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昨夜師匠とoso師匠から教えてもらった事、学んだ事を書きます。正確には話を聞き終わり、塾にある地球のポスターを見て思った事を書きます。丸くて青い惑星地球は、宇宙に浮かんでいます。地球は僕達人間を包んでいます。僕たちは地球を共有しています。一つの地球を皆で…。もしかしたら、昔は皆一つだったかもしれません。一つのいや、無数の線で繋がっていたのかもしれません。年月を経るにつれて、その線は数が減り、薄くなってきているような気がしました。一定人数の人が同じ気持ちを抱くと、それは良くも悪くも一気に広がる。そして、地球は地球の意志で存在しているのではなく、宇宙の意志によって存在させられている。月、太陽を初めとし、宇宙に輝く多くの星久によって地球は支えられている。普段目にする、草木、道路等全ての物は地球の物でもあり、宇宙の物かもしれない。だから僕達は宇宙と繋がっていて、互いに影響し合っているんだと思います。雨が降るのも宇宙の意。災害が起きるのも宇宙の意。病気が流行るのも宇宙の意。●様が降りるのも宇宙の意。全て宇宙と繋がっている。地球は星久に支えられている。今日地球が存在し、人類が生きているのも宇宙の意。その事に気付き感謝すると、言動もおのずと変わってくるのかな?と思いました。そして、そこからがスタート…。と思う今日この頃です。
January 30, 2006
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「戦国自衛隊1549」を見ました。江口洋介率いる自衛隊が戦国時代にタイムスリップをし、二年前に戦国時代にタイムスリップし、戻ってこれなくなった隊員を救出し、歴史を修復しに行くといった内容です。当然スムーズに救出が出来るわけはなく、様々なトラブルに巻き込まれて行き、最後は織田信長と対決するといった話でした。戦闘が終わり映画の終盤でのセリフ武士A「平成の世は大丈夫かの?」武士B「なぁ~に、心配すること無い。いや、平成の世を作るのは我々かもしれんぞ」多分未来というのは一つではなく、たくさん用意されているんだと思います。100通りいや、1000通りもしくはそれ以上の…。そして、その中にはハズレの未来もあれば当たりの未来もある。個人の未来も同じように…。今のまま行けばこのくじを引くことになる。といった感じかもしれない。ある意味、常に過去を生きているのかもしれない…。素晴らしい未来を手に入れるために。その為には切符と乗り物がいるような気がしました。その切符は門下は皆持っている。そして、乗り物にも乗っている。乗り物に身をゆだねる事が出来なくなった時、失敗する。身をゆだねる事ほど楽なことはない。それを別名覚悟と言うのかな?と思いました。
January 25, 2006
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先日家族で以前はおいしかったことで有名な某イタリア料理店へ、行ってきました。あまり乗り気ではなかったのですが、「食べに行かんかったら晩御飯ないで」と言われたので行くことに…。お正月の特別コースを食べました。サービスがとても印象に残っています。水をつぎに来るタイミングがとても良かったです。コップの中には水がまだ入っているので、気にはしていなっかたのですが、サービスの人にお水をついでもらって初めて、「あっ!?水が減っていた!」と思いました。「失礼します。お水いかが致しましょう?」と聞くのも一つのマナーかもしれないけど、そこの店員さんは「失礼します」とだけ言って、コップに水を注いで最後に軽く頭を下げて去っていきました。それは、「お水いかが致しましょうか?」と聞くとその時の家族で話している空気を良くも悪くも壊す(話の腰を折る)事になるから、「失礼します」とだけ言ったのだと思いました。相手が欲する前に行動を起こし、相手が欲する頃には「あっ!?足りている!いつのまに…」というのが本当の気配りだと思いました。そして、場の空気を壊さずに気配りをする、これが大切だと思いました。
January 12, 2006
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ガラスの仮面を見ていて思ったことを書きます。主人公の北島マヤは、ある劇のオーディションを受けに行きます。オーディション会場には立候補者がマヤを含めて3人いました。一人一人、今回の劇に向けての意気込みを発表していきます。マヤ以外の2人は「今回の劇の主人公あるいはヒロインのこういった感情を演じたいです。」といった発表をします。マヤ以外の2人は十分に今回の劇の主人公、舞台背景について学習をしてきて、質問に答えています。マヤは急にオーディション会場に行くことになったという事もあり、皆と同じ質問に対して、「すいません、私●●(劇の名)の事しらないんです。」と答えます。そして、次に実技試験に入ります。それぞれ自分の想像する、主人公なりヒロインを演じます。北島マヤだけは、予備知識がないので始めの2人とはまったく違う演技をします。そして、会場の人にマヤは笑われます。マヤも絶対に不合格だと落ち込みます。そして、合格発表…合格者「北島マヤ」一同騒然納得のいかない、志願者は「なぜ、私達のうちどちらかならともかく、何も知らない彼女なんですか?」と質問をします。座長「それは、彼女には可能性があるからです。それは、彼女が今回の役について全く知らないという事です。その白紙の状態から、何を学ぶのかその可能性にかけました。」※実際のアニメの中の会話とは違いますが、話の流れとしてはこんな感じです。御●業をしている時、何かを学ぼうとするとき今までの経験や身につけた知識が気づきの邪魔をする。本当に何かを学ぼうとするときは、常に白紙の状態でいる事が大切。関係性とは、頭にある知識や過去の経験をつなげようとするものではない。関係性とは知識や経験を捨て、いつの間にか白紙の紙の上に絵が描かれている事に気づく事なのかなと思いました。
January 10, 2006
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最近犯罪が多いですねぇ~オレオレ詐欺とか悪徳商法など…。詐欺にあう人は大きく2つに分けられると思います。一つは欲の塊の人(目的の塊の人)二つ目は目的を相手から提供され、その目的を受け取ってしまった人。たとえAという目的を当人は持っていなくても、多くの人は目的Aを提供されると、その目的を達成する事によって、自分は幸福を手にする事が出来ると勘違いをしてしまう。それを達成せねばと思ってしまう。(その瞬間からどんな見た目の良い行いでも、100パーセント愛は消えると思いました。)タイミングもずれる。だから騙される。だから失敗する。だから苦しむ。目的を提供されたら、自分の住所を不明にすれば良い。送られてくる荷物の中には「目的」という名の荷物もある。そしてその荷物が一番厄介な荷物だと思いました。目的だけの愛のない言動の虚しさを痛感しました。
January 10, 2006
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「今頃気付いたんかい!!」と突っ込みたくなる人もいるとは思いますが、今頃気付いたので書きます。師匠の動作を見ていて思ったことを書きます。コップ一杯の水を飲む動作にその人の(全て)生き様が表れているという事です。お世辞でも何でもなく、僕は師匠ほどコップ一杯の水を飲む動作に気を配っている人は見たことがありません。手でコップを持つ前からそれは始まっています。スッと赤子の手をとるかの様に優しく手を出し、コップに触れます。次に、赤子を抱きかかえるかの様にコップを持ち上げます。そして丁寧に口までコップを運んで行き、水を一口分含みます。そして抱きかかえていた赤子を降ろすかの様に、優しくコップを置きます。その時コツという音がしません。そして含んでいた水を静かに飲みます。コップをテーブルの上に置いたら終わりではありません。つないでいた赤子の手を離すかのように手をコップからふあっと離し、手を元の位置に置きます。(最後までしっかり見ていませんが、おそらくこうされているであろうという想像です。)動きも自然で、気の流れを良くしているようにさえ思えました。師匠のコップ一杯の水を飲むという動作を見ただけで、ただただ感動しました。これが妙。気配りをする時だけ、品良くするのではない。コップを持つのも前の動作が大切。神社参拝に行く日に気合を入れるのではなく、参拝に行くまでの日が大切。その時点で結果は出ている。行動を起こす前の行動で、その行動の結果は出ている。(村的ですが…。)以前師匠が「一の中に一切があり、一切の中に一がある」と教えてくれた事と似ているのかなと思いました。
January 9, 2006
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昨夜師匠から教えてもらった事、学んだ事を書きます。いきなりですが、モテル男の条件は何だと思いますか?男前な人?お金持ちの人?しゃべりの上手な人?これらも、モテル要因ではあると思いますが、一番のモテル要因は…気配りの出来る男だと思います。これに品格が備われば…n(気配り)+1(品格)品格が上がれば…n+2、n+3、n+4、、、、、、。となると思いました。男前なら気配りが出来なくても、彼女はすぐ出来るだろう。お金持ちなら女性関係が充実するだろう。しかし…これらは全て賞味期限付きの恋愛。気配りが出来る男がモテルと口で言うのは簡単だが、実際は物凄く難しいと思います。なぜなら、不要な気配りを女性にすると、返ってマイナスになる。気配りをしなければ不要な失敗は生じない。無難に過ごす事が出来る。しかし、無難というのは変化が無く、付き合っている女性からすると楽しく感じないし、退屈です。これも賞味期限付きの恋愛。以前師匠が「成功の反対は失敗ではない、失敗の延長線上に成功がある。成功の反対とは何も行動しないことだよ」と教えてくれました。「●人合一の道は日々真剣勝負。一挙手一挙手が真剣勝負。」とも教えてくれました。妙を解しているか、解していないかは行動を行ってみないとわからない。小さな気配りのミスはあってもいいと思う。一つでも、ベストなタイミングで気配り(妙を解す事)が出来ればOKな気がしました。でも、その時の気配りが正解かどうかは行動を起こすまで分からない。だから、日々一挙手一挙手(に全てをかけ)を真剣に行い、勝負する事が大切なのかなと思いました。
January 8, 2006
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昨夜師匠から教えてもらった事、学んだ事を書きます。多くの人は目的を作りたがります。そして掲げた目標が達成されると、また次の目標を立てます。目的をより明確にしよう、しようとします。そしていつしか目的を覚悟と勘違いし、目的に動かされる事になります。それに多くの人は気付きません。自意識を満たすので、気持ちがいいからです。しかし、門下たる者は目的に振り回されてはいけない。覚悟を決めようと追い込む必要もない。「俺は覚悟が決まっている。」「覚悟とはこれだ!」と思った時点でそれは覚悟ではなくなっている。それはただ自分が安住する為に作り上げた物にすぎなくなる。元旦に師匠が話してくれた、一なるものが心に灯っていれば目的は不要になるし、自然に消える。その時覚悟という概念も消える。その時他人(4次元)から見ると覚悟が決まっているように見えるんだと思いました。
January 4, 2006
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新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくおねがいします。m( __ __ )m本当に去年は色んな事があり物凄っ~く密度の濃い一年間でした。ありがとうございます。少し振り返ってみようと思います。とはいっても最近の事ですが。1、2ヶ月前に●学勉強会で、年中殺について師匠から教えてもらった時は「家系の犠牲として生まれてきているのかぁ~。厳しい人生がまっているのかぁ~。よぉ~し!どんな事が待っているのか楽しみだなぁ♪絶対楽しんでやるぞ!」と思いました。先日岩清水で引いたおみくじには「世は変われども神は変わらず」とありその内容の説明を師匠にしてもらいました。教えてもらった事、学んだ事を書きます。世の中は流行りや流れがころころ変わるけど、それに心を奪われてはいけない。神なるもの真なるもの普遍的なものさえしっかり捕らえていればいい。妙はころころと変わるので追いかけれるものではない。真なるものさえ捕らえていればいい。そこに妙は含まれている。そして今年中殺である事について、日々の生活についてどう思うかというと…本当に心に一、神なるものがあれば、別に無理に楽しもうとしなくてもいい。楽しい時にはとことん楽しんだらいい。無理に歓喜を追わなくてもいい。苦しいのに無理に楽しむ必要はない。苦しい状態から脱出しようと焦る必要もない。ただその時その時の状況を味わい尽くせばいい。だから本当に苦しむことはない。だから空気が重くなる事もない。だから嬉楽喜を感じる事が出来る。苦しみを味わい尽くせた時その苦しみから脱出しているばかりか、味方にさえできていると思いました。こんな北川村ですが今年も宜しくおねがいします。m( __ __ )m
January 3, 2006
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