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2023.08.31
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不思議の国 ニッポン [ ヤマザキマリ ]

目次

第1章 「信じる」は美徳なのだろうか?
第2章 国境を越えるということ
第3章 日本人のバックボーン=神道は多神教
第4章 宗教とエンターテインメントと政治を考える
第5章 水木しげると手塚治虫

感想

『テルマエ・ロマエ』の著者、ヤマザキマリさん。
いろいろ本を読んで、一通りこの方の考え方の面白さに触れたので、もういいかな、既読の内容が多いし…と思いつつ読んでしまう。



1938年、群馬県生まれ。島根県立大学名誉教授。若くしてSF小説界にデビュー。歴史小説や社会評論など幅広い分野で執筆活動を続ける一方、古代日本史を東アジアの流れのなかに位置づける言説を展開して活躍


この本に出てくる、「日本人は新しもの好き(Nephilie)、外国好き(Xenophilie)」という言葉。
テレビの「YOUは何しに日本へ?」や「世界!ニッポン行きたい人応援団」、あるいは特番やミニコーナーでもある、「外国人が選ぶ〇〇」みたいなもの。
それを見る度に、褒められたいんだろうな「わたしたち」は、と思う。
それもできれば、欧米の「白人」から認められたい。
あるいは、欧米以外のーー内心見下しているーー人たちからは、称賛を。
日本はすごいでしょう?日本のこと好きだよね。まだ大丈夫だよね、この国は。
昔あった「ここがヘンだよ日本人」は、批判という側面がまだあった。
今の無批判な礼賛(を選択して抽出して見せる番組を視聴者が好んで見ること)は、少し怖くなる。
外国人技能実習生は、日本は天国じゃなかったと言った。

本に登場する「慕夏(華)」(ぼか)という言葉は知らなかった。
中華文明を取り入れることのメリットをアピールし、周囲の異民族を誘引する。

豊田さんは言う。

頭を使い、他者を認めながら自分たちの価値を広めていく。それこそ、今の世の中に足りないものだと思います。


日本語が貧しくなっているというくだりでは、「かわいい」という言葉を挙げている。

「かわいい」というのは、褒め言葉の要素というふうに単純に捉えがちですが、あくまでその対象物が自分の理解の範疇にある、自分を喜ばせてくれるもの、という風合いを含んでいるように感じられます。(略)対象物が高尚な領域のものだと自分が弾かれてしまう感覚があるけれど、「かわいらしい」というのは上から目線的な感覚というのか。


ヤマザキさんは、多種多様なものを「かわいい」というシンプルな表現に収斂させてしまうことを、バリエーションを感受できない社会としての表れではないかと言う。

私はこれが、日本の異質なものに対する接し方なんじゃないかと思った。
「かわいい」か「かわいくない」。

可愛いは正義。
でもたぶん、「かわいくないもの」を、何故受け付けないのか考えないといけないんだと思う。
そして、それはそれとしてそこに存在するのだと、ただ許容することができるか。

後半で、日本人の「穢れの意識」と「自分色に染めたい(=無垢である状態)」感覚について触れられていた。
かわいい、っていうのは、幼くて未熟で庇護下にある「穢れがない」状態の表明と見ることもできるのかな。

この本で初めて知ったのだが、十七条憲法の「和を以て貴しとなす」のあとには「論じろ」と続くのだそうだ。
論じろ。
どうして「和」ばかりが強調されて、「論じる」ことはなかったのかなあ。
日本は空気で決まる。場の共有が意思決定。
むしろ、当時から論じることがなかったからこそ、聖徳太子は言ったのか。
論じろ。
(原文を見に行くと、ちょっと意味あいが違った。支配下にあってよく話し合いなさいよ、みたいな?)

ヤマザキさんは、日本ではハウツー本がよく売れていることを、

自分の思想を言語化することなく、「自分ではできないから、他人が考えてまとめたものを拝借すればいい」という考えが根底にあるからだと思います。


と指摘する。
実践して失敗しても、それはハウツー本が悪かったから。自分に責はない。
そして出版社は、読者に嫌われないよう、受け入れやすい内容を書くようになるのだと。
論じない。
ヤマザキさんは言う。

信じる、ということはその他の可能性への臆測や想像力を放棄する、怠惰性ともいえます。しかも裏切られた場合は、その責任は自分にはない。


ここらへんは耳が痛い。
私は読んだ本の影響を受けやすいし、すーぐに色々信じてしまう。
そして、自分が人の仕事を決裁してアレコレ言う立場になって思うのは、出来上がったものに難癖つけるほうが圧倒的に楽なんですよ。
だって出来上がったものと自分の理想の差異を指摘するだけだから。
イチから作り上げるのとは時間も労力も桁違い。
でもそれが当たり前になったら、成果品が完成品じゃないことに文句を言うわけだ。
楽しているのだ、という思いを持っていないとダメだ。
このバックグラウンドにあるもの、を掴んでいなくては。

考えろ、論じろ。
甘言を享受し、諫言に耳塞ぐなら。
なお見たいものだけを見るならば。
きっと何も聞こえず、何も見えないのと同じだ。


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最終更新日  2023.10.06 23:56:17
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