「アイヒマン実験」とは、東欧地域のユダヤ人を絶滅収容所に輸送する責任者であったアドルフ・アイヒマンが、ドイツの敗戦後にアルゼンチンに逃亡、のちにイスラエルの諜報機関によって拉致されてイェルサレムで裁判にかけられた時
(1961
年
)
に、そのあまりにも平凡な容貌と人間像に対して、「普通の市民であっても、一定の条件下では、誰でもあのような残虐行為を犯すものなのか」という疑問が提出され
(
『イェルサレムのアイヒマン』
(
悪の陳腐さ
)
ハンナ・アーレント みすず書房
)
、その翌年にイェール大学のスタンレー・ミルグラムによって行われた実験の事である。
実験参加者に対しては、「これは、記憶力を向上させるために罰は必要かどうかを試す実験です」と説明がなされる。例えば、「バナナ」「曲がっている」という一対の単語が複数提示され、生徒役の人物に対して、それを記憶するように指示が出される。時間を置いて、「バナナ」という単語のあとに、四択で単語が示される。続いて別の単語が提示され、また四択の単語が提示される。「生徒」が不正解の場合、「教師」役の実験参加者は、 45 ボルトから始まり、 15 ボルトづつ上がっていくスイッチを押して「生徒」に対して電気ショックを与えていく。「生徒」は、スピーカーを通じて苦痛を訴えるようになる。「やめてくれ !! 」「早くここから解放してくれ !! 」と絶叫する声が響き渡る。「教師」役の参加者は、後ろに座っている白衣を着て権威のありそうな指示者に対して、不安を訴える。指示者は、「続けてもらわなくては困ります」とか「これは社会的に意義がある実験なんです」、「私が責任を持ちますから」と言って、継続を促す。
実験の結果、最大 450 ボルトまで電圧を挙げた参加者 ( 被験者 ) は、 25 人中 16 人いた (62,5%) 。
この実験は、アーレントの著書とともに、「ナチは我々とは関係ない性格異常者の集団である」と思っていた人々に大きなショックを与えた。「我々も状況次第ではアイヒマンと同じことをやるかもしれないのだ」という衝撃が広がって行った。
2015 年にオーストラリアのテレビ局が、ミルグラムの実験を検証した番組を作った。「「アイヒマン実験」再考」という題名で放映され、私は 8 月 11 日再放送の番組を見た。
方法は同じである。パターンはいくつかある。「生徒」の誤りだけが表示されるもの。マイクを通して絶叫が聞こえるもの。被験者 ( 生徒 ) が「教師」の隣に座って苦痛を訴えるもの。「権威ある指示者」が途中で退席するパターン。被験者は不安そうに「権威ある指示者」の方を振り向いて見る。「続けてください」「重要な実験なんです」と「指示者」は続行を促す。
「生徒」は、途中で継続を拒否する。「いやだね、加計の様子を見に行く方が先だ」「私には無理、続けられない」と言って。
決定的だったのは、「指示者」が「選択の余地はないのです」と言った時に、全員が、「あるよ。止めることだ」と言ったのである。
番組は、最後に以下のように結論付ける。
一、ミルグラムの実験でも、 37,5% の人間は途中でおりているのに、 62,5% の方が強調されていること。
二、アーレントの『イェルサレムのアイヒマン』との相乗効果もあって、「私たちの中にもアイヒマンが潜んでいる」という事が強調され過ぎたこと。
三、アイヒマンは、決して「平凡な一市民」ではなく、ナチのイデオロギーを信奉していた確信犯であったことが無視されていたこと。
「ナチは私たちとは全く別の精神異常者である」という考え方に私たちはもはや安住は出来ない。しかし、「ある状況下におかれたら「誰でも」そうなる」という考え方もまた極端であるという事になる。
アイヒマンは、「私は命令されたことをやっただけでそれ以外の選択肢はなかった」とイェルサレムの法廷で語った。
テレビに写される「官僚」たちは、「記憶にありません」「記録は廃棄しました」と言っている。彼らはのちになって自分の発言が真っ赤な嘘であったと白日の下にさらされた時に「私には他に選択肢はありませんでした。命令に従うだけだったのです」と弁明するのだろうか。
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年前の敗戦から何を学んだのか
?
日本の上級官僚は、ミルグラムの言うところの「権威に従順な人々」なのだろうか。
※「生徒」役の人はプロの俳優さんで、実際に電流はながされておらず、自分の目の前にある「今、何ボルト流れているか」の表示を見ながら、それにふさわしい演技(絶叫)をしているのです。
「再考」の番組では、最後にタネあかしがあって、被験者(教師役)は、胸をなでおろすのですが、「指示者」に殴りかかる人はいなかったか心配です。
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