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やっと疲れがとれたかなあ・・・という感じでいるところへ嬉しい申し出が相次ぎました。引越しをどう準備するか、障害者二人の割りに永住するつもりの家からの脱出は困難ばかりが予想されました。でも、今まで関わってきた若い人たちから、「何を水臭いこと言っているの」と手伝いの申し出。力仕事から女手仕事まで、チームを組むように申し出てくれ、少しでもと訪問してくれた。ある人は、福祉施設で使う紙おむつ、膨大な量なので段ボール箱が出るからと施設職員一同で貯めておいて紐でしばって家まで届けてくれる。夜勤明けの時間だけどといって・・・。ここを去ると人づてに聞いたとま、16年ぶりだけどといいながら「お世話になったからと人手をつれて来ました」と先日訪ねてくれた人。私が手の届かないところの荷物を降ろすなど、整理の下準備をしてくれた。本当に嬉しい・・・。春までに引越し準備ができるような気がしてきました。途方にくれていたのですが、晴れの日気分の今日この頃です。
February 20, 2011
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4日の朝、夫の父親が亡くなりました。79歳、歳に不足はないかもしれませんが、残り半年といわれてからあまりに早すぎて・・・。遠路、通夜に駆けつけることに。でも障害者二人の準備と遠路。総距離、片道800キロ。頑張りましたが通夜の時刻に間に合いませんでした。でもともかく、葬儀に二人ででて送ることができました。しかし、ある事件。夫の勤務先から弔事の際に規定の弔電と花が届けられなかった。いえ、正確には弔電は葬儀が終了時刻にとどき、花は葬儀の10分前に電話があって、斎場側が無理だと断ったとのこと。斎場の応対は当たり前だろう。非常識な職場に、「退職間際の人間への対応はこんなものか」夫は面子も立場もなく、怒り・・・。最後には障害者だからと・・・。辛いことになりました。二人とも疲れ果てています。すこし、ゆっくりしたいけど引越しが気になります。
February 6, 2011
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今日で54歳。嬉しいこともとくにはなく、兄が電話をくれたぐらい。実はこの数日風邪。咳鼻水に少しばかりの熱。3点セットでダウン。そこに夫にも感染。枕を並べて討ち死に状態。でも休みの日でよかったとおもうことに。
January 16, 2011
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我が家がどんより冬空のわけがある。夫のことは自分たちで決めたことだから。夫の父親、義父が昨年から入院。肺がんであることがわかった。年齢も年齢なので手術にはならないかもしれないが、両方の副腎も腎臓ほどの大きさに腫れているということなので、きっとこれから長い入院生活になるだろう。夫に正月、母親が「下の世話も必要だから大変」と愚痴を言っていた様子。頼りにしたい長男かもしれないが、我が家は自分たちのことで精一杯。そんこともあって「閉塞感」充満状態。
January 9, 2011
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3月までに済ませなければならないあれこれを考えると、お正月まではまったりゆっくりしたいとおもってましたが、3日に夫の同僚のかたの突然の訃報。夫は3月に退職予定とはいえ、今までのことを考えると親切であったお一人でした。夫婦でお通夜に列席させていただきました。告別式は混雑を考えると車椅子と夫の二人はご迷惑かもと考え遠慮しました。同僚のお方は60歳の若さ、脳梗塞とのこと。夫は年齢からも病名からも悲しみはもちろんですが複雑な思いの様子。夫の気持ちの建て直しには時間がかかりそうです。また、年末引越し先の自治体から言われていた夫の介護保険の申請手続きに役所や病院へ。今日はまた臨時で診察へいきます。きっとこうやって1月はあっという間に過ぎるんでしょうね。
January 7, 2011
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おめでとうございます。ことしもよろしくお願いします。今年の一年の計は「断捨離」昨年流行ったそうですが知りませんでした。年末に仕入れたことばです。今年の春は引越しが控えています。安普請とはいえ今の家は戸建て。引越し先は小さなマンション。たぶん、荷物は半分にしなくてはならないだろう。それに、読んでないけど「あなたの荷物誰が捨てますか」というフレーズがひびく。私は母の形見なら古ぼけたものでも愛着を持って使うこともある。しかし、私たちにそういう人はないのだから思い切って捨てなくては・・・。荷物も生活もデトックス心がけようと思った新年でした。
January 2, 2011
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もう少しで今年も終わります。我が家のこの一年を漢字で表したら、夫は「変」だと。私は「転」だと。確かに、転換期の我が家。どちらの漢字にしても「変わり目」だったと。来年はこの「変」はいい結果をもたらすための変化だったといえるような年になればいいなとおもっています。御節の準備も終わって、あとは年越しそばを。皆さん、よいお年をお迎えくださいませ。
December 31, 2010
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先日から数日間、私の故郷に行ってました。兄宅に滞在しました。目的は私たちのセカンドライフの拠点を決めること。この一、二年間インターネットなどで中古マンションを探していました。障害者夫婦の私たちにとって、1 病院が近いこと2 買い物も近いこと3 救急搬送が可能な道路に面していること4 できればバリアが少ない室内であること5 駐車場は近隣でなく、敷地内であることという条件で探しました。しかし、私の故郷は神戸や長崎のような平地のない坂ばかりの町。そういうこともあって、土地はかなり高い。私たちの予算は限られています。なかなかありませんでした。でもやっと兄宅からもタクシーワンメーターくらいで、駅も近い、国道からもすぐの比較的平地の立地にあった中古マンション。しかし、上の条件を満たし私たちの予算内となると、古い。でも決めました。契約完了です。室内のバリアはリフォームすることにしました。まだまだ解決すべき問題はたくさんありますが、ともかく生活拠点が決まってほっとしました。つぎは、いまのこの家、どうやって売却しようか・・・頭が痛いです。
December 23, 2010
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この日記の中で車椅子利用者として、駐車場で困ったことを何度となく書いてきたように思う。私は今失業中だから、ハローワークに通うことがある。公的機関だから障害者用スペースは当然、出入り口近くにある。しかし、いつも元気と思しき人が停めている。声をかけると空けてくれる人もいるが、今日はひどかった。「オレも足が痛いんじゃ」といってにらみながらそのまま建物へ。普通のところにまだ空きはたくさんだが車椅子が降ろせないので、職員の人に携帯で連絡。たぶん、アナウンスで移動を促されたんだろう。職員に文句を言っている。私に気づくと、「お前が電話したのか、お前だけが足が悪いんじゃないんや、このボケ!職員に電話しやがって!」と毒づいた。職員が譲り合ってくださいというと、さらに声を荒げていた。病気で痛みがあるのかもしれないが、二足歩行できる人と私たち車椅子利用者では駐車スペースの広さの必要性は、質が違う。職員が「不快な思いをさせました」と誤ってくださった。用事が済んだあと「できれば、車椅子利用者など以外の方はご遠慮ください」の看板をとお願いして帰宅。しばらくすると、「所長です」と電話があってびっくり。物的な看板などは難しいので、次回来所日はご連絡いただければコーンを立てるなど職員が対応しますとおっしゃった。お礼を言いつつ、私以外の障害者のためにも善処をお願いした。行政も昔と比べれば優しくなったなあと思う反面、市民の態度は?まだまだ「共生社会」は遠いのかなと感じた出来事でした。
December 10, 2010
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昨日、我が家にとって大きな決断をしました。実際はずっと前から考えて決めていましたが、申し出たというのが昨日。夫が職場に退職願を提出しました。ちょっと驚いたといわれましたが、あのような職場ですから受理されることでしょう。また、それにともないここにいる意味もなくなるので、来春には転居予定。そのため、私の実家近く、といっても親はもういませんが・・。中古マンションの購入をを今月契約予定です。老後生活に不安は一杯ですが、来春が「春となるように」歩きはじめたいです。夫の「がっくり」と魂が抜けるのが心配ですが、ストレスもなくなるでしょうから見守りたいです。
December 2, 2010
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来週には12月になりますね。テレビなどでも「今年の・・・」なんて話題が多くなってきました。流行りものに詳しいわけでもないし、追いかける気もないけど、先日ふと見ていたものの中に「今年はやって品切れになったもの」というのがあった。GOPANは昔だったら欲しいけど、「米アレルギーになった私には禁忌」きき湯はちょうど買い足そうと思っていた入浴剤、ならばそれをお試しと買ってみた。とくに効果的かどうかはわからないけど、いいかおりだったのでまあ満足。そして、「白ココア」ココアは好きだし、飲むものなら私にも摂取可能。近くのスーパーになく、ちょっと足を伸ばしたところに「ありました」牛乳をわかして早速。ココアがホットチョコなんだから、ホワイトチョコ版とおもえば納得の味。スティックタイプのような手軽さはないけど、寒い夜にまったりするのにはこの一手間もいいのかも。絶賛、というほどではないけど、ちょっと話題性もあって美味しかった。こんな他愛のない日記もたまにはいいもんですね。
November 28, 2010
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やっと、私の電動車椅子ができあがりました。判定日は、9月の2日でした。小さくて軽い(借りたものよりは、ですが)ので、車椅子リフトの使い勝手がよくなりました。やっと、夫の診断書がいただけました。書類を準備したのは10月でした。脳神経科の医師と整形外科の医師の判定では、等級に大きな差がありました。障害者手帳の矛盾点はいやというほど知っていたつもりでしたが、まさに実感しました。でも、夫と話していたのは「私たちは、これでは不利益になる」と知っているから自分たちを守ることができたけど、これが何も知らないものだったら・・・。世の中に、実際不自由な生活をしながらも適切なサービスを受けるように自己主張できていない人は多いのだろうねと。いまさらながら、やっぱり、ソーシャルワーカー、きちんと仕事しなけりゃねと。
November 26, 2010
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昨日は定期診察日。先日お願いした夫の診断書、首尾よくできあがっていることを期待しつつ・・・。主治医はいい医師で、不備があってはいけないからと、PTの助力を受けましょうと、「関節可動域」の測定など、また再度別に行ってからということに。また、手帳の判定医師の書いてくださったほうの診断書。私たちの期待する内容ではない・・・。例えば、箸などは「調子がよくて、お皿も介護用で、食材も滑りにくいもので大きさも丁度よい」時だけに夫はできる、逆に言えば「ほとんど不可能で介助することがほとんど」だから私は「×」できないの判定だと思っていたけど、そこには「○」と・・・。他の行為も同様。主治医に再度この記載内容について訴えると「再度受診ということにしましょう」と、口ぞえは約束してくれたが、最終的には内科医の主治医に判定医師の結果は変えられない・・・。改めて、「病気のインペアメント」の障害を診る医師と生活者としての私たちの苦労の差を感じた。昨日の日記ではないが、だからこそ私たちの仕事が必要なのだが、こと、自分たちということになると「紺屋の白袴」状態。来週から仕切りなおしだ。
November 6, 2010
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私が仕事をやめてからしばらくたったころからときどき思うこと。私は福祉の仕事をやっていて、多少なりとも「お役に立っているのでは・・」と自負してきた。もちろん、無力感もしばしば味わったが・・。ところが自分が障害を持ったとき以上に夫のことで役所や病院の「そういうしごと」の専門家のお世話になるとき思うこと。その人たちが力量不足とか熱心でないということではなくて、私の中に「そういう仕事をする人とできれば会わずに人生を送れればいいのになあ」と漠然と思っている自分に気づく時がある。そんなとき、ハッとする。私の目の前にいた多くの来談者の方々。できれば私たちと会いたくなかったのだろうと。なんだか「必要悪」の職種であったと感じて、多少ともお役に立ったのでは・・なんておこがましかったのかもしれないと振り返っている私です。
November 4, 2010
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今日、ホルター心電図の結果をききにいってきました。徐脈傾向はあるようですが、年に1度検査をして様子を見ていくことでよいでしょう。ということで、明確な病気はみつかりませんでした。まずは安心しました。ご心配頂きありがとうございました。ところで、手帳取得のことですが、この月曜に受診した医師が「大はずれ」書いていただけなくて、また内科の主治医に「院内紹介」していただくことに。何のために1時間以上かけて車を走らせ新たに受診したのか・・・。しかも、何の脈絡か意味不明だが私の病名を訊いてきた。夫の診察に何の関係があるのか、「障害は夫婦で感染でもするというのか」非常に不愉快な思いだけして帰ってきました。ですからまた振り出しです。しかし、今日の一安心をエネルギーに来週また病院詣でします。
October 22, 2010
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先日の受診のときも順調だった夫ですが、今朝、急に具合いが悪くなって、一時意識もなくなって「救急車」救急隊がかけつけたときは、意識はもどっていて「大丈夫」と病院を拒否する困った夫。でも救急隊の人が「脈拍が40しかない」徐脈だと。なだめすかして病院搬送。まあ、落ち着いたので帰宅を許されましたが、来週、24時間ホルター心電図という予約になりました。脳梗塞をやったのですから全身どこがおかしくても不思議はないのですが・・・。本人落ち込んでます。さてはて、「明日は晴れとなりますやら」
October 10, 2010
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夫が倒れて9月末で丸四年。長いような短いような・・・。夫がようやく決意した。遅いかもしれないが、身体障害者手帳の申請です。だれがみても障害状態にあったのだけど、「快方への変化の途中」と信じていたかったのだろう・・ダメだとわかっていても。来週あたり、役所に出向くつもり・・。クライエントの役割は変な気分。職業病ですね。
September 29, 2010
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連休といってもどこにもいかないし、掃除でもとおもいつつ残暑を言い訳に何もせず・・・。そしてこのごろこればかりのホームソーイング。基本を知らない悲しさか、本の型紙から出来上がりを想像できない。出来上がってから、これってこんなに襟ぐり大きかったの?という感じ。チュニックを秋らしい色でと。出来上がって襟ぐり広い、袖も大きい、身幅も。スタイルのいい細身の若い人にはよくても、オバサンは「首は年齢が・・・」体形隠しも度が過ぎるとかえって変。そこで、袖にタック。脇にもタックで飾り止め、襟にはボタンで開き過ぎないように修正。余り布で、バッグインバッグ。整理整頓が下手で、バッグを変えると印鑑や鍵を忘れたり、バッグの底を捜索することしばしばの私。中に仕切りを二つ、ポケットを8個付けました。しかし、これで忘れ物探し物が減ることはないだろうと想像できる「老人力」が怖い今日この頃。
September 21, 2010
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電動車椅子も昇降装置も壊れたこと、先日の日記にも書いた。昇降装置の業者から何日経っても連絡がない。こちらから連絡してもつかない。携帯へも事務所でもノーレスポンス。恐れていたこと・・・業者さん、入院。私の依頼事項は中断のまま。お一人で何でもやっている脊損の方なので責められないけど、私の動きの取れない生活は続いてしまう・・・。そんな折、車検の時期。車検の業者さん、ウェルキャブ担当さんで、うちのセミオーダーの昇降装置なら「早くつけられますよ」と。早速手配してくれることに。しかし、先の業者さんにキャンセルしてから。事情が事情だけに断りづらいが、我が家の困窮もご理解いただいて「キャンセルしていただけた」もうひとつ、車椅子の判定。判定場所にどうやっていこうか、昇降機なしに借り物の電動をどうしようか悩んでいたら、判定日の前日、車椅子を貸してくれた業者さん。お困りでしょうといって、社員さんをつけて社用車で自宅まで送迎してくれるという嬉しい申し出。業者さんの入院で、車椅子昇降装置完成までの不自由生活は長引きそうだが、親切業者さんにも恵まれて、ほっとして、ほんわか嬉しい気分の私です。判定も知人ワーカーさんが偶然担当ですんなり終わりました。そんなこんなで、気分は「雨のち晴れ」
September 3, 2010
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8月は私のヘルペスに始まり、最悪な夏になるのかなあという病院通いで酷使したのか、車椅子の昇降装置が故障。しかも落下した際に電動車椅子まで壊れてしまいました。昇降装置は車を買い換えたとき、お金をかけてつけてもらったものなのに、わずか3ヶ月でだめになるとは・・・。しかもメーカーは(海外)製造中止。日本の代理店は予備の新品をひとつバラして供給という不安な体制。そこで、車椅子は再作成。昇降装置も買い替えに。昇降装置は補助の対象外なので全額自己負担。でも我が家は私の運転だけで機能しているので選択の余地はない。介護機器の社長さんが代替の車椅子だけは見かねてデモスト用を貸してくださったが、重くて大変。そんなこんなでブルーな気分の我が家でしたが、「救世主」がやってきました。AKBではありませんが「逢いたっかた、逢いたかった」と連呼したい「楽天孫」が遠路遊びに来てくれました(もう1週間たってしまったけど)素敵な家族で、みんな子どもたちは可愛かった。もうこの嬉しいイベントでブルーはピンクの幸せ気分に。いっぺんに帳消しするほどでした。8月はもうあと一日ですがで終われそうです。でも車椅子ができて昇降装置がセットされるまで9月一杯かかりそうです。
August 30, 2010
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暑いですね、というのを挨拶代わりにするのもうんざりする今年の夏ですね。夫の手伝いもひと段落して、お休み体制に入れるかなという先日。坐骨神経痛のような痛みが・・・。冷房がきつかったのかと気にも留めずにいたら、痛みにそってポツポツと水泡の赤いものが。いやーな予感と共に半端ではない痛みに。ハイ、本日受診。ヘルペスで5日間の点滴決定。ヘルペスなんて・・・歳かなあ。歳ですね。昨晩は夫の転倒で、救急外来だったのに。幸い打撲ですみましたが。そんなこんなで、我が家はいつも以上の閉店となります。
August 7, 2010
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夫も私も帰省疲れなのか、風邪気味。でも体調以上に悪いのはメンタルな方。先日は夫の会議日。会議は4つのうち夫が出るのは3つ。二つ出たあと部屋で待機。4つ目のものは3つ目終了後なので会議開始時間は未定。待てど暮らせど3つ目が終了したとの知らせはない。あまりに遅いと会議室へ行くと、出席予定の会議が終了して皆さんが出てきているところ。部屋に入って「待っていたんですけど・・・」というと、「いや、バタバタして」「大した内容でないから」と。夫は無言。私が言うべき立場でないことは承知していたが、あまりのことに「いてもいなくても同じということですね」と。他のメンバーはすべてそろっていたのだから。「いや、そんな風にとられたら困る」と。結局、夕刻、7時くらいまで待って帰宅。血糖値が下がってはと、ブドウ糖を口に含んでまで待っていたのはなんのためだったのか。腹を立てる私に、夫、発病以来こんなことはしょっちゅうだと。怒る気力もないという。悔しいがこんな組織にいても意味がないかも。今年度で退職の気持ちが固まった事件でした。それにしても、こんなところが「福祉の看板をそのひとつにしていいのか」
July 16, 2010
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今日は母の7年忌。実は7月の1日には帰省して、4日に法事を済ませました。ちょっとぎくしゃくしていた兄とも仲直り。私の好きなものを用意しておいてくれたり、夫の世話も慣れぬ手つきでやってくれました。私が法事に顔をそろえたことよりも、兄との関係修復が亡き母には一番の供養だったとおもいます。七夕の夜、星を見上げて母を思い出したいと思います。
July 7, 2010
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またもホームソーイングの話題ですが。これまで、先のエプロン4枚だけでなく、ホームドレス1枚、夫の古いワイシャツのリサイクル3枚、古いタオルの足拭きマットまで作ったお陰でミシンにちょっとなれてきました。そこで作ったワンピース。ヨークが前後ろにあって、その部分にギャザーを寄せてと少しスキルアップしました。ただこれもはぎれだったので、型紙よりも袖も丈も短くなりました。ボタンはいい雰囲気のが見つかって嬉しかったのですが、ちょっといいお値段。でも洋服の顔みたいなものだから私の下手さをカバーしてくれそうです。フォトでは少し暗い色になりました。布分量がぎりぎりでリボンに布端の印刷が見ええしまいました。
June 13, 2010
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仕事をやめて暇になるはずが・・・。いや、本当は暇なのかも。先日購入の私の「おもちゃ」大活躍です。まず縫ったのは、布絵本、やっぱり下手でしたがお嫁入りさせました。次に簡単なものしか縫えないので、エプロンを2種4枚。姪っ子にプレゼントしたくて、ピンクで親子エプロンに。ちょっと慣れてきたけど、製図は無理、ファスナーもちょっと自信がない。そこで簡単チュニックや夏のワンピースを。生協で中身を見ずに買った本が若い人向き。胸が開きすぎかも・・・あとから胸当てを足したので変ですか・・。夏向きでしょ。外に着ていかなければいいかなと・・・。余った布で帽子を。アイロンをかけて、それにかぶせて見たので、アイロンのコードが尻尾に。ついでに袖のフリルを取って、あきすぎた襟ぐりに友布のフリルでカバーしました。ちょっと長めの袖はオバサンのたるみ隠しで・・・。まあまあのできに自己満足です。布はすべてスーパーのはぎれコーナーの598円なり、接着芯をたしても材料費は1000円以下であることを考えれば私の「おもちゃ」はいい買い物でした。
June 7, 2010
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今まで乗っていたのは11年も経っていたので、そろそろあっちこっち痛んできた。私たち夫婦のよう・・・・そこで車を買い換えたいと思っていたけど、ご予算が問題。補助金や減税というけれど、もともと障害者の使う車だから魅力のなる制度ではないし、新車で何年乗るのかと考え、「失業」の二文字が大きくのしかかり・・・。我が家の消費マインドは冷え込み。しかも障害者仕様にする費用を考えると、「中古車」に落ち着いた。今まで中古車の経験は、初心者免許のときだけ。不安もあったが、夫の乗り降りしやすい車というのが第一希望だったので、後部ドアスライドの助手席リフトアップ仕様のものということで、「ラウムのウェルキャブタイプ」にした。でもそれからが大変、私の車椅子昇降機器の取り付け。ちょっと車高が高くなった分微調整に手間取って、今仮の状態。今週末にまた業者さん預けだけど、月曜日からの一週間がちょっと不安。障害者二人の「足の確保」は思った以上に難問でした。ガソリンスタンドに行くまででもちょっとドキドキ緊張した運転べたの私です。
May 9, 2010
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昨日、本当に久しぶりにお出かけしました。若い福祉の仕事をする人たちが10人ほど集まるということで、私も加えていただけるということで・・・。夫も一緒にと言ってくださったのだが、「行かない」と。車でお迎えに来てくれるというのでお言葉に甘えて。久しぶりに着物をきて、自分で着付けるのは本当に何年ぶり以上。でも何とかカッコだけはついたのでいそいそと会はとても楽しく話も弾み久しぶりに声をあげて笑っている私でした。そしてお開きというとき・・・司会者が「もうひとつセレモニーがあります」と。なんとサプライズ!!!私に「退職ご苦労様」と花束と記念品を用意してくれていたのです。あのような「事情」の退職。今まで悶々とすることはあっても、嬉しく受け止めたことのなかった退職。若い人の心遣いに感謝、感激もう嬉しくてウルウルしてしまいました。心身ともにリフレッシュできました。これでもうしばらく頑張れそうです。
May 2, 2010
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退職したら暇つぶしがいるかなあと漠然と思っていたが、それほど暇ではなかった。3月、暇つぶしに備えて買っておいたのが「私のおもちゃ」2万円を切るミシン。手芸は好きだがミシンは苦手、亡き母に任せて雑巾すら縫わなかった。家庭科の時間にやった程度。でも最近の賢いミシンならと・・・。4月から夫の手伝いのときはお弁当持参、といっても保温タイプのものでスープなどを。その袋がなかったので縫って見ました。幼稚園生みたいな色ですが手持ちのものばかりで済ませたので・・・。ちょっとしばらくはまりそうです。
April 18, 2010
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今日は夫の誕生日。特に何をするという予定もない。でも先日から夫の職場で、夫の落ち込むことが頻発。元気のない夫。なんとかしたいなあーと。ひとつはナイショで甥っ子に、昨夜電話。「明日、誕生日コールお願いね」と。今朝ほど「おめでとう」の声。夫の「ありがとう」の声がちょっぴり明るい気がした。もうひとつは、「カロリーのカウントなしの日、解禁しました。」糖尿病食事療法なしに・・・。毎日、毎日の制限はストレスにもなる。一年に一日くらい、おもいっきりカロリーの高いものを注文。それほど好物というわけではないが、禁止されると食べたいもの。宅配ピザでお祝いとしました。立ったふた切れでしたが夫もちょっぴり笑顔になりました。
April 16, 2010
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昨日はハローワークに行きました。これで、働く意思もあり労働力もあり、それでいて仕事がない状態という「失業」の定義に当てはまったわけで、不況の世の中あふれかえる失業者の仲間入りということで・・・。でも本当に4月は込み合うと聞いていましたが、多かったあー。2時間近く待ちました。待合の席も一杯で車椅子の移動は「すみませーーーん」の連発となりました。私はこれで3回目のハローワークなのですが、以前本当に不愉快な対応で嫌だなあと思いながら行ったのですが、20年近く経ったら随分丁寧な対応に変わっていました。援助を受けに行く体験というのも新しい発見がありました。待合での全くの他人の方との世間話も今までにない新鮮な経験で面白いなあと、再就職は厳しい状況ではあるのですが、ハローワーク経験をちょっぴり楽しんでいる自分がいました。久しぶりに履歴書など新しく書いて見ようかと思っています。
April 10, 2010
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4月になって、どんな風に生活しようか模索中。といっても今日も役所にいくなどバタバタしてますが。3月、4月からの生活がイメージできず、フライング気味に何かと好きなことをやっていました。こんなことで時間も心も埋められるのかなと。やっていたことのひとつ。パッチワークにはまっていました。でもこれらは全部自己流。本をもたわけでもなんでもなく、やり方が正しいのかどうかわかりませんが、でもなんとなく自己満足。ちくちくと単純作業はなかなかいいかも。パッチワークのバッグばかり、出かけところも持っていくものもなくなったのが難点です。
April 5, 2010
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昨日で退職しました。今の気持ちは、やっぱり寂しいのが一番かな。自分に19年間の仕事を問うて見ると、あなたは一生懸命やりましたか。 はいあなたは誠実にやりましたか はい充分な成果はあげましたか ? そこそこかなやり残したことはありますか はい、たくさん19年間の仕事に満足してますか 概ね満足かなといった感じです。でも何が驚いたかというと、31日の夕刻、銀行から電話、入金されましたのでいろんな商品取り揃えていますのでよろしくと。ええ、そんな退職金なんてちょっとだし、プライバシーでしょう、まだそんなこと考える気分でないからほっておいてと、少し不愉快でした。振込み連絡だけでいいのに、「事業所都合ですよね」なんて付け加えるものですから・・・。4月から新しい生活になりそうです、まずはハローワーク通いかな。
April 1, 2010
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ご無沙汰してます。なんとかやってます。夫が倒れてから、自分を癒すゆとりがなくなったと感じます。玄関先を少しだけやさしくしてくれていたコンテナガーデンもただ何も植えられないままに数年間。そんな様子を見て、年末外回りの掃除を手伝ってくれた知人のヘルパーさん。「何にもしなくていいからね。こうして雨水があたる軒下に移動してあげれば水遣りも肥料もなしに咲いてくれるから・・・」とチューリップを植えていってくれました。本当にほったらかしにしたままの三ヶ月あまり。それでも律儀に春を呼び込んでくれそうな花が咲き始めました。これ以外にも5,6本が葉を大きくしています。お友達の心遣いが咲いたようで、私の心も春を感じてとても嬉しく感謝しています。
March 29, 2010
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相変わらずの五十肩ですが、手芸がしたい、とくに編み物はいまやらないと着る時が少なくなる。こわごわ編み針を。ざくざくと早く仕上がるように8号。3,4日で仕上げたのがこれです。ポンチョは若い人向きかなと思ったけど、この歳では暖かさと、お尻やお腹の・・・をかくす、スタイルカバーが嬉しい。いかがでしょう。透かし編みなので下にインナーをいれて写して見ました、毛糸のいろは薄いグレーに細い黒と茶の糸が混ぜてあるものです。
February 3, 2010
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昨日は誕生日、もう特に何をするということもないけど・・・。兄や義姉からおめでとう電話をもらった(感謝)くらいで、夫も朝一番におめでとうと。そんな朝から行ったところは、五十肩の治療院、薬を受け取りに薬局、おまけに虫歯治療の歯医者さん。まあ、なんと色気も楽しさもないところばかり。これがまたひとつ老いの坂道の道すがらであることの証明なんですねー。でも穏やかに過ごして、ショートケーキを夫と夕食後に食べて(先日も検査結果は優秀だったので、糖尿のことはおいておきました)笑顔で過ごせたのでいいかなということに。
January 17, 2010
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気がつかないうちに、昨日の23時過ぎに160000アクセス突破してました。ありがとうございます、どなただったのかHNは判明しませんでしたが、皆様、いつもいつもおつきあいありがとうございます。今年はもう少し日記記入率があがればいいなあということと、明るい内容がふえればいいなあと感じてます。皆さんのところにももう少し読みにいければいいなあということも願ってます。
January 11, 2010
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休みがつづくと、「退職後の生活もこんなものかなあ」と想像する。私の勤め先はここに書いた状態なので、年休消化希望者が多い、そんなこともあって「年末年始のお休みは、12月23日から1月11日までの長期休業」うらやましがられる長さかもしれないが、職員一同、「先立つものの支給もない、将来性のない休みじゃねー」とテンションも仕事をしない日常を想像してみた。まあ、少しばかり丁寧な掃除をするだろう。でも、1ヶ月もかからないだろうなあと。手芸三昧。箪笥のストックを取り出してみるとたぶん、1か月分は十分にある。でも、腕は痛いままだし、老眼もちらほら・・・。肩こりのもとからは早期に撤退するかも。ブログ三昧。これはかなり現実味のあること。でも、やはりパソコンは腕の痛みに拍車をかける。絵をかこうか、書道をやろうか・・・。「お金が続かないよ」と言った友人のことばがリアルによみがえる。何をしようか・・・あと、二ヶ月ちょっと、ゆっくり考えよう。
January 10, 2010
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あけましておめでとうございます。おかげさまで私たちはおだやかな新年を迎えております。いつもとかわらぬ御節を並べ、年賀状を嬉しくながめ、テレビの前でゆっくりとしてます。ただ少しちがったことは、夫が倒れて以来、お正月でもお酒の例外は作らなかった3年間。でも今年はロゼのカリフォルニアワインを、切り子の小さな小さなお猪口に一杯だけ、お屠蘇代わりにしました。ワイン好きの夫、久しぶりだねとにっこり。それからもうひとつ、夫に「ラブレター」年賀の手紙を書きました。今年もよろしく、元気で仲良く暮らそうねとしたためた。夫は少し驚いたようだが、「ありがとう、うれしいよ」とにっこり。書いてよかった、今年は少しでも夫の笑顔を取り戻したいと、それが私の一年の計。皆様、今年もよろしくお願い申し上げます。
January 2, 2010
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今年も本当にあと少しになりました。辛いことも多かったけど、二人とも入院をしないという目標はかなえられました。素直に喜びたいと思います。御節の準備も八割方終わりました。あとはテレビでも見ながらゆっくりとしたいと思います。今年は日記更新できませんでしたが、その間も皆さんに支えられましたこと感謝です。ではよいお年をお迎えください。
December 31, 2009
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腕や肩の痛みは相変わらずで、何をやってもはかどりません。もうガラスはあきらめました、暖かな春まで仕事はとっておくことに。でも、玄関だけは「春と福を呼び込みたい」そこで、華だけは。でも改めて、母の好んでいけた「松と千両」を毎年材料にすると、私の技量のなさも手伝って「変わり映えしない生け方だなあ」と。でも気分はお正月になるから、まあいいかと自己満足することに。
December 29, 2009
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12月に入ってから、最初は背中・・・地方によって言い方は違うのだろうが、肩甲骨の内側あたり、痛くてたまらない。父が生きていたときは、定期的にメンテナンスを受けていたが、父亡き後、何度か治療院の類にいったが、「うまい」と思ったところなし。しかし、今回は悲鳴をあげたいほど。いつも通るところにできた「鍼灸整体治療」の新しい看板。飛び込んで治療をうけると、「よくこんなになるまで我慢してましたね」と。週に1・2回通って、勤務ごまかしながら勤務終了。年賀状を仕上げたら、ついに「首は動かない、腕はコーヒーカップを持っても痛いほど」昨日から毎日通うことに。でも、年末のあれこれが進まない。ただ、今年は嬉しかったのは、友人のヘルパーさん。プライベートヘルパーとして私のしにくい外回りの掃除をしてくれた。しかも後日、充分できなかったからと親戚の男性を連れてきてくれた。その方、塗装業。塗装の時は、下地をジェット噴射のような機械で水洗いする。その業務用機械で、網戸を水洗い。本当にきれいになりました。感謝です。お陰で今年の窓拭きは楽ができると思いきや、その仕上げ磨きができてない。痛みと共に年越しかな。この日記も左の一本指で書いてます。そんなわけで、あと今年も一回くらいの更新だと思います。では、メリークリスマス。
December 25, 2009
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今年も残り少なくなってきました。ここで福祉ネタを書くことも今年は少なかったような気がします。というより、日記更新がされませんでしたが。厚生労働省が、年越し派遣村のためオリンピックセンターを活用するという。東京23区で路上生活のため、保護される人は年間3000人という。少し古いが台東区だけで、一時保護される人の20%から30%に軽度発達障害・境界例の知的障害があったという。また、平成16年の新規受刑者3万2000人。うち、IQ69以下の人は7.172人。平成19年の厚生労働省の研究班の調査では、知的障害の疑いのある受刑者410人の約7割が再犯。犯行動機も生活苦という。路上生活者の統計数字と、受刑者の数字は整合性ある調査の結果ではないが、「軽度」ゆえに、なんら社会的サポートと結びつかず、路上生活に陥る。路上生活もできなくなると、無銭飲食などの犯罪を繰り返す。そんな姿が思い浮かぶ。ある人と関わった。両親が生きているうちは、療育手帳も受けず、「障害」となされず生きていた45歳のAさん。両親が亡くなった後、家賃が払えず路上生活に。Aさんの身に着けていた生きる術は、「難しい話はニコニコと笑って聞いたいるだけ」返事は「それでいいです」と「わかりません」と「ありがとう」彼は、「職場適応ができない人」として地域からはじき出されて、公衆トイレで寝泊り。不審者として警察に保護された。しかし、違法性はないため福祉サービスには結びつかなかった。年末、オリンピックセンターだけでなく、日本中にAさんのような「網の目からこぼれた人」が冬空にいるのだろうと、これらの数字が気になった。
December 23, 2009
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うちの職場、いよいよ閉鎖に向かってカウントダウンです。先日、理事長から「退職時の扱いについて通知が・・・」なんとなく、廃業なのに退職金が出るだけよいと思え的発言。退職に追い込まれる原因は誰が作ったのといいたいが・・・。みんな無言。だから仕方がないが、うちの組織のサービス受益者はまだ目の前にいる、多くはないが・・・。なのに、一部の人間は「雇用保険の給付の計算」の皮算用を勤務中にする始末。自分の生活が大事なのはわかるが、「だから、つぶれるような組織なんだ」という声が聞こえてきそうで情けない。年の瀬に厳しい環境を迎えるのだから仕方のないことかもしれないが・・・。有終の美を飾れそうもない職場のようだ。
December 8, 2009
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夫が病気をしてから、病院以外に連れ立って出かけることは本当になくなった。けれども、今日は友人の声楽家がコンサートを開くからと招待券をいただいていた。小さな多目的ホールで、自宅からも車で5分ほどのところ。花束を用意して二人で出かけた。玄関先で夫のことば。「好奇の目でみられるよね、僕がこんな身体から・・・」私、「見る人には見返したらいいの」夫「まだそんな心境にはなれない・・・」けれども折角のチャンス、人前にでることにも慣れなくては。せきたてるように会場へ。相変わらずのすばらしい声に、久々に癒されました。行ってみると夫もよかったねと。少しは気分は上向きかと思いきや・・・。僕も歌は好きだったけど「歌えなくなった」と。まだまだ、喪失したところにしか目は向かないようです、困った夫です。
November 29, 2009
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久しぶりに「福祉」の話。私の周りにいるある若い男女の会話。ふたりとも「介護福祉の勉強中」女性「私、真剣に勉強して考えて資格取りたいのに、あののりピーが同じ資格取ると思うと、なんだろうかなあと思う。いっしょにされたくないなあー」男性「いいんじゃない、ともかく介護福祉士の資格が注目されたんだし、オレ、可愛いから許す、なんてね」女性「福祉を更生の道具にされるのっておかしくない?」J-crossさん、どうおもいますか、とふられた。入学面接内容を入学前から公表した大学の姿勢に問題を感じていた。入学試験における面接は受験生がだれであっても秘密にされるべきだとおもっていたから、彼女の「複雑な気持ち」や「薬物中毒患者の更生の問題」やら、福祉資格の社会的評価やらいろいろと頭をよぎって、一言ではいえないなあ、とだけいって他の仕事をしてしまった。どう返事をすべきだったのか。
November 27, 2009
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仕事は計画的に行うほうだが、家事を計画的に・・・とはいかない私だけど。自分のことを自分でやって、夫の世話を焼いて、仕事も本当に最後の後始末に入ってくるので、今年の年末大掃除は計画的にならざるを得ない。というか、一度にする体力に不安。そこで今年は、レンジフードは年3回フィルターカバーを付け替え掃除、フローリングのワックスも3回ほど塗りなおしているから、自分を褒めたいくらい・・・ってほどでもないか。この三連休、大掃除を楽にする計画ということで、やったこと。1 冷蔵庫のポケット、ラックをはずして掃除。2 リビングのカーテン、レースもふくめ洗濯。3 玄関スロープみがき。4 玄関のカーペットの張替え(車椅子乗り込みのため段差なく絨毯クロスを張ってます)この4つめ、2・3年に一回張替え、素人が貼るので隅々はみっともないが泥持込でどうしても汚い、汚いよりましかなとおもっている。それでも今年は一枚式をカットする元気はなく、ホームセンターで見かけた「タイルカーペット」というものを敷き詰めた。つなぎ目が気にならないでもないが、大きなものを裁く腕力のなさを考えると便利そうだと・・。しかし、甘かった。「タイル」と書いてあったんですよね、だから一枚が重い。16枚入りで18キロと箱に書いてあった。(お店の人が車まで運んでくれたので築きませんでした)なんとか敷き詰めて、連休の仕事は終わりとしました。ああ、疲れた。それとどうしてもできない家の外回りは、プライベートなヘルパーさんに12月に、一日雇うことにしました。これでなんとかなるでしょう。
November 23, 2009
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日記、書かないまま日々過ぎていきます。近況、というほどでもないのですが・・。11月にはいったある日、寒くなったかなと朝、エアコンをいれたが・・・・1時間たっても暖かくならない。夏ごろからもう寿命かなと思いながら、近づく私の失業する日を思って緊縮財政ということに決め込んでいたが、夫の血圧を考えたら暖房は必須。エアコン、買い換えました。いろいろ出てますねー。高いところがダメで不精の私ですから、「お掃除機能つき」センサーがよく、省エネにできているから、年間2万円くらい電気代がお得と店員さん。10年使ったらもとをとるのかと思いつつ決めました。ついでに、吸っているのか吐き出しているのかと思うほどになっていた掃除機。ダイソン・・・ちょっと高いけど欲しかったので買いました。びっくりするほどの吸引力だけど、音が大きかったのでこちらはちょっと後悔。国産の消音設計のものでもよかったかなあと。エアコンはちょっと面倒ですがエコポイント申請しました。12000ポイントはちょっと楽しみ。勿論、支払いは夫のボーナスで引き落とし、ポイントは私がいただきます、はい。という具合でなんとかやってます。今度、いつ日記書くのやら・・・です。私は風邪が2週間以上抜けないけど、皆様、インフルエンザなどお気をつけて。
November 13, 2009
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少し前のことだけど、閉店する手芸店の店長さんが、ご贔屓になったからと売り物ではない、ちりめんで作った「9匹の猿が南天の小枝に並んでいる縁起物」の飾りをプレゼントしてくれた。「難を転じて苦がサル」ということだと。夫の病気のこともよく知っていてくださる、とても気持ちのいい店長さん。持ち帰って、「いいことがあるようにってくださったのよ」と夫に見せた。夫も店長とは顔見知りだから・・・。なのに、夫は「僕が難ばかり持ち込むからだろうね」と。最近、一時が万事ひがんだような受け止め方しかしない夫、困ったものです。(久しぶりの日記も愚痴・・・でした)
October 29, 2009
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またまた日記休業がながびいてしまいました。いろいろ忙しかったのですが元気です。ただ、忙しいとかえってやりたくなる手芸の類。しかも、長年通っていた手芸店が不況で「閉店予定」閉店セールスがあった。安く手に入るというチャンスの上、友達から「作って」とリクエスト多数。しかも、この夏、浴衣に使いたいからなどの条件。そこでできたのが「ちりめんの巾着の手提げ袋」と、ちろめんの髪飾り小物。そのほか、サマーヤーンのベストを、なんと5着も編むことになっていたのでした。なんとか出来上がったので一息ついて、日記を書くことに。
August 27, 2009
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昨日は七夕。特に何もしなかった。私にとっては七夕というより、母の命日。マザコンの私、突然になくなった母はきっと「だいじょうぶかしら」と思ったのではないだろうか。確かに寂しいし、生きていればまだまだ話したかったことも、孝行の真似事も。でも、先日、楽天友達から「母へカサブランカを」とギフトカードが送られてきた。いまどき、親戚でもない人が覚えていてくださる。感謝感謝である。「お母さん、安心していいよ。私はこうして支えられて生きています」
July 8, 2009
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