベニア(記念品)さ」。
「日本人の記者がみてしまったよ。書かれるよ」ととたみかけると、宣伝用のマイクつきテープレコーダーの操作係をしているその米兵は、困り切った表情で弁解した―「あいつは神経の病気なんだ」。「あれを乾燥させて、みやげにアメリカに持帰るんだ。ちっとも珍しいことじゃない。カンゾウを切り取っている例さえ僕は見たよ」× × 米軍特殊部隊は、山岳民族に「ベトコンを殺した証拠に耳を切り取ってきたらカネをやる」といっている事実が、米兵自身によって証言され、アメリカ国内でも報道されている。(42・10・21夕刊)