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2023.02.26
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テーマ: 読書(8290)
本のタイトル・作者


俺ではない炎上 [ 浅倉秋成 ]

本の目次・あらすじ

ある日、インターネット上のあるアカウントが炎上する。
「たいすけ@taisuke0701」というアカウントが投稿した、殺人とおぼしき写真。
Twitterの特定班は、容易にそのアカウントの持ち主を割り出す。
大手ハウスメーカー・大帝ハウス大善支社の営業部長である、山縣泰介。
家の倉庫から二人目の遺体が見つかり―――無実の彼は、逃亡を始める。

引用



「自分は悪くない。自分の価値観だけが正しい。ねえそうでしょーーーって。そういう呟きしか存在してなかったんだよ。だから、そういう人間になっちゃ駄目だなって、すごく思ったんだ。みんな、ものすごくみっともなかった。僕はああならないように、きっと気をつけなくちゃ」


感想

2023年039冊目
★★★★

六人の嘘つきな大学生 [ 浅倉秋成 ]

と同じ作家さんの作品。六人〜がどんでん返しミステリで、めちゃくちゃ読んでる途中は人間の本性が暴かれていって胸糞悪いんだけど、最後は「でも本当はそうじゃなかったんだ」が分かって謎の爽快感があって、期待して読んだ。


あ〜もう見事に騙された〜!!やられた〜!!
無実の人が犯人に仕立て上げられて逃げ回る話。
というわけで、はじめ伊坂幸太郎の『ゴールデンスランバー』みたいだなあと思ってたの。
それすら先入観だった。
最後の最後までミスリードにミスリードされてミスってリードされてたよー!くやしい!

というわけでネタバレ注意。

はじめ、違和感を感じたのが158ページの「山縣泰介に小学生の娘がいるって本人の年齡考えたらありえないような気がする」というSNS。
確かに、遅くに出来た子どもなんだな、と思って読み飛ばしていた。
それがああなってこうなってそうなるのね!

本編の真犯人に触れないところで言うと、『翡翠の雷霆』のピンバッジをつけて、スターポートで煙が上がるのを待っていた学園大の学生。流体力学を研究していたという彼こそが、「理系の端っこの学部」にいた三十歳の六浦さんだったんだろう。
はじめから一貫して真実を明らかにしようと、その道を探ることを諦めようとしなかった六浦さんが、最後に肩を揉まれて「どうしようもなかっただろ」「俺達は悪くなかっただろ」に同調する悲しさ。


正直、真犯人に至るまでの道のりが面白くて、真犯人の動機が陳腐で「おいお前」ってなった。

山縣さんはスペックがすごくて(めっちゃ走る)、でも後輩の家を訪れた時に今までの自信が木っ端微塵になっちゃって、信じてきたものがすべて瓦解して、ここらへん一時職場で完全に人間不信に陥っていた私は「わかる!!」となった。

「小さい子供がいて仕事も忙しいアピールしてるくせにいつもばっちりメイクしてて、さばさば気取ってる割にフェミニンで派手なオシャレしてるのが気に入らない」って前に人づてに言われて、「いや百均のメイクやし仕事行くの嫌やから気合い入れるためにやってるだけやし、服なんて10枚くらいしか持ってないしユニクロとしまむらのセール品やし、派手な柄って十年前のお土産の民族衣装と、大学生の時に通販で買ったストールやしこれ」ってなった。
ちょっと待てよ、ディスられているようで、ほんまはすごい褒められてるんか…?
なんていうかさ、嫌なら嫌って、直接言ってほしいんよ。

私は正直な人間なので(というか感じたことがすべて態度に出てしまうし、思ったことをすべて口にしてしまう幼児脳なので)、ニコニコ笑ってる裏でそんなこと思ってるんや、人間難しすぎるとびびった。
みんな腹の中で本当はそういうこと考えてるんだ…と人が怖くなった。

それと思ったのが、誰かのことを「嫌い」って言っている人は、自分にも同じ刃が向くことを想定していないよね。
山縣泰介の奥さんもそうだ。
あいつが悪い。私は悪くない。私は可哀想。だからしかたないの。
この小説で、SNSを批判する言葉も同じ。
俺は悪くない。
そう言葉を変えてみんな言っているだけ。

くだんの人間不信の件、でも私としては色々学びがあって、それは「相手はどうしてそう考えたか」を、視点を変えて向こう側から見られるようになった。
ものすごく癪だし、理解できるかは別の問題なんだけど、一定そこには「わかる」ことが、ある。
その結果、私自身の来し方と行く末を見直さないといけないことも、ある。
痛みを伴うから、できれば見たくなかったところ。
知りたくなかった己の暗部。

私が、悪かったのかもしれない。悪いのかもしれない。じゃあ、これからどうする?

それでぐるぐる考えた結果、「私らしく、毎日楽しく明るく生きる」ことにした。
それって相手側からのことを考えてないやんという話なんだけど、ある意味吹っ切れた。
「私」は「相手」を変えられない。私は「私」しか変えられない。
そしてその私を変えるべきなのか?と考えた時、変えるべきところとやっぱり変えるべきではない、と判断するところがある。
それは私の核となる部分。
私が私であること。私を私にしているもの。
それは、譲れない。

相手はきっと、その私を見るのが最高にムカつくのかもしれないのだが、私が相手を変えられないように、相手も私を変えられない。
その上で、私としてやっていくしかないのだ。
前を向いて。顔を上げて。口角を引いて。

いやあ、人生はすべて学びだなあ。

山縣泰介もまた、自分の信じてきたものがズタボロになり、無実が証明されて社会復帰をした折に、これまでとは「違う自分」のほうを選ぶ。
彼は、偉い。
これ、なかなか出来ることじゃない。
妻が、泰介のことを「他人に敬意を払える人」と言っていた。
自分に厳しい分、他人にも厳しいのだと。
彼は、自分の核を守ったのだ。

この小説、読み始めは「ネット怖ぇぇぇ」「SNSやべぇぇぇ」ってなるんですが、最後の最後まで読んで、なぜこのアカウントが作られたのかという真の目的が明らかになり、「そうだよな、インターネットって、使いようによって出会うことが出来ない仲間と出会うことが出来る、ものすごく素敵なものだよな」とも思った。

かくいう私は最近、2年ほど続けていたTwitterをやめました。
1,300人くらいいたフォロワーの皆さんに、「アディオス、アミーゴ」と別れを告げ、アカウントを削除。
どこかに「自分に向けられた言葉」が漂っているんじゃないかという、あのぼんやりとした「ここではないどこかに呼ばれているザワザワ感」がなくなりました。

でも同時に、もうこいつ死んでいなくなるんじゃないかっていう勢いで別れの言葉を応酬して、「ああ、インターネットでの一期一会の出会いは、アカウントの消滅=存在の死、なのだな」とも再認識した。
みんなー!私、元気に生きてるよー!笑

インターネットとの付き合い方、いまだ何が適切な距離感なのかわからない。
怖さに尻込みするのも違う。夢中になりすぎるのも違う。
出来なかったことが出来るようになり、出会えなかった人と出会い。
未来と希望のために、使うべきもの。



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最終更新日  2023.02.26 07:53:46
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