ハイネの森

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2026.09.23
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JR中央線〈荻窪駅〉から徒歩15分で、旧近衛文麿邸「荻外荘」に着いた。
「荻外荘」は「てきがいそう」と読む。



表札は「近衛」となっている。




昭和初期に3度内閣総理大臣を務めた近衛文麿(1891-1945)が1939年(昭和14)から住み、最期を迎えた場所だ。



東テレの「新美の巨人たち」で菊川怜さんが訪れた回を観て、ずっと行きたいと思っていた邸宅だ。

内部を見学した。

まず玄関から。


大きな太鼓は記者発表の際に打ち鳴らされたもの。

玄関入ってすぐの部屋は応接室。



こちらの邸宅は、1927年(昭和2)に大正天皇の侍医頭を務めた入澤達吉の別邸として建てられ、1937年(昭和12)から近衛文麿が住んでいた。



近衛文麿は元の意匠を変えることなく住んでいた。

設計は橿原神宮や築地本願寺の設計で名高い伊藤忠太(
1867-1954)だ。




この客間は歴史上重要な会談があったところ。
1940年(昭和15)7月に、近衛文麿、松岡洋右、東條英機、吉田善吾の4名がこの部屋で話しあったのが荻窪会談だ。
この会談後、日本は日独伊三国同盟へと向かっていく。



近衛家の家紋「近衛牡丹」。
近衛家ともなると、複雑で凝った家紋なのね。



食堂

正面のキャビネットは古写真から復原したもの。






テレビ放映でこの広縁を見て来たかったのだ。



いいよねぇ。



広縁の奥には、近衛文麿が洋室を和室に模様替えした書斎がある。



1945年12月16日にこの書斎で、近衛文麿は自ら命を絶った。
16日は巣鴨拘置所出頭最終期限日だった。


蔵の奥側は、長男 近衛文隆氏の住まいの別棟。



文隆氏は出征し、シベリアに10年抑留され、かの地で生涯を終えたので、戦後荻外荘に戻ってくることはなかった。



苛烈な環境に10年も。ここに帰りたいと日々念じていたことだろう。


荻外荘には戦後の一時期、吉田茂も住んでいた。
吉田茂は書斎を寝室にしていたそうだ。


広縁から見えていた芝生の向こうから建物を見る。


内部見学観覧料は一般300円。

平日でも途切れることなく見学者が訪れていた。


道を挟んで東側に、


隈研吾建築都市設計事務所が設計した、1階カフェ、2階展示室の建物がある。

こちらでアイスコーヒーをいただいてひと息ついた。



荻外荘公園  
東京都杉並区荻窪2-43-36  (水休)







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Last updated  2026.09.23 12:00:04
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