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もっちん4476さんComments
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源実朝は、鎌倉幕府の第三代征夷大将軍である。
鎌倉幕府を開いた源頼朝の子として生まれ、兄の源頼家が追放されると12歳で征夷大将軍に就く。政治は始め執権を務める北条氏などが主に執ったが、成長するにつれ関与を深めた。官位の昇進も早く武士として右大臣に任ぜられるが、その翌年に鶴岡八幡宮で頼家の子公暁に襲われ落命した。子はおらず、源氏の将軍は実朝で絶えた。
歌人としても知られ、92首が勅撰和歌集に入集し、小倉百人一首にも選ばれている。家集として金塊和歌集がある。

建久3年(1192年)8月9日巳の刻、源頼朝の次男として鎌倉で生まれる。幼名は千幡。母は頼朝の正室である北条政子、乳母は政子の妹である阿波局が選ばれた。千幡は若君として誕生から多くの儀式で祝われる。12月5日、頼朝は千幡を抱いて御家人の前に現れると、「みな意を一つにして将来を守護せよ」と述べ面々に千幡を抱かせた。
建久10年(1199年)に父の頼朝が薨去し、兄の源頼家が将軍職を継ぐ。
建仁3年(1203年)9月、比企能員の変により頼家は将軍職を失い伊豆国に追われる。母・政子らは朝廷に対して9月1日に頼家が死去したという虚偽の報告を行い、頼家の弟への家督継承の許可を求めた。これを受けた朝廷は7日に実朝を従五位下征夷大将軍に補任する。10月8日、遠江国において12歳で元服し、実朝と称する。儀式に参じた御家人は大江広元、小山朝政、安達景盛、和田義盛ら百余名で、理髪は祖父の北条時政、加冠は平賀義信が行った。24日にはかつて父の務めた右兵衛佐に任じられる。
元久元年(1204年)12月、京より坊門信清の娘を正室に迎える。正室は始め足利義兼の娘が考えられていたが、実朝は許容せず使者を京に発し妻を求めた。
元久2年(1205年)1月5日に正五位下に叙され、29日には加賀介を兼ね右近衛権中将に任じられる。
