『兵士は戦場で何を見たのか』デイヴィッド・フィンケル 亜紀書房
第 16 歩兵連隊第 2 大隊が、イラクに投入され、そこで彼らが何を見たか、どんな経験をしたかを描いた作品。著者は、自己の意見を挟むことなく、淡々と兵士の体験と伝聞を記していく。
歩兵大隊は、ハンヴィーと呼ばれる装甲車両で移動する。ハンヴィーのドアの重量は 180 キロと記してある。一台 15 万ドル。この装甲車両を、道端のゴミの中に敷掛けてある即製爆弾 (IED) が爆発して、鉄の円盤を飛ばし、貫通させる。乗員は重傷を負い、中にあった弾薬は熱せられて爆発する。重傷を負いながらもなんとか脱出できた乗員は、脱出できなかった仲間が焼き殺されるのを視なければならない。
周辺の住民は、おそらく誰が爆弾を仕掛け、どこで起爆装置を押したかを知っている。しかし、その事が米兵たちに知らされることはない。「正義のために」或いは「イラクの人たちをフセインの圧政から解放するために来た」と思っていた米兵たちは、イラクの人々が自分たちのことをどう見ているのかを体験を通して知ることになる。
戦争は殺し合いである。歩兵の場合、テロリストが潜んでいるとあたりをつけた家に突入する。場合によっては一人の男を捕えるために何人もの男たちや女たちを殺さねばならないこともある。そしてその現場を、まだ幼い少女に見られたりしたら・・。少女の視線は兵士から眠りを奪い、悪夢を見させる。タフだと思われていた兵士が PTSD を発症する。「 PTSD なんて臆病者のかかるもんだ」という通念はそこで吹き飛んでしまう。
わずかながら米兵に協力する住民もいる。しかし、いったんその道に踏み込めば、毎日が死の危険と隣り合わせとなる。民兵につかまり、拷問されて殺されるという運命がいつ彼を襲うか知れたものではない。
明らかに異なるのは戦闘ヘリの乗員である。
彼は立ち上がって走り出した。「捕えた」と誰かが言った。そしてチマグの姿は新しく舞い上がった土埃の中に消えた。・・二機のアパッチヘリは旋回を続け、乗組員は話しつづけた。
「やったぞ、見えるか」片方が言った。
「了解。もう一度ターゲットを確認しようとしてるところだ」もう片方が言った。
「何人か横たわっているのが見える」
「了解。八人だ」
「間違いなく仕留めた」
「ああ、あの死んだ野郎たちを見ろよ」
「見事な射撃だった」
「ありがとう」 (p144)
ここで描かれているのは、ロイターのジャーナリストを敵と誤認してアパッチヘリから斉射を行ったシーンである。
地上を攻撃するときに、「ニンテンドーのゲームみたいだ」と喚いている兵士の言葉がテレビで紹介されたことがある。「人を殺している」という感覚はここにはない。
隊長のカウズラリッチは、帰国してのちに、負傷した部下たちを陸軍医療センターに訪ねる。
「最初にダンカン・クルックストンに会う事にした。保護衣を身につけ、保護ブーツを履き、保護手袋をはめて、 19 歳の兵士のところへ歩いて行った。左脚を失い、右脚を失い、右腕を失い、左の前腕を失い、両耳をなくし、鼻をなくし、まぶたをなくし、わずかに残ったところすべてに火傷を負った兵士のところへ」 (p287)
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