『ナチスの知識人部隊』クリスティアン・アングラオ 河出書房新社 2012
本文だけで 430 ページある。時間がなくて、内容だけ知りたいという人は、 413~430 までの「終章」を読めばだいたいの内容はつかめる。
私にとって、この本の新鮮さは、第一章にあった。
「本書で取り上げるグループのメンバーに共通する第一の経験は第一次世界大戦である」 (P15) という文章で始まる第一章は、一次大戦でドイツが受け入れねばならなかったヴェルサイユ条約がいかに苛酷なものであったか ( 英代表団のケインズは、その内容、特に賠償金の支払い額に反対して帰国している ) 、また、食糧難の経験、肉親を失った経験などがトラウマとなってドイツの若い世代 ( 子どもも含む ) に対していかに襲いかかったかが示され、その後も通奏低音のごとく多様な例が引用される。
ドイツは領土を奪われ、文化を踏みにじられ、特に東方地域 ( ロシア ) ではとんでもない残虐行為に曝された、それというのも、ただ「敗者である」という理由だけで、という考え方が国民の心の中にしみわたって行く。そこに、「ドイツは勝利を収めつつあったのに、共産主義者・社会主義者たちの「背後からの一突き」によって敗北を余儀なくされた」という事実に基づかない、それだけにドイツ人のプライドを満足させる「敗北理由」が重なる。そして、「ドイツ人を堕落させたのはユダヤの連中との混血である」というまことしやかな「原因」も付け加えられる。
1923 年のフランスによるルール占領はドイツで超インフレ ( 物価が一兆倍になった ) を引き起こし、西のフランス、東のポーランドによってドイツは消滅させられるのではないかという恐怖心を喚起する。
これらすべての「思い込み」は、シュトレーゼマン時代の協調外交と、アメリカ資本の導入による経済復興の時代には、記憶の「下層」に閉じ込められる。しかし、 1929 年のアメリカ発の世界恐慌はドイツの「復興」を木端微塵にし、ヒトラーの台頭を招く。
そのイデオロギーに共感した若者たちは、大学で学んだ知識を総動員して、以上のような「思い込み」「根拠のない噂」に「学術的な」衣をかぶせていく。
歴史の場合、その初発が 1618~48 年の三十年戦争であることに驚かされる。 (P269~70) この戦争はドイツを戦場とし、人口の三分の一が失われたと言われる。ドイツの歴史は、近隣諸国によるドイツ侵略の歴史であり、ドイツは民族と文化を守るために正当な防衛戦争を戦ってきた、という「論証」から、一次大戦でドイツがこうむった「不当な措置」に説き及び、現在戦われている戦争は、ドイツが殲滅されるか敵を殲滅するかの戦争であると結論付けられる。
人種論も、政治的敵対者に対する容赦ない措置とセットになって「整備」される。ユダヤ人は、「アーリア人の血を汚したもの」として殲滅の対象となり、ロシア人、特にボリシェヴィキも殲滅の対象となる。最悪は、「ユダヤ人のボリシェヴィキ」である。
ヒトラーが権力を奪取して反対派を弾圧し、強制収容所を設立した時も、その事実は隠蔽されることなく堂々と報じられた。
法の概念も「民族主義的」に変えられ、警察に対する考え方も大きく変えられた。
知識人の一人である、ヴェルナー・ベストは、ゲシュタポの使命を以下のように述べている。
「政治警察の予防的警察使命とは、国家の敵を暴き、監視し、時至ればこれを撲滅することにある。この使命を果たすために政治警察は、必要目的の達成に求められるあらゆる手段を自由に使えなければならない。国民社会主義指導国家において、国家意思を実現するために国家と国民の保護を求められる政治警察のような制度は、当然ながらその使命達成に必要な権威、国家の新概念にのみ由来する権威を持ち、いかなる特定の法的正当性をも必要としない」
『ヒトラーを支持したドイツ国民』ロバート・ジェラテリー みすず書房
P49
第二次大戦は、徹頭徹尾「防衛戦争」、「ヨーロッパに散在し、迫害を受けている同胞ドイツ人を救う戦争」「ドイツ人が正当なる生活圏を確保するための戦争」として位置付けられる。
戦争開始とともに、まずポーランド軍によるドイツ人たちの死者がカウントされる。三週間で五万八千人 (p233) 。そして、ドイツ軍の住民殺害は「治安維持のため」とされる。ここでも殺害は「防衛的なもの」である。
そして、対ソ戦が開始される。 1941 年 6 月の事である。「ソヴィエトはナチスにとってユダヤ支配と野蛮なボリシェヴィキの国であり、そこではドイツ社会に内在するふたつの不倶戴天の敵が手を組んでいるのであった」 (P235)
ボリシェヴィキの野蛮さと卑劣さとは何度も兵士たちに訓示され、「強迫観念に近い考えを浸透させ、戦争の初期から極度の暴力行為を生み出すことになった」 (P241) 。
占領地域でのユダヤ人の殺害は、その多くが住民 ( ウクライナの例が多い ) の協力を得て行われ、詳しい報告書が上層部に挙げられている。しかし一方で、労働力としてのユダヤ人の確保とユダヤ人の絶滅という問題は占領した地域の行政機関或いは国防軍と親衛隊との確執を生むこととなった。最終的には、「労働ユダヤ人の確保」は暫定的措置となるのだが。
絶滅、ジェノサイドという行為にとって、一つの「障害」が現われる。それは、「女子どもも殺すのか」という問題である。
「我々の子や孫に復讐するかもしれない子どもが育つのを放置することはできない。それはかつて経験したことがないほど辛いことです。兵士も将校も苦しむ危険はあるのです」 1943 年 10 月のヒムラーの演説の概略。 P263
しかしこの「障害」も、東方のゲルマン化、ナチス千年王国の実現のためには必要なもの、絶対不可欠な条件とされることによって「乗り越えられて」行く。
だが、絶滅、処刑を実行する部隊に問題が生じなかったわけではない。
「大量の人間をいかに効率よく殺していくか」という「マニュアル」を自ら作っていかなければならなかったという事である。「初心者」たちはとまどった。殺すべき人間を一人づつ見つけ、森に行って射殺する。「人が人に暴力を行使する」 (P299) という面が強く自覚され、混乱が生じ、処刑者のトラウマとなっていく。その中から、「まず犠牲者に穴を掘らせてから、穴の縁にひざまずかせ、二つのチームが交代に射殺していく」方式が生まれていく。
トラックを利用したガス殺はもっと嫌われた。死体の片づけ、その表情、垂れ流された汚物の処理のために。
最終的解決として、強制収容所に置いて収容者の中から死体を片付けるメンバーを選出し、収容者が収容者を管理するという方式が成立していく。
独ソ戦がドイツの敗色濃厚となり、ソ連軍の進撃が始まるとともに、ドイツの蛮行が知られるようになっていく。強制収容所で何が行われたかも徐々に伝わるようになる。一方で、ソ連の占領地域では、三人に一人がロシア兵から暴行を受けたとみられる。 (P367)
ドイツ軍は最後の抵抗を試みる。ドイツ軍の戦死者の三分の一以上が終戦直前の数カ月に亡くなった。
ドイツは敗北し、ナチス知識人たちは裁かれることとなる。かれらは、自分の仕事を「学術調査」 (P379) に見せかけようとしている。更に、犯罪的命令を知ったのは「ロシアに入った後であると断言」さえしている (P379) 。膨大なエネルギーを費やして自らの部局の活動を隠蔽し、自らの責任を小さくし、同僚の無実を証明しようとしている (P391~2)
「いかなる国も単独で罪があるのではありません。国々は生存と将来のために戦っている」 (P405) という証言は、当初からのナチのイデオロギーを平穏に表現しているに過ぎない。実際は、言語に絶することが行われ、それは次々と肯定されていったのだ。
戦っている相手を貶め、自分たちとは違った人種であると強弁し、敵を殺害する精神的負担を軽くしようとする行いは第二次大戦参加国のすべてがやっていると言っていいかもしれない。
しかし、だからと言って、ナチスのやったことが免罪されるわけではない。更にもっと重要なのは、ナチスの例を引いて日本のやったことを大したことではないと言い募ることは過去の歴史を直視しない臆病者のやる事であり、そのような健忘症は、再び同じ道を歩む第一歩となることを忘れたくない。
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