2004年08月13日
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ケマル・アタチュルク資料より


 連合国にとって、大きな障害となったのは小アジアにおける治安悪化。
彼らの横暴ぶりに対して、占領地の民衆の中にはゲリラ活動に走る者も出たし、残存トルコ軍団も、皇帝政府の復員命令を無視して、各地で占領軍と小競り合いを始めていた。
 そのため、連合軍は残存トルコ軍団の復員を皇帝政府に要求し、全軍の信望が厚い人物を派遣するよう命じた。
そして、大宰相に、その役目はケマル・パシャがいいだろうと提案。
それが虎を野に放つようなものであることに、全く連合国側は気付かなかった。
彼らは自分たちに対して、トルコ人が本格的な戦争を新たに始めようなどとは夢にも思っていなかったし、そんな力など残っている筈がないと馬鹿にしきっていた。
 かくて、1919年5月16日、ケマルはイスタンブールを出発。
5月19日、黒海沿岸のサムスン市に上陸。

この事件はケマルに幸いした。
というのは、このギリシア軍の侵入によって、虚脱状態だった一般トルコ人が、一気に奮い立ったから。
 一方、ケマルは英軍の支配下にあるサムスンを密かに離れて、80キロほど内陸部のアマシア市に潜入。
ここに秘密司令部を設置すると、小アジアに残存する全軍団に電報で、情勢報告と代表将校を自分のもとに送るよう要請。
 どの軍団でも、それまで復員を要求していた兵士達が、ギリシア軍の侵入を知ってショックを受け、復員要求を取り下げると共に、逆に軍の上層部を突き上げだした。
しかも、エーゲ海沿岸に近い軍団では、すでに将校達が軍司令官の不決断を無視して、勝手にギリシア軍に対してゲリラ戦を始めていた。
だが、残存軍団の兵力は、やっと5万人になるか否かの程度。

 ▼トルコ「国民」意識
 当時のトルコ民衆は、まず自分をイスラム教徒と考え、次に皇帝にしてカリフの支配するオスマン帝国の臣民だと意識して、ようやくその次に自分をトルコ民族に属する者だと思っていた。
ところが、ケマルは、「何よりも先に、諸君はトルコ人なのだ」というナショナリズムを新たな国家原理として導入しようとした。
後世の我々からみれば、そのケマルの信念は当然のこと。

当時のトルコ人の意識も似たようなもの。
そして、「トルコ国民」という意識は、ケマルを指導者とする救国戦争と革命によって、だんだんと育っていったのである。

 ▼シワス国民会議
 1919年9月、トルコ各地に公然と、あるいは秘密に作られた抵抗委員会の代表者達が、小アジアのほぼ中央部にあるシワス市に集まった。
 彼らの大半は旧青年トルコ党のメンバーであり、必ずしもケマルを自分達の盟主と認めてはいなかった。

つまり、それでは皇帝政府を無視した新政権の誕生を意味することになり、皇帝の大権を犯すものだというのである。
 皇帝が、クルド人の部隊にシワスを攻撃させ、会議の参加者を逮捕ないし殺せと命じさせた。
 これを知ったケマルは、先手を打って2個師団を率い出撃準備中のクルド部隊を急襲し、数日で蹴散らした。
 それ以後、ケマルはシワス国民会議の事実上の主権者となった。
 この会議こそ真のトルコ国民を代表するものだという宣言が議決された。
さらに、全土からの税金も、「新政権」が徴集権を持つことまで議決させた。
 しかし、この会議は崩壊した。
理由は、皇帝の巧みな策謀にある。
皇帝は、総選挙を実施して、帝国議会を再開すると声明。
非合法性の強いシワス国民会議の議員であるより、正当国会の議員の方が魅力的。
しかも、皇帝は、クルド部隊への命令は大宰相の独断だったとして、大宰相を解任。
かくして、議員は去っていった。

 ▼トルコ大国民議会
 1920年、帝国議会が開催。
この議会は、連合国を挑発。
休戦協定を結んだ段階で連合国に占領されていなかった地域は明らかにトルコ領土であり、・・・列強と結んだ不平等条約は、全て撤廃されなければならない、という内容の「国民誓約」なるものを議決。
 そんな要求を、「病人は今度こそ息絶えた。
あとは遺産をどれだけ多く相続するかが問題だ」(英国首相ロイド・ジョージの発言)と考えている連合国が相手にするはずがなかった。
列強の野心を打ち砕くには実力で対抗するしかないというケマルの理論が分からなかったのである。
 英国は約10万の兵士をイスタンブールに上陸させた。
国会に向かった部隊は、脱出に成功した十数人を除いて、残りの議員を全て逮捕し、「人民の最高の義務は皇帝の命令に従うこと。
イギリスの高等弁務官は皇帝の代行者として、秩序を乱す者を逮捕し、裁判する権利を所有する」というビラをいたるところに貼った。
この英国の不法な行動に対して、皇帝は抗議をするどころか、自分を「反徒」どもから守ってくれたと喜んだ。
 ケマルはこのことを知り、ただちに小アジアで新たな選挙を実施。
そして、選出された議員と、かろうじて首都から脱出してきた議員によって、4月23日に「トルコ大国民議会」を開催。
 ケマルは満場一致で議長になった。
今度の議員達は皇帝政府に対して、何等幻想を持ってなかった。
 「主権は人民にある」「皇帝政府はトルコの真の代表ではなく、このトルコ大国民会議こそ唯一の合法政権である」「皇帝政府が外国と、如何なる条約を結んでも無効である」などという議案が次々と可決された。
 皇帝は全イスラム教徒のカリフとして、アンカラの会議のメンバーは「神の敵」と宣言。
皇帝は「カリフ軍」なるものを結成。
聖職者達は、「この神聖な軍隊に加わる者には天国が約束されている」という皇帝の言葉を町や村に伝え回った。
すると、たちまち何万にもの人々が志願してきた。
彼らの大半は農民で、皇帝が「神の代理人」であることを信じきっていた。
かくて、トルコ人同士による殺し合いが始まった。
連合国側は喜んだ。
 この段階でケマルは最大の苦境にあった。
英仏伊軍にギリシア軍、さらに連合国の後押しで成立しようとしていたアルメニア軍とクルド軍、その上にカリフ軍と、ゲリラ戦で戦わねばならなかったから。
しかし彼は絶望していなかった。
「まもなく国民は皇帝の正体を知るだろう。
そして我々の政府だけがトルコを救えると分かるだろう。
何故なら、連合国側が近く皇帝政府に和平条約を押しつけてくるという情報が入っている。
そして、その条約の内容がどんなものか見当がついているし、皇帝が何等敵に抵抗しないことも分かっている。
その時こそ、国民は一気に目覚めるだろう」 このケマルの予言は当たった。
それが、セーブル条約。
要するに、トルコは小アジア中西部の荒涼たる高原において、九州の半分ほどの大きさの国家としてのみ存在が認められ、しかも、海岸線はゼロ。
さらに連合国は、トルコにおける治外法権の継続と賠償金支払を要求。
トルコに対する事実上の滅亡宣言も同じこと。
こんな条約を皇帝が認めるわけがない、と人々は思ったが、皇帝は、自分の地位と皇室財産の保障と引換に、条約に調印。
皇帝はそれがどんなに大きな衝撃を彼の臣民に与えるか、まるで分かっていなかった。
 今やあらゆるトルコ人が目覚めた。
皇帝に対する憤激は、大げさにいえば一夜にして「カリフ軍」なるものを消滅させた。
彼らは前非を悔いてアンカラ政府に投降し、ケマルに従うことを誓った。
なおも皇帝を支持しようとする聖職者達は、村や町から追放されたり殺されたりした。
それは事実上の「反イスラム革命」の始まりだった。






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最終更新日  2004年08月15日 12時52分50秒
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