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January 15, 2009
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カテゴリ: 歴史
大河ドラマ「天地人」の時代考証者であり、戦国史研究の第一人者である小和田哲男氏によれば、戦国時代の特徴の一つとして家柄から家格といった伝統的な価値から、個人の能力を重視し積極的に登用するようになったということで、直江兼続もまさにそのようにして歴史の表舞台に登場する。
身分の低い家臣の子供である兼続が、その後強い絆で結ばれて生涯をともにする上杉景勝と初めてであったのは、景勝10歳、兼続5歳の時だ。
景勝は弘治元年(1555)に、長尾政景と上杉謙信の姉・仙桃院の二男として生まれた。
長男・義景が若くして亡くなったため、上田長尾家の跡取りとして育てられた景勝だが、10歳のときに舟遊び中の水死という不可解な事故で、父を失うことになる。
幼くして父を亡くした景勝のために、信頼するに足る補佐役を探していた仙桃院の目にとまったのが、、学問を好み致死的な目をした樋口与六、後の直江兼続だった。




当時の武将の教育機関は、ほとんどが禅寺だった。
景勝と兼続も、上杉家の菩提寺である雲洞庵という禅寺で、起居をともにしながら上杉謙信が師と仰いだ高僧・北高全祝や、景勝の伯父(叔父)にあたる通天存達(つうてんそんたつ)禅師から、武将に求められるさまざまな学問や心得を学んだ。
1年の半分近くを雪に埋もれて暮らすなかで、景勝と兼続は四書五経をはじめ漢詩や和歌の素養、有職故実(ゆうそくこじつ)といわれる先例や礼儀作法、武将に不可欠な兵法を学び、さらには馬術、弓術、剣術などの武道に至るまで、多くのことを身に付けていった。
当時の戦国武将としては第一級の教養人であった景勝、兼続の素養はこうして形作られていった。
とくに、兼続が生涯の規範とした「仁愛」の精神は、通天存達の「国の成り立つは民の成り立つを以ってす」という教えをもとに育まれたという説もあり、いかにこの時期の体験が大きかったかを示している。





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Last updated  January 15, 2009 06:52:25 PM
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