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2023.07.29
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テーマ: 読書(8559)

書名



闘いの庭  咲く女 彼女がそこにいる理由 [ ジェーン・スー ]

目次


はじめに
齋藤薫(美容ジャーナリスト・エッセイスト)
 -「自分の顔を知るって、本質を見つけるということ」
柴田理恵(俳優・タレント)
 -「自信がついたのは、自分たちがやってきたことが、人の役に立つとわかってから」
君島十和子(美容家・クリエイティブディレクター)
 -「出会った人と、出会った出来事で成り立っている」

 -「あらゆることをやってます。それは自分を好きでいられるためのステップなんです」
吉田羊(俳優)
 -「やればできる、できないわけじゃないと自分を鼓舞してる」
野木亜紀子(脚本家)
 -「少しでも心が動くもの、残るものを目指してやっている」
浜内千波(料理研究家・食プロデューサー)
 -「女性が輝いているところで、私も一緒に輝きたい」
辻希美(タレント)
 -「頑張っていれば、悪いことはないのかなって。何事も」
田中みな実(俳優)
 -「この経験はしないほうがよかった、近道があった、と思うことはひとつもありません」

 -「ものの考え方だけで、ある日突然、いろんなものが幸せに感じました」
神崎恵(美容家)
 -「やりたいことができるようになったら、誰からも好かれる容姿も必要なくなった」
北斗晶(タレント)
 -「自分ができないことを補って助けてくれる人たちがいれば、人生回るんだよ」

 -「私はずっと、私のためだけに存在する私の椅子が欲しかった」
おわりに

感想


2023年165冊目
★★★

「週刊文春WOMAN」vol.1〜5、7〜13、17号掲載の再編集して収録。
6年にわたる13人の女性へのインタビュー。

いろんなジャンルの有名な人が登場する。
テレビで見る一面だけしか知らない人たちの、内側。
もちろん「きれいな」インタビューだから、全員「すごい」「いいひと」に見える。
私は特に辻希美さんなんか、「よく知らないけど漠然とネガティブなイメージを持っている」状態だったので、へえと思った。

艱難辛苦をくぐり抜けてきた彼女たちだからこその、噛んで沁みるような言葉たち。
私が印象に残ったもの。

「口幅ったくて、いい答えにならないかもしれないけれど、知性しかないのかなと思います。歳をとって、いくら若くてきれいで、金持ち風に見えても、決定的に知性がなかったら、汚く見えてしまう。知性がないまま、美しさと引きかえに削れてしまう人生は、送るべきじゃない」


美容ジャーナリストの齋藤薫さんの言葉。
何度も紹介しているけれど、私はマルグリット・デュラスの『愛人(ラマン)』で、最後のシーンが好き。
それは年老いた「かつての美少女」であった主人公にかけられる「私は今のあなたの顔のほうが好きです、嵐が通り過ぎたあなたの顔のほうが」という台詞。

先日の飲み会で、美人と評判の年上女性が「〇〇さんは、きれいだから」と声をかけられていて、それはいつまで価値があることなのだろうか、と考えていた。
やっかみと言われるとそれまでなのだが。

ジブリの映画「ハウルの動く城」で、魔法で老婆に変えられてしまった少女・ソフィーが言う。
「私は美しかったことなんて一度もないわ!」
けれどソフィーは、きれいなんだ。老婆になっていたって。
それは何故か?

外面より内面、ということではない。
そりゃあ被っている皮の造形が整っていることは価値がある。
けれどそれはなんていうか、多大な部分は別に単なる運である。
そしてその美しさは、多くの場合、歳を重ねるほどに失われていく。
削り取られていく。

この歳になって、内側に蓄えているものが試されていると感じる。
それで勝負するには全然足りない。
削り取られていく人生の中で、積み増していくもの。

母親に対する気持ちにも変化が訪れた。
「こうしてほしかったという思いを、ずっと抱えて生きてきました。でも、やってもらえたことや赦されたことのほうがはるかに多い。そこに目を向けていなかったんだと、手紙を読んで改めて気づきました」


俳優の吉田羊さんの言葉。
両親に対して、屈託がない人というのが、私には眩しく、また信じがたい(それは私の夫であるのだけれど)。
すべての親は毒親であり(自分も含めて)、その毒とどう生きていくかということが、この世に子として生まれた時に課せられた呪いみたいなもんだと思っている。
どうしても、過去にしてもらえなかったことだとか、そういうところにフォーカスしてしまうけれど、アルバムをめくると「愛されて育った子ども」としての自分が映っている。
大人になってから、その事実に驚愕した。
これは誰なんだろう。
今は、子の立場から、負の面からだけ親を糾弾するのはフェアじゃないと感じている。
自分の子供を見ていてもそうだ。
子には子の都合と思いが、親には親の都合と思いがある。
永遠にマッチングしない矢印の双方向。

「中堅になると、下にも上にも挟まれて、にっちもさっちもいかなくなるときってありますよね。若手にも行けないし、おばさんの部類にも入れないし」(略)
「中途半端な時期を、どう跨いだらいんだろうという問いは自分の中にもあったんだけど、大人になったって、わからないものはわからないじゃないですか。そこで、わかる振りをするおとなになるか、わからないと言える大人になるかの岐路に立たされる。選択肢はふたつしかないから、私はわからないと言えるほうに。そういうのを求められている座席であれば」


タレントの山瀬まみさんの言葉。
私は現在、37歳。
アラフォー。あ、あ、あらふぉー?!
こんなに未熟でグズグズなのに、「右も左もわからない若い女の子」と甘やかしてもらえる時期は過ぎて、かといって「すべて任せられる存在」とは見なしてもらえず、中途半端だなあと思う。
10や20年上のオジサマがたには、扱いにくい存在。
発言すると窘められる。発言しないと役職に応じた仕事をしろと言われる。
どっちやねん。
でも最近、新しい会社での動き方も分かってきたし、もう遠慮するのやめようと思った。
顔色を見ながら、角が立たないように、お伺い立ててやっていたけど。
好きなようにやったろうと。

ある人に、「ノマちゃんは、上の人にとっては脅威なんだよ」と言われた。
だから、気にしなくて良いと。
それでちょっと、気分を持ち直した。
相変わらず「しんどいなあ、つらいなあ、やめたいなあ」と思う日々だけど。

またある人には、「ノマちゃんは、尖りすぎててぶつかるねん」と言われた。
もっと上手に生きていく術を学ばなくては、と。
そうやねん。でも出来へんねん。
だって私が正しいから!(笑)
おまえ、そういうとこだぞ!

私は、わからないと言える自分でいたい。
そうして自分のできることを増やしていきたい。
だってそのほうが楽しいから。それは私の喜びだから。

「勝ったか負けたかわかるのって、目を閉じる瞬間ですよ。私はまだ人生に勝つってどういうことなのか、勝ち負けで済むものなのかもわからない。ただ、いろんな国に行っていろんなことを経験して、いろんな人と出会えた。勝ち負けよりも、人生は足し算みたいなもんだなと思ってます。最終的に残るのは一人か二人かもしれない。でも、足し算の最後の答えが自分ひとりじゃなきゃいいなって」


元プロレスラーの北斗晶さんの言葉。
私、ここの文章が引っかかって、でも前後の文章も含めて何度も読み返したのだけどよく分からなくて、それが「足し算の最後の答えが自分ひとりじゃなきゃいいなって」という部分。

この言葉の後に、お祖父さんの「自分ができないことを補って助けてくれる人たちがいれば、人生は回るんだよ」というお話が続くんですが、だからこれは、「はやく行きたければ一人で進め。遠くまで行きたければみんなで進め」と同じ意味なのかなあ。
人生の最期の時に、今際の際に。
人生に勝ったとしても(私にも何が「勝つ」ということなのか分からないのだけれどーーーあえて言うなら、「死ぬまで生きること」だろうか)、その勝利が自分ひとりのものであったなら、それは意味があることなんだろうか。

「この先も、どうせ周りが文句を言って私を汚したりするに違いないから、絶対に自分に汚点をつけてはいけない。どこまでも自分を正しくかわいがってやろうと思ったんです」


漫画家の一条ゆかりさんの言葉。
「自分を正しくかわいがる」って、すごく難しいことであるけれど、必要なことだと思う。
正当な自己認識と、適切な自己肯定。
生きていると、そしておとなになると、別に誰からも褒められないじゃないですか。
仕事だってやっていて当たり前なんだから。
でもそれじゃあ、甲斐がない。

「ラジオビジネス英語」のEメールの講義のときに、パーソナルタッチを入れていきましょう、というアドバイスがあるけれど、もう私のメール、パーソナルタッチまみれだからね。
あなたの仕事がいかに誰かの役にたっているか、というのを伝えることを心がけている。

けれど自分を省みると、出来ていない。
周囲はね、よってたかって否定するほうじゃないですか。
肯定よりも否定、賛同よりも批判。
それなら、自分くらいは自分の味方でいてあげなくてはね。

「どんなに嫌な自分でも、いつも真正面から自分と闘いたい。『あなたの敵は?』と聞かれたら、今日の私と答えます。一番の味方は、明日の私。明日の私に褒められるように、今日の私と闘うのよ」


これも一条さんの言葉。
私なんて毎日毎日、今日の自分に負けてますよ!笑
明日の自分に託して、明日の自分から怒られてる!

闘いの庭、咲く女。
日常というバトルフィールドで、踏みつけられて。
あるいは上からアスファルト舗装されたとしても。
なにくそ、と咲ける自分でありたいよね。
自分がそこにいる理由、を探しながら。

誰かがその花を見て、笑んでくれると嬉しい。
そしてまた、そのあとにそこに誰かが花を咲かせられるように。


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最終更新日  2023.07.29 07:12:38
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