2004年05月15日
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世界精神、世界法則、世界法則を捉える人類の歩み、科学的知識の総体,人類史

 それと個々の時代、個々の地域、個々人の関係



 ヘーゲル『歴史哲学講義』上、岩波文庫、64―69ページ

 「手段ということばを聞くと、わたしたちはまず、自分の外にあって、目的とはなんのかかわりもないような手段を思い浮かべます。が、実際は、自然物でさえ、いや、身のまわりの生命なき物体でさえ、手段としてつかわれるときには、目的と合致する面を、目的と共通するなにかを、もっています。

 まして、人間が理性的目的の手段となる場合、その人間が外的な手段にとどまることなど、およそありえない。人間は手段であることに満足し、手段の位置にたって理性の目的とは内容の違う特殊な目的を設定するのみならず、理性の目的そのものにも関与し、こうしてまさに自己を目的とするものになる、・・・・

 人間が自己を目的とするといえるのは、人間のうちに神々しいものがあるからで、それは、もともとは理性と名づけられ、それが活動力として明確な姿をとると、自由と名づけられるものです。・・・宗教心や道徳心はそうした自由な理性を土台ないし源泉とするもので、外からやってくる必然や偶然に左右されることはないといえます。ただ、道徳的ないし宗教的な堕落や、道徳心ないし宗教心の弱さが露呈することはあって、個人が自由に生きようとするかぎり、そうしたことに責任をもたねばならないことはいっておかねばなりませんが。



 人間は何が善で、なにが悪かを知っている、といわれますが、それは、人間の絶対的で高貴な使命をいいあわらすことばです。まさに、善を意思するか悪を意思するかが問われているので、一言で言えば、人間には責任というものがある。悪だけでなく善にも責任があり、あれにもこれにも、どんなものにも責任があり、のみならず、特に個人の自由に関わる善悪に責任がある。本当に責任がないといえるのは動物だけです。・・・・



 人間の美質や道徳心や宗教心が歴史上でこうむる運命を見わたすとき、善意の誠実な人びとが多くの場合に不幸な目に会い、邪悪な人びとがうまくやっているようにも見えますが、そんなことを嘆きの種にするのはあたらない。うまくいくというのもさまざまな意味があって、富や外見上の名誉などもふくまれる。しかし、絶対的に存在する目的を問題とする場合には、あれこれの個人がうまくいったかいかなかったかは、理性的な世界秩序になに一つかかわるところをもたない。世界の目的という観点からすれば、個人が幸福な状態にあるかどうかより、道徳と法にかなったよい目的が確実に実現されているかどうかのほうが重要です。



 正義や善の名分を与えられると、現実への要求は声高になり、現在の状況に不満を言うだけでなく、それに怒りをぶつけるようにもなる。そうした感情や見解を正当に評価するには、文句のつけようのない形で提示される要求を、あらためて検討してみる必要がある。

 現代ほど、現実に対する一般的な命題や思想が声高に提示される時代はないからです。過去の歴史が情熱の闘いとしてあらわされるとすれば、現代の歴史は、情熱が欠けているわけではないにしても、主として思想の自己主張の闘いとして、ときには、思想の自己主張という形をとった情熱と主観的利害の闘いとしてあらわされる。理性にかなったものという形で主張される正義の要求は、まさしく絶対の目的と見なされ、宗教や道徳に匹敵するものとされるのです。



 すでにいったように、(空想の産物たる)理想が実現されていない、この素晴らしい夢が冷たい現実によって壊される、といったなげきほど、今日よく聞かれるものはありません。厳しい現実にぶつかって、実現の途上でついえさるような理想は、さしあたり主観的なものにすぎず、自分のことを最高にして最優秀な存在だと考える個人の所有物に過ぎない。わたしたちはそんなものにかかずらう必要はありません。個人が自分ひとりで考えだしたことが一般的現実にとっての法則になるはずはなく、同様に、世界の法則が、いずれは消えていく個々人のためにだけ存在するということもないのです。が、理想といわれるものには、理性、善、真の理想もあって、シラーのような詩人は、この理想を心の琴線に触れるよう感情ゆたかに表現しつつ、理想が実現されないことに深い悲しみの情を吐露しています。



 これにたいして、わたしたちが普遍的理性の実現というとき、むろんここの経験的事実を問題にしているのではない。個々の経験的事実はよくもわるくもなりうるので、というのも、ここでは偶然や特殊条件が事態を大きく左右する力をもっているからです。だから、個々の現象については、非難すべき点はいくつも見つけられる。個々の事実のうちに働く一般的理性を認識しないで、その欠点だけを主観的にあげつらうのは難しいことではなく、そういう非難を得意とする人は、自分だけは全体の幸福を考える善意の心やさしい人であるような顔をしていて、いい気になってふんぞり返ったりするものです。個人や国家や世界支配の欠点を見つけることは、その真の内実を認識することよりも簡単です。事柄のなかにわけいって、事柄そのもの、事柄の積極面をとらえることをしない人でも、否定の口調で非難のことばをなげつけていれば、事態を上から見下ろすような、気持ちのよい偉そうな顔が出きるのです。

 青年期はなにかと不満だらけなのに、年をとると人間がおだやかになるという。年をかさねることが判断を成熟させるからで、利害にとらわれない目でマイナス面をも評価できるようになるだけでなく、まじめな人生経験を積むことによって、洞察力が深まり、ものごとの実体ないし実質をつかめるようになるのです。



 哲学は理想を夢想するのではなく、冷静な洞察をもたらさねばなりませんが、その洞察とは、本当の善ないし普遍的な理性は、自己実現する力をもっている、という洞察です。」





世界史のあゆみ

ヘーゲル『歴史哲学講義』上、岩波文庫、114―115ページ



「思想に親しむという習慣をもたない主観的教養人にとって、思考観念は違和感をかきたてるものであり、対象のイメージや理解のうちには見出されないものだと思えるのですが、それはイメージや理解に欠陥があるのです。かれらは、哲学は歴史学のことがわからない、という。が、かれらはむしろつぎのことをみとめるべきだ。哲学は、歴史学で力を発揮する分析的思考をもつのでもなければ、分析的思考のカテゴリーにしたがって思考をすすめるのでもなく、理性のカテゴリーにしたがって思考しつつ、同時に、分析的思考を理解し、その価値と位置をもわきまえていることを。

分析的思考の方法をとる学問にあっても、本質的なものをいわゆる非本質的なものから区別し、それとして取り出してくる必要のあることはいうまでもない。が、それができるためには、本質的なものがなにかを知らなければならない。





「一般的にとらえられた特徴とはっきり矛盾するような、身近な例を持ち出す人がいますが、そのやり方は、普通は、理念をとらえたり理解したりする力のなさをあらわしてもいます。自然史において、境界のはっきりとした類や綱をかきみだすものとして、奇形や異形や混成種のれいが持ち出されることがありますが、それに対しては、ごまかしのためによく使われる手ではあるが、例外は規則を証明するものだ、といういい草をかえしておけばよい。いい草の真意は、例外を見れば、それが生じてくる条件なり、正常状態から逸脱した欠陥体や両性具有体なりがわかるということです。・・・」



118ページ

「真の道徳原理ないし共同精神・・・」

「世界史は道徳の本領たる、私的な心情、個人の良心、個々人の意思と行動といった場面よりも、もっと高い次元を動くもの・・・個人はそれぞれに価値ある点や非難されるべき点をもち、賞と罰をうけますが、精神の絶対的な究極目的が要求し成就すること、もしくは、神の摂理がおこなうことは、個人の道徳性に関わる義務や責任能力や要求をこえたものなのです。・・・」



119ページ



 とはいえ、世界史的な行為や行為者に対して、世界の流れを見つつ、道徳的な要求を掲げるわけにはいかないので、それが場ちがいというものです。つつましさ、謙虚さ、人間愛、慈善などといったくだくだしい個人道徳をかれらに要求してもはじまらない。世界史というものは、道徳が問題になったり、人のよく口にする道徳と政治の区別が問題となったりするような領域とはまったく違う。世界史は道徳的判断などしない―もっとも世界史の原理や、その原理と行動との関係は、それ自体すでに判断だとはいえるのですが―・・・・





世界史の地理的基礎

ヘーゲル『歴史哲学講義』上、岩波文庫、149ページ

「アメリカは未来の国です。近いうちに、たとえば南北アメリカの対立が世界史を動かすほどの重大事件になるかもしれませんが。古いヨーロッパの歴史的な武器庫にうんざりしたすべての人にとって、またアメリカはあこがれの地です。ナポレオンは、『古いヨーロッパはもうたくさんだ』といったそうです。アメリカは今日まで世界史が動いてきた土地からは除外されます。いままでにアメリカが獲得したものは、旧世界の反響、および、異質の生命の表現に過ぎず、未来の国については、私たちの関知するところではありません。・・・・・」





以上,見てきたように、ヘーゲルの世界史認識は実に深い洞察に満ちているのであるが,他方では、青年ヘーゲル派、フォイエルバッハ、マルクスなどが批判したようなプロイセン国家主義、プロイセン国家擁護,現状擁護の思想も色濃く残っていた。マルクスは,その一番初期の作品のひとつ「ヘーゲル国法論批判」で,文字通りそうしたヘーゲルの批判を行っている。

「それぞれの国民はその国民に適合しその国民にふさわしい体制を有する」というヘーゲルにたいして、マルクスは、「ヘーゲルの論法からすれば、・・・『自己意識の在り方と形成』が『体制』と矛盾しあうような国家はどんな意味においても真の国家ではないことになってこざるをえない」Aus Hegels Räsonnement folgt nur, daß der Staat, worin „Weise und Bildung des Selbstbewußtseins“ und „Verfassung“ sich widersprechen, kein wahrer Staat ist.と批判する。



そして、

「或る過去の意識の産物であった体制が或る進んだ意識にとってむごい桎梏となりうるとか,その他等などの事柄はなんといってもありふれた事実である。このことから出てくるべきものはむしろ,意識とともに前進していくという規定と原則をそれ自身のうちに具えた体制が要請されるということだけであろう。現実の人間とともに前進していくということ、このことは『人間』が体制の原理になってこそはじめて可能なのである。」






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最終更新日  2004年05月22日 01時11分13秒
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