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日本人と朝鮮人のBC級戦犯の話です。 軍国少年だった飯田進さんは希望を胸に軍に入隊。 「日本が欧米からアジア諸国を解放する」その気持ちに嘘はなく純粋なものでした。 彼はニューギニアに送られ戦闘に参加。現地人のゲリラを殺した罪で後にBC級戦犯となります。 日本兵によって女性と子どもを虐殺する事件も発生。 「自分の目的はアジアの解放のためなのに、これでは全く逆だ」飯田さんの心に疑問が生まれます。アジアを解放するなんておごりだったし、彼らに対して偏見や差別の気持ちがあった、と語っています。 朝鮮は日本によって植民地化されていました。日本兵の犠牲者が増えるにつれ兵士が不足、朝鮮でも徴兵が始まります。徴兵されるのは時間の問題と感じたイ・ハンネさんは自ら希望して捕虜収容所の配属となります。 そこでは鉄道の建設を捕虜たちにさせていましたが、環境は劣悪で多くの捕虜が命を落としています。骨と皮だけになった欧米人捕虜の映像もありました。しかし、建設を急ぐ上層部の命令により、イさんは病気の捕虜でも現場に送り込むしかありませんでした。この行為によってイさんも日本兵のBC級戦犯になるのです。 戦後、死刑の求刑も受けた飯田さんとイさんは、重労働20年の刑となり巣鴨プリズン(拘置所)で出会います。そして自衛隊の前身である「警察予備隊」が結成され、その幹部の多くが旧軍隊の中枢にいた人物であることを知ります。「命令を下した者がのうのうと生きて、従わざるをえなかった者が罪を背負う。おかしいじゃないか」戦犯たちの間に疑問が膨らんでいきます。 自らの罪も冷静に見つめた二人の言葉がとても印象に残りました。 飯田さん「戦闘で死んだ仲間もいた。でも餓死した人の方がはるかに多かった。ほとんどの人が野たれ死んでいった。個人的に彼らの死が無駄死にだったとは思いたくない。思いたくないけど、今の日本の繁栄があの死のおかげとは、どうしても思えない。撤退を転進と言い換え、敗戦を終戦と言う。なぜ敗戦と言わないのか。ごまかしばかり。日本人は事実を認識すべきだ」 イさん「飯田さんたちは罪に問われても"日本のため、天皇のためにやったんだ"という心のより所があるからまだいい。私たちには何もない。一体何のためにやったのか。日本人として戦犯になったのに、日本国籍を失って日本人じゃなくなったから補償もされない。私の国が補償を放棄したというけど、それはないでしょう」 二人の言葉には全く同意です。 今でも、「私たちが平和に暮らせるのは戦争で戦ってくれた人のおかげ」という言葉を聞きますが、違和感を覚えます。あの戦争によって何を得たのか分からない。国が国民に無謀な戦争をさせて多大な命を失わせただけだと思う。国の責任から目をそらすためには好都合な考え方です。 イさんに対しても矛盾を感じます。同じ日本人として戦わせたはずなのに簡単に切り捨ててしまう。日本人としての情けや誇りのカケラも感じません。 巣鴨プリズンで出会って以来、二人は平和への共通の思いを持っていて、今も良き友人です。穏やかに話すその表情がちょっとだけ救いでした。
2008年08月19日
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当初フィリピンはアメリカの統治下にありましたが、日本軍によって追われます。その時、必ず戻ってくると誓ったのがあのマッカーサー。日本軍はフィリピン人に日本語の使用や天皇崇拝を強制し自由を奪います。それが日本への反発を芽生えさせ、後に大きな悲劇を生むことになるのです。 やがてアメリカは首都マニラに進軍。日本軍と壮絶な市街戦を繰り広げます。建物が妨げとなり米軍も苦戦し、多くの犠牲者が出ます。一日も早く制圧するように、というマッカーサーの命により砲撃戦を開始。とてつもない数の砲弾を市街に打ち込み、米軍を味方だと思ってるマニラ市民までもが数多く殺されました。 一方で米軍はマニラ市民に銃を与えゲリラ隊を組織。ゲリラは一般市民の中に紛れ込んでいて区別がつかないため、日本軍の恐怖は増幅。人を見たら誰かれとなく撃ち殺すようになっていきます。さらにフィリピン人を密告者として働かせ、数百人の反日人物を処刑したのです。 日本の戦局がいよいよ苦しくなると最後の攻撃として「斬り込み」が行われました。暗闇の中、寝ている米兵に向かって軍刀一本で立ち向かうそうです。皆バンザイを叫びながら突っ込み、結局は機関銃でやられ遺体の山となりました。でも米兵にとっては恐怖でナイフを胸に置きながら眠る日々でした。 米軍勝利後はフィリピン人同士の争いが始まります。家族を失った人たちが日本軍に協力した密告者たちを捕らえていき虐待のすえ処刑。双方の心に消えない傷を残しました。 1ヶ月の攻防で日本軍16,555人、米軍1,010人、マニラ市民10万人が戦死。ビューティフルタウンと呼ばれた美しい街は廃墟となりました。 フィリピン人、元米兵、元日本兵の多くの証言を聞けましたが、各人に共通するのは目に涙をためて必死に堪えている様子でした。その表情には勝者も敗者もなくて耐え難い苦しみがあるだけでした。 家族を失ったフィリピン人女性「日本だけが悪いとは思わない。でも結果として多くの人が家族を亡くし全てを失ってしまった」 米兵「なぜあんなことになったのか分からない。自分はどうしてあの場に行ったのか。それは、そこに行けと命令する人がいたからだ。命を下す人が前線に立てばよい。そうすればどうなる?戦争なんてなくなるさ」 このマニラの悲劇をどれだけの日本人が知ってるんだろう。今でも日本の戦争責任を訴えるアジアの国は中国と韓国。他の国は過去を水に流して友好的と勝手に思いがちだけど、そんなことは全くないのがよく分かります。国民性の違いなのか声高に訴えることはないけど、泣き顔からは秘めた思いが伝わってきました。ガレキと共に横たわる裸の赤ん坊や母親たちの無残な姿は本当に悲しかったです。
2008年08月16日
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作家の高村薫さんがあるコラムで、戦後63年の今の日本を危惧していた。時の流れは仕方ないとして、今の日本人は不景気と物価高騰の影響で63年も前の戦争に思いをはせる余裕がない、これでは戦争の記憶は遠くなるばかり。戦争体験がないのは幸せだが、その恐ろしさを知らない人が増えている。確かこんな内容だった。 本当にその通り。生きるのに必死なだけの毎日になると過去の戦争も異国の紛争も、遠い世界のお話に聞こえてしまう。自分のこと以外には無関心になると、気付かぬうちに不穏な靴音がすぐそこまで来てるかもしれない。今年もTVでは様々な戦争特集が組まれ、映画「靖国YASUKUNI」も公開中。特に印象に残ったものを数回に分けて書きたいと思います。 「解かれた封印~米軍カメラマンがみたNAGASAKI~」 米軍カメラマン、ジョー・オダネルは原爆の破壊力を記録するため長崎に入ります。目にしたのは想像を絶する光景でした。「ここで人間の営みがあったとは思えない」と語っています。 ある救護所では、目も鼻もつぶれて肉の塊のような顔になった人から「アメリカ人なら自分を殺してくれ!」と言われます。ないと思った目からは涙が流れていました。彼はどうすることも出来ずに逃げ出しました。「この人たち、子ども達が一体何をしたのだろう?」真珠湾攻撃で死んだ友人の敵をとるため入隊した彼の意識が変わっていきます。 被爆地を歩くと親を失った子ども達が数多くいました。軍の規律に反して彼は自分のカメラで密かに30枚の写真を残しています。その一枚が下の少年。息絶えた弟を背負い焼かれる順番を待っています。焼き終えるまで少年は微動だにしませんが、ずっと唇をかみ締めていたので血がにじんでいたそうです。少年はオダネルにとって忘れられない存在になりました。 帰国後、彼は悪夢にうなされるようになり、記憶と共にネガもトランクの中に封印。その後、彼の体にも残留放射線の影響が出始めガンを宣告され、米国に救済を訴えますが却下。何の危険性も知らされずに長崎に送り込まれた不信感が残ることになります。 封印から43年。彼はトランクを開けて写真を全米に公開。母国の過ちを告発しますが、分かってくれる人はおらず非難の嵐を浴びます。彼の行動を理解できない妻とも別れ幸せだった家庭は崩壊。それでも彼は訴えることを止めようとはしなかった。「自分はあの光景を見たんだ。死の灰の上を歩いたんだ」彼の言葉に彼の思いが凝縮されている気がします。 番組HP http://www.nhk.or.jp/special/onair/080807.html
2008年08月16日
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観てきましたが最初からうるうるで・・ちびソックスからでかソックスまでいろんなソックスが登場しますが、どの子も本当に可愛いんですよねぇ桜舞い散るなかでソックスとたわむれるシーンは美しくて夢のようでした・・ 花びらがソックスの鼻先にのった時の愛くるしい表情はもうたまりせん 海辺で缶ビールを飲みながら取り残される寂しさを語るお父さんにソックスが寄り添うシーン。本当に優しくて穏やかな表情で・・。ただそこにいるだけで癒してくれるんですよねぇ、ワンコって。寂しいとき、困ったとき、落ち込んだとき・・、人の心を解きほぐして楽にしてくれる力があります。 こんなに愛すべき存在なのに彼らを取り巻く状況は厳しくなるばかり。 毎年相当数の犬たちが処分されてるし、心無い飼い主やブリーダーによって放置されて時には近所迷惑の厄介者になってたりします。希少価値の高い犬を産ませるための無理な掛け合わせなど、商売の道具でしかない子たちもいる。犬たちの叫びに耳を傾けてほしい・・。 舞台は函館。情緒ある雰囲気と「パッヘルベルのカノン」や「タイムアフタータイム」などのギターの音色が合っていて、とても心地良いここも見どころの一つですね。 ソックスの最期の場面は田中麗奈の号泣が真に迫っていてロン子のその時を思い出させるのに十分で、もう大変でしたロ~ン、カムバーック
2008年04月24日
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光市の母子殺害 元少年に死刑 ------------------------------------------------------------------------------わりと最近まで、凶悪犯は遺族の感情を考えれば死刑以外あり得ない、と確信を持ってました。 でも今は、自信を持ってそうとは言い切れない気持ちもあって、それは元死刑執行人を取材した記事を読んだから。死刑になる人がいるなら手を下す人がいて当然なのに、今までその人のことは全く頭になく偉そうに語ってました。結構ショックでした。 刑務官にとって死刑執行を命ぜられるということは、見せしめみたいな懲罰的な意味合いを含むそうです。 誰もやりたくない仕事なんですよね。だからその人も、「何もミスってないはずなのになぜ?」と思ったそう。 どんなに鬼畜のような被告でも個人的な恨みはないし、毎日接していれば情も感じてくる。夜眠れなくなったり、うなされたりして、執行までの日々は本当に辛いものだと書いてました。 執行は、誰が直接手を下したか分からないようにするため5人で行います。5人が横一列に並び目の前にあるボタンを同時に押し、その中の一つが絞首台につながる仕組みになってるそうです。 ある時の執行で、一人だけどうしてもボタンを押せなかった人がいたのですが、絞首台は動かなかった。それによって本物のボタンが分かってしまい、みんな怖くなって誰も押せなくなったそうです。 これを知って、いかに自分が安易に「死刑、死刑」と叫んでたか分かりました。 でも本村さんの気持ちを思えば、それ以外ないというのも分かるんですよね。しょうがないというか・・。 凶悪事件ばかり続いている毎日だから、裁判官は本当に難しい判断を次々と迫られますね。 仮に裁判員になったとしても私には決断できそうにないなー…。
2008年04月24日
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時事通信社が11~14日に実施した4月の世論調査結果によると、首相にふさわしい政治家は、自民党の小泉純一郎元首相が21.2%でトップだった。------------------------------------------------------------------------------実態を知ってたら、そういう結果になるとは思えないその事実をきちんと報道するのがマスコミの役目のはずだけど・・。 後期高齢者医療制度や障害者自立支援法など、国民生活に直接打撃を与えるやり方を成立させてきたのは彼です。彼が行った規制緩和もそう。その中の1つのタクシーは台数が増えすぎて競争が激化。乗務員は低賃金で長時間拘束を強いられるようになりました。在任中の5年間で失業者数、非正社員数、自殺者数は軒並み上がってます。 北朝鮮問題やハンセン病問題など評価できる点もありますが、国民生活においては閉塞感が増大しただけですね。勝ち組と負け組がはっきりと色分けされるシステムが確立されて、よりアメリカ化したなって感じ。 民衆の心をつかむパフォーマンスだけの総理はもうコリゴリですわ
2008年04月24日
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ある人が後期高齢者医療制度について語っていた。 「お年寄りが増えて医療費がかさむし、今の若者たちの将来のためにも仕方ない」とか何とか・・。それを全否定はしないけど、でもそれは保険料を払っていく余裕のある人の意見だよなって思う。 ある番組でこの制度に該当する御夫婦を取り上げていた。 奥さんは数年前に脳卒中で倒れてから車椅子の生活。話すこともままならなく身の回りのことは全て旦那さん任せ。少ない年金の中から奥さんの高額の医療費を払って何とかやり繰りしてきた生活。でもこの制度の適用で、決して安くはない年間の保険料が倍になるそうだ。「自分が倒れたら残された妻はどうなるのか。今後が不安で不安でしょうがない」と言って老夫婦は泣いていた。私にはもう祖父母はいないけど、もし生きていたら同じ思いなんてとてもさせられない、と思う本当に困窮してるお年寄りは数多いでしょう。 これは、老後も安心して暮らせるための基盤作りを徹底してこなかった彼らの自己責任なんだろうか?彼らは戦争、復興、高度成長といった劇的に変化する日本をずっと支えてきた世代。その中で保険料と税金を納め、年金にささやかな幸せを託して真っ当に生きてきた人が大半だと思う。国のために十分貢献してきたはず。 ところが、超高齢化社会に突入していく日本はリハビリも入院も一定期間が過ぎれば経過に関係なく打ち切られる。どんなに困難でも、あとは自宅でご自由に、と投げられる。介護サービスを受けたくても条件が厳しくて叶わない人も多い。介護職に就く若者は低賃金ゆえ、やる気があっても生活出来なくて辞める人が急増しているそうだ。医療と介護の現場はどうしてこんなに厳しい状況なの?一体誰のための介護保険? 生活必需品は軒並み値上げ、町からは商店街が消え、これではまるで「お年寄り孤立化計画」・・・。誰かがお年寄りの孤独死が増えるだろうと言ってたけど、自ら命を絶つ人も増えそうで本当に寒々とした気持ちになる。こういう国でも豊かな先進国って言うのかな? 知らなかったけど、65歳から74歳までの人も年金から保険料を天引きされる市町村が多いそうです。年金であれだけいい加減なことをして何も解決してないのに、更にそこから有無を言わせず徴収。 日銀総裁を決められない福田さんは「国民の不利益になる。権力の乱用だ」と言って小沢さんを非難してたけど、ならば政府がやってることはどーなんだと言いたい・・。 税金のムダ使いは本当に多岐に渡っていて目に余ります。 天下り、使途不明の立派なハコ物。 家賃300円の旧道路公団職員宿舎、年間190回のタクシー帰宅のVIP待遇・・・使い放題、節操のなさは、もう笑うしかない気分。旧道路公団は職員宿舎のためだけに、これまで年間25億円も道路特定財源から支出してきたそうです。 それと、私的にネーミングと共に中身も疑問な「思いやり予算」があります。 日本に駐留する米軍に莫大な資金が提供されていますが、付近住民は多大な犠牲を強いられています。さらに米国に協力することが結果的に今でもイラクの子供たちの命を奪うことに繋がっていると思ってますが、その中のほんの一部でもいいから、本当の意味での「思いやり」に使うべきじゃない?私たちの税金なんだから。 唐突ですが、「愛する」とは「相手を敬い、いたわり、大切にすること」だと考えます。愛のない国が愛国心を持てと言う。体面や体裁ばかり気にして足元が見えていない国。本当に大切なことや救いを求めてる人に気付こうとしない国。子供たちに「いじめはダメだよ」と言いながら弱い者いじめを先導しているのは誰だろう?もはや笑えないコントみたいで白けるばかり・・。 とまぁ、ここで吠えてばかりいても進歩がないので、この文を首相官邸にメールしてみます。もちろん匿名で、ですが。ま、どうせ相手にもされないだろうけどね。
2008年04月20日
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私はつい最近まで、植草元教授が痴漢をしたのだと思い込んでましたが・・。 ブログのニュース日記を見てると、それを否定する内容が結構多い。 下記の記事はある人の所で読みましたが、驚くべきものでした。 http://news.livedoor.com/article/detail/3233768/ 1度目と2度目、痴漢をしたとされる時期に彼は国の不正を告発しようとしていた、ということなんです。別の記事では、彼と同じ活動をしていた人も、一人は手鏡による痴漢行為で逮捕され、もう一人は亡くなっていて理由は自殺したことになっている、とありました。 真相は分からない。でもマスコミ報道をすっかり鵜呑みにして疑いもしなかった自分が、かなりショックです・・。ついこの間「それでもボクはやってない」を見て冤罪の怖さを感じたはずなのになーあ~コワイ
2008年04月20日
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ロン子のいとこ犬で、愛知県在住のマミちゃんが昨日、15歳で永眠しました。 去年の秋に行った時はあんなに跳ねて元気だったのに、あっという間で・・。 ホントに犬猫の寿命って短いマミちゃんには何度か会ってるけど、家族以外は触らせてくれないお嬢様ワンコで。 でも最後の時はなでさせてくれて、やっと遊べたので嬉しかったたくさん笑わせてもらったし、ありがとうねマミちゃん 今頃はロン子と会えたかな・・? マミちゃんアルバム マミちゃん動画。どうしても縦にならない動画があるので、お手数ですがPCか顔を横にしてご覧下さいませ。動画「とっても可愛いマミちゃん」 動画「歩いてくるマミちゃん」動画「カメラもお母さんも気になるマミちゃん」 動画「そわそわしてうろうろするマミちゃん」動画「もう眠いマミちゃん」
2008年03月17日
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「君のためなら千回でも」 切ない映画でした舞台は1970年代のアフガニスタン、カブール。 街中では子どもたちが凧揚げバトルに夢中で、まだそれなりに平和だった頃です。 裕福な家庭の一人息子アミールは、使用人の息子ハッサンと大の仲良し。ハッサンは自分のことを心から慕い、いつでも助けてくれる存在でした。 その日もアミールの切れた凧を取り戻しに駆けていったハッサンですが、戻って来ません。探しに行ったアミールは、凧を守るために不良たちからの暴行に耐えるハッサンを遠くから見ていることしか出来なかった。忠誠を誓ってくれる彼に対し負い目を感じるようになったアミールは次第に彼を避けるようになり、仲を修復できぬままやがてハッサン親子は家を出て行きます。 その後ソ連のアフガン侵攻が始まりアミール親子は国外脱出をはかるのですが、この後かなりショックだったシーンが2つ。 他の人と同じトラックに乗って移動中に、検問のソ連兵が乳児のいる一家に声を掛けるんですね、「その女と30分ほど二人きりになりたい」と。つまりは関係を強要してる訳です。妻は泣き出し夫は血相を変えますが、従わなければ通さないと言う。アミールの父親が抗議すると銃口は彼に向けられ、間一髪の所で上官が来たので無事通過できましたが・・。夫が泣きながら礼を言ってたけど、あまりに悲しいシーンに思えて私も泣きそうでしたもう1つは大人になったアミールが訪れた現在のアフガン。 姦通罪が確定した女性の公開処刑がサッカーの試合のハーフタイムに行われるんです、ピッチ上で観客は男性ばかりです。全身を布で覆われた女性めがけて大勢の男たちが次々と石を投げつけます。血だらけで動かなくなれば布をかぶせられたまま遺体は処分されていく。戦時下、そしてイスラム社会において女性の存在意義は何なのだろうか?と思わずにはいられない非常に悲しいシーン2つでした。 子どもたちもまた同様。カブールの街中は破壊され尽くし、孤児院は子どもで溢れ、金のために過激派に売られていきます。ある少年が「自分は汚れてしまった。こんな姿は見せたくないから両親は死んでよかった」と言うシーンには何と言っていいのやら・・アミールのように勇気がなかったり素直になれなくて、友と離れてしまうのは誰にでもあること。後悔は苦い思い出となって残り、いつか会えたら謝りたいと願う。 でも、その望みを永遠に絶ってしまうのが戦争や内戦です。いつも戦争状態にある国の子どもたちは本当に翻弄されていて、人生なんて多分自分じゃどうにも出来ない。 中東の子たちってみんな可愛い顔してるんですよねぇ。 戦争、特に内戦の意味が日本人の私には理解し難いけど、子どもたちを苦しめるのはいい加減やめたら?って思うんだけどなぁ・・。「明日への遺言」 名古屋大空襲で数万人の市民を殺戮後、日本軍に捕らえられたアメリカ兵が40名ほどいたそうですが、全然知りませんでした。彼らは無差別爆撃を禁止した国際法違反の罪で全員斬首刑になり、それを指揮した関東軍司令官の岡田資(たすく)中将の戦争裁判を再現したドキュメンタリーのような内容です。 検察のアメリカ側と被告の日本側は共に自分たちの正当性を主張するのですが、どちらの言い分も理解できるものでした。結局、戦争なんて始まってしまえば約束は無視だし、見方によっていくらでも正当化できちゃうものなんですよね。 双方とも一歩も引かないので(当然だけど)、誰が悪いと言うより戦争そのものを絶対に起こしちゃいけないという気持ちが強くなります。 自分の行動を偽りなく話し、部下のやったことも全て自分の責任と認めて処刑された岡田さんは潔くてすごいなと思いました。不祥事を起こすと部下に責任をなすりつける最近の経営陣にも見てもらいたいですね。
2008年03月15日
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昨日、家の前でファイターズの青いネックストラップ+サンフランシスコのお土産らしきゴツいキーホルダーがついたを拾いました。多分近くの中学の男子生徒で本人が探しに来るかな?と思いましたが、見つけた以上放っておくのも変なので、ジムに行く前に交番へ。連絡先を書いたりしたけど、「拾った人の権利として落とし主が現れない場合、もらうことができますがどうしますか?」と聞かれ、予想外で笑ってしまった。いや~これはいらない(笑) それにストラップだけならまだしも、人の家の鍵をもらうっていうのも変な話で。防犯上からも警察で処分すべきだと思うけどなー。 応対してくれたのはいまいちパッとしない若いお兄ちゃん(この言い方が既にオバさん化) 動作が妙に遅いし先輩らしき人に聞いてたから多分新人さん。制服が全然なじんでない感じでした。私が笑ったのが可笑しかったのか、彼は最後までずーっと笑ってました。なぜ?交番内は暖房効きすぎですっごい暑かった。このご時世にエネルギーの無駄ですね。 思ったより時間が掛かってジムのレッスンに間に合わなくなったので自主トレに変更。バイクこぎながらTVで東京大空襲の特番を見てました。 日本特有の木造家屋を焼き尽くすために開発されたクラスター焼夷弾。鉄筋コンクリート製校舎の中に非難した人でさえ逃げ場を失って蒸し焼きにされたそうですから、その威力の凄まじさが分かります。当時24歳だった女性の証言「人が生きたまま焼かれるんですよ」は本当に恐ろしい。ドラマの部分もあったので、よりリアルに感じることが出来ました。 防空ずきんをかぶった幼児が泣きながら逃げ惑うシーンがあったけど、真夜中にこんな小さな子が逃げなきゃならないなんて、どういうことだろう? 小さな胸に一生消えないであろう深い傷を残す戦争って一体なんだろう? 国のため、民族のため、民主主義のため、正義のため、報復のため・・。 正当な理由を付けて聖戦と銘打っても、それは所詮大人たちの都合。 子どもたちは訳も分からず命を落とすか、孤児になるか、トラウマを抱えて成長するか、いずれにしても悲劇にしかならない。 今もどこかの国で戦火に泣き叫ぶ子供たちがいるはず。 戦争では人を殺してもほとんどが罪にならないけど、本当に罪なことしてるよな、と昨日のドラマで改めて感じました。
2008年03月11日
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真面目なの2本と、超お馬鹿コメディ1本です。 「テラビシアにかける橋」 子役二人が主役なので、どんなものかな?と思ってましたが、何とも言えない心地良さを残してくれました。「スタンド・バイ・ミー」を観る時のちょっとした冒険心やドキドキ感、懐かしさや切なさをここでも存分に味わえます。 学校ではいじめられ家庭も生活が苦しいジェスは、得意の絵に没頭する伏し目がちの少年。そんな彼に興味を示す転校生の少女レスリー。彼女に連れられて行った森の中、ターザンロープで渡った川の先には不思議な王国が広がっていて、そこが二人の居場所になっていきます。 王国の風景や住人たちは全てCGで描かれています。CGを多用したファンタジーものはあまり好きじゃないけど、この王国は全て子供たちの空想なんです。そこに花があると思えば花が見えるし、川が流れ草原がつづき遠くには山まで見える。どこまでも広がる空想の王国・・。大人になれば見えない世界かもしれないから、とても夢があって、こういう使い方は好きだなーと思って観てました。 担任の先生がギターを弾いて皆で歌をうたうシーンが数回ありますが、これがどれも良い曲ばかり。歌詞もいいし歌ってる子供たちの楽しそうな表情がとてもいい。このシーンも見どころの一つです。主演のジョシュ・ハッチャーソンもとても可愛くて良いです「潜水服は蝶の夢を見る」 実話を元にしています。 フランス版「ELLE」誌の編集長ジャン=ドミニク・ボビーはある日突然、重度の脳卒中に襲われ全身麻痺になる。以前と変わらず出来るのは左目のまばたきだけで、それ以外は全ての自由を奪われてしまう。 彼の目に映るものがそのまま映像になってるシーンが多いので、視野が極端に狭く端の方は白くかすんでいる。時折涙でぼやけて見えなくなるけど、彼にはそれを拭いてくれと言うことも出来ません。頭の中は以前のままで実にしっかりしてるのに、意思表示が全く不能の状態です。目の前にいる美しい女性に触れることも叶わず、見ていたサッカー中継を消されたのに文句も言えず・・。 何にも出来ない自分はまるで「薄暗い海の底で重い潜水服に身を包み、身動き取れなくてもがいているようだ」と彼は思うのです。 絶望する彼に言語療法士が希望を与えました。まばたきによって明確に意思表示が出来るようになり、20万回のまばたきで自伝を書き上げます。失われていなかった記憶と想像力で再び蝶のように羽ばたくことが出来たのです。 正直かなり重いです。彼の視点で描かれてるシーンは、こっちまでイライラともどかしさが募ります。自分が同じ状況になることを想像するのは難しい。でも、自由に動ける肉体は決して当たり前ではないということ、周囲のサポートによって彼がどれだけ救われたか、ということは理解できました。 生きていると辛いことや嫌なことはたくさんある。耐え難い悲しみもある。だけど、前に進む力をもらえそうな気がするこの2本です。私にとって記憶に残る大切な映画になりました。 「俺たちフィギィアスケーター」 こんなに笑った映画は初めて男子フィギィアスケート界を追放された犬猿の仲の2人の男が、男子ペアとして再デビューするギャグ満載コメディ。 こういうトンデモ映画って、すごく可笑しいか、やり過ぎてスベるかのどちらかですが、これは本当に面白い 真面目な顔でギャグを演じきれる役者もすごいし、可笑しさを瞬時に伝えてくる字幕の訳も絶妙でした。普段、字幕って当たり前のように読んでるけど、言葉が分からない人も楽しませてくれる貢献度は大だなーと改めて認識しました。 オリンピックメダリストのナンシー・ケリガンやサーシャ・コーエンも本人役で出演。かの国の将軍様まで登場する異例の展開は必見です。満席(!)の館内は爆笑でした あなたも禁断の男子ペアの世界をぜひ覗いてみて下さい(笑) いやぁ~、映画って本当にいいもんですねぇ・・(一度言ってみたかった)
2008年03月01日
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この事故については、最初あまり書く気が起こらなかったのですが、ニュースを見るたびに疑問が大きくなってきます。日が経つにつれて当初の説明とは違う状況が明らかになってくるのはどうしてなんだろう?真実だけを述べていればそんなことにはならないはずなのに。 今日のTVで見たけど、専門家によると現場の海域は良い漁場なので、大小数多くの漁船や商船が常に行き交うラッシュ時のような場所だそうです。そこを巨大なイージス艦が自動操舵で進むこと自体がおかしいのであって、必ず手動でなければいけないとのこと。でも漁船を確認後も切り替えず警笛も鳴らしていない。素人でも分かりそうなことなのに何故複数のプロが出来なかったのか不思議でしょうがないです。 難を逃れた他の漁船たちの航路を一枚の図にしてましたが、まるで逃げまどってるようでした。 水しぶきや雪けむりを巻き上げて他の車の視界を遮ってもお構いなしに突っ走っていく、一部の迷惑な大型トラックを連想します。高い座席からこちらを見下ろし悠々と去って行く。多少のことがあったって自分は頑丈な車体に守られているという安心感からくる自信みたいなものを感じます。今回の事故もそんな心理がはたらいていたのかもしれない。 ちょっと話はそれるけど、私たちが毎日食べる物を生産してくれる人たち(農業、酪農、漁業)がいます。食料自給率が極端に低い日本においてとても重要な職業のはずなんだけど、国の政策なのか(あるいは無策なのか)その未来は全く明るくないです。生活が大変で離農する人が増えているから後継者も育ちにくい。漁業では「海の怖さ」が漁業離れの理由の一つでもあると聞いたことがあります。それを考えるとこの事故の影響は計り知れないんじゃないかと思うのです・・。 イージス艦に乗ってた人たちだって、そこで摂れた魚を口にするでしょう。人は必ずどこかで繋がっています。無関係ではないです。大きくて力があるからこそ配慮を持って進んで欲しかった衝突回避は可能だったと思うだけに残念でなりません。 二人が早く家に帰れるように祈ります。
2008年02月22日
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本当にいい映画でした。もうその一言に尽きます。 日本が泥沼へと突き進みつつある昭和15年から話は始まります。 どんなにまともなことを言っても、国に反することなら重罪人で監獄行き。心の中では「違う」と思っていても、結局は生活のために貝にならざるを得ない。そして自分もいつの間にか敵と戦うコマの一つとなっていく。それが当たり前というか、そうするしかどうしようもない時代があったということは本当に恐ろしいことです。 でも、父がいて母がいて皆でちゃぶ台を囲むシーンなどは非常に温かく描かれていて、とても良かったですね。あんな時代だからかもしれないけど、家族や親戚、友人同士が強固な絆で結ばれてる感じがします。それも山田監督が今の日本人に伝えたかったことなんでしょう。 暗いだけじゃなくて笑えるシーンも結構ありましたね。大滝秀治さんが出てくるシーンはホンットに可笑しい後ろにいた小さな子は声を上げて笑ってました。さすが寅さんの生みの親だけあります。 浅野忠信演じる「山ちゃん」と笑福亭鶴瓶の「おじさん」も素晴らしかった終盤はさすがに辛かったですね・・。父のことを書いた電報が届いたシーンは心臓がドキドキしてしまって・・。サスペンスでもホラーでもないのに、あんなに緊張したのは初めてでした。 ラストシーンとエンディングが一番泣けました 戦争というもの。どれだけ年月がたっても、どんなに良いことがあっても、その心の傷を癒してはくれない。一生深い悲しみの中で生き続けなきゃならないのだ、ということを改めて教えてくれるシーンでした。胸が苦しかった・・。 私は「一人でも多くの人に」という言葉をよく使いますが、これは「全ての人に」観てもらいたいと思える映画です。 とても良かっただけに非常に残念だったことが・・。 私は一番端の席で、同じ列の中央に座ってた高齢女性と中年女性(多分親子)がうるさくて・・何やら話しててうるさいなぁと思ってたら、私の前を通って一度退室したんですよね。高齢の女性はかなり足元がおぼつかなくて私を「手すり代わり」にしてつかまったので支えてあげましたが。それは全然構わないんですけど、お礼を言う声がデカい席に戻ってからも、ばあちゃんの方がいちいち感想を言うのです。「あぁ、あの場面でしょ?そうだったよねぇ」とか普通の大きさの声でセリフは聞こえないわ集中できないわでホントいい迷惑でした。娘の方も注意する気配なし。隣の席だったら絶対何か言ってましたが、ちょっと離れてたのでそれも出来ず・・。 小さな子だって声を殺してひそひそ話してたし、それが普通。自宅じゃないんだから感想言うのはやめてよー
2008年02月18日
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昨日の北海道新聞「卓上四季」より海がある限り、波はいく度でも打ち寄せる。沖縄の白い砂浜はわたしたちを和ませる。基地がある限り、事件は何度も繰り返すのか。米海兵隊員による女子中学生暴行で、沖縄は再び憤りに包まれた。まだ14歳である。1995年の暴行事件では、12歳の小学生が被害を受けた。当時も再発防止を約束した。その後も、女性暴行やひき逃げ、放火など、米軍関係者の犯罪はやまなかった。空約束だ。2000年の沖縄サミット前にも中学生が狙われた。サミットの際にクリントン大統領が謝罪し、綱紀粛正を訴えた。だが効果なしだ。県内の刑法犯摘発者は、昨年だけで46人になる。日本政府はどちらを向いているのか。事件の日、岩国市長選があり、米軍機移転を容認する新人が勝った。移転に反対する市政への補助金を止めて兵糧攻めにし、市長交代を余儀なくさせたのが政府だ。米艦寄港を認めない小樽市が受けた圧力も同じだろう。米艦は小樽、石狩湾新港に続き、近く久しぶりに釧路に入港する。釧路空港には昨年、緊急性がないのに米軍機が降りた。米軍は北海道に何をみているのか。千歳基地には、米軍戦闘機の訓練が移ってくる。米軍は自らの世界戦略に沿って動く。政府は応援を買って出る。住民の不安は後回しである。沖縄の事件も、道内の動きも、この点で根はつながっている。海がある限り、波はやまない。-----------------------------------------------------------------私もこの文を書いた人と同じことを考えます。今回は怒りを通り越して空しさ、「どうせ本気で変える気なんてないだろうに」という諦めのような気持ちが強いです。こう感じてしまうのは元ベトナム兵で沖縄にも駐留していたアレン・ネルソンさんの講演を聴いたから。講演の内容は以前の日記にも書きましたが、一部を抜粋。(http://plaza.rakuten.co.jp/375375/diary/200712050000/全文はこちら)「沖縄で街に繰り出す時、目的は酒、ケンカ、女です。タクシーの無賃乗車で運転手を殴って意識不明にさせたり、売春目的の女に金を払わず容赦なく殴るということもよくあります。日本の皆さんは「なぜ?」と思うでしょうが、暴力的になるように訓練されているから驚くことではないのです。暴力性を基地に置いてではなく身に付けたまま街に出ます。 事件が起こると軍のトップは真っ先に謝罪しますが、内心は喜んでいます。兵士が暴力性を身に付け、戦場に行く準備が出来たことになるからです。」ネルソンさんの体験を書いた本、「そのとき、赤ん坊が私の手の中に~みんな、聞いてくれ これが軍隊だ!」も出ています。1冊300円で安いですし、機会があればより多くの人に読んでもらいたいです。「戦争と軍隊の真実」が書かれています。 憲法9条・メッセージ・プロジェクト←こちらで買えます。小樽港に入港した米艦「ブルーリッジ」についてはこんな記事がありました。小樽市は米艦入港の是非を判断する三原則を持っている。《1》核兵器搭載の有無《2》入出港時の安全確保《3》商業港として商船の利用優先-だ。 しかし、米側と政府は核兵器については議論しない、安全面はブルーリッジに入港実績があるとする。 これに対し市は商船を優先する立場を初めて文書で伝えた。 小樽港は北海道を代表する歴史のある商業港だ。こうした当然の主張にまで、外務省から「圧力」が続いたこと自体、理解の範囲を超える。 市が断った後、理由などを尋ねる十回近い電話があった。外務省幹部が市を直接尋ねるのは異例だ。 外務省からは商船より米艦優先をとの説得があり、入港できるよう調整しないのは「港湾管理者としての能力に欠ける」との言葉もあったという。 これでは、国の言う通り、米側の望む通りにしなさい、ということでしかなく、問答無用に近い。 結果として商船入港の日取りが米艦と重ならなくなって、米艦入港の環境が整い、市は容認に転換した。商船の日程変更を国が働きかけたのでは、と勘繰りたくなるのもわかる。 山田勝麿市長は「商船を追い払ってまで入れるとしたら、まるで軍港だ」と話している。 -----------------------------------------------------------------本当に日本政府の目はアメリカばかりを向いているとしか思えない。何か事件や事故が起きても、「真に遺憾。あってはならないこと。厳重に抗議する」など、聞きなれた言葉の繰り返し。結局、一般の市民が犠牲になって終わるだけです。こうやって米軍と日本国民はより深い関係になっていくんだろう。各自治体の苦しい財政の足元を見透かして犠牲を強いる国。家の近くに貼ってある自民党のポスターには「暮らしに安心」とあるけど、全ての面において不安しか感じません
2008年02月14日
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先日、人間ドックを受けてきました。 9時に行って検査は順調に進み、10時半であとは乳ガン検査を残すのみとなってから一時間半近くも待たされるとは土曜日だから人も多かったけど・・。隣の二人連れは「ふざけんな。いつまで待たせんだ」とキレかかってたけど、一人の私はひたすら寝てました。でも朝食抜きなので空腹が限界。待合室に置いてあったアメが激ウマに感じられました大腸・胃カメラに続いて初検査づいてる私です。 20代の時はガンなんて考えたこともなかったのに、この頃は気になってしまう。 触診とマンモグラフィをしましたが、マンモは機械で左右から胸を挟み込むので結構痛かった・・ ウチの母親は何にも痛くなかったと言ってるので、痛さには個人差があるよう。 巨乳の知人は痛かったそうなので、胸のある人の方が痛いのかな? ちなみに私は人並みだと思ってますがこれを読んでくれた女性の方。 乳ガンや子宮ガンなど婦人科系の場合、 他のガンとは違う女性ならではの辛さを抱えることになるので、早め早めの検診がいいですね。 男性の方も、彼女やご家族に勧めてみて下さい。
2008年02月14日
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映画『アース』を観てきました。 大自然とそこに生きる動物たちを記録したドキュメンタリー。 まず何よりもスゴイと思ったのは映像技術です。 はるか高くそびえ立つ巨大な断崖絶壁。流れ落ちる洪水のような滝を真上から映した場面は、濁流に吸い込まれていきそうなほど接近していく映像です。全くブレてないし鮮明。ジェットコースターが急降下する時の胸がスーっと冷えていく感覚があって怖いくらいでした。自然を相手にする撮影班って命がけなんだなって実感できます。頭が下がるし、こんな素晴らしい映像を見せてくれて感謝ですね。 CGに慣れてしまった目には本物のド迫力映像がとても新鮮です動物もたくさん出てきます。 ホッキョクグマ、ゾウ、ヒョウ、サル、セイウチ、鳥、名前を忘れたその他もろもろ・・。 まだ小さい子供たちは本当に可愛いし、微笑ましいというか結構笑える場面もあって楽しいです。 しかし温暖化の影響は彼らを確実に追い詰めていることがよく分かります。 特にホッキョクグマの状況は深刻。 彼らはエサを探すために氷の上を歩くのですが、その氷が急速なペースで薄くなり無くなっています。そうなると泳ぐしかなく、足場となる氷を見つけられなければ溺れ死ぬことになってしまう。今のまま温暖化が続けば2030年にはホッキョクグマは絶滅するそうです。 地球ほど起伏に富んで四季があって、花と緑と水が溢れ、ありとあらゆる生物が共存している星はないんですよね、多分。そんなの当たり前だと思ってたけど、改めて教えられるとスゴいことだし本当に美しい。この星に対する愛着が増してきて、いつまでも美しい風景が残っていて欲しいと思います。 でも地球にとって最大の危機に直面しているのが現実。人間にもその影響が波及しているというのに、何よりも自国の利益を優先したり、相変わらず争いにばかり金をかけている人たちがいますよね。 もう愛国心とか狭い話をしてる場合じゃない気がするんだけどな・・。 皆が意識を高めて日々実践していけば希望も見えてくると思うけど・・。 ナレーションの最後は「自分たちに出来ることを探していこう」だったと思います。 私も出来ることを考えて日々実践していきます
2008年02月05日
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『ヘアスプレー』 これはもう理屈抜きの楽しさどれくらい楽しいのかというと思わず踊りだしたくなるレベルです(全く踊れませんが) 歌と踊りがとにかく素晴らしいんですよ。あまりに楽しくて2度観ました。DVDも絶対買うなー。 60年代のアメリカが舞台なので、黒人差別が物語の核になってます。 権利が限られた生活の中でも常に歌とダンスがあり、 自分たちの存在意義のために真っ直ぐ前を見据えてデモ行進する姿は感動的でした。 ジョン・トラボルタのダイナマイトバディもなかなかスゴかったです『ミス・ポター』 単なるピーターラビット誕生物語ではなく、女性の地位が今より遥かに低かった時代に勇気と誇りを持って信念を貫いた一女性の生涯。 仕事一筋だった彼女が好きな人からプロポーズされた後、一人うれし泣きしながら歌うシーンは思わずこちらも感涙ものでした。主演のレニー・ゼルウィガーが恋をした時の切なさや天にも昇るような高揚感をとてもよく表現してます。恋をしたい人なら誰でも共感できるはず・・彼女が愛した自然を後世に残すために何をしたのかも描かれています。 もちろんピーターもあちこちに登場。 絵本から飛び出したピーターが悪さをする姿は可愛くてたまりません『ブレイブ ワン』 これはかなり痛い話でした婚約者と幸せな日々を送っていたエリカは、些細なことから暴漢に襲われ彼は亡くなり彼女も大怪我を負います。まずこの暴行シーンが痛い。相当リアルな感じで本当に死ぬんじゃないかと思うほど。もうボコボコで意識を失って抵抗もできない激しさで、途中からは人形を殴ってるみたいでした。でも実際、集団リンチとかで殺された人はこんな状況だったんだろうな・・、と思うと胸が痛くなります。 回復したエリカは銃を手にして犯人たちへの復讐を誓いますが、忘れられない恐怖心と歪んだ正義感によって無関係の市民を巻き込んで暴走していきます。 犯罪被害者の底知れない悲しみが伝わってきますね。ケアとか補償とかもっともっと救済制度が充実して欲しいと思います。銃によって誰でも簡単に続けて人を殺せてしまうので銃社会の恐ろしさも改めて感じられます。 主演のジョディ・フォスターは同性ながらカッコ良いです『PEACE BED アメリカ vs ジョン・レノン』 ベトナム戦争当時、ジョンとヨーコがいかにして権力(アメリカ政府)に闘いを挑み、それがアメリカにとってどれほど脅威だったかを記録したドキュメンタリー。 たった一人のアーティストだけどジョンの存在の大きさを改めて再認識。 闘いといっても暴力的なものは一切なしです。 「戦争なんかやめてベッドで過ごそう。戦争が終わるまで髪を伸ばそう」と、 ヨーコと二人でベッド・イン。 「全身を布で覆ってしまえば肌の色も性別も分からない」とその姿で記者会見。 自費で「戦争は終わる。あなたが望めば」という文字だけのポスターを世界各地の街頭に掲載、などです。 まだアイドルっぽかったビートルズ時代のジョンが「ビートルズの曲は全て反戦歌だ」と言ってるのも印象的。 「一人で見る夢は夢のままだけど、みんなで見る夢は現実になる」 今はまだ夢みたいな空想だけど、決して不可能じゃないと私も思います。
2008年02月03日
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去年の秋頃から映画館で観る映画の楽しさにすっかり目覚めてしまい、レディースデイに足しげく通っている私ですが、先週までに観たのを数えてみたら邦画18本、洋画6本でした。これだけ観るとハズレもあって、もうちょっと削れたなって感じですけどね・・特に印象に残ったのをご紹介。どれもオススメです。 『キサラギ』 アイドル歌手「如月ミキ」一周忌追悼のため、ある部屋に集まった5人の喪服姿の男たちの会話によって話が進んでいきます。誰かの一言で状況がどんどん変わっていくので、場面転換がほとんどないのに全く飽きずアッという間に終わりました。演技も臨場感があってまるで舞台を見てるような感覚です。役者の力量を感じますね。最後、いい歳をした5人がミキちゃんの親衛隊になって歌い踊る姿が可愛くて後味のよさが残りました。 『サウスバウンド』 豊川悦史演じる「お父さん」がかなり強烈です。 世の中の不条理や矛盾に対して、規則や法律を無視し自身を危険にさらしてでも歯向かおうとする。子供たちにとってはいい迷惑ですが、お母さん(天海祐希)は黙ってついていく。実際こんなふうに生きてたら破滅するだけだと思うけど、根っこの部分は共感できます。そういう気持ちだけは持ち続けていたいなと思わせてくれました。 『オリヲン座からの招待状』 雨の日も風の日も何があっても、ただひたすら一つのことをやり続けていく偉大さみたいなものを感じます。とても懐かしくて温かい。 これを観てますます映画館で映画を観たくなってしまいました。 『Little DJ~小さな恋の物語』 主演の神木君が素晴らしいです。自分の命の期限を感じながら、それでも周囲に希望を与え続けようとする少年を見事に演じてます。何もしてやれないまま我が子を見送らなければならない親の辛さもよく伝わってきました。70年代の函館が舞台で、懐かしい曲も満載です。 『マリと子犬の物語』 犬が飼いたくてたまらなくなるのにやっぱり観てしまった 地震の時に自分たちを助けてくれたマリを置いてきてしまったと言っておじいちゃんが泣くシーンでは、私もロン子のことを思い出してかなりヤバかったです ロン子にはいっぱい助けてもらったのに同じだけ返してあげられなかったし・・。春に「犬と私の10の約束」という映画も公開になりますが、生き物を安易に飼って簡単に捨てようとする人にはぜひ観て頂いて何かを感じてもらいたいと思いますね。 『椿三十郎』 時代劇に対する概念を覆してくれました。いや~、面白かった口と身なりは悪いが頭が切れて剣に秀でた主人公と、一途で純情すぎる若侍たちの間にとぼけた母娘が割って入るのが最高に可笑しいです。自らの不正を他人に背負わせるお上達のやり方は現代も全く同じ。それを見事に暴いていく展開は非常に痛快。セリフが三船作品と全く同じだそうで、過去の名作と呼ばれる作品もいろいろ観てみたいと思いました。 『クワイエットルームへようこそ』 可笑しいんだけど哀しくて、でもやっぱり可笑しい。そんな映画です。 精神病棟が舞台の話ですが、前半は特に可笑しかった宮藤官九郎の力の抜けた演技が絶妙でこれは必見ですね次第に患者たちが何故ここにやって来たのか明らかになってくるのですが、決して他人事じゃないというか、誰にでも起こり得る現実だなと思って観てました。 とにかく可笑しいのでオススメです。 洋画編は次回へ・・。
2008年01月29日
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子役時代の「依頼人」で高い評価を受けたブラッド・レンフロ。 2006年のアカデミー賞作品「ブロークバック・マウンテン」の主演ヒース・レジャー。 まだ25歳と28歳という若い彼らが相次いで亡くなってしまいました。 2人とも美形で影のある演技が印象に残ってます。 死因には共に薬物が関係してるという報道もあり、リバー・フェニックスを思い出しました。 彼らに限らず、アメリカの芸能界では若くして成功を収め富と名声を手にした後、 薬やアルコールに頼らざるを得ない生活を送り消えていく人が多い気がしますが・・。 もっと自分を大切にして欲しいと思うけど、そんな簡単な話じゃないのかなー。 華やかな舞台は現実逃避しないと生きていけないほど過酷な世界なんだとしたら・・、 とても怖いし才能を潰していく残念なことです。 最近の成功した若手といえばダニエル・ラドクリフ君が思い浮かびますが、 自分を見失わないでいって欲しいものです。
2008年01月28日
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最近、頭の中をエンドレスで流れ続け職場でも思わず口ずさみそうになるのが熊木杏里さんの曲です。去年公開の映画「バッテリー」の主題歌「春の風」を歌ってる方なんですけど、この曲ホンットに良くて一度聴いただけで私の心の琴線に直球ストライクでしたHPのディスコグラフィーで視聴できますので、聴いてない方はぜひ・・。熊木杏里HP 数年前のNHK朝の連続テレビ小説「こころ」の挿入歌を歌ってたのが彼女で、その時もいい歌といい声だなーと思っていて。彼女が出演してるというラジオ番組に「発売予定はないのですか?」とメールしたけど返信がなくてそれっきり忘れてました。(ちなみにそのドラマで初めて玉木宏を目撃。花火職人の半纏姿に惚れる)で、去年久し振りに聴いたら良さに磨きがかかってて嬉しくなりましたね。ほとんどの詩と曲を自身で手掛けている彼女。見た目は可愛らしい今時の女の子ですが、独特の表現で風景が見えるような詩と、切なさ溢れるメロディーに「天才ってホントにいるんだな」と感じてしまいます。マイナーコードの曲もありますが、透き通るような歌声なので暗くなりすぎることもなく常に前向きな印象です。最新アルバムの中では「最後の羅針盤」(NHK土曜ドラマ「病院のチカラ~星空ホスピタル」エンディングテーマ)、「朝日の誓い」(ユニクロCMソング)も素晴らしく良いです。こんな曲がつくれて自分で歌えるなんて羨ましくなってしまう。癒されたい人には絶対おすすめです。話は変わって、昨日の夜中に何気なくTVをつけたら、現在のカイリー・ミノーグが「ラッキー・ラヴ」を歌ってた。いや~、懐かしい・・。バブルの頃を思い出します。彼女がまだ歌ってたなんて全く知らなかった私ですが、ここ数年でまた人気が再燃してるみたいです。昔の印象しかなかったのでさすがに歳を重ねた感がありましたけど、自分と同世代の人が第一線で活躍してるのを見るのは嬉しいものです。(彼女とデュエットしてたジェイソン・ドノヴァンを検索してみたら、シブ目のおじさんになってました)
2008年01月21日
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職場のイントラネット掲示板に健保組合から募金協力依頼がありました。 以下、「勲君を救う会」ホームページより。 「今、1つの心臓が鼓動を弱めつつあります。 村田勲君、28歳。 中学一年生で、不整脈が発覚。以後、突然死を招く重症の不整脈を止めるため、電気ショックを行う「ICD」という機械を身体の中に埋め込み、今この瞬間も拘束型心筋症という難病と戦っています。 そしてその難病は、一刻の猶予も許されない、死のふちまで進行してきました。 心臓を移植する”それだけが、唯一残された最後の手段です。” これからまだまだ広がる未来へ生きていく最後の望みをかけて、皆様の暖かいご支援を心よりお願いいたします。」 目標募金金額 5,500万円 現在集まった募金金額 2787万1110円 ※2008年1月11日現在(自己資金2000万円を含む) 募金振込先 (1)千葉銀行 みずえ支店:107 総合口座:3164312 (2)三菱東京UFJ銀行 瑞江支店:038 総合口座:0710023 (3)郵便局 振込口座:10010-89345881 口座名はいずれも「勲君を救う会」(イサオクンヲスクウカイ) ご家族の挨拶文 「今現在、難病と闘っております息子、勲は1979年5月29日 朝8時58分、元気に産声をあげました。私たちが初めて乳児室の勲と対面した時、どの赤ちゃんよりも一番元気に手足を動かしていましたので名前を「勲」と名付けました。 その後も勲はすくすくと育ち、小学校へ入学してからは大きな病気もせず健康で、スポーツ、遊びにと明け暮れて日々を送ってきました。 13歳、中学校へ入学し学校健診の「心電図」で異常が見つかりました。当時の学校医から「肥大型心筋症」と診断され、病状の説明を受けた時はまず自分の耳を疑いました。そして「この病気は突然死が起こる病気です。」と言われた時には、もう目の前が真っ暗でした。言われた本人は何が起こっているのかも把握できず、そのまま経過を見ることとなりました。 私自身もこの事実を受け止められず、これはきっと何かの間違いだ、我が子にかぎって絶対にそんな事があるはずがない!と受け入れられない日々を過ごしてまいりました。 しかし、この病気を現実として受け止めなければならない出来事が起こったのは、勲が専門学校を卒業し、社会に出て間もない頃でした。 まず始めは足の腫瘍、その後、大した勾配もない坂道でも休まなければ登りきれないようになり、何時しか自分の病気へのどうしようもない不安が沸き起こってきたのかも知れません。初めて本人の口から「病院へ行ってくる。」と言ったのは20歳の時でした。そしてそのまま入院となったのです。その時は不整脈「心房細動」を発病し、電気ショックで不整脈を止めました。 それからというもの、急激に勲の体は悪くなっていきました。頻繁に不整脈を起こし、心臓が血液を上手く送り出すことが困難になりました。そのため脈も微弱で気を失うこともありました。 平成15年3月10日 植え込み型除細動器(ICD)を胸に埋め込む施術を受けました。そしてそのICDによって一時期、脈は安定に保たれるようになりました。 闘病中でありながらも勲は就職活動を始めていました。私たち家族はのんびり療養させたかったのですが、本人は納得していなかったのですね。周りの友人たちに遅れをとりたくなかったのだと思います。障害者向け企業への就職活動に一生懸命でした。そして快く受け入れて下さったのが今現在在職している会社です。就職が決まった時、本人はそれはもう嬉しそうだったことを今でもよく覚えています。私たち家族も本人の負担を少しでも減らそうと毎朝駅まで車で送りました。 意気揚々で仕事に打ち込めたのも束の間、確実に病状は進行していきました。段々会社も休みがちになり、2006年5月頃から更に体調が思わしくなくなっていきました。それまで本人は我慢していたのだと思いますが、私に足首の異常を訴えてきました。その足を見た瞬間、これは何か大変なことが起きていると直感しました。とても普通の足ではなかったのです。何かで叩かれたような痣?というほどのうっ血状態でした。病院で検査した結果「右心不全」「拘束型心筋症」と診断され、「残念ながらこれ以上の治療は不可能。」と告げられました。 私たちはどうしたら良いのか?この子に私たちは何をしてあげられるのか?途方にくれる毎日でした。 以前より、末期の心臓病治療として「移植」が最後の手段であると聞いていました。私たちは迷いました。しかし、このままでは勲を助けてあげる事は出来ないのです。以前のように将来の夢、友人との交流、そしてもう一度彼に普通の生活を送らせてあげたい。ただそれだけの思いでいっぱいです。勲の人生はまだまだこれからなのです。 話し合った結果、私たちは海外での移植を決意致しました。現在お世話になっております病院のスタッフの方々には、最後の治療のチャンスを彼に与えて下さった事を大変感謝しております。 受け入れて頂ける海外での病院も決まりました。ただそのためには莫大な資金がかかり医療費、渡航費、滞在費、諸所合わせて約50万ドルかかります。私たち家族だけではどうすることも出来ず、一時は諦めかけたのですがやはり本人、勲の将来を思いましたら、彼を助けてあげられるのは私たちしかいないのです。 今回このような手紙を書かせて頂いたのは、皆様にお力を借りるしか方法がなく、ペンをとらせて頂きました。 どうか、どうかご協力をして頂けないでしょうか。 切なる思いをお伝え申し上げます。 家族一同より 平成19年11月19日」 よく、難病の幼児のお子さんを救うための会を報道で目にします。小さな体を注射の跡だらけにして耐える姿は痛々しくて親御さんの心中はいかばかりかと思います。 今回の村田勲さんのご家族としても、生きていて欲しいという一心が挨拶文からひしひしと伝わってきます。まだ遠い道のりのように感じますがチリも積もれば山となるので、少し出費を抑えればそのチリになれるはず。これまでは制約の多い生活だったでしょう。彼が元気になってくれれば本当に嬉しく思います。 ご賛同いただける方はぜひお願いします。 「勲君を救う会ホームページ」
2008年01月18日
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初めて大腸カメラで検査をしてもらいましたが、いや~痛いの何のってまず、腸の動きを止めるための肩への筋肉注射が激しく痛いそして私の腸は一般的な腸よりも長くてかなり複雑な形をしてるようです。 普通は伸びたらゴムみたいに元に戻るんだけど、私のはビニールみたいに伸びっぱなしなのだそうで曲がる所ではねじれて三重くらいのトグロを巻いてるらしいから、なかなかカメラが入っていかずホントに痛かった~「もういい!やめてくれ~」と叫びたい気分で耐えてました。 やりながら画像をみせてもらいましたが、初めて見る腸は意外にキレイでした(笑) 写真ももらいました。 帰り道、腸に入った空気で胃が圧迫されて気持ち悪くなり、地下鉄のトイレに駆け込んでしばし撃沈・・あ~もう二度とやりたくないよ~。 検査結果は異常なしでホッとしたけど・・。
2007年12月29日
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今月、西本願寺札幌別院で行われた講演「沖縄戦~集団自決の真実」を聴いてきました。 話をした方は、沖縄・ケラマ諸島の渡嘉敷島で生まれ育った吉川嘉勝氏。 大勢の人が集った9月29日の沖縄県民大会でも話されていた方です。 要約しながら吉川氏の言ったままを書いていきます。 「この講演を北海道で行うにあたり、知人から沖縄のことなど北海道の人に分かる訳が無いと言われたが、やってきました。 9月29日の集会には小さい子から学生まで若い人がいっぱいでした。 沖縄の戦後の教育が理解されたものと思ってます。 琉球王朝時代は武器を持たずに平和に暮らし中国との貿易で潤っていました。 ケラマ諸島は風光明媚(ふうこうめいび)な所で世界に誇る美しい海があります。 沖縄は日本の縮図です。明治以降の国策、公民化政策は負の結実です。 渡嘉敷、座間味は小さな島。 ここでの出来事を、なぜ文部科学省が決めることが出来るのか? 昭和19年、特攻艇の基地ができました。 朝鮮人が、船を隠す壕堀りや、日本人の食料運びなどをろくな飯も与えられずに従事してました。その人たちが生きている限り日本人は許されないかもしれません。 終戦の年、私は6歳。そんな子どもに何が分かるかという意見があります。 でも、後に本で読んだことではなく自分自身と家族の体験を言います。 あの日、住民は「西山に集まれ」と言われたのです。 軍の赤松隊→巡査→防衛隊を通して連絡網が回ってきました。 住民たちは、そこに行けば軍が守ってくれるものと思いました。 しかし、近くに壕などの逃げ場も無いその場所で艦砲射撃の嵐が始まります。 とても小さな島に鉄の暴風が撃ち込まれたのです。 赤松隊の兵士達は掘らせた壕に避難していました。 そんな時、赤松隊と住民の間を行き来していた防衛隊員が村長に耳打ちをします。 村長はうなずき、そしてバンザイが始まったのです。 推測ですが、あの耳打ちは命令ではなかったかと思います。 母は冷静でした。 「命は宝だ。生きられるまでは生きるんだ。死ぬのはいつでも出来る」と言われました。 父は艦砲射撃で頭から血が噴き出してました。義理の兄は失明。 あの時、死のうと思っていた人はいません。そういう状況をつくられてしまったのです。 あまりにインパクトが強すぎて前後はよく覚えてないが、その瞬間はよく覚えてます。 それから3日、山の中で暮らしマラリアにかかった人もいました。 渡嘉敷島の死者は329名。そのうち200名は半日の自決で亡くなりました。 自決場で生き残った人を治療した米兵もいましたが、日本兵は逃げました。 生きる見込みが無い人にはモルヒネを与えました。 なぜこんなことになったのか? そこに軍隊が来て、もろもろの指示や誘導があったからです。 各家庭には壕があり、そこに避難していれば良かったのに、何の避難場所もない所へ連れて行かれた。 赤松隊は巡査から「住民からどうしましょうと聞かれた」と言われ、「西山へ集めた方が良い」と示唆しています。 当時、島は孤立状態で赤松隊長は天皇的存在でした。 「集めた方が良い」は、「集めなさい」に等しいのです。 手りゅう弾は辱めを受けそうになったらやりなさいと指示されました。 32ヶが最初に配られ、20ヶ追加。 防衛隊は軍隊の一員で、スパイ容疑で殺されている人もいます。 彼らは手りゅう弾の使用に卓越していたから爆発したのです。 家族が軍の壕に行ったら追い払われてしまいました。 沖縄人は言葉など様々なことで差別を受け、日本人になることを強要されていました。 立派な日本人になりたいという気持ちがありました。 小学生から特攻艇を海に出す訓練をさせられています。情報は筒抜けです。 自決は、家族が皆死んで一人残されては可哀そうという「兄弟愛」で片付けられるほど単純なものではありません。捕虜になれば女はレイプされ男は虐殺と吹き込まれている。 「自決の誘導」ではなくて何なのか。 自決と知覧の特攻兵の死の痛みは違います。特攻兵は天皇陛下のために死んでいった。 自決場所と赤松隊の避難場所は1kmも離れてませんが、何が起こっているのか知らなかったと彼らは言ってます。 家に戻ると食料は無かった。軍に取られたのだろう。でも軍人にもいい人はいました。 防空壕の中で泣き止まない我が子の口の中に綿を詰めて死なせたり、出て行って母子もろとも射殺されたりもしました。アメリカ兵に保護されることもありました。 戦争は命に無関心です。勝つためにありとあらゆる手段を尽くすのが戦争です。 二度と繰り返したくないものこそ戦争。 間違いないことは、愛しい我が子を失くして悲しみの中で生きる母親がいるということです。 戦争のことを、戦争を知らない人が言っているのです」 吉川氏の話はここまでです。 配られた冊子に載っていた詩が、そのまま私の感じ方になります。 「真実を覆うもの」 詩創作 : 打本 顕真 座敷の奥の長押に掲げられた 若い兵士の遺影があった 終戦半年前に召集され 沖縄で戦死したという いっしょに出征した人々もみな死んだ 年老いた母親は 目をしばたたせて呟いた もう半年遅れていたら・・・ 無念そうな母親の顔を いまも忘れることができない このひとは沖縄戦のなかで 何をし どうやって最期を迎えたのだろう 間違いなくわかったこと それは柱とも頼む愛し子を失って 悲しみをたたえて生きる母親が ここにいるということであった 基地の島・沖縄 戦場となった島・沖縄 そして 沖縄に犠牲を強いることによって 日本は戦後復興を果たしてきた (一部省略) 政治的な圧力によって 教科書が書きかえられているのに その訂正を求める沖縄県民の声を 政治的圧力と言いかえる詭弁 人間はことばを使う動物だ だが そのことばによって ひとはひとをだまし ごまかされてもきた 「テロとの戦い」 「国際貢献」 「人道復興支援」 それさえいえば すべてが認められる そんな雰囲気を私たちは許し そして 作ってきた 自由主義史観なるものが跋扈している 歴史の真実を 真っ当に見つめようとする人びとに はりつけられるレッテル・・「自虐史観」 「南京虐殺はなかった」 「侵略ではなく進出」 「アジアの人びとを開放するための戦争」 「沖縄の集団自決に日本軍の関与はなかった」 それらの声の行き着く果てに 憲法改定がある なぜ日本はアジアの人びとを 踏みつけにすることができたのか なぜ私たちは 沖縄の人びとを死に追いやり 戦後は沖縄の人びとを踏み台にして復興し しかも沖縄のうめきを 無視することができたのか その根底には 根深い差別がある 差別の罪業性を いまこそみずからに問うていきたいものだ
2007年12月27日
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先週の金曜日はフランツ・カフカの舞台「失踪者」を見てきました。 総勢20名の役者さんが早変わりなどをして1人10役くらいこなし、見た目以上の騒々しさで見応えありました。全員入り乱れて踊るコサックダンスっぽい雰囲気のユーモラスな踊りも滑稽で可笑しかったです。 自分の意図とは別に、周囲に翻弄され流転の人生を歩まざるを得ない少年カール=失踪者。最後のシーンは出演者全員が汽車に揺られて何処かに行くのですが、皆が失踪者になったような無表情が印象に残りました。 15分の休憩中に音響トラブルが発生して45分くらいの休憩になるハプニングも。 関係者は平謝りしてたけど、まぁ無事に終わって良かった。 次の日はロフトの赤レンガホールで、自動人形師ムットーニが仕掛ける幻想の世界「ムットーニシアター展」を見てきました。名前からして当然イタリア人だろうと思ったら武藤政彦氏という日本人で、あれ?って感じでしたが(^-^; 内容は想像を遥かに超える素晴らしさで、ずっと見ていたい気持ちになります。 簡単に言えば大きなオルゴールなんですけど、音楽とライティング、セットとも言うべき精巧な背景と活き活きと動く人形たちが繰り広げる夢の世界は圧巻です。 ニューヨークの摩天楼、ジャズバンドのキャバレー、天使が舞い降りた教会、月灯りのベンチなど、いくつものストーリーに入り込めてしまう。家にあったら毎日夢の世界に浸れそう全国を巡回中で、札幌は1月7日まで。夢を見たい人にぜひぜひオススメします。 オフィシャルサイトはこちら→http://www.muttoni.net/
2007年12月24日
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今日、何気なくつけたTVで、高知県で起きた交通事故の特集をやってました。途中から見たので詳細がよく分からなかったのですが、事故から事件へと発展してるようなので検索してみたらいっぱい出てきました。かなり大きな問題になってるようです。詳しくはこちらで。きっこのブログ 現場にいた複数の証人の話は信用できるもので、何の罪も無い一人の男性が警察という巨大組織と中立であるはずの裁判所によって冤罪を着せられ禁固1年4ヶ月に処せられようとしているらしいのです・・。いやぁ恐ろしい話ですよ、ホント。他人事じゃないですね。この男性を救い出すための署名もネットから出来ますので、ご賛同いただける方はぜひ!!署名フォーム
2007年12月09日
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・・つづき。影山あさ子さんより、来春公開の映画「アメリカ-戦争する国の人びと」の紹介もありました。彼女と映画監督の藤本幸久さんがアメリカで続けている取材を記録したドキュメンタリーです。 ダレル・アンダーソン24歳。 彼はガールフレンドを妊娠させお金の為に軍に入隊しイラクに派兵されます。米兵3人が殺された報復のためイラク人100人以上を殺した戦闘に加わった後、帰国しました。毎日死体だらけの夢にうなされ、そんな彼を見て家族も泣き暮らす日々です。野球好きの快活な若者はヒゲが伸び放題で暗い目をしてうずくまる男になっていました。 女性兵士20歳。 彼女は災害救助が目的で州兵になり、イラクに行くつもりはありませんでした。現地で彼女は相手が撃って来ると思ったから先に撃ち、死にゆく相手の目を見ました。彼女自身も負傷しましたが医療保険がないので治療費の為に除隊することも出来ません。よってインタビューに顔を出すことも出来ずにいます。 「貧困徴兵制」と言われ、格差社会の底辺から戦場へと押し出されてゆくアメリカの若者たち。アメリカ人の100人に1人がホームレス。その4人に1人が元兵士です。 米軍再編の名目で日米の軍事的一体化が進んでいますが、それはアメリカ人の代わりに日本人が戦場へ行ってくれ、という意味かもしれません。ここまでが影山さんの報告です。 アメリカの貧困の話を聞いていると、日本も最近だんだんと近づいているなと感じずにはいられなくなってきます。灯油の値上がりによって北国のお年寄りや所得の少ない人は非常に苦しい状況にあります。 ストーブを点けなくてもいいように日中は家を空けてスーパーや病院で時間をやり過ごす人たち。 毛布を7枚重ねて、それでも我慢できなかったらストーブを点けることにしているご夫婦。 私も体験したことは無いですが、旭川や陸別の夜の寒さは半端じゃないでしょう。 ビニールハウスでクリスマス用のイチゴを栽培してる農家は大赤字だそうです。 やれることをすべてやり尽くした上で、このまま値上がりを続けたらどうなるか?とTVレポーターに聞かれた男性は「しばれ死ぬ」と答えていました。 アメリカの盟友のイギリス、イタリア、スペイン、オーストラリアといった大国は既に国民から「イラク戦争NO」を突きつけられアメリカの期待に応えることは出来ません。 現在の欧州各国の最大の関心事は環境問題だそうです。 貧困と地球温暖化。この2つは、もう待ったなしのところまで来ているのですが、最大の汚染国アメリカは相変わらず消極的な印象です。日本の国会の最重要課題は新テロ特措法案の成立です(国際貢献だと言うなら、もっと目に見える形で有意義にお金を使って欲しいです) 厳しい冬はまだまだこれからだし私たちの生活に直結する様々な問題が山積であげていったらキリがないのですが、あまりにも現実を無視していて庶民の感覚からかけ離れていますね・・。 防衛省の今回の汚職もヒドイものでした。 国は毎年莫大な費用を防衛装備品にかけていて、何故そこまでする必要があるのか全く理解出来ないのですが、結果としてそれが「防衛利権」なるものを発生させてそこに群がる人たちを増やしています。 自衛隊員が災害救助にあたっている最中にトップはゴルフ三昧。国民や部下たちのことよりもゴルフの上達に夢中だった人がこの国の防衛を牛耳っていたわけで怒りを通り越して悲しくなりますね。 はっきり言って日本を動かしている人たちは国民のことをどう考えているのか、日に日に分からなくなります。 日本と日本国民の未来はどうなっていくのでしょうか? 本当に不安を覚えます。長文を読んでくれた方、ありがとうございました。
2007年12月05日
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一昨日、ベトナム戦争の米軍帰還兵アレン・ネルソンさんの講演を聞きに北海道大学へ行きました。ネルソンさんは現在60歳。ニューヨークのスラム街ゲットーで生まれ育ち18歳で米軍海兵隊に入隊。翌年から1年以上ベトナムの戦場を体験。帰還後はPTSDに苦しみ治癒には18年かかったそうです。大きめの階段教室は若者でいっぱいで関心の高さが伺えました。ネルソンさんは英語で話し、通訳はフリージャーナリストの影山あさ子さん。でもさすが北大生、訳す前に笑うべき箇所では笑うんですよねぇ。私は何が可笑しいのかさっぱりで・・。講演後に彼と直接話してる人もいて、やはり英語は話せた方がいいと痛感しました。では本題。ネルソンさんが話したことをそのまま書きます。長いし、不快になる人もいるかと思いますが戦場を見てきた人の真実の声を聞いて考えてもらえたらと切に思います。「私は数年前、初めて広島・長崎を訪れて大きなショックを受けました。アメリカが炸裂させた原子爆弾の下に子供、女性、老人、何の罪もない人たちがいたことを知ったからです。これは歴史上最悪のテロリズムです。それ以降アメリカはテロリストになる方法を各国に教え続けています。アメリカには誰に対してもテロリストなどと呼ぶ資格はありません。日本に駐留する米軍は日本国民を守るためではなく日本政府をコントロールするためにあります。日本は占領されているのです。しかし沖縄にいなければ占領という実感はありません。日本には本当の民主主義はなく、首相は日本州の知事に過ぎません。日本でもホームレスの問題は深刻ですがアメリカほどではありません。女性、子供、老人、誰でもホームレスになります。スラム街はケンカ、殺人、麻薬、失業者、うつ病、アル中患者がたむろしスーパーマーケットの入り口で物乞いをする親子は見慣れた光景です。アメリカには戦争や武器のために使うお金は溢れていて何時だって困ることはないのですが、ホームレスのために使うお金はないのです。軍への入隊は貧困から抜け出す手段です。ですから兵士になるのは労働者の子供たち、スラム街や田舎に住んでいる若者です。これは日本の自衛隊にも言えることで、隊員になるのは決して裕福な家の子供たちではありません。そういう家の子たちは留学して親の跡を継ぎます。ブッシュも小泉もよその家の子供たちを戦場に送るのは熱心ですが、自分たちの子供を送ろうとはしません。これは世界中どこも同じです。兵士になる訓練は本当に残酷です。最初に教えられるのは「しゃべるな」軍隊には「考える」という言葉はなく、上官の命令に従うだけです。素手で相手を殴り殺すことを教わり、「殺す」と何度も大声で叫ぶ訓練を受けます。軍隊のことをピースキーパーと呼ぶことがありますが、戦場で社会奉仕活動をするために行くのではありません。人を殺し自分も殺されるのが軍隊です。私はベトナムに行くと決まった時、興奮して喜びました。沖縄でベトナム行きの本格的な訓練を受けました。戦場で相手のどこを狙うのかと聞くと大半の人は頭部や心臓と答えますが、頭は的として小さすぎ、心臓は狙いにくい場所にあります。もし外せば、次の瞬間には自分が間違いなく死ぬことになります。最も当たりやすいお腹の辺りを狙う訓練をしました。実際にそこを撃たれて、何時間も苦痛に耐えながら死んでいく同僚がたくさんいました。沖縄で街に繰り出す時、目的は酒、ケンカ、女です。タクシーの無賃乗車で運転手を殴って意識不明にさせたり、売春目的の女に金を払わず容赦なく殴るということもよくあります。日本の皆さんは「なぜ?」と思うでしょうが、暴力的になるように訓練されているから驚くことではないのです。暴力性を基地に置いてではなく身に付けたまま街に出ます。事件が起こると軍のトップは真っ先に謝罪しますが、内心は喜んでいます。兵士が暴力性を身に付け、戦場に行く準備が出来たことになるからです。私は戦場に行くのが怖くありませんでした。戦争映画の影響もあるでしょう。戦争の映画にはハンサムでカッコ良いヒーローが登場し、卑怯なことはせず正々堂々と戦い、弱者を救います。BGMも流れます。しかし実際の戦場は別ものでした。食事中でもトイレ中でも構わず即殺します。どんな手を使っても相手を殺すだけで、最も被害を受けるのは女性、子供、老人などの弱者です。映画にもニュースにも出てこないシーンがあります。それは死体の片付けです。ちぎれて頭や手足だけになった死体も全てかき集めて男、女、子供ごとに積んで数を数えます。母親の死体に取りすがって離れようとしない子ども、親類が誰も生き残ってないと知り転げまわって泣き叫ぶ老人を何人も目にしました。「プラトーン」や「プライベートライアン」などの映画でも出せないものは"ニオイ"です。たくさんの死体の腐敗したニオイはひどいもので、目が痛くなり涙と鼻水が流れ胃の中の物は全て吐き出します。あのニオイはいまだに忘れられません。戦争のニオイとは腐敗臭と血のニオイ、硝煙のニオイです。ベトナム軍の攻撃を受け、ある防空壕に逃げ込んだ時、15、6歳のベトナム女性が怯えながらも動けずにいました。彼女は下半身が裸で、脚の間から赤ん坊の頭が見えていました。私はどうしたらいいか分からなかった。軍隊では人の殺し方は教えても赤ん坊の取り出し方は教えてくれなかったから。とっさに両手を差し出すと後産に包まれて湯気を上げた赤ん坊が私の手の中に産み落とされました。彼女は赤ん坊を奪い取るとジャングルの中へ消えていきましたが、私の手には温もりが残っていました。その時初めてベトナム人が人間であると気付きました。私が変わる大事な瞬間でした。私たちはベトナム人を人間ではない蔑称で呼んでいました。かつてアメリカは日本人のことをジャップと呼んでましたが、それはネズミと同等の扱いで、日本人にとって米・英国人は鬼畜でした。現在のアメリカではイラク人は「砂漠の猿」です。沖縄では戦争は終わっていません。レイプや米兵が起こした交通事故で死んだり障害者になったりなど表に出てこないものは数多いのです。暴力に囲まれて大きくなる沖縄の子どもたちが心配です。米軍は沖縄だけじゃなく日本から出るべきで、本当に帰ればいいと思ってます。もう軍事占領を終わらせる時です。私は日本国憲法第9条を読んで驚きました。どんな核兵器や軍隊よりも力強い。ほとんどの国の子供達は戦争を知ってるが、日本人の周囲は誰も戦争に行ってないし知らない。どれほど幸運で素晴らしいことか。決して9条をなくしてはなりません。全ての国の憲法に同じ条文があればいいのにと思います。平和はアメリカから、ヨーロッパから、国連から始まるものじゃないのです。この教室にいる私たち一人一人から始まるものなのです。」続いてネルソンさんへの質問コーナーがありました。Q1「私は、日本に布教活動に来ていたキリスト教の宣教師と議論したことがある。宣教師によれば、日本は堕落しているから自分がキリスト教を広めるのだという。キリスト教は「汝の敵を愛し、右の頬をぶたれたら左の頬を差し出せ」という教えだと聞いた。日曜日の礼拝ごとに祈るのに、なぜ平日には平気で人を殺せるのか疑問です」A1「アメリカはキリスト教の国ではないからです。それはイエスではなく聖書についての話をしているのでしょう。もし今、イエスがアメリカに入国しようとしても出来ないだろう。アメリカにとって彼はテロリストだから。ブッシュにこそイエスの教えを説いてくれと言いたい。ブッシュはイラク人虐殺の責任者です。キリスト教徒ではない」Q2「この教室を出てからどう行動すれば沖縄から軍隊を撤退させられるのか。イラクに平和をもたらせるのか、分からないのですが・・」A2「それはあなた自身の中にあるはずです。深く考え、恐れずに行動して下さい。非暴力の世界は可能だと思います。」Q3「9条も大切だがアメリカから独立する上で軍事力も必要じゃないのか」A3「政治家は9条を理解していません。9条は日本だけにとって大切なものではないです。先の大戦でアジア諸国の被害は甚大でした。日本が9条を守ってくれればそれらの国は日本に対して安心できます。大きな軍備を用意する必要もありません。9条をなくせば周囲の国は軍事力を増強するでしょう。米兵は日本のためになど絶対に死にたくはありません。教科書に載っていた原爆の記述は2ページでしたが、パールハーバーについては10ページでいかにして米兵が殺されたか詳しく書かれていました。日本とアメリカの間にある友好は信頼によってではなくて、アメリカが日本の優位に立つことによって成り立っている関係です。日本の真の独立とは米軍の基地撤退です。9条を持っていることによって国際紛争などの仲介も可能な立場になり、それこそが国際貢献につながります。自分の周りの他の人に対してどんな態度でどう付き合うのか。暴力はなしで尊敬し合うことです。世界の平和はここから始まります。ここで出来なきゃ他でも出来ません。あなたが変われば世界は変わります。」ここまでがネルソンさんの話です。終了後、サインを頂き(後から見ると日付が間違ってましたが・・)、握手もしてもらいました。彼は多くのベトナム人を殺したのですが、その手は大きくて温かかった。ネルソンさんの体験を書いた本、「そのとき、赤ん坊が私の手の中に~みんな、聞いてくれ これが軍隊だ!」も出ています。安いですし、機会があればより多くの人に読んでもらいたいです。「戦争の真実」が書かれています。 憲法9条・メッセージ・プロジェクト←こちらで買えますつづく・・。
2007年12月05日
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昨日のエジプト戦はバレーボールの面白さが凝縮されていて良い試合だったと思いますが、 中継の演出は相変わらずでいい加減ウンザリというか興ざめです。 まず、事実上ジャニ新グループお披露目会となっているのは何とかならないものでしょうかねぇ。 何の実績もない「子供たち」をゴールデンに連日登場させて人気者にさせる方法がまともだとは思わないのですが・・。 一人ずつ注目選手を言わせてるけど噛みまくりで非常に聞きにくい。頑張ってるのは分かるけど。 仮にバレーに興味が無くたって応援中に退屈な顔もしてられないだろうから、いつカメラが来てもいいように常にアイドル顔を意識してるんでしょうね。 この子達に頼らなきゃ視聴率稼げないほどバレーってつまらないものだろーか? それと、日本への偏った応援も非常に気になります。 オリンピック以外の国際大会はほとんど日本で開催されてるから、それだけで日本にとって有利なはず。 お客さんは自動的にほぼ全員日本サポーターだろうし。 それでも心配なのかDJみたいな人が「ニッポン!」と掛け声かけて会場を”あおる”のは疑問ですね。 自然に起こる応援で十分じゃないかと思います。 選手紹介VTRや感動秘話もやり過ぎ。 アナウンサーの実況も含めてもうちょっと公平なものを公共の電波に流して欲しいですね。 日本がオリンピックに行くことは望みますが、あまり露骨にやられると冷めてしまいます。 で、ここまで全面的に応援してもらっても男女共に最終予選に持ち込まれそうな様子です。 周囲は「負けたけどよく頑張った!」と簡単に言う。 でもそれだけじゃ意味がないのは選手本人が痛感してるはず。 もっと言えば日本と強豪国の実力差を一番よく理解してるのは選手たちだと思うけど、それでも「3位以内を狙います」と言わなきゃならないのは辛いですね。 期待に応えられない自分たちに不甲斐なさを感じるのであれば気の毒だな、と。 過度の期待をかけて惨敗したトリノ五輪、大阪世界陸上、それから亀田一家。 現実を見つめることなく、選手たちを利用して失望させるTV局とスポーツ界はやっぱり変わらないというか、変われないんでしょうね。
2007年11月26日
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試合については各方面でさんざん言われ尽くしてますが、私も遅ればせながら参戦。 まず、内藤選手にはおめでとう+勝ってくれてありがとうと言いたい気分です。 万が一にも、あのように無礼な親子に勝たれては益々つけ上がらせるだけなので、ホッとしました。 近頃は、自分らだけが楽しければ他人を不快にさせても構わない、欲望を満たすためなら手段は問わず何でもアリ、みたいな風潮が一部ではびこっているように思いますが、その象徴的存在が亀田一家だと感じていました。 自分の弱さを棚に上げ相手まで持ち上げることで強さを誇示しようとした大毅クン。 (クン付けで呼ぶに相応しいお子さまぶりでした) 実況は「若さのせい」にしてましたが、いくら若くても相手を抱えるボクシングの試合は見たことがない。 結局、彼はプロスポーツ選手でもなければボクサーでもなく、ただの目立ちたがり屋だったということなんでしょう。「負けたら切腹」と言ってたくらいですから本気で勝てると思ってたはずで、根拠のない自信には恐れ入ります。 彼らに大勘違いをさせてしまった周囲のこれまでの対応も私には奇異に映りました。 亀田家に甘すぎたボクシング界と一家を利用してきたTBS。 メディアの「亀田強し!」の声に押されるままに各界の有名人がこぞって亀田ファミリーを持ち上げていたように思いますが、第一線で活躍している彼らは人を見る目がないのかな?と思ってしまいますよ。どんな形でも勝ちさえすればいいんですかね? 実力も実績も不透明な人を、勝ち馬に乗るが如く必要以上に担ぎ上げて暴走させてしまった結果が、 この顛末。あっという間に急上昇して急降下のジェットコースターのような展開。 見覚えのあるパターンだな、と思ったらホリエモンと安倍総理でした。 オリンピック等の戦前予想でもそうですが、スポーツ界もマスコミも希望的観測で「金メダル◯個確実!」とか簡単に言ってしまう。今後もそういう安易な体質は変わらないでしょう。 メディアに流されることのない確かな目と考える頭を持っていたいなぁ、と今回の件で改めて痛感しました。
2007年10月17日
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先日のスーパーニュースの北海道版で「障害者自立支援法」について特集してました。 この法律の目的はこうです。 「障害者及び障害児がその有する能力及び適性に応じ、自立した日常生活又は社会生活を営むことができるよう、必要な障害福祉サービスに係る給付その他の支援を行い、もって障害者及び障害児の福祉の増進を図るとともに、障害の有無にかかわらず国民が相互に人格と個性を尊重し安心して暮らすことのできる地域社会の実現に寄与することを目的とする。」 これだけ読むともっともなことしか書いてないので何の異論もありません。 厚生労働省や福祉保険局のHPを見ても具体的に何が変わるのかいまいちピンとこないのですが、ニュースでは31歳の脳性麻痺の女性の例を取り上げてました。 彼女は施設を出て一人暮らしをしながら働いてます。 それこそ自立した女性ですが、月収11万のうち家賃と食費で8万以上消えますので生活は楽じゃありません。 年2回、仲間との飲み会がささやかな贅沢だそうです。 しかし、この法律の施行によって彼女の収入は大きく減りました。 働きに行っているにもかかわらず、それが「研修」とみなされることにより「施設使用料」を徴収された結果、彼女の手元に残るのは1日わずか50円。 働けば働くほど赤字になるようなものですが、「社会との接点がなくなる。家に引きこもっていたくない」との思いから彼女は働き続けています。 これの一体どこが自立支援なんだか全く意味不明・・。 いっそのこと「孤立支援法」と言ってくれた方がよっぽど納得できますね。 どうしてこんなことになるのか? 支援を受けた量に応じて費用の1割負担を求められるそうです。 食事をしたり、着替えをしたり、掃除をしたり、外出したり、ごく普通の暮らしの行動ができないために支援が必要なのに、できないことが多ければ多いほど、お金がかかってしまう(できないことが多ければ、就労も難しく、家族にかかる負担も大きく、元手になるお金が得にくいです。以上、http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Suzuran/7524/sienhou.html#3参照) 彼女の場合も、国が施設を貸してあげて働かせてあげている、ということなんでしょう。 所得の多い人の1割なら影響は少ないですが、そうでなければ負担が重くのしかかります。 これによって国は更なる財源の確保に成功したわけです。 とれる所からはギリギリまでとってやるってことでしょうかね。 まるで江戸時代の「生きぬよう、死なぬよう」みたいだと思いません?ここまでは今までも知ってたことなんですけど・・、 この法律制定の中心人物が最近話題になってた厚生局の元局長だそうです。 妻同士がいとこで相手のダンナの福祉施設理事長から高級車やら住宅リフォーム代やらたくさんもらって「いとこ同士で何が悪い」と言い放ってたアノ人です。 ニュースでは、「障害のある人には爪の先に火を灯すような生活をさせておいて自分は甘い汁を吸っていた」「悪法と言わざるを得ない」と言ってたけどホントその通り安倍サンは辞任会見でテロのことしか言ってなかったような気がするけど、テロよりもこの国の政策の方が現実の、今ここにある脅威です。 テロはいつ?どこで?本当に起きるものなの?それは誰にも分からないし起きないかもしれない。 でも、明日の生活の苦しさや将来への不安は、多くの人が既に抱えているものであって、不安は確実に的中していくんだと思う。 一年後の自分が想像できないとか、今年も無事に年を越せるんだろうかとか思ってる人はたくさんいるよね。 彼は何の誠意も見せずに去ってしまったけど、今はまだこの国の総理大臣。国会は開店休業状態だけど、一日の運営費が○億円かかってると聞いてビックリ・・。 この期間中だって国会議員への歳費は通常通り支払われてるんだろうし。 で、自民党は総裁選でなにやらお祭りムード。 やっぱり納得できないなー自民党の議員からは「この非常事態を一致団結して乗り切る」とか「党の立て直しを早急に」とか保身の言葉しか聞こえてこないんだけど、政権政党としてどれだけ国民に対して申し訳ない事をしてしまったのか理解してるんだろーか? 安倍サンを担ぎ上げてしまった責任は自覚してるんだろーか?弱い立場にある人たちに目を向けられない人は、政治家として失格だよ。この国の政治というものが今回ほど情けないというか悲しく思えたことはないので、麻生・福田、両氏のどちらが首相になっても期待する気になれません・・
2007年09月22日
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安倍総理が辞意を表明・・。 安倍サンには首相としての資質がないと思ってるから辞めるのは驚かないけど、今、このタイミングってのが全く理解できない。 辞めるなら所信表明の前、いや、内閣改造の前でしょうに。 それが本会議10分前ってねぇ・・。 所信表明までしておきながら代表質問に答えるのがイヤで逃げてるようにしか見えないなー。 「小沢さんに党首会談を断られてしまった」と言ってるけど、小沢氏は一貫してテロ特措法の延長には応じられないと言ってきたのだから何を今更って感じです。 安倍サンの考える国際貢献を国際条約として既成事実化し、自らの退路を断って迫れば落とせると考えたみたいだけど、卑怯なやり方だし随分と甘い認識だと思う。 そもそも国内問題が山積してる中、この件で国民の信頼を回復出来ると本気で思ってるんだとしたら、参院選の敗北の意味を全く理解してなかったってことなんでしょう。 農水大臣の自殺、選挙後の更迭、改造一週間で辞職、そして今回。 驚かされることばっかり、本当に異例づくしでお騒がせ。 安倍サンは「政治の空白を生まないように、なるべく早く次の総裁を決めてもらいたいと指示した」そうだけど、選挙後のご自身の行動こそが政治の空白と混乱を生んだ要因だとは露ほども思っていないんだろうなぁ。
2007年09月12日
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農相 わずか1週間で辞任の意向。あーあ、もうアホらしくてやってられない誰がやってもこういう問題が浮上してくる。 金のために政治家辞められない人は、即刻全員辞職してもらいたいよ、 全く(でもそうするとほとんどいなくなるかも・・) 大半の『政治家』はその程度の低い意識レベルしか持ち合わせてないってことなんでしょうね。 国民をバカにするにもほどがある~<遠藤農相>辞任の意向、官房長官に伝える 補助金不正受給(毎日新聞 - 09月02日 23:31) 遠藤武彦農相は組合長を務める農業共済組合による補助金の不正受給問題の責任を取り辞任する意向を固め、与謝野馨官房長官に2日、その旨を伝えた。野党が農相の問責決議案提出を検討するなど参院で与野党が逆転した臨時国会で追及する姿勢を示し、政府・与党内で早期辞任は不可避との見方が広がったため。改造内閣発足後、わずか1週間で閣僚が辞任に追い込まれる異例の事態で、首相の任命責任が問われることは必至。参院選惨敗で政権立て直しを図る安倍内閣に大きな打撃を与えることは確実だ。
2007年09月02日
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そういう私も昨日の北海道ニュースで知ったばかりですが。「湯別メインストリート」とは、寿都町湯別町在住の小林昌視くん(17歳)、越前谷直樹くん(19歳)の二人からなるフォークデュオです。 彼らの曲が9月9日に行われる「北海道マラソン」のエンディングテーマに決まりました。 一目見た瞬間、ファンになったと言っても過言ではないかも。 イメージとしては「ゆず」と「平川地一丁目」を足して2で割ったような感じかな。 まず、声がとても良い。 透き通って澄み渡るような二人のハーモニーは絶妙でした。 見た目もカッコ良いのですよ。 今どきの男の子なんだけど、清潔感があってかなり好印象。 若いんだけど全然浮ついた感じもなくて落ち着いて受け答えをしてましたね。 グループ名を自宅の前の通りである「湯別メインストリート」にしたのも、 故郷を忘れずにいたいという思いからだそうです。 そして何より曲が良い。 スッと胸に入ってくる聞きやすいメロディーで、私の心の琴線に大いに触れてきました 同年代のジャニにはもはや興味がないけど、彼らはずっと見ていきたいですね。 今のイメージを失くさずに成長していって欲しいなー。 夢であるメジャーに必ずなれる逸材だと確信してます。 頑張れ、湯別メインストリート 今日の夜7時半から狸小路3丁目でストリートライヴをするそうです。 彼らのHPはこちら
2007年09月01日
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愛知で拉致・殺害された女性。彼女は鼻がつぶれるほど強く粘着テープを顔中に巻かれ、 上からビニール袋をかぶせられ、 さらに粘着テープを巻かれた姿だったそう。 殺人って残酷で非道で理不尽なものだけど、 そんな言葉じゃとても足りない。 この容疑者には何を言っても言い尽くせない。 言葉じゃ言い表せない激しい憤りを覚えます。 何を言っても無駄だから、ぜひ彼女と同じ苦しみを味わってもらいたい。 極刑が無理なら、死ぬまでムショから出すべきではない。 彼女とご家族の無念さを思うと言葉がないです。 どれほど苦しかっただろう・・。胸が痛み、悔しさばかり。 ご冥福を心よりお祈りします。
2007年08月29日
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アルバムはこちら絶景室蘭去年行った室蘭の写真、忘れてました。 室蘭といえば「鉄の街」 それゆえ、「冷たい」「カタい」というマイナスなイメージを持ってましたが、 いい風景が非常に多くて驚きでした。 地球岬も測量山も360度見渡すことができて、空と海の真っ只中にいるって感じで気分爽快。ものすごい強風で髪は吹っ飛び、藪の中にカメラ落とさないかとドキドキでしたがカップルで鳴らす?鐘もあって「世界の中心で愛を叫ぶ」にはもってこいです。断崖絶壁や変わった岩もあって、カメラマンなら美味しいポイントがいくつもありますね。 他にも眠ってる写真がいくつかあるので随時アップしていきまーす。 昨日はダリ展に行って来ました。 ダリってあのピンッとしたヒゲのイメージが強いけど、実はすっごい美形なんですよね・・。若い時なんてほんっとにイイ男です(ってダリ展の趣旨と違うだろと突っ込まれそうですが) 溶けた時計とか奇妙な風景が多くてとても妖しい雰囲気ですが、絵にいろんな要素が盛り込まれているので惹き込まれていく感じで非常に面白かった。 絵の中にパズルのピースが隠れてるので探したり、ダブル・イメージ(別の視点で見ると違う絵が見えてくる)を駆使したり、絵に描いた家具を実際に作ってしまったり・・。 見る人を飽きさせないというか楽しませ方を知ってるって感じ。 1930年代に既にこんなアーティストがいたということに改めて驚きます。 イヤホンガイド借りたのも正解 分かりやすくて楽しかったです。行って良かったー
2007年08月26日
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アルバムはこちら上野ファーム友人のおかげで最近ちょっとだけガーデンづいてる私ですもう日にちが経ってしまいましたが、先月、旭川にある「上野ファーム」へ行ってきました。 上野さんというお宅が自宅の庭を家族ぐるみでイングリッシュガーデンに創り上げて、一般に開放しているオープンガーデンです。 最近TVでも紹介されたので知ってる方もいると思いますが、とにかく素晴らしかった色とりどりの花が一斉に咲いていて、その量の多さに圧倒されるんですが、とても自然な感じで植わってるので全然うるさくないし飽きもこない。 木や石のアーチ、置き物やベンチもさり気なくそこにあって、とても落ち着く雰囲気をつくってくれてます。 こんな庭でお茶したり昼寝できたら幸せ・・あくまで自然体の庭ですので、その中にいて花や草たちに囲まれているのが何とも言えず心地良かったですね。こういう感覚がこんなに良いものとは思わなかったなー。 天気も快晴でサイコーの気分でした。 もちろん、お楽しみの喫茶店もありましたー ソフトクリームにしましたが美味しかったですよ。 でもパフェも食べたかったです 雑貨屋と苗屋さんもあって楽しかったですね。 可愛いコーギー犬がいたのでシャッターチャンスを狙ってもたもたしてる間に、暑さに耐えかねたのか日陰に潜り込んでしまいました。フォトアルバムの3ページ目にアップしましたが、よーく見ると暗闇の中で暑そうに舌出してます(笑) 旭川から最寄の桜岡駅まではJRで行きました。 無人駅に降り立ってからファームまでの道は北海道的風景を満喫できます。行くまですれ違う人はいなかったような・・。 入園は無料ですので、かなりお得だと思います。 旭山動物園から車で15分ほど。絶対オススメです
2007年08月24日
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他の写真はこちら花ロードえにわ一昨日は恵庭にあるオープンガーデン巡りをしてきました。 どのお宅も手入れが行き届いていてとてもキレイ。 そしてアイディアが楽しい。 イーゼルに置いた額縁から草花が溢れてたり、 植木鉢を全て黒くペイントして統一してたり、トロッコ列車のおもちゃをプランター代わりにしたり、 針金でクマや鳥を作ってアイビーをはわせたり、 普通のプラスチックのプランターをすのこで囲って全く違うものにしたり、 手作りの白いプランターの周りに船の舵やロープを置いて海の雰囲気を出したり・・。 とても工夫されていて、作るのも見せるのも本当に楽しそう。 見てると「こうしてもいいかも」「あれも置いてみたい」と想像力を掻き立てられます。人を惹き付けるにはキレイなだけじゃなく創意工夫が必要なんだなぁとよく分かります。 大変なことも多いと思うけど、理想通りに仕上がった時の喜びは大きいでしょうね。 庭造りなんて全く関わったことのない私ですが、ちょっとやってみたい気分になりました。時期的に花のピークという訳じゃなかったので、次回は花爛漫の季節に行ってみたいです。
2007年08月21日
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ニンテンドーDSの「英語漬け」みたいなタイトルですが、先週と今週に見た映画は合計6本で確かに漬かってました。 最近やたらと見たいのが多くて。 しかも全て1000円の日に見ようとするから、木曜日に夏休みをとって1日当たり豪華3本立てみんなが仕事中に映画三昧で贅沢気分を満喫しましたが、さすがに目が痛かったです・・ではネタバレにならない程度に感想などを・・。 「アヒルと鴨のコインロッカー」 見てる時は意味がよく分からなかったのですが、終わってからパンフを立ち読みして「そういうことだったのか!」とやっと納得。 意味がわかった上でもう一度最初から見たくなります。 チケット買った時にこの映画のリピート券(いつでも1000円)をくれた理由が分かりました。 全編通して流れているのはボブ・ディランの「風にふかれて」 とてもいい曲で、物語の切なさが増してます。 主演の濱田君が歌うとまた一段といい味わいなんです。 彼は一生懸命にやればやるほど空回りしてしまう演技が素晴らしかった。 ラストシーンが胸に残る映画です。 「サイドカーに犬」 小学生の少女の視点で淡々と進む、ある夏の出来事。 母親が家出中にやってきた見知らぬ女性が世話をしてくれるんですが、その女性が大きな皿に麦チョコを入れた時に小声で 「カレー食べる皿に入れたらお母さんに怒られる・・」と言った時はちょっとドキッ。 さすがに同じことはしないけど、結構無頓着です・・ 不仲の両親。でも子どもたちには優しい父親。 彼の風船のように膨らんだお腹に、女の子が何度も頭突きをするシーンは切なかったホントにサイドカーに乗ったが出てくる場面は、かなり可笑しいです 「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」 ここまで変わったタイトルばかり・・。 田舎町が舞台のホラータッチのバイオレンスムービーって感じで、奇妙な怖さがあります。 どのように怖いのかというと、漫画「まことちゃん」的な怖さです。 ワンシーンだけ本当に心臓がバクバクして焦りました。 佐藤江梨子と永作博美が個性全開で最高に可笑しいのですが、勘違いぶりがかなりイタい。 永作博美が顔にめんつゆをぶっかけられるシーンがあって、その後彼女は目に激痛が走り入院。原因は目とコンタクトの間にめんつゆが入ったのに、きちんと洗浄せずに装着したから、だそうです。 ホントかどうか分かりませんが、コンタクトの方、お気を付けて・・。 「歌謡曲だよ、人生は」 11曲の「なつメロ」の詩を元に作ったショートムービー集。 これはもう、いろんな要素が満載。 知らない曲も結構ありましたが十分楽しめました。 血だらけになりながら嬉しそうに踊る武田真治、カッコ良かったー「ヒロシマナガサキ」 日系アメリカ人監督のドキュメンタリー。 見たことのないカラー映像も結構あって、今までよりはリアルに感じられた気がします。 背中からお尻まで一面焼けただれてうつ伏せになっている少年の写真はよく目にしますが、動画を見ました。張り付いたガーゼをはがす時の苦痛にゆがむ顔は思い出すだけで身震いがします。 ご本人は健在で、伏し目がちに静かに語りながら傷ついた体を見せていました。控え目ながら「自分の体をさらしてでも伝えたい」という強い意志を感じました。 瓦礫だらけの廃墟と化した街を再び電車が走る映像もありました。今と違ってブルドーザーもクレーンもない時代にあの瓦礫を除くだけでどれだけ時間がかかったのだろう。 見事に復興を成し遂げた人たちの強さを改めて感じます。 「夕凪の街 桜の国」 被爆から13年後の広島と、残された者たちが生きる現代の話です。 何年たっても何があっても、あの日に見たものは昨日のことのように鮮明に思い出され泣けてくる。 残された者たちも逃れられない現実を受け止めながら日々を生きている。 自分の身内に被爆者がいたら、自分が被爆2世ならどうだっただろう。 被爆の苦しみは今も続いていることが分かるし、自分に置き換えて考えることができる作品でした。 まだまだ見たいのがあってしばらく木曜ごとにシアター通いになりそうです。水野晴夫じゃないけど、映画って本当にいいですねー
2007年08月17日
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新聞に永井信さんという方のコラムが載っていました。 「8月は鎮魂の月である」として、先の大戦で犠牲になった人たちのことが書かれていましたが、最後の方にハッとしたというか改めて気付かされる部分があって、少々ドキッとしました。以下抜粋。 日高の平取の貝沢さん(貝沢正氏・アイヌ文化研究者)にお話を伺ったことがある。 北海道での差別に苦しんだ貝沢さんは、新天地を求めて仲間たちと満州に渡ったという。 差別のないこの土地で農業ができると思ったとき、その土地が中国の人たちから取り上げた土地で、自分たちは差別する側に立っていることに気が付いたと語られていた。 8月は、各種のマスコミが原爆、戦争について取り上げている。 その中で、シンガポールの方が、 「我々は中国や韓国のように声高に日本による加害の事実を言わないが、みんな忘れてはいない」と語った言葉が重く胸に響いた。 我々が原爆を永遠に忘れないように、世界の人々、特に東南アジアの方々は忘れてはいないのである。 --------------------------------------------------------------------日本の植民地支配による犠牲者たちが損害賠償を求める裁判をいくつか起こしていますが、訴えが認められることなく棄却されています。 中国・韓国政府が国として賠償請求権を放棄した以上、原告たちの希望通りの判決が出ることはまずないでしょう。 それを受けて「日本は正しい戦争をしたのだ」とか、「そもそもでっちあげ。作り話」とする風潮がありますが、それは違うと思う。 62年前までの日本が植民地の人たちへ対して行った行為には、聞くに堪えない酷いものがいくつもある。同じ日本人がやったのかと思うと耐え難い気持ちになります。 判決がどうであろうと、事実は事実。なかったことにはなりません。 自分たちの罪を認めることを「自虐的だ」とする見方もあるようですが、それではアメリカのことなど批判はできない。 被害だけじゃなく加害についても日本人の問題です。 両方をしっかりと認識して犠牲者たちの苦難を思い知り、もう誰にも同じ思いはさせないと誓うこと。それが、あの戦争がもたらした唯一の意味なんじゃないかと思ってます。 今日は8月15日。 国境や、軍人・一般人の区別なく、全ての犠牲者たちの魂が鎮まるように祈りたいです。 <終戦記念日>河野衆院議長、追悼式で首相批判?の発言 (毎日新聞 - 08月15日 12:58) 河野洋平衆院議長は15日、全国戦没者追悼式での追悼の辞で「(日本国民は)海外での武力行使を自ら禁じた『日本国憲法』に象徴される新しいレジームを選択して、今日まで歩んできた」との見解を表明した。安倍晋三首相の「戦後レジームからの脱却」路線を意識した発言とみられ、追悼の辞で首相批判と取られかねない発言をするのは異例。 河野議長はさらに「国際紛争解決の手段としての戦争の放棄を宣言する日本国憲法の理念を胸に、戦争のない世界、核兵器のない世界、報復や脅迫の論理ではなく、国際協調によって運営される世界の実現を目指す」と護憲の姿勢を強調した。 従軍慰安婦問題についても触れ、「日本軍の一部による非人道的な行為によって人権を侵害され、心身に深い傷を負い、今もなお苦しんでおられる方々に、心からなる謝罪とお見舞いの気持ちを申し上げたい」と語った。同問題をめぐっては、河野議長は官房長官時代の93年、談話を発表し旧日本軍の関与を認め謝罪した。しかし、軍が強制した証拠はなかったとして河野談話の見直しを求める動きがあることから、これをけん制する狙いがあるとみられる。
2007年08月15日
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モノクロ写真は被爆前の原爆ドーム、広島県産業奨励館です。 チェコの建築家ヤン・レッツェル氏の設計監督により1915(大正4)年4月に完工し、特徴ある緑色のドームによって市民に親しまれていました。 私は自分でも不思議なくらい、先の大戦に対して思い入れが強いです。 身内に戦死者や特別悲惨な体験をした人がいる訳じゃないし、そういう話を直接聞いたこともないから、原点と言えるのはきっと小2で読んだ漫画「はだしのゲン」だと思います。 まず、戦争中の暮らしというのがとにかくショックでした。 いつもお腹を空かせていて、白いご飯がごちそうになる。 周りのみんなと違うことを言えば「非国民」で犯罪者扱い。 楽しい遊びや音楽など娯楽が何もない。 中国人が何故かとてもバカにされ差別されている。 教育勅語を暗記してなくて先生に殴られるシーンもあったような・・。 いつも空襲に怯えていて、夜は光が漏れないようにしてひたすら耐える日々。 その時の私と同い年のゲンが、私とは全く正反対の生活をしていたので信じられませんでした。 こんな時が本当にあったんだ、私には絶対に無理だと感じました。 そして何よりも衝撃的だったのは、やはりピカドン。 ついさっきまで話していた人が、今はもう動かない。 全身焼けただれて次々と倒れていく。 爆風で飛び散ったガラス片が全身に突き刺さり失明もする。 倒壊した家屋の下敷きになって生きたまま焼かれていく家族。 無傷で元気だったのに、その後、髪は抜け斑点だらけになって苦しみながら絶命していく。 大きく残るケロイドのため、被爆者として見られる一生。 後遺症と病の恐怖は死ぬまで消えることはない。 今、改めて「原爆」とは何なのかと考えてみる。 人間を大量に破壊することにおいて、何て万能な兵器だろうと思う。 ありとあらゆるやり方で人を苦しめることが出来る。 多くの人を瞬時に殺し、生き延びた人を身体の中からも傷つけ痛めつけ、いつまでも苦難を背負わせ、それは次の世代にも引き継がれ、いつ終わるのか誰にも分からない。 ナイフや銃、普通の爆弾じゃこんなことは不可能(もちろん、それだってダメだけど) 放射能は人をただ殺すというよりも、身体の外と内からじわじわと蝕んで侵食していく悪魔だ。 日本が早く降伏していれば投下されずに済んだこと。 日本だって重慶での無差別攻撃や中国での人体による細菌実験など、戦時中とはいえ許し難い行為を多くしていて、加害国日本は何をしたのか日本人はもっと知るべきです。 でも、だからといって原爆使用を受け入れる理由にはならない。 人間破壊にとどまらず、真っ直ぐ進めば必ず元の位置に戻ってくる丸い星の地球を壊しかねない、つまりは自分たちの足元をも揺るがす愚かな行為です。 「しょうがない」とか、そういうレベルの話じゃないのは明白。アメリカこそがそのことを強く認識すべきだし、それを訴えられるのは日本しかいません。 62年前より遥かに核の恐怖が現実化している今、国の都合で核が使用されることがあれば更に取り返しのつかないことになるでしょう。 去年の秋、念願だった原爆ドームへ初めて行った。 その日は快晴で暑いくらいで、見学者も多く、外国の人もたくさんいた。 でもドームの前に立つと不思議なくらい静かだった。 ピーンと張り詰めたような、冷気を感じるほどの静寂。 みんな無口になるからだろうか。 どこからでも雨が入ってきて風が吹き抜けていく姿が、あまりにも弱々しくて寒そうに見えたからだろうか。 そこは時が止まっていた。 あの日のままの姿なんだと思うと、ほんの少しは近づけたような気がした。 元は美しい洋館だったドーム内には多くの瓦礫が残っている。 あの日、この中はどんな状況だったのだろう。 とても想像は出来ない。 建物内にいた人は全て即死だったそうだけど、助けを求めている人はいないだろうかと探すような気持ちで見ていました。 とても辛い遺産だけど、原爆の恐怖を後世に伝えるため、あの日のことを忘れないため、いつまでも残っていて欲しいと思います。
2007年08月11日
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今日は札幌西区にある日登寺に「原爆の火」を見に行って来ました。 「原爆の火」とは、広島で被爆した男性が行方不明の叔父を捜して1ヶ月後、叔父宅の地下壕跡でくすぶっていた残り火を形見として持ち帰ったものです。 男性は自宅でこの火をずっと絶やさず燃やし続け、その後、管理を委託された自治体が全国10ヶ所以上に分火。 札幌には1989年に来たそうですが、全然知りませんでした。 札幌在住のある被爆者男性の思いと共に新聞で紹介されていたので一部を抜粋。 常陸龍彦さん(84)がこの「原爆の火」の存在を知ったのは、最近のこと。 「見たいけど、見たくない」。 迷った末に灯篭の前に立った。 ゆらめく火を見て、「これが何もかも焼いた」と息荒く言った。 常陸さんは被爆後すぐ爆心地付近に入り、小学校に次々収容される血だるまの死体を運び、焼いた。 50年代初めごろから体調を崩し、大腸や直腸のがん、腹部大動脈瘤など、今も入退院を繰り返している。10年前からは、重さ4キロの携帯酸素が手放せない。 あの時の肌を焦がした熱さが、今も体にまとわりつく。 この火は、その恨みの記憶をさらに強くする。 常陸さんは、しばらく火と向き合っていた。 苦しそうに胸元に添えた細い手。 大粒の涙がほおをつたい、険しい目で炎の先をにらみつけた。 歳月を経てもなお、憎しみから抜け出せない人がいるという現実が、 そこにある。 「苦しむ人々が炎の向こう側にいる」 常陸さんはそうつぶやいた。 -----------------------------------------------------------------62年も経つのに未だに「恨み」もないだろう、という意見もあるかもしれません。 でもそれだけの地獄を見てきたのだと考えれば言葉がないです。 とても小さいただの火なんですけど、確かにあの日ヒロシマを焼いた火・・。 地下鉄で行ったのですが、駅の地下通路で市民団体が原爆と戦争のパネル展をやっていたので、ささやかながら署名もしてきました。 全国各地にさまざまな「9条の会」がありますが、「音楽の9条の会」というのもあるそうです。 黒柳徹子さん、渡辺えり子さん、吉永小百合さん、美輪明宏さんなど第一線で活躍している方たちのメッセージが書かれていて、とても心強いものを感じて嬉しかったですね。 明日から二夜連続でドラマ「はだしのゲン」が放映されます。 ゲン役の小林廉くんが制作発表の席で泣きながら 「原爆は怖くて、恐ろしくて、すごく広島の人を悲しませて、戦争は嫌なことばかりです。絶対に世界の人たちがみんな平和に暮らせるように、平和を築きあげていければと思います。」と語っていたのがとても印象的でした。 何度見ても、もらい泣き動画はHPトピックスの「中岡家のセットで制作発表」で見られます。 はだしのゲンHP予告編見てるだけで辛いものがありますが、しっかり見たいと思います。 八月六日 峠三吉 あの閃光が忘れえようか! 瞬時に街頭の三万は消え 圧しつぶされた暗闇の底で 五万の悲鳴は絶え 渦巻くきいろい煙がうすれると ビルデイングは裂け、橋は崩れ 満員電車はそのまま焦げ 涯しない瓦礫と燃えさしの堆積であった広島 やがてぼろ切れのような皮膚を垂れた 両手を胸に くずれた脳漿を踏み 焼け焦げた布を腰にまとって 泣きながら群れ歩いた裸体の行列 石地蔵のように散乱した練兵場の屍体 つながれた筏へ這いより折り重なった河岸の群も 灼けつく日ざしの下でしだいに屍体とかわり 夕空をつく火光の中に 下敷きのまま生きていた母や弟の町のあたりも 焼けうつり 兵器廠の床の糞尿のうえに のがれ横たわった女学生らの 太鼓腹の、片眼つぶれの、半身あかむけの、丸坊主の 誰がたれとも分らぬ一群の上に朝日がさせば すでに動くものもなく 異臭のよどんだなかで 金ダライにとぶ蝿の羽音だけ 三十万の全市をしめた あの静寂が忘れえようか 帰らなかった妻や子のしろい眼窩が 俺たちの心魂をたち割って 込めたねがいを 忘れえようか! 仮繃帯所にて 峠三吉 あなたたち 泣いても涙のでどころのない わめいても言葉になる唇のない もがこうにもつかむ手指の皮膚のない あなたたち 血とあぶら汗と淋巴液とにまみれた四肢をばたつかせ 糸のように塞いだ眼をしろく光らせ あおぶくれた腹にわずかに下着のゴム紐だけをとどめ 恥しいところさえはじることをできなくさせられたあなたたちが ああみんなさきほどまでは愛らしい 女学生だったことを たれがほんとうと思えよう 焼け爛れたヒロシマの うす暗くゆらめく焔のなかから あなたでなくなったあなたたちが つぎつぎととび出し這い出し この草地にたどりついて ちりちりのラカン頭を苦悶の埃に埋める 何故こんな目に遭わねばならぬのか なぜこんなめにあわねばならぬのか 何の為に なんのために そしてあななたちは すでに自分がどんなすがたで にんげんから遠いものにされはてて しまっているかを知らない ただ思っている あなたたちはおもっている 今朝がたまでの父を母を弟を妹を (いま逢ったってたれがあなたとしりえよう) そして眠り起きごはんをたべた家のことを (一瞬に垣根の花はちぎれいまは灰の跡さえわからない) おもっているおもっている つぎつぎと動かなくなる同類のあいだにはさまって おもっている かつて娘だった にんげんのむすめだった日を
2007年08月09日
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昨日の新聞に興味深い記事があったので転載。 米ソ冷戦下の1950年代から60年代にかけ、米ネバダ州では大気圏内核実験が続けられた。実験場の風下で暮らす住民は被ばくで肉親らを失い、今も健康被害に苦しむが、米国は、長崎、広島への原爆投下を正当化したのと同じ国益の論理で被ばく者の声を黙殺し続けている。実験場から約250キロ離れたユタ州セントジョージで、核兵器開発競争の犠牲になった人々の声を聞いた。 地平線のかなた、夕日に染まったきのこ雲。地元病院に勤めるクラウディア・ピーターソンさん(52)は幼い日、父に手を引かれ、ネバダの砂漠を望む岩山へ核実験を見物に出かけた。その光景が今も忘れられない。 1962年まで約100回行われた核実験のたびに、大勢の住民がこの岩山に詰めかけた。「危険はない」という軍の説明を信じたからだ。 異変は60年代後半に起きた。住民が次々とがんに倒れたほか、家畜が一気に全滅して廃業する農場も続出。80年代には、ピーターソンさんの父親が脳腫瘍で亡くなり、姉と最愛の6歳の娘がやはりがんで父の後を追った。 セントジョージなど、風下の住民1200人は79年、国を相手取って、被ばくの損害補償を求める訴訟を起こしたが、87年に敗訴した。 90年に「放射線被ばく補償法」が制定された。だが、補償額が低い上、適用条件も厳しいため、補償件数は2千件弱にとどまっている。実際の被ばく者数は「その何十倍」(地元病院)に上るとみられる。 多くの被ばく者は力尽き、地元の反核運動は盛り上がらない。二度のがんを経験し、甲状腺障害に苦しみながら運動を続ける元教師、ミッシェル・トーマスさん(54)は「被ばくの悲惨さを訴えると非国民扱いされる」と打ち明ける。 ピーターソンさんは日本の平和団体の招きで、長崎、広島を訪問した経験を持つ。日本への原爆投下について「戦争を早期に終結させるために必要だった」と教育されてきたが、両被爆地で想像を絶する悲惨さを目の当たりにし、疑念を抱くようになった。 ネバダ核実験場の問題についても、地元学校の教科書は、放射線被ばく補償法などを淡々と説明しているだけ。ピーターソンさんは、そこにも歴史の暗部から目を背けようとする米社会の意図を感じている。 ------------------------------------------------------------------------------アメリカの一般人にもこれほどの被ばく者がいたことは全く知らなかったので驚きました。 これを読んで思うのは、どの国も同じなんだな、ということ。 まず第一に優先するのは国益であって、そのためなら国民を簡単に棄ててしまえる。 都合の悪いことは都合よく解釈するか、隠し続けて存在を消す。 自分の国のことなのに国民に伝えようとしない。 そして改めて感じた放射能の恐ろしさ。 「被ばくの悲惨さを訴えると非国民扱い」 こんな意識しかない人は、核は敵国のみならず地球全体の環境を破壊し続け、巡り巡っていつかは自分の国や孫たちにも還ってくるものだとは考えてもいないのだろう。 核使用を正当化する人が圧倒的に多いアメリカ。 でも、原爆は本当に非人道的な無差別大量破壊兵器です。 一過性ではなくいつまでも苦しみを与え続けるもので、取り返しのつかないことをしたのです。 イラクや北朝鮮を非難するのは結構だけど、自らのしてきたことを信じて疑わない超大国にもとても恐怖を覚えます。 そんな自信に溢れた国に追随するだけの我が国も大いに心配。 原爆投下に理解を示す大臣の発言は、何も考えてないのを露呈したようなものだったし・・。 平和記念式典での広島市長の言葉は、政府に対して明確に思いを伝えていて、とても良かったです。少しだけ救われた気がしました。 日本政府、日本人、世界中の人たちにこの思いが伝わってくれるといいのだけれど。
2007年08月07日
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恵庭市にある「えこりん村」に行ってきました。 恵庭といえば、個人宅のガーデン創りがとても盛んですが、えこりん村は そんな町に相応しいガーデンテーマパーク。 英国好きとガーデン好きにはたまらない夢の国です。 トマトの森。すごい数 トマトを見上げたのは初めて「花の牧場」というガーデンセンターはガーデングッズの種類が非常に豊富でした。 英国から直輸入のカラフルでセンスの良いアイテムたちなら庭仕事もはかどりそう。庭関係に限らず、ロハス、スローライフといった生活がしたくなるナチュラルテイストのグッズもいっぱい。 なぜか和風雑貨まであって、まーたバッグ買ってしまいましたが・・。 レストラン食事の後、本日のメインイベント、 「バニー・ギネス氏の銀河庭園ガーデンツアー」の始まりです。 バニーさんは世界的に活躍するガーデン・デザイナーで、銀河庭園の10haの敷地に広がる30種類のテーマガーデンの設計者です。 30も庭があるのにまずびっくり。 庭ってそんなに創れるものなんだ・・。 私の中では、日本庭園とイングリッシュガーデンの違いしかないもので。その庭を設計した人が自ら説明してくれる貴重な機会です。 ツリーハウス。小説家の家パルテールという左右対称の庭は興味深かったです。 普通、垣根というと庭や家の外周をぐるっと囲むだけのものだと思ってたのですが、イギリスでは花壇の中を花の種類等によってブロッキングして、それぞれを背の低いツゲの垣根で囲むことが多いそう。 そうすると花壇の中も緑のもこもこがいっぱいでボリュームがあって非常に見栄えがしましたね。誰かが「狭い日本じゃそんな贅沢なことは出来ない」と言ってましたが、 イギリス人も狭いなりにやっているそうです。 背の低いツゲの垣根の中に花があります パルテールの花たち一番好きだったのは「ボートレースガーデン」 オックスフォード大学とケンブリッジ大学のボートレース記念作品だそうですが、ボートレースが庭になるなんて面白いでしょ? コーヒー飲んでる紳士が似合いそうなカッコいい庭でした。 ボートレースガーデン。シューズもそのまま オールになってます 地面もベンチも川をイメージしてます オックスフォード&ケンブリッジ大学 トレリス(格子)ガーデン ブラック&ホワイトガーデン。チェスみたいでこれまたお洒落。 ポタジェ。果樹と野菜、花が一体化した庭。門柱の彫刻はカリフラワー 丘の中の家。小人の隠れ家をイメージ。 くまのプーさんが出てきそう ドラゴンガーデン。庭全体が龍の身体になってます ドラゴンの胴体 ドラゴンの背中 ローズガーデン ポンポンみたいな緑が可愛い 柳の枝を編みこんで作ったそうです キャッスルツリーハウス他にも楽しい庭がホントにたくさん。 『スネークガーデン』 『ベアガーデン』 流木で創った熊がいました。 『パープル&ゴールドガーデン』 ゴージャス。 『タイガーガーデン』 熱帯をイメージしてますが、北海道ではなかなか難しいと言ってました。 『楽しい川辺』 こじんまりとした家はネズミの家がモチーフ。とにかく庭の中に遊び心が満載。 大人も子供も楽しめる。 庭は見るものじゃなくて、遊んだり過ごしたり生活に密着したものなんだなぁと実感できます。 英国でのガーデン留学を終えた友人によると、イギリスの花たちは咲きたいように咲いていて活き活きしてるんだそう。 確かにそうで、とても自然に揺れてる感じでした。 整然と行儀良く統率された日本庭園も好きですが、 自然な姿の花とユーモアのある庭にいるのは心地良かったですね。 ほぼ立ち通しの2時間半でしたが心はリラックス~。でもオープン2年目とあってまだまだ若い庭が多く、ちょっと寂しかったです。 成長すると劇的に変わるでしょうね。 その時が楽しみです。
2007年08月04日
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昭和の歌謡史を彩った作詞家の阿久悠さんが亡くなってしまった。 私の中では阿久悠といえばピンク・レディー。 私が初めて好きになった歌手もピンク・レディー。 作詞:阿久悠 作曲:都倉俊一 振付:土居甫 そしてミーとケイ。 誰か一人でも欠けてたらあのピンク・レディーは誕生してなかった。 個々の能力と結集した時のパワーはすごかったんだろうなと思います。 他にも大ヒット曲を数多く作詞されてて、「時の過ぎゆくままに」なんて 良いんですよねぇ。 数年前、テレビで見た時は、最近の音楽事情を嘆いていました。 ヒットする曲の多くはある年代限定で、しかも一過性。 幅広い世代が歌えるものではなく、これでは歌い継がれていかないと言っていたような記憶があります。 彼の作品はいつまでもカラオケのリストに残っていくでしょうね。 ご冥福をお祈りします。 素敵な歌たちをありがとう。 20世紀最大の作詞家、阿久悠氏が死去 (bounce.com - 08月01日 17:00) 今年で作詞家生活40周年を迎えた阿久悠氏が、8月1日午前5時29分、尿管がんのために死去した。享年70歳。 阿久悠氏はピンク・レディーの“UFO”“サウスポー”や沢田研二の“勝手にしやがれ”、小泉今日子の“学園天国”など、ポップス、演歌、アニメを問わず5,000曲以上の作詞を担当。〈20世紀最大の作詞家〉とも言われ、昭和歌謡史を支えた存在だった。
2007年08月01日
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小田実さんのことは恥ずかしながらよく知りませんでした。 楽天仲間の銀魂うさぎさんの日記に書かれてた小田さんの言葉を見て、知らなかったことを今さら恥じているような心境・・。 なぜ戦争に反対するのか? 戦争に反対することに特別な理由などいらないんだということを教えてくれる言葉です。 2006年2月28日号【私の「反戦」の根拠】 ふつうの市民、「小さな人間」がまともに生きることのなかには、 殺し、殺されることはない。戦争はそれを強いる。 私はふつうの市民として、 「小さな人間」なりに人間としてまともに生きたいので戦争に反対する。 私の「反戦」の根拠は、一言で言えば、それにつきる。 <訃報>反戦運動の旗手、作家の小田実さん死去 (毎日新聞 - 07月30日 04:27) 元「ベ平連」(ベトナムに平和を!市民連合)代表で、ベトナム反戦運動など市民運動の先頭に立った行動派の作家、小田実(まこと)さんが30日午前2時5分、胃がんのため東京都内の病院で死去した。75歳。 大阪市生まれ。東大卒業後にフルブライト留学生として渡米。南米や欧州、アジアなどを回った旅行記「何でも見てやろう」(1961年)はベストセラーとなった。 65年には米軍の北ベトナム(当時)爆撃に反対する哲学者の鶴見俊輔さんらと反戦運動を開始。ベ平連を結成し、代表になった。大規模なデモやワシントン・ポストなど米紙へ意見広告を掲載して注目を集めた。ベ平連は米軍が撤退した後の74年に解散。その後も湾岸戦争の際には同様の意見広告を出すなど、一貫して反戦の立場を貫いた。 95年1月の阪神大震災は西宮市の自宅で遭遇。恒久的な公的支援の法制度を作るために奔走し、98年の「被災者生活再建支援法」成立の原動力にもなった。 ◇ ◇ 文学者としての小田さんは、虐げられる側、庶民の目線を大切にしながら、民族、国、性などをつぶさに見据え、その成果を小説などに結実させた。 デビュー作は1951年に出版された小説「明後日の手記」。デビューの2年前、高校2年だった小田さんは兄事していた作家、中村真一郎さん(故人)を通じ、当時、名編集者として鳴らしていた文芸誌「文芸」の坂本一亀さん(同)に出会い、出版を勧められた。 若者の好奇心に火をつけ、ベストセラーになった旅行記「何でも見てやろう」(61年刊)を書くように勧めたのも坂本さんだ。 最初の長編小説「アメリカ」(62年刊)では、米国内での人種差別などに実直に目を向けていて、後にベトナム戦争を市民の目から徹底的に批判していく小田さんの文学的なスタンスが見て取れる。 大阪のブルジョアの女生大学院生の恋愛を通じて日本の縮図を映し取った長編小説「現代史」(68年刊)、遺骨収集を素材に戦争の痕跡を描いた政治小説「ガ島」(73年刊)をはじめ、長編3部作といわれる「冷え物」「羽なければ」「円(まる)いひっぴい」(77年刊)がある。 この10余年の間でも、終戦直後の大阪の闇市を舞台にした「大阪シンフォニー」(97年刊)、川端康成文学賞を受賞した短編「『アボジ』を踏む」(98年刊)、戦争末期の日本軍の玉砕をテーマにした「玉砕」(同)、阪神大震災をモチーフにした「深い音」(02年刊)など旺盛な創作意欲は衰えず、最期まで文芸誌「すばる」の連載を続けていた。
2007年07月31日
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「首相に相応しいのは私か、小沢さんか」と自ら国民に問うたのは安倍サン。 答えは明確に出ました。 民主は全面的に支持された訳じゃないと思うから気を引き締めて欲しいけど、少なくとも安倍政権は拒否されました。 なのにまだ「美しい国づくり」とか「責任を果たすのが私の使命」とかトンチンカンな事を言っている。 「あなたに責任を果たす力はない」と言われてるのにね。 仮に美しい国を目指すとしても(何が美しいのか分からないけど)、あなたは見苦しいので無理でしょう。 この期に及んでまだ聞かぬフリ、見えぬフリ、空気を全く読もうとしない鈍感さ。 国民無視も一体どんだけ・・?
2007年07月31日
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タレントの梨花が報道陣の前で、選挙当日は生放送があったので「投票には行ってません」と言ったそうですが。。選挙に行く行かないは本人の自由。 でも若者に影響力のある芸能人が仕事のせいにして当然のように 「行ってない」と公言するのはやめて欲しいなー。 友人と、「キムタクくらい影響力のある人が"選挙に行きましょう"と言ってくれたら イイよね」と話してたけど、これじゃ真逆だし。。投票に「行けない」んじゃなくて「行かない」人が国や議員を批判しても全く重みを感じないなぁ。丸川珠代さんとかね。
2007年07月31日
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~北海道新聞社説より~ 改憲をめぐる論議が盛り上がりを欠いたまま、参院選の投開票日を迎えようとしている。 安倍晋三首相は年頭記者会見で改憲を参院選の争点にすると明言した。国民投票法の成立直後には「国家ビジョンにかかわる憲法論議を避けることは不誠実と考える」とまで指摘した。 ところが、公示前後から首相の口は重くなった。改憲のねらいや道筋を説明するどころか、「国民的な議論は深まっていない」とさえ語り始めた。 当初の意気込みは何だったのかと問わずにはいられない。議論の深まりに欠けると認めるのなら、国会を混乱させてまで国民投票法の成立を急ぐ必要などなかったのではないか。 年金や格差、政治とカネの問題が争点化するなかで、憲法問題は票につながらないと判断したのだろう。 改憲を公言し、自民党の選挙公約に「二○一○年での発議を目指す」と掲げている以上、ご都合主義と言われても仕方あるまい。 首相は改憲の内容を問われると「すでに全容を示している」と答える。 自民党が○五年にまとめた新憲法草案は、最大の論点である九条二項の戦力不保持と交戦権の否認を削除し、自衛軍の保持を明記した。海外での武力行使にも道を開いている。 戦後の平和と繁栄を支えてきた現憲法を根本から変える内容だ。 国民の多くが九条改憲に否定的であるにもかかわらず、論議を深めようとの姿勢が首相からは感じとれない。 民主党も公明党もこれ幸いとばかり改憲への言及に消極的だ。民主党は党内論議が煮詰まっておらず公明党は九条改憲に反対だ。護憲を掲げる共産、社民両党との落差は際だっている。 これでは、この選挙で改憲問題を論じたとは到底言えない。まして国民の信を問うたことにはならない。 それだけではない。 選挙後の臨時国会では衆参両院に憲法審査会が設けられる。国民投票法が施行となる一○年にも改憲の発議ができるようになる。今回選ばれる議員たちがそれを担う可能性が高い。 各候補者はどんな憲法観を持ち、改憲にどういう立場で臨むのか。分かりやすく丁寧に語ってほしい。それなくしては国の最高法規を変える問題を委ねるわけにはいかない。 法が施行されるまでの三年間は憲法審査会で改憲案の審議はできないが、与党は改憲案の骨子や要綱案を作ることは可能と見ている。改憲の流れが一気に早まることになりかねない。 こうした動きに歯止めをかけることができるのか。この選挙の結果が大きく影響してこよう。じっくりと考えた上で一票の権利を行使したい。 ------------------------------------------------------------------------------閣僚の不祥事や失言、年金の記入漏れ問題の陰にすっかり隠れてしまった感のある憲法問題。 9条を変えたい人達にとってはかえって好都合だったんじゃないかと勘繰りたくなるほど、どこかへ追いやられてしまいました。 安倍サンの思惑通りに事が進めば、確実に今回選出される議員達がその憲法の行方を左右するでしょう。 戦争を放棄した9条を捨てる理由なんてどこにもありません。 前の日記にも書きましたが、 9条を捨てるということは、再び庶民の生活どころか命までも奪いかねないということです。 いつだって前線に立ち訳も分からず死んでいくのは指導者ではなくて何の力もない一般の国民です。今のアメリカがまさにそうだから。 明日は目先の事にとらわれることなく、この国の将来をよく考えて意思表示をしてこようと思います。
2007年07月28日
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「あなたと政党の相性診断~毎日ボートマッチ」をやってみました。 私と政党の一致度は・・ 社民党72%、新党日本70%、共産党68%、民主党58%、公明党47%、国民新党46%、自民党31% 以上。 まぁ、おおむね予想通りかな。 全部逆に答えると自民と相思相愛になるってことなのね・・。 毎日ボートマッチ 有権者が自らの考えと各政党候補者の主張を比較することで、選挙の争点となっている政策への理解を深めることができるとともに、投票の参考材料にもなる新しいサービス。 毎日新聞社が参院選の立候補予定者を対象に行ったアンケートとまったく同じ設問に答えると、候補者の回答を基に算出した各政党の平均値が比較され、主要政党とあなたの考えがどれだけ近いかを「一致度」という数値で示します。
2007年07月28日
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