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2023.07.10
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テーマ: 読書(8290)

書名



飽きっぽいから、愛っぽい [ 岸田 奈美 ]

感想


2023年149冊目
★★★

岸田奈美さんを、映画「かもめ食堂」などのフードスタイリストの方だと思っていた。
最近はテレビにも出てはるし、エッセイも書きはるんやなあと。
それ飯島奈美さんや。奈美ちがいや。

というわけで、岸田奈美さんです。

岸田奈美(キシダナミ)
1991年生まれ、兵庫県神戸市出身。大学在学中に株式会社ミライロの創業メンバーとして加入、10年にわたり広報部長を務めたのち、作家として独立。世界経済フォーラム(ダボス会議)グローバルシェイパーズ。Forbes「30 UNDER 30 JAPAN 2020」「30 UNDER 30 Asia 2021」選出


全然違う人やんか。(当たり前)フードのフの字もないやないの。
この本は、『小説現代』の連載を収録したもの。
場所と記憶(思い出)をテーマにしたエッセイ。

なぜ関西の人が書く文章はこうなるのだ…。自分に自分で突っ込まずにはおられんのか。
喩えがまた面白くて、「法事は祖母にとってのフェス」は笑った。

はじめに、で「百文字で済むことを二千文字で書く」とあり、私も私も!と肯う。
ブログを書き始めた頃は百文字書くのも四苦八苦していたのに、今やもう指先から流れるように文字が出るんよ…。
むしろ長すぎるねん。毎日毎日誰が読むねんこんな長いブログ。
岸田さんはその冗長になりがちな自身の文章をして「食べざかりの中学生を抱えた家庭の、大皿料理のような制作過程」という(韻を踏んでいる)。
まさにそれだ。どーんと出して、あとは好きなん好きなだけ食べてー!という感じ。

今回のエッセイではじめて岸田さんのことを詳しく知ったのだけれど、弟さんはダウン症で、中学二年生のときにお父さんが急死、高校一年生でお母さんが下半身麻痺に。
それはなかなか大変だったろう。
でもこの方には、「っていうてもな!」という吹っ切れ感というか、明るい笑いが底にあって、だから読んでいても陰鬱な気持ちにならない。

そういえば、意味のないことへの後ろめたさを感じるようになったのは、最近になってからだ。


というのは、よく思う。

最近ではタイムパフォーマンスがいいこと、も入るのか。
なんかしてないといけないのか。なんかこう、有意義なことを。

岸田さんは、いらんことを「なんか知らんけど、自分が愉快になる」効用があるという。
関西では「いらんことしい(不必要なお節介や手出しをする人)」と言うけれど、そういうことや人があって、余白があって余裕があってこそ、ギシギシ軋まずに生きていけるのだ。
みんなもう、頑張りすぎよな。私も効率厨だけど。

もうええやん!みんなパンダになろ!

お母さんの手術が終わるのを岸田さんがスーパー銭湯で待っている間、

わたしは、パンダだ。こうしているだけで価値があるのだ。こうしているだけで価値があるのだ。馬鹿げていてもそう思い込まなければ、自らの非生産性に耐えられぬ。


と自己暗示をかけていたのだけれど、これってもう日常全般に適用していきたい。
私、パンダなんで。いやほら、パンダですから。とはいってもパンダなので…。
そうかあ、しかたないよねえ、パンダもんねえ。(ってならんかな)

エッセイの中に出てきた「ごちそうカレー」は、楽しそうだなと思った。
ふつうのカレーに、めいめい好きなトッピングをするというもの。
我が家はふつうにカレールウからカレーを作るより、レトルトカレーのほうが子どもが喜ぶ。
自分でカレーの種類を選べるところが良いらしい。
さらに鬼滅カレーやらすみっこぐらしカレーやらには、シールも付いてくる。
それにスーパーで調達したカット野菜のサラダ(大根のツマが安くてお気に入り)をつければ夕食が完成するのだけど、岸田家ではゆで卵にチーズ、福神漬け、冷凍からあげ…などをそれぞれ好きに調達してきて乗っけるのだそう。
さらにお楽しみが追加されて「自分好み」が具現化されて良いですな。今度やろう。

エッセイの中で一箇所、幼い頃に遊んだゲームセンターの「新丸ゴ」を思い出せる、という描写が出てきて何のことか分からなかったのだけれど、調べると

「新丸ゴ」は、モダンなゴシック体として人気の高い「新ゴ」をもとに誕生した丸ゴシック体です。

とのこと。ゲームセンターの「らんらんらんど」の看板の文字の字体まで覚えている、という意味だったのね。これは校正の人も常識だから見逃したのかなあ。一般人に通じひんやろ。

あと、飛行機の話で、イエモンの歌(THE YELLOW MONKEY「 JAM 」)で「乗客に日本人はいませんでした」っていうのがある…というところ。
私もこれひどいなと思っていたんだけど、外務省や大使館に問い合わせが殺到しないようにするという実務的な理由なんだ。知らなかった。イエモン聞くときの心持ちが変わるわ。

そんなこんなで楽しくエッセイを読み終わろうとしたら、最後に、岸田さんは「わたしはなんのために、エッセイを書いてるんだろう」と記す。
書くことが楽しくなくなった。自分のことが嫌いだ。
過去の自分を利用して、語り直す。
名前をつけて美しい話に作り変える。
そうして今の自分を肯定して、好きになろうとした。

過去の自分というストックを、オーダーに応じて調理して出せばいい。
メソッドが確立し、手早くエッセイを書けるようになった。
そんな時、編集者から岸田さんは言われる。

「岸田さん。全部の物語に、むりやり教訓をつくらなくていいんだよ。」(略)
「なんていうのかな、岸田さんは最初にまず伝えたい結論をつくって、それを説得するのにちょうどいい材料を過去へ探しに行ってる感じがするよ」


記憶の中に、嘘を混ぜた。
自分を好きになれるように、話を盛った。
それを何より、自分がよく知っていた。
最後に、岸田さんは「書けないこと」の先に行こうとしているところで終わる。

このラストのエッセイ(あとがき?)が、私には結構衝撃だった。
なんというか、ある意味「ごめん、今までの全部ウソ入ってる!信じたでしょ?だってさ、私自分のこと嫌いだからさ、こうならいいな、こう言ってほしかったなっていうのを入れて、みんなが読みやすくしたの」っていう告白じゃないですか。
大いなるネタバレ。種も仕掛けもありました。
それは読者への裏切りを明かすこと。
でもこの人に嘘をつかれたとか、そういう印象は残らない。
ああ、そうなんかあ。と思う。

たぶんエッセイを書いている人には、みんなこれがある。
なにか日常の出来事、ある人の一言、そういうものから私はこういうことを考えて、こういう思いを浮かべて、教訓を得て…。
でも何もかもがそんなにうまく、きれいにまとまるわけじゃない。
こじつけも、嘘も、誇張も、装飾も、ある。
エッセイはひとつのフィクションだ。
読者はそれをほんのりと知りながら、透けて見える薄紙越しの真実と受け取る。

私もブログを書く時に、内容紹介から始まって、「最後は何かいい感じにふわっと終わる」ということを心がけるようにしたらうんと書きやすくなった。
でも毎回毎回なにかしらの学びやら気づきがあるわけじゃなくて、そこには「盛って」ることもある。
それを言うか言わないかで。
岸田さんは正直な人なんだろうな、と思った。

さて、じゃあ、自分の中にその「嘘」を許さなくなったのなら。
何を書くかというのは、けっこう大変なことでもあると思うのだ。
次に岸田さんは、何をどう書くのだろうな。


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最終更新日  2023.07.10 00:00:23
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