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2023.09.09
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テーマ: 読書(8221)

書名



クロワッサン学習塾 (文春文庫) [ 伽古屋 圭市 ]

感想


学習塾を舞台にした小説、というと

みかづき [ 森絵都 ]
金の角持つ子どもたち [ 藤岡陽子 ]

のように、なんというか今の学校教育で届かない場所に手が触れている感じがする。


ブータン 山の教室 [ シェラップ・ドルジ ]

今ちびちび見ている、ブータンの映画。

最寄りの町から徒歩6日という山の上。
電気もガスも水道もない。教室には長机と椅子があるだけ。黒板も教科書もない。
けれどそこで村の人は教師を敬い、一番良い器で料理を差し出す。
「先生は、未来に触れることが出来る人だから」

ほんとうの意味での「教育」というのはたぶん、そういうことなんだと思う。
その子の未来に触って、それ(知識)をくっつけてあげる。
いつか、行きたいところへ行けるように。
教育は、荷物にならない財産。

この本の舞台は、パン屋。
小学校教師の黒羽三吾(クロワッサン、をもじって父が名付けた)は、かつての教え子が若くして子どもを産み、虐待死させていたことをニュースで知る。
どうして彼女は、助けを求められなかったのか。自分の人生を修正できなかったのか。

今の日本で、教育とは、学習とは、教師とはなんのためにあるのか−−−。
三吾は教師を辞め、小学4年の息子を連れて地元に戻り、父のパン屋で働き始める。
ある日、息子の同級生がパンを万引きしていることに気づいた三吾。
夜勤の母とふたり暮らしの彼女は、宿題を見てもらえず、勉強に躓いていた。
三吾は、パン屋が休みの日に、店先で彼女に宿題を教え始める。


内容はちょっと薄い。
ところどころ「奥さんはどうしたんやろう」とか、「パン屋ってそんなすぐなれるもんなんか」とか、「息子いい子すぎ」とか、「そんなうまくいくかいな」とか思う。


だからさ、まずは仕事のことは考えず、もっと広い意味で、自分はなにをやるのが好きなのか、なにをやってるときが楽しいのか、わくわくするのか、自分を見つめるようにしてほしい。


三吾はなんのために学ぶのか、という問いにこう答える。
三吾が公教育に感じている「限界」は、私も同じ。
資本主義の労働力、あるいは軍事国家の兵隊をつくるのに適した集団。
もうとっくに時代にあわなくなっているのに、システムはなかなか変わらない。

娘(小2)がこの夏休みに通信教育のタブレット学習(ちゃれんじ)を始めた。
どうせ続かないだろうという親の予想を裏切り、毎日勉強している。
ログインすると褒めてくれ、正解も間違いもその場で教えてくれ、問題を解いていくとゲームが出来るようになり…と、スマホや動画に夢中になる心理をうまく勉強に取り入れていて感心する。
(仕事もさ、パソコンにログインするだけで褒めてくれたらいいのにねえ!)
新しい時代の学習だな、と思う。

教育はどこまで手を伸ばせるだろう。
未来に触れることが出来るんだろう。

と、何かの事件があるたびに、思う。
教育はそれを変えることができたかもしれないということ思うこと自体が、間違いなんだろうか。


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最終更新日  2023.09.14 06:28:41
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