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少し、スピリチュアルに行ってしまい、 神様の三つのお教え(素直な心、感謝の心、あたたかい愛の心) が中断してしまいましたが、本日は本題に戻り、最後の 「あたたかい愛の心」 です。
簡単に愛の心と表現させていただきますが、愛にもいろいろな意味が含まれています。
少し、みていきましょう。
先ず、愛とはいつくしむ心、思いやる心、愛でる心、与える心、寛容な許す心、などが思い浮かびます。
全て、 あたたかい心 であることがわかります。
宇宙や生命を作り出したものは宇宙の意思=(イコール)神の愛であり、その神の愛から人間を造りだされたともいえるのです。
すなわち、神の御心=愛であるといえます。
私達人間もこの愛の心を持って、人生を送らなければなりません。
「人」という字は、見てみますと「ノ」という字が支えあって出来ています。この字のように、人間は支えあって、助け合って生きて行くのが本来の姿なのです。
人間は決してひとりでは生きていけません。皆それぞれが助け合って生きているのです。
お米を作ってくれる人がいなければ、食べることは出来ませんし、何をとってもそのとうりです。
また、自分さえ良ければよいという自分勝手な考えではいけませんね。
人間はなんでもお互い様の精神を持たないといけません。人の言い分は聞かないが、自分の言い分は聞いてくれではいけません。
お互いがそれぞれの言い分を認めて許しあう寛容の心を持てば、争いのない良い世の中になるのではないでしょうか。
人に寛容であれとか、人を許すということも大事な愛の心です。
このようなあたたかい愛の心を持って過ごせば良い世の中になるのです。
神様はこのことを教えておられるのです。
いくら時代が進もうがこの精神は変えてはいけません。
そして、もう一つ、仏教には 大慈・大悲 という言葉があります。
同じく愛の心の表現のひとつですが、大きいという字がついているところがミソです。
それでは、小さい慈愛があるのかというとあるのです。
たとえ話ですが、鹿の子供が山から餌を求めて下りてきたとします。人間が可愛そうだからといって餌付けをすると、しまいには山に帰れなるばかりか、小鹿は山で餌をとることも出来なくなってしまいます。それでは、この小鹿にとって幸せでしょうか。
やはり、鹿は山で生活するほうが幸せで、自然の姿だと思います。
このように餌付けをすることは、慈悲は慈悲でも 小さな慈悲 になってしまうのです。
こういう小さな慈悲になってしまわずに、相手にとって本当に幸せになるような大きな慈愛である 大慈の心 で生きたいものです。
愛の表現の一つである 「愛情」 と言うのを見てみますと、下に情けという字がついています。
あまり、この情に振り回されると、かえって相手を駄目にしてしまうこともあることもありますので、このことだけは注意が必要かもしれませんね。
子育てにしても、あまりこの情が方が勝つと、親の意思が反映され、子供の自由な独立心を潰してしまうこともありますので。
神様のお教えの三つの心は難しかったですか?簡単なようで結構いろいろあるようなので。
とにかく、そんなに難しく考えないで、
素直な清らかな心を持ってこの世を生きていくこと。
ものごとに執着したり、ねたんだりすることなく、広い心感謝の心で生きていくこと。
誰に対しても慈しみの心を持って生きていくこと。
を実践して、お互いが共存できる良い世の中をつくらなければなりません。
それが神様の願いなのです。![]()
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