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ここ数日、自我の死のイメージをズット模索してきた、
オリジナルは、コーなるわけだが、
この「オレの十字架」のイメージの実感が、
いまいち 伴わない、
そこで、イロイロ出てきた、
で昨日あたりから、こんなのも来た、
これを頭につけて、そこら辺を歩き回る、
まさに死者(幽霊)の彷徨みたいで、
自分が死んでいることを追認するのにはピッタリなのだが、
で、今日のこと、
日中、パンを買いに行った帰り、
これまでの死のイメージをイロイロ想像してたら、
すごーく久しぶりに、父母の声が聞こえてきた、母 :「XX、十字架よ、」 (XXはオレの名前、)
父 :「XX、十字架だ、」*実は2人から同時に、同じことを言われたのは、
今年の3月の 父の葬儀の朝のできごと 以来だ、
この言葉;
父 、「このうちに住みなさい、
福島はイエス様が守ってくれるから、」
母 、「大丈夫よ、ここに住みなさい、
福島原発はイエス様が守ってくれるわよ、」これはかなり明確な声で、
且つ、2人に続けざまに言われると、さすがにインパクト大、
そして、ハッとした、その時、(キリストの死の象徴の)十字架が浮かび、
自分に何かが流れ込むのを感じた、何か、スーッとしたような、
ドーやら、十字架の死とは、
こっちで勝手に自分の死を想像する類のものではないらしい、やはり、古き人の死の原点/オリジンは、
キリストの十字架しかないようだ、そこに自分の焦点を合わせ続けるーー、
それはいいのだが、父母は一体どこで、
こんなタイムリー、且つ、的確な情報を得るのだろうか、生前に関しては、およそ、
キリスト教関連とは全く無縁なはずなのだが、それとも、天に行くと、
一瞬のうちに誰でも真理で満たされるのだろうか、
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