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January 19, 2009
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カテゴリ: 歴史
まるで仲の良い兄弟のように、ともに机を並べて勉学にいそしみ、坂との山野を駆け巡って遊んでいた景勝と兼続に、大きな変化が訪れたのは、景勝が17歳、兼続が12歳の時だ。
跡取りの居ない上杉謙信が、甥である景勝を養子にしたいと申し入れてきたのだ(景勝21歳、兼続16歳の時とする説もある)。
この申し出を受け入れて、景勝・兼続主従は仙桃院とともに謙信の住む春日山城に移り住む事になった。
兼続は、このとき初めて戦国の義将・上杉謙信に対面し、以後、謙信が没するまでの間に多くのことを学び、吸収していった。
この頃、春日山城内には「謙信学校」とでもいうべき独自の教育システムがあったといわれている。
戦いがない時に、謙信は城内の有望な青年達を集めて様々な話をしていた。
具体的な記録は残っていないが、まず考えられるのは「武辺咄」といわれる戦場での経験談だ。
実践での体験をあげながら合戦での戦い方、兵法、戦場での心構え等、乱世を生き抜くための知恵を語り聞かせたと思われる。
たまには愛用の琵琶「朝嵐」を慣らしながら、酒杯を傾けたこともあったかもしれない。



しかし、それだけだったとは思えない。
謙信は、無口だが沈着剛毅な景勝と聡明で利発な兼続を愛していた。
そのため、自分が信じる「義」の心をもとにした、人が人であることの美しさや、国を治めるために欠かせない自国民に対する「慈愛」の心、さらにはそれらを支える経済の重要性など、帝王学も授けていったのではないだろうか。





春日山城壁書
     運は天にあり、
     鎧は胸にあり、
     手柄は足にある。
     何時も敵を掌中に入れて合戦すべし、
     疵つくことなし。
     死なんと戦えば生き、
     生きんと戦えば必ず死するものなり。
     家を出ずるより帰らじと思えば、また帰る。
     帰ると思えば、これまた帰らぬものなり。
     不定(ふじょう)とのみ思うに違わずといえど、
     武士たる道は不定と覆うべからず。
     必ず一定と思うべし。





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Last updated  January 19, 2009 10:12:31 PM
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