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今日の午後は、
父の葬儀にも来てくれた、
父の海保時代の後輩N氏(71)が遊びに我が家へ、
--> 東南海で、開口一番、
「実はね、先月なんですけどね、
うちのと芦ノ湖に行ってきたんです、
そこで、たまたまなんですけど、見つけたんですよ、」
国道1号線の西側、精進池の近くにある石造宝篋印塔。永仁4年(1296)に造られたもので、発掘調査により、自然石に囲まれた基壇地の上に、鎌倉時代は据えられていたことがわかりました。多田満仲(源満仲913?~997)は清和源氏発展の礎をつくったことで知られる武将で、酒天童子退治で有名な源頼光の父。この石塔は、近世以降多田満仲の墓と呼ばれるようになったようですが、その由来は不明です。
証拠で見せてくれた写真には、チョっとビックリ、寄りによって、
父の一番の後輩だったN氏に多田満仲が顕現するとは!?しかも、朝の散歩で偶然見つけたのだと言う、
多田満仲は川西市にある多田神社の祖である、
ーー> 川西の神社のことなんで又、芦ノ湖にそのゆかりの石碑(墓)があるのか不明だが、そんなことより、このタイミングで、N氏がこの墓と出会った事の方がインパクトが大きい、
実は、この多田神社、
不思議な縁がある、父が今から40年前、
姫路の海上保安署に勤めていたころ、知人に紹介されて、
同じ兵庫県の川西にある多田神社に行ったそうな、浄土宗の檀家だった父には、
おそらく初耳の事だったと思われる、父は、以降、自分のルーツを調べるべく、
一族の出自を一冊の本にまとめた、
よほどショックだったのだろう、
(今、それは自分の手元にある、)
で、自分はと言えば、2年前、西宮で、
タウンペーパーの小さな広告「初詣は多田神社へ」を見て、
初めてその存在を知る、
ココでのポイントは、
父も私も、自分で多田神社を求めたのではないこと、
神社の方から、自分達に現れてくれた、そこへ来て、今日のN氏の来訪で知った事実、
N氏にまで満仲が現れたこと、これは、何か、
赤い糸が繋がっている気がしてしょうがない、
ヨメさん曰く、
「満仲とそのご先祖は、
ほんとの供養を待っているんじゃない、」ナーるほど、
そして、今日の事で、
ひとつ確信が出てきたでき事がある、
又、アトで、
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