「人類がほかの動物から区別されるのは二本足で直立歩行(直立二足歩行)できることにある。さらに、直立したまま頭部を背骨の上でバランスよく保てば、両手を自由に操ることができる。この直立歩行の機能が完全なものになるにつれて、人類は、大きな容量の頭脳を発達させた。」
出発点となった二足歩行がなぜ始まったのか、というよりも、なぜ始めねばならなかったのかについてはまだまだわからないことが多くありますが、一冊だけ本を紹介します。
『足のはたらきと子どもの成長』近藤四郎 築地書館
近藤さんの説をまとめてみます。
ヒト化の動機として、第三紀の終わりごろ、気候の冷涼化に伴ってアフリカの森林が後退し、人類の祖先は生活上の有利さを求めて森林からサヴァンナへと進出し、直立二足歩行を勝ち取ったという説があります。
この説は、環境の変化が身体を根本的に変えて立って歩けるようになったと言っているわけでとても考えられません。
また、立ち上がると見晴らしが利いて有利、という動機論はナンセンスです。
まず立ち上がって歩くように、身体のほうの準備が整わないと立ち上がることはおろか、長く歩けるはずがない。このことは、赤ん坊が、座る、ハイハイ、立つ、伝い歩きという成長過程をとることからみてもあきらかです。
だから私は次のように考えたい。樹の上で、直立二足歩行の準備は、ほとんど完了したのではないか。樹をよじのぼる、樹上・地上ともに四足歩行、樹枝間の跳躍もできるという多様なロコモーション(移動形態)を持った祖型者から樹枝の上を二本足で歩くことが巧みなものが選抜され、樹上と地上の往き来を繰り返す、その能力がほぼ出来上がってから、疎開林・サヴァンナへと進出して行ったのではないでしょうか。
近藤さんの考え方は、「身体のほうの準備が整わないと立つこと、そして長く歩くことはできない」という言葉に集約できます。
これは、「木の上のほうの葉っぱを食べようとしているうちにキリンの首が伸びた」、という考え方のどこが間違っているかを理解する上でのポイントとなる言葉です。
この築地書館から出版されている「みんなの保育大学シリーズ」は、以下のとおり。
『ひとの先祖と子どものおいたち』井尻正二
『子どもの発達とヒトの進化』井尻正二
『手のうごきと脳のはたらき』香原志勢
『足のはたらきと子どもの成長』近藤四郎
『脳の発達と子どものからだ』久保田競
図書室にあります。
「みんなの保育大学シリーズ」は、さくら・さくらんぼ保育園の園長であった斉藤公子さんが、「人間の子どもは、受胎から大人になるまでにどんな道筋を通って大きくなっていくのであろうか、ほっておいても育つのか、大人は何をしてやればいいのか、子育てに『手遅れ』というものがあるなら、それが知りたい」という思いから、「人間の子どもの個体発生と生物の系統発生の関係を学び、私たち保育者のなすべきこと」を探るために始められた取り組みです。各界の第一線の人の講義、それに対する質問と答えとが収録されています。
保育の道に進もうとしている人にとっては必読書です。
図書室にある本をもう少し紹介します。
<きみのからだが進化論>シリーズ(農文協)の、(3)『むかし、わたしはおサルさん』(4)『足で歩いて手で持って』(5)『わたしはヒトで、人間で』
目からうろこのことがらが書いてあります。
シマウマの目は顔の右と左に分かれてついているのに、人間の目はなぜ顔の真ん中によっているのか?
人間の手でなぜ親指だけが他の指から離れてついているのか?
私たちの手に指紋があるのはなぜなのか?
人間の肩甲骨が背中についていることで何が変わったのか?
お尻が一番大きい動物って人間だって知ってました?
唇があるのは人間だけって知ってました?
手にとって見ましょう。イラスト中心の本ですから読みやすいと思います。
☆いまのところ、こんな感じのブックガイドになりそうです。
Comments