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まろ0301

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2020.05.31
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2020 年世界史 A  普通科

世界史 A とはどんな科目なのか

世界史 A という科目は、君たちが 2~3 年で選択する世界史 B の入門科目といった意味をもっています。週 2 時間、年間で約 50 時間という授業時数からいって、教科書のすべてのページを扱うことは不可能です。

ですから、さしあたり、教科書 80 ページの「第三章 ヨーロッパ・アメリカの工業化と国民形成」から授業に入ります。

まず、産業革命。ここでは、なぜイギリスで世界最初の産業革命が始まったのか、そして、現在私たちが生活している資本主義社会がどのように誕生し、資本主義を批判する思想としての社会主義がいかに誕生したのかを学びます。

そして、アメリカ独立革命。アメリカという国の正式名称は、「アメリカ合衆国」です。現在の世界の中で最も有力な国の一つがアメリカですが、その国は、いつ、どのようにして誕生し、どのような制度を持っているのか、それはなぜなのかをまなびます。

アメリカの独立に深く関係し、そのことから大きな影響を受けた国がフランスなのですが、 P85 からはフランス革命を学びます。君たちのお父さんやお母さんの世代ならご存じかもしれない『ベルサイユのばら』という池田理代子さんの名作漫画があります。宝塚の舞台でも何度か上演されました。興味がある人は読んでみてください。

なぜこの時期に革命が起こったのか、革命はどのように進み、どのような結末を迎えたのか、そして、革命の成果を定着させたのがナポレオン。 P88 に載っている「ナポレオンの戴冠式」は、彼の得意の絶頂かもしれませんが、彼の一生をたどることで何が見えてくるか。一緒に考えていきましょう。

一応、ここまでは必ず扱うことになると思いますが、 P90 以降は、担当者の間で考えたいと思っています。

 授業を続けていく中で、「世界史」という言葉の意味が徐々に解ってくると思います。それまではある程度の広さをもった地域の結びつきがだんだんと密接になっていきます。例えば、「鎖国」という制度をとっていた日本は「開国」へと舵を切り、そののち、世界の各国、各地域と結びついていきます。列車、車、汽船、飛行機の発達は移動時間を短縮し、人々の往来は激しくなります。それは、移民という形であったり、難民という不幸な形をとったりしますが、それも「世界の一体化」の結果ということになるでしょう。

「世界の一体化」という現実を極めて不幸な形で私たちにおしえてくれているのが、「新型コロナウィルス」の「パンデミック」 ( 世界的大流行 ) です。

さて、 P80 に帰ってみましょう。ここには、「国民形成」という言葉が出てきます。「国民」は、古くからあったものではありません。「国民」は、作り上げられたものなのです。では、だれが、どんな必要で作り上げようとしたのか。そしてその動きを人々はどのように受け入れたのか ? こんなことも、考えてみましょう。

 「歴史は暗記物」という意見があります。もちろん、覚えることは必要ですが、「なぜ ? 」という疑問を持つことはもっと大切です。

第三章 ヨーロッパ・アメリカの工業化と国民形成

P80  「 産業革命

 ではまず、産業革命から入っていきましょう。

 「産業革命」も、「歴史的事項」のひとつです。「歴史的事項」は、ある年、あるいはある時期に、ある地域、あるいは、ある国で起こったことを指します。つまり、「産業革命」とは、「 イギリスで 18 世紀から 19 世紀にかけて起こった諸産業、交通、運輸、経済、社会にわたる大変革の事 」と定義することができる。  

つまり、フランスでも、中国でも、日本でもなくてイギリスで起きたわけです。当時、世界の中で科学・技術がもっとも発展していた地域は中国の清です。興味がある人は教科書 p58~59 、特に P59 の挿絵「天工開物」、詳覧の 114~115 をみておいてください。一つだけ例を挙げておくと、「これが産業革命の始まり」とされているダービーによるコークスによる製鉄は 1709 年ですが、中国ではすでに 1270 年ごろにはコークスで製鉄を行っているのです。

しかし なぜか中国では産業革命は起きていない 。そこで、整理しなければならないのは、「 なぜイギリスで起きたのか 」ということです。 P80 をみて、整理してみましょう。

豊富な資本  毛織物などの産業が成立していたこと。さらに、アフリカ西海岸からアメリカに黒人奴隷を運ぶ奴隷貿易によって莫大な富を獲得していたこと。 

労働力  当時「ノーフォーク農法」と呼ばれる極めて効率のいい農法が取

入れられたこと ( 同一耕地でかぶ 大麦 クローバー 小麦を4年周期で輪作するもの ) によって、農業資本家が地主から土地を借りて農業労働者を 雇って大規模に農業をはじめ、小さな土地しかもっていなかった農民たちは土地を取り上げられて、生きていくために都市の工場で働く工場労働者にならざるを得なかったこと。

広大な海外市場  植民地戦争での勝利によって広大な植民地を獲得し、毛織 

物などに代表される国内産業の製品を植民地に輸出し ( 海外市場 ) 、また資源をえることができたこと。

そして 資源 ( 鉄鉱石、石炭 ) に恵まれた。さらに、自然科学、技術の進歩が新し

い生産技術に結びつく、という点もあります

 ただ、ここまで見ても、なぜイギリスで産業革命が起きて、清で起きなかったのかという理由がある程度あきらかになっているのですが、もう少し考えてみましょう。

清とイギリスとの大きな違いは、清の皇帝とイギリスの国王が社会の中で占める地位にありました。

 清は皇帝による独裁政治が行われていたのですが、イギリスでは、「市民」と呼ばれる人たちの力が強くなっていきました。

イギリスでは、 1640 年から 60 年にかけて「清教徒革命」 ( 「イギリス革命」「ピューリタン革命」ともいいます ) が起きて、国王チャールズ 1 世が処刑されています。その後、 1688~89 年にかけて「名誉革命」が起き、国王ジェームズ 2 世はフランスへ逃亡、その後も議会の力が強くなり、議会を足場とした市民たちの活躍の場が広がるということになります。

新しい産業が興り、新しい発明や発見が新しい生産技術に結びついていきます。このような政治体制の違いによって、中国ではなくイギリスで産業革命がおこるということになったのです。

 さて、では、 P80 から P81 に書いてある産業革命の具体的な内容に入っていきましょう。

P80 23 行目には、「インドや中国などの物産がイギリス人の生活にかかせないものとなっていった」とありますが、一つが「 お茶 」、そしてもう一つが P81 2 行目に書いてある「 綿織物 」です。 P77 を見てみると、美しい色の布が目に入ります。これは当時インドからイギリスに盛んに輸出されていた「 キャラコ ( カリカットから輸出されていたので ) と呼ばれる綿織物です。染めやすく、肌触りもいい綿織物はイギリス国民の人気を博します。

 イギリスの伝統的な産業は毛織物ですから、綿織物が流行するのは困ったことなのです。政府は、いったん、「綿織物着用禁止令」を出しますが、効果がありません。ここから、「綿織物を国内で作ろう」という動きが始まります。

 そのためにはイギリス国内では産出しない綿花を輸入する必要があります。

綿花の輸入先はアメリカの南部、そしてインドでした。

 綿織物工業の最初の発明は、 ジョン・ケイによる「飛び杼」 でした。「世界史詳覧」 ( これからは「詳覧」と略します ) P190 を見てもらうと、「飛び杼」の図が載っています。織物は、縦糸の間に横糸を通していくことで出来上がるのですが、横糸を効率的に通す発明が「飛び杼」 (flyig shuttle) でした。

この発明によって布を織っていくスピードが速くなり、糸が足りなくなります。 P81 の上の表を見ると、 1764 年に ハーグリーヴズの「多軸紡績機」 ( ジェニー紡績機 ) が発明されて、糸の生産が進みます。綿糸は、綿花の繊維をより合わせて作ってあります。興味がある人は、家にある包帯から一本糸を取り出して、反対にひねってみると何本かの繊維がより合わさって一本の糸になることがわかると思います。繊維、「繊」 ( 「細い」「しなやか」 ) も「維」 ( 「糸」 ) も両方とも「糸偏」です。

糸がある程度供給されるようになると、こんどは、 1785 年に カートライトの「力織機」 ( power loom 」の直訳 ) が登場します。手織りではない、自動織機です。

 これらの機械は徐々に鉄で作られていきます。それに貢献したのが、 1709 年の ダービーによる「コークスを利用した製鉄」 です。「コークス」とは、「石炭を乾留(蒸し焼き)して炭素部分だけを残した燃料のこと」です。

さらに、機械を動かす動力も畜力から水力へ、さらに蒸気力に変わります。 1712 年に ニューコメンが、炭坑の中から水を吸い上げるために蒸気機関を利用 、さらに 1769 年に ワットが改良 1807 年にはアメリカ人の フルトンが蒸気船 を作っています。ただ、この船は、両側に水車型の装置を備えて、それを回転させることによってすすむため、「外輪船」と呼ばれています。現在一般的になっているスクリューは、原理はかなり古くから知られていたようですが、実用化されるのは 1840 年あたりのイギリス海軍によってです。

 そして、 1825 年に スティーヴンソンによって蒸気機関車が実用化 されます。

1824 年には、 ストックトンとダーリントン間、 40km の営業運転 を行い、さらに、 1830 年にはリ バプールとマンチェスター間の営業 が開始されました。 P80 のイギリスの地図で確認しておきましょう。「世界初の旅客鉄道」と書いてありますね。

 「イギリスで 18 世紀から 19 世紀にかけて起こった諸産業、交通、運輸、経済、社会にわたる大変革の事」である産業革命は、社会をどのように変えたのでしょうか ?P81 「産業革命の影響とその波及」を見てみましょう。

P81 では、 大工場を経営する資本家が台頭した 経済活動を農業中心から工業中心へと転換させた 。とまとめてあります。

P82 を見ると、 資本主義社会が到来し、都市化が進むとともに、人々の生活や考え方も変化した 、ということも付け加えねばなりません。

 まず、この部分のキーワード、「資本主義」「資本主義社会」とは何なのでしょうか ?

資本主義社会で生産の中心を担っているのは企業 ( 会社 ) であり、その活動の目的は「商品」を生産し、利潤 ( もうけ ) を得ることにあります

生産に必要な資本 ( 工場、土地、お金、原料などのことで、「生産手段」ともいう ) を持っている資本家が、労働者 ( 社員 ) から労働力を買う ( 賃金を支払う ) という形で、賃金以上の価値のある商品を生産して利潤を上げることが可能になります

 新しい産業を興し、工場を作り、労働者を雇うためには「資本」が必要です。とりあえずはお金が必要となります。

 「こんなことをやれば儲かるぞ ! 」というアイデアを持っている、でも、十分なお金がない、という場合に、そのアイデアに投資をする人が現れてきます。お金を集める手段として、「 株式 」を発行して、資金を集めるという方法が始まります。

製鉄のところで、ダービーという人を紹介しましたが、ダービーの孫が、セヴァーン川に全長 60m の鉄の橋を架けたのは 1781 年で、必要な資金は、株式を発行するという方法で集めています。

これが、「株式会社」の始まりです。

 さて、会社ができ、アイデアも実現しました。この会社の経営者 ( 「資本家」 ) は、投資してくれた人に対して、「配当」という形でお金を返さねばなりません。そしてもっと事業を大きくしようと思えば、利益を挙げねばなりません。

 どうやればいいか ?

 まず、 働いてくれている労働者の賃金をできるだけ安くして、できるだけ長時間働かせる。働いている場所の環境を改善するとお金が必要になりますから、ほったらかしにする

P82 には、向かい合わせになって地下へと降りていく二人の子供の絵が載っています。彼らは何をしに降りていくのか ? 縦に掘られている坑道の他に左側に三本の横に掘られている坑道が目に入ります。一番下の坑道で石炭を掘ったりそれを運んだりして働いているのは大人の労働者でしょう。でも、一本上の坑道を見てみましょう。 本当に狭くて這っていかないと進めないような状態の坑道。ここで働いているのは子供たちです 。大人が入ることのできない狭い坑道に入り込んで、石炭を掘り、運び出している様子が見て取れます。石炭を運ぶためのトロッコも見えます。

 なぜ子供たちが働いているのか ? 賃金が大人より安くて済む からです。

 女性も工場で働いていたと教科書 7 行目には書いてあります。自動的に動くようになった機械は、それまでの社会で主流であった「職人仕事」を必要としなくなりました。分野によっては、女性でも、あるいは女性ならではの手先の器用さが求められるようになりました。しかし、 女性はその社会的地位の低さから、男性と同じような額の賃金をもらうことはできず、夫が失業し、妻が働きに出るという状態が多くみられるようになりました

 人々の恨みは、自分たちから仕事を奪った「機械」に集中、「 ラダイト運動」 と呼ばれる「機械打ちこわし運動」が各地で起こりますが、「工場で機械によって商品が生産される」という社会の動きは止められませんでした。

 では一体どうすればいいのか ? 少し先になりますが、 P92~93 あたりで考えてみたいと思います。

 さて、この時代に起こった変化の一つが、 都市への人口集中 でした。 P82 の上の表を見てもらえば、その極端さがわかると思います。 1801 年に 7 5000 人しか住んでいなかったマンチェスターは、わずか 50 年後の 1851 年には人口 30 3000 人の大都市になっています。ロンドンも人口は倍以上に増えています。 P82 の「都市環境の変化」のイラストを見てもらってもわかると思いますが、住むところは狭く、上下水道も整備が追い付かないために生活排水も、大小便も、ゴミもすべてロンドンを流れるテムズ川に捨てられて、まるでどぶ川のようになっていたそうですし、「漱石の見たロンドン」では、工場から吐き出される煤煙のひどさが記してあります。こんな状態のところでは疫病が蔓延するのは当然で、ロンドンは何度もペストやコレラに襲われています。

 漱石が半分ノイローゼになってしまったロンドンでしたが、イギリスは産業革命を成功させ、 良質で安い製品を大量に世界に輸出するようになり、「世界の工場」と呼ばれるようになり 、各国は争ってイギリスに追いつこうとして自国でも産業革命を推し進めようとします。

 イギリス発の「資本主義」はこのようにして世界に広がっていくことになります。

 一方で、産業革命は、「 大量生産」「大量消費」「大量廃棄」というサイクル を生み出すようになり、当時の人たちが予想もしなかった「 地球温暖化 」という問題をも引き起こすことになりました。






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Last updated  2020.05.31 15:31:37コメント(0) | コメントを書く


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まろ0301@ Re[1]:ファクトチェックはやめます(01/11) maki5417さんへ  ただ、不法移民が居な…
maki5417 @ Re:ファクトチェックはやめます(01/11) 米国は、古い移民が新しい移民を搾取して…
まろ0301@ Re[1]:ハンナ・アーレント(01/08) maki5417さんへ  「倫理」は、本来は、…
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まろ0301@ Re[1]:1月20日(01/06) maki5417さんへ  上下両院で、トランプ…

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